音楽の覚え書き

ダウンロード規制法
人を騙す場合、狡猾な人間はまずまともなものだと信用させ、後でどす黒い本心をむき出しにて相手を騙す。詐欺師の常套手段であるが、政治家も又同じ手口で国民を騙す

悪徳政治家は献金という賄賂を堂々と受け取り、マスコミとぐるになって、あくどい法案をろくに審議もせずに成立させる。このような危険な法案を隠蔽する「NHK・新聞・テレビ」に、最早利用価値など微塵もない

ここまで露骨に隠蔽するのは、マスコミにとってよほど都合のいい法案なのだろう。国民にとっては、あらゆる悪法がすんなり通っていく悪夢でしかない・・・

ダウンロード規制法案も政治家の姑息な手段で、国民の目に触れないように、こっそりと通してしまった。この法案のあざとい所は、罰則の適用範囲を曖昧にして、後でどのようにでも適用範囲を広げられるようにしている事だ。これはこざかしい自民党の常套手段であり、自殺者が出るなど社会問題化するまで、どんどん適用範囲を広げていく。この同じ手口で、数え切れない数の被害者を生んできた

自民党が政権を追われたのは、このあくどい手段をしょうこりもなく何度も繰り返して、信用を完全に失ったからだ。しかし民主党の力がなくなると、又しょうこりもなく同じようにあくどい法案をごり押しして通してしまった。とりあえず通しておき、政治資金という賄賂を受け取りながら、法律の適用範囲をどんどん広げていく。大金を稼ぐシステムが出来上がると、企業の顧問にさっさと就任して、顧問料という賄賂で私腹を肥やす

「私的使用の目的・・・2年以下の懲役もしくは200万円以下の罰金」 これは立派な刑事罰。DVDとCDは、データを取り出したり複製してはならない危険物。デジタルコンテンツが全盛の時代に、こんなかさばる危険物に、利用価値など微塵もない

今回の規制法案でDVDやCDの私的利用や二次利用が違法になったので、今後DVDやCDを買うことは二度と無い(笑)私的利用を違法にしたのだから、持っていてもかさばるだけで、デジタルデータの意味が無い。そもそも映画や音楽のクラウドサービスを利用すれば、データを持つ必要性が無くなる。音楽や映像は、オンラインで視聴する時代へと移行している。DVDやCDは、データの大容量時代に適応できない、今や単なる骨董品(笑)

この法案の目指すものは思想の統制であり、この法案を厳密に適応したら、ネット上の全ての情報を規制できる。情報の転載を一切認めず、政府による情報統制が可能になる。まるで戦前の翼賛体制であり、自民党も民主党も、自らの権力を維持するためにはどんな汚い法案も通してしまう。この法案で得をするのは、「マスコミ・テレビ・音楽業界・政治家」などで、国民を食い物にして奴隷化しようとしている事に気付くべき

自民党と民主党の横暴を止めるには、選挙で排除するしか道が無い(笑)日本の政治を停滞させておきながら、自分達に都合の良い法案だけは、さっさと隠れて通していく。このような有害な政党は、選挙では絶対に投票してはならない

音楽を携帯プレイヤーで聴いたり(リッピング容疑で逮捕)、録画した映像(リッピング容疑で逮捕)を見ただけで逮捕される日が来たのだろう(笑)今のうちにDVDとCDとの縁は、すっぱりと断ち切っておかねばならない(笑)

今時音楽を聞くのにCDプレイヤーなど使わないのに、CDでしか聞くことができないように法制化したのは、利用者の完全な切り捨てです。切り捨てられた利用者は、DVDとCDを容赦なく切り捨てる(笑)

DVDとCDは犯罪の温床になる、麻薬と同じ危険物(笑)所持しているだけで、違法な利用を疑われる危険物(笑)私的利用を禁止するという事は、そうゆう事だとゆう事を良く理解しておくべきだろう(笑)DVDとCDは、放送局や図書館やレンタル店にしか需要が無い(笑)

世界は既にダウンロードの時代に突入している。時代に取り残された規格は既に用済み。ダウンロードできない映像や楽曲は、もはや過去の遺物です。しかし日本では、音楽をDVDやCDでしか利用できない危険物として、法律で規制を謀っている(笑)DVDやCDは、今や置物の原盤です(笑)

ダウンロード規制法は、過去の遺物と化したDVDとCDを切り捨て、新しい楽しみ方への転換を図る、過去を切り捨てるための法案です(笑)DVDとCDは、今や利用不可の原盤です(笑)

これからは定額のクラウドサービスが主流となり、DVDやCDの存在意義そのものが無くなっていく・・・

DVDやCD一枚の値段で、映像や音楽が見放題の聴き放題。これじゃ~誰も買わなくなる(笑)私的利用で逮捕されて前科者になるか、ダウンロード・見放題・聴き放題に乗り換えるかの二択を迫られている事を良く理解しておきましょう・・・

一番重要なのは、映像・音楽業界による消費者の切り捨てという現実です。これはつまり、音楽や映像との付き合い方の転換を意味する。法律の厳罰化は、規制のかからないものへの転換を促すものだと理解すべき。法律で危険物扱いされたDVDとCDは、レンタル店と図書館に飾っておくべき代物です

日本の音楽は、いつ何時逮捕の容疑がかけられるか分からない「音苦」となった。猜疑と利権にまみまれた「音苦」を売り出し、逮捕される者を嬉々として待ちわびる「音苦業界」に対して、せめて未成年の逮捕だけは止めて欲しいと願わざるを得ない・・・

そういえば町中から、音楽そのものが消えている。生活空間に流行りの音楽が流れないのは、日本の音楽文化の、実質的な滅亡を意味する(笑)聞けない音楽など、無いのと同じ(笑)

日本の音楽文化は、法律で厳格に隔離された厳重保護種(笑)今やガラス越しに見るだけのパンダと同じ(笑)今や「触るな」「利用するな」と法律で禁止された危険物(笑)日本の音楽文化は、現状完全に滅亡している(笑)

身近なものは、最早アニソンしかない(笑)日本の音楽文化は、映像の記憶と共に人の心に楔を打つ、アニソンへと収束する(笑)


良い音楽は自分で探す時代へと変化している。逮捕を前提としたものなど購入する気もおきない。レコード業界は一般人など相手にせずに、暇な金持ちを相手にすべき。子供達が逮捕されないように、危険物となった日本の音楽とは、距離を置くべき時代になっている。インターネット上にはいくらでも良い音源があるので、困る事など一つもない(笑)

ちなみに日本音楽著作権協会(JASRAC)の去年の収入は、105,893,872,282円。音楽って儲かるんですね(笑)これ全部音楽に関わる人全てに公平に分配したら、このような悪法なんていらないでしょうに(笑)

視聴者を犯罪者予備軍にしたてあげたのだから、JASRAC の経費・収支・分配の全てを公開すべき。独占組織は大概自分の取り分が減るのを極端に嫌がり、しわ寄せを末端に押しつける(笑)

追記: 新しい規格のCDを、音質が向上した特殊な物として一般より高価格で売り出している。しかし今の音楽はただのデジタルデータでしかなく、例えCDの規格を新しくしても、中身のデジタルデータに違いはない。意味があるとしたら、CDをアナログデータとしてみた場合のみ。音楽業界は、CDを高価なデジタルデータとして売り出し、進化を止めた古いCDプレイヤーでより高音質で聞けると宣伝しているにすぎない。音の出口はスピーカーというアナログなので、スピーカーの出来不出来で音はいくらでも変化する

高音質にこだわって大音量で音楽を聴いていると、耳の鼓膜が痛んで音をまともに聞けなくなる。音楽は適正な音量で聞いていれば、音質などたいして変わらない(笑)マスコミに騙されて音楽に無駄にお金を浪費し、音がまともに聞けない体にされたのではたまったものではない(笑)音楽は気分で聞くものであって、音質で聞くものではありません(笑)

CDからのデジタルデータの取り出しを法律で禁止し、高価なデジタルデータとして消費者に売りつける魂胆が透けて見える。これなら同じ音源で何度でも商売ができ、大もうけができる。これに騙される消費者は、哀れとしか言いようがない(笑)

パソコンに音楽を取り込めば、単なるデジタルデータになり、自分の好きな音に調整できる。音楽業界はこれを法律で禁止して、CDで一儲けを企んでいるのだろう(笑)

つまり日本の音楽とは、音楽業界が独占する、利用不可の借り物です(笑)

音楽業界の主張を要約すれば、「音楽は私たち(音楽業界)の所有物。視聴者には聞く権利を売っただけで、勝手に利用すれば法律で処罰されます。コピーやリッピングなどの私的行為は警察に逮捕してもらい、前科者として社会から抹殺します」という事だ(笑)

日本の音楽は、購入しても利用できない、ただのやっかいもの(笑)このような危険物は、テレビやラジオ放送から外して、人目につかない場所で、ひっそりと販売してもらいたい(笑)

結局のところ、「観る権利と聞く権利を売っただけで、利用する権利は購入者には無い。利用すれば逮捕する」という事だ。まさにやっかいもの以外のなにものでもない(笑)映像や音楽は映画館の映画と同じで、観る・聴く以外は法律で厳しく罰せられるものとなってしまった(笑)

つまり映像と音楽は、麻薬と同じ規制対象物。音楽の利用は、法律上禁止されている(笑)今や音楽を個人で持つ意味そのものが消滅している。音楽を手元においても、意味の無い時代が訪れている…

町中から音楽が消えたのは、「勝手に音楽を利用するな!。利用するなら金払え!。払わなければ逮捕する!」と脅されたから。ほんとに日本の音楽は滅亡しちゃったんですね(笑)

追記: 根本的原因は、そもそも音楽業界の経営センスの無さにある(笑)消費者が欲しい音楽は、大半が廃盤になっている(笑)楽譜もすぐに廃盤です(笑)全てデジタル化して、過去の資産を有効的に利用しようなどとは一切しない(笑)

消費者が望むものは、CDの音質に匹敵する音楽が、過去の全ての資産からダウンロードして購入できるようになる事だ。音苦業界に薄利多売の考え方など微塵も無い(笑)

それに音楽をCDで聞くという行為自体が、もう既に時代遅れである事を受け入れない業界に未来などない(笑)たかだか数曲の音楽をばかでかい円盤に詰め込んで、大がかりな回転装置で再生させるなど、今や資源の無駄遣い。数センチほどのメモリで再生できる、デジタル再生プレイヤーが全盛の時代に、CDプレイヤーなど邪魔なだけ

賢明な人はデジタルデータ化した大量の音楽から、気に入ったものだけを聞くようになる。間違っても面倒なCDなど使わない(笑)音楽は生演奏からレコード盤、CD、デジタル音源へと進化を遂げ、誰もが高音質の音楽を手軽に聞ける時代へと進化している。日本の規制は、過去の栄光にすがって生きていくだけの、時代に取り残されし亡霊です

音楽は特権階級の所有物となったので、自分とは縁のないものとあきらめた(笑)YouTube があるので、とりあえず困ることはありません(笑)これからの時代、法律で厳重に保護したCDや音楽が売れないのは、全て業界の自己責任(笑)

法律に翻弄される消費者は、常に業界の思惑の斜め上を行っている(笑)目先の利益に執着し、消費者に見放された業界は、自らのまいた種に翻弄されながら、誰にも知られずに、人知れず消えていく・・・ 合掌
Back Ground Music: Coldplay

「Youtube」の日本関連の動画がことごとく消されていく(笑)海外では「Youtube」は宣伝の道具として活用されているのに、日本では宣伝の道が完全に閉ざされ、誰にも知られずに朽ち果てていく(笑)哀れな業界としか言いようが無いが、人知れず消え去っていくのがこの業界の運命なのだろう

日本の音楽はCDでなければ立ちゆかないシステムのままなので、JASRAC はCDプレイヤーを全ての国民に配らなければならない。今や家庭にCDプレイヤーなど存在しないのだから(笑)物の形は時代と共に進化するものだが、音楽だけは都合のいい形のままで進化を止めなければならないものらしい(笑)しかし再生する機械が無いのでは、どうあがこうが、その先に未来など存在しない・・・

日本のオーディオ産業は壊滅したが、その理由は単純にして明白。音楽産業に付き合って、音楽のデジタル化に乗り遅れて消費者から見放されてしまったからだ。日本のオーディオは未だに役立たずのCD再生機を搭載し、音楽を手軽に再生するという最大の利点を自ら潰してしまっている。オーディオ産業が壊滅するのは当たり前。日本のオーディオ産業は JASRAC の方針に則り、著作権保護という名目で徹底的に消費者の利便性を阻害している。日本のオーディオは非常に高価な上に不便という、売れると思って作っているのかと疑われる程出来が悪い(笑)消費者が高価で不便な日本製に見切りを付け、安価で便利な海外製に乗り換えるのは当たり前だろうに(笑)

海外での音楽の位置づけは、気軽聞けて楽しいというものだが、日本の音楽は非常に高価で不便という、とても気軽に聞けるものでは無くなってしまっている。この姿勢の違いこそが日本で音楽が敬遠されるようになった原因なのに、未だに不便な音楽にしがみつくオーディオ業界に未来があるとは思えない

物の形が変われば、物に対する概念自体も変わってしまう。それを受け入れないのであれば、過去の遺物としてマニアックなユーザーと生き残りを図るしか手段が無い

音楽はインターネットにより世界と繋がったため、音楽という日本のパイは世界規模へと広がっている。そのため日本国内のパイが減るのは当然であり、日本の音楽は地球規模での競争を強いられている。今や音楽は情報(デジタルデータ)へと形を変え、瞬時に対応できるスピードが求められている。日本の音楽は対応できないのだから、昔ながらのコアなファンに頼るしか無い。それも一つの形なのだから、それを貫き通すのも悪くは無いのかもしれない・・・

日本の音楽とは、厳しい著作権に守られた管理物件であり、ガラスケースの外から眺めるだけの高価な芸術作品となってしまった(笑)高価な芸術作品として莫大な管理費を徴収し続ける事で、日本独自の特殊な音楽文化(JASRAC)を築いていくのだろう

収入と分配を公開しないという時点でブラック確定なのに、>JASRAC のような得体の知れない天下り団体に命運を託しているのだから、どうなろうと知ったことではない。日本の音楽は莫大な著作権料のみで生き残りを図るべきで、音楽が売れる売れないという議論そのものに意味が無い。音楽産業が壊滅しても、著作権産業はびくともしないだろう。CDは売れないのにね著作権料はまったく減っていないという現実が何を意味するのか、よく考えてみるべきだろう。天下り先(JASRAC)が巨額の利益を得られるように、法律を都合の良いように改正してきたのだから、視聴者から見放されない方が可笑しいだろうに

音楽は著作権団体にピンハネされる得体のしれないものであり、もはや消費者にとっては異次元の著作物(笑)ようは音楽とは使えない代物であり、もはや密室でしか楽しめないマニア向けの単なる限定商品(笑)聞き流しするだけのBGMにもならないのだから、音楽を楽しめと言われても、楽しめる道理がない(笑)

ただの管理物件となった音楽に、魅力などある訳ない(笑)日本の音楽は既に利用料という著作権によって成り立っており、映像・音楽を買うという行為自体が破綻してしまっている。勝手に利用できないよう法律で厳しく制限している映像・音楽は、実質レンタルと変わりが無い

自分は眺めているだけで十分なので、貢献できることは何一つ無い(笑)日本の音楽とは衰退しているのではなく、厳しく管理されて末端に利益配分が回っていないだけ。問題はその末端が曲を創るアーティストという笑えない現状にある。アーティスト自身で流通をコントロールできれば、自身の報酬が増える世の中に変化しただけと言えなくも無い(笑)音楽で儲けたいなら、中抜きされないシステムをきちんと整える事が一番。とどのつまり、きちんと自己管理できる者だけが生き残れるという当たり前の結論に行き着く(笑)音楽の販売はアーティスト自身の手で行う時代に変わったというだけなのだろう。インターネットはアーティストの自立を可能にする(笑)しかし音楽をまともに使う事ができない状況は、音楽を庶民からかけ離れた存在に貶めている(笑)

「訴えられる音楽など必要ない」。この現実は覆しようがない(笑)

NHKは「電波が受信できれば金払え」と恐喝する。JASRACは「音楽流すなら金払え」と恐喝する。どっちも政府の天下り団体。両方共「国の管理物件だから厳しく管理する」との認識が共通している。民間ではなく、国の単なるエセ管理団体。所謂、規制で儲ける利権団体。だから国民から敬遠されるのは当たり前(笑)

音楽業界は、今や特権を守護する管理者に姿を変えている。もはやアーティストでも何でも無く、音楽を使うなと脅す単なる利権屋(笑)自ら進んで「NHK」や「JASRAC」と同じ道を歩んでいるのだから、同じものとして扱われるのは当然だ。音楽業界の不幸は、自らの立ち位置を理解していない点にある

「音楽は得体の知れない団体に管理された、まともに使う事もできない、得体の知れないもの」と言う世間の判断は、今後決して変わらない。日本の音楽は、厳重に保護された管理物。死亡というより滅亡です。CDは今や、置き場所に困る邪魔者です

「YouTube」に無い曲は、初めから無かった事にすればいだけだ(笑)管理物件に嫌気がさし、膨大な音楽が溢れる「Youtube」に満足した時、日本の音楽に本当の終焉が訪れる。しかしアニソンだけは廃れない(笑)コアなファンがいるおかげ(笑)

音楽は生活の一部となり、自らの物語の一部として共に過ごす。だから自分の好きなものだけを手元に置く。日本の音楽は、強制的に成熟期へと到達している。今や個人の嗜好のみに左右される、厳しい時代にさらされている。音楽の流行などというものは、今後一切起らない。音楽の流行などあり得ない。現状のクラシック音楽と同じなのだから、何も悲観する必要は無いだろう(笑)

文句があるなら、文部科学省の天下り先である「JASRAC」に言うべき。しかしこの状況を生んだ最大の元凶は文部科学省。文部科学省という社会悪が、日本の音楽を社会から追放した元凶なのだから救いようが無い

日本の学問と文学を発展させるべき文部科学省が、国家の学問と文学を破壊する元凶なのだから、日本という国は本当に病んでいる。社会に音楽が流れないのだから、日本の音楽は滅亡したも同然。しかしインターネットは世界中の音楽を身近にしたため、結果として音楽の裾野は大幅に広がった。社会悪が結果として、音楽の裾野を広げ、個人の嗜好をより高度化させたのだから、皮肉としか言いようがない(笑)

「アニソンは神」と言っても受け入れられる世の中になったのだから、音楽は正常な状態になったと言えるのだろう(笑)

日本の「音楽」は、「著作権」という名前に変わった。「音楽」を聴くではなく、「著作権」を聞くに変わってしまった(笑)「著作権を聞く」。夢も希望もありゃしない(笑)音楽とは只の厄介者(笑)

「さあ皆で著作権を歌いましょう! ではまずお金を徴収します」。音楽が只の利権に変わったのだから、嫌われるのは当たり前(笑)自分の場合は、音楽という概念を捨て去り、単なる「BGM」と化している(笑)「BGM」とは顔の見えない「音」。顔が見えないのだから、心地よいメロディーだけを選別する(笑)海辺のさざ波や、虫の囁く声や、ロックバンドの演奏も、概念的には同じ「音」(笑)「音楽」が心地よい「音」へと進化する(笑)本物の「音」だけが生き残る時代が訪れている

「著作権」という名の音楽から、BGMの「音」へと進化する。「音」に形は無く、ファンもいなければ、応援する人も存在しない。そこには流れる「音」があるだけ

不毛だと感じたら「YouTube」に行く(笑)映像付きの新時代の音楽が、人の心を癒してくれる(笑)眼と耳で聞く新時代の音楽は、音楽の概念を根本から変えていく。音楽は規制により、高度な新時代へと強制的に移行する。音楽は技術で聞く時代へと進化する

「NHK」と「JASRAC」は同じ穴のムジナです。テレビ放送で莫大な利益を上げる特殊(搾取)法人。テレビ放送で国民を支配し、テレビ放送での「音楽」の独占を謀る。「NHK」が音楽を独占し、「JASRAC」が「NHK」から莫大な利益を上げる。完全なるマッチポンプの完成です(笑)テレビ放送を国民に押し付ける放送法は、国家による国民の搾取を可能にする。特殊法人による「音楽」の独占は、国民生活からの音楽の離反を招いている。とりあえずNHKは見ない。NHKの音楽番組など絶対に見ない。というか部屋にテレビが無い(笑)

音楽を使うと「JASRAC」が飛んで来て、「金払え」と恐喝する日本社会。日本の音楽環境は異状です(笑)著作権法は政治家が管理する「法律物件」。「JASRAC」は「自民党」が改悪する著作権法に従って動いているだけ。「国民から搾取する仕組み」を法律で創り上げる、「自民党」という悪徳政治家を討伐しない限り、音楽の正常化は論理的に不可能です

日本の音楽環境の正常化には「自民党」の討伐が必至です…

日本は著作物の侵害に対して、厳しい法的措置を行う路線へと舵を切った。だから、映画や音楽などはストリーミングサービスを利用するしか手段が無い。「Amazon」や「Netflix」などのストリーミングサービスを利用することで、法的侵害を回避できる。時代は物を持たない、ストリーミングの時代へと移行した。日本では「映画」や「音楽」を買う時代は、とうの昔に終っている(笑)

情報化社会は「物を持たない」社会を実現する。日本は国の機関による告発で、「映画」や「音楽」は持つな、評価もしてはならないと規制する(笑)「映画」と「音楽」は、ストリーミングの時代へと移行した。月に千円程度で聞き放題・見放題なのだから、持つ時代は今や完全に終わっている(笑)

無料のストリーミングサービスも沢山あるため、お金をかけない音楽も楽しめる(笑)ながら作業がしたいのなら、インターネットは必須です(笑)
Back Ground Music: 007



テクノロジー
技術の進歩は人の生活を豊かにし、住みよい世界を築く上で重要である。しかし技術の理念にこだわりすぎて、人としての理念が欠けてしまうと、人に害を及ぼすものになってしまう

たまたまボーカロイドの記事を見つけ、音声合成の進歩の速さと、応用範囲の広さに正直驚いた。音声合成のテクノロジーは、人と機械とのコミュニケーションに必須のものであり、コンピューターを身近にするためは絶対に必要な物である

このボーカロイドを使った曲が沢山あるというので色々探して聞いてみたが、正直言って聞くに堪えないひどい物が非常に多い。人が実際に歌わないため、どのような酷い歌詞であっても平気で使う。通常は歌い手と作り手がいる事で、歌の持つ力の均衡が取れているのだが、ボーカロイドの場合は作り手の理念のみが暴走してしまっている

あまりにも酷い歌詞の歌が平然と発売され、曲のメロディーとテンポされよければ売れてしまう。酷い歌詞の裏には、別の意味が込められているなどと訳の分からない主張が正当化されている。聞く者は確実に精神が蝕まれていく事を、発売する側は全く理解していない。言葉とは魂に訴えるものであり、歌の歌詞は心の奥底に刻まれていく。だからこそ人は歌に安らぎを求めようとするのに、ボーカロイドは精神破綻者のような言葉で人を惑わす

ボーカロイドは、人間と機械をつなぐという理想の技術から逸脱した、作り手の単なる自己満足の手段に成り下がっている。テクノロジーの暴走は、自己満足の独善的な判断から始まる(原則論から言えば、利用者がどような使い方をしてもかまわない。しかし人に害を及ぼすような使い方はしてはならない。これは人として守るべき理念であり、原則論を振り回す人間ほど愚かなものはいない)
技術自体は素晴らしいものなのだから、良き使い方がされるよう願っている

追記:友人とどんな曲が精神にいいのか、喧々囂々の討論をした結果、人それぞれに好みがあるのだから、自分の好きな曲が一番だという結論に至りました(笑)音楽とは自由なものであり、聴く人の精神を向上させる、無形の情報にすぎない。だから音楽に形を求めると、魂の牢獄に押し込まれる(笑)音楽に評論など無意味でしかない(笑)
Back Ground Music: 銀の意思 金の翼

この人の弾く曲が素晴らしいのは、曲のイメージをきちんと理解し、曲が使われている世界を表現しているからなのだろう。演奏の上手な人は沢山いるが、ただ単に上手にメロディーをひいているだけでは、人の心を打つことはできない。曲の世界を理解し表現できる人のみが、人の心を打つ演奏ができる。友人はオタクの変態だとさげすんでいたが、オタクの変態だからこそ表現できる世界があるとまじめに言いうと、「このオタクの変態」との名誉のレッテルを貼られてしまった(笑)こんな質の良い音源がころがっているのだから、CDが売れなくなるのも頷ける。最近はまったくCDを買わなくなったが、「KOKIA」のDVDだけは欲望を抑えきれずにポチッと購入してしまった(笑)

Youtube を見れば、魅力的なアイドル達が、所狭しと活躍している。インターネット上では、アイドルには事欠かない(笑)アイドルは活躍の場を変えていかねばならない時代が訪れている … のだろう(笑)ただ言える事は、聞き放題の有料サービスに無いものは、世の中に存在しないものと判断するだけ(笑)世の中はストリーミングの時代へと否応なく移行していく。自分は音楽は「情報」として割り切っている。今や音楽はリストデータと化している(笑)音楽を所有する時代では無くなっている

気分で音楽は変えていく。状況によって「音楽」を変えていく。「音楽」は気分を改善する道具として、便利に活用している(笑)BGMの音楽は、気分転換の補助として使っている。集中すると音楽は聞えなくなる。聞こえなくなったら、集中していると確認できる(笑)音楽は集中を補助する道具にすぎない(笑)人にマルチタスクは不可能です(笑)集中が途切れたら、好きな音楽で癒される(笑)体を動かす時には、リラックスの道具としても活用できる(笑)

音楽の好みや利用方法は、人によってまったく違う(笑)音楽とはこうゆうものだ、との討論自体に意味が無い(笑)音楽とは消費するものだと言われるが、人の気の移り変わりの速さを憂う言葉と言えるだろう。人には人それそれぞれに、基準となる音楽を記憶する。音楽は人によって変わり、人によって忘れ去られ、人によって受け継がれていく。音楽を只の道具とするか、音楽を受け継ぐ文化とするか、それは一人一人が決めていかねばならない

音声入りのプロモーションビデオは、「Promo」として立派に音楽のジャンルを確立している(笑)「今からやるぞ!」との気分高揚には最適のジャンルとなっている(笑)ある意味、比類なき最強の音楽と言えるだろう(笑)人に行動を起こさせる音楽として、これほど強力なものは無い(笑)

人の主張ではない、物語を紡いでいく金言は、安心して使える正論です(笑)政治家やテレビの正論とは段違い(笑)正論が聞きたかったら、プロモを見るべし(笑)



多様化
今年のレコード大賞は「パプリカ」に決まったそうだ。テレビは見ないので、どうでもいいことなのだが(笑)、聞いてみると子供の曲だ。しかもNHKで流されている「NHKの応援ソング」(笑)子供向けの曲がレコード大賞。「米津玄師」ならまだ分かるが、「おかあさんといっしょ」の曲とは…

「NHK万歳!テレビ万歳!オリンピック万歳!」で締めくくりたい、という事なのだろう(笑)幼児化…としか言いようが無い。テレビ至上主義に基づく品評会

人の嗜好の多様化により、レコード大賞の価値そのものが消えている。レコード大賞とは「世間で流行った曲」「世間に認められた曲」を意味する。それが今では「作曲家協会・放送業界・レコード業界に認められた曲」へと変異。音楽の著作権化により、音楽が「著作物」へと変質した影響です

歌が「著作物」へと変わった事で、今や歌は生活空間から消えている。「巷の流行曲」なんてものは、今やまったく存在しない(笑)「流行曲」は放送法と著作権法により駆逐され、今や完全な絶滅種(笑)

音楽が「著作物」へと変質し、テレビ・ラジオ・インターネットでしか使えなくなった。音楽は、今や「使えない」代物です(笑)政府機関による音楽管理、テレビによる情報統制、法律による利権化。それら全ては、情報の制限と国民の奴隷化へと繋がっている(笑)音楽(著作権法)とテレビ(放送法)は、政府の管理物件として、しっかりと繋がっている(笑)利権と化した音楽は、政府直轄のNHKへと回帰する(笑)レコード大賞の言う音楽とは、只の利権の道具にすぎない…

レコード大賞は「著作物」を審査する品評会。巷の認識とまったく異なるのは当たり前(笑)

レコード大賞は、今や自分で決める時代(笑)自分にとって一番の曲が大賞です(笑)今年もいい曲がいっぱいあり、選別するのに困るほどだ。そのほとんどが「アニソン系」か「サントラ系」なのは…。人の趣味・嗜好は人それぞれ。人によって好きな曲はまったく違う(笑)

サントラとはドラマをイメージした「イメージソング」。つまりサントラは、ドラマをイメージするための曲でもある(笑)いいサントラは、人のイメージ力を豊かにする(笑)サントラは膨大なドラマのイメージを回想させ、人のイメージ力を鍛錬する(笑)

回想できたイメージが、自らの血肉となったドラマの全て。自らの学習能力の低さと、全体像をイメージできないイマジネーションの貧困さを嘆くためのものがサントラだ(笑)サントラは、回想というイメージ力を鍛えるための曲なのだ(笑)

巷のアイドル化したミュージシャンのアルバムは、どれも同じ曲に聞こえてくる(笑)印象など残らない、イメージできない空虚な曲。何を言いたいのか分からない…何も回想できない無意味な音(笑)

日本の歌は歌手の話題が第一で、歌そのものには意味が無い(笑)歌手が主体であって、曲そのものに意味は無い(笑)本来歌とは、歌そのものに意味がある。歌い手は上手であれば、基本誰でもかまわない(笑)

歌に意味を持たせるのは、聴いている人自身。歌の意味は一人ひとりまったく違う
Back Ground Music: 夏の庭



音楽プレイヤー
音楽を聴くには、どうすればいいのか? この根本的な問題に、ごく最近になって直面した(笑)日本製の安価な携帯ラジオや小型プレイヤーには、MP3の再生機能がまったく無い(笑)搭載されているのは、全て海外製だ(笑)日本の安価な製品に、小型のMP3プレイヤーは存在しない(笑)

ゲーム機にも「MP3再生機能」が搭載されているのに、日本の安価な携帯ラジオには一切無い(笑)乾電池一本で再生できる携帯ラジオに、「MP3再生機能」を搭載すれば、バカ売れするのは目に見えている。しかし日本は、音楽が完璧に利権化しているため、手軽に再生できる環境が潰されている

日本の音楽が利権によって握りつぶされているのが良く分かる(笑)日本の音楽は、今や巷から完全に消えている(笑)同時に再生プレイヤーも消えている(笑)「日本の音楽は死んでいる」。その現実を、日本の音楽再生プレイヤーが教えてくれる(笑)

ここで音楽を何で聴くか、との命題に直面する(笑)音楽を聴くには、音楽を整理する必要に迫られる。つまり、パソコンでの作業が必至になるということだ(笑)音楽は、パソコンで聴くのが基本になる(笑)

音楽を情報と捉えるなら、まあ当然だろう(笑)音楽にタグを入力したり、音楽を編集するにはパソコンが必要だ。パソコンで編集してから、持ち運びできる再生プレイヤーや再生専用の機器で、音楽をデータとして再生する。音楽は今やデータにすぎない

データを再生できるものなら、基本何でも構わない。音楽はオーディオからデータへと変わったのだから、多種多様な機器で再生できる。万歩計で再生したり、時計で再生したり、小さい携帯プレイヤーで再生できる …できる筈なのに、日本ではオーディオなどという化石と化している(笑)数万円の曲名も表示されない機器で再生など、いったい日本の音楽はどうなっているのか(笑)

日本の文明が後退しているのを肌身に感じる(笑)何しろ、巷の音楽が死んでるからな~。流行りの音楽などまったく聞かない(笑)

情報は言わば体中を巡る血液だ。日本は血流が止まっている(笑)必要な情報が、必要なだけ、瞬時に表示されない。それが日本の現実だ(笑)情報が止まると、音楽も止まってしまう。情報が止まると、活動ができなくなって死亡する。日本の情報は非公開によって止まっている

「NHK・新聞・テレビ」からの離脱は必至だな。世の中の情報を消しまくる元凶だ(笑)

日本の音楽事情が異常なのが良く分かる(笑)流行曲なんてのは、今はまったく存在しない。規制してんだから当たり前

テレビとマスコミは、存在しない流行曲を、さもあるかのように宣伝する。滑稽なおかしなドラマを観ているようだ。宣伝が流行にすり替えられるのが日常だから、切り捨てるしかなのが実情だ(笑)

音楽とは楽しむもの。音楽は黙っていれば、自然と基本へと立ち返る。自分が好きな音楽は何なんだろう。う~ん、難しい問題だ(笑)