生活の覚え書き 7

正 義
「正義とは…なんだ~。勇気とは…なんだ~」。たまに聴く曲の歌詞だが、正に正義の本質を示している。逆転王のアニメの歌だが、著作権侵害でJASRACに訴えられるから、怖くて歌詞を書けない。しかしまさか、正義を書けない時代が訪れようとは思わなかった(笑)

マスコミは正義でなければならない。マスコミは勇気を持って悪と戦わなければならない。しかし、日本に正義のマスコミは存在しない…。正義との言葉は、今やマスコミが最も嫌う忌み言葉(笑)日本のマスコミの正義は、「同情を引く情報」「ゴシップ情報」へと変質している

「NHK・新聞・テレビ」の正義とは、都合の悪いものは残しません(キリッ)。書く(言う)事はあっても、残すことはありませんのでご安心を(笑)マスコミの正義と、国民の正義が相容れる事は決して無い(笑)

日本の既存の報道マフィアは自己の利益のみを優先し、社会の巨悪の隠蔽と、不都合な事実の忘却と末梢を謀る。国民を苦しめる悪法を隠蔽し、社会に新たな悪を生む悪法をも隠蔽する。マスコミが法律の制定・改正等の行政ニュースを一切報道しない現状は、独裁政治を許す危険なもの。国民はいつの間にか次々に公布される悪法に苦しみ続ける。社会の仕組みである法律の制定・改正等を報道しないマスコミに、利用価値などもはや無い

既存のマスコミは「政治家・企業・団体」と癒着し、あらゆる事実を捏造し、偏向し、隠蔽する。権力者が隠したがる情報を隠蔽し、企業が隠したがる情報をも隠蔽する。巨悪な社会悪の追求は適当に止め、どうでも良い悪事は徹底的に追求する。「小悪党」は断罪しても、「巨悪」は生き延び続ける。国民生活が良くなる道理が無い

「政治家・企業・団体」と癒着するマスコミを放置すれば、社会が利権と不正にまみれ、搾取・不正・弾圧に苦しむ生活を強いられる。自らの生活を守るためには、不浄なマスコミを選別し、躊躇無く切り捨てなければならない

正義とは、不正を恐れぬ自身の心の中に宿るもの。勇気とは、不正を見抜き、不正を正す行為にある。悪を断つ正義の剣たる、我が身に宿りし心の剣を鍛えなければならない…

正義は独善ではない。勇気は蛮勇ではない。一筋縄ではいかないから「正義」と呼ばれ、人によって呼び名が変わるから「勇気」と呼ばれる(笑)

マスコミという報道システムに必要なのは正常な新陳代謝であり、不浄なマスコミが消え去る事で、時代に適応したマスコミが台頭する

不浄なマスコミが世の中を闊歩すれば、国民生活が破滅へと追い込まれる。正しい情報が得られない社会は、不正が当たり前の暗黒の世界へと変質する

国民の知る権利を奪うマスコミは利用してはならない。不正を行うマスコミは利用してはならない。社会に悪を野放しにするマスコミは許してはならない

「自分達の生活を脅かすマスコミは許さない」との正義の心が、国民の生活を守り、安心して暮らせる生活環境を構築できる

「NHK・新聞・テレビ」はインターネットを毛嫌いする。理由はインターネットがデータを収集し、分析し、最良の結果を得るための道具だからだ。インターネットには「データ(判断材料)」があるだけ。言い換えると、インターネットにあるのは「データ」だけ。人はインターネットを利用するためには、自分自身でデータの管理を行わなければならない

「NHK・新聞・テレビ」はデータを操作する管理人。インターネットを毛嫌いするのは当たり前。時代はデータの管理を自ら行う、情報社会へと移行した。「NHK・新聞・テレビ」による情報を独占する封建時代は、情報化社会の到来と共に、とっくの昔に終わっている
Back Ground: 刹那の果実

「NHK・新聞・テレビ」が狂っている証拠は、「NHKの契約のホームページ」を見れば一目瞭然(笑)ここに狂いの元凶が凝縮されている。ここを見て、瞬時に「ヤバイ」と感じたら正常です(笑)何も感じなければ、危機管理能力が喪失している(笑)

このホームページは「テレビを設置すれば、NHKの契約は自動的に成立する」。「テレビがあれば、NHKと契約しなければならないと放送法で決められている」「NHKを解約するには、テレビが無い事を証明しなければならない」「NHKは訪問し、テレビがあることを調査する権限がある」。と堂々と主張する

テレビは「NHKの管理物」だということが良く分かる(笑)テレビは国家の所有物。テレビは国家が管理する。つまりテレビは国家が情報操作するための道具にすぎない、ということだ(笑)「解約するならテレビを捨てろ!」。NHKの主張は法的に正しいものだ


国民はテレビとの決別が必至になる

契約しなければ裁判に訴えると、裁判記録を平然と公開しているのだからそら恐ろしい。「知らせない・覚えさせない」との基本理念が邪法たる放送法だから、その狂った本質は邪悪で凶悪…。「テレビを設置したら契約成立」との邪悪な理念を元にする、狡猾で凶悪な利権団体。それがNHKの本性だ

NHKの狂気は「NHKの言葉に疑問を持ってはならない」「国民は鵜呑みし、黙って従わなければならない」との理念にある。NHKのホームページは、国民が疑問を持たず従順に従うことを強要する。そこに「国民」など存在しない…

おかしいポイントは …。数え上げればキリがない(笑)
●解約方法の表示が無い!?(何故か今は載っている。批判が凄くて載せたのか?)
●何故契約を裁判で強制できるのか?
●テレビ放送に国民を裁判に訴えてまで強制する価値があるのか?
●何故国民の家庭を訪問する必要があるのか?
●何故訪問員を外部委託するのか?
●国民を裁判に訴えてまで強制する根拠とは?
●何故契約のページに裁判記録が必要なのか?

NHKの何がおかしいのか?。NHKの提供する情報が、国民に強制するに値するものなのか?。その根拠が一切無い。テレビの言う「言葉」が国民に必須の公共なのか、その根拠が一切無い。ホームページの何処にも掲載などされていない。只契約しろ、契約しなければならないと言っているだけ。NHKを観なければ「公共」が得られないのか、NHKでのみ「公共」が得られるのか、その根拠が何もない。酷い、というか無茶苦茶です

NHKのホームページは狂っている。狂っていることを悟られないよう、その狂気を悟られないよう、その本性を狡猾に隠蔽する。だから、NHKを見て何も感じなければ、その人も感覚も狂っていく。データの無い、判断材料の無い、物事を理解できない日常が、その人の平常と化していく。狂気が日常となり、狂気そのものに飲み込まれ、狂気が当たり前の感覚になっていく。NHKとは、人の「平常感覚」を狂わせる狂気そのもの。ハッキリ言って、まともじゃない

国民は未来永劫、NHKの放送を「自分の公共」として受け入れなければならない。狂気を理解させない放送が、自滅へと人を追い立てる。テレビとの決別は必至です

これらの状況から、全ての元凶は「放送法」だと見えてくる。NHKの狂った主張は、全て放送法が元になっている

放送法 第六十四条「協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」

文面は「テレビがあれば問答無用で契約しろ!」。うん、どこからみても異常であり、国民支配のための邪法です(笑)NHKが異常な法律を規範にする、異常な放送だと言うことがよく分かる。この法律は70年前のスクランブル化による受信料の徴収ができなかった時代の欠陥法(笑)この欠陥法を現代に適用するなど、日本の法律家・専門家は馬鹿ぞろいなのか、と目を疑うような代物だ(笑)このような愚劣な主張を平然とするのだから、如何にNHKがおかしい放送なのかが良く分かる。公共を真摯に欲する国民からすれば、袋叩きにして唾棄すべき戯れ事だ(笑)

こんなアホな法律でNHKを強制するなど、国民が怒るのは当たり前(笑)だが国会でNHKを認証しているから、実質国家管理の国策放送。放送法は契約を強制するだけでなく、NHKを国家管理の放送だと認めるための法律ともなっている。結局、国会で放送法を改正し、正常な契約に修正するしか手段が無い

情報の公開によって政府・政治家の悪事が露見するのを恐れて、テレビでの公共情報の抹殺を謀る愚劣で卑劣な「政府・自民党」

結論、「自民党」を叩き潰し、放送法を正常化するしか手段がない…。人はまず「己の身の安全を図る」との良き見本。それが国民の権利を抑圧し弾圧する放送法というのだから、開いた口が塞がらない…


政治家のほとんどが、NHKを国会で承認しているというのだから、日本という国は本当に病んでいる(笑)NHKは国民を守るための放送では無く、政治家を守るための放送です。政治家がNHKを承認するのは当たり前(笑)今の国会議員が、国民の事など何も考えていない事がよく分かる。人はまず自分を優先するものだと理解すべき。ここまで酷くなったのは、まともな政治家を選んでこなかった国民の責任です。権力に群がる虫は、次々に湧いてくる。国民はせっせと叩き潰していくしかしょうがない

選挙とは、権力に群がる「害虫」を駆除するための手段です

放送法に準じたNHKの意図は …
「解約方法など絶対に教えない!(都合の悪いものは絶対に教えない!)
「契約しなければ裁判に訴える!
(国民はマスコミの奴隷だ!)
「受信料はNHKの特権だ!
(マスコミの判断が正論だ!)

放送法は国民を奴隷と化す、紛れも無い邪法です

「国民は黙って従え!」「放送法は紛れもない邪法、でもそれが何だ!邪法でも法律だから従うのは国民の義務。問題なんて何もない!」。NHKは放送法という邪法に準じた、国民の情報を制限し奴隷化を謀る、紛れもない奴隷放送


正に独裁者の言い分そのもので、どす黒い欲望の塊だ。偽善者を装い、薄汚い本質を隠蔽し、国民に服従を迫る。政府・政治家に都合のいいだけの情報を押し付け、国民を誤った道に誘導する。日本の情報の狂いは、情報に対する傲慢な特権意識にある。「政府・政治家・利権団体・マスコミ」の利益を優先し、国民に狂った情報を押しつける。問答無用で切り捨てなければ、自らの生活が破綻する

「真の悪党とは、人を平然と欺く者」。NHKの実態は、放送法を牛耳る「自民党」と「総務省」。国民の奴隷化を謀る「自民党」と、政府の腐敗を隠蔽する「総務省」。真の悪党は表に出ずに人を欺く

マスコミと政治家が癒着し、腐敗政治家の汚職や、腐敗した行政の情報が一切国民に知らされない。日本が没落した原因は「国民が知るべき情報」が隠蔽され、社会システムが正常に機能していないからだ。社会の不正や問題は、その全てをさらけ出し、改善させるまで徹底的に追求しなければ解決できない

「狂ったマスコミを利用すれば身を滅ぼす」。正しい情報が出てこない社会は、自らの生活を破壊する。社会システムが正常に機能するためには、正常な情報が必須であり、狂った情報源は問答無用で切り捨てなければならない

国民が「社会システムの異常」に気づき、狂ったマスコミを社会から排除すれば、社会システムは正常に機能する。切り捨てるとは「信用しない・盲信しない」という意味であり、国民を欺く詐欺師として正しく認識すべき

社会の実態を隠蔽する者は、マスコミではない。卑劣な情報操作を行う「社会的犯罪者」

信用ならない情報は、判断材料の最下位に置くべき代物です(笑)とりあえず脇に置いといて、真偽はインターネットで検証する。最下位の信頼できないものと認識すれば、自然と利用しなくなる(笑)

インターネットとは、あらゆる情報が蓄積された情報の集積場。自らも情報を発信し、社会システムが正常に機能するために努力する必要がある。情報に対する認識を高め、正しい情報が得られる場所へと変えていく努力が必要だ

有用な情報は、自らの手で探し出す時代に変化している。膨大な情報が集積されたインターネットは、判断材料の宝庫であり、誰もが自由に学べる場所でもある。インターネットを積極的に活用するよう、生活スタイルを変える必要がある

「情報は自らの手で探し出す」。それを可能にするのがインターネット。社会の公共インフラとして、利用・活用・整備が必要だ

社会とは「人の欲望」という砂の上に成り立っている。政治・経済・科学・文化。その全てが人の欲望により書き換えられていく。人類は人の欲望により、発展し、腐敗し、衰退し、破滅し、正しいものへと進化していく。人の誤った欲望を野放しにするマスコミは、社会を衰退させ、国民生活を貶める。「人の真実」を正しく伝えるマスコミを育てていかなければならない

人は欲望の塊なので、社会は常に腐敗と不正が蠢く。マスコミが正常に機能していれば、腐敗と不正の情報が氾濫する(笑)社会の腐敗と不正が表面に現れなければ、正常な社会とは言えない(笑)

通常の悪党は人目につかないところで悪事を働くため、悪党に対しての免疫にはならない。しかし日本の場合は、マスコミに擬態した利権団体という人を平然と騙す悪党共が、堂々と人前に立って醜態を晒している。悪党の悪事に対する免疫をつけるには非常に良い手本となっている(笑)人を堂々と貶める悪党は、悪に対する免疫にもなる(笑)

世の中は善と悪とが跳梁する場所なので、明確に「悪」と断定できるものは今や貴重な存在だ(笑)人を狡猾に欺く「NHK・新聞・テレビ」を「悪」と認識できれば、大概の悪党は判別できる(笑)詐欺師は言葉巧みに人を騙す。その詐欺師の見本とも言えるマスコミが堂々と闊歩する日本は、詐欺師に対する免疫をつけるには最良の環境なのかもしれない(笑)

「NHK・新聞・テレビ」が主張を主体にした、魑魅魍魎の類いだと認識できるよう精進すべき(笑)あらゆる出来事が、狡猾なマスコミの主張に置き換えられ、世の中の実態が歪んでいく

主張はするものであって、聞くものでは無い(笑)人は行動規範となる理念でしか計れない。しかし、理念は行動でしか計れない。だから主張で人は計れない(笑)

ブログで主張を書きなぐれば、主張という「不確かなもの」の実態が見えてくる。情報とは単独では存在できない、膨大な関連情報の集合体。情報は決して単独では判断できない。情報は検証・実証なしでは使えない代物です。物事は流動し、適切な対応は状況によって目まぐるしく変化する。人は主張に捕らわれると、自分自身を見失う(笑)人の主張ほど当てにならないものは無い。データで物事を見る習慣により、主張からの離脱ができる

人の根幹をなすものは、理念という信念のみ。信念に基づいた行動にはブレが無い。人の本性は行動に現れる。人は行動でしか測れない代物です。まやかし(あやかし)の世界に足を踏み込むなかれ

古えのマスコミと呼ぶべき「NHK・新聞・テレビ」。もはや存在しないものとして、忘却の彼方へと追いやるべき。危機管理のできないものは、時代遅れのガラクタ。時代は隠蔽を許さない、情報化社会へと進化している

社会の不正や欠陥を放置する者など、もはや時代がその存在を許さない。不要なものは、その存在自体を忘れ去るだけ

不浄なマスコミは「社会を破壊する者」だという事を理解すべき



行動原理
行動を起こす場合、事前に対象がどのようなものかを知っておく必要がある。自分の行為がどのような結果をもたらすかを事前に予測できれば、最適な行動ができる

「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」。だから情報を隠蔽されたら負けるしかない

情報の隠蔽は人の行動を誤らせる最大の要因であり、そのようなものは決して許してはならない

詐欺師のマスコミは「報道は全てを伝える事ではない」という論理を基本にする

これは「お前らは余計な事を知らなくても良い」という悪魔の論理。報道という立派な名前で情報を流しているが、実際はマスコミに都合の良い情報を流しているだけ。もはやそこにはマスコミが創造したマヤカシの世界しか映らない。影で情報の隠蔽によって人を蝕む悪を生みだし、社会に悪を野放しにする

情報を選べない国民は、野放しにされた悪にもがき苦しむはめになる。社会を動かす「公共情報・危機管理の情報」を隠蔽された国民は、狂った社会でまともな生活が送れなくなる

「NHK・新聞・テレビ」は正に、「お前らは余計なことを知らなくて良い」との邪悪な論理を行動原理にしているため、まったく役に立たない。役に立つ情報とは「人を生かす」ためのものであり、事実を隠蔽して「人を死なす」ものではない

人の生活を脅かす危機管理の情報を隠蔽すれば、いくら他の情報があったとしても意味が無い。「極道も善行を行えば許される」との悪魔の論理

悪のマスコミは悪の論理で動く。同時にその報道は、悪の論理に基づいたものに変質する。悪の論理からは、狂った主張が吐き出される。狂った主張に呑まれる事を恐れるべき

マスコミは自らの悪行が露見すると、必ず「マスコミが無くなっても良いのか」という脅しをかける。しかし今の時代、情報の選択肢はいくらでもある。悪のマスコミは自らの生活を脅かす者であり、国民にとっては潰すべき悪党にすぎない。このような悪の論理を許すから、マスコミがつけあがって堂々と不正を行うようになる

悪のマスコミを社会から排除してこそ、社会の安定が保たれる。悪のマスコミは人を不幸に貶め、人の生活を脅かす狡猾な詐欺師。叩き潰さなければ、社会に不正が蔓延してしまう。時代劇で言うなら、「世間に仇なす悪は切り捨てる! 成敗!」と討ち果たす事で世の中が平和になる。マスコミは例外だと悪行三昧を重ねてきたつけは、必ず払わせなければならない

長年日本は、「マスコミは[表現の自由]と[報道の自由]を守る正義」だとマスコミに洗脳され続けてきた。しかしインターネットの出現により、マスコミの実態が徐々に明かになってきた。「マスコミは[表現の自由]と[報道の自由]を歪める悪党」であり、報道を歪め、国民を弄ぶ詐欺師。マスコミによって掛けられた、悪しき魂の呪縛から目覚める時が来ている

守るべきは正義であって、マスコミではない。世間に仇なすマスコミは、正義のために切り捨てなければならない

マスコミに対する社会的制裁は、国民が利用しないと決断するだけ。だから非常に平和裏に解決できる。「ペンは剣よりも強し」とのマスコミの精神に則って断罪してあげるのが国民の務め

情報化社会では、マスコミが社会を監視するだけでなく、国民自身がマスコミを監視しなければならない

今や不浄なマスコミを選別し、利用しないと決断する時代に入っている。情報の細分化がより進み、より詳細で、より正確で、より生活を豊かにし、より生活を向上させ、悪を指摘して悪の排除を目的にする、よりきめ細かな有益な情報が求められている

「NHK・新聞・テレビ」という情報を独占する報道マフィアの利用を止め、多数の情報を比較・検討のできる新世代のインターネットメディアに移行する時期が到来している

マスコミの欠点は、国民の民意が反映されない点と、報道された事実と事後の確認ができない点にある。それを補うのが個人のブログになる。情報源としての相互の欠点を互いに補うのが、マスコミとブログの正しい関係になる。情報は人が埋めるものであり、今や個人のブログも社会の一翼を担う時代になっている。どちらも欠点を抱えているため、相互に補い合うのが正しい関係

しかし「NHK・新聞・テレビ」はインターネットの悪い面ばかりを指摘して、インターネットの果たす役割を妨害してきた。妨害しておきながら、インターネットに進出するのだから、開いた口が塞がらない

「NHK」はインターネットができる環境なら、受信料を払えとの暴言を吐いている。マスコミという名の歯止めのきかない妖怪は、叩き潰さない限り際限なく増長していく。潰せるのは唯一、利用する国民のみ

世の中の情報量を誤認すると、マスコミに擬態した利権団体に騙される(笑)少ない情報量が当たり前だと洗脳を謀るのが利権団体の役割だ(笑)物事を正しく判断するには、膨大な情報が必要になる。少ない情報で判断を迫る「NHK・新聞・テレビ」の行為は、国民を馬鹿にする卑劣な行為。情報操作とは、人を貶める最も卑劣な行為

「NHK・新聞・テレビ」は、情報操作がお仕事です
Back Ground: Blade Runner



人の過ち
人は過ちを犯す生き物。過ちを繰り返さないよう、再発防止の策を講じて努力するしかない。しかしいくら努力をしても、気が緩めば又同じ過ちを繰り返す。人はいつまでも学び、努力をしなければならない生き物らしい…

人は過ちを繰り返さないために、過去から学べと歴史を勉強し、人の生き様を習っていく。しかし、学んでも学んでも、同じ過ちを繰り返す。それは何故か?

「人は基本的に自由な生き物」だからなのだろう。人は理性を持った動物と言われるが、その理性はあくまで自分に都合の良いものであり、人全てに都合の良いものでは決してない。だからこそ全ての人を導く理性として、法律や宗教が必要になる。この法律と宗教が狂えば、依存する人も狂う。人の支えになるものは誤ってはならない

人は自分に都合の良い理性に従って生きているのだから、「やりたい放題」になるのは当然だろう。そこに理念(信念)という楔を打ち込む事で、人の生き方が変わってくる

人は過ちを犯すものだと理解した上で、過ちを繰り返さない理念を自身で培っていかなければならない。どれだけの楔を打ち込むかで、過ちの回数が大きく変わってくる。「生きる」という事は、「学び続ける」と同じ意味になる。人は学び続けなければならない

人の本能で最も強いのは、「守る」という意識。人は自らの守るものに対しては、本能的に強力な意思が働く。この本能が正しく働けば、人の強力な理念として働く。自分のみに働けば、「自己保身の悪魔」になり、他人に働けば「人の為に尽くす」という強力な理念が働く。人は「守るべきもの」を見いだし、「守りし者」として悪と戦わなければならない
Back Ground: Source Code

マスコミがある記事で、「システムの間違いと断定するのは軽率で、最終的に個人の自覚でしか解決できない」と言っていた。いかにも情緒的で、感情に訴える事で誤魔化そうとするマスコミらしい思考だな~と思った。日本のマスコミの思考に、合理的という言葉はないのだろう

システムとは、物事の流れを決める最も重要なもので、これが狂うと全てのものが狂ってしまう。一つの歯車が狂っただけで、全体の機能が麻痺してしまう。システムを馬鹿にするマスコミに、ものを語る資格など無い

そもそもシステムとは、人という不安定要因の欠点を正すために作られるもの。自覚という不確かなものに全てを託せば、崩壊するに決まっている。問題があれば、システムの再構築と人員の再教育が必要になるのは今や常識。それをやろうとしないから問題になる。やらせたくないのがバレバレな記事(笑)

間違いがあれば、まず最初にシステム全体をチェックするのが最初のステップになる。マスコミは不正が当たり前なので、最初のステップなど必要としないのだろう。記事の検証もろくにしないのだから当たり前か(笑)

マスコミの記事は、人の過ちを自らの行動で指摘してくれるので非常に助かる(笑)物事の隠蔽を仕事としているだけに、突っ込み所が満載。最終的にどこに結論を持って行きたいのかを確認すれば、記事の嘘が見抜ける

最初にまともな事を言っておいて、最後の最後に「このようにすれば良いのでは」という誘導的な結論を用意する。その結論がとんでもない食わせ物なのだから、記事全体の信頼性が一挙に崩壊する(笑)

エセマスコミの仕事とは、「相手をいかに誘導し、いかに騙すか」との情報操作にある。重要な問題から注意をそらし、別の事実で煙に巻く。決して嘘を言わない事がポイント。都合のいい事実のみをならべて相手を騙す。隠蔽は嘘にならない。知らなかったとしらを切るだけ(笑)

マスコミという詐欺師から騙しのテクニックをよく学び、いざという時の言い訳に備えるべき(笑)

マスコミの主張の特徴は、主張の目線が国民ではなく、あくまでもマスコミの目線でしかない事。いかにも国民の側にいるように見せかけてはいるが、実際はマスコミに都合のよい目線でしかない。マスコミの主張は国民には何の利益ももたらさないだけでなく、マスコミの目線の人に利益をもたらすだけ。主張の目線は、あくまで主張する個人の主観でしかないという現実を直視すべき

マスコミの主張は、利益誘導のための詭弁にすぎない。只の「ペテン師、詐欺師、いかさま師」。真実とは一つ一つの経緯という事実の積み重ね。経緯という事実を省いた主張は、ただの創作

主張をからめた記事は、最初からきなくさいものだと直感すべき。主張を正当化するために、往々にして都合の悪い事実を隠蔽するからだ。マスコミの主張とは「俺はこう思うから、お前らもそう思え」という、人を操るための方便にすぎない

マスコミの記事は、事実と経緯のみに注意を払うべきで、主張はただの参考ぐらいに思っておくべき。人の主張は当てにならない。それは自分の主張を引き合いに出して批判してみればすぐに分かる(笑)

「誤魔化す、何とかして都合のいい結論に導く、これぐらいで許して、これぐらいはいいだろう、これは不都合だから黙っておこう、ミスなんて誰でもするだろ、小遣い上げればやる(金を貰えば書く)」等々(笑)人への批判は、必ず自らに跳ね返ってくる(笑)

最近のマスコミの主張を読んでいると、「このようにしろ!」とあからさまに訴えているものがほんどだ。主張ではなく押し売りに近い(笑)マスコミ本来の仕事とも言える、人を操って行動させるための記事なのだろうが、もう少しましな騙し方があるだろうに(笑)

マスコミの主張とは推理小説のようなもので、必ず隠蔽したい裏の真実が潜んでいる。マスコミの主張を読む場合、何を隠蔽し、読者に何をさせたいのかを推理しなければならない。推理小説を読みたくなったら、マスコミの主張を読むといい(笑)

「主張という騙し文」に秘められた裏の真実を暴き出すという推理を楽しめる。主張の背景を詳しく掘り下げる事で、伝えられていない事実と、隠蔽したい不都合な真実が見えてくる
Back Ground: R.I.P.D



世 論
世論とは世の中の一般的な意識を言う。マスコミはこの世論を、マスコミの都合のいいように創ってきた。世論の捏造により、マスコミが創り上げた愚劣な主張が、国民の民意であるかのような悪しき洗脳を行い続けてきた。しかし情報化社会の現代では、インターネットでの個人の発言が世論を反映する時代になっている

世論はマスコミが創るものではなく、今や個人が主張する時代に変わっている。個人がインターネットに正当な意見を掲載する事で、世の中の不正の告発や、意識の啓発が行える

検索エンジンで検索した時、表示されたページの内容が、全体的な世論を構成していると判断できる。「新聞 不要」、「新聞 いらない」、「新聞 押し紙」、「テレビ 不正」、「テレビ いらない」、「NHK 不正」、「NHK いらない」、「NHK 受信料 訪問」、「NHK 放送法 改正」、「NHK スクランブル化」、等のキーワードで検索して表示されたページが、マスコミに対する世論を反映する時代になっている(笑)

マスコミが世論を捏造してきた意趣返しとして、国民自身が世論をきちんと作る必要がある。マスコミに検索エンジンの操作はできない(笑)例えできたとしても、幾らでも逃げ道がある。それがインターネットの良い所(笑)

マスコミの仕事は「真実の隠蔽」だが、検索エンジンの仕事は「真実の暴露」

隠し事ができないのが、インターネットという世界。良きも悪きも、あるゆるものを表示するのがインターネット。インターネットはしっかりとした自己管理が必須であり、情報は自らの責任で判断すべきものになる

マスコミはこの点を指摘して、情報はしっかりと管理されたものを利用すべきと批判する。しかし管理された情報とは、真実とは異なる創られた紛い物。管理とは事実と異なる絵空事にすぎず、洗脳情報を延々と見せられる牢獄と変わりない。マスコミに管理された牢獄の中で、まともな生活などおくれるはずも無いだろう。真実とは時に残酷であり、目を背ける惨状でもある。選択の判断基準は、自分自身で身につけなければならない。インターネットとは、全ての行為が自己責任として問われる、非常に厳しい世界になる

今やマスコミの報道する内容と、検索エンジンで検索した内容とが、大幅に食い違っている事実が明白になっている。マスコミが報道を醜く歪めている現実が、今や検索エンジンによって暴かれる

マスコミが正義なんかじゃない事を、インターネットが証明する

マスコミの報道内容と、検索エンジンで調べた事実が余りにも食い違っているため、マスコミは「狡猾な詐欺師」だと断定できる。おまけにマスコミが行ってきた不正の記録を辿っていけば、「まごう事なき悪党」だと断定できる。真実とは過去の経緯の記録であり、それはインターネットで瞬時に分かる。マスコミの不正の数々は、今や白日の下にさらされている

マスコミの不正が野放しになっているのは、「表現の自由」と「報道の自由」に守られているおかげ(笑)この二つはマスコミにとって正義の御旗であると同時に、マスコミ自身を守ってくれる大事なお守りになっている(笑)そして政治家への政治献金と、放送法の都合のいい改正。政治家とマスコミの癒着は今や明白な事実であり、不正を働く政治家は決して許してはならない。ろくでもない政治家の記録を抹消するのが、日本のマスコミの役割です(笑)

「表現の自由」と「報道の自由」はマスコミだけではなく、国民自身をも守ってくれる大事なもの。なので不浄なマスコミは、国民自身で切り捨てるしかない。不浄なマスコミを洗い出し、世論によって社会から排除するしかない。詐欺師を社会に野放しにしては、世の中の正義が失墜する

マスコミの言う大義により、不浄なマスコミは世論によって排除しなければならない。世論はインターネットという有効な手段を使って、自らの手で築き上げなければならない。ネットは誰でも書き込めるが、それは社会に向けて公開する「公開情報」であって、その発言に対して責任を持たなければならない

今やインターネットでの発言は、侮辱罪で裁判の証拠として提出できる、そら恐ろしい時代に突入している(笑)気軽にコメントを書くのは止めましょう(笑)
Back Ground: The Dark Knight Rises

検索エンジンはキーワードで検索する。「NHKと新聞」が不要だと主張する場合、ブログのページのタイトルをキーワードに設定する。ページのタイトルを「新聞は不要」、「NHKは不要」、「新聞の解約」、「NHKの解約」と、明確かつ単純なタイトルを付ける。タイトルに続く文章にも、「今の時代、新聞は不要だ」と、キーワードをしっかり入れる

重要なのは「自分の言葉で書く」事であり、引用やコピーは一切してはならない。必要なら引用ではなく、自分の言葉に変えて言い換える(笑)

新聞が不要だと主張する場合、何故新聞が不要なのか。どのように解約したのか。新聞の代替はどうするのか。新聞を止めてどう変わったのか。等々の関連する事柄を想像し、自分なりの結論を導き出す。主張は全てを語ってこそ意味がある。例え結論が同じでも、導びいた経緯は人によって変わってくる。自分らしさを出す事が、主張の正しさを証明する事にもなる

補足:
今や新聞が不要なのはまぎれもない事実。それは新聞がインターネットに居場所を求めている事でも分かる。インターネットは全てのマスコミが集まる情報の集積場とも言える場所。もはや新聞はネットの間借り人だ(笑)

マスコミが不要なのではなく、インターネットがマスコミを飲み込み、今やインターネットがマスコミの役割を果す時代になっている。インターネットはあらゆるものを飲み込み、全ての人が利用できるようにしてしまう

新聞が不要なのではなく、「インターネットが新聞の役割を果たす」というのが真実。ものは言いようで変わるもので、時に真実をも曇らせる。マスコミは「ネットに全てを頼って良いのか」と不安を煽ってインターネットを貶める。現実は「インターネットがあれば、もはや新聞は不要」というマスコミに都合の悪いものになっている(笑)

マスコミ(NHK・新聞・テレビ)が言葉巧みに人を騙す詐欺師だという事を忘れてはならない。不浄なマスコミは人の判断を狂わせると同時に、人をマスコミの操り人形へと変質させる

情報化社会とは、インターネットを道具として活用する時代になる。ネットは「情報量・速報性・信頼性」ともに新聞を上回っているため、「紙の新聞は、もはや不要な時代」という時代の趨勢は覆しようも無い

まあこの覚え書きのように、適当に書いていては検索エンジンは拾ってはくれない(笑)内容のしっかりした文章を書き、自分の主張をしっかりと表現するための推敲が必須になる。何度も何度も読み返し、他の人の主張と比べる作業も必要だ。ブログは、自分の主張の誤りを正すという意味もある。ブログとは自身を写す鏡であり、自身の過ちを正すための道具でもある。批判されるのは当然だと、たかをくくって書く度胸も必要だ(笑)

人は聖人ではないのだから、間違いを犯したなら書き直せばいい。書き直す事で、自分の誤りを正していける(笑)ブログとは人を成長させる道具と思うべし

文章を書くプロの場合は、そうは問屋が卸さないから、適当に書いてると炎上するはめになる(笑)ド素人の文章にはそのような縛りは無い(笑)世論を担う一般の意見として、気軽書いていけばいい(笑)人は自分の意見と同じものをインターネットで探すため、同じ意見があると安心する(笑)

「こうゆう自分がここに居る」と主張する事で、同じ主張の人が自然と集まり、それが当たり前だと広まっていく。そうやって一般の世論として認められていく。世論とは主張する事から始まる。まあ、まともであることが前提になるが…

インターネットを自身を鍛え上げる修行の場に変えると、自然とインターネットの本質が見えてくる。インターネットでとことん調べ、自分の主張をとことん書き殴る。誰もが主張できるのがインターネットと言う世界。そして光と闇が共存する混沌の世界。正しい使い方を自らで習得すべし

ブログの内容は、自分の好きなものを書けば良い。習い事・趣味・写真・旅・主張・仕事・覚え書き・自身の問題の解決方法、等々を自分の記録として残す事に意味がある。人の記録は残す事に意味があり、必要なものであれば、訪れる人が有効に利用してくれる。訪れて欲しい場合には、検索エンジンに登録し、自分の励みにするのもいいだろう

インターネットの闇の世界は、プロでも騙される人外魔境。それが共存する世界なのだから、十分な注意が必須になる。闇の世界に飲み込まれ、社会の倫理から外れた闇の存在にならないよう、正しい使い方をしっかりと学ばなければならない

注意すべき点は、インターネットはあらゆる情報を共有するため、個人情報の管理が非常に重要になる。自分と他人の個人情報は決して公開しないという基本理念をしっかりと持つべき

インターネットは検索して情報を得る場所になる。ひたらすら検索していけば、さまざまな使い方が分かってくる。まず最初に検索エンジンの使い方を覚えるべし。そしてセキュリティソフトにより、ウイルスに感染しない環境をしっかりと整える。しかしセキュリティソフトも万全ではないため、危険なサイトには近寄らない用心深さも必要だ
Back Ground Music: 熱情のスペクトラム



詭 弁
道理に合わない事を強引に正当化する行為を詭弁と呼ぶ。この詭弁がどのような結果をもたらすかを、人は恐れなければならない。この詭弁が公に用いられ、それが当たり前になってしまう社会を恐れなければならない

NHKは放送法を盾に、受信料は必ず払わなければならないと、強引に契約を結ばせる。実際はNHKの詭弁であり、放送法には強制力はないため、契約の強制はできない。又NHKは公共の役に立つと称して、受信料を流用して外郭団体を作って商売を行う。この詭弁が成り立つなら、いくらでも商売の拡大ができる。NHKの高額な受信料には、受信契約の委託業務費と、外郭団体の運営費も含まれる。本来公共放送にはニュース(国政情報含む)と天気予報しか必要性がないのだから、今やNHKは無用の長物

新聞は発行部数を実際より水増しして、広告料金を騙し取る。水増しした新聞は、販売店に押し紙として損害と共に押しつける。新聞社は水増しした分の広告料金と新聞代金を騙し取る。新聞社という元請けの地位を利用した詐欺を、販売店にも利益があるとの詭弁で行っている。今や新聞は政治や企業と癒着し、情報の捏造・偏向・隠蔽を仕事にしている。新聞社の腐った主張を宣伝するだけの、単なる宣伝誌に成り下がっている

テレビ局は自らの利益のために、放送の捏造・偏向・隠蔽を仕事にしている。放送は「表現の自由と報道の自由」に守られているとの詭弁で、放送の捏造・事実の偏向・真実の隠蔽を堂々と行っている。テレビの内容は、そのほんどが台本のある捏造にすぎない。ただのまやかしを現実と錯覚させる、悪しき洗脳の道具にすぎない

「NHK・新聞・テレビ」という報道マフィアは、私利私欲にまみれた己の欲が出発点になっている。よってそこから発せられる情報は、人の判断を曇らせ、人の生活を曇らせ、人の行く末を曇らせる

人は詭弁を弄して信念の狂ったマスコミを恐れなければならない。そしてそこから吐き出される主張を恐れなければならない。狂った信念からは、狂った主張が吐き出される

マスコミの情報を利用する場合、マスコミの性格を良く理解した上で判断すべき。政治家が狂っていれば、狂った政治を行う。経営のトップが狂っていれば、狂った経営で会社は潰れる。情報の発信元が狂っていれば、その情報も狂うのは当然だろう

「NHK・新聞・テレビ」は、全ての社会情報を扱う総合情報メディアになる。つまり必然的にマスコミに都合の良い情報を集めただけのものになる。自らの利益を優先すれば、必然的に情報の捏造・偏向・隠蔽に繋がっていく

「NHK・新聞・テレビ」とひとくくりにする訳は、この3つがまったく同種類の総合情報メディアになるためだ。そしてこの3つが、記者クラブという組織で繋がった談合メディアであると同時に、その内容がほとんど変わらないものだからだ。それぞれ独自色を持っているため、多少の違いはあるが、どれも内容的にはほとんど変わりが無い。理由はそれぞれがきちんと棲み分けをしてして、情報の捏造・偏向・隠蔽をそれぞれが共有しているからだ

その点インターネットメディアでは、専門の社会情報を詳細に報道する。その発信元も多種多様なため、恣意的な選別は自らの首を絞める事にもなる。インターネットでは、ひとたび信頼性が無いと判断されたら、誰もが利用を止めてしまう。「信頼・正確・有能・有益」が求められる、非常に厳しい場所になる

報道を考える場合、「NHK・新聞・テレビ」という報道マフィアの異常な行動をいくら批判しても、何の解決にもならない。視点を変えて、彼らの行動原理をひもといてみる

彼らは自らの利益を最優先に行動しているだけにすぎない。自らが生き延びるために、生存本能の赴くままに行動しているだけだ。それが結果として国民に甚大な被害を与えている。彼らにとっては、ごく当たり前の正常な行動だと認識する事で、正しい報道のあり方が見えてくる

報道は国民の利益と幸福を最優先にしなければならない。そして国民は、国民の利益と幸福を支えるマスコミを支援する必要がある。逆に自らの利益を優先して国民を裏切るマスコミは、躊躇無く切り捨てなければならない

社会の情報の主体は国民であり、報道は国民主体の情報でなければならない。マスコミ主体の情報など、国民に害なす情報でしかない

社会を監視する役割を持つマスコミは、国民が支える必要がある。国民のためになるインターネットメディアは、財務基盤を支えるために応援の必要がある。逆に国民を裏切る既存のマスコミは、躊躇なく切り捨てなければならない。支える相手を見間違えない慧眼が必要になる

「NHK・新聞・テレビ」という恣意的な情報の選別を行うマスコミの役割は、既に終わりを迎えている。このようなものを利用すれば、利用者自身の首を絞める事にもなる。今では注目を集めるための情報集めに奔走し、肝心の役に立つ情報が欠落するという、本末転倒の事態に陥っている

国民が求める情報とは、生活に役立つ情報であり、社会の進む道をしっかりと指し示してくれる情報になる。又社会の悪を糾弾し、社会から悪をなくすための情報でもある

「NHK・新聞・テレビ」という、今や社会悪(政治家・企業・団体・個人)とお友達関係にあるマスコミなど利用できるはずも無い・・・
Back Ground Music: The Xx



矛 盾
だからやるべき。だからしなければならない。だからやる。自分の主張をとおすためには、何をしてもかまわない。相手を攻撃することが、まるで正義のように語られる。自分の行為が如何に愚かなことなのか、まったく分かっていない

最近はすぐに激高する人が非常に増えた。嘘を平気で流すマスコミ、自分勝手な主張を押しつけ視聴者を騙すテレビ、嘘をついて国民を平気で騙す国会議員、放射能の汚染が進んでいるのに何も発表しない政府。このような環境では、まともな生活など送れる筈も無いだろう

ストレス発散の場が無くなり、嘘を平気で垂れ流すマスコミやテレビに感化され、自分がヒーローとして人を裁けると本気で信じ込み行動を起こす。根拠となる情報の正しさなどまったく眼中に無く、無責任な情報に踊らされる

他人の発信した情報などただの伝聞でしかなく、記事を流した人間の思惑でしかない。情報に踊らされる事が、如何に愚かな事なのかを理解すべき。情報操作の元凶はテレビやマスコミであり、これらの情報を一度断ち切ってみれば、いかに平穏に生活できるかが体験できる

人は一度に膨大な数の情報を処理できない。テレビやマスコミは、次から次に信用できない情報を垂れ流し、考える暇など与えずに、マスコミに都合の良い情報のみが正しいと洗脳しようとする。マスコミやテレビの情報を断ち切る事で、初めて自分自身で考える事ができるようになる

情報は全てが揃ってこそ意味がある。断片的な情報は、まったく意味をなさない。矛盾を抱えたものは何であれ、いずれ破綻をきたす。気になる情報があったなら、インターネットでとことん情報を集める事で、情報の繋がりが見えてくる。情報は必ず比較・検討が必須であり、一つの情報に頼る事の危険性を認識しなければならない

「NHK・新聞・テレビ」は、「ジャーナリズムの三大悪」として君臨している。「やりたい放題」が基本であり、自分の主張で社会を動かせると信じて疑わない偏執狂

その実態は「得られた情報を、自らの主観で判断して載せる」だけの食わせ物。それが「嘘などついていない」と主張する大手ジャーナリストの真の姿。もはや転載記者(コピペ記者)と名乗るべきで、小学生の壁新聞の方がよっぽどましだ。「主観」と「事実」を混同すれば、不都合な事実を隠蔽する偏向へと繋がっていく。それが当たり前なのだから、ただの詐欺師

世の中の「矛盾や悪」を正すには、「矛盾や悪」に徹底的に光りを当て続け、存在できなくなるまで戦い続けるしかない。「NHK・新聞・テレビ」は社会の悪と繋がっているため、全てなあなあですましてしまう。一度の報道で済ますマスコミには、腹が立つどころか、ただの無力感しか得られない

報道とは報道後の変化こそが重要であり、流して終わりの無責任なマスコミなど、利用する価値はない。「矛盾や悪」を放置するマスコミは、躊躇なく切り捨てるべき。そうでなければ同じ事の繰り返しで、決して何も変わらない


情報を商売にするマスコミが最も恐れるのは「忘れ去られる事」。だから生活する上で不要な情報源は、忘れ去る事で過去の遺物として闇に葬らねばならない(笑)

「NHK・新聞・テレビ」の社会的な役割は既に終えており、もはや存在理由などない。今では存続するために、人を欺き、人を訴え、人を誤った方向に扇動する悪の組織に成り下がっている。本物の悪党は、人を利用して悪事を働く。人に利用される人間ほど愚かなものはない・・・

彼らは自らの利権を守るため、そして金のために悪の隠蔽を図り、人々を不幸に導く本物の悪党。そして人々に恩恵をもたらす次世代の情報システムを阻害する、旧世代の悪党にすぎない・・・。よって過去の遺物として、忘れ去らねばならない

「NHK・新聞・テレビ」はもはやこの世に存在せず、幻を映し出す蜃気楼だと認識すべし。見かけたら「まだあったんだ」と懐かしむべし・・・

大嘘つきのテレビは観ない(笑)マスコミのニュースは、実況のみ信頼する(笑)インターネットの情報は、話半分に聞いておく(笑)疲れたら全ての情報を遮断して、自分の好きなことに没頭する。趣味は自らを整備するための保守管理。趣味は人生の潤滑油(笑)
Back Ground Music: Secret Agent Man



不条理
イラクの人質事件で命の重さが問題にされている。マスコミはジャーナリストの救出のためなら、どのような手段を取っても救出しろとわめき散らす。しかしイスラム国の支配する地域は、人の命を何とも思わない「人外魔境」であり、人の常識が通用する場所ではない

そもそもこのような人が行ってはならない場所に行った事が大きな間違い。「猛獣の群れの中に自ら飛び込んだ人を助けろ」と言っているのと同じだ。戦争ジャーナリストが次々に捕まって処刑されている場所だと知りながら行ったのだから、もはや覚悟の上としか言いようが無い。常軌を逸した狂気の場所で、まともな救出などできるはずもないだろう

イスラム国は常識が通用する戦争などではなく、捕まれば容赦なく処刑される無法地帯。それはこれまでの海外の報道で十分に周知されていた。戦争を取材するのがジャーナリズムだと、まことしやかに言ってはいるが、そこはもはや戦場ではなく、虐殺が平然と行われる地獄でしかない

世界は既にイスラム国を「テロリスト」、つまり単なる人殺し集団だと認識している。しかし日本のマスコミは、テロリストではなく「常識の通用する人」として対応しろと無茶な言い分を押し通す。政府はテロリストとは交渉しない。これは世界の常識です。テロリストと交渉すれば、テロリストは無差別に民間人を標的にする。助け出すには、軍事作戦か第三者を通じた交渉しか無い。マスコミが助けろと強弁するのは … 明日は我が身なのだから当然だ(笑)

しかしマスコミは国民の窮状など日頃からお構いなし。我関せずと、知らないふりを決め込む。国民が見放すのは当たり前 …。国民がマスコミを突き放すのは、マスコミの日頃の行いが原因です。いい人だったら見捨てはしない(笑)

真実を報道しないマスコミ、事実をねじ曲げるマスコミ、状況を正しく報道しないマスコミ。その報道にはマスコミの汚い扇動の思惑しか見えてこない。しかしマスコミにとっては、身内を庇う正当な行為。批判される謂われなどないのだろう。国民にとっては無茶な行為としか言えないが、報道を仕事にするマスコミにとっては、切り捨ては自らの切り捨てを意味する。労組による救助活動だと思えばいいのだろうが …

そもそもテロリストとの交渉など、国民に訴えてもどうにもならない。テロリストとの交渉は、国民にとっては自殺行為以外の何物でも無い…。テロリストとは、自分の主張のためなら、人殺しも厭わない凶悪な犯罪者。テロリストとの交渉は、日本人を拉致すれば金になる、とテロリストに言っているのと同じ事… マスコミの質の低下は間違いない。放送法という国民を奴隷とみなす奴隷法が行動基準なら、ま、しょうがない代物なのか…

ジャーナリストという個人に、批判を浴びてせても意味が無い。犯罪行為でもない限り、人の行動に制限などかけられない。愚かとの判断はできるが、愚かだからと批判すれば、マスコミは何もできなくなる。ジャーナリストにも、資質がある人と無い人がいる。無い人に何を言おうが意味が無い

この人質事件は、人質となった「人」を追っていけば事件の真相が見えてくる。マスコミが同業者の私生活の暴露など、出来る道理がない。捕まった人の「経歴・行動・生活」を詳細に見ていくと、その人の行動原理が見えてくる。しかしどのようなものが見えてこようとも、「戦場に赴いた」という事実は決して変わらない

命が奪われる危険地帯に行くのは、あくまでも自己責任。危険な山に登るのと同等の行為。いくら批判しようが、いくら意味を求めようが、空虚な虚しさしか残らない。「人殺しのテロリストに捕まって亡くなった」。これが真実であり、それ以外の何物でも無い。「強盗に捕まって亡くなった」のと何ら変わりがない。唯一異なるのは、そこが「戦場」だという事だけ

この事件からは、「危険地帯に行くなら、残された者のために必ず多額の保険金を掛けておけ」という教訓しか得られない・・・。他には何も得るものがないという無情が、戦場という不条理な場所を端的に示している

戦場に意味などない。戦場は無くす事に意味がある


追記:戦場とは一切の常識が通用しない不条理な場所。死ぬも生きるも運次第。残るは数多の悲しみのみ

今の日本も政治家が自分勝手な理屈で悪法を立法して国民を苦しめている。日本も不条理な点では、戦場と何ら変わりがない。戦場を取材するなら、日本国内の戦場を取材すべきだろう。本物の戦場に赴くより、国内の戦場で戦う事に誇りを持つべき

戦争が悲惨なただの殺し合いでしかない事は、インターネットの映像でいくらでも知る事ができる。もはや戦争の真実は白日の下にさらされている。戦場とは「憎悪・怒り・恐怖・狂気・絶望・あきらめ・・・」という、人を人ではならざるものに変える場所

人は誰でも狂気の因をその身に宿す。人は狂気に飲まれない環境を常に追い求めなければならない。狂気に飲まれ、自らも狂気に冒されてはならない。狂気は新たな狂気を生み、無限地獄へと人を引きずり込む

人としての正しい教育、公平な社会、平穏な秩序、誰もが安心して働ける社会、犯罪を取り締まる警護力、外敵を追い払う防衛力、等々の安心して暮らせる社会を構築する事で、誰もが平穏な心で暮らせるようになる

人を狂わす戦場を無くすには、人々が安心して暮らせる土地にする以外に方策はない。戦場の本質は人を狂わす社会にある事を理解しなければならない

人の住む社会が狂えば、住む人も狂う。社会を乱す要因は潰していかなければらない。真実を曇らせ、狂気を煽るマスコミは排除すべき対象です。日本を戦場という狂気に支配された場所にしてはならない
Back Ground Music: Black Hawk Down

外国の無法地帯で亡くなった人は大騒ぎして、国内で行き場を無くして自殺した人は何事も無かったかのように平然とやりすごす。身近で数多くの人々が亡くなっているのに、まったく意に介さない。マスコミの価値観が狂っているのは明白だ。日本が生きずらくなっているのは、マスコミが不正に荷担し、国内に不正が蔓延しているからに他ならない

国内の問題をないがしろにするマスコミを容赦なく切り捨てなければ、国内が知らず知らずの内に、外国の戦場のような理不尽な世界に変わってしまう。今日本で何が起こっているか、正しく知らなければならない

戦うべきは狂気を煽るマスコミと、我が身に宿る狂気にあると悟るべし
参考資料: 日本の自殺
Back Ground Music: マクロス F鉄のララバイ



温暖化
地球の気候がおかしい。これは紛れもない事実。しかし人類は、気候変動の原因を突き止めてはいない。地震を予測できないのと同じです。人は地面の中を見透せない(笑)全てのデータが揃わなければ、確実な予測はできない。気候変動を説明できるだけの情報を、人類が入手できていない、というのが現実です

影響するデータが欠けたら、正しい予測はできない。これは紛れもない現実です。データの収集には、地道な努力と、膨大な情報と、膨大な時間が必要です。人の活動が温暖化の原因に含まれるのは間違いないが、急激な温暖化には、何らかの見落としがあるのだろう。データが出てこない国は幾つかあるが、最大の元凶は中国だ(笑)

先進国には、判断できるだけのデータが揃う。データがあるから、ある程度の判断と対策が可能になる。しかし、正確なデータが無く、対策されない地域があれば、先進国がいくら対策しても意味が無い。地球規模の対策には、地球規模の連携が必須です

温暖化対策で、すっぽり抜けているのが中国だ(笑)フロンの規制は進んでいるが、代替フロンの規制は今やザル(笑)温暖化係数は数百倍から一万倍。代替フロンの野放しが、隠れデータとなって、温暖化の進行を早めているとも考えられる。中国は今や完全なブラックボックス(笑)中国の現状を把握できない現状で、正しい予測など不可能だ

中国からオゾン破壊のフロン類が、大量に放出されているとの科学データもある(笑)先進国の対策をあざ笑う、天に唾する旁若無人(笑)データ無き独裁国家は、データ予測を破壊し、温暖化対策を無力化する(笑)

科学衛星を使った大気の観測、地球規模でのデータの共有化と高度な分析。これらが実現しなければ、温暖化の正しい対策など現実問題として不可能。データ無き対策は、対策にはならない

温暖化対策に欠けているのが、徹底的な科学的な原因究明。温暖化の原因は薄々分かってはいるが、経済の痛みを伴うため、国際協調ができない。協調なき対策は意味が無い。協調しない国があれば、どうしようもない、といのが現実だ(笑)効果がある対策をしようにも、効果を無効化する協調しない国があれば、対策自体に意味が無い(笑)ブラス・マイナスゼロでは意味が無く、マイナスになろうものなら、破壊的な結末が待ち受ける

温暖化問題は、温暖化問題に協力しない国をどうするかが最大の問題となっている(笑)最も問題なのが、原因追求の国際協力がなされていないという現実だ(笑)対策は、原因・元凶を正さなければ意味をなさない…

情報不足に協調無し。原因究明も対策も、全て人任せで責任放棄。善人の皮を被った「NHK」と一緒です(笑)原因・元凶など放置して、オリンピックに頑張りましょう。発言と真意と行動がバラバラなのだから、温暖化に有効な対策など不可能。真剣に温暖化対策を考える人々が、激怒するのは当たり前

情報の共有化は、今やインターネットで実現している。しかし、対策の共有と、問題の共有はまっくできない。温暖化により、どのような事態が起こるのか。場所によっても異なるし、破壊的な大型台風の出現などという、これまでとまったく異なる現象も起こりえる

大型ハリケーンの直撃被害、気象災害による自宅の喪失は、人類にとっては戦争と同じだ。温暖化問題は戦争と同質の問題であり、戦争の回避を未だ実現できない人類にとって、最悪の問題であるのは間違いない(笑)戦争は「人的損失・経済的損失を無視」した、データ無視の人災です。「権力者の意見」によって引き起こされる、紛れもない人災です。温暖化対策には、何より詳細なデータが必須です

日本の現状と被るのは、何の不思議も無い。日本はテレビ中心の、情報の共有化ができない劣化社会(笑)情報の共有も、対策の共有も、問題の共有もできない奴隷社会(笑)日本の劣化は末期的…

国連で異常気象を叫ぶ「少女」。情報の一元化どころか、気象問題が「少女の意見」に左右される異常な事態(笑)異常気象に取り組む科学者達が泣いている(笑)情報に「英雄」は存在しない。「英雄」に祭り上げるのは、マスコミ・利権団体等々の紛れもない「人」(笑)言っていることは概ね正しいのだが、肝心要のデータが無い(笑)

データ隠蔽の「プロパガンダ」。問題を複雑化させ、問題の本質を隠蔽する、問題の真の解決を阻む「人の意見」。戦争と同じで、プロパガンダの応酬が繰り返され、問題の解決が不能になる…

データは嘘をつかない。嘘をつくのは人間です
Back Ground: TIME TO GO

最大の問題は、国連が機能していないという現実です

機能しない国連に失望した、国連主導のプロパガンダ(問題化)とも思えてくる…。それならば、議論が沸騰するのは国連の思う壺(笑)理(ことわり)無き「少女」が、異常気象の真の元凶へと人を導く。最高府の国連の思惑ならば、それに乗るのも一興です(笑)

「少女」の写真を見ていると、編み込みの髪の毛が「導火線」に見えてくる(笑)国連が「導火線」として利用するには、可愛い少女は最適です(笑)むさい研究者のおっちゃんでは、「導火線」にはならない(笑)そもそも頭の切れる研究者は、マスコミの餌食と化す導火線は必ず拒否る(笑)導火線役を喜んでやる「少女」は、蛮勇と言えるだろう(笑)

研究者は名を捨て実を取る。理(ことわり)無き「少女」に名前は無い(笑)実なき「少女」に名など必要ありません。概念と化した少女に批判は無意味

国連の言う「少女」とは、地球全ての人を指す



小説
以前は小説を読もうとすると、本屋や古本屋巡りが必要だったが、今やインターネットで閲覧できる。パソコンで読み放題なのだから、正に天国(笑)フリーソフトでWeb文書にデータ化し、タブレットで読みふける。単なるテキストデータだから、読みやすいように編集できる

小説の編集など、以前は考えられなかったが、データ化すれば単なるデータ。変更など簡単だ(笑)個人データとして利用する分にはいいだろう。著作権がからむから、公開が厳禁なのは当たり前

私的な個人データとして活用するには、磨き抜かれた文章は、正に宝玉。文章の構成を見極め、文章の意味をかみ砕き、文章が導く先を見定める。文章の質と、文章の本質を理解するには、文章と正面から向きあわなければならない

文章の編集は、本来行ってはならない禁忌の所作だが、データとして活用するには、編集作業は必須です(笑)データ形式は、単純なテキストデータが一番。Web文書は中身が見える、可視化可能なテキストデータ。HTMLタグは簡単なので、最小限の機能ぐらいは覚えましょう(笑)ソースコードの直接編集が出来ると、基本何でも可能です(笑)テキストベースのWeb文書は、ソースコードが編集できる、編集に最適な形式です。HTMLタグを直接書ければ、晴れて初心者から卒業です(笑)

印刷のための文書と、閲覧専用の文書はまったく違う。PDF文書などの電子書籍がいい例で、中身のテキストを完全には抽出できない。文書の中に複数の文字コードの異なるフォントを使用する等々、文字データの抽出ができないよう様々な工夫がされている(笑)利用者には分からない見事な細工(笑)商売だから当たり前(笑)

電子書籍は完全な印刷物。電子書籍はデータじゃない(笑)

閲覧専用の文書は、扱いが簡単で検索・編集が自由自在。ページという概念が無く、そもそも容量が少ない。画像データの密度を下げ、容量を下げている。特殊な画像ソフトを使えば、画像密度を上げ、印刷データへの変換も可能だ。印刷を考えないので、見やすいように如何様にも編集可能。閲覧専用の私的なデータは、Web形式が最適です。インターネットのホームページも、基本閲覧専用のWeb文書

文章を編集していると、色々とおかしな点が見えてくる。改行したほうが分かりやすい、写真があるといい感じ、これは読めないから振り仮名が必要だ…。誤字脱字の修正はできるが、さすがに世界観が崩れる言葉の変更は不可能です(笑)作者の意向の冒涜…などでは無く、自分に取り込むための租借にすぎない。自分自身が成長すれば、編集する場所も変わってくる(笑)出来上がった文章は、自分自身の血肉となる。コピー貼り付けなどではなく、自分に取り込むための吸収です

意味の無い文章は、小説ではまずないが、インターネットの記事や主張には、あきれるほどに多種多様な「かおしい」文章が乱舞する(笑)正に欠陥データのオンパレード(笑)おかしな文章は、吸収できないまがいもの。まがいものを吸収したら、人は化け物へと変質する。人としての倫理が欠けた、正に化け物…

おかしなものを見定める能力は、人として生きるためには必須です

5W1H(だれが・いつ・どこで・なにを・なぜ・どのようにしたのか)、起承転結、序破急、因果関係、情報の整理、情報の裏付け、データ化の手法、データの整理整頓、セキュリティの「機密性、完全性、可用性」。完全性と可用性は、データ管理の基本でもある

データの管理は、人の判断能力のバロメータ

文章を読んでも、理解力など得られない(笑)文章を書かなければ、文章の本質など分からない(笑)「読む」と「書く」とでは大違い(笑)文章を書くには、しっかりとした構成が必要です。構成力を養うには、良い文章を沢山読むのが手っ取り早い。本はかさばるから、データ化するのが一番。要点を纏めることで、肝心要の構成力を養える

タブレットやパソコンには、音楽データ、映像データ、文字データに画像データ。辞書にWikiに、例文も限りが無い。膨大なデータと向き合うには、インターネットは必須です


データとは活用するもの。これはデータの基本中の基本です。活用できないデータに意味は無い(笑)

情報を活用するには、集めた情報をしっかりと纏めなければならない。情報を纏める能力を、人は身につけなければならない。文章を纏めれば、何が欠け、何が足りていないのか分かってくる。必要なものが欠落した文章は、意味を成さない欠陥品です

人はそれが自分で活用できるのか、それを最初に見極めなければならない。スポーツは自身の健康管理に活用するものであって、自分でやらないスポーツを見ても、基本まったく意味が無い(笑)激しい運動は、体を痛めるだけ。適度な運動は、健康管理に必須です

本屋と古本屋巡りは、歩く運動と、効率的に物を探す能力を維持するためには必要です(笑)出不精は、肥満とコミニュケーションの欠如を招く(笑)



想定外の意味
想定外の事故・事件・自然災害。日本は今や、想定外の言葉が乱発される、想定外の社会へと移行している(笑)想定外という言葉の意味を、しっかりと問わなければ、簡単に騙される時代が訪れている

そもそも想定外とは、想定していない事態を意味する。当たり前だ(笑)想定していない、ということは、初めからそのような事態は考えていないという意味でもある。これも当たり前(笑)つまり、そのような事態になったら、どうしようないという意味でもある

想定外とは「切り捨てられた事態」であり、前提条件から意図的に省かれた事態でもある。最悪の事態を想定すれば、そもそも想定外などという言葉は出てこない(笑)最悪の事態を想定しない事態を、責任者が責任回避のために、利便的に想定外と呼称する。想定外という言葉は、責任回避の便利な言葉として活用されているのが実情だ(笑)

「想定外だ!」との発言は「無能」の証。「想定内です!」との発言が「有能」の証です(笑)

想定外の都合の良い活用は、今や日本で大繁盛(笑)想定外の事態になったら、どうにもならない事態が蔓延している

最近は堤防の決壊で都合よく活用されている(笑)日本の堤防の内側は、洪水でもしっかりと機能するが、堤防を越えたら補強していない外側は崩壊する。外側の補強はないから、水が堤防を越えたらどうしようもない。日本の堤防は、内側は補強するが、外側は補強しない

日本では、堤防を越える水害は想定外として意図的に省いている。だから堤防を越えたら自然災害として受け入れなければならない。日本の堤防は外側の補強をしないから半分の費用で済む。外側の補強は、行政として行わないし、災害が起きても関知しない。見舞金は出すが、再建は地力で行え。という事だ(笑)

想定外の雨量があれば、想定外で堤防が決壊し、国民は想定外の自宅という財産を喪失する。そもそも洪水の事態になれば、川に水が流せないから堤防の内側で氾濫する。そもそも川に流せない水は、河川管理の想定外(笑)日本では、同じ事態が何度も何度も繰り返される

想定外は行政の「責任回避」に使われる最強カード(笑)国民にとっては「泣き寝入り」の最弱カード(笑)

「NHK・新聞・テレビ」では、想定外が乱舞する(笑)全てを「想定外」でドラマ化し、想定外を正当化する。正に想定外の最良の理解者(笑)世間ではこれを表して「でたらめ」と呼ぶ

想定外とは責任回避のための免罪符。「あきらめろ!」と強制する、責任者保護のための免罪符。想定外を想定した、杜撰そのもの。「想定外ばんざい!」「想定外だから受け入れろ!」「想定外だから諦めろ!」

日本の想定外は、今や「杜撰な計画を正当化するための免罪符」



整合性
数式や定理は整合性が取れている。だから正しい正解が得られる。しかし、人の論理(意見)には整合性が無い(笑)結論を検証すれば、必ず不都合な点が出てくるからだ(笑)人の意見は、必ず整合性のチェックが必要です

「人は自分に都合のいい事しか言わない」。これは人という生き物の万有定理

「人の意見の整合性」をとるには、意見と行動の整合性を調べるしかない。人の言葉と行動は、必ずしも一致しないのが現実です(笑)一致するのは、品行方正な決して嘘を言わない聖人のみ(笑)又は意思の無いコンピューター(笑)

欲まみれの人間など、整合性など決してとれない(笑)特に政治家とマスコミには、厳密な整合チェックが必須です(笑)日本の場合はほぼ間違いなく、整合性がとれない(笑)言う事と行動がまったく違う(笑)

人の意見は情報ではない。これは紛れもない真実

整合性のとれたものが「情報」へと昇格する。だから情報は、出来事を正確に記録したものへと収束する。人の意見が紛れ込んだものは、情報ではなく、単なる人の参考意見。情報とは歴史であり、正確な描写が必須です

人の意見とは「自分はこのようにしたい」との願望にすぎない。だから人の意見に対しては「そのようにしたらどうなるのか?」との検証が必須です。人の意見は情報ではなく、人の願望にすぎないため、それが正しいものかどうか検証しなければならない

検証しない人の意見は只の「放言」。放言とは、人の勝手な言い分です。日本のマスコミは「人の放言」を「情報」にすり替える。日本のマスコミが凶悪なのは、人の勝手な言い分を「情報」にすり替える狡猾な情報操作にある

それが「情報」なのか「主張(人の意見)」なのか、人は最初に判断しなければならない。人の意見に対しては、厳密な整合性のチェックが必要です。チェックは必ず自分自身で行わなければならない。膨大な情報を精査し、多種多様な分析を参考にしながら、自分自身でチェックを行う

整合性のチェックには、自分自身のチェックも含まれる(笑)正しい論理に従っているか、人の意見に真摯に耳を傾けているか、相手の思いを推し量ることができているか、自己中心的になっていないか。整合性のチェックには、自身のチェックも含まれる

情報の選別と整合性のチェックには、多大な手間が必要です。だから必要な情報が無い場所へは近寄ってはならない

テレビは見ない。人にテレビは必要ない

何故なら、テレビには「人の意見」しかないからだ。「テレビはこう思う、だからお前もそう思え!」…いやいや、そんなの絶対に無理(笑)NHKは「テレビの言う事は鵜呑みにすべき。放送法でそのように決まっている」と国民に意見する(笑)いやいや、NHKなんて見ないから(笑)

テレビは「人の意見」にすぎないため、一言一句、その全てに厳密な整合性のチェックが必須です。現実的に不可能なので、テレビ放送に意味は無い。人はテレビ放送に意味が無い事を理解すべき

「人の言葉を鵜呑みにするな!」。これは正しい正論です。テレビは自分勝手な人の言い分。だから「テレビの言う事を鵜呑みにするな!」。これはまごうことなき正論です

テレビは今や只の享楽。テレビを私物化し、公共情報が存在しない、国民を無能化するNHK。快楽を提供する巨大なカジノ。破滅・自滅は確実です。テレビに「情報」など存在しない

見れば見るほど馬鹿になり、知れば知るほど無駄になる、全てがつゆと消え去る、何の役にも立たない極潰し。「情報」が存在しないのだから当たり前。これがテレビの実態です。「情報」とは自身の身の回りを感知するレーダー網。身の回りに「人の主張・人の意見」が蔓延れば、身の回りを認識できずに、人は確実に破滅する

「情報」が存在しない禁忌の場所には、人は本来近寄ってはならない
Back Ground: 吹雪誰ガ為ノ世界

言葉の意味を問わざれば、放言が現実と化す地獄になる。「情報」とは現実へと繋がる一つの道筋。誤った情報は、人を確実に破滅へと誘う。「情報」と「主張(人の意見)」の違いを見極める、確かな目を養わなければならない

「情報」は自らの精神の糧となり、自らの動力源になり血肉となる。「エンタメ・スポーツ・ドラマ」が血肉となったら、栄養不足と脂肪過多であの世行き(笑)テレビは言われた事を鵜呑みにするだけ。テレビは人の思考を停止させる邪悪な魔道具。テレビは考えることをしなくなり、言われた事を鵜呑みにするテレビ放送の奴隷と化す

テレビは見ない。検証不可のテレビを見ても、基本まったく意味が無い

確認は「本・テレビ・映画・マンガ」の主人公がテレビを見ているか確認するだけ。誰もテレビを見ていない(笑)テレビは情報を得るための道具では無い。人の主張を観るための道具にすぎない。映像は風景を切り取っただけの額縁の絵画。全体像の把握など決してできない

主張はするものであって、観るものでは無い(笑)

世の中の風景は、観る人によって変わるもの。正しい風景は、自ら創り上げねばならない。それは自分自身の中にしか存在しない



想像力の欠如
熱海で大規模な土砂崩れがあった。ニュース映像では、水のような泥が、家屋や車…人全てを押し流す。まるで急峻な地形を高速で下る、火山の火砕流の様相だ。第一印象は「理不尽」。何故だ、何故このような災害起こるのか。疑念と憤慨がふきあがる…

水分を含んだ泥のような土砂が、全てを巻き込み洗い流した、というのが現状だろう。そこで問題になるのが、何故水ではなく泥なのか。水が流れる通常の沢では、洪水になるが、このような土砂崩れは起こらない

水分を含んだ大量の土砂が上流に無ければ、このような災害は起こらない。熱海の猛烈な豪雨で、このような災害があったのはここだけだ。だから、なんらかの原因があったのは間違いない

色々なまとめのサイトを見ていると、沢の先端を埋め立てた土砂が出発点となっている。沢の源流を埋め立てたら、水を含んだ土砂へと変わるのは当たり前。水抜きなど一切行っていないのだから、発端となるのは当たり前

沢の先端だけでなく、その下流も「残土」で埋め立て。水の流れる沢であり、その下流には住宅地が密集。行政が許可したのなら、間違いなく行政の責任だ

急峻な地形なのに、水の流れる沢を埋め立てて、ほったらかしにしたのだから、土砂崩れが発生するのは当然だ。想像力の欠如が、紛れも無い土砂崩落の原因だろう

良く調べると、熱海の地盤は火山由来の固い地盤。水でゆるゆるになる土砂など、本来なら存在しない。埋め立てた土砂が原因なのは明白だ

熱海の土砂災害の元凶は「開発」だ!。本来開発してはならない場所に、行政が開発の許可を与えたのがそもそもの間違い。何で危険な場所が開発できるのか?…との話でしかない。最初におかしいと感じたのは当然だ

何故このような災害が起きるのか?。それは上流の「開発」を行うからだ

安易に開発できる制度が、自然災害を誘発する。危険な箇所を開発できてしまう制度そのものが、災害の最大の要因です。そもそもの原因は単純です。単純だからこそ、悪党共は隠蔽を謀る
Back Ground: 燃え落ちる誇り

「開発だ!」「山を開き、メガソーラーを設置し、電力を確保する!」「開発は正義!」「開発は全てに優先される!」「国民生活など二の次だ!」

戦犯の筆頭が「行政」なのは間違いない。次に、地元民に何の説明もしない「開発業者」。この悪魔の所業を許す、国の行政の責任が最も重い。政治家の責任が最も重いのは当然だろう。利権優先の自民党。ある意味、起こるべくして起こった人災と言えるのだろう…か…

人災なのは間違いないが、直接的な原因である「土砂崩れ」と、災害を助長した間接的な原因である「ざる規制」の2つの原因が存在する。違法残土という違法行為と、違法開発を許すざる規制。許可した行政と政府の責任が最も重い…。開発の許可が、そもそもの間違い

本来開発が有り得ない場所だから、政治献金は間違いない

上流の開発を許したのは誰なのか。開発の責任は誰にあるのか。詳細な経緯を公開する必要があるだろう。政治献金や賄賂があれば、政治家や行政の責任は明確だ

政治責任は免れない。でなければ、亡くなった人が浮かばれない

盛り土のきっかけは、隣に造成された「メガソーラー施設」に移動する道路を作るため。メガソーラーへ移動する道路を作るため、大量の盛り土が投入された

メガソーラーによる開発が、直接の原因と言えるだろう。なのに「NHK・新聞・テレビ」は、盛り土が原因であって、メガソーラーは関係ないと情報操作。盛り土がなされた「開発」を完全無視(笑)頭の悪い稚拙な論理で、国民を惑わす妖怪です(笑)

情報の繋がりを辿っていけば、必ず元凶へと辿り着く。情報を分断するのが「NHK・新聞・テレビ」の大事なお仕事。今回もいい仕事をしている(笑)きっかけの原因をはぐらかし、盛り土のみに注目を集めて、開発の元凶をひた隠す。すばらしい詐欺師の才能だ(笑)

そもそも、硬い岩盤の急傾斜地を、柔らかい残土で埋め立ててれば、豪雨で確実に崩壊する。熱海の災害は「開発」が引き起こした、紛れも無い人災です。「開発」が土砂災害のキーワード。キーワードを隠蔽する「NHK・新聞・テレビ」は、紛れも無い利権団体(笑)一切の改善ができない、無能で凶悪な利権団体

住宅地に影響を及ぼすメガソーラーは、非常に危険なものだと、今回の土砂崩れが証明する。森林伐採による保水力の低下、土砂崩れの危険性、残土処理の危険性…安易な開発は、災害として国民に襲い掛かかってくる。温暖化により豪雨災害が見込まれる中、安易に谷を埋め立てたり、森林破壊をする自民党の利権政策。自民党の責任は明白だ

何の検証もなく、何の規制も無く、メガソーラーが住宅地の傍に建設される。その危険性は明白だ

地面の中の水流など、地面を剥ぎ取らない限り分からない(笑)分からないから、直接的な原因は特定できない。特定はできないが、模型を使っての実験や、コンピューターによるシュミレーションで、ある程度の推測は可能だ

特定できなのだから、何もしてもかまわない。特定できなのだから無罪だ、との論理は通用しない時代です。可能性を潰すのが詐欺師の論理。可能性の追求が、科学的思考の基本です

想像力が欠如した、頭の悪い人間が招いた人災。これが、この災害の総括だ。政治家・行政・業者による、「森林破壊」や「残土の甘い規制」によってひきおこされた人災です。本来開発してはならない場所を開発したのだから、災害が発生するのは当然だ

自民党の山林を大量伐採する林業政策や、メガソーラーや開発事業に伴う環境破壊。保水力の無くなった日本では、豪雨で洪水被害が頻発する。被災者はほったらかしで、生活の再建もままならない。正に国民の切り捨てです

「甘い規制による開発」でぼろ儲けする、「自民党の利権政策」が全ての元凶。数々の甘い規制により、日本全体が狂っていく。「自民党」は日本破壊の元凶です



侮辱罪
インターネットの誹謗中傷に対し、政治家の発案により、侮辱罪が適用さるようになった。侮辱とは、ばかにして貶める。侮辱が悪いのは当然だ。しかし、安易な法律の厳罰化は、中国のような言論統制になりかねない。インターネットの誹謗中傷は、管理者が適切に管理していれば、即座に削除と発信者の利用停止が可能になる

インターネットの誹謗中傷は、即時削除と発信者の利用停止が基本になる。書かれた本人が侮辱だと感じたら、即座に侮辱罪が適用される社会とは、中国と同じ言論圧殺の奴隷社会。この法案の発案が、政治家だというのが問題だ

政治家の汚職は、国民に対する極めて悪質な侮辱になる。政治家の不正・汚職に対しては、非常に厳しい厳罰化が必至になる。しかし日本の政治家は、汚職を働いても、厳罰が下されないからのうのうとしている。政治家の汚職・不正に対してこそ、侮辱罪による厳罰化が必要だ

政治家の侮辱罪の発案は、不正を働く政治家を護るものだとしか思えない

誹謗中傷を無くすには、そのような発言は即座に削除されるシステム作りが必要だ。読んだ人の通報で、管理人が即座に削除する。誹謗中傷はまわりがみとめないという、社会的な世論による校正が必要になる。でなければ、誹謗中傷を許さないとの社会理念は根付かない

如何なる批判も許されない言論圧殺は、政府・政治家・詐欺師にとっての楽園だ

侮辱罪が成立する社会では、国民に侮辱を恥じだと思う人間性など無く、国民は侮辱を適切に管理することができない劣等種だと断定する。侮辱は国民が管理できないため、法律での厳格な管理が必要だと断定する。所謂、法律による人間性の矯正です(笑)

日本人を劣等種だと断定し、法律で厳しく管理する。それが侮辱罪が適用される管理社会。中国の人権侵害とまったく同じ(笑)これを運用するのが、国民を侮辱する政治家だというのだから噴飯ものだ

政府・政治家の不正・汚職は、国民侮辱罪での厳しい断罪が必要だ。インターネットで公開し、二度と同じ悪事は許さない。政府・政治家の悪事は、国民を愚弄する侮辱そのもの。厳罰は必至であり、政治家なら即時に解職し、政治家の身分を剥奪する。政治家として得た利益は全て返納。政治家失格として、懲役刑と公民権の停止、汚職の詳細な記録の公開が必須になる

削除されない侮辱は名誉棄損として、裁判で争うのが常道だろう。まず削除しないサイトの管理者を訴えるのが先になる(笑)検索サイトに、検索されないよう対策を申請するのが先になる。発言者のインターネットからの排除が先になる。インターネットでの削除には、検索サイトで検索されないようにすればいいだけだ。検索できない情報は、存在しないのと同じです(笑)

そもそも、不適切な発言を野放しにする管理体制に問題がある。適切に管理できないサイトは閉鎖などの、適切な管理が必要だ

批判すれば裁判で裁かれる社会は、独裁を生む下地になる。正しい批判と、誤った批判を適切に処理できる社会システムが求められる。結局の所、人が情報を適切に管理できるかどうかが問われるだけだ。日本は適切な情報管理ができない、3流国家へと転落している(笑)管理など必要ない、気にくわなければ裁判だ。それが日本の情報管理(笑)

「NHK・新聞・テレビ」が独占する情報管理が理想の姿。彼らは国民自身による情報管理は不可能だと断定する。「NHK・新聞・テレビ」からの脱却は必至です(笑)

AIによる自動判断で、不適切な発言を削除するのが手っ取り早い(笑)そのためには、不適切な発言とは如何なるものか、厳密に定義する必要があるだろう。そこにしっかりとした根拠があり、批判に正当性があるならば、口汚く罵っても問題は無い…かな?(笑)人間としての品格は最低だが(笑)AIによる自動削除にも限界はある(笑)

侮辱罪で懲役刑とは、日本も戦前の言論封鎖の時代へと逆戻り(笑)日本人は過ちを適切に正せないと、「NHK・新聞・テレビ」と「政治家・自民党」は主張する(笑)過ちを正すためのシステム作りは必要ない。過ちは正せないから、裁判で断罪する。いや~凄いというか、酷いとしか言いようが無い(笑)利権団体は空恐ろしい…

「NHK」を中心に、テレビ放送で日本を言論支配する翼賛体制。「政府・自民党」と「NHK・新聞・テレビ」による、国民の奴隷化を謀る翼賛体制。日本に蘇った、国民の人権を抑圧する言論統制。省いた事実に意味など無いと、それぞれの勝手な主張を押し付け合う

テレビを見ない習慣と、自民党の討伐は必至です(笑)テレビで国民支配とは、馬鹿の極みとしか言いようが無い

侮辱罪とは、誤りを裁判で正す苛烈な行為。そこに過ちを正す自己修正システムは存在しない。そこに改善の道など存在しない

侮辱罪を活用し、NHKと自民党の討伐が必要だ(笑)NHKは国民に、テレビだけで判断しろと強要する。自民党は国民に、政治家の奴隷になれと強要する。国民を侮辱する「NHKと自民党」。侮辱罪の適用が必要だ(笑)正しさとは何かが問われる時代が訪れている

侮辱罪の問題点は、侮辱を予防するとの観点が抜けている点だ。侮辱行為をできなくする制度・システムが一切無いのが、一番の問題だ。侮辱罪は、まともな批判さえも裁判で潰すことが可能になる。正に詐欺師や政治家・マスコミのやりたい放題が可能になる。「国民の発言する自由」が無くなるのが、最大の問題だ

何も言えない社会とは、奴隷社会に他ならない



日本沈没
ネットで今話題の「日本沈没」を見た。見たが…机の上にタブレットがあるのは分かる。分かるが、何故情報を得るのが雑誌や新聞なのか?。いやいや、タブレット意味ないだろ(笑)正に日本沈没だ(笑)

あんなちっちゃなタブレットで、情報の共有ができるのか。そもそも誰も見ていない(笑)馬鹿でかいモニターをバンバン叩く「田所教授」が恐ろしい(笑)あんなに叩いちゃダメだろ(笑)黒板とモニターの区別がつかない、真理を追究する「田所教授」。いやいや、無理があるすぎる(笑)

そして今時集まっての会議は無い。集まる時間が無駄だし、そもそも資料を持ち込むのが大変だ。手元に全ての資料がある、リモート会議が適切だろうに…

このドラマには、データの公開が一切無い。田所教授もデータの公開を一切しなかった(笑)正に今の日本の現実です(笑)

情報化がまったくできない日本社会の沈没を、物理的な日本沈没に例えて警告する社会派ドラマ。うん、これなら納得(笑)いや~素晴らしいドラマだな(笑)主人公がかっこいいのが救いだな(笑)タブレットで交信せずに、小さな携帯を使う主人公。まともな情報管理ができていない。かわいそうで泣けてくる(笑)

情報化社会を構築できずに沈没していく日本社会。沈没をただ観ているだけの日本人。日本沈没のテレビドラマは、その現実をまざまざと見せつける。まともな情報を得られずに、破滅へと突き進む日本社会。正に日本沈没だ(笑)

テレビ社会・新聞社会の目線で創られた日本沈没。テレビと新聞が情報を牛耳る、情報公開無き奴隷社会。旧作の日本沈没とはまったく違う(笑)
Back Ground: 日本沈没銀河英雄伝説

自分が「日本沈没」をリメイクするなら、その発端をまず変える(笑)

「2030年、日本の地震予知の精度を高めるため、日本の海底に一キロ単位に地震の震度計が敷設された。得られた情報は世界中の科学者が自由に利用できるものとして公開された。この世界に類を見ない制度は「アマテラス」と命名された」。との前提を作る(笑)そこで「日本の学者を目指す少年が、日本の地質データと地震データを連携するシステムを構築する。すると、日本全体を支える地盤が、地震によってドミノ倒しのように崩れていくシュミレーション結果が得られた。少年は、これは間違いだと思って、間違いを指摘してもらうためにインターネットに投稿した」とする

「イギリスの地震研究機関が面白そうだと、スーパーコンピューターを使って検証する。すると、同じような結果が得られた。驚いた研究所は、ヨーロッパ最大の研究機関にデータの検証をお願いする。その結果は、より深刻な事態を予測した。少年が使っていた地質データは、アマテラスの理念に共感した民間業者が一般に公開したものだった。日本政府は、詳細な地質データは国家機密に属するものだと公開は禁止していた。アマテラスは、検証のための基礎データが欠けた欠陥システムだったのだ」との前提を創る(笑)

「日本政府は、自分達のシューレーションでは日本沈没など起こらない。とNHKで堂々と発表する。海外メディアと日本の一部の学者は、それはおかしいと反論する。日本政府は神話のアマテラスのように、自分の意見に固執し、閉じこもるのだった」となる(笑)そこで巨大地震が頻発し、日本が少しずつ沈没していく…

アマテラス神話に基く、日本沈没の話になる(笑)「欠陥を放置すると、自滅に繋がる」との教訓だ(笑)

ドラマでは、人がどのような理念で動いているかを表現する。理念が狂うと、ドラマも狂う(笑)ずれた理念は、誤ったものの見本として活用できる(笑)おかしいものは、正しいものには決してならない。おかしいものを放置すると、ろくな結果にならない。それが現実社会の理です(笑)

秀逸なドラマは、おかしいところを潰していく。おかしな流れが無いのが良いドラマ(笑)何かがおかしいと感じさせるものは、大概ろくなものでは無い(笑)おかしいものを押し付けるものは、その行動を見ればいい。人の理念は、その行動に現れる

「日本沈没」のドラマは、テレビ局の目線で創られているから、まともなものにはならない(笑)スポンサーもいるし、テレビが情報を伝える道具として活躍することが命題にされている(笑)その流れは変えることなど出来ない(笑)だが別の意味で楽しむことはできる(笑)

おかしいものは、おかしいものへの対処の手段を教えてくれる。どのような対処が正しいのか、如何様に対処すればいいのか、それを自分で考えることを強要する(笑)自分で手法を考えるのが物事の基本になる。基本に返ることを強要するおかしなドラマは、それはそれで貴重なものと言えるだろう(笑)
Back Ground: OrigaRide Like The Wind迷い道