生活の覚え書き 1

複雑な契約
物を借りたり、お金を借りたり、物を買ったりする場合には、必ず契約が必要になります。悪徳契約は、この契約を非常に複雑にして、契約の瑕疵(欠点)を隠そうとします。複雑な契約とは、契約の内容(欠点)を理解させないようにしくんだ欠陥契約でしかありません

単純明快な契約が理想的なものであり、複雑な契約ほど利用者に不利なものだと理解しなければなりません。契約に疑問(理解不能)が生じた時点で、欠陥契約との烙印が押された事になります

少しでも疑問が生じたら、決して契約してはいけません

最近の商売に関する契約は、利点のみを強調して非常にお得であるかのように見せかけるものが数多くあります。実際は多数の但し書き(条件)をつける事によって、利点を制限したり受ける事ができないようにしています。つまり利点を強調するものほど、消費者を欺く欠陥契約である可能性が高いと言えます

契約の但し書きは大抵分かりにくい場所に書かれており、何故このような条件が必要なのか分からないように書かれています。契約をする場合には、契約に関する全ての文章に目をとうし、疑問がわいたら契約をしないようにしましょう

人の日常には、生活に必須なものとして必ず覚えなければならないものがある。それらは覚え書きとしてしっかりと文書化して、自分のものとして残さなければならない。自身で書き記したものは、自分のものとなった証だからだ



インターネット
インターネットは、データが流れる通信網。善人だろうが、悪人だろうが、詐欺師だろうが、誰でも如何様なものでも流せる、情報が流れるだけの土管にすぎない。インターネットはあらゆる情報が氾濫する無法地帯。インターネットは、適切な管理が必至の場所。管理を怠れば自滅する、自己管理が必至の非情な場所

情報はそもそも欠陥品です。何故なら、情報は人が伝えるものにすぎないからだ。人は都合の悪いものは隠蔽する。人は自分に都合のいいように解釈する。人の伝える情報は、伝える者に都合のいいものにすぎない。これが情報の偽らざる現実だ。だから情報は、自分自身で見極めなければならない

情報は自分に役立つ情報と、まったく役にたたない情報に分けられる。情報は自分で選別するから、自分主体になるのが情報だ。適切に分別できないと、役立たずの情報に埋もれて自滅する。人の勝手な意見で状況を判断できるのか、自身にまったく関わりのない情報に意味があるのか。常に人を欺くのが情報だ。自分に必要な情報を適切に分別する能力を、インターネットを通じて鍛えなければならない

そもそも情報をそのまま信じるのは只の馬鹿。情報には必ず裏付けがいる。そして、それが正しいものかの判別が必ずいる。情報は自分で選び、自分自身で判断するのが基本になる

インターネットとは、情報の記録を行う場所。あらゆる情報を記録し、全ての人が情報の活用ができる場所。物事を知る場所、物事を解決するための手段を得る場所、それが何者か判断する材料を得る場所。それ以外の何ものでない。あらゆる知識が得られる情報の宝箱。物事の全体の流れを理解し、全体像の把握ができる

知らないことは調べるのが、生活の基本です。調べて適切な判断と対処ができる、まともな生活環境を整えるのがインターネットの役割。問題の解決をはかる・生活に必要な基礎情報を得る・生活を改善するための情報を得る。必要な情報は自分で調べるのが、情報社会の基本になる

そもそも情報とは如何なるものか。それを人に問うのがインターネット

情報とは記録された判断材料を意味する。記録されないものは、そもそも情報なんかじゃない(笑)だから「NHK・新聞・テレビ」は情報なんかじゃない。全てが消えて無くなる伝言です(笑)記録しない、調査しない、意見を情報にすり替える。正に人の言葉による伝言、つまりいかさまです(笑)いかさまの情報の特徴は、試行錯誤ができない事。必要な情報が揃わないから、分析・検証・実証がまったくできない。活用できるのが情報です。活用できない伝言を、情報とは呼びません

文字・映像・音声の全てを記録し公開できるのがインターネット。テレビ・ラジオの上位の存在だから、テレビ・ラジオは不要になる。しかしインターネット回線は無料じゃない(笑)テレビもNHKの契約が義務づけられるため無料じゃない(笑)無料なのはラジオだけ。だからラジオは無料で情報を聞ける唯一の道具になる。ラジオは記録の公開ができないため、学習には活用できないが、最新情報の取得はできる。ラジオは最終的に、無料のインターネット回線に取って代わられる存在にすぎないが、無料で最新情報が得られる存在として活用できる

映像情報はテレビの映像と同じだから、インターネットの映像情報はテレビと同質と言って良い。だからインターネット上の映像情報は厳選しなければならない。何故なら、映像は単なるイメージにすぎず、物事の本質を理解することはできないからだ。映像というイメージは単なる宣伝にすぎず、理解するためには膨大な文字情報に変換しなければならない。映像はイメージとしてしか記憶に残らない。映像で理解することは不可能です。だから映像はイカサマの道具として活用される(笑)

映像は現状を理解するための補助として活用する、本来動く画像データとしての価値しかない。インターネット上の映像データとは、動く画像データとしての価値しかないのが現実だ。人の発言は情報では無く、人の意見にすぎない。映像の言葉は、情報ではなく、イメージとしてのデータにすぎない

だから、インターネット上の動画は厳選しなければならない。動画はテレビと同様に宣伝として活用できる。宣伝動画は金になるということだ。その本質はテレビと同じ。人には物事の全体像を理解する能力が必須になる。映像で全体像の把握はできない。映像は映らないものを無かったものにするからだ。映像のマヤカシとは、人に理解したかのような錯覚を与えること。映像とは参考データにすぎず、全体像の把握には、膨大な文字データが必須になる

「文字・映像・音声」データの全てを駆使し、全体像の把握ができるのがインターネット。インターネットは情報の活用ができる最上位の存在になる。相互の通信でデータのやりとりができ、人と人とをつなぐことが可能になる。世界中の人とデータを繋ぐことが可能になるのがインターネット。人はインターネットの活用法を学ばなければならない

インターネットは膨大な情報を提供し、判断するための判断材料を提供する

「情報とは活用するもの」

たぶんこれが、人にとっての情報の真実と言えるだろう。活用できない情報に意味は無い。逆にいうと、情報は生活に生かさなければならない。人はそれが自分に活用できるものなのか、まず最初に確認しなければならない。自分自身に活用できない情報に意味など無い

人は情報に何を求めるのか。物事の理解と解決、現状の把握、生活の向上などなど、基本的に自分の役に立つものを求めている。だから、役に立つか立たないか、解決するためにはどうすればいいのか、これからどのようにすればいいのか、行動の指針になるものでなければならない。これ以外のものは、そもそも人に必要無い。世の中には、必要な情報より、不要な情報・役立たずの情報が大半を占める。まず不要な情報を斬り捨てなければならない。でなければ、必要な情報など得られないのが現実だ…

自分に関係無いもの、自分に必要でないもの、自分の住む地域に関係ないもの、自分に影響が及ばないもの、などなど、自分の役に立たない情報は、自分自身に意味が無い。必要な情報は、自分自身で調べなければ得られない。これは、情報を得る場合の鉄則です

情報は「自分に役立つもの」でなければ意味が無い。役に立つとはどういうことか。役に立つとは、自分の問題を解決すること。答えの無い情報は、人の役には立たない。つまり、「いったいどうすればいいのか」との問いに対して、答えの無い情報に意味など無い。答えを導けない情報は、切り捨てるべき欠陥品です

情報とは、答えを導くための判断材料にすぎない。答えを導けない情報に意味は無い

物事を知るには、全体の流れを知る必要がある。歴史書として全てを繙くため、情報は全ての事実を記録する。情報の基本的な役割は、時系列の事実の経緯の記録にある。情報社会では、インターネットに記録を残す。情報は記録し公開しなければ意味を成さない

情報は事実を時系列に纏めたもの。情報は実態を詳細に纏めたもの。情報はその影響を纏めたもの。全てが揃った情報を元にして、未来をシュミレーションで予測する。全ての情報が揃わなければ、シュミレーションは不可能だ

情報とは「過去・現在・未来」を見通すことができるもの。「過去」が欠けたら、過去の失敗を繰り返す。「現在」が欠けたら、現状を把握できずに破滅する。「未来」が欠けたら、自滅の未来が訪れる。情報はこの3つが揃って意味を成す

情報化社会の情報は「過去・現在・未来」がセットになった、膨大な整理された記録データになる。データベースが情報社会の基本です

情報とは理解するための記録データ。物事を解決するための基礎データ。理解し、解決に役立てられるのが情報です。解決できない情報に意味など無い。情報は、生活の役に立つことで意味を成す。生活の役に立つのが情報です

NHKを見て、それを情報だと認識したなら、それは認識能力が狂っている証拠です。NHKに記録は無く、全てを消し去っているからだ。調べられない、原因・元凶が分からない、解決手段が無い、そもそも何者なのかが分からない。NHKを見て「情報なんかじゃない。いかさまだ!」と認識できたら正常です(笑)「他人が勝手に選んだものは、自分に必要なものには決してならない。それは単なる宣伝だ」。言い換えると「あんたが選んだ情報が、何で自分に必要な情報なんかになるんだ。おかしいだろ」。この当たり前の現実に気付くべき。NHKの放送は、人の認識機能を狂わせる

情報には「活用できる情報」と「活用できない情報」の2種類が存在する。活用できる情報とは、物事を正確に記録した記録データ。活用できる情報は、物事を正確に記録した判断材料でなければならない。真逆の情報を記録しない、物事を正確に纏めないものが活用できない情報だ

「NHK・新聞・テレビ」が行う詐欺の手口は、「前提」として「おかしい」ものを「正しい」ものだと断定する。「間違った前提」を正しいものだと断定することで、「誤ったもの」が正しいものへとすり替わる。「活用できない情報」は「前提」そのものが狂っている。日本では「前提」が狂った情報が蔓延している。良い例が「テレビは公共」。テレビが国民生活の、いったい何を助けてくれるのか。テレビが公共はあり得ない

活用できる情報と活用できない情報を、しっかりと見定めるのが、情報と向き合う基本になる。「NHK・新聞・テレビ」は、情報を記録しない、情報をしっかりと纏めない、前提が狂った活用できない情報だ。「NHK・新聞・テレビ」との決別は必至になる

当たり前でないものを、当たり前だと強弁する者を詐欺師と呼ぶ。全ての記録を抹消する者をペテン師と呼ぶ。データの抹消を放送法で強制する如何様師のNHKで、人の狂いを判別できる

情報は自分で選ぶもの。情報の自己管理は、インターネットの基本です

生活に必須の危機管理とは、危機的状況に陥らないため、危険なものを把握して的確に対処できるようにすること。つまり、危険の把握と対処。生活する上で、危険なものを理解し、対処できるようにするのが危機管理。危険なものは諸々あるが、最大の危険は「人間」だ。危険人物、排除すべき悪人。そして、悪人が作った狂った制度による生活破壊、人の生活を貶める狂った契約、人を騙す制度や契約、等々。これらは、全て「人間」が元凶だ

人の悪意は、人の行為として顕れる。だから、危機管理は人の行動が基本になる。人の行為が悪ければ、人の環境が壊される。人の発言など意味が無く、その行動でしか、人の善悪は量れない。人の行動履歴でしか、人は判断できない。人の行動を追うのが、人の評価の基本になる。だから、人の発言が情報にすり替わるテレビは、紛れもないイカサマだ。テレビの言葉は信用してはならない。データ化されない情報はイカサマだ。データで物事を見る習慣が必要です

記録された情報によって、人は状況を判断できる。記録された情報により「過去・現在・未来」の把握が可能になり、適切な判断が可能になる。「NHK・新聞・テレビ」の伝言で、状況の把握は一切不能。この現実を突きつけるのが、情報の「記録」と「公開」を行うインターネット。情報は「記録」と「公開」が無ければ、意味を成さない代物です

インターネットは情報を記録し、公開する場所になる。その形は脳内の神経細胞のように、ネットワーク状に繋がっている。全ての情報が繋がり、全体像の把握が瞬時にできる。インターネットは、増殖と死滅を繰り返す神経細胞そのものだ。必要なものは記録し、不要な物はばっさりと切り捨てる。その利用には高度な情報の選別能力が求められる。インターネットは人が作り上げた巨大な神経細胞と言えるだろう。人が不完全なものであるように、インターネットも又不完全なものだと断言できる(笑)

インターネットには「正しい情報」「誤った情報」「必要ない情報」「只の宣伝」等々が混在する。インターネットの現実は、人の欲望を全て詰め込んだ掃き溜めです(笑)

インターネットの活用には、徹底的な試行錯誤が必要だ。人の限界まで脳細胞を絞り切らなければ、まともな活用など決してできない。データの活用には、膨大な基礎情報が必須であり、膨大な情報を瞬時に判断できる、高度な専門知識も必須になる

情報は漫然として得られない。情報の活用には膨大な努力と時間がかかる。それを人に強要するのがインターネットの現実だ

インターネットの役割とは、人の進化を促す試行錯誤の強要です。問題は自分自身で解決するしかない。自分自身との闘いを強要し、全ての元凶は「己の中にある」と指摘する、人の進化を強要する道具にすぎない(笑)

人はそれが「活用できる情報」なのか、見抜く力を身につけなければならない。「活用できない情報」に意味は無い。意味無いものに振り回されることほど、愚かなものはない。それは自分にとって意味のあるものなのか。それは、自分自身でしか判断できない

「情報の公開」と「情報の共有化」を図る場所。全ての情報を公開し、全ての情報を繋ぎ合わせ、物事の実態を明らかにして、全ての人と共有する。インターネットは、情報を活用する場所になる。情報の自己管理は必至であり、情報との付き合い方をしっかりと学ばなければならない。情報の理念・活用・倫理等々の膨大な基礎を学ぶ場所がインターネット

インターネットには様々なデータが存在するだけ。インターネットは基本的に情報を選別する、単なる情報の選別場。高度な情報の選別能力が求められ、人の能力が試される非情な場所。インターネットの基本は、徹底的に「調べる」こと。徹底的な調査・検証が、インターネットの基本です

インターネットは、必要な情報を探す場所。そこには、情報を探す人と、掲載する人の2種類が存在する。インターネットは、情報を掲載する人がいなければ成立しない。人に必要な情報を掲載する場所がインターネット。「情報の公開」はインターネットの基本です。必要な情報を「公開」する場所がインターネット。情報を隠蔽したい輩は、「情報の公開」は決してしない(笑)情報社会において「情報の独占・情報の制限・情報の非公開」は、人類の進化を阻む忌むべき行為と言えるだろう

インターネットは誰もが情報を掲載でき、誰もが情報を得られる、情報の公平化と共有化を目指す公共スペース。インターネットは、「情報の公開」と「情報の共有」を図る場所。インターネットは常に進化し、人の進化を促す、情報の最先端を行く場所になる

インターネットは世界中に敷設された通信網。通信網を批判しても意味は無い

人は知恵を絞りながら、情報の送受信の方法を学ばなければならない。インターネットの活用とは、情報の送受信を活用することに他ならない。情報を適切に活用すべく、努力を強いられる情報化社会が到来している。人は膨大な情報と向き合う手段を学ばなければならない。膨大な情報との格闘がくりひろがれる闘技場…それがインターネットと呼ばれる場所だ(笑)

インターネットは巨大な情報の見本市。膨大な情報から、必要な情報を選ぶ場所。だから、適切に選別できないければ、必然的に破滅する(笑)インターネットを利用するには、適切な情報を選別する、高度な選別能力を身に着けなければならない

情報とはいかなるものか、しっかりと理解しなければ、情報の迷宮に迷い込む。厳格な倫理観・適切な判断基準・高度な専門知識が要求される非情な場所(笑)人の能力向上を強要する、過酷な修練場でもある…。そしてテレビが不要になる情報の宝箱。だからテレビからの脱却は必至です(笑)

自己管理は、あらゆる物事の原則です。自己管理の出来ない者は破滅する。人まかせにすると破滅するのは当たり前。人には厳しい自己管理の能力が求められる。インターネットは、自己管理を学ぶ場所。インターネットの否定は、生存競争に必須の自己管理の否定です

自己管理が出来なければ、人は勝手に自滅する。これは人の悲しい現実です

インターネットの情報は、正誤の判別がまったくつかない。正誤の判断がつかないインターネットでは、厳格な検証と実証が必須です。検証と実証には、背景となる膨大な情報が必須であり、それは「データの公開」がされいてるインターネットでしか行えない。物事の判断には、膨大な関連情報が必要です

インターネットを始める際には、情報の検索方法の学習と、「NHKの解約」と「紙の新聞の解約」が必至です(笑)

NHKには情報そのものが存在しないし、新聞は「紙媒体」との江戸時代からその姿が変わらない時代錯誤の瓦版(笑)オールド・メディアと称される、「公開データ」が皆無という信じられない時代遅れの欠陥品(笑)「NHKと新聞」の解約は必至です。何の役にも立たないテレビと決別しなければ、NHKが訪問してきて「テレビが有れば契約成立!」と問答無用で裁判に訴える(笑)テレビは情報抹消を強要する疫病神。テレビからの離脱は必至です。テレビを公共に放送法で強制する、自民党の討伐も必至です

情報を検索して調べるのがインターネットの基本になる。何処から検索し、どのサイトから情報が得られるのか。どのように検索し、調べ・まとめ・保存するのか。買い物するにはどうすればいいのか、公共の情報を得るにはどうすればいいのか、問題が発生したらどのように対処すればいいのか

インターネットは、検索して調べるのが基本です。全ての情報は正誤の判断がつかないため、全てを疑ってかからなければならない(笑)インターネットでは情報の鵜呑みは厳禁です。調べるのは、起こった事実と、科学的なデータのみ

人の意見・主張は情報ではありません(笑)事実と科学的なデータを、ネット上からあらゆる角度から精査する。肯定と否定、必要性の有無、科学的な見地等々、様々な角度からの調査が必要だ。調べる範囲は全世界(笑)海外のホームページも、ブラウザの翻訳機能で瞬時に日本語に変換できる(笑)数件の検索など意味がない。最低でも数十件以上の検索データは必要だ。だから、調べるに値する事柄でなければ、検索する意味が無い(笑)世の中は、意味の無い情報が溢れていることを実感すべき…。本当の真実とは、事実からしか分からないものだと実感すべき

正しい判断とは、正しい情報と正しい論理に基づく、合理的な判断。判断は状況や情報によって、めまぐるしく変化する。一つの情報で、正反対の判断になる場合もある。だから判断には膨大な基礎情報が必須になる

そして正しい判断には、自分自身のチェックも必要だ(笑)どんなに情報があろうとも、上手に活用できなければ意味をなさない(笑)人が判断を誤るのは、情報をうまく活用できないのがほとんどだからだ(笑)人は情報をうまく活用できるよう、人間的に成長しなければならない(笑)

本当に必要な情報が有る場合、人は血眼になって努力する。情報を得て判断するには、相応の努力が必須になる。情報は漫然に得られるものではない事を理解すべき。そして、正誤の判断がつかいない情報は、検証しなければ使えないものだとゆうことをしっかりと理解すべき

情報とは、検証と実証を行わなければ、使い物にならない代物です

そもそも「情報の検証」とは如何なるものか。検証とは、それが正しいものか、使えるものか、そして自分が活用できるものなのか、それらを厳密に精査すること。情報の検索で全体像を把握しながら、その中から使えそうな情報を検証する。検証には膨大な科学的データが必須であり、検索と同等、若しくはそれ以上の時間がかかる(笑)検証には膨大な時間がかかり、実証にはそれ以上の時間がかかる(笑)

情報の検索時間 < 情報の検証時間 < 情報の実証時間

情報を活用するには、膨大な手間と時間がかかる(笑)検索で大まかな全体像を把握しながら絞り込み、検証で正誤の判断を厳しく審査。実証によって正しいかどうかを確認する。最終段階の実証で、使えない代物だと分かる場合が大半だ(笑)試行錯誤とは、徒労を何度も繰り返しながら、真実へと至る道筋を探ること(笑)徒労は「失敗の歴史」であり、人は失敗を繰り返しながら成長してく生き物だ(笑)

インターネットでは、徒労に終わる試行錯誤が必至であり、試行錯誤により全体像の把握ができる。情報の検索・検証・実証には、膨大な時間がかかることを理解すべき

検証と実証を丁寧に公開している個人のサイトが沢山あるため、検証と実証を省ける場合が大半だが(笑)インターネットは、情報を公開する場所。人のためになる情報を公開する場所でもある(笑)人のためになる情報の公開は、自分自身のスキルを上げるためにも必要だ(笑)

必要な情報には、検証と実証が必須になる。だからインターネット上のほとんどが、必要性の無い意味の無い情報です(笑)検証・実証を必要としない情報に、基本まったく意味は無い(笑)意味の無い情報と、意味ある情報を、適切に判別する能力が厳しく問われる

意味の無い情報とは、人の倫理から外れたもの・人のためにならないもの・人の役に立たないもの。意味ある情報には、必ず検証と実証が必須になる。物事には必ず、何らかの利益がある。利益がある場所に人は群がる(笑)それが自分の利益になるものか、それが社会に役立つものなのか、しっかりとした検証と実証が必要だ。無価値のものに利益は無い(笑)人は無価値なものに価値を求めて破滅する(笑)確固とした価値観を持ち、賢明であることが求められる、それがインターネットという場所です

検証できない情報は、インターネットでは全て虚偽(笑)

だからインターネットでは、必然的に膨大な情報との格闘が強要される(笑)徹底的に調査した情報は、自身の生活向上に活用できる。生活の向上が、インターネットの基本です。だから、ネットへの書き込みは意味が無い(笑)情報とは自分自身に役立てるのが原則です

だからリラックスするための娯楽を、自分自身で見つけなければならない(笑)自分自身に役立てる。自分のためになるのが娯楽です。娯楽を楽しむにも、膨大な情報が必要になる時代です(笑)役立つ娯楽を見つけるのも、インターネットでは重要です

インターネットから検証・実証が必要ない情報をバッサリ切り捨てると、本当にスッキリする(笑)8~9割は問答無用でバッサリいける(笑)「NHK・新聞・テレビ」は判断材料が存在しない、データの墓標が乱立する狂気の墓場。問答無用で切り捨てです(笑)

単なる宣伝にすぎない「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」は、速攻でゴミ箱行き(笑)意味無いどころか、全く関係の無い他人事。固有名詞を省くと、単なる出来事になるのが、「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」の特徴です(笑)比較・検証が必要無い、言いたい放題の単なる意見(笑)エンタメやスポーツの頑張ってる姿を見れば、同様にあなたも頑張れる…なんてのは単なる興行の宣伝です。口から出まかせの宣伝です(笑)必要性のまったく無い、興味を持たせるための宣伝だ(笑)自身とまったく関係の無い「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」は、バッサリ切り捨てる観念が必要です(笑)

「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」とは、創られたエンターテイメント。派手な宣伝によって人を感心を引き、有名になって金を稼ぐ。宣伝による金儲けの道具にすぎない(笑)だから、感動のストーリーを創り出し、人の感心を引こうとする。エンターテイメントとは、人が勝手に創り上げた幻想です(笑)幻想だから、何の役にも立たない。単なる宣伝に意味を求めてもむなしだけだ

インターネットで討論すべきは、技術的な問題と、人の思考と手法の問題です。個人の批判・中傷に意味は無い。批判していいのは、人の行為に限られる。だから、「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」に意味を求めても意味が無い(笑)他人のまったく関係の無い問題を、何で自分の問題にすりかえるのか(笑)国民生活に関わる問題ではないものは、基本まったく意味が無い(笑)自分のためになるのか、ならないか? 厳しい自己管理能力が求められる。自分のためにならないものは、問答無用で切り捨てです(笑)

「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」とおさらばするには、人の名前や固有名詞を「国民」にすり替える。名前を「国民」にすり替えると、まったく意味の無い情報に早変わり(笑)検証・実証が必要無い情報は、基本まったく意味が無い

情報は選んだ後の、検証・実証に多大な手間がかかる代物です(笑)人が判断を誤るのは、そのほとんどが短絡的な思考が原因です(笑)人には広い視野が求められ、大局的な判断が求められる。それらは結局、人の常識・知識・理念という人の心からの発現です。人の心が乱れると、人の行動も乱れるのが現実です(笑)

人が正常な判断をするには、正常な環境と、正常な心身が必要です。まともでない環境で、まともな判断は不可能。だから、まともでないものをかぎ分ける感覚を養わなければならない。人の判断の基本になるのは、まともなものか、まともじゃないかの判別です。まともでないものは、自身を社会をも破壊する…

人の生活の日常は、まともでないものとの闘いです。まともでないものを放置すると、自身も社会も破滅する

人の常識・知識・理念を鍛えるなど、生半可なことじゃない(笑)インターネットで鍛えるには、膨大な知識と時間と精神力が必要です。全ての情報を自らの血肉として吸収できたなら、間違いなく聖人へと昇格できる(笑)だから人はインターネットを本能的に毛嫌いする(笑)全てを判別できる聖人になるべく修行するなど、一生かかっても、絶対に無理(笑)せめて情報の選別能力だけは、しっかりと身に着けるべきだろう(笑)インターネットは全ての責任が自分自身に覆いかぶさる非情な場所。だから、厳しい倫理感に基づいた正しい判断が求められる。インターネットでは、自分のためにならないものは、問答無用で切り捨てる、厳しい倫理観が必要です

「これはやばい!」と感覚的に感じる知識と感覚。「これはいらない!」と即座に切り捨てられる選別能力。自分に必要な情報と、必要でない情報を、適切に判断できる能力を育てる場所がインターネット。インターネットは膨大な情報を蓄積したデータベース。人類の知識・経験・過ち・娯楽・信念等々、人の全てを詰め込んだデータベース

勉強もできるし、娯楽で堕落もできるし、悪の化身にもなれるし、聖人としても活躍できる。何でもできる自由な場所。自由とは何かを、人に問う場所でもある。何をし、何を成すのか。それを人に問う場所でもある

善と悪とが共存する、選別が必至のデータベース。情報の適切な選別能力は、インターネットでは必須です

情報の真実とは、冷徹な事実。人の意思・人の判断を省いた、冷徹な事実が情報の核心です。事実から真実を読み解く。判断するための事実の無いものは、そもそも情報なんかじゃ無い。見せかけの事実は、人を迷宮へと引きずり込む。そもそも情報には必ず意図があり、その秘められた意図を読み解かなければならない。情報との付き合いとは、情報の真実を見抜く訓練でもある

新聞や本の活字を読めば「教養」が得られる…というのはまっかな嘘(笑)活字は単なる情報です。人の意見・判断や事実と真実がごちゃまぜになった、単なる人の判断材料。判断材料を読んで、教養など得られない(笑)

教養とは思想であり、行動の規範となる行動原理。何が正義で、何が悪で、何が人の役に立つものか。人は何を行い、人は何を成すべきか。思考を鍛え、行動を鍛えるのが教養です。思考の無い行動に意味は無い。行動の無い思考に意味は無い。思考と行動は連動して機能する。思考と行動は、その両方が正しく機能してこそ意味がある。正常な思想と行動が一致した、正常な状態を教養と呼ぶ

ぶっちゃけると、教養とは常識ある行動と言えるだろう(笑)日本では、この教養が失われつつある(笑)テレビと新聞を見れば、教養が得られると宣伝しているおかげです(笑)政治家は平気で嘘をつくし、悪法を立法しても政治家はのうのうとして許される(笑)日本のトップに教養など存在しない(笑)テレビと新聞からの離脱は必至です

教養には、正しい思考と、正しい行動が必須です。正しい思考には正しい判断材料が必要であり、正しい行動には正しい行動見本が必要です。活字という情報から、正しい思考と行動を学び、実践しながら教養を磨いていく。教養とは磨くもの。漫然と得られるものでは決してない

人の言葉は情報ではない、人の言葉は主観にすぎない。データに基づく科学的な判断をするのが情報社会の基本です。データは嘘をつかない。嘘をつくのは人間です

Back Ground Music: 葬送のフリーレン創作

人が生活するには、最低限の生活の基礎知識が必要だ。生きるために金を稼ぐ、環境に適応するための生活常識、人としての常識、騙されないための基礎知識、悪人の判別方法等々、多種多様な膨大な情報が必要になる。インターネットは情報の宝庫であり、生活の基礎知識がしっかりと揃っている。インターネットは検索して学ぶ場所。インターネットは、生活の基礎知識を適切に学ぶ場所になる

インターネットは学ぶ場所。あらゆる手続きができる場所。情報の相互通信ができる場所。娯楽や趣味に現を抜かす場所ではない(笑)生活に必須の基礎知識・危機管理・売買の手法・手続きの手法を学ぶ場所でもある。危機管理の能力を身に着けけなければ、生活に支障をきたし、詐欺や悪人に簡単にひっかかる(笑)危機管理の情報は膨大であり、膨大な知識・知見・倫理観を、しっかりと身につけなければならない

歓楽街と図書館と各種サービスが、一体化してるのがインターネット(笑)歓楽街と見るか、情報の宝庫とみるかで、人の行く末が決定する(笑)アホになるか、賢人となるか、それは自身で決めること。決断は全て自己責任。インターネットは、人に決断を委ねる非情な場所

インターネットには、役立つ場所と、役に立たない場所がある。見分けるコツは、人に役立に立とうとする意識の存在だ。手助けをしようとする気が無い者は、本質的な部分が狂っている。情報には「5W1H」「倫理観」「基礎情報」などの、必須の項目が存在する。慣れれてくると、情報の欠落・欠損・常識の狂い・意見による誤魔化しなどが、感覚的に分かってくる。誤魔化そうとするものは、物事を勝手に断定し、勝手な結論を押し付ける。断定するには、膨大な関連情報が必須であり、物事は単純にははかれない

判断に必要な材料を全て揃える。それができるのがインターネット、それができるよう改善するのがインターネット。適切な情報を、必要な時に、必要なだけ得られ、適切な行動が可能になる。人の判断の手助けをするのがインターネットの役割です

人の助けにならない者は、混乱と混沌に落とし込み、人の判断を狂わせる。理路整然としたものは、時系列に沿った事実だけ(笑)発信者が狂ったものは、狂った概念を押し付ける。人の助けにならない者は、人を地獄へと引きずり込む

「NHK・新聞・テレビ」は情報の抹殺を仕事にする、インターネットを敵視する敵対勢力(笑)人の助けにならない「三種の暗愚」として、社会の改善を阻害する。情報の公開を否定する、放送法の下部たる、善人の仮面を被りし正統派の如何様師。記録データの無い場所は、情報を得るための場所には決してならない。データの無い場所を拠り所にすれば、それは自殺と同じです

NHKの理念は「国民の無能化と奴隷化」なのだから、信用すれば地獄を見る(笑)発信者の確認は、インターネットでは必須です…

人は善人の仮面を装着すれば、簡単に善人へと変身できる(笑)人は行動でしか見抜けない。何をし、何を成そうとするする者か。人の判別は、行動履歴でしか判別できない。発言(言葉)で判断すれば、間違いなく騙される(笑)人の言葉が如何に信用ならないか、インターネットで詳細に調査することで、実態をしっかりと確認できる。詐欺師は、発言と行動がまったく違う(笑)テレビは只の宣伝だから、テレビを見ない習慣は必修です

インターネットで調べる習慣を身に着ければ、テレビは自然と見なくなる(笑)受け身で情報は得られない。必要な情報は、自ら求めなければ絶対に得られない

「テレビで情報を得られる」と宣う輩は、正真正銘の詐欺師。調べることができないテレビは、検証不能な致命的な欠陥品。テレビ生活とは、情報量を制限され、自らで考える事を制限された、自己管理を放棄する奴隷生活。テレビからの離脱は、まともな生活の基本です

テレビは忌み嫌わねば身を亡ぼす。忌み嫌って生活から切り捨てるのが正解です(笑)情報を制限するテレビは麻薬と同じ。黄泉へと誘う死神です。テレビは全てを消し去っていく、アナログの象徴的存在。全てを消されるとは、奴隷生活を意味する。「テレビは見ない!死んでも見ない!見たら死ぬ!」との強固な決意と信念が必要です

全ての情報を消されたら… まあ確実に破滅です(笑)

日本は詐欺師の判別を、マスコミで訓練できる稀有な場所(笑)マスコミの本性を暴く作業は、インターネットでは必修です(笑)シャーロックのように、重箱をつつような作業を楽しめる(笑)楽しみながら暴くのが、必須の手順を忘れないためのコツになる(笑)本性そのものが狂ってる。それが日本のマスコミの特徴です

インターネットでは、ありとあらゆる詐欺や犯罪にまきこまれる可能性が発生する。しかし、個人情報が漏れない限り、安全な利用ができる。インターネットでは、個人情報の公開は、身を危険にさらす危険な行為。「私の個人情報は、悪用しようが犯罪に利用しようがかまいません」との宣言が個人情報の公開です。だからSNSなどで個人情報を晒すのは、身の危険を顧みない蛮勇です。情報の公開は、商売とデータの公開に限られる。一般人の個人情報の公開は、プライバシーが侵害される、非常に危険な行為にすぎない

情報の公開とは利用の許可。個人情報の公開は「如何様にも料理して下さい」と宣言する危険な行為。人のプライバシーを侵害する行為は、迷惑行為に他ならない

日本のSNSやホームページで、他人を批判しようものなら、名誉棄損で即裁判沙汰へと発展する(笑)「自民党」が裁判の証拠として活用できるよう法改正がされたので、「SNS」の書き込みは、全て裁判資料とみなされる。SNSへの書き込みとは、裁判資料の提出です(笑)恐怖の書き込みとしか言いようが無い(笑)正当な主張は、海外のホームページを活用するしかないのが現実です(笑)

日本のサイトに、言論の自由は存在しない…。国民の人権を尽く奪う「政府・自民党」は、選挙での討伐が必至です

日本の「SNS」は「他人の権利の侵害」「他人の批判」で即裁判沙汰に発展する。「SNS」の利用は非常に危険(笑)「自民党」によるインターネットの言論封鎖により、「SNS」の書き込みは「裁判の証拠」にされ、サイトの開示によって即裁判へと発展する。「SNS」では書き込んだ言葉は、自動的に「裁判の証拠」とみなされる。「SNS」は言葉を誤れば爆死する地雷原。如何なる批判も受けつけない、今や単なる宣伝です(笑)宣伝以外には使えない狂気をはらむ地雷原…。NHKと同質のそら恐ろしい存在です(笑)

「SNS」は批判されたら、人死にが発生する危険な場所。そのように法律で決められた危険地帯(笑)悪鬼羅刹が跳梁する人外魔境(笑)ある意味、インターネットの危険性を証明する場所でもある…

何人も批判が許されない「SNS」は、当然のごとく「詐欺師」が集う場所へと変貌する(笑)NHKとまったく同じ(笑)批判する者は、裁判で尽く潰していく…。「SNS」は宣伝であり、批判は裁判で潰される。正にNHKと化した「SNS」。政府と自民党とマスコミが、そうなるようにしむけたのだから当然だ(笑)

「SNS」は如何なる批判も許されない、完璧な安全地帯。言いたい放題ができるが、人の批判は許されない。「SNS」は正に宣伝の楽園です(笑)宣伝の楽園とは…誤りを修正できない蟻地獄

安易な個人情報の公開は、他人を含め、インターネットでは厳禁です。他人の誹謗中傷など、裁判沙汰が必至の愚かな行為。インターネットは公共の場所だから、人のとして常識が厳しく問われる

まずインターネットで最も重要なのは、個人情報の管理。セキュリティソフトは必須であり、専門の有料のものが一番安心して利用できる。3年契約で複数台のパソコンで使えるセキュリティソフトであれば、年間千円程度で利用可能。セキュリティソフトの無いパソコンは、ウィルスに感染し放題の危険な道具と化す

セキュリティソフトのファイヤーウォールと呼ばれる、外部との通信を管理できる機能により、全ての交信を制御できる。対話モードにしておけば、許可しないソフトの通信を、しっかりと遮断できる。不審なソフトの外部との交信を確実に遮断できる。安全性を確保するには、面倒だが自動では無く、対話モードにすべき。念のため、年一回は全てのバックアップを行った上で、OSの再イントールをするのが望ましい

セキュリティソフトをインストールしたら、メールの管理をしっかりと行う。メールは必ずプライベート用と、一般の登録用に分ける。複数のメールアドレスを使い分ける事で、問題が起こった時の対応が即座にできる

インターネットで絶対にしてはならないのは、相手に自分の個人情報を教える事だ。マイナンバー・住所・銀行口座・クレジットなどの個人を特定できる情報は、絶対に教えてはならない。買い物では、しっかりとした信用の厚い通販サイトのみを利用し、クレジットは出来るだけ避ける。支払いはできるだけ着払いを利用する

インターネット詐欺に遭わないためには、個人情報をいかに漏らさないようにするかで明暗が分かれる。個人情報を相手に教えていなければ、不審な請求には、メールアドレスを変更すればいいだけだ

「金払え」と脅されても、個人情報さえ教えていなければ、メールアドレスの破棄だけで事は収まる。だから、登録用のメールアドレスは必須です。グーグルやMSNの無料のアドレスを登録用に活用し、サイトに登録する場合には、電話番号・住所などは決して入力しない。個人情報が漏れれば、詐欺の標的にされ、身を危険にさらす羽目になる

不審なアダルトサイトや、実績のない通販サイトを利用するなど、自ら詐欺にひっかかるのと同じです(笑)インターネットは直接相手が見えないため、善人か悪人かの判別がまったくつかない。悪人が善人の仮面を被れば、悪人とは見抜けない。だから石橋を叩きながら、慎重に渡らなければならない

自らの身を守るには、個人情報を渡してはならない。個人情報とは、個人を特定できる「マイナンバー・住所・電話番号・クレジット番号・銀行口座」。これらの情報は、みだりにサイトに登録したり、決済に利用してはならない。しっかりとした通販サイトでも、個人情報がどう使われるのか分かったものでは無いからだ

あやしげなサイトは利用しない。信頼度の高い通販しか利用しない。個人情報は登録しない。そうする事で、インターネット詐欺から身を守れる

インターネットは匿名が基本だが、何をしても許される、などという勝手な言い分は通じない。誰でも使える公共の場所だから、人としての常識は必須です。インターネットでは必然的に、「人としての倫理観」が厳しく問われる

インターネットには「人の本質」が現れる。詐欺師なら、人を狡猾に騙せるよう工夫する。悪党なら、必要な情報を渡さない。詐欺師は判断させずに、泥沼に引きずり込む。人を騙すには、おかしいことに気付かせない、まともな判断をさせない狡猾な情報操作が必要です。情報の欠落や倫理の欠落等々、情報がおかしいと感じたら、即座に切り捨てる慎重さが必要です

インターネットでは、注意深く物事を判断する必要に迫られる。おかしくないか、必要なものが欠けていないか、それは正しいものなのか。あらゆる角度から物事を見る、慎重な判断が必要です

インターネットの役割は、最初に何に取り組むかで決まってくる。娯楽や図書館や歓楽街などの、複数の入口が存在するのがインターネット(笑)入口を間違えると、まったく違う場所に辿り着く(笑)何を行い、何を成すのか、しっかりとした目的意識が必須な場所

インターネットの使用により悪影響があったなら、そこを学ぶ場所に変えるだけ(笑)制限ではなく、学習する場所に切り替えるのが、インターネットの正しい方策です(笑)インターネットの否定は、自己管理の否定です。自己管理が出来ない者は、生存競争で滅ぶだけ。娯楽・快楽・図書館等々、全てが混在するのがインターネット

「何をするかは全て自由」と利用法を利用者に丸投げする、とんでもない場所がインターネット(笑)学ぶ場所に変えるには、情報を管理するパソコンが必須になる。パソコンによる厳格な情報管理を強要するのがインターネット(笑)

「パソコンは文房具。使い方はネットで覚えろ」と強要するのがインターネット(笑)「馬鹿には使えないから、使えるよう勉強しろ。資料は全てネットにあるから自分で学べ」と強要するのがインターネット(笑)「分からなければ、分かるまで検索しろ」「検索結果が正しいとは限らない。検証と実証は必ず行え」「試行錯誤からしか、まともな判断は導けない。徹底的に試行錯誤を繰り返せ」と強要するのがインターネット(笑)「何をするかは自由だが、道を誤れば自滅する」と平然と宣う自己責任の権化(笑)

インターネットは自分自身が納得するまで、徹底的に試行錯誤を繰り返す修練の場所となる。だから、必然的に膨大な時間が求められる(笑)情報管理の手法が厳しく問われ、技術水準の向上が常に求められる非情な場所(笑)手法や解決を誤ると、「お前はアホだろ」との心の声がこだまする(笑)インターネットは自分との闘いです(笑)

インターネットでは、入口を間違えない・選択を誤らない厳格な管理と、厳しい倫理感と精神力が必要です。人の道筋を辿る場所、人の行く道を指し示す場所。人の価値観と倫理観を鍛え育てる場所でもある。又、膨大な専門知識を得る場所でもある。何でもできる自由な場所。それがインターネットの現実です

インターネットは、創造と思考を鍛える場所。娯楽のみに使っていると、脳が萎縮し、脳細胞が劣化する(笑)創造・工夫が伴わないインターネットに意味は無い。ボタンを押すだけ、閲覧するだけ、マウスでクリックするだけ、の利用法は確実に脳細胞が劣化する(笑)

人の脳は使わないと、確実に劣化する(笑)楽しみながら、生活の補助として活用するのが最善です。生活に必要な情報を集めて活用する。趣味の道具として活用する。小説を読む道具として活用する。情報とは活用するものであって、従属するものでは決してない。ゲームは単なる、プログラムに則った従属です(笑)

インターネットの本質は、情報の活用です

インターネットでの情報の活用が習慣化すると、全体像の把握が如何に重要なのかが分かってくる。理解とは全体像の把握であり、全体像を把握しなければ、適切な判断などできないからだ。それは何者なのか、それは何を行うものなのか、それは何をもたらすものか。活用するにはどうすればいいのか。それらを瞬時に判断できる能力を身に着ける場所がインターネット

インターネットの本質は、生活・社会の改善にある。いかに生活に役立てるか、そこにインターネットの役割がある。常に進化を追い求めるのがインターネット。変化したくないものは、インターネットを否定する(笑)人は進化を止めるとどうなるか。進化には危機管理の向上も含まれる。つまり、危機管理の破綻です(笑)

改善を止めると、人は奴隷思考に囚われる。人という生き物の性質です



無 料
無料で物が手に入れば万々歳だが、世の中そんなに甘くは無い。身内・親戚・友人の間柄ならあるかもしれないが、利益を追求する会社が、無料でできるはずが無い(笑)怪しい話には、決して乗ってはならない

一旦契約すると履行する義務が発生する。うまい話には裏があり、まとものものでは決してない

世の中にうまい儲け話などある訳ない(笑)そんなものがあるならば、人には絶対話さずに、自分だけ儲けようとするのが人間です(笑)人を騙す側が悪いのは当たり前だが、欲の皮を突っ張って、怪しい儲け話につられる側にも問題ががる。何事も一人で決して判断せずに、専門家や知人などの意見をよく聞いてから判断しましょう

インターネットで、詳細に調べるのは当たり前。詐欺の手口は巧妙で、人任せにして騙し取る。自己管理のできないものは、放任による投げ捨てと同じです(笑)。信用させてだまし取る。詐欺商売の基本は、判断を人任せにする、管理責任の委譲です。管理を人任せにすれば、人は確実に破滅する(笑)

旨い話には強烈な利点がある。しかし同時に、それを上回る欠点がある(笑)欠点に気付けないから騙される(笑)詐欺に引っかからないようにするには、詐欺全般の実態をしっかり把握し、詐欺とは如何なるものか、しっかりと理解しなければならない

彼を知り己を知れば百戦殆からず。詐欺を知り、己の欲を知れば、詐欺への対策ができる(笑)

連帯保証人には絶対ならない。友人にお金を貸さない(貸すのではなく、あげる気持ちで行う行為) お金に関するものは信じない。マスコミの言うことなど信じない(いい加減だから) 金銭にからむ事は全て自己責任。その意味は、生活の上では人とお金は一身同体だから。そのためお金に関する話は、お金の話をする人間を語っている事になる(笑)お金の話をする他人を信じれば(他人が儲かるだけ)、当然のようにお金を失う(笑)

日本はお金を騙し取られたら、そのお金は絶対に返ってこない。詐欺師は刑務所に入るだけ(笑)刑務所での労役が存在しない日本では、被害者にお金は帰ってこない(笑)政治家はこの法律を盾に、やりたい放題を決め込んでいる(笑)

日本は詐欺師の天国だから、怪しい儲け話には乗ってはならない

悪党は善人に擬態する。「人の言葉」は情報では無い。「人の意見」は情報なんかじゃない。人は言葉で人を欺き、卑劣な行動をひた隠す。人の本質は、行動に現れる



口蹄疫
とうとう地元で口蹄疫が発生してしまいました。県内の移動は自由にできるため、拡大を防ぐことなどできないと感じています。ゴールデンウィーク中に発生地点の川南を通りましたが、一般の車はす通りしてました。空気感染する恐ろしい伝染病のはずなのに、蔓延中の街中をす通りできてしまう国の無対策ぶりに地元はかんかんに怒っています。県に国道の車を止める権限があるはずもなく、国が強権を発動して対策しなかったつけが今の感染拡大につながっています

消毒も厳しいものに変わってきてますが、世の中に完全なものなどありません。布に染料が染み込むように、じわじわと拡大しているように感じます

ウィルスの潜伏期間中にウィルスは拡大し、発生確認時にはすでに蔓延したあとの手遅れ状態なのでしょう。10k~20kで発生地点を簡易封鎖しても、実際の感染ルートが別の地点であれば何の役にも立ちません

感染ルートを完全に遮断できなければ、拡大を防ぐことなど不可能です。すでに野生のイノシシやシカには感染しているはずです。野生動物の検査を始めたという報道などまったく聞かないのが不思議でなりませんが、感染が確認された ら全ての対策が無意味としか感じられなくなるため、やりたくはないのでしょうね。すべてが地元主導の、地元責任で対策が進んでいるのが信じられない

人のインフルエンザウィルスは、あっというまに全国に広がっていきました。国の強力な権限を用いた対策なくして、防ぐ術などありません。残念ながら今の政府は、選挙対策で忙しいようです

公共施設も全て閉鎖、イベントも全て中止。これが全国に広がったら・・・。政府(民主党)に危機感など微塵も無いのが信じらない・・・

大分では公共施設での宮崎県民排除がなされましたが、地元では既に閉鎖されていて使用できません。閉鎖(まともな考え方)ではなく、排除という考え方がお役所らしいですね・・・

畜産関係の知人は、「外出するな」、「家と職場以外の移動はするな」 と会社から厳命されています。結局行政府の指導だけでは不十分で、地元の対応次第という事になります。一つの産業が壊滅すれば、経済損失は莫大なものになります。この恐怖は地元の人間にしか分からないでしょう

人の痛みを分かちあえる対策ができるか。口蹄疫の対策はこの一点につきるでしょう



忘れ物
事務所の模様替えをするので手伝ってくれと頼まれ、昼飯をごちそうするとの約束で手伝うことになった。複数のパソコンを移動するため、LANやパソコンの配線が非常に大変で、パソコンの内部もほこりだらけだったので、ダスターで全て掃除するはめになった。割りに合わない仕事だと思いながらも、人のパソコンをいじるのは結構楽しいものだ(笑)

このような場合、「動かなくなった場合の責任は一切取らない」という約束を絶対にしておかなければならない(笑)パソコンは何時故障してもおかしくない代物なので、故障した場合にどうするかは、必ず決めておく必要がある(笑)

作業で疲れきった後、待望の昼飯をカレーハウスで頂いたが、帰りに脱いだジャンパーを店に忘れてしまい、又店まで取りに帰るはめになった(笑)

作業中は間違いを起こさないよう集中しているが、一旦集中が途切れるととんだヘマを繰り返す(笑)忘れ物はしないよう気をつけてはいるが、疲れると普段の行動まで気が回らなくなり、色々と忘れ物をする(笑)

人の集中力は長くは持たない。絶対に間違ってはならないところは全力で集中するが、その後は気が抜けるため、チェック作業が必要になる

帰る際に忘れ物がないか、必ず確認しなければならない(笑)



国 産
人が作ったものには、作り手の魂がやどる。国内で作られたものなら、日本人の魂がこめられている。消費者に喜んでもらえるよう、作り手の真心がこめられている

では海外の場合はどうだろう。お隣の韓国と中国は、未だに日本を仮想敵国にしている。日本人を軽蔑し、日本に敬意などまったく払わない。このような国で日本向けに作ったものに、どのような魂がやどるというのだろう

中国や韓国を人工衛星からみると、国土の環境汚染に驚かされる。黄色や赤に染まった川や海。そこでとれた魚や野菜が日本に輸出される

中国は広いので環境汚染のないところもあるし、日本人が管理している工場で作っているところもある。しかし中国や韓国は自分の事しか考えない怖いところなので、中国と韓国産の食品だけは死にたくないので絶対に食べません(笑)何故なら中国と韓国は未だに人糞などを肥料として使っているため、あらゆる食品がギョウ虫などに汚染されているからです。これは食品の衛生を考えると、とても食べられるものではない。しかも中国と韓国から日本に輸出されるものは、憎むべき日本に輸出するものであり、そもそもまともな食品を期待できるはずもない。憎まれている相手から送られてきたものなど、中国・韓国など関係なしに、恐ろしくてゴミ箱に捨ててしまうのが普通です(笑)

中国製の100均のお皿は植木の皿に、スプーンは燃えないゴミ行きで~す。毒物に汚染されている可能性があるため、食に関するものは全て拒否!(笑) 家電品の中国・韓国製は使い捨ての品質しかないのでしょうね・・・

そもそも日本を仮想敵国にするような国の食品や製品を買おうとする事に、何の疑問を持たないのが不思議でならない(笑)憎んでいる相手に、まともな食品や製品など輸出するはずがない(笑)「政情と経済は別」 なんてお天気な考え方は、儲かれば中身はどうでも良いという悪徳業者の戯言でしかない(笑)

国とは人の集まりであり、人同士の信頼関係が築けなればまともな交易などできない。日本との確かな絆はごく細いものでしかなく、表面上の平和が保たれているに過ぎない。いくら日本が韓国や中国に対して友好を示しても、国策として日本を憎み続けているのだからどうしようもなく、現状ではまともに付き合える相手ではない

日本を憎み続ける理由は、国民の不満を日本に向けさせ、政府に不満を言わせないようにするためで、どちらの政府も刃向かうものは徹底して弾圧する。両国とも日本を不満のはけぐちに利用しているのだから、正常な関係など築けようもない

追記: たぶん大丈夫だろうと中国産のピーナッツを食べたら、目が非常にかゆくなるアレルギーが出てしまった(笑)最初は風邪だろうと思っていたが、治りかけに余りのピーナッツを食べたら、直後に目がかゆくなったのでアレルギーだと分かった(笑)今までピーナッツを食べてもアレルギーが出たことなどまったくなかったので油断してしまった(笑)

農薬は体内に残留するものと、残留せずに体内から排泄されるものがある。例え0.01ppmであろうが、複数の農薬が体内に蓄積されたらどのような化学変化を起こすか分からない(笑)残留農薬の検査も、全ての農薬を検知できる訳ではないだろうから100%安全などとは口が裂けても言えないだろう(笑)農薬を使うという事は、使われた作物に均一に農薬が残留する訳ではなく、非常に少ないものもあれば、高濃度のものもあるという事をまず理解すべきだろう(笑)たまたま高濃度のものに当たった場合には、「ご愁傷様でした」 という事になる(笑)行政のやる事など必ずといってよいほど隠蔽された盲点があり、行政の発表を100%信じて論議するなど、ただのお人好しでしかない(笑)

問題となるのは体内にどれだけの毒が蓄積され、何時どのような病を発症するかが分からないという事だろう。微量だからまったく問題ないと思う人は、安心して食べ続ければ良い(笑)自分はというと、ピーナッツを見ただけでアレルギー反応を起こすようになったので、当分食べる事は無い(笑)
Back Ground Music: Sherlock

国との関係は、相手の国情を良く理解してから判断を下すべき。マスコミは都合のいい情報だけを選別して、国民を欺く主張を堂々と繰り返す。マスコミという自らの利益を優先する、卑劣な悪党の言い分を信用してはならない(笑)

そもそも日本を親の敵として蔑む相手と、まともに付き合える筈も無いだろうに・・・



趣 味
人の嗜好は人それぞれ。自分の好きなものを、人に強要する事ほど愚かなものはありません(笑)

知り合いはクラシックが大好きで、モーツアルトの名曲などを懇切丁寧に教えてくれる。基本的にメロディーさえ良ければ何でも良いのだが、クラシックだけは映画などで使われた曲しかピンとこない(笑)自分にとってはオーケストラで演奏している曲は全てクラシックになる。スターウォーズのテーマ曲を同じクラシックだと言うと、知り合いは怒って猛然と反論してくる(笑)

好きな曲は映画やドラマで使われたものや、アニメのサントラや主題歌など、曲を聴くと映像が浮かぶようなものを良く聞いている。アニメの曲のいいところは、さまざまなイメージを思い浮かばせてくれるところにある。メロディーや歌詞を聞いて何も思い浮かばなけば、それは単なる雑音です(笑)

洋楽で好きなアーティストは 「Journy」 で、聴き流しする曲の中によく入れている。好きになったきっかけは、NHKのラジオ番組に使われていたからだ。聖徳太子の生き様をナレーションで解説していくのだが、理想と現実の狭間で懸命に生きていく姿に 「Journy」 の曲が絶妙に絡み合い、古代と近代が混じり合った独特の世界観に感動した事を今でも鮮明に覚えている。そのため 「Journy」 の曲を聴くと、苦悩する聖徳太子の姿が浮かんでしまう(笑)

名曲とはその人にとって最も感動を与えてくれるものであって、100人いれば100の名曲があり、万人いれば万の名曲があるものだ

これが一番だと主張する事ほど不毛なものありません(笑) 自身を肯定する人は、往々にして他人を否定する。他人を認めることのできない人に、まともな主張などできるはずもありません(笑)



都 合
人は何でも自分の都合に合わせてものを考える。しかし他人を巻きこむのだけは勘弁して欲しい(笑)

車を運転していると、映画の中でしか観れないような愚かな場面を良くみるようになった。車が信号で止まるたびに、前の車にクラクションを鳴らす。前の車に悪いところは一切ない。しまいに前の車の人が切れて、信号で止まったところで車から降り、後ろの車のガラスをたたいて 「お前は馬鹿か」と怒鳴り始める。人である事を止めたやくざ同士のけんかなら分かるが、どちらもごく普通の一般人なのだから驚きをとうりこしてあきれるしかない

人が自分の都合だけを主張するようになったら、世の中終わりである(笑)

相手を思いやる心が欠けると、自己中心的な行動しかできなくなる。「人のために生きる」 のが人である証。人を見下したり、自分に都合の良い理由をつけて人を切り捨てる行為は、自らの命を犬畜生に貶める

「自分は人なのか?」と、自分自身に問いかける事も時には必要だろう(笑)

追記: 自動車は走る凶器。瞬き程の一瞬の時間で人の命を奪う。車の運転とは、人の命を左右する危険な行為である事を肝に銘じておかなければならない

自動車は事故ると簡単に最悪の事態を引き起こす。スピードを出すほど事故の衝撃は高くなり、プロのドライバーでさえ死亡する。一瞬で激突・横転し、人間を巻き添えにする。1トン近い物体が急に止まれるはずもなく、大事故になるのが当たり前だという事実を皆が忘れてしまっている。一瞬の判断ミス、一瞬の運転ミス、一瞬のよそ見、一瞬のタイヤのスリップ等々、事故は瞬きほどの一瞬の時間におこる。どだい人間に制御できるものではないのだ

自動車の運転とは、常に死と隣り合わせである事を忘れてはならない
Back Ground: 自動車協会のCM



老い
人は年をとって老いていく。これは自然の摂理であって、何人であれ避けることはできない。老いることを嘆く必要などなく、自分にあった生活を続ければいいだけだ

ただ人は年を取ると考え方が変わってしまう事を、自分自身によく言い聞かせておかなければならない。ある年齢を過ぎたら、全ての責任ある立場から引かなければならない。これは周りに迷惑をかけないようにするためであり、ひいては自分が今まで行ってきた全ての成果を守る事につながる

老いると人格が変わり、以前の自分とはまったく異なる判断をしてしまう。これは自然の摂理であり、老いを楽しく過ごすためには対外的な責任のある行動は慎まなければならない。自分が必要とされる時のみ協力し、アドバイスだけに徹するべきだろう。ようは人に必要とされる人間になるよう努力すればいいだけだ

年を取ると子供のように短絡的で、自己保身にはしる傾向がでてきてしまう。全てを許す寛容さを持ち、経験を生かして社会に貢献していけるよう努力していくのが、老いてなお精力的に生きる秘訣といえよう

後身に身を譲り、人を育てる立場に生きるのが正しい道といえるだろう。老いてなお権力を振り回す姿は、周りからは老醜としか写らない事を厳に受け止めなければならない。若いあいだは変わりようもあるが、年を取ると変わりようがないため、自身を諫めるための決して変わる事のない厳格な基準が必要となる。自己保身の権化となるか、包容力で周りを和ませる人になるかは、自身の身の振り方で決まる

自分の事しか考えず、他人と言い争うような醜い姿をさらさないようにしましょう(笑)
老いることでより物や権力に執着する人もいる。そのようになったら手のほどこしようがないため、そのような人だと見放すしかない。何故かと問う事に意味は無く、それが本人にとっての当たり前でしかないのだから

追記: 人は成人をする頃には性格ができあがり、それ以降は基本的に変わらない。というか変わろうとしない限り、ずっと変わらない(笑)人が変わるのは、その人の人格を決めている信念が変わった時だ。縁する人によって、良い方に変わるか、悪い方に変わるかが決まってしまう

良き人格をもった人と進んで付き合うようにしないと、どんどん悪い方に変わってしまう。人は同じ命の傾向性を持つ人と自然と惹かれ合う。楽に生きようとすれば、同じ命を持つ人達とつるむようになる。変わろうとするなら、友人は選ばなければならない(笑)

人の心はまるで万華鏡のようにくるくると変わる。どのようなしっかりした信念を持っていようが、心因性の病気などでその信念さえも変わってしまう。人の心はもろいものだが、周りに支えてくれる人がいれば何とか乗り越えていける。良き友人を沢山持つことが、人生を豊かにしてくれる事をよくよく心に刻んでおかなければならない(笑)
Back Ground Music: 旅路

世の中「老害」が社会に深刻な影響を及ぼし始めている。60歳を越えたら、全ての役職から引かせるのが一番。老害は他人の意見を全く聞かなくなるため、究極の自己中に陥ってしまう



異 常
動物は身の回りに異常を感じるとすぐさま逃げる。しかし安全に慣れた人間は、危険を察する感覚が麻痺してしまい、異常があれば簡単に自滅する

身の回りの異常をまるで他人事のように受け止め、自分だけは被害にあわないとの幻想を抱いている人が余りに多い。科学や法制度の発達した時代なのだから、理不尽な事には決してならないとの甘い認識がその根底にあるからだ

しかし時代を動かしているのは人であり、大半の人が自分の欲望を満たすだけに生きている、との現実を真摯に受け止めなければならない(笑)自分さえよければ他がどうなろうがかまわない、他人を自分の都合のいいように利用する事に、何の罪悪感も抱かない。人に都合よく利用されないためには、情報収集と正確な分析能力を身につける。人任せにすると自滅するのが、人間社会の理です(笑)

身の回りの異常に気づいたら、よく考えて行動を起こす。人の言うことを鵜呑みにせず、自分自身で情報をかき集めて判断する。物事は道理に従って判断し、人として生きる上での理念を培う努力を養わなければならない

決断は自分自身で行うべきで、人の任せにすると大抵ろくな事にはならない(笑)何故なら、自分と他人とではそもそも立場や環境が全く異り、同じ結論になる事などありえないからだ(笑)まず正しい決断ができるよう、自分自身を鍛えなければならない。世間知らずはいいように騙される、悲惨な最期が待ち受けている。忠告をしてくれる良き友人を持つことも大切です(笑)

危険を察知する感覚を養い、危ないと思ったらすぐさま回避できなければ、自分や回りの人達を守ることなど決してできない。そのためには普段からさまざまな情報触れ、多くの情報をきちんと整理して、正しい判断を導き出す日々の鍛錬が必要になる。インターネットは莫大な情報の宝庫であり、さまざまな情報は自分を鍛える良き道具になる

日々の参考にするのは「事実」だけ。人の「意見」は参考にはならない(笑)人の意見はデータじゃない。データを基本にする生活は、日常生活の基本です。テレビとの完全離脱は必至です(笑)

何事も道理にてらして分析・判断をする事が大切で、おかしいところにすぐさま気づく、正常な感覚を養う努力が必要です

おかしいものに気付けない。それは、感覚が狂っている証拠です(笑)
Back Ground: NEXT泣けるアニソン

日本の大手マスコミは、マスコミに都合の良い情報しか流さない。だから、正しい情報はインターネット等を通じてしか得られない(笑)マスコミの報道とは、マスコミが選別し、マスコミによって事実を整形された人の意見(笑)マスコミの情報とは、都合良く整形された「意見」にすぎないとの現実に、気付かなければならない(笑)

マスコミの報道(主張)を鵜呑みにせず、様々な角度からからみた情報(マスコミとは異なる意見)を探す習慣を身につけなければならない。マスコミの利点は速報性であり、情報の正しい分析にははっきり言って向いていない(笑)

「事実」と「分析」は、まったくの別物です。勝手な「分析」を「事実」にすり替えるのが、狡猾なマスコミの常套手段(笑)

ラジオ・ニュース専門サイト・インターネットなど、様々な「事実」と「分析」を見比べる事が大切で、正しい情報は自分自身で掴み取る習慣が必要だ



真実
真実の意味は「うそや飾りのない、本当のこと」。世の中に流れる情報は、真実で無ければならない。しかし、世の中には、真実だといけないものがあるらしい

事実とは「本当の出来事」であり、真実は事実から導き出された「本当の意味」。真実は「事実」からしか分からない。真実は出来事に対して、本当の意味を導き出す。「事実無くして、真実無し」。真実とは印象・心証という、事実から導かれる全体像でもある。人は「真実」を元に、「事実」の全てを評価する。「真実」は時に、人を破滅へと追い込む。だから人は「真実」を本能的に恐れる

週刊誌は「事実」を暴き、「真実」を明らかにする。週刊誌を否定すれば、真実は永遠に闇の中。政治家や芸能人は、「事実」を暴かれたら、人としての評価が確定する。「自分はこうゆう人間だ」と世間で活躍する人に対して、週刊誌は「真実」を教えてくれる良き情報誌と言えるだろう(笑)「事実」を隠蔽し真実を誤魔化せば、世の中は詐欺師だらけになる(笑)

肯定したらしたで、個人情報まで暴かれて、世間に顔向けできなくなる(笑)行き過ぎた個人情報の公開は諫めるべきだが、全てを否定したら、詐欺師が大手を振って世の中を歩く、悪鬼羅刹の国に転落する。イメージで世の中を渡り歩く、政治家と芸能人には、天敵と言って良いだろう(笑)週刊誌は、肯定もすれば、否定もする、情報の線引きが非常に難しい道具になる。真実を知りたいという人が居る限り、週刊誌は無くならない(笑)

そもそも暴いてはならない「事実」とは何なんだろう。「不倫・浮気」は身から出たサビ。叩かれるのは当たり前(笑)政治家の「不正や疑惑」は、どんどん暴かなければならない(笑)「良識に反する行為」も身から出たサビ

大体週刊誌が取り上げるのは、良きも悪きも有名になった人だけ。しかも問題を起こし、本性を偽る人に限られる。人の本性という「真実」は見た目では分からない。だからこそ「事実」を暴く必要がある。本性を偽らない人には、週刊誌は寄りつかない(笑)

週刊誌は「事実」を暴き、「真実」を明らかにするだけ。「この事実を、どう受け止めるのか?」。「真実」の裁定は、受け取る側に任されている。「真実」という「裁定」は、人によって異なる。自ら導いた「真実」は、自身の「真実」をも暴き出す。「真実」は「事実」によって塗り替えられていく。しかし起こった事実は、変える事などできない

今や週刊誌だけでなく、個人がインターネットで人を裁く時代に入っている(笑)今や問題を起こせば、プライバシーを丸裸にして晒し者にする、非常に怖い時代が訪れている(笑)しかし人を裁くことを面白がると、必ず自らに跳ね返ってくる

本来人は他の人を裁けない。何故なら、人の心を裁くことなどできないからだ。裁かれているのは、自分自身の心になる。現実の裁きとは、社会的な制裁であって、それは社会システムによって変化する。社会が狂えば、裁きも狂うのが現実です

裁きは社会が行うもの。だから人を裁くのではなく、社会の狂いを正すのが先決だ。人はそれに気付かなければならない
Back Ground Music: 王立宇宙軍 Feeling Good

「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」は意味が無いので捨てた(笑)まったく関係の無い人ごとに、意味などあろう筈も無い(笑)週刊誌は勧善懲悪に徹して欲しい(笑)

週刊誌が叩かれる理由は、「真実の裁定」の丸投げにある(笑)人が決める「真実の裁定」は非常に残酷。だから丸投げ以外に道は無い(笑)「真実」によって人は裁かれ、「真実」によって人は罰を受ける。「真実」の裁定を下した者は、裁きの業を積んでいく

エンタメ・スポーツ・ゴシップに益など欠片も存在しない。テレビ放送を捨てたので、エンタメ・スポーツ・ゴシップとは完全に縁が切れてしまった(笑)無益な情報との決別には、テレビ放送との決別は必至です

「情報の公開」とは「事実」という「真実の公開」。それだけで人は勝手に裁かれる。人を裁くには「情報の公開」だけで事足りる。だから「情報」は「真実」でなければならない。「情報」とは人の感情とは無縁の、冷徹な「事実」でなければならない
Back Ground Music: Snowbird Fantasy

過去に人殺しまでした咎人が、改心して聖人となった。なんて話はざらにある(笑)人は変われるものだから、「罪を憎んで人を憎まず」という善人に基づいた性善説もある。しかし悪事が瞬時に広まる情報化社会では、このような高説は、もはや通用しない時代に入っている

情報化社会では、不正・腐敗・欠陥は自動的に回避する。回避が最優先で、「改心の事実」がなければ評価は簡単には覆らない(笑)人を排斥する行為を、コンピューターは当然のように実行する。データでしか判断しないから、当たり前と言えば当たり前(笑)膨大な情報を普通に扱う現代人も、まず回避が最優先。データで判断する習慣は、人の倫理よりも優先される

情報化社会の欠点は、一度下された評価は、簡単には覆せない点にある。コンピューターには、人の倫理など通用しない(笑)通用しないからこそ、完全な中立性を保てる

情報化社会ではコンピューターを用い、膨大な事実を情報として記録し、自分自身で評価を下す。人は情報に対して、多様な判断を下せるが、コンピューターは白黒の判断しか下せない。コンピューターに曖昧な判断は下せない

情報化社会に対する違和感が、明確な「事実」を受け入れられないという、逆行現象を生み出す。全ての事実を記録していく情報化社会は、人の評価を固定してしまう。情報化社会への反発は、「事実」に対して「多様な評価」が溢れる社会現象をも生み出す。評価は「一つでは無い」という感情の発現は、人である証でもある

人は「正常な人」と「正常ではない人」に分類できる。「正常ではない人」は、性格に問題があるか、病気によって正常な行動ができない人等に細かく分類できる。そして「変われる人」と「変われない人」にも分類できる。物事を細かく分類していけば、一括りで物事は判断できない事が理解できる。今の世の中、「変われない人」が増えている。外国人が増えている影響もある。外国人は「日本の倫理感」など持ち合わせていないから、日本人を敵視すれば、日本人は只の「排斥物」。怖い世の中になっている

人の残虐性は、人種・民族など関係無い。人は「自分自身を守る」、という単純な「自己保存の本能」で残虐行為に走る。これは幼児期の残虐性を引きずる、人の業なのだろう。人の本能は、理性を簡単に駆逐する。人の理性・教養ほど当てにならないものは無い(笑)

人の一番強固なものは、これだけは譲れないという「信念」だけ。「信念」を持つ人は意外と少ない(笑)これは人から教えられるものではなく、自分自身で培っていくものだからだ。その人だけが持つ、その人だけの個性。理性と教養が信念と結びつけられれば最善なのだが、それができるのは「欲望」を捨てた「聖人」だけだろう(笑)

マザーテレサの「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」との言葉は、人の生き様を表す「真実」そのもの。正に「聖人」である証だ

人の「真実」とは「思考」であり、「言葉」であり、「行動」であり、「習慣」であり、「性格」であり、それは「運命」へと繋がっていく。無償の愛を貫ぬく「聖人」は、同時に厳格な倫理感を併せ持つ。「人の不合理」と戦い抜いた「聖人」は、人の「真実」と「生き方」を指し示す。凡人には決して到達できない境地だが、真似事ぐらいは可能だろう(笑)
Back Ground Music: Answer

情報化社会の怖い所は、情報が瞬時に拡散し、それが評価として確定してしまう点にある。間違った情報なら、否定するのは当たり前。しかしこれを「裁判」に訴えるようになれば、世間で何も言えなくなる。情報に対する許容性が無くなると、「国民の言論の自由」が無くなる。悪のマスコミは「国民の言論の自由」が無くなった方がやりやすいため、このような行為を推奨する。「マスコミの言論の自由」と、「国民の言論の自由」は、根本的に異なる。「国民の言論の自由」が無くなると、マスコミに対する批判が無くなり、マスコミはやりたい放題ができる

NHKを筆頭にするマスコミと名乗る利権団体は、批判する国民を平然と裁判に訴える。これはマスコミが国民の上に立つ存在である事を見せつけるための常套手段。困るのはマスコミに踊らされる国民です

週刊誌は国民がどんなに批判しようとも、国民を訴えたりはしない。逆に国民に訴えられる(笑)週刊誌がマスコミ化していくのは、世の必然なのだろう

情報には必ず「意味がある」ものと、「意味が無い」ものにしっかり分別できる。意味があるのは「事実」のみ。批評なんて意味が無い。意味の無い情報は、切り捨てていく倫理観を養う必要がある。情報に対する許容性とは、意味が無い情報との決別でもある

批判と悪口は違うと人は言う。しかし基本まったく同じです(笑)言われる側からすれば、どちらも同じ(笑)悪口の否定は、批判の否定と同義になる。とらえ方の違いで如何様にもなる代物です(笑)悪口と批判は同列に扱い、「理性的」で「正義」に基づく「公明正大」を表するものでなければならない。正しい批判は、社会の正常化に繋がります。批判を許せる社会でなければ、社会は暗黒社会へと転落する

情報に対する正しい知識と、正しい使い方を覚えないと、自分自身の首を絞める結果になる(笑)情報のしっかりとした自己管理ができれば、人の悪口をネットに書き込んだりはしない。人の悪口の一般公開は、人への公然な批判と同じです(笑)そんな事に意味など無いと、しっかりと理解しなければならない。個人攻撃など意味が無く、批判は巨悪に対して行うべき。人が怒るべき本当の相手は、社会の仕組みを狂わせ、人の生活を脅かす者達です

情報に対する許容性が無くなると、社会から「言論の自由」が無くなり、社会に悪がはびこる。情報化社会では、「主張」と「情報」をしっかりと縦分ける、意味の無い主張には「耳を貸さない」、情報の基本は「事実」のみ、評価は自分自身で行う、人の嫌がる迷惑行為はしない、個人情報は扱わない、という情報の適切な管理が必要です

「NHK・新聞・テレビ」「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」という「意味の無い主張」からの離脱が、一番の良薬であるのは間違い無い。インターネットを「主張」するゴミだと断罪する者が、単なる「主張」を繰り返すのだから話にならない(笑)人を裁けるとの勘違いは、正義に見せかけた「主張」にある。趣味やテクノロジーなど、他に沢山の情報があるから、切り捨てるのは簡単です(笑)

情報化社会の弊害は、人が進化する事で解決するしかない。情報を正しく利用し、適切に判断できる人間性を養っていくしか無い。そのためには、情報の実態を正しく理解する必要がある

情報化社会では、「全体の正確な事実」と「正しい分析」が全て。評価など意味が無い。「真実」は全ての「事実」が揃わなければ分からない。情報は必ず自分自身で「事実」を集め、自分で判断を下さなければならない

評価は「用いた事実」によって導き出した「真実」であり、評価を下した人固有の「真実」にすぎない。「真実」とは「全ての事実」が揃わなければ意味が無く、評価する人の品質が反映される不確かなものにすぎない。評価は自分で下すものであって、判断材料にはならない

「人は腐り悪に墜ちる」と言うのは人の真理。「事実は嘘をつかない」と言うのは世の理。「真理」と「世の理」という相反するものは、人の手に負えるものではない。人に欲望がある限り、情報の公正な伝達と評価は論理的に不可能。人は都合の悪い情報は、ばれない限り隠蔽する。これはまごうことなき「真実」です(笑)昔は「真実」を知らしめるには「神や仏」にすがるしか無かったが、情報化社会には、情報を冷徹に記録・公開し、検索して実態を把握できるインターネットが存在する

人が理不尽から逃れるために「神や仏」を創造したように、現代人は何者にも影響されない、冷徹に「事実」を記録・公開し、正しい判断を下すための「インターネット」を創った。インターネットは、理不尽な社会環境を改善するための道具として、積極的に活用し、誰もが使えるよう整備する必要がある。人は正しい「事実」を、インターネットに公開しなければならない

「神や仏」は「お賽銭」をあげても、基本何もしてくれない(笑)「インターネット」は「事実」を公開していけば、人に「真実」と言う恩恵をもたらしてくれる(笑)「事実」の公開は、世の中の改善には必須になる

このインターネットは、完全なものではない。人が作りし、情報網にすぎない。人と人とが繋がる、人の意思そのものであり、人の人格とも言ってもいい代物。「善人・悪人・聖人・詐欺師」等々、人のあらゆる面を映し出す。何者にも影響されないため、善人もいれば、悪人もいる。だからインターネットでは、適切な情報の選別と、厳重なセキュリティが必須になる。人はインターネットに「正しい情報」を蓄積し、信頼のおける場所を自らの手によって整備しなければならない。人が作りし「神仏」は、人の調整と整備が必須なものにすぎない(笑)

何者にも影響されないとは、人の手に負えないと同義である事を理解すべき(笑)人の創りし「神仏」は、人の事情など考慮しない。インターネットでは、情報の適切な管理が必須であり、情報を弄ぶと、必ず手痛い目に遭う(笑)情報とは人の「真実」であり、安易な情報の発信は身を滅ぼす。インターネットとは、情報の危機管理を利用者に丸投げする、自己責任の権化にすぎない(笑)

インターネットを活用する世の中には、情報化社会を歪めるものも存在する。「NHK・新聞・テレビ」は、「事実」を隠蔽し、「事実」を記録として残さず、「事実」を世の中に公開しない。放送法という邪法に守られし、情報操作を生業にする利権団体。情報は過ちを繰り返さないため、記録として公開し、活用しなければ意味がない。情報を記録として公開しない「NHK・新聞・テレビ」は、日常生活において、避けなければならない禁忌の場所。インターネットにとって「NHK・新聞・テレビ」とは、情報を次々に葬り去っていく凶悪なウィルスにすぎない

情報化社会とは、正しい「事実」がインターネットに公開され、誰もが検索して「真実」が得られる社会。「事実」が隠蔽され、「事実」を公開しない、重大な情報の共有化を阻む「NHK・新聞・テレビ」との決別で、情報化社会の正常化が図れる。世の中から「重要なデータを抹消」する凶悪なウィルスは、自らの手で駆除しなければならない

日本の社会がおかしいのは、情報公開の仕組みを作ろうとしないため、過去の教訓が生かされず、同じ過ちが何度も何度も繰り返されているからに他ならない。情報の公開とは、蓄積した情報の常時公開を意味する。誰もが何時でも何処でも閲覧できなけば意味が無い。消え去っていく情報は、情報の公開とは呼びません。インターネットで「事実」を共有し、誰もが閲覧出来るようにすれば、この理不尽な状況は簡単に回避できる。過ちを繰り返さないためには、「情報の蓄積と共有」が必須です

社会の基本情報の「蓄積と共有化」は必要ですが、個人情報は除かなければならない。個人情報の安易な発信は止めるべき。情報とは「事実」であり、人は「事実」から「真実」を導き出す。どんな些細なことでも、それが「真実」だと思い込む。個人情報の安易な使用は身を滅ぼす。人の個人情報をネットに公開してはならない

正しい情報を得るには、正しい情報が得られる環境を、自分自身で整えなければならない。対象を知ろうとする時、対象の詳細な「事実」が表示される事で「真実」が分かり、正しい判断が可能になる。「真実」は全ての「事実」を明らかにしなければ分からない。そのためには、数多くの情報が得られる環境が必須になる。それは、情報を公開し、情報を自由に選べる、インターネットしか存在しない

インターネットは情報を分散化して、情報の変質・独占・偏りなどを防止する。情報の分散化によって、真実への道筋を増やしていく。改善への道筋を増やしていくのが、インターネットの役割です。誰でも自由に発言できるのがインターネット。同じ情報が溢れることで、間違いや不正の改善が、社会の常識として進んでいく。情報の分散化は、改善を促す情報化社会には必須になる

全幅の信頼を寄せられるメディアなど、何処を探そうが存在しない(笑)情報とは、必ず欠けるものだからだ。全てが揃ったメディアなど、神でもなければ不可能だ(笑)だから、情報を選べる環境が必須になる。取材の段階で欠けるか、編集で欠けるか、本番で欠けるかの違いがあるだけ(笑)メディアに誠実さなど存在しない(笑)何故なら、メディアはお金を儲けるのが仕事だからだ。金が絡むと、どんなメディアでもガラクタへと変質する(笑)完全な情報など存在しないのが現実だ。だから、情報は自分で選び、自分自身で判断しなければならない

「真実」は自ら導き出す、自分にとっての本当の意味。人から与えられるものでは無い

物事の真実は、当事者しか分からない。当事者も分かっていないのが現実です(笑)真実とは、後付の意味付けです(笑)真実とは永遠に分からない、分かるわけなど到底無理な、取捨選択から勝ち残った、無難と判断された意味付けです(笑)人が傲慢な所以は、この意味付けを自分勝手に行うからだ(笑)真実の模索は、真実の捏造を生み、真実の暴走へと繋がっていく(笑)真実など永遠に分からない。分からないから、人は真実を追い求める。正しい情報とは、客観的な事実だけ。正しい情報は、真実へと人を導く。しかし辿り着く場所は、情報の理解能力によって変わってくる。情報を素直に信じる人ほど、騙される時代が訪れている(笑)

真実を人任せにする時代は、膨大な情報を扱う情報化社会の到来とともに、とっくの昔に終わっている(笑)

人という生き物は、情報を貪欲に貪り続ける。それが無能なものならば、人も無能なものへと変質する。情報は適切に選ばなければならない。選べなけば、人は確実に破滅する。情報は漫然として得られない。情報を適切に選べるよう精進するのが、情報社会の生き方になる。インターネットを通じて、情報の管理技術をしっかりと学ばなければならない

情報の収集能力と理解能力を強要する、情報化社会が訪れている。情報の鵜呑みは許されない。真実は確定しない。情報は人を裁く道具ではない。情報は自らのために活用する道具にすぎない。検証作業は必須です
Back Ground Music: Batman BeginsHans ZimmerSteins;Gate