原発の覚え書き

想定外
原発事故では想定外という言葉が飛び交っていますが、そもそも想定外とは、「そのような事態は考えていません」という無責任なもの。想定外が通用するなら、あらゆる事故や失敗が想定外の一言でかたづけられる

想定外とは失敗した側の都合の良い言い訳に過ぎません。あらゆる事態を想定するのがプロであり、そもそも想定外という事態を想定する事自体が誤りです。最悪の事態を回避するための方策を常に準備しておくのがプロとしての責任と言えるでしょう

物事は刻一刻と変化するものであり、その一瞬一瞬に最善の手を下して最悪の事態を回避するのが責任者の責務になります

物質はいずれ壊れゆくもの。それは誰もが分かっている事であり、回避できない事態がある事も分かっています。しかし何の対策も考えていないのであれば話は別です。事態の対応によって評価が変わる事を、当事者は良く理解しておかなければなりません

変化の激しい社会にあって、漫然として対策を怠っていると突然の事態に対応できなくなります。常に緊張感をもって物事に対処する心構えが必要になります。最悪の事態が起こった時にどのような対策ができるかどうかは、常日頃の行いにかかっています

常日頃の行いが、結局自分自身に跳ね返ってくる事を自覚しておくべきでしょう。想定外として対策を放置したあげくに最悪の事態が起これば、周りからは自業自得としか受け止められず、どのような言い訳も通用しません

想定外という言葉を使う時、自分自身を無能な人間と明言しているのだとゆう事を自覚しなければなりません。その自覚の有無が素人とプロとの決定的な差になります

プロとしての資質はあらゆる事態に迅速に対応できるかどうかで決まります。これは決して一人でできるものではなく、周りの意見を集約して最善の方法を見いだせる資質も必要です

追記:
悲劇は腐敗した組織や、機能不全の組織から起こる。末端の人間に全責任を押しつけて、組織としての責任を果たそうとはしない。組織とは人の集合体であり、人と同じように人格をもつ。人を大切にする良き人格を持った組織にしなければならない

原発は安価に電力を供給できるが故に必要だと言われるが、解体や解体後の処理に膨大な費用と気が遠くなるような時間が必要になる。原発とは運転費用は安くあがるが、使い終わったが最後、莫大な処理費用がかかるとんでもない代物。安全な原発の開発は技術的に可能だろうが、原発から出る大量の放射性廃棄物は地球上のどこかに保管するしかない

大量の放射性廃棄物を保管する場所は、生物の生存を許さない死の場所になる。そこは兵器転用という危険を防ぐために、厳重な警備が永遠に必要になる。保管場所は死ぬ覚悟で数百年も守り続けなければならない。そのような危険な場所を、狭い日本の何処に作ろうというのか!おまけに使い終わった原発は、死の棺桶として残り続ける

原発の運用とは、借金で電力を発電するようなもので、後の世代に放射性廃棄物という消えない重荷を背負わせる事になる

原発を運用する側も危険なのは十分承知しているため、危険な作業は下請け任せにして、技術者は安全地帯でのうのうとしている。原発事故では、原発を最後まで守るべき原子力保安員が真っ先に逃げ出すのだから、国の管理のいいかげんさがよく分かる。原発の現実を一番よく知る原子力保安院が、事故発生で真っ先に逃げ出すのだから、事故が起これば、逃げる他に回避する手段などありはしない。この無残な現状を、マスコミは一切追求せずに国民を見捨てるのだから、マスコミは今や選別する時代に突入している・・・

原発に寄生して甘い汁を吸ったあげく、後に残った処理のできない膨大な核廃棄物を知らん顔で国民に押しつける。国民は莫大な費用をかけて核廃棄物の処理を永遠と続けなければならない・・・

原発はその運用自体が危険であるが故に、下請け任せのいびつな運用がまかり通っている。原発は使い捨てにされる下請けの人間によって支えられている邪悪な代物でしかない

原発(東電)は二次・三次・四次・五次・・・との何重もの下請け構造を作り、下請け労働者から労働賃金の搾取を行ったあげくに、労災を受けることができないようにしている。あまりにも酷い下請け構造のからくりは、原発従事者の死亡者数を隠すためで、原発の運用が非常に危険なものだという事実を隠蔽するために行っている。 労災を使うと原発労働者の死亡者数が知れ渡るため、労災を使わせない極悪非道の下請け構造を作り上げている。東電(原発)にとっての原発労働者とは、放射線を浴びる作業を死ぬまでさせて、死んだら次々に補充していく、単なる使い捨ての道具にすぎない

原発の運用は全て電力会社の原発技術者が行うべきものであり、外部委託は危険な仕事はやらないという非常に身勝手なものだ。自らは安全地帯に身を置き、何も知らない下請け労働者に命を削る危険な作業をさせる電力会社に、人としての良心などあるはずもない

原発は使い捨てにされた、下請け労働者の屍の上に建っている事を忘れてはならない

技術者が真っ先に逃げ出すような原発は日本には必要ない。もし原発が安全だというのなら、原発を管理する部門は全て原発内部に常駐すべきで、電力会社の本社を原発内部に置き、管理する国の機関を原発に隣接して監視する。それができずに原発から遠く離れた場所から安全だといいはる輩は信用するに値しない

安全性の絶対確保、透明性のある正常な運用、建設・運用・廃棄に関する全ての情報を国民に公開、この3つが原発再開の絶対条件になる。原発を国の管理に変え、運用・保安・経済性を徹底的に管理する必要があるだろう。利益を追い求める民間ではまともな運用など決してできない。それは今回の原発事故という最悪の形で証明されおり、民間は全ての人を救済する気などまったくないため、被害者は永遠に増え続けていく。支援は全て後手後手にまわり、結局国民全てが被災者となってしまう

非常に危険な原発の運用には、国家の立法機関のような透明性と信頼性が必要になる

現在の首相(民主党時代の総理)は 「自分は嘘つき」 だと公言しているため、大嘘つきの人でなし政権に期待する方がどうかしている。民間は経済至上主義なので、他人がどうなろうが知ったことではない。まずまともな政府にして、人間を中心にした社会作りができる環境にしていく事が先決になる。この国に原発を運用するだけの資格などもともとない。ヨーロッパで脱原発が叫ばれているのは、チェルノブイリの正確な情報が伝わっているからであり、放射能汚染の危険性を未だに過小評価している日本は、被爆国としての責任を一切果たしていない

原爆の何十倍もの放射能汚染の現状が安全であるなら、原爆も安全だといっているのと同じになる。放射能汚染の恐ろしさは、他国の汚染された地域の現状を見れば一目瞭然。政府や企業の発表など単なるまやかしでしかない。彼らは絶対に原発周辺には住まないのだから・・・

原発は一歩間違えば国を滅ぼす最も危険な代物。これをいい加減な組織がいい加減な運用をすれば、大事故は必然的に起こる。今回の原発事故は起こるべくして起こったものであり、地震というきっかけで表面に現れたにすぎない。東電と国の無責任さが生み出した人災でしかない

原発は日本の英知を結集した最も安全なものと言われている。確かに国民に真実を隠し、不可能を可能にする架空の技術を想像する英知を結集し、今はできなくても未来には可能になるとの妄想で失敗を繰り返したあげくに、制御できない非常に危険なものを安全だと平気で騙す、最も信用できないものだ

原発はまず危険なものだという認識から始めなければならない。安全なものと言っている限り、まともな運用など決してできない。メルトダウンを起こすような原発が安全な筈が無いだろう!

嘘つきは原発を安全だと言う。正直者は危険ではあるが、今すぐには健康に被害を及ぼさないという(後から被爆の影響が表われる。後で死ぬのだから問題ない)。放射線の専門家などが安全だと主張するが、彼らは原発内部に滞在して自ら調査しようとはしない。内部被曝の危険性をまったく無視したあげくに、安全地帯にいながら安全だといいはる極悪人でしかない

日本の原発で亡くなるのは作業員だけで、検査する技師・技術者・専門家が亡くなったという話しなど聞いたことがない。つまり専門家は死ぬような作業は決してしないという事だ。もし安全だというなら、死亡した作業員と同じ作業をすれば良いのだが、そのような事は絶対にしない。専門家とは危険の限度を良く理解し、自らの身を守る術にたけている人の事を言う

一般的に「自分は専門家だから私の言う通りにしていれば間違いない」と言い切る人間は信用してはならない。このような人間は、自身のほんの少しの体験で信用させたり、現場の理論ではなく単なる机上の空論で物事を判断する。実際の現場では、複雑な条件が折り重なって物事が進行していくものであり、前提条件が一つでも崩れれば意味を成さない。つまり危険要因は一つではなく、見逃されている危険性もあることを必ず念頭に入れておかなければならない。物事を断定する人間は、うさんくさい人間か、自己中心的な人間か、自分の理論に陶酔しているただの愚か者でしかない。このような人間は人に薦めるだけで、自身は決して薦める人と同じ環境に身を置こうとはしない。ただの卑怯者でしかない事を見抜かなければならない

原発の安全性を証明するには、運用する人間や安全を主張する人間が、実際の現場で生活すればすむことだ。それを一切せずに「安全だ」と繰り返す人間を信用しろと言われても、信用できるはずがない。一番の問題は、風で巻き上げられた放射能の灰を日常的に吸い込むと、健康にどのような影響を及ぼすかだ。これは誰にも分からず、今後の影響を長期間見守るしかないが、良い影響などあるはずがないのは誰の目にも明らかだ

安全だと言い張る人間が、恥知らずの大嘘つきの人でなしなのは間違いない。金さえもらえれば何でもする卑怯者は、世の中にいくらでもいる事を忘れてはならない

原発は非常に危険なものだから、万全の安全対策と情報公開が必要だとはっきり明言する必要がある。都合の悪い情報を隠す体質は、原発が危険なものである事の裏返しでしかない。危険をまず認める事から始めなければ、原発は不幸しか生み出さない

この原発問題を解決するには、原発周辺を国と電力会社が全て買い取り、国の機関と電力会社・原発メーカーを中核にした原発都市を開発すれば良い。保安院・国土交通省や電力会社・原発メーカーで働く人全ての家屋をつくり、スーバーや学校なども新たに建設する。原発周辺で採れた新鮮な野菜や魚介類は、全てこの原発都市で消費する。原発推進派の人は、全てこの原発都市で暮らすようにすれば全てが丸く収まる。放射線は安全だとの専門家のお墨付きもあるため、莫大な放射能の除洗費用も一切必要ない。安全な原発都市で安穏として生活していけるのだから、原発都市を推進派の理想都市として開発すべき。原発パラダイス計画をすぐさま政策として策定し、早期に実現する事が日本再興の原動力となる

原発を稼働しなければ莫大な燃料費がかかり、電力料金の高騰を招いて産業が成り立たなくなる。これは紛れもない事実であり、間違いではない。原発を稼働する事で、電力の安定供給ができる。これも間違いではない。では何が問題になるかというと、原発から発生する放射性廃棄物の処理に莫大な費用がかかるというだけの事だ。これを解決するには、放射性廃棄物を原発を推進する人間に押しつければ良い。全ての放射性廃棄物を、原発都市の地下に埋設し続ければ全てが丸く収まる。放射能は安全だと言い続ける人間に、何の遠慮もいらないだろう。原発周辺の土地を全て国が買い取り、電力会社・開発メーカー・経済産業省・マスコミ・議員会館を中心とした原発都市を開発し、放射性廃棄物と周辺の海産物・農産物を一手に引き受けてもらう。放射性廃棄物は、原発を開発・運用する人間が防波堤となり、原発都市以外に影響が及ばないようにする。原発を安全に運用するには、この方法以外にはない

原発問題とは、つきつめれば放射性廃棄物の責任を誰が取るかという事につきる。つまり推し進める人間に全責任をとらせれば、全ての問題が解決する。原発とは放射性廃棄物という生物を死に追いやる物質を作り続ける、ゴミ生産工場でしかない。そして放射性廃棄物というゴミを捨てる場所は、人の住めない死の場所となる。東電や政府に責任を取らせる最善の方法は、全ての放射能のゴミを彼らの財産として押しつける事だ。ゴミは出した者に責任を負わせる。この方法以外に、彼らに責任を取らせる手段などない

原発を推し進める人間は、決して原発に近づこうとはしないし、周辺の土地を購入して開発しようなどとはしない。原発周辺の土地を購入しないのは、そこがどういう場所なのか一番良く分かっているからだ。しかし放射能で汚された土地は、汚した人間に再生させるべきもの。原発を推進した者達全てが移住して、何百年かかろうとも再生させねばならない

国と東電とマスコミは国民に安全だと言っているのだから、国と東電とマスコミが移住して再建するのが筋というものだ。東電は本社を売却して福島に移転。国土交通省や保安院も東京から福島に移転。原発開発関連のもの全てを移転させる。マスコミも本社売却の上移転。東京の馬鹿高い家賃や維持費用の削減のため、安い地方に移転すべき。これで福島の人口も増えるし、東京一極の悪弊も改善できる

学者は理論を武器にして素人を丸め込もうとする。しかしその理論自体が信用できるものではない事を、学者自身がまったく理解していないために、不幸な現実を招いている。放射線の問題は、原爆開発国によって封印されたため未知な部分が非常に多い。現在進行中のチェルノブイリですら、過度な被害報告と比較的緩やかな被害報告の二つに割れている(笑)しかし確実に言えるのは、原発付近は無人地帯のままで、人が近づくことさえできないという現実だけだ

現在は国と東電と放射能は安全だという学者によって、放射能汚染された地域の健康被害を調べる人体実験が行われている状況にある事を理解すべき。この状況を打破するには、国と東電と安全を主張する学者を汚染地域で活動させるよう、法律で義務付ける他無い。これは政治の問題であり、国会議員を選ぶ国民が最終的に判断すべき事になる

福島の問題は既に国から見放されており、どう行動すべきかは住民の判断に委ねられている。これは国の責任放棄であり、住民に自己責任として今後の行動をまかせる卑怯なやり方でしかない

現在の国と東電は知らぬが仏と、やりたい放題のむちゃくちゃな基準を設定している。他の国がどのような基準値を設定しているかよく調べてみるべきだろう。学者や政府は被爆による健康被害の基準を、科学的に実証されていないものとしてまったく無視している。内部被曝の危険性は外部被曝の5倍以上と言われているため、本来なら基準値は相当低く設定しなければならないものだ。内部被曝をまったく無視した基準は、まやかしの基準でしかない

海外の基準値が低いのは、放射能の被害に遭う人をゼロにするためのものだ。苦しみ抜いて死んでいく人を想定した基準は、悪魔の基準という他ない

原発とは、貧しい地域に金を落とし、地元にとって生活の糧として無くてはならないものに仕立て上げたものだ。食うに困った人に、寿命を縮める毒まんじゅうを与えるようなものだが、今を生きる事が精一杯の人には大変なご馳走となる。しかし先のある人達は絶対に住まなくなる。いずれ地域は崩壊してしまう

経済と原発を計りにかけるように仕向けた、やくざのごとき狡猾さにはあきれてものが言えないが、そのような政策を行った国会議員(自民党)を選んできたのだから仕方が無い

原発事故に予測などつかない事は分かったはずなので、ひとたび事故が起れば地域一帯は崩壊する。原発事故とは絶対に起らないものではなく、いつ起るかも知れないものとなり、常時排出される微量の放射能は地域一帯をじわじわと汚染していく。作ったが最後、絶対に必要不可欠なものに仕立て上げた輩には脱帽するしかない

原発に発電を頼っている現状では、すぐに原発を止める訳にはいかず、代替エネルギーを開発しつつ順次減らしていくのが現実的解決方法といえる。すぐに止めるという手段は、電力の安定供給という観点からみれば、非現実的で無責任な話だ。この不況時に電気料金の値上げなど言語道断であり、電力会社のあり方そのものを変えていかなければならない。原発に頼らないですむ技術を開発し、原発を順次閉鎖していくのが世界の技術立国としての役割であり、未曾有の原発事故を起こした国の責任でもある
これはあくまで電気を利用する側の言い分であって、実際に原発が存在する地元の意見をないがしろにするものではない。原発が一旦事故を起こせば、都道府県まるごと人が住めない不毛の土地になる。それを考えると、地元が反対するのであれば廃炉にするのが当然だろう。その決断は国会議員の選択にゆだねられているのだから、原発に反対する議員を増やすよう努力しなければならない。但し、自民党・民主党・社会党・共産党は除く

原発は順次減らしていけば良いものであり、原発をきちんと運用するには、原発をサポートする人間が必要となる。原発都市を造って、必要な人間を必要な数だけ確保しなければならない。電力会社は原発周辺に本社を移し、原発に対して事故を決して起こさないという責任を負わなければならない。原発都市とは原発を安全に運用し、安全に閉鎖していくための砦となる。福島原発のように、安全対策を怠り、まっさきに保安委員が逃げ出すような原発にしてはならない。原発を絶対に事故が起こらないものにするために、原発で直接働く人を確保する原発都市は絶対に必要となる。原発が安全なものならば、原発都市を造り、原発に関連する施設を集中するのが一番効率が良い。原発都市に開発・運用を集約すれば、原発の安全性を運用・開発の責任者自身で実証でき、逃げる事が許されない環境を作り上げる事で、原発の安全性を高める事ができる

原発から遠く離れた場所から安全だと言わせるのではなく、原発の地から安全だと言わせる環境を作り上げなければ、真の安全は絶対に確保されない。原発を運用する側は、放射能が漏れようが、安全性が低下しようが、一切何も困らない。何故なら、影響を受けるのは原発周辺だけだからだ(笑)原発とは隔離すべき危険な施設でしかない!

原発を運営する人間や責任者を原発周辺に住まわせない限り、未来永劫原発事故を防ぐ事などできない。この真理が原発関係者から語られる事はない

原発は現在不足する電力を補うための繋ぎでしかなく、新エネルギーへの転換と共に順次廃炉にすべきものでしかない。地震大国日本にとっての原発とは、信管むき出しの爆弾でしかないのだから

最後に、原子力政策は国が策定し実行するもの。政治家を変えない限り、政策の流れは変わらない。国民の望む政策を行う政治家を選ぶ以外に、真の解決策は無い。最大の問題は、国民に真実を隠蔽し、金儲けに走る強欲な政治家が政治の中枢にいる事だ・・・
反対運動より、原発に反対する町長・市長・知事・国会議員を選ぶ方が先になる。反対運動などマスコミに抹殺されて知られる事なく収束してしまう。身の回りの人間に、政治の大切さを地道に訴えて、一人一人の意識を変えていく以外に方策はない・・・

しかし政治家が原発事故の主犯格なため、責任問題を回避して誰も責任を取らない。これは非常に異常な状態のはずなのだが、政治家は誰一人として責任を口にしない。異常な政府に異常な政治家。まともでない政府にまともな政治などできるはずもない・・・

マスコミやテレビは原発が再稼働しないため、反原発を違法な活動であるかのような印象操作を始めている。国民も反原発であれば人間性や政治家としての資質など関係なしに、無能な欠陥政治家を選んでいるのだから、マスコミの悪質な報道を批判する権利などないのだろう。反原発の政治家は、地元から出馬した地元の人間から厳選すべきであり、地元から有能な政治家を生むための土壌を作り上げなければならない。口先だけの詐欺師など、絶対に政治家にしてはならない

反原発とは生活環境を守るための活動であり、政治運動はその活動を実現するための草の根運動になる。これは経済活動による公害に反対するか、経済活動のために公害を受け入れるかの問題でしかない。マスコミは印象操作の達人だから、金さえもらえればどのような卑劣な手段もいとわない

マスコミのインタビューなど、用意したエキストラでしかなく、ただのヤラセにすぎない。 口先(ペン先)ひとつで人を死に追いやる、狡猾なプロの詐欺師にすぎない。マスコミの一方的な主張をまともに受け入れてはならない。受け止めるべきは現状報告のみで、まともな現状報告もせずに一方的な主張を繰り返す、「NHK・新聞・テレビ」など只の卑劣な悪党にすぎない

原発の再稼働には、事故が起こっても即座に対処できる環境を作り上げる必要がある。大事故とは、小さな事故が起因となって拡大するものだからだ。この環境が出来上がらないうちに再稼働する事があってはならない。そのためには原発都市を造り、原発の地を絶対に安全な環境にする必要がある。マスコミもこの中に押し込み、原発の地から報道させなければ、まともな報道など期待できるはずもないだろう

「原発は絶対に安全です。でも事故が起こったら真っ先に逃げますので、宜しくお願いします」では、地元は絶対に納得できないだろう。原発から逃げたら、福島の二の舞になる

しかし原子力保安院は確実に逃げる。頭が良いのだから当たり前だ。だから隣接する建物に常駐させ、陣頭指揮をとらせる他ない。最悪なのは原発には責任者など存在しない事。福島原発事故では、誰も責任を取っていないのだから

もし事故が起きて現場に急行すれば、確実に生死に関わる被爆に遭うというのが原発の厳しい現実になる。原発事故の特徴は、放射能漏れの現場に近づけば確実に生死に関わるというものであり、この特殊な事情を前提にしなければ、不毛な論議が永遠に続けられる事になる。日本の原発は基本的に隔離施設になっていて、「大事故が起これば放棄」というのが基本原則となっている

そもそも事故現場に近寄れないのに、事故を収束できる訳がないだろう。事故を収束するためには、保安院と責任者には放射能を検知する器具を持たずに作業するよう義務付けるしか方策は無い。原子力保安院が放射能を恐れるようでは、原発事故は絶対に収束できない。保安院と責任者に現場で作業する義務を負わせる以外に、事故を収束させる術は一切無い。この方法しか解決策は無いのに、保安院は何の責務も負わずに責任を取ると大嘘を吐く。「法律に則って粛々と作業を行う」という意味は、「放射能漏れがあれば近寄らずに放置します」との意味でしかない

事故が起これば即座に対処すべき原発が、人員は最低限。作業員は何の知識もない派遣労働者。物資は遠く離れた場所。責任者(専門家・経営トップ)は遠く離れた都市部。この惨状では自分でも逃げる(笑)

残った者は突入も出来ずに(事故現場に入れば確実に死ぬ)、自分達だけで対処しなければならないという貧乏くじを引くはめになる。安全地帯にいる責任者は、現場の人間に死んでも事故を収束しろと全責任を押しつける。逃げない方がおかしい現実を受け入れなければならない、阿鼻叫喚の地獄に放り込まれる。取り残される現場の人間はただの捨て駒にされているだけなのに、マスコミによって英雄(又は極悪人)に祭り上げられる。この惨状は、使い捨てにされて散っていった派遣労働者の無念を、現場の人間がその身で支払っているだけにすぎない。加害者が被害者にすり替わっただけ

安全地帯にいる者だけが生き残れる狂ったシステムが原発の真の姿であり、原発で甘い汁を吸う極悪人(政治家・原発関係者・マスコミ)のみが生き残る。これが日本の原発の現実だ

この狂った原発のシステムによって、全ての人が被害者となっていく。マスコミはこの現実を隠蔽し、論点のずれた無意味な英雄や悪人を作り続ける。原発のシステムを変えない限り、原発の被害を止める事はできない

原発の基本は「想定外」。「想定外」であれば誰も責任を問われないからだ。原発とは「想定外」の代物であり、「想定外」であるが故に誰も責任を問われない
Back Ground Music: 不完全燃焼

原発のこれまでの会見を意訳すると・・・

「原発が放射能を常時排出するのは当たり前。だから隔離するように都市部から離れた場所に建設してる。原発が危険なのは当たり前で、原発近辺など人が住める訳が無い。原発内部の危険な場所では、何も知らない派遣労働者に作業をさせているが、死ぬような危険な作業など自分達でできる訳が無い。自分らに死ねと言うのか! 原発とは危険な代物なんだ! いいかげん理解しろ!」

と言うものになる(笑)「原発事故は絶対に起きません」と断言するのは、「事故が起きたらどうしようもありません」との裏返しにすぎない・・・。原発の責任は誰も取らないのだから、関係者一同を集めてシステムに組み込む他ない。つまり関係者全員を原発に常駐させる以外に、原発を安全に運用する術はない。事故発生時に大量の人員と物資を即時投入できる環境を整えておかなければ、福島原発と同じ轍を踏む事になる

しかし原発関係者は皆死にたくは無いため、現状のまま再稼働を強行する。マスコミも電力の安定供給のためにと、現状維持での再稼働が最善だと嘘をつく。政治家・原発関係者・マスコミの三悪党の揃い踏みにより、原発事故当時とまったく同じ状況が再現されようとしている

原発を取り巻く環境は今も尚、何一つ変わってはいない。何も変わっていない事実を悟られないようにするのだから、真の悪党だと断定できる

この悪党共の本音はただ一つ。「これだけ金(設備投資と政治家とマスコミへの賄賂)を投資しているのだから、どんな手段を使ってでも稼働させる」。確かに止められないのだから、原発と寝食を共にして支えていくべき。原発は隔離施設ではなく、関連施設を統合した総合施設に変えなければならない。しかしたんまり賄賂を受け取っている自民党では、実現できる筈も無い

原発の生みの親である自民党の悪党共が増えすぎた結果、原発は異常な形態のまま再稼働するはめになる。出発点を誤った原発は、最悪の原発事故を起こしても尚、その姿(隔離施設)を頑なに変えようとはしない・・・

原発は安全対策が万全なら再稼働しても問題はない。それは政府・原発関係者・マスコミの3者(逃亡の常習犯)が、その身を盾にして原発を守る事が前提条件となる。原発に関する全ての情報を公開すべきで、都合の悪い情報を隠蔽する限り、原発への不信を拭うことは決してできない
Back Ground Picture: 原発生活

鹿児島県の知事が、原発の判断を放棄した。「知事に原発の稼働の判断はできない。今と知事となる前の立場は違う」。さすが元ジャーナリストは変わり身が早い(笑)朝日のジャーナリストを推すなど大丈夫かと思っていたが、案の定平気で裏切っている(笑)テレビと新聞に出ていれば有識者、という幻想は捨て去るべき。テレビや新聞の主張は本心ではない。本心ではないと断言したのだから、只の詐欺師(笑)鹿児島県民は、タヌキに化かれただけ(笑)タヌキやネズミは、幻影の中に潜んで人を騙す。人の本性は見た目では分からない。人の変わらぬ本性は、その行動に現れる

しかしこうも平然と裏切るとは、ジャーナリストの本性は怖い(笑)普段から権力と戦うと力説しておいて、平気で権力に迎合するとは、どうゆう神経しているのか分からない(笑)正義の味方を気取っておいて、平気で手の平を返すその本性がそら恐ろしい

「テレビと新聞は、表の顔とその本性がまったく違う」という事実を証明してくれたのが、この問題の救いといえるだろう

主張(外見)と行動(中身)が違う者を、世の中では「詐欺師」「嘘つき」「誇大広告」と呼ぶ。テレビと新聞は、今や利権団体の悪の広告代理店(笑)鹿児島県民は、広告代理店の悪徳宣伝マンに騙されただけ。そう考えると、まぬけな話としか思えない(笑)



メルトダウン(炉心溶解)
原発事故を扱った映画では、メルトダウン(炉心溶解)は決して起こしてはならない事故であり、これを回避するための果敢な姿を描いている。しかし日本では、無為無策により余りにも簡単に最悪の事態が起ってしまった。これは責任不在、対処能力の不在、国民への報告の不在等々、日本の原発が無責任なものだったからに他ならない。事故当時の映像を見れば、対処能力などもともと全くなかった事がすぐに分かる

今日本で起きているメルトダウンの恐ろしさを理解しなければならない

メルトダウンが現在絶賛進行中の福島の隣でオリンピックを誘致するなど狂気の沙汰だが、国民を欺くため、世界を欺くためには必要な方策なのだろう。メルトダウンという響きが余りにも絶望的な言葉なので、マスコミや政府の発表では炉心溶解という聞き慣れない言葉を使うほどだ。実際の燃料棒の状態など全く確認できていないのに、政府や東電は安全だと発表している。これをまともに信じる日本人は、本当に優しいお人好しとしか言いようがない。マスコミや政府は都合の悪いものを平気で隠蔽してきたのだから、絶対に信用すべきものではないと実証済みなのに・・・

映画では事故の影響が徐々に広がっていき、最終的に修復不能に陥り崩壊する。メルトダウンがこのまま進めば、地下全体が放射能に汚染され、福島及びその周辺は、今後数千年・数万年にわたって人の住めない不毛の土地になる。何故なら、人の手の及ばない地下全体が放射能汚染されるからだ。これは現在の状況をみれば、素人判断でも分かる事だ。ソ連のチェルノブイリ事故ではメルトダウンを恐れ、数千人の人間を被爆の危険を無視して投入し、これを防いだ。現場に行って作業した人間で生き残ったものはいない。本来原発事故は決して起こしてはならないもので、おこりそうな時には命をはって防がなければならない

日本の東電や政府の行政機関に命をはる覚悟などなく、ただ漫然と事故を傍観していたにすぎない。これからも行われるであろう現場の事故対策に携わる人間は、漫然とした死を受け入れるしかない。ただ最後に「東電に欺された」との言葉を残して死んでいくだけだ

過度の放射線を浴びて普通に生きていられるはずもなく、福島原発での作業は死にに行くようなものだ。死にたくなければ行かなければいいという話でしかない。原発での作業は命の使い捨てになるのだから作業員が使い捨てになるのは当たり前で、東電や政府は当たり前の事をやっているにすぎない。正直に言うと人が集まらないので、ちょっと高い給料で騙して働かせているだけだ。原発事故現場での作業は原発関係者や電力会社の人間だけで行うべきもので、ろくな専門的知識もないズブの素人にやらせるなのど、事故を拡大させるだけで何の解決にもならない。原発・電力関係者は腐るほどいるため、人手不足などありえない

事故原発の運営を電力会社の直営にすれば、人手不足の問題は簡単に片付く。事故原発付近に原発村を設営すれば、長期の作業も円滑に行える。やらないのは、使い捨ての施設を恒久施設に変える事で、原発関係者が派遣労働者のような使い捨ての道具になる事を恐れているからだ。所詮原発とは、人を使い捨てにする場所でしかない

原発事故から数年たっても、冷却と汚染水の保管しかできないのは、原発技術者がまったく作業にかかわっていないからだ。ただ現場を監督するだけで、危険な作業は何の知識もない作業員まかせにしているのが現状であり、根本的解決など単なる夢物語でしかない
「事故を解決できる技術を開発してから事故を収束させる」 と臆面も無く言ってのけるのは、原発技術者が現場に出て死にたくないからであり、今は軽作業を素人にやらせて使い捨てにしている。このような無能で空虚な作業が続けられているのだから、原発事故が収束する事など未来永劫ありえない。事故直後に全てのがれきを撤去し、すぐさま核燃料を取り除く作業を終わらせなければならなかったのに、「放射能が怖くて何も出来なかった」というのが福島原発事故の真実だ

政府は直ちに亡くならない人間に補償などしないから、電力関係者と政府の人間だけで対処してもらう他なくなるだろう。しかし責任など一切取らない原発関係者に、事故を収束できる可能性は非常に怪しいといか言いようがない。現場に突入すれば解決の糸口も見つかるかもしれないが、確実に死を迎える作業を誰がやるのか。ロボットは強力な放射線でまともに動かないため、最終的に人間に頼らざるをえない。マスコミと東電と政府の人間に突入させるのが一番効率的であり、国民から絶大な支持を得る事ができる。しかし自分第一の人間にそれができる筈も無い・・・

まず原発事故は絶対に起きないと断言していた学者を全て現場に投入し、事故の収束に当たらせるべき。このまま手をこまねいてたら、どのような結果になるか予測もできない。どのような犠牲もいとわない覚悟で臨まなければ、最悪の結果を招くだけだ

最悪の結果を招けば、時の政府と政治家は国を滅亡させた責任を問われ、極悪の人間として日本の歴史に名を刻む事になる。今の総理大臣は絶好調のようだが、対策を誤れば極悪非道の人間として蔑まれるのだろう。おそらくそれまでの時間はほんのわずかしか無い。汚染の限界は既に越えているのだから

福島周辺はもう既に人が住むべき場所ではないのだろう。核燃料棒が既に建物外に移動していたら、2千度以上の地球最大の汚染物質を取り除く技術など地球上には存在しない。日本の技術者は、いつか未来に必ず解決する方法が見つかると断言して譲らない。数十年・数百年・数千年単位の技術の進歩を持ち出す日本の技術者には、架空の技術を妄想しながら、現在の状況に突貫してもらうしかない。妄想で逃げる技術者には、原発内部で一生事故処理に当たらせるべき

避難が最良の判断であり、じわじわと体が蝕まれる放射能に対して、対処する術などないからだ

今現在も何十種類もの猛毒な放射性物質が大気中や海中にまき散らされている。メルトダウンの状態では、猛毒の放射性物質が多数生成され続け、それが外部に放出され続けるらしい。そのためメルトダウンを起こして、建物内から放射性物質が漏れ出せば、壊滅的な環境破壊が起る。半減期の遅い猛毒な放射性物質が何種類もばらまかれるのだから当たり前だ

これらの致死レベルの猛毒物質と比べれば、セシウムなど低いレベルの毒でしかない。セシウムと同時に排出される、計測の難しい低エネルギーのストロンチウム(半減期が28年)は、体の外に排出されず、体の中に蓄積される。内部被爆は危険性が非常に高く、確実に人の命を奪っていく。人間や動物は原因不明の病気で突然死をむかえ、生命は正常に誕生・生育する事ができなくなる。政府にしてみれば、原因不明なのだから責任などとらない。誰も経験したことのない環境破壊は、国全体を衰退させてしまう。現在の政府に人としての良心などなく、情報隠蔽と楽観的観測だけで事故処理が進められている。しかしいずれ漏れ出した莫大な放射性物質は、日本という国を緩慢な滅亡へと向かわせる

放射能の地下汚染で土地が死に絶えるのだから、対処法などある筈も無い。一度メルトダウンが起れば、どれほどの土地を放棄しなければならならくなるのか予想すらできない。予想できないのだから、当然のごとく想定外で逃げる東電と政府。このままずるずると最悪の事態に進んでいくと、事故当初に外国の研究者が予測していたが、結局そのとうりに事が進んでいる。結局原発事故は決して起こしてはならないものであり、死んでも食い止めなければならないものだ。それを起こして放置したのだから、どれほどの被害がでるのか分かるはずも無いだろう

現在汚染水の問題でもちきりのようだが、もともとあのあたりは地下水が豊富で、陸から海へと地下水脈がとおっている所だそうだ。だからいくら原発内で止めてみても意味などなく、地下深くの核燃料棒によって高濃度に汚染された自然の地下水は、そのまま海へとダダ漏れになる。東電はその辺が分かっているから、汚染水問題に真剣にならないのだろう。流出した汚染水は海流によって太平洋沖へと拡散されると判断しての事だろうが、付近の海岸を見捨てるのは通常の原発でも同じなので問題ないのだろう。しかし海は所詮有限のバケツの水でしかなく、メルトダウンで発生した猛毒な汚染水のダダ漏れ状態が、何の問題も引き起こさない訳が無いだろう・・・

流出した汚染水が安全になるまで、今後数十年・数百年かかるのかも知れないところが最大の問題になる。放射性物質が消え去る事などなく、海流の関係で非常に高濃度な所がホットスポットとして発生し、薄まるどころか危険な場所がどんどん増えていく。結果放射性物質の生物濃縮が始まり、海洋生物が一番の被害を被るはめになる

食品の放射能基準値が[500ベクレル]という時点で、この国が既に放射能まみれになっているのが分かる。これは戦時中の基準値であり、平常では絶対に考えられない値だ。メルトダウンした核燃料棒から今もなお放射性物質が漏れ出し、汚染がこれからも止むことはないという不都合な事実が、戦時中の基準値を適応するしかないという現状を生み出している。日本はメルトダウンした核燃料棒と絶賛戦争中だという事を、[500ベクレル]というあり得ない基準値が示してくれている。日本は姿の見えない放射能と戦争中であり、平常ではない戦時中の真っ只中にいる・・・

福島原発 = メルトダウン進行中 = 放射性物質放出中 = 政府・マスコミ安全宣言 = 生き残りたければ、自分で考えてください



ストレステスト
原発事故を受けて原発のストレステストが行われている。そもそもストレステストとは原発本体の物理的問題をテストするものであり、運用上の問題をテストするものではない。今回の原発事故では、人間によって引き起こされた人為的ミスの方が遙かに大きい

ストレステストとは原発事故の原因を、運用する人間の問題から原発本体の問題にすり替えるものでしかない。原発本体は巨大地震に耐えるだけの耐震性をもともと備えている。巨大な津波を防げずに、臨界事故を防ぐ安全装置が破壊されたために原発事故が起ったに過ぎない。原発のストレステストなど、設計段階で行っているはずであり、問題なのは災害で安全装置が壊れた場合に、他の安全機能がどように働き事故を防げるかを確認する事にある。複雑なシステムの場合、一カ所の不具合が予想外の不具合を発生させるため、どのような安全策をとっても万全というものは決してあり得ない。これは複雑なシステムを作成する人間なら誰でも分かることだ

原発の場合はどのような事態になっても、臨界事故だけは絶対に起こさないという最終安全装置が絶対に起動しさえすれば良い。他の膨大な設備の一つ一つの耐久テストをしたところで、壊れ方など予測できるはずもなく、壊れた場合にどのような安全機能が必要なのかを検討する方が先になる。コンピューターによるテストなど机上の空論でしかなく、実際の事故は複数の予想外の事態によって引き起こされる。事故の発生率を限りなくゼロに近づけるには、最終安全装置を数多く設置する他ない。最終安全装置が一つだと、それが壊れれば防ぐ手立ては全く無くなってしまう

物理的なストレステストが無駄とは言わないが、絶対安全な原発を想定して、現在の原発と比較して、足りない安全機能を追加する方法の方がよほど能率が良いと思われる。原発のような超複雑なプラントに、絶対壊れない安全性を求めるのが間違いであり、壊れた場合の安全装置に万全を期すのが正論だろう

今回の原発事故では設計思想や運用方法などの人為的ミスの方が遙かに大きく、運用する人間の問題を改善しない限り、事故を防ぐことなど決してできない

追記: 本当の原発問題は、これから数年後に起るであろう、ばらまかれたプロトニウムやセシウム等の放射性物質を体内に取り込んだ人達の健康問題だ。政府とマスコミの隠蔽体質は筋金入りであり、自分達に都合の悪い情報は決して流さない。原発事故の本当の恐ろしさと、事故原因となった人為的ミスを隠蔽した現在の状況は、決して許されるものではない

何故福島原発のような危険な設計の原発が設置され放置され続けたのか、原発事故を防ぐ手立ては本当に無かったのか、ばらまかれた放射性物質を体に取り込んだらどうなるのか、実際にばらまかれた放射性物質の種類と量はどれだけなのか、原発の運用に問題はなかったのか、等々の事故背景の全てを調査し公開しなければならない
原発事故の原因となった欠陥を招いた者と、原発事故に対して適切な行動を行わなかった者の責任を厳しく追及する事が、未来の国民に対する責務になる

総括: 原価方式で莫大な利益を上げてきた関連業界や、電力業界からの政治献金を受けて原発を作り続けた国会議員、安全を無視した危険な運用をした電力会社の幹部が真の戦犯である。これらの人間が何の責任も取らずにいるのは、責任者を追求しようとしないマスコミにある。マスコミは資金を提供してくれるスポンサーに対して、責任追及など絶対にしない。「NHK・新聞・テレビ」という報道マフィアのいい加減さにはあきれるしかない

原発の隠蔽された真実が見えてきたなら、「NHK・新聞・テレビ」は躊躇なく切り捨てるべき。情報を隠蔽するマスコミは、人々の生活を破滅させるものだからだ。原発の現状・放射能汚染の状況・被爆による発病等の正確な情報が一切出てこない状況は、国民の生活と人生を狂わせ、新たな被害者を生み続けている。国民はマスコミに怒らなければならない

原発に関する最大の問題は、正しい情報を伝えないマスコミにあると認識すべき

政府・政治家・電力会社・マスコミは、自分らに都合のいい考え方で物事を進めていく。それは国民の常識からかけ離れた悪魔の論理でしかなく、国民を破滅へと導いていく

情報の隠蔽とは、都合のいい悪魔の論理を進めるための悪魔の所行。情報を隠蔽するマスコミは決して許してはならない

この論理で原発が動き、それが当然の事として語られている。これは「外国では直営体制が多いが、請負体制なら必要な人材を簡単に確保でき、自分らも被爆しなくて済む」という、余りにも自分勝手な論理。原発の全てが、このような身勝手な論理で形作られている

自分に都合のいい論理でものを語る原発と、それを許し続ける政府。そこには国民を無視した悪魔の論理しか存在しない。政府は地表1mで放射線の測定をしているが、何故足下0m近辺の放射線も測定しないのか。そもそも放射性物質は、その種類によって放射線の到達距離に違いがあり、足下が欠けた測定など意味が無い。悪魔の論理は、欠陥を巧妙に隠蔽する卑劣な論理

物事は単純には計れない。単純に計ろうとするのが悪魔の論理。メルトダウンは止める事ができない放射能災害として、今なお日本を蝕んでいる