生活の覚え書き 2

自由の代償
表現の自由、個人の自由、喫煙の自由など、世の中は規則に縛られる事のない自由が保証されている(笑)自由きままに過ごせたなら、どんなに素晴らしいものになるのだろうか(笑)

近年、体に入れ墨をする人が増えている。日本では入れ墨はヤクザかアウトローの代名詞。しかし今はファッションとして気軽に入れ墨をする人が増えているそうだ。この入れ墨、一度入れたらレーザー治療でも簡単には消せない。しかも入れ墨の染料により、皮膚病や皮膚ガンになる危険性もある

本人にとってはファッションなのかもしれないが、周りからみれば危険性を顧みない危険人物とみなされる。公衆浴場では入れ墨をした人間は入れない。つまり公共の場では、ヤクザと同じと見做される。後で後悔したところで、そう簡単には戻せない

この入れ墨をする人に共通するのは、「入れ墨は本人の自由であって、周りに迷惑をかけないのだから何の問題も無い」というものだ。しかし人は、決して一人では生きてはいけない。集団を作り、その集団で生きるための規則を作る。この規則を守れなければ、問答無用で排除する

この集団は大きくは国であり、小さいものは町や村、家庭もまた一つの集団として規則を決める。外国では入れ墨は昔からのしがらみもないため、ファッションですむのかもしれないが、日本という社会では危険人物としか見做されない。いくら外国でファッションとしてはやっていようが、日本という集団では、排除すべき対象としか見做されない。何故なら入れ墨は自らを傷つける自傷行為にすぎず、回りから異なる存在として見せつける異常行動でしかないと、世間一般の認識が形成されているからだ

結論として、入れ墨をファッションだと言う人は、入れ墨を偏見なく受け入れる外国に行けばいいだけだ。日本という国では、入れ墨をした人間は排除すべき異端の者。周りから疎まれ、受け入れてくれる者達の集団でしか生きられない。社会から異端の者として扱われ、保険・医療・公共施設等で、一般人とは別の扱いを受けながら生きていかねばならない

自由の代償はとてつもなく重いものだという事を理解すべき
Back Ground Music: Michael Meets Mozart

選挙も自由の対象だと思われがちだが、選挙には必ず行くようにしている。選挙に行かないのは、「自分をいかようにも料理して下さい」との意思表示にすぎないからだ。選挙の放棄は、自身の放棄に他ならない(笑)生活の放棄を、自由とは呼ばない(笑)選挙の放棄は自殺と同じ

「投票しても何も変わらない」「誰が当選しても何も変わらない」。マスコミやSNSや掲示板で良く見る意見だが、当選した人物によって政策は劇的に変化する。自らの一票で、政策が一変し、社会が劇的に変化する。それが選挙(笑)だから政治家は選挙のために、マスコミと結託して売名行為を平然と行う(笑)しかし今ではWikipedia で議員の経歴を調べれば、一発で悪党だと判別できる(笑)必ず政治家は名前をインターネットで検索しましょう(笑)政治家は、その行動履歴でしか判断できない

当選した政治家が政策を決め、国内の不正・腐敗・欠陥を正し、生活しやすい社会環境を作り上げていく。選挙とは、自身の「自由と権利」を守るための大事な権利。放棄する人は只の愚か者(笑)テレビやマスコミは、選挙に出る人の「国籍・経歴・悪事・不正」など何一つ伝えない(笑)日本は悪党が平然と議員になれる国に変質している。悪党が政治家になれば、自らの生活基盤である「企業・地域・社会制度・社会基盤」が崩壊する。悪党が政治家になれば、自身の生活が崩壊する

選挙の放棄の代償は、「自身の生活の崩壊」という最悪の事態をもたらす。選挙によって生活環境・社会制度は劇的に変化する。「投票で社会は変化する」「当選した者によって社会は確実に変化する」。これが選挙の正しい実態。選挙は一大イベントなのだから、参加しない者は只の愚か者(笑)

悪のマスコミと悪の政治家は、自らを偽り、国民を抑圧し悪政を平然と行う。これも一つの自由(笑)悪のマスコミと悪の政治家を切り捨てる。これは国民の自由であり当然の権利。だから住みやすい社会と自由を確保したいなら、選挙には必ず行くように習慣化しましょう(笑)

「自由」とは自らの力で勝ち取るものにすぎない(笑)



寛 容
人は時として聖人になれるし、憎しみに支配され、批判に明け暮れる人もいる。他人への批判は、誰でもできる一番楽な方法です

人は理想の実現を夢見て、精一杯の努力をする。本来批判に明け暮れる暇などない。しかし目の前に立ちふさがる悪に対しては、厳然とした対処が必要です。悪を許せば、悪が世間に蔓延るからだ。理想に向かって日々努力しながら、眼前の悪は許さない。惰性に流される生き方は、正しい怒りさえも奪ってしまう。その先にあるものは、悪に支配された悪夢の生活

タバコは吸う人の体を蝕む毒。しかしタバコ会社は吸う人の楽しみのために、毒であるタバコを販売しているとの詭弁を堂々と宣う。楽しみのためなら死んでも良いと言っている会社なのだから、本来国は縮小する方向に持って行かなければならない。しかし税収が減るからと、逆に繁盛させようとしている。税収は減らないが、医療費が高騰する。差し引きマイナスの悪政です。タバコは合法的な麻薬であり、将来根絶すべき代物です

国民を金のために殺そうとしている財務省と現在の首相(野田)は、大悪人でしかないと見抜かなければならない。人の命を奪うものを生かそうとする今の首相は、殺戮で金儲けをする死の商人そのものであり、国民のためという考え方がそもそも欠落している。このような首相に対して、国民は怒らなければならない・・・

財務省と首相(死の商人)は、毎日5箱以上のタバコを喫煙する義務を課すべきだ。人に薦める以上は、その利用価値を自らで証明しなければならない。ついでにギャンブルを推し進める議員もいるため、国会内にギャンブル場を開設してどれだけ必要性があるか確認すべきだろう。収益金は学費の支払いに困窮する世帯にでも支給すれば喜ばれるため、ギャンブルを薦める国会議員は毎日利用してその必要性を実証すべき

「罪を憎んで人を憎まず」とは、人は憎しみに支配されてはならないとの戒めでもある。憎しみは自分自身を燃え焦がす、滅びの刃と化す。憎しみは毒であり、毒の排除で本来の自分を取り戻せる。人を許す寛容さが、人として生きる上での大切なものだという事を理解すべき

憎しみと正義の怒りは別物です。正義の怒りを忘れた時に、人は堕落という奈落の底に沈んでいく・・・
Back Ground Music: Long Long Ago 20th Century



批 判
批判は時に人を貶め、人の尊厳をも踏みにじる。個人の人格への批判は止めるべきものだが、思想や行動に対しての批判は、人が過ちを繰り返さないための有用な参考でもある

批判を許さないものは、既にまともなものではなく、常軌を逸した狂気そのもの。逆に「絶対に許さない」との拒絶は、人の狂気の起点になる。一切を拒絶する事は、自らの狂気に身を任す行為に他ならない

どのようなものであれ、世の中に完璧なものなどあるはずもなく、批判の対象にならないものなど絶対に無いと断言できる(笑)この批判には「不合理な批判」と「合理的な批判」の二種類が存在する

人を貶める不合理な批判とは、とどのつまり、批判する人物の人格です(笑)不合理な人間に、何を言っても無駄。無視するのが最善という他ない(笑)「人の噂も七十五日」。いずれどちらが正しいかは、時が解決してくれる(笑)

ネットの悪い面は、掲示板でよってたかって袋だたきにする悪しき行為にある。しかし相手にしなければ何の問題もない。そもそも相手にするから問題になる(笑)人格を攻撃する輩に、人の理性など存在しない。「絶対に許さない」との狂気に犯された人ならざる者に、何を言おうが通じない(笑)

人の話が通じないからと、「裁判」に訴えるようになれば、「批判が許されない社会」という無間地獄へと転落する。批判には「正しい批判」と「理不尽な批判」が存在する。「理不尽な批判」は避ける以外の手段が無い(笑)インターネットの本質は「正しい情報の選別」です。人は正しい情報でなければ、正しい判断などできない。正しい情報の選別ができる社会を築いていくしか無い

「許容できない社会」は「批判を許さない独裁社会」を意味する。批判を「裁判」で潰すのは、批判を許さない独裁者。ブラックなものとして、避けるべき対象です

ちなみに何故マスコミを批判するのか。それはマスコミは他人をこれでもかという程「報道の自由」を盾に批判するが、いざ自分が批判されると逃げ回ったあげくに、「相手を裁判に訴える」という暴挙で、信条とするはずの「言論の自由」をも平気で踏みにじる(笑)日本のマスコミは自己保身の権化であり、他人などいくら傷つけても平気な輩に過ぎない。「報道しない自由」を振りかざし、自分の利益のためなら何でもする狡猾な詐欺師(笑)事実にはそれを生む背景が必ずあり、事実のみでは正しい判断はできない。判断のできない部分的な事実のみを根拠にし、憶測・伝聞・感想・主張という狡猾な表現で事実を歪めて人を騙す。合理性も信憑性もない、自分本位のただの戯れ言(笑)これを悪党と言わずして何と言おうか(笑)

インターネットのポータルサイトに、悪党共が雁首並べて鎮座しているため、批判の対象には困らない(笑)不合理で不条理の塊ともいえるマスコミの主張の欠陥を暴くことで、物事の欠陥を見抜く訓練ができる(笑)

合理的な批判は欠陥をあぶり出し、過ちを防ぐための抑止力になる。合理的な批判は、合理的な結論を導くためには必ず必要になる。物事の欠陥の的確な把握は、日頃から合理的な批判を心がけていれば自然と身につく

日本のマスコミの仕事は、今や真実の隠蔽です(笑)隠蔽された真実を追い求める事で、合理的な批判が自然と身につく(笑)批判とは、疑問から始まり、合理的な欠陥を見いだす行為にすぎない。批判とは、欠陥を指摘し、修正を促す行為にすぎない

所謂文章というものには、書いた人物の性格そのものが反映される(笑)合理的かどうかを判断できる確かな目を養わなければならない。そして「人は必ず過ちを犯す」。この事実を自分に当てはめ、批判に耐えうる合理的な主張ができるよう努力すべし(笑)

そして自分の書いた文章は、自身を映し出す鏡でもある事を忘れてはならない
Back Ground Music: Mirror

批判しかしないのは、批判しかできない愚か者。批判は同時に、しっかりとした対案を示さなければ意味が無い。対案を示して、改善を促すのが批判の基本。批判するだけの人は、邪な道へと引きずり込む。批判の先に、まともな道が無いのだから、まともな結果には決してならない

どうすればいいのか、対案を示すのが批判です。だから、人を傷つけるものは批判なんかじゃない



予 測
さまざまな災害や事故が起る度に、危機管理がいかに大事であるかが声高々に叫ばれる

しかし事故や災害は事前に予測できるもので、予防措置を怠っていなければ防げたものが大半を占める。つまり人の怠慢によって災害や事故が引き起こされる。最近の事故や災害は、この予測をしない人の過失によって起ったものが非常に多い

しかし予測ができても、予算がないため放置してしまう場合も非常に多い。行政や学校などでは、予算がとれなければ予防措置を行わないという悪習が常態化している。予防ができないものは止めるという考え方ができないため、災害や事故が繰り返されてしまう

事故や災害が予測できるものは絶対に行わないという予測管理を徹底していれば、事故の大半は防げるものだ。危険を予測できる人間を教育する事が大事であり、危険予測のできない人間に危機管理など決してできない

アメリカではこの危機管理が徹底しているため、災害が予測できる場所は災害復興はせずに、別の場所に移転する措置が徹底して行われている。つまり自然災害が起ると予測される場合は、自然に逆らわずに移転するとの考え方に変わってきている

しかし日本では、予算がなければ移転は行わずに、災害の起きた場所で復興させようとする。住民からすれば決して受け入れがたいものであるが、行政は予算を立てにして、しかたがないですまそうとする。行政の危機管理のなさが露呈した、余りの無能さに開いた口がふさがらない・・・

災害や事故は、危機予測のできない人間によって引き起こされる。くれぐれも無能な人間と言われないようにしましょう・・・
Back Ground Music: 謎の円盤UFO

ほう(報告)・れん(連絡)・そう(相談)は、社会活動の基本です。これが疎かになると、組織は確実に自滅する。予測は、この3つに関わる重要な代物だ

情報化社会の報告とは、状況の確認。連絡とは、円滑な活動をするための連携。相談とは、適切かどうかの確認になる。時代の変化と、場所により、その形は変わってくる

時代は瞬時に「報告・連絡・相談」が可能になる情報化社会へと進化した。重要なのは、スピード



ストレス
人は周りの環境から多種多様なストレスを受けて生きている。会社の上司や取引先、家庭では嫁さんや子供、はては見えない電磁波や放射線のストレスまで、ありとあらゆるストレスにさらされながら生きていかねばならない(笑)

ストレスは外敵とみなして、戦って、戦って、自分の中でねじ伏せて昇華させなければならない。負けは即ち、自らの命に傷をつけることになる。ストレスは自身の命との戦いであり、自身の弱さとの戦いでもある。自身の弱さを克服しなければ、ストレスに打ち勝つことはできない

嫁さんの場合は 「負けるが勝ち」 の格言どうり、家庭の中心たる嫁さんに逆らう事自体が無謀なのであり、逆らう場合は理詰めで納得させなければならない(笑)これは良識ある良い嫁さんの場合のみ当てはまるもので、それ以外の場合には死ぬまでストレスと仲良くしなければならない(笑)嫁さんのストレスを逆に楽しいものと受け入れられるならば、他のストレスも同じように受け入れられる(笑)この世で一番恐ろしいのは嫁さんであり、それは一番近くて大切な人であるからに他ならない。これに気づけば、他のストレスは怖くなくなる(笑)

人間関係のストレスは、所詮心の問題であり、自身の心の持ちようでいかようにもなるものだ。嫌いな人なら始めから居なかった事にして、自分の中で消し去ってしまえばいい(笑)そうもいかない場合は、できるだけ関わらないようにして、関係が切れるまで辛抱するしかない(笑)

世の中には自分以外のさまざまな性格をもった人がいるという事を理解して、他人は自分とは違うのだとして、自分本意や他人本位の考え方を捨てるべきだ(笑)他人ができるのだから、自分もできるいう幻想は捨て去って、できる人とできない人がいる事を受け入れなければならない

人には得手不得手があり、上手にできる人もいるし、できない人もいる事をきちんと認識しなければならない。自分ができないからと落ち込む必要は無く、自分ができる事を探せばいいだけだ。もしくはできまで根気よく努力すれば、必ずできるようになる。自分を磨く努力をすれぱ、必ず結果はついてくるものだ

世の中には平気で人を傷つける人もいるし、人のために尽くす人もいる。地球上の全ての人間が、一人一人別の考え方を持ち、聖人もいれば悪人もいる。人に色があったとしたら、全て異なる数億の色に染め上がった色鮮やかな地球が見える事だろう(笑)全て人が別々の考え方をする事と、自分という考え方持つ人間は世界に一人しかいないという事を自覚しなければならない(笑)

人として生きる普遍的な考え方は、悪を滅して善を成すことであり、これに反するものは切り捨てていけば良い。理不尽な人がいるなら、それもまた数十億の人間の一人であると受け入れ、自身の人間関係から外していけば良い。できるなら自身の考え方を伝えて、考え方を変えてもらえるよう努力すべきだろう。変わらない人は決して変わらないものだが、誠意をつくせばこちらの真意も必ず伝わる。切り捨てるのは簡単なことであり、辛抱強く粘る勇気が自身の弱さを克服していく

この事の善悪は、人との縁によって顕われる。ヤクザの世界にいるならヤクザの法律で世の中が動く。慈善団体の世界にいるなら慈悲の精神で世の中が動く。つまり自身のストレス(悩みや苦しみ)は、自らが置かれた環境に よって招かれたものであり、ストレスは自身の環境を変える事で解決できる。ストレスとは好むと好まざるにかかわらず、自らの立場に応じたものが必ず顕われるものだ。自らの環境を変える事でストレスは解決できるものであり、ストレスに追い詰められる人は、山で目的地を見失った遭難者と同じでしかない

ストレスの解決方法は目の前にある。自らの迷いで見失っているにすぎない。それに気づける人のみが、人として生きていける事を肝に銘じておくべきだろう

落ち込めば努力する気力もなくなり、奈落の底に落ち込んでいく。自分のできることを精一杯やる事で、次のステップへと必ずつながっていく。落ち込んで立ち止まれば、次に進む事はできない。前へ、前へと進んでいけば、必ず道は開けていく。例え間違ったとしても、前に進む事で方向を修正できる。間違いは単に遠回りをしているに過ぎない。遠回りをする事でより多くの経験を積めるのだから、間違いを恐れることなく前へと進む事が大事なのである

誰でも強いストレスに合うと気持ちは沈んでしまう。そこで立ち止まるか、進んで行くかで結果は大きく変わってしまう。苦難を恐れない勇気を持つことで、前へ前へと進んでいける。勇気こそが前に進むために必要なものであることを心に刻んでおかなければならない

物理的なストレスなら、さっさと避ける。避けずに受け続けると体を壊す。自身の心と健康を壊すまで我慢するなどもってのほか

自分の場合、一旦別の事に集中する。人は同時に二つの事はできないため、別の事を考える事でストレスのベクトル(方向)を変えてやる。そうする事でストレスを別方向から眺める余裕がでてき、より良き解決方法が見えてくる(笑)人は困難にぶつかると、一つの方向からしか見えなくなり、右往左往して失敗を犯す。全体を眺る余裕を持てば、解決方法が見えてくる(笑)

人は本来弱い生き物。勇気を振り絞って生きる事が大切だ。自身の弱さと戦いながら、より強く生きるべく、努力を怠ってはならない(笑)
Back Ground Music: Don't Stop Believin'

ストレスは人をダメにする。だから、ストレスは貯めてはならない。発散の場が必要だ(笑)人に迷惑をかけない、自分のためになるものでなければならない。体を動かす・料理をする・学習する・映画を観る・小説を読む、などなど沢山ある(笑)一番良いのが徹底的な試行錯誤。何でもいいので、徹底的に調べながら、徹底的に行動する。自分なりに極める行動が、ストレス発散と自分自身の成長に繋がっていく

重要なのは、それが正しいものなのか、徹底的な自己研鑽が必要だということだ。それが正しくなければ、ストレス発散が自分自身をダメにする

何も考えないから馬鹿になる。行動には徹底的な検証と実証が必須になる(笑)日頃から情報の検証と実証を心がけていればいいだけだ。そのためには、情報の鵜呑みは厳禁だということが分かってくる(笑)

何かおかしい、との疑問はストレスになる。ストレスとの決別には、おかしいものの正体を見極め、おかしいものとの決別が必須になる

何がおかしく、何が正しいのか、どうすれば解決するのか、徹底的な試行錯誤が必要だ。その過程を文字にして纏めれば、それが正しいものかを確認できる。最後に文字として纏める習慣が必要だ。それにはブログが有効だ

ストレスが溜まりそうになったらブログを書く(笑)心の平安を保つための修行である(笑)



身勝手
世間では人に知られてはまずいものは、ことごとく隠蔽されて一般に知れ渡ることは無い。しかし行政などの公共機関が隠蔽するのは、国民に対する裏切りです!

日本では賭博は法律で規制されていて、国の機関以外は厳しく取り締まられる。個人で賭博をしようものなら警察に逮捕されてしまう。しかし パチンコ だけは、私設の賭博場であっても取り締まりの対象にはなっていない。これはどう考えても非常におかしい。宝くじ・競馬・競艇などのギャンブルの収益金には、多額の税金がかけられていて、国民の生活の足しになっている。しかし パチンコ の収益には、他の賭博と同様な税金はかけられてはいない

これは法律の網をすり抜けた、明確な詐欺行為。国が賭博を一会社にのみ自由に認可している状態は、賭博による莫大な収益を個人に許可する、紛れもない贈収賄!

パチンコは景品交換をしているなどと詭弁を弄しているが、現金に換金できる時点で博打と同だ。警察はパチンコ業界を利権として利用し、天下りによって利益を共有している。博打を取り締まる傍ら、自ら賭場を開いて利益を上げているようなもので、警察の威信などとうの昔に地に落ちている

国は税収難で苦しんでいる中、このような悪行を許してはならない。賭博は人を狂わせるものでしかなく、国が厳しく管理しなければならないものだ。パチンコを賭博とみなさない国会議員がいるから、このような悪行がのさばることになる。この元凶は国の行政機関の管理者たる国会議員にある

福島原発の復興や、地震災害の復興に多額の税金が必要となる中、30兆円ともいわれる巨大な賭博場に相応の税金をかければ、巨額の資金が調達できる。これができない国会議員は、無能どころか明確な詐欺集団!

賭博は人の人生を狂わせる。身勝手な国の政策で苦しむのは、身勝手な国会議員を選んだ国民です

博打は所詮胴元が儲かるだけのゲームにすぎない。サルの動物実験で、スイッチを押せば褒美か褒美無しのどちらかが実現される場合、サルは褒美がでるかもしれないと思って狂ったようにスイッチを押すようになる。つまりギャンブルとは、たまたま勝ったという褒美を忘れられずに、勝てないゲームを繰り返す愚かな人間を作り出す

マスコミとテレビは、このパチンコを堂々と認め、大いに宣伝して多額の報酬を得ている。マスコミやテレビはパチンコ産業と見なすべきで、どちらもきな臭い輩と認識すべき
イカサマパチンコ: パチンコ詐欺商法

パチンコは只只お金を収奪されるだけのゲームにすぎない。何故なら、絶対に負けるシステムになっているからだ。パチンコのような馬鹿げたケームは、決してしてはならない!汗水たらして稼いだお金を、このような詐欺ゲームに絶対につぎ込んではならない!



ブラック組織
世の中、何をやっているのか分からない組織ほど怖いものはない。それが行政ならなおさらの事だ

警察はつい最近まで、ヤクザとの対決は避けて共存共栄の道を歩んできたが、アメリカなどからの外圧を受けて、やっと非合法組織として対決する道を選んだ。しかしパチンコ産業との共存共栄は止められずに、未だに利益を共有する関係を断ち切れずにいる。時代劇の越後屋と悪代官の構図そのもので、博打を取り締まる傍ら、自ら賭場を開いているようなものだ。このような悪事が認められる日本とは、いったい如何なる国だろうかと不思議でならない(笑)

警察がブラック組織たる所以は、警察を評価する基準がまったくない事につきる。泥棒を何人検挙したのか、暴走族を何人検挙したのか、改造車を何台没収したのか、まったく分からない。警察は己の実績を公表する気などまったくない

町中には交通標識があふれ、10M単位で標識が立っている。こんなにも交通標識は必要なのか、はなはだ疑問なのだが、いったいいくらの金額がかかっているのかさえ分からない

警察を評価する基準がないため、すべてが警察のいいなりに事が進んでいる。行政が資金不足で疲弊している現状で、やりたい放題の組織運営は決して認められない。組織の効率的な運用と、費用対効果をきちんと評価できるようにしないと、警察はただのブラック組織でしかない

追記: 友人が一時停止でつかまり、7千円の罰金を徴収された。たまたまのりあわせていたのだが、真っ暗の夜道で、狭い路地になっていて一時停止の標識が全く見えず、一時停止線が直前になって見える。止まれといわれてもすぐには止まれない。ブレーキを踏んで減速したが、「警察は30Kですすみましたね」とブレーキの事など一切言わずに反則キップを切った

一時停止を見逃したこちらが悪いのは違いないが、このような場所で取り締まりをする警察には開いた口が塞がらない(笑)キップを切られた後に、バリバリバリと爆音をたてて走るバイクに遭遇したが、こちらを取り締まる気はまったくなさそうだ(笑)町中では爆音をたてる改造車が我が物顔で走り回っているのに、いっこうに取り締まらない警察に本当にあきれる(笑)警察には何が悪で、どうすれば改善できるかなんて論理的な考え方などできないのだろう(笑)

事故が起こりそうな場所に街灯を設置するなりすればいいのに、ゲームのトラップのような取り締まりには、正直あきれてものも言えない(笑)当分警察を見かけたら、トラップ業者として注意をする(笑)



見えざるもの
人は見えないものを畏怖し、それがあたかも存在しているかのように思い込む。他の人には見えなくても、自分だけには見えたり感じたりできると信じ込んで疑わない

本来見えないものに怯えるなど非科学的であり、非文明国ならいざしらず、科学の発達した現代では愚かとしか言いようがない(笑)見えないものを存在たらしめているのは自身の見えない心であり、どちらにも共通する点は物質として見えない事だ(笑)見えない心が見えないものを、あたかも存在しているかのように認識してしまう。人の心はまるで無限の宇宙空間のように、あらゆるものを受け入れてしまう寛容さがある(笑)

人の心もまた見えないものであるが、他人にも同じ心があることを人は信じようとしない(笑)他人は自分とはまったく別の生き物で、信用できるのは身近な人間しかいないと本気で思い込んでいる(笑)地球上で争いが絶えないのは、見えない他人の心を信じていないからだ

見えない心は信じずに、見えない架空の脅威に怯えおののく。全ての人が他人の心を信じる事ができれば、争いなど起りようもないのだが、心の基本となる基本概念の違いが恐怖を生み争いにつながっていく。異なる宗教間の争いが典型で、宗教とは本来平和に生きるための規約なのに、ただ方法が異なるというだけで争いになる。宗教とは人としてより良く生きるための規範であり、どのように生きるべきかを導く道標のようなものだ。自身や他人を犠牲にしたり、人に従属させるようなものは、もはや宗教と呼べるものではなく、ただの奴隷契約でしかない。自他共の幸せを祈るのが宗教であり、他人の幸福の上に自身の幸福があることを自覚すべき

見えないものとは自身の迷いそのものであり、迷いを正しく認識できない弱い心が過ちを生んでしまう。見えないものを正しく認識する事が、いかに大切な事なのかを理解しなければならない

話はそれてしまったが、言いたいことは見えないものに縛られてはいけないということだ。霊感・運気・宗教などなど、見えないものは世の中に沢山あり、見えないものには何とでもこじつけができる(笑)この書き物を持てば幸せになれるとか、このブレスレットを付ければ運が向くとか、この品物を持てば金持ちになれるとか、修行をすれば霊感がつくとか、いくらでも好きなように言える(笑)

確実に言えるのは、薦める人のみがお金をもらって幸せになれるという事だ(笑)薦められた人は決して幸せにはなれない(笑)見えないものに実態はないという事をきちんと理解していれば、いいようにだまされる事は決してない(笑)

忘れてならないのは、幸せの定義とは人に押しつけられるものではなく、自分自身で確立しなければならないものだという事だ(笑)

見えないもので実際にあるのは人の心であり、人を騙す心、人を励ます心、ないものをあると思い込む心などなど、無限の思いを詰め込める人の心しかない(笑) 一番大切なものは、心の豊かさであり、心(誠実)のないものに価値などない(笑)自身の心と正しく向き合えば、見えないもの(空想の産物)に振り回される自分の愚かさが見えてくる



常識という非常識
普段から言われる常識とは、自分の住む地域社会での特定の人達による一価値観でしかない。当たり前のようで、決して当たり前ではないものが常識である(笑)

極端に言えば、地球上に住む全ての人達がそれぞれの常識をもっているとも言える(笑)その人にとっては当たり前の事なのに、他人にとっては非常識だったりする(笑)常識とは常識だという人だけに通用する単なるエゴでしかない、と結論づけてしまうと世の中が非常にぎくしゃくしてしまう(笑)常識とは世の中が不都合無く、万事うまく進むように取り決められた約束事だといえるのだろう(笑)

常識という言葉は、自身の経験と知識という狭い壁の中だけに通用する単なるエゴでしかない。偉大な発明は、常識を覆すところからはじまる。常識にとらわれない考え方こそが、自身の壁を打ち破るものとなる

あなたにとっての常識は、私にとっては非常識。とまわりの人達によく言われたため、常識という言葉は使わなくなった(笑)
Back Ground Music: Wait & See



K-POP
KARAのミスターを余興で踊りたいので、Youtube で振り付けを落としてくれないかと頼まれた(笑)久しぶりに今はやりのPVをみたが、K-POPの切れの良さには驚いた(笑)

もし自分にこれを踊れと言われたら、 即座に「できません」 と答える(笑)PVを観ていれば簡単そうに見えるが、これはスタイルが良く、ダンスにスピードと切れがないと、はっきり言って観れたものではない(笑)K-POPのダンスは、プロのダンサーが踊っているからこそうまく見えるのであって、素人が簡単にできるものではない(笑) K-POPは魅せるダンスであり、曲のイメージとダンスがうまく融合するよう計算つくされている。計算づくのダンスは、過酷な労働だ(笑)しかし美男美女を全面に押し出すのは、やりすぎとしか言いようがない(笑)

自分にとっては、共感できるものが何一つ無いという、違和感しか抱かない(笑)曲に重みがまったく無く、どこが良いのか分からない(笑)曲の重みは人への訴えかけだが、人を押し付けられても困るだけ(笑)アイドルなのだから当然なのかもしれないが、それが通用する時代でも無いだろうに(笑)

K-POP を観ていて感じる違和感は、人に完璧を求めた不自然な偶像にある。これは又韓国という国が日本を敵国として未だに差別しているのに、日本でテレビ局と組んで堂々と商売を行う不自然さにつながる。不自然な偶像と、不自然な商法に何の疑問を抱かない人間が多いのは、テレビ商法になんの疑問も持たない人が多いからなのだろう(笑)

テレビ局は K-POP が売れれば直接自分の収入になるため、ばんばん K-POP を放送している(笑)おかげで国内は K-POP 一色になってしまった(笑)不況でテレビ局の化けの皮がどんどん剥がれ、汚い商売人の本性が丸出しになっている(笑)

素人芸としてなら何の問題もないので、振り付けの動画を落とし、DVD化して 「頑張ってね」 と渡しておいた(笑)どんなものになるのだろうかと、心配してもどうなるものでもないので、まともなPVを観て素人ダンスの事は忘れることにした(笑)

KARAのミスターの振り付けで一番良かったのは、サンバダンサーのものだった。あまりにも主観的な判断だが、多くの振り付けの中で基本的な踊りの楽しさを一番表現していたのであえて選んだ(笑)AVI で取り込み、人物が大きく映るよう拡大し、明度を上げ、音声をオリジナルの曲と入れ替えて(0.01秒単位の修正が必要) DVD化すると、楽しみながら踊ってるダンサー達が、とても輝いて見えた(笑)完全オリジナルのPVは、人を魅了するという点においてオリジナルを越えたと言って良い(笑)
Back Ground: サンバダンサー

オリジナルは音声がノイズだらけで聞けたものではなく、映像も人物が引き立っていないため、単なる宴会ショーにしか見えない(笑)しかし音声をオリジナル曲に入れ替え、人物を引き立つように映像を加工すると、一流のサンバダンサーのダンスとして観る者を魅了する。これも彼女らのダンスの質が一流だからであり、見た目だけで判断する事の愚かさを教えてくれる(笑)コンパクトにまとめられた無駄のない動きは、どのような環境でも通用する技術の高さを物語っている。畳三畳の狭い空間で、オリジナルを見事に越えたダンスを魅せてくれたダンサー達に感謝!

女性陣にはショーパブみたいと不評だったが、ダンスとは魅せてなんぼの世界であり、オリジナルをいくらまねてもまったく無意味。表現とは、自分自身を表現するものだという事を忘れてはならないだろう(笑)

時にうちの妹は韓国映画と K-POP が大好きだ(笑)強烈なファンとは空恐ろしいもので、けなしようものなら、その反撃には容赦がない(笑)人の趣味に難癖付けると大変な目に遭うので、おとなしく見守るようにしている(笑)完全なファンタジーだが、物語の根底が「人の怨念」なので、とてもじゃないが人に勧められるものではない(笑)そのうち飽きるだろから、それまで辛抱するしかないのだろう(笑)



傲 慢
傲慢な人間は 「自分は素人より知識と経験があるのだから、素人にとやかく言われる筋合いはない。経験からしか分からない事があるのだから、素人は口を出すな。どんなものでも 100% はありえないのだから、80% でがまんするのが当たり前だ」 などと知識より経験を積んだ自分こそが一番だと嘘ぶく。経験とは作業過程で必要なものでしかなく、完成品である結果に対してこそ責任を負わなければならない

このように自分に都合の良い考え方ですべてを決めてしまうことを傲慢という

このような人間は、「仕事が遅いからおまえはだめな人間だ。さっさと辞めてしまえ」という暴言を平気で使う。自分の物差しでしか物事をはかれない、自己中心的な人間が非常に増えている

相手の事などまったく考えずに、ただ自分の考え方を強引に押しつけ物事を推し進めていく。日本全体がこのような自分勝手な考え方に陥っているかのようであり、いやな世の中になったとしか言いようがない

物事が破綻するきっかけは、不条理な行動と、道理に矛盾する行動が発端となる。これは自分の事しか考えない傲慢な人間の行為が原因である。自身に都合のよい組織と制度を作り上げ、反する人間はことごとく排除して、全てを自分の都合で推し進める。矛盾を抱えた組織と制度は、いずれ破綻へと突き進んで行く。欠陥を放置し、根本的な解決を先送りしてきたつけが今の世の中に混乱を生んでしまっている

組織や制度の欠陥を修正していかない限り、人々が安心して暮らしていける世の中には決してならない

組織や制度を守るために人間を切り捨てていく今の世の流れは、権益にどっぷり浸かった傲慢な人間によって作り出されたものでしかない。利己的な世界は利己的な人間しか生まない事を、一人一人が良く理解して、そのような世界にならないよう努力しなければならない
Back Ground Music: 月光浴



無料と有料
最近のホームページは、無料と有料を混在させているものが非常に多い。無料のサービスに制限をかけ、制限を外したければ有料のサービスを利用しろと誘導する

このようなサイトに出会ったら単なる有料サイトとして認定し、無料サービスは絶対に利用しないようにしている。無料サービスは有料サービスの単なる広告塔にされてるだけで、少しでも違反した使い方をしたら、有料とみなされ訴えられる(笑)

そもそも無料とは、何の利害関係もなく自由に使える事が前提であり、制限を付ける時点であやしいものと判断しなければならない(笑)無料といいながら利権を主張している時点で、何か別の思惑があることを察知しなければならない(笑)大抵の場合、自分の作品だという事を主張するために、自分のものであるという証拠を表示させようとする

このような主張をする人間は、自分の作品が使われていないか鵜の目鷹の目で探し回り、自分の意に沿わない使われ方をしていたら即座に訴えを起こすのだろう(笑)このような怪しげなものは、最初から出会わなかった事にするのが身のためだ(笑)使用すれば作成者との暗黙の契約が成立してしまい、自分のホームページが作成者の単なる発表の場になってしまう(笑)

著作権を主張する場合は、最初から有料と明記すべきであり、制限を付けた場合も同様の物でしかない。無料に目がくらんで利用すべきものでなく、利用すれば間違いなく後で問題を引き起こす種となる(笑)使用する場合は、訴えられて裁判所に出廷する覚悟が必要になるだろう(笑)

制限付きの無料とは、限りなく有料に近い、一歩間違えば有料と訴えられる怪しさ100%のまがいものでしかない事を良く理解しなければならない

制限として商用禁止とする場合が非常に多く、これは「商用したらお金を取ります」という警告でしかない。いくら請求されるか分からないものを利用する事ほど恐ろしい物はない。作成者の気分次第で有料化できるのだから、商用禁止のものは絶対に利用してはならないだろう(笑)

他人の商売に利用されたくなければ、「二次配布を禁止します。それ以外はご自由に利用できます」の一言ですむ。商用禁止とは非常に広い意味で使われる言葉であり、商売上の事が書かれているものは全て含まれる。商用禁止の文字が書かれているものは非常に危険な代物であり、いいがかりをつける側にとっては大変便利な言葉になる(笑)

商用禁止の文字の裏には、「商売するだけの価値のあるものだが、商売に利用しないのであれば使っても良い」というプライドの高い押しつけがましい意味が込められており、初めから商売物として売る気満々のものだ(笑)「売れるもの」だとの前提だから、違反したなら、即裁判に訴える

無料素材の探索中に「商用禁止」の文字があったなら、プライドの高い制作者に敬意を払いつつ、即座にホームページを立ち去るべき

最近の「無料素材」は、確実な無料の証である「ライセンス表記」のあるものしか使えない。このライセンス表記のないものは、絶対に使ってはならない。「ライセンス」の表記の無いものを使おうものなら、即裁判沙汰へと発展する

例え無料素材のサイトであっても、「ライセンス表記」の無いものは使ってはならない。最近は、ライセンス表記のないものを無料サイトでダウンロードして、ホームページ使って裁判に訴えられる事案が頻発している。イラストの使用料は数十万から数百万。無料素材は、気軽に使えるものではなくなっている

完全な無料ライセンスの表記があるもの以外は、使ってはならないということだ。時代はイラストを使えるかどうかを、ライセンスで確認する時代へと移行した

イラストを使用する場合、無料ライセンスの表記である「CC0(パブリック・ドメイン)」が表示されないものは絶対に使ってはならない




インターネット詐欺
たまにまったく知らない相手からメールが届き、メールのリンクをクリックさせるような文言が書かれている。不用意にクリックしようものなら、「会員登録が完了しました 。会費をお支払い下さい」などと言うふざけたホームページが開く羽目になる(笑)

パソコンで使うメールは、Hotmail・Gmail・Yahoo などのWebメールしか使わない。仕事や友人知人用のメールは、連絡以外には一切使用しない。サイトの登録などに利用するメールは、他のアドレスを取得して利用する。このようにポストを分けて利用する事で、迷惑メールが来たら即座にアドレスの変更ができるようにしておく。Webメールの利点は、メールアドレスの簡単な変更と、メールの振り分けと迷惑メールの自動削除が簡単にできる点にある

複数のWebメールの送受信は、「Becky」 から一括して行えるので、いちいちブラウザを立ち上げる必要も無い。「Becky」 の最大の利点は、全てのメールを単なるテキストとして表示できるため、メールに仕込まれたウィルスに感染しないですむ事だ。又フォルダごとコピーする事で、簡単にバックアックできる。又一旦削除したメールを復元する事もできる

パソコンやデータ通信を使ったインターネットは、個人を特定する事ができない。例え「金を払え」と言われたとしても、住所や電話番号やクレジット番号を教えない限り、メールアドレスを破棄する事で問題解決となる。通常のインターネットの最大の利点は、この匿名性にある

ここで問題になるのが、携帯会社のインターネットになる。携帯会社のインターネットは、携帯会社が個人を特定しているため匿名性がない。クリックして認証するだけで契約が成立してしまう。どの時点で契約成立するのかも曖昧なため、利用者にとって非常に危険なものでしかない

携帯会社のインターネットは非常に危険であり、インターネットを利用したければ、データ通信端末を利用すべき。この場合には、必ず携帯専用のセキュリティソフトをインストールする必要がある

データ通信端末を利用すれば、通常のインターネットと電話の通話が低価格で利用できる。長時間の会話は、「Skype」を利用し、電話は電話サービスを別料金で利用すればいいだけだ。後は型落ちの安いスマートフォンを手に入れるだけですむ(笑)最新の携帯やサービスなど、馬鹿高いだけで利用する価値などない(笑)

スマートフォンは、インターネットと電話を融合させるもので、本来低価格で利用できなければおかしいものだ(笑)いかに安く利用できるようにするかを、利用者自身で良く見極める必要がある(笑)

インターネットの料金が高すぎるため、ネットが一向に普及しない(笑)光回線の速度を制限して安くすればいいものを、速度が速くなければインターネットではないという手前勝手な論理を構築して値段を下げない。NTT の二段構えの価格設定など、まやかし以外の何物でも無い。ネットは家族みんなが一日中利用するものであって、一人が一日30分以内でメールと簡単なブラウジングだけしかしないという前提はあり得ない(笑)

光回線の高コスト体質にはあきれてものが言えない(笑)「 NTT」の傲慢で割高な料金設定がインターネットの普及を妨げている。インターネットの高料金を下げる手段は、親方日の丸の「NTT」を選ばない事でシェアを低下させる以外にない

「NTT」は利用しない。これがインターネット普及への原動力となる(笑)ちなみに家は「au」だ(笑)
Back Ground Music: 琥珀色の夢キャシャーン



対 話
人と人との対話は、言葉と言葉のキャッチボール。投げる側が暴投すると、当然ながら相手は怒る。人は怒ると、当然とばかりに暴投しかえす(笑)対話は一歩間違えば、必然的に暴投のキャチボールという刃傷沙汰へと発展する(笑)

ツイッターや掲示板は、自分の意見にコメントが可能になっている。自分は気が小さいため、自分の意見に対してコメントを求めるなど絶対にできない(笑)だからツイッターもしないし、掲示板も見るだけで書き込みなど一切しない(笑)

言葉とは発した時点の心の有り様であり、今までの経験や、発した時点の環境などなど、様々な要因が絡み合ったものになる。お酒を飲んでの発言、他の情報に感化されての発言、相手の心境をまったく考えない発言等々、時や場所によって内容が変わる不確実な代物です(笑)

何気に怖いのは、何の気なしに発したものが、自分自身を決定づける証拠になる(笑)言葉なんて代物は、時・環境・心境によって時々刻々変わるもの。「自分の言葉に責任を持て!」なんぞと言われても、責任などもてるはずがないだろう(笑)物の見方など、見る人の経験や知識・判断の切り口によって全く違う。つまり人の数だけ違う意見が存在する(笑)

大勢の人前で発言する場合、原稿を書く余裕があれば何度も何度も推敲し、相手に真意が間違いなく届くように努力する。その余裕がない場合、自分の中にある情報を一言一言絞り出し、誤解を生まないように注意深く発言する。これは神経をすり減らす、大変な作業となる(笑)

ツイッターや掲示板もまた、大勢の人前で話すという意味では同じであり、仲間内なら気楽にできるが、不特定多数の人に対してまともな発言など絶対にできない(笑)

世の中に責任の無い発言などある訳無い(笑)不用意な一言で「一発離婚!」なんてのは日常です(笑)ネット上の発言は、全て法的責任がある…なんぞと「法律専門家」が宣う時代なのだから、ネットの書き込みには厳重な注意が必要です

自分を知る知人の場合、自分の失言は「ちゃんと勉強してから話せ」との一言だけで事は収まる(笑)しかし他人の場合、必然的に裁判沙汰へと発展する…

情報化社会の詐欺師は、自分の言葉の責任だけは回避しながら、他人の責任は徹底的に追及する。代表格はテレビであり、あらゆる言葉で弄び、法的責任など一切無いと堂々と居直る。テレビは見てはならない、破滅に至る地獄行きの特急列車…

インターネットでは、自分を知らない他人の場合、失言がそのまま自身の人格として認識される。これは非常に恐ろしく、一つの失言がネット上での自身の人格を決めてしまうはめになる。しかし人の発言には数十年 もの人生の裏打ちがあり 、発言の真意を知ろうとするなら、その人の生き様を把握しない限り発言の真意を理解する事などできないものだ。本来人の真意とは計り難く、ネットの発言で人柄を推定するなど愚かにもほどがある。発言からこのような人物なのだろうと、勝手に推測しているだけ(笑)

ツイッターや掲示板はまさに言葉のとおり、単なる連絡掲示板。決して相手の真意を計れるものではない。真剣に書けば 書くほど、真意から外れたものになっていく(笑)

ツイッターや掲示板は、ただの連絡に使うには都合が良いものだが、対話には絶対に向かないものだ(笑)そもそも対話には、物事の初めから順序立てて話していかないと、話自体が成立しない。物事の一部分を取り上げて討論しても、まともな対話には決してならない(笑)テレビ討論が白熱したものになるのは、物事の一部分に対して議論するからであり、物事全体を詳細に把握せずに行う議論など、視聴率かせぎのための単なるまやかしでしかない。抜け落ちた真実を語らずして、対話など絶対に成立しない

対話にはまず相手の考え方や状況を聞くという前段階から始まり、話の対象になる事柄を相手が納得するまで話してもらうという、非常に根気のいる作業が必要になる(笑)

一言二言の文字で、発言者の真意など分からない。だが発言者の傾向だけは確実に分かる。不用意な言葉とは「人の本心」そのものだからだ

だからツイッターやSNSの発言には、格段の注意が必要になる。なので今はまったく使わない (笑)ツイッターやSNSの発言は、どようなものであれ、公式なものと受けとめられてしまうからだ。自分にしか通用しない独り言を公にすれば、必然的に身を滅ぼす(笑)特に携帯からの発信は、匿名性など皆無なため、確実に身を滅ぼす(笑)

ツイッターやSNSは、公に情報を公開する、高いリスクが伴う行為。一旦自分自身がネタにされると、丸裸にされたあげくに、言いたい放題の晒し者にされてしまう(笑)「他人事に首を突っ込むと、碌な事にならない」というのは世間の常識。ツイッターやSNSは、その垣根を簡単に踏み越える。情報の掲載には遠謀深慮が必須であり、何も考えずに掲載すると、後でとんでもないトラブルへと発展する…

目立ちたがりは迂闊な行為にまったく気づかず、ただ無情に破滅の道をひた走る・・・。そこが破滅の道だと気づかずに…。ツイッターは破滅の道具にすぎない…

純粋な人ほど子供の心の近い。しかし子供は自らの醜くき心を制御できずに、時に醜い言葉をまき散らす。子供だと、子供だからと許せるが、大人であったら許されない(笑)人は糾弾し、人の心が離れていく…。ツイッターは心が子供の人には凶器となる。子供に刃物は厳禁です(笑)人は大人に対して、子供の心を許さない。人は許すだけの器量が必要だろう…
Back Ground Music: キミガタメ

ツイッターやSNSとは単なる独り言であり、本来公に公開すべきものではない。不特定多数に向けての掲示板であり、瞬時に自分の意見を公開できるのが利点だが、それはそのまま欠点ともなる。本来人は寂しがり屋であり、自分の意見を聞いてくれる人を探している。だから自分の意見を聞いてくれと、ツイッターで自分の言葉を発信する。これは単なるストレスのはけ口であり、海に向かって「バカヤロー!」と叫んでいるのと変わりがない(笑)

ツイッターやSNSとは、本能の赴くままに本心をさらけ出し、人の正体を晒す場所(笑)人によっては、獲物を狙う狩り場であり、正直者ほど被害に遭う弱肉強食の非常な世界(笑)しかしツイッターが必要な人間もいる。人をいいように言いくるめる詐欺師のような人間だ。政治家、評論家、芸能人・マスコミなどには必須にすべき。その歪んだ本心を人目にさらし、身勝手な言いぐさを人々に知らしめるためには非常に有効な手段になる。一般人には必要のないものだが、日頃から本心を隠している人には必須の道具といえよう(笑)

ツイッターやSNSが「馬鹿発見器」と呼ばれる所以は、人の本心がさらけ出されるからに他ならない(笑)ブログも又、人の理念と信念がさらけ出されるため、自分自身の愚かさが見えてくる(笑)だから情報の公開とは、人の愚かさの確認でもある(笑)

だからマスコミと政治家は、核心となる重要な情報は絶対に公開しない。情報の核心を公開しないのは、愚か者以下の愚劣な人間

ブログを書くには、自らの欠点を恐れない勇気が必要になる(笑)ブログとは「自分はこれだけの理念しか持ち合わせていません」との宣言行為にすぎない(笑)これを自らの力とするか、自らの力の無さに悲嘆するか、それは心の持ちようで幾らでも変わるもの(笑)前向きに、楽しみながら、人との付き合いを楽しむ

人との対話を楽しむ。ブログを書くことを楽しむ。論理の組み立てを楽しむ。人の成長を楽しむ。人の喜びを自分の喜びにする。生活を改善する。生きる事を楽しむ。知的好奇心を満喫する。生きるとは目的を探す旅になる。そのためには、自分の立ち位置をしっかりと確認する必要に迫られる。発言による影響を考えなければ、確実に社会的に破滅する(笑)ブログとは深謀遠慮の道具であり、人の奥深さが分かる検知器でもある(笑)

不用意な発言は身を亡ぼす。人は情報との正しい付き合い方を身につけなければならない

SNSで対話など成立しない。共感するかしないか、賛成か反対の2極だけ。そもそも中立の人間は、SNSなど見向きもしない(笑)書き込みなんぞという危険な行為は絶対に回避する(笑)コメントできるようにすれば、荒れるのは当たり前(笑)

インターネットの書き込みに、中立など存在しない。存在するのは、技術者達が集う論理的な意見が求められる技術的な掲示板のみ(海外にしか無いから、英語を覚えて(翻訳方法を習得)さっさと海外の掲示板に行けとしか言いようが無い)。衝突を回避するには、パスワードを発行し、グループ化すればいいだけだ(笑)

SNSやツイッターを思想の選別に利用すれば、当然のように裁判沙汰へと発展する。SNSを思想の選別に利用するのは止めましょう。インターネットは仲良しだけの「お花畑」なんかじゃない(笑)

悪の権化たる自民党は、「SNS」の発言を裁判資料として活用できるよう法改正。今や「SNS」の書き込みは、法で裁かれる裁判資料(笑)批判しようものなら、即座に裁判へと発展する(笑)今や「SNS」は、全てが許される「お花畑」と化している(笑)批判が許されない場所とは、宣伝と詐欺師が跋扈する伏魔殿…。日本の「SNS」は終わりです(笑)

インターネットをお花畑に変える行為は、洗脳行為と変わらない



迷 言
ある物に対する費用対効果について聞かれて、正直返答に困ってしまい、「それは個人の価値観によって決めることだ」と明確な判断を避けてしまった(笑)大きな問題の解決には、必ず損害という負の面があり、それを受け入れる覚悟が必至になる。おいそれと薦める訳にはいかない

誤ってしまった判断の後始末ほど困難なものは無い(笑)自分の失敗なら、単にあきらめればいいだけなので、こんなに簡単な事はない(笑)しかし他人の場合はそうはいかない。最小限の損害に収まるよう、適切な対応が必要だ。このような時には、膨大な選択肢の中から最適なものを選ぶ必要に迫られる

その選択肢が自分の中に無い場合、都合の良い「迷言」が生まれる(笑)
Back Ground Music: War in the Pocket



地滑り
今回の熊本の地震は本当に大変だった。遠く離れた自分の所も、横揺れがすごかった。震源地の被害が甚大なのもうなずける。今回の地震では地滑りが被害を大きくしているが、何処も同じ風景が目に映る。大きな橋を押し流した地滑りも、山全体が杉林に覆われている。火山性の土質なのに、保水力や土の保持力がない杉を山全体に植えれば、地震や大雨で地滑りするのは当然だろう

地滑りした山の映像や写真を見た時の違和感は、山が本来の姿ではないからだ。地滑りには、起こった原因が必ずある。原因を探らずして、同じ災害は防げない

災害に強い生活を手に入れるには、それ相応の対策がいる。阪神大震災や東日本大震災の教訓が生活に生かされているのか

教訓を得るには、災害の原因の究明が必至になる



災害
日本の災害情報は、リアルタイムで得られない。インターネットで瞬時に情報を得られる21世紀から脱落した、余りにも酷い劣化社会。それが日本の現状です

災害では全体像の把握が鍵になる。全体像を掴まなければ、理解も対処も解決さえもできない。何処で災害が発生し、何故災害が発生したのか。判断するための情報が揃わないため、災害の原因が掴めない。理解するための情報を渡さないのが、日本社会の現状です。ハッキリ言って無茶苦茶です

雨雲・雨量・風速等々のデータの推移は、インターネットで瞬時に分かる。しかし、地域の状況は何一つ分からない。ライブ映像の配信があれば、状況の把握は瞬時にできる。しかし地域の状況を確認できる、インターネットのライブ映像は無いに等しい。日本政府は、今や馬鹿の集まりです

データを国民に渡さない自民党の奴隷政策によって、今や日本は陸の孤島となり果てた(笑)

インターネットを検索しても、災害の全体像が忌々しいほど見えてこない。行政に情報を纏め公開する能力がまったくないため、国民は情報による判断がまったくできない

自民党による奴隷政策とは、国民をデータで判断できない無能にすること。行政はデータの公開や情報のまとめなどは一切しないため、国民はデータによる判断が一切できない。しかも放送法に準拠する「NHK・新聞・テレビ」は情報を一切残さない。正に陸の孤島です(笑)テレビの映像でしか判断できない、余りにも無能な劣化社会。それが腐敗政治家による、情報が存在しない無能社会の現実です

情報の公開なき奴隷世界、情報が存在しない無能世界、情報の入手ができない劣化世界。それが日本の現状です

確認するには、インターネットの検索で即座に分かる(笑)ハッキリ言って何もない(笑)笑うしかない現状が、今の日本の現状です。自民党なんぞという腐敗政治家共を選んだ結果がこの惨状。もはや自業自得です(笑)日本は腐敗政治家が罷免もされず、安心して住める国(笑)国民に情報を渡さない、自民党の奴隷政策は、日本を不正・腐敗・欠陥が堂々と蔓延る国へと変えている…

選挙に行かない日本人は、腐敗政治家に食い物にされる家畜と同じ。選挙の投票率が落ちた日本が落ちぶれるのは当たり前(笑)自民党という悪党共がのさばるのは、全て国民自身の責任です。自分は決して自民党には投票しない。選挙に行くの止めたら、人として終わっている
Back Ground Music: Re:Zero

道路の何処がどう壊れて不通になっているのか、復旧はいつ頃になるのか、迂回の道路はあるのか、テレビの報道からはまったく見えない。今自分が生きていく上で必要な情報とは何か?。必要な情報は、自ら求める時代へと移行している

自己中のテレビや新聞に期待したり、批判してもまったく無意味。的確な情報が得られる場所をインターネット上から探すべき

情報は与えられる時代から、求める時代へと進化している。情報化社会とはネットワークの時代を意味する。ネットワークは、情報を繋ぎ、隠れていた物事の真の姿を実体化する。情報は繋ぐ時代へと移行している

情報は活用できなければ意味がない。情報とは活用するためのものであり、正しく活用するためには、膨大な情報の集積と選別が必須です。情報は人に活用されてこそ意味がある

災害には的確なネットワークの構築が必要です。情報の集積と共有化なくして、的確な判断など不可能です
Back Ground Music: umbrella雨雲レーダー

洪水対策には明確な「限界」が存在する。洪水対策を万全に施した模型に対し、コップの水を一気に逆さにするだけで、洪水対策は無効になる(笑)限度を超えた雨量に対し、洪水対策は意味を成さない…

東京のように地下に巨大な貯水槽でも建設すれば、少しはましになるのだろうが、山間部には無理だろうし、長期の雨には対処不可能(笑)ダムは水も貯めるが、同時に土砂や木材ゴミも堆積する。貯水効果は微々たるもので、貯まりきったら放水での被害拡大も見込まれる。洪水対策は短期の雨には対処できるが、そもそも長期になれば保水機能が限界を超え、何の役にも立たない(笑)

ダムは市街地からの距離、貯水量、その他に市街地の地形や標高等々、さまざまな要因が絡んでくる。ダムがあるから助かる地域、ダムの利点が少ない地域。土地によって異なる評価が下される。高度なシュミレーションによってしか、正しい評価は下せない。保水の限界を越えたなら、逆に洪水被害が拡大する。そもそも増水した川には雨水を流せないため、排水できずに水が溢れて洪水となる。ダムによる安全神話など意味が無い(笑)保水の限度を超えた大雨は、自然に洪水を引き起こす

洪水がおこるような場所には住まない。これが最も効果的な対策です。地球の温暖化よって、記録的な大雨が長期化するという、コップの水をひっくり返したような事態が日常化。記録的な大雨は、今や単なる日常です…

豪雨をもたらす雨雲が、帯のように連なって、次から次へと押し寄せる。海水温が高いため、雨雲の勢いが活性化する。地球温暖化は、日本を熱帯域へと押し上げる。バケツの水をひっくり返すような豪雨が、日常となる世の中へと変わっている。山沿い、扇状地、川沿いは、今や非常に危険な場所。山の管理が杜撰なため、保水機能など期待できない。降雨量が甚大なため、土砂崩れによる危険性は跳ね上がる。そもそも自然災害に対しては、回避が一番の得策です(笑)

水害の回避とは、ハザードマップで浸水する場所の回避です。人が住んではならない場所を指摘するのがハザードマップ。浸水する場所なのだから、そもそも住まないのが当たり前

川の傍での生活とは、洪水と隣り合わせの生活です。家屋が水に浸水し、車や家電製品が全滅する。家屋の価値が激減し、生活の維持が困難になる

ハザードマップで危険な場所に、家の新築など言語道断。危険な場所には住まない。危機回避とは、危険の回避。危険と隣り合わせの生活は、何時か危険に飲み込まれる。賃貸ならさっさと引っ越し、自宅なら移住の検討が必要だ

地球の温暖化は、人の住める場所を狭めていく。ハザードマップは、人が住んではならない場所を指し示す。利便性のみで住居を決める平和な時代は、温暖化によって既に終止符が打たれている

記録無き生活は、身の破滅と同義の時代。時代はデータを自分で活用する情報社会へと移行している。何が当たり前で、何が当たり前ではないのか。判断するのは自分自身。判断の元となるデータは嘘をつかない。嘘をつくのは人間です



定跡
定跡とは、必勝に通じる最善手。行く道を安全に進むための安全基準。定跡を踏み外すと、その先には混沌が待ち受ける

一般的に悪化を回避する手法を定跡と呼ぶのだろう。定跡とは危機回避に他ならない。ゲームの定跡はネットや書籍で、嫌と言うほど手に入る(笑)しかし生活の定跡は、嫌と言うほどまったくもって見つからない(笑)

定跡とは「失敗の回避」。失敗の回避を繰り返せば、とりあえず泥沼だけは回避できる(笑)しかし、失敗の経験が身につかないため、本当の怖さを理解できない。目の前で自滅する人を見ていれば、骨身に染みて役立つのだろうが…。言葉だけでは懲りないのが、人という生き物(笑)

現代社会ではシュミレーションを行い、それを実体験として身に着けられる。シュミレーションの習慣化により、適切な判断を身に着けられる。その実現には、膨大なデータの収集が必要です。シュミレーションは、最悪・中悪・小悪、最良・中良・少良等々、様々な段階が可能になる。最悪を想定すれば、最悪の破滅は免れる(笑)

シュミレーションとは、失敗の要因を特定し、失敗の原因を排除する、成功への道程です。そのためには、あらゆるデータの取集が必要になる

危機管理のシュミレーションでは、最悪の事態を想定するだけで、最悪になるかどうかは分からない(笑)最悪の事態にならないと、怒ってみても意味が無い(笑)定跡も同じであり、そうなるとは限らない。限らないが、そうなる道があると理解して、対策を練る習慣が必須です。最悪を想定しない対策は、いずれ最悪へと突き進む。定跡とは危機管理であり、危機回避の手段を覚えるものだということをしっかりと理解すべき

データを収集する習慣を身に着けなければ、シュミレーションは絶対に身につかない。そのためには、テレビからの離脱は必至です(笑)国民にデータを渡さない、放送法という邪法に準拠した「NHK・新聞・テレビ」からの離脱は必至です(笑)

邪法崇拝の利権団体には「データ」が存在しないのだから当たり前(笑)テレビなんかはさっさと切り捨て、データ収集の習慣化を身につけなければならない。ドラマや映画の主人公は、テレビなど見ていない(笑)

娯楽は自分自身で見つけ、自分に役立つ娯楽を楽しむべし。娯楽とは、自分だけのリラックス。人にどうこう言われる筋合いのものではない。娯楽は、自分で見つけ、自分に役立つ、自分に生かせるものを探していく。料理を楽しむ(生活力の育成)、工作を楽しむ(集中力の育成)、読書を楽しむ(理解力の構築)…。作る楽しみを見つけるのが大切だろう(笑)

生産性の無いものは、基本生活の役に立たないし、自分自身にも役立たない(笑)自分自身に役立つ娯楽を探すのも、それも又娯楽と言えるだろう(笑)リスクのある娯楽を避けるのは当然です(笑)娯楽とは、遊びでリスク管理を行うことでもある(笑)

リスク管理を覚えるのが、娯楽の本当の意味と言えるだろう。動物は遊びの中で危機管理を体験し、生活の定跡を学んでいく(笑)
Back Ground Music: リスク

テレビは人の危機管理能力を破壊する(笑)テレビからの完全離脱は、生活の定跡と言えるだろう。昔から「テレビを見ると馬鹿になる」と散々言われてきたのだから当然だ(笑)布団のようにでかいテレビで、情報管理など絶対に不可能(笑)コンパクトな生活を心がければ、自然とインターネット中心の情報生活へと移行できる

昨今はNHKが訪問してきて「テレビは有りませんか?有ればNHKとの契約は成立です」と注意してくれる。NHKはテレビからの完全離脱を推進する、テレビ撲滅の政府機関(笑)「テレビは無いか~。テレビは無いか~。テレビがあれば、生涯続く奴隷契約を裁判で強制するぞ~。従わなければ裁判に訴える!」と、NHKが巷を徘徊して警告して廻っている(笑)

「テレビなんか見てると、生活環境が悪化するぞ! テレビは奴隷生活を強いる欠陥品だ!」と国民の家庭を訪問して警告してくれる(笑)NHKは親切だな~(笑)

「テレビはありません!NHKと契約する義務はありません!」と、しっかりと危機管理ができる生活環境を整えなければならない(笑)NHKに指令しているのは「自民党」なのだから、「自民党」の討伐は必至です。悪の芽を摘むのも危機管理の一環です

物事を把握するには、適切な情報収集と、情報を適切に纏める柔軟な思考が必要です。データの収集と全体像の把握は、柔軟な思考を維持し、ボケ防止に役立つ(笑)データを整理し、全体像を把握し、原因・元凶を特定し、問題の解決を図る

テレビに情報を頼る生活は、情報を制限され、全体像を把握できない奴隷生活に他ならない

データの収集と分析は、日常生活の基本です。何が悪で、何が許されない行為で、何が堕落の原因なのか‥‥。人としての目的を、常に見失わない生活が必要です。生活には、「不正・腐敗・欠陥」を常に排除していく、リスク管理が必要です



住宅の建て方
火災で消失した跡地に、住宅を再建する事になりました。再建するにあたって色々な方々から話しを聞いていくと、「人任せにすると、ろくな事にならない」 という結論に行き着きます(笑)業者まかせにすると材料の品質を勝手に落とすわ、クレームをつけると追加費用を後で請求されるわで、予算を大幅にオーバーするはめになります(笑)手抜き工事をしてボロ儲けしたあげくに、さっさと倒産させて責任逃れをする業者は後を絶ちません

このような業者にひっかかった知人が何人もいるので、業者選びが最大重要事項になります(笑)基本的に商売人は儲けを最優先にし、施主の思いなど考慮しないと考えるべきでしょう。業者と施主の考え方は異なるものとの前提で進めていかなければ、業者に都合のよい住宅しか建ちません(笑)

まず見積もりを取り、建材や使用するすべての設備の金額が掲載されているか確認します。これがきちんとできている所は施主支給が可能になります。一式で見積もりをする所は信用できません(笑)施主支給する事で、ワンランク上の製品を安価に設置でき、総額を抑える事ができます。一番重要なのは設計どおりの建物をしっかり造れる、信用のおける業者を見つける事です。建築途中の物件を見学したり、長年住んでいる方の話を聞くのが一番です。実際に住んでいる方の意見のみが信用できるものであり、業者の説明など何の参考にもなりません(笑)

参考になるホームページを調べ、先人の失敗を学びながら業者を選定し、設計にかかわっていくことになります。参考になったのは、「住宅はメンテナンスが必要なものであり、メンテナンスができない住宅は劣化が早く進む」 というものです。日本にはシロアリがすんでいるため、被害を目視で確認できる事が重要になります。屋根裏や床下に十分な空間がなければメンテナンスは不可能になります

全てを人まかせにするのではなく、自分でできる事は自分でやるという姿勢でないと、住宅のメンテナンスなどできません。自分でメンテナンスができない住宅など、十数年で使い物にならなくなります(笑)



価値ゼロの日本住宅
日本の住宅が何故これほど高価で、低性能で、価値が低いのか。これは日本の行政の政策として、住宅を単なる個人資産と位置づけているからだ

日本の住宅ローンは個人の負債でしかなく、住宅の価値に対して行われる訳ではない。アメリカの場合、住宅ローンは家の価値に対して行われ、ローン返済ができなくなれば家を手放すだけですむ。住宅が銀行によって価値ある資産と認められているから、住宅の性能が高く、適正利潤で低価格の住宅が建てられる

日本では10年もすれば住宅価値はなくなり、土地の価値しか残らない。国の政策として、個人住宅を公共施設のように厳しい基準にし、欠陥住宅など建てられない法律をつくれば、住宅自体に資産価値が生まれる。日本の住宅の価値がゼロなのは、行政・国会議員・住宅メーカー・銀行が無能で強欲なため、住宅を低性能で高利潤で無価値のものと位置づけているからだ

銀行が資産として認めるには、住宅の本当の価値をきちんと評価でき、50年・100年ともつだけの高性能な住宅でなければならない。住宅の価値を決める基準がない日本の住宅は、資産価値などまったくない。住宅メーカーが住宅の本体価格を隠して利潤を大幅に上乗せしたり、建設途中に厳しい検査がないため欠陥が簡単に発生する現状は、法律で個人住宅の価値を正しく評価できるようにすれば防げるものだ

企業献金を止めずに金儲けしか考えず、立法すらもできない馬鹿で無能な国会議員を選んできたつけが、個人の大切な資産である住宅を価値のないものとしてしまった。海外視察と称して物見遊山に出かけ、海外のためになる制度は利権を盾に無視するような、無能なくず議員を選び続けてきたのだから仕方がないとしか言いようがない。本来政治家とは生活の仕組みを良くするために、基準となる法律を立法し、より良い生活が送れるようにする職業だ。それを無能なタレントや金儲けしか頭にない人間にやらせば破綻するのは当たり前だ

日本の住宅は資産として適正に評価する基準がないため、そもそも価値などまったくない。ただあるのは、高利潤で販売された偽りの購入価格だけだ。価値あるものにするためには、住宅を建てる本人自身がきちんとした資産として建てるしかない。住宅を資産として評価する社会的な仕組みがないのだから、工法・材料・検査等々、自分で評価する他ない



活断層
日本は元々地震多発地帯であり、地震は当たり前位に思っていなければならない。地元は火山の爆発の振動が度々あり、地震には慣れっこになっている(笑)

強烈な直下型地震は活断層に沿って起こるため、住宅は断層の近辺を出来るだけ避けなければならない。マスコミはこの活断層の危険性を周知しようとはせず、活断層の場所の隠蔽に躍起になる(笑)断層地震があれば原発とのからみもあって、すぐに単なる地震災害として報道する(笑)活断層による地震などまるで無かったかのように忘れ去られているのが現実だ(笑)

強烈な地震で自宅が倒壊すれば、全財産を一瞬で失うはめになる。このような災害では地域の絆が大切になり、それが身元確認や救出の役に立つ。しかしそれはあくまで相互扶助の精神の範疇であり、災害復興や生活の再建には何の役にも立たない。生活とはあくまで自己責任であり、地震被害に遭うのも、自身の生活の再建も、全て自分自身で負わなければならないものだ。断層地帯に住む危険性を背負い込むのは、最終的に自分自身になるという現実を肝に銘じるべき

住む家が無くなるという事は、帰る場所が無くなるという意味になる。当たり前の事だが、これは非常に厳しい事態であり、全てを失い途方に暮れるのが現実だ。自力での再興は、全てを一から出直すのと同等の苦難が伴う。そうならないためには、活断層の地域は避け、できるだけ地盤の安定した地域に住む必要がある

嬉しいことに、活断層の場所はインターネットで簡単に調べられる。この活断層の近辺では強烈な震動により建物が倒壊する可能性がある。自分の住む地域が断層の近辺にあるかどうかを知らなければならない。不幸にも該当する場合には、地震保険に入るなどの対策が必要になる



不審火
最近不審火と思われる火災が増えている。「何故こんな所から火がでるのか」という不審な火事が増えている。火災は全てを失う最悪の事態につながり、犯罪としては殺人罪に匹敵する重い刑罰になる。犯人が分からない不審火が増えている現状は、社会が疲弊し病んでいる証拠でもある

社会が病めば、人も同様に病んでいく。社会の不正や矛盾をそのまま放置してきたつけが、社会に混乱を生んでいる。社会に活気があれば、このような重い空気が社会に蔓延することは無い

社会の安全神話が完全に崩壊している。外国人による犯罪なのか。社会に不満を持つ者の犯行なのか。日本の教育や、社会概念から完全に逸脱している。日本の犯罪の凶悪化は、社会の欠陥から生まれたものでしかなく、変えようと思えば変えられるもの

社会の善悪をしっかりと明確化し、犯罪を生まない環境にしていくしかない



携 帯
公衆電話から携帯にかけると、10円玉が機関銃の玉のように吸い込まれる。3分も話すと数百円にもなる。これは異常としか言いようがない。だから自分は携帯を持たない(笑)

「小学生が携帯を持つ時代に、携帯を持たないなど時代遅れでしかない」 と人は言う。しかし数分話しただけで、カップラーメン数杯分のお金が飛んでいくものに何の価値があるのだろうか。連絡など固定電話の留守番電話で事足りる。仕事で携帯を利用するのはしょうがないが、プライベートにはまったく必要ない。直接会って話しをしなければ、人との絆など築けるはずもなく、携帯は別に無くても困るものではない(災害などの緊急時には必要なので、維持費用が最低料金の携帯は必要となる。携帯は緊急用の連絡手段でしかない)

携帯のシステムはお金を利用者からむしり取るようにできているため、気をつけないと数十万円もの請求が来る羽目になる。携帯は利用者からお金をまきあげるための道具でしかない(笑)

携帯は使った分だけ料金が発生する。何も考えずに使える機能を全て使ったら、月末の料金が数百万にもなる。つまり携帯には料金を制限する安全機能などまったくない。問題が発生すれば、それは全て自己責任。だから自身で制限をかけるしか無い

「携帯とはブレーキのない自動車」。アクセルはいくらでも踏み込めるが、料金は請求が来るまでまったく分からない。携帯とは人を破滅に導く危険物にすぎない

しかもインターネットをしようものなら、ワンクリックで契約が成立し、即座に携帯料金として請求されるという、ワンクリック契約(一回だろうが、二回だろうが、三回だろうが、クリックだけで契約が成立する時点でワンクリックと同義)が公然と認可された非常に危険な道具と化す。ワンクリック詐欺が正式契約になる非常識きわまりない、危険度10000%の課金インターネットを利用するはめになる・・・。ただの携帯が、自己破産まっしぐらの凶器と化す。あな恐ろしや・・・

携帯とは人を破滅に導く道具にすぎないことを理解すべき。携帯は単なる連絡手段の道具として利用すべき

一般のインターネットでは個人を特定できないため、ワンクリック詐欺はそもそも成立しない。しかし携帯でのインターネットの場合、個人を携帯会社が特定しているため、ワンクリックで契約が成立してしまう。このあまりにも高い危険性のため、携帯でのインターネットは絶対にすべきではない。どうしても必要なら、データ通信端末を経由して、通常のインターネットをすべき(セキュリティソフトは必須)

携帯でのインターネットとは、携帯会社が料金を集金してくれる超高級有料歓楽街でしかなく、訳の分からないうちに莫大な料金を支払ってしまうはめになる。実際にお金を支払う行為を伴わないため、危険度の非常に高い行為であることをきちんと認識しなければならない。携帯では契約を利便性として簡略化しているため、誰彼かまわず、クリックして課金を確認しただけで契約が成立してしまう

無料と課金の境目がはっきりしなのが、携帯のインターネットの特質であり、そもそも利用すること自体に問題がある。いくら便利なものであっても、危険性の非常に高いものは止めるという決断ができるかどうか。その判断は、人それぞれ(笑)

こんな恐ろしいもの使えたものではない。まともに使える方がどうかしている

携帯は自分自身をきちんと律する事のできる人が持つものだ。上手に使える人は、料金やサービスの内容を良く吟味して、自分に合った使い方をする。もちろん携帯の料金の危険性も良く理解した上で利用している。無料通話できる人としか連絡を取り合わない賢い人もいる(笑)

携帯は連絡をとりあう道具でしかないのだ (笑)しかし最近の携帯は、パソコンと同等の機能を持つ。しかし家に帰ればより便利なパソコンがあるので必要ない(笑)携帯はコミュニケーションの道具であるはずなのだが、携帯での買い物やサービスが全て携帯料金として徴収できるため、歓楽街のぼったくり店と同じでしかない。サービスを利用して楽しく過ごした後には、法外な料金請求という地獄が待っている・・・

ハイテク技術の固まりである携帯は、地獄への通行手形にすぎない。最新のテクノロジーによって料金を徴収するため、人のこざかしい小細工など通用しない。規約を都合のいいようにめまぐるしく改変していくため、ユーザーは骨の髄まで搾り取られる・・・

閻魔様から頂いた道具は、十分に気をつけて使わなければならない(笑)

最新の携帯は小型のパソコンと同等なのだが、小さな画面で確認できる情報などたかが知れている。携帯は非常に高価な機能過多のガラクタとしか言いようが無い(笑) 電話や携帯は単なる通信手段でしかなく、後には何も残らないという事実を良く理解すべき(笑)

最新の携帯は通信料が異常にかかる、地獄行きの優待パスボートでしかない・・・

携帯を安心して利用できるようにするには、不要な機能は使えないようにする事です。パケット通信が諸悪の根源なので、パケット契約は携帯には必要ありません。携帯でのトラブルはインターネットを通して起こるので、パケット契約をしない事で安全かつ低料金で利用できます。携帯でのインターネットは非常に危険であり、トラブルの原因にしかなりません

携帯は利用すればするほど料金がかかり、複雑な料金体系は思いもよらない請求を発生させます(基本がぼったくり料金なので、安くしようとすれば必然的に複雑な料金体系になる。少しでもそれた使い方をすれば、法外な利用料金が発生してしまう)

携帯を安全に利用したければ、使わないようにする事です(笑) 携帯はマイクロ波を利用しているため、電子レンジの中に頭を突っ込んでいるようなものなので、使わないにこしたことはない・・・

人格崩壊(緩慢な脳細胞の損傷)したい人や、お金の浪費がしたい人には、携帯は非常にお薦めです(笑)

追記: 携帯は非常に便利な代物です。音楽を聴いたり、ワンセグでテレビを観たり、写真を撮ったり、スケジュール管理や電卓・メモ帳代わりにもなります。ちなみにこの便利な携帯は不要となったものを頂いたもので、電話をかけることができません(笑)

最近の携帯は小型のパソコンといってもいい物で、通話できなくても便利に使えます。しかしその機能は携帯会社の都合のいいように制限がかけられていて、決して使いやすいものではありません(笑)消費者は何時までたっても満足できないため、次々に買い換える事になります(笑)携帯の最終形態はパソコンであり、それは携帯会社にとっては都合の悪いものでしかありません(笑)

最近子供がモバケーなどの課金サイトで、万単位のお金を使うトラブルが増えている。何も分からない子供相手に課金するなど言語道断であり、契約する場合にはクレジットの契約と同等の手続きをふみ、勝手に契約できないようにすべき。クリックひとつで契約成立など、携帯会社ぐるみの詐欺行為としか言いようがない
モバケーが横浜ベイスターズを買収したようだが、これでプロ野球というスポーツに興味がまったくなくなった(笑)これで又テレビを観る機会が一つ減ったことになる(笑)

子供の持つ携帯(持たせないのが身のため)に、インターネットができるパケット契約は絶対にしてはならない。携帯会社はクリック一つで契約を設立させ、莫大な料金を携帯代と一緒に請求してくる。携帯会社を信用するなど、泥棒にお金を預けるようなものだ。携帯にパケット契約は絶対に必要無い。契約すればいずれ必ず莫大な請求が来ることになる

マスコミやテレビや雑誌は、携帯の使い方と称して携帯を2台以上で使い分けるように勧める(笑) これは料金体系が異なるため、複数台の携帯を使わないとまともに使うことができないからなのだが、これは料金体系を変えればすぐさま一台で使えるようになる(笑) 携帯会社とマスコミはこの矛盾を気づかれないようにして、携帯料金・インターネットの利用料金を高値に誘導して暴利をむさぼる。携帯にインターネットなど本来必要なく、無線LAN経由で使えればいいだけのものでしかない。それを電話と無理矢理合体させ、光回線のインターネットと電話のインターネットで2倍の料金を徴収して莫大な利益をあげている。インターネットは光通信で使ってこそ便利になるもので、電話回線で使う代物ではない。電話とネットを分離する事で通信料金は大幅に下げられる。携帯2台を持ち歩くなど、子供でも馬鹿な事だとすぐさま気づく。これに気づかない大人は、幼稚園児以下の本当の大馬鹿者だ(笑)

追記: 馬鹿高い通信費がかかり、一日しか持たないバッテリーを搭載したスマートフォンなど使えたものでは無いという事実に気づくべき(笑) NTT は回線の独占によって非常に高額な料金を設定しているため、NTT 以外を選ぶ事で料金を下げられる。NTT の強突く張りは鉄板なので、NTT のシェアを落とさない限り、日本の光通信に未来などない(笑) 1G のスピードで約5千円。何故1/5の速度にして、1/5の値段に出来ないのだろう。この矛盾に腹を立てない日本人は、本当におひとよしだ(笑)

そもそもこのような馬鹿馬鹿しい事態を招いている原因は、携帯が電話会社ごとに固定化してしまって、電話会社を変えると携帯も買い換えなければならないという馬鹿馬鹿しい現実から来ている。世界は既にSIMカードの差し替えだけで電話会社を変えられるようになっている。日本の携帯は世界から取り残されて、もはやガラパゴスという化石の道具となりはてている(笑)

最新技術が結集した携帯どころか、最新技術が欠落した化石なのだから大いに笑える代物でしかない(笑)

携帯の本体はSIMカードであり、携帯自体は単なる器にすぎない。だから携帯は機能を簡素化して大量生産すれば、いくらでも安価に出来る。だから海外では5千円以下のものがスーパーで買えたりもする。日本の携帯は日本でしか使えない、ローカル仕様の高価な家電品にすぎないのだ(笑)携帯の姿はしているが、世界からみれば単なる多機能な家電品でしかない(笑)

携帯の基本は音声通話であり、音声通話がおまけでしか無い携帯など、電話機と呼べる代物ではない(笑)日本の携帯はパケット通信でぼろ儲けをたくらむ、パケット通信機にすぎない(笑)

日本独自の変態通信事業により、実際は数千円で使えるものが、携帯会社独自の数万円の高級品でしか使えないようになっている(笑)通信会社は携帯の回線と規格の両方を独占できるのだから、ぼろ儲けし放題の非常に効率の良い儲け方になる(笑)止められないのは当然だろう(笑)

通信会社と携帯本体を完全に分離しない限り、携帯という道具が一般化する事は絶対にない(笑)携帯の周波数も本体の規格も見事にバラバラなのだから、こんな規格外のものが低価格で出来るわけが無いだろう(笑)日本の通信事業は、国内限定の家内制手工業にすぎない(笑)

日本の変態通信事業により、世界標準としての携帯開発ができなくなり、日本の携帯は世界から落ちこぼれてしまった。世界標準としてのグローバル化を捨て去り、日本の携帯技術の進化を止めてしまった変態総務省と通信会社の責任は非常に重い

日本の携帯のユーザーは、変態通信事業を支えるための礎となって、重い負担に喘ぎ続けるしか無い(笑)

このような馬鹿げた事態に陥ったのも、総務省という国家の腐敗組織が、通信事業を金儲けの道具にしているからに他ならない。結局政治家を変える他方法がないのだが、今なお政治献金という賄賂を堂々と受け取る政治家がいる限り、この制度が変わる事などないのだろう(笑)

携帯に腹が立ったら、まず総務省の自民党の大臣を選挙で蹴落とすべき(笑)諸悪の根源は総務省であり、携帯会社からの政治献金を平気を受け取る腐敗政治家が、国民の生活を苦しめる。総務省の歴代の大臣は、悪徳政治家の筆頭であり、選挙では落選させるべき超A級の腐敗政治家と認識すべき(笑)歴代の大臣のほとんどが、不正な献金で摘発されている(笑)

追記: スマートフォンとは、モバイルパソコンと実質同じものになる。モバイルパソコンとは、書類を書いたり、計算したり、調べ物をしたりと、生産的活動をするためのものだ。しかしスマートフォンは、ゲームをし、フェィスブックを見、動画を見、などすべてが受け身になる。実質受け身の行動しかできないため、テレビを見るのと同じで、まったく何の役にも立たず、ただ情報に流されるだけの生き方しかできなくなる。スマートフォンを道具として利用するだけの高度な理性を、人はまだ持ち合わせてはいない・・・

人は不便を感じると、その不便を補うための行動を自然と行う。不便とは人の活動を促すものであり、必要悪ともいえるものだ。スマートフォンは便利すぎるため、人の活動を妨げ、テレビと同じで 「考える事のできない無能力者」 を生む事になる。携帯やスマートフォンが手放せなくなったら、人間を廃業したサインとみなすべき(常時電磁波にさらされるのだから、影響がでるのが当たり前。WHO や 諸外国では既に規制すべしと警告が出ている)

携帯は電話・メール・GPS 機能の付いたガラパゴス携帯が大人の標準装備になる。スマートフォンはいつ何時破滅をもたらすか分からない、地獄行きの片道切符になる(笑)ガラパゴス携帯に利用限度額を設定し、パケット通信を解除しておくのが当たり前の使い方になる(笑)携帯のインターネットで買い物とか、セキュリティのかけらもない、ただの大馬鹿者のする事だ(笑)
便利すぎるものは、人を堕落へと向かわせる道具になる。不便と上手に付き合う事が、人生を楽しむためのコツとなる事を理解すべき

最後に一言。携帯ゲームだけは止めるべき。人として生きたいのであれば・・・。韓国商法の「ソフト〇〇〇」の携帯は、契約するだけで三途の川を渡るはめになる(笑)携帯の契約とは、地獄への片道切符である事を良く理解しておくべき(笑)

追記: 中国・韓国製の携帯を安いという理由だけで利用してはならない。中国と韓国は安全性に関しては最低・最悪であり、携帯の情報を抜き取る細工を平然とやるような国だからだ。日本を敵国として認定しているのだから、国策として当然のように行う(笑)マスコミや携帯会社の甘言にいいように騙されてはならない

携帯にはユーザーの非常に重要な情報が記録されている。これが悪用されたら身の破滅に繋がる。中国・韓国製の携帯やアプリは絶対に利用してはならない(GALAXY・LG携帯・中国携帯は避ける。販売店はメーカーの国籍は絶対に言わないため、韓国・中国製の携帯には注意すべし。携帯は買う前に、複数のサイトで評価をしっかりと確認する事。韓国・中国製の家電品の特徴は、最初はまともに動くが、使い続けるとすぐにボロボロになる品質の低さにある。そもそも「安定した動作を長期間保つ」という概念が欠落している。安全性・信頼性ともに最悪の製品である事をしっかりと理解すべき。「国民性 = 製品の品質」という基本理念を忘れてはならない)
Back Ground Music: Shape of my heart



スポーツ
スポーツとは本来、健康を維持するための体を動かす運動です。運動に理念や信念を求めても意味は無い。意味は無いが、営利化によって商売にはできる。政府はスポーツをギャンブル化することで、その収益金をスポーツへと還元する。今や日本のスポーツは、ギャンブルの収益事業と化している。正に勝利するための勝負事

顕著な例は学校のクラブ活動で、県外どころか外国からも力のある選手を引き込んで勝とうとする。人を育てる学校が、プロ選手をかかえる商業クラブと同じ事をやっている。高額な道具代や、遠征費用などの運営費はすべて生徒の親から徴収し、学校側は勝利という名誉のために生徒らを利用する。スポーツを勝負事としかみない学校の姿勢は、醜悪以外の何物でも無い。スポーツは人を育てる手段ではなく、学校の名誉のための手段でしかなくなっている。 これではスポーツは勝負師を育てるための育成機関にすぎず、まともな人間など育つはずもなく、不祥事が延々と繰り返される

学校はいいかげん、スポーツ特待生の制度など止めるべき。それができない学校は、プロを育成するための専門学校にすればいいだけだ。スポーツ選手を養成する学校など、一般の学校と区別すべき

人を育てる学校は矛盾を抱えるべきではない。矛盾は欠陥であり、欠陥は必ず不祥事や事故を引き起こす。欠陥を放置する学校は、既に学校と呼べる代物ではない。学校のスポーツに莫大な金が暗躍し、不祥事が繰り返されるその度に、いいかげんにしろと言いたくなる

プロの選手を育てたいなら、専門の養成機関を作ればいい。学校はあくまで「学びの家」であって、健全な人間を育てる場である事を忘れてはならない

追記: 最近お腹がでてきたので、夜の涼しい時間帯に運動場の芝生の上を歩くようにしている。アスファルトの上や土の上を歩くと膝が痛くなるので、芝生があればその上を選んで歩くようにしている。走ると息が上がるのと、膝や筋肉に負荷がかかりすぎるため、汗をかくぐらいの軽い運動が自分に一番あっている(笑)負荷をかけすぎると機械は壊れてしまうのと同じで、人間もほどほどにしておかないと体を壊してしまう(笑)

体力さえつけばいいので別に早く走れる必要は無く、軽快に走っている人を横目に見ながら、マイペースでゆっくりと歩くのが日課になりつつある(笑)無理をしない事が長く続ける秘訣であり、一人なら音楽でも聴きながら、二人ならおしゃべりしながら楽しく歩く。歩くことが好きになれば、自然と体力もついてくる。スポーツは楽しくやるものであり、好きこそものの上手なれ、とあるように好きで無ければ上達はしない

スポーツとは観るものではなく、自分でやるべきもの。スポーツ番組にかじりつく姿は、運動不足で肥満となった、成人病の予備軍(笑)運動をしていれば、スポーツ番組を見ても、興味などわかなくなる。スポーツを見ても、運動にはならないからだ(笑)

オリンピックの予選が始まっているが、スポーツに関する醜聞が多すぎて関心が全く無くなってしまった(笑)柔道・サッカー・マラソンなどなど、オリンピック選手がスポーツに純粋に打ち込む素人ではなく、目の前にぶら下がった金のなる木に群がる強欲な人間でしかない事が分かったからだ(笑)テレビやマスコミや企業が賞金・スポンサー契約という餌をぶら下げ、それに群がるスポーツ選手をヒーローに仕立て上げる。オリンピックを裏側から覗けば単なる大がかりな興業でしかなく、テレビで放送される虚像のヒーローには何の関心も湧かなくなってしまった(笑)

そもそもヒーローとは何者か? 「世の中のためになることを、進んで行う人」であり、スポーツで実績を残す人ではない

「NHK・新聞・テレビ」は、スポーツをヒーローに祭り上げ、世の中の関心を一気に引こうとする。スポーツをヒーローに祭り上げ、政治の舞台へと祭り上げる

その結果、無能な議員が生まれ、スポーツ利権が世にはびこる。莫大な税金がスポーツ利権に浪費され、国民生活が疲弊する。何のことは無い、国民はスポーツに熱中し、自分の首を締め上げているだけだ


スポーツのヒーローとは「スポーツ界のヒーロー」であって、「世間のヒーロー」なんかじゃない

ヒーローは身近に沢山居る。自分のために尽くしてくれる人、自分の力になってくれる友人、自分の支えとなる家族、世の中の不正を正す政治家、世の中の生活を支えてくれる人。ヒーローとは、影で社会を支えてくれている人の総称であり、スポーツでメダルを取る人ではない(笑)

スポーツをする人間が善人だとの幻想は、いいかげん捨て去るべき(笑)スポーツが生活の基準なのだから、社会の一般常識から外れていく。スポーツは生活に生かしてこそ意味がある

ヒーローの意味をきちんと理解し、テレビやマスコミに騙されないようにしましょう(笑)ヒーローとは、社会を救う人の総称です

真実とは見えない所にあるもので、何でも感動の物語にしたてるテレビ放送なぞ、見ていて吐き気がするほどおぞましい。スポーツの醜聞とはテレビが見せない真実の姿。輝かしい栄光の姿など単なる虚像にすぎない・・・。何でもかんでも美談にすり替えるスポーツニュースとは、完全に縁を切るしかない(笑)

ニュースの評価は、自らの生活が向上するか否かにある(笑)

スポーツニュースは、生活には何の役にも立たない(笑)マスコミが「元気になります!励みになります!」と、大声で叫き散らしているだけ(笑)

関係者が喜ぶだけの健康詐欺(笑)絶叫するスポーツニュースは、単なる興奮剤か幻覚剤(笑)スポーツニュースで元気になどならないし、生活が向上するわけでもない(笑)スポーツ至上主義に基づいた、完璧なオカルト商法(笑)


スポーツとは運動であり、生活に取り込み、生活に役立ててこそ意味がある。スポーツのあり方を考える場合、ブラジルのオリンピックを見れば分かる。オリンピックを優先し、社会を犠牲にしたおかげで、社会は不正と貧困にあえぎ、大混乱の様相を呈している。この悲惨な環境でのオリンピックを、「NHK・新聞・テレビ」は絶叫し、狂乱し、壮大に褒め称える

地元の人間にしてみれば、生活破壊の元凶です。貧困・暴力・犯罪・環境汚染にまみれたオリンピックに、何の意味があるのだろうか。オリンピックの意義が社会の犠牲の上に成り立つのなら、これほど理不尽なものは無い。オリンピックへの投資と、実態社会への投資はまったく別。持続的な経済と、一時的な経済を同一視すれば、財政が破綻するのは当たり前

オリンピックは持続的な経済の一環として行うのが正しい方策。莫大な投資は只の浪費にすぎない。マスコミは夢の祭典を演出し、国民は莫大な浪費で地獄を見る(笑)空虚な夢で現実の悪夢を覆い隠し、国民は現実の悪夢に押しつぶされる・・・

スポーツで国威発揚など時代遅れもいいとこで、単なるスポーツ興業の宣伝にすぎない。それにもまして国会にスポーツ議員を送り込むなど、ただの税金の無駄遣い(笑)スポーツとは生活の余暇であり、生活より優先するなどあつまかしいにも程がある。スポーツ施設よりも公園の充実をはかるべきであって、日本の公園はあまりにもみすぼらしい。ニューヨークのセントラルパークのような公園が、せめて都道府県に一つはあってもいいだろう

人々の憩いの場である公園は、その国の文明度を測るバロメーター。人々が憩う無料の公園が貧相という事は、その国も貧相だと分かる。どんがらの競技場など、生活には何の役にも立たない

オリンピックは世界規模の大運動会にすぎず、大がかりで大金が動くスポーツ興業にすぎない(笑)しかも自分が参加できないのだから、ただ観ているだけの映画鑑賞と変わりない。だからテレビなんかで放送される事のない、地元や子供の運動会を観ている方がよっぽど楽しい(笑)

だから自分自身が参加できる運動会は、オリンピックなんぞ目では無い最高のイベントだ(笑)
Back Ground Music: 双頭の鷲の旗の下に

リオ五輪の実情をみれば、いかにオリンピックが腐敗した祭典なのかが良く分かる(笑)運営も無茶苦茶、金メダルを取る人の論理も無茶苦茶、ボランティアの待遇も無茶苦茶、環境も無茶苦茶。オリンピックの腐敗のすさまじさは、人の欲の深さを証明する(笑)

無茶苦茶なオリンピックを盛大に賞賛する「NHK・新聞・テレビ」は、もはや無用の長物と化している(笑)人・物・金が腐敗したオリンピックを、東京にそのまま持ち込もうとするのだから狂気の沙汰としか思えない(笑)東京都知事は、カジノを作るつものなのだから笑うしか無い(笑)オリンピックとカジノは腐敗の象徴だから、お似合いなのかもしれないが(笑)新しい都知事に期待したが、とんだ期待外れになりそうだ(笑)

そもそもスポーツと人間性はまったく別で、スポーツが達者でも、人間性が低ければ意味がない(笑)日本の文化は文武両道が基本であり、教養とスポーツが両立してこそ意味がある。スポーツは自己管理のために活用するものであり、単なる興業に利用されては意味が無い(笑)

スポーツは人格形成には役立たない。運動能力の強化に役立つだけ。スポーツ以外の経験が人格形成に繋がっていく。スポーツはあくまで脇役です

東スポの選手村のレポートから、オリンピックの現実が垣間見える(笑)スポーツで常識や教養など身につかない(笑)メダル選手の犯罪や非常識は、数えあげたら切りが無い(笑)

スポーツ漬けの運動選手に、何かを期待しても意味が無い(笑)メダルの栄誉は個人の栄誉にすぎず、社会の栄誉などでは決してない

スポーツを営利利用すれば、それは単なる見世物です(笑)スポーツとは活用すべきものであって、利用するものではないだろう。スポーツを利用すれば、選手も政治もオリンピックも、金という魔力によって腐敗していく・・・

天下のNHKが連日連夜オリンピックを盛り上げている(笑)どんだけオリンピック好きなのか(笑)腐敗した単なる世界規模の大運動会にすぎないものに、何故莫大な金と時間をかけて放送する必要があるのか。オリンピックとNHKは似たもの同士。常識外れの異端の思考と、桁外れの金満体質はまったく同じ(笑)

NHKはスポーツを国威発揚に利用する大悪党。腐敗したオリンピックを視聴料の徴収に利用する大悪党。腐敗したオリンピックに莫大な金を無造作に出す大悪党

NHKは悪党部門で金メダルを獲得できる(笑)



東京詐欺オリンピック
今やオリンピックというスポーツイベントは、財政破綻を招く狂気の祭典と化し、世界中から敬遠されるようになってしまった(笑)「商業主義に走ったスポーツのなれの果て」というほかはない(笑)

利権と汚職で、莫大な金が浪費されるだけとなったショービジネスのオリンピックに、もはや意味などない。後に残る莫大な借金だけが、開催国に重くのしかかる。数兆円にも及ぶ急激な特需は、公共事業を狂わせる。公共事業の大規模な先食いで、後には不況の波が押し寄せる

日本のオリンピックも腐敗が進み、オリンピック委員会とヤクザが連携するという、まあ当たり前の事態が進行している(笑)このような事態になっても、何の問題無いとして放置されている状況は、もはやオリンピックに自浄作用などまったくない様を露呈している。日本のオリンピック組織(JOCと文部科学省)は、既に腐敗をとうりこし、厚顔無恥という悟りの境地を開いている(笑)もはや言葉が通じない、もののけの類いでしかない(笑)

「厚顔無恥」「馬耳東風」「色即是欲、世は我が欲のために。金は転がり込むもの」

何者にも動じない強靱な我欲の塊。濡れ手に粟のオリンピックに、常識など通用しない(笑)


世界ではヤクザとつるむ東京オリンピックと宣伝されているのに、何の問題も無いと放置するマスコミと文部科学省とは、いったい何者なのだろうか(笑)莫大な予算を使い、訳の分からない出費を乱発し、利権と汚職にまみれた現状は、正に現在の汚辱にまみれたオリンピックという腐敗組織を象徴している(笑)

1500億円という新国立競技場は、間違い無くスポーツ利権の無駄金の象徴として語り継がれる。すぐ近くに「日産スタジアム」という立派な国際競技場があるのに、何故莫大な金をかけて、何故無用な競技場を建てる必要があるのか

自民党・JOC・文部科学省は、浪費癖の直らないギャンブル脳の経済破綻者にすぎない


1500億円を安いと考える「自民党・JOC・文部科学省・日本スポーツ振興センター」と「NHK・新聞・テレビ」の金銭感覚には驚くしか無い。政府には財源が無い無いと言っておきながら、オリンピックに散財する自民党は、大嘘つきとしか言いようが無い。周辺整備費・維持費・工事費の高騰を考えると、下手をすれば3000億円は軽くいく代物でしか無い。そもそも運営で赤字垂れ流しの施設になるのは火を見るより明らか。日本の巨大スタジアムが、のきなみ赤字で苦しんでいるのに、これ以上増やしてどうしようというのか。既存の施設を活用すれば、そもそも建設の必要は無い

オリンピックのために新規施設をバンバン造れば、すぐに数兆円規模の支出に膨れあがる。通常このように新規施設を新設した場合、他の国では3兆円規模にまで膨れあがっている。既存の施設を活用しない場合、建設費用と関連整備費が際限なく膨れあがり、工事費も高騰し、結果費用総額が泥沼のように際限なく膨れあがっていく。自民党はオリンピックという御旗のもとに、数兆円規模の大盤振る舞いを行おうとしている。それを只指をくわえてみている「NHK・新聞・テレビ」の既存のマスコミは、利権に繋がる腐敗したマスコミでしかない

オリンピックを一都市で全てを行うのは、今や現実問題としてなり立たなくなっている。だからオリンピックは今や分散開催を認めている。日本もこの流れに沿って、会場を分散化すべき。それをしないで東京に固執するのは、馬鹿の極みとしか言いようがない

会場の分散化は、今やオリンピックの流れであり、これを無視する自民党・JOC・文部科学省は、無能で、馬鹿で、下劣で、卑劣で、クズで、能なしで、低俗で、・・・きりが無い。所謂、下賤の輩にすぎない。しかし金に汚い自民党が、強引に新国立競技場を建設するのは目に見えている。自民党独断の卑劣な政策として、後生に語り継がなければならない

「NHK・新聞・テレビ」は相変わらずの黙りを決め込んでいる(笑)黙っていれば、既成事実化してもはや止められなくなる。マスコミに止める気などさらさら無く、利権という腐敗に連なる共犯者にすぎない。マスコミはゴミ屋敷の特集や、海外のテロ事件を徹底的に追求している(笑)国内の数兆円にも及ぶ無駄金は、ゴミ屋敷や海外のテロ事件に劣るのだから、いかに役に立たないかが分かる(笑)もはや役立たずを通り越し、社会に破滅をもたらすテロリスト

「NHK・新聞・テレビ」は、新国立競技場の建設費の高騰だけを問題にして、他に代替となる国際競技場があるのに、何故建設が必要なのかという問題には一切触れようともしなかった。国際競技場の建設自体が問われているのに、建設費を下げただけで問題なしと扱われてしまっている。これは巧妙な問題のすり替えであり、日本のマスコミは問題の元凶から注意をそらし、別の問題にすり替えて平気で騙す。問題はそこじゃないのだから、正に人を騙す狡猾な詐欺師

真の悪人は、ここぞという時に本性を現わす。重要な問題になればなるほど、腐敗と欠陥の隠蔽に走る。国の命運をも左右する事柄が、何事も無かったかのように操作される。真の悪人は善人を装い、真実を語らない。真の悪人とは誰なのか? しっかりと見極めなければならない

文部科学省は天下りのために、役立たずの組織をつくりあげ、莫大な金がスポーツに浪費されるシステムをつくりあげている。ギャンブルの巨額の収益金が、役立たずの組織によってスポーツに浪費されるという構図は、文部科学省の利権による無駄としか言いようが無い

政府は金が無いと言いながら、このような利権構造で大事な収益を無駄に浪費している。スポーツとは自助努力で行うべきものであり、政府が莫大な予算をかけて行うものではない。スポーツに金がからめば、ろくなことにはならない。スポーツ利権とは、オリンピックのメダル確保のための経費でしかない。文部科学省とは、自らの利権のために働く穀潰しでしかない。スポーツ議員などという、利権直結の無能な議員を国会に送り込んできた結果なのだから、国民の自業自得としか言えないが(笑)

世間では奨学金は全て単なる貸付金でしかなく、卒業した後はその返済に追われるという、悲惨な学生が増えているのに、文部科学省は自らの利権のために、莫大な予算を浪費する。政府が利権にかかわれば、必要な所に必要な予算が回らなくなり、組織の腐敗が進行していく

文部科学省は、学生が等しく正しく学び、学業に専念できる環境を整えるのが仕事になる。それが今や、スポーツ利権や音楽利権で社会を疲弊させる悪の組織に変質してしまっている。学生が困窮し、スポーツ利権が潤う状況は、本分を忘れた腐敗組織としか言いようがない。親の年収によって学費の免除額を決めるとか、卒業後の年収によって返済を免除するとか、予算があれば如何様な救済もできる

莫大な学費を貸すだけで、取り立てはサラ金並みとか、日本の教育行政の貧しさは発展途上国以下でしかない。技術立国から転落するのは当たり前。中学・高校生の自殺が、今や日常茶飯事となっている現状は、文部科学省が無能でしかない事を物語っている。天下りの組織運営にしか興味が無い、只の穀潰し

学校や大学は、世の中を良くするための知識を学ぶ場所。その大切な場所が「金で苦労する場所」に変質しているのだから、社会が良くなる訳が無い

学業から離れた事業に邁進するような状況では、まともなオリンピックなど開催できるはずも無い。スポーツくじを乱発し、スポーツ利権に狂う文部科学省など、只の腐敗した利権組織でしかない。スポーツくじを、学生くじにでも変えれば、少しは見直すかも知れないが、それは腐敗した組織では絶対に無理な話でしかない(笑)

日本のオリンピックは、利権と腐敗で、真っ暗闇の暗黒の世界に放置されている。マスコミに腐敗を放置され、文部科学省に利権と汚職を放置され、何の対策も打てないオリンピックは、暗黒街(もののけ)のオリンピックと化している(笑)オリンピックという組織自体が、腐敗して手がつけられない状況にあるのだから、日本のオリンピックもそうなるのは当然なのだろう(笑)

マスコミや政府はオリンピックの暗部を隠蔽し、晴れやかな祭典として大いに宣伝しまくるのだろうが、隠蔽すればするほど、そのほころびが露呈するのは目に見えている(笑)スポーツの利権と腐敗は、文部科学省が元凶なのだから、ここが変わらない限り、オリンピックが成功する事は無い(笑)

利権で肥え太る自民党では絶対に無理なので、このまま利権と腐敗にまみれた祭典として突っ走るしかない(笑)脳天気なスポーツ議員を、文部科学省の長官に任命したのは、脳天気な祭典として行うためなのだろう(笑)

何の問題も無い脳天気な祭典として、マスコミが馬鹿騒ぎするオリンピックが眼前に迫っている(笑)盛り上がるほど組織腐敗が進行していくため、関心を持たないのが一番(笑)腐敗しまくって、ギャンブル依存症のように堕ちたオリンピックに、どんな意味があるのだろうか?

欲と金と扇動渦巻く人外魔境の物欲オリンピックなど、評価のしようが無い(笑)ヤクザと官僚利権のオリンピックと銘打てば、世界中から汚職官僚とマフィアが集まる祭典として成功するのかもしれないが(笑)利権まみれの文部科学省が推し進める祭典など、腐敗したはきだめと化すのは必定だ
Back Ground Music: Ben-HerBen-Her Theme

金と利権と汚職が蔓延するオリンピックは、正にローマのオリンピックそのものと言えるのだろう。人の欲望を飲み込む祭典は、権力者に振り回される庶民の苦難の祭典と呼べるのかもしれない。本分を忘れ、苦しむ学生を尻目に、利権と汚職に邁進する文部科学省は、ギャンブルに狂う金銭破綻者にすぎない。ギャブル利権に狂う日本のスポーツは、正に腐敗したオリンピックの姿そのもの

NHK・新聞・テレビ・文部科学省らの邪悪なカルテットが、大金をかけて必死に盛り上げようとする姿が目に浮かぶ・・・。邪神四兄弟によって、腐敗組織が復活してさらなる腐敗を呼ぶ事態は、悪夢としかいいようがない(笑)オリンピックという金の亡者は、国民生活をさらなる困窮へと導く。国家の資金が無益に消えていく悪夢の元凶は断ち切るしかない

オリンピックの現実を報道してきた「東京新聞」が、腐敗政治家によってスポンサーから下ろされようとしている(笑)今や「東京新聞」以外の新聞は、腐敗政治家に連なる生活破壊のテロリスト。マスコミの優劣は、このような実績の積み重ねによって決まっていく(笑)情報の隠蔽を謀る者は、今や無用でしかないことをマスコミは未だに理解していない

日本のオリンピックは、元(東京五輪組織委会長という腐敗政治家)から腐っているため手の施しようが無い(笑)オリンピックは今や、利権と腐敗と汚職の象徴。このような腐敗した祭典に、NHKは何百億円もの大金を支払っている。もはやテレビは無用の長物(笑)

招致しておいて、ほったらかす訳にもいかないので、オリンピックは成し遂げなければならない仕事でもある。いかに金を掛けずに行うかが、これからのオリンピックを占う布石となる。金を掛ければ、今までのオリンピックと同じで、腐海の底に沈む

「既存の施設を全て活用し、無駄の無いオリンピックを開催しました!」と胸を張って言えるものにしなければならない

しかし、金、金、金の自民党では、絶対に無理(笑)火中の栗を拾う人はいないため、無能なスポーツ議員を文部科学省のトップに据えたのだろう(笑)

オリンピックが終われば、「オリンピックを成功させた人」として「NHK・新聞・テレビ」がこぞってヒーローとして持ち上げてくれるので、それを目標にして頑張るしか無い(笑)そのためには、たっぷりと賄賂を握らせておく必要があるが(笑)賄賂がなければ、借金を膨らませた元凶として叩かれる(笑)

結局の所、どうあがこうが金を無駄に浪費したあげくに、莫大な借金が残るだけ(笑)

オリンピックとは、儚い夢を莫大な借金で買うだけの、意味なき浪費にすぎない。これが家庭であれば、家庭内争議が勃発し、離婚に至る(笑)過ぎた出費は生活破壊にすぎず、家庭崩壊は当たり前(笑)日本のマスコミは、うたかたの夢に、数兆円もの無駄金を出させようとするのだから、もはや生活破壊のテロリスト(笑)

世界規模の大運動会にすぎないものに、何千億もの金をかけて行える国など、今や独裁国家ぐらいしかない(笑)もはやロシア、中国、中近東ぐらい(笑)日本はこの独裁国家群に、自ら進んで入ろうとしている(笑)借金など気にも掛けない、大馬鹿物の集まりだ(笑)

「国の威信を賭けて行う」という意味は、「国民の生活などおかまいなしにやりとげる」という意味でしかない。正に戦争と同じだ(笑)終わった後には、無残な荒廃しか残らない。だから今や世界中から厄介者扱いされている(笑)海外のオリンピックが終わった後の荒廃は、見るに堪えない

幸い東京は再開発で廃墟になるような事は無い(笑)だから莫大な借金しか残らない(笑)都市の黒字を地方に回すという税収のシステムが崩壊し、地方の更なる荒廃が始まる。ばらまきの政策しか打てなくなり、国家の更なる疲弊が始まる

オリンピックとは、疫病神以外の何者でも無い。それとも貧乏神? どちらにせよ、社会を破滅に導く神には違いない

単なる運動会なのだから、つつましく行うのが当然だろう。オリンピックが終わった後には、莫大な借金と、新国立競技場という負の遺産しか残らない。選挙のたびに、自民党の悪政のために国家が疲弊したと言い続ける必要がある。国家の負の遺産は、自民党の負の遺産として残し続けなければならない

オリンピックにかかる数兆円にも及ぶ公共事業の先行投資は、あらゆる所に歪みをもたらす。これらは政府によっていつのまにか行われ、国民は終わった後に知らされる。だからオリンピックは利権と腐敗を生むだけの、ろくでもない代物でしか無い。自民党は国民に何も知らせないまま、莫大な費用を掛けてオリンピックというショービジネスを行う。これは国民の役に立たない、ばかげた公共投資にすぎない

オリンピックは、過去のロサンゼルスオリンピックに習い、完全民営化すればいいだけの話。オリンピックを収益の範囲内で行えばいいだけの話でしか無い。国の援助は一切不要。びた一文払う必要などない。全てをオリンピックの収益の範囲内で行うべき。これで何の問題も無く、国民の負担も一切無しで、誰もが納得できるものになる。国に頼らず、自助努力で行うべき。オリンピックで潤うのは東京だけ。東京都とオリンピック委員会で経費は全て捻出すべき

オリンピック誘致の際に、全てをコンパクトに、費用を掛けずに行うと言っていたのだから、初志貫徹すべき。民営化して、コンパクトなオリンピックを目指すべき。国にお金が無いのだから当たり前。国が金を出したら、単なる詐欺オリンピックでしかなくなる(笑)

東京詐欺オリンピック。何とも哀愁漂う標語だろう・・・。金が無い、金が無いと言いながら、莫大な金を散財するオリンピック。ギャンブル漬けの文部科学省の腐敗が生んだ、悲運な落とし子と言えるのだろうか・・・
Back Ground Music: 東 京

この惨状は、単なるギャンブル脳の「文部科学省・日本スポーツ振興センター・JOC」の無能が生んだ悲劇にすぎない(怒)



ソーシャル・オリンピック
今オリンピックが面白い。何が面白いかというと、メダル争いではなく、人間の欲望とエゴがあからさまに観られるからだ(笑)ソーシャル・オリンピックでは、運営上の不手際、審判の誤審に対する不満、ツイッターで本音を漏らして信用を失う競技者などなど、今までマスコミによってふせられていた真実が、新しい技術によって視聴者にダイレクトに伝わってしまう

今までのオリンピックは、マスコミによってスポーツマンシップに則った素晴らしい祭典として粉飾され続けてきた。しかしソーシャル・オリンピックでは、運営から競技者個人の情報までもが視聴者の目にふれるものとなり、その代償として、今までふせられていたオリンピックの真実が赤裸々に知れ渡る結果となってしまった(笑)

相手に勝つためには、どのような手段を取ろうがおかまいなし(笑)非難、中傷、密告、暴力、座り込み(笑)オリンピックがこんなにも個人・国家の欲望に支配されたものとは思わなかった(笑)メダル争いなど、悲喜こもごもの人間模様の前では、もうどうでも良いものとしか写らない(笑)

メダルに対するあくなき欲望をたぎらせて、人間同士が非情に戦い合う。それがオリンピックの現実なのだろう(笑)そのような中、マスコミがあくまで綺麗事として放送する姿は、安っぽいドラマを創作しているとしか写らない(笑)

オリンピックの本当の楽しみ方は、メダル争いなどではなく、人間がどのようなものなのかを観察する事にある(笑)勝ち負けにこだわる人間のエゴと栄誉に対するあくなき欲望は、人間の本質を正しく写す鏡といえよう(笑)

本当の栄誉とは金メダルを取る事ではなく、オリンピックの場に出る事であり、勝負を楽しまずに勝負にこだわる姿は、人間の愚かさをまざまざと教えてくれる(笑)

オリンピックには、世界を繋ぐ人の交流の場としての役割がある。その本来の意味から言えば、オリンピックの人間模様を楽しむ事が正しい事のように思える(笑)人間同士のドタバタ劇は、オリンピックの真の目的を愚かな人間の行動をとうして我々に教えてくれている(笑)

追記: 技術は進歩しても、スポーツだけは昔から全然進歩しない(笑)ビデオやコンピューターを毛嫌いし、あくまで人間の目と感にたよって審判を行う。だから当然のごとく誤審が生まれるが、何度誤審が繰り返されようが、ビデオやコンピューターは導入しない(笑)

スポーツとは非常に曖昧で、審判の判断でいかようにも勝負が決まってしまうものだ。曖昧なのは、勝負を人間によって左右できる余地を残すためであり、厳格な審判などスポーツには本来必要のないものなのだろう(笑)

人は理不尽な判定であっても自分に得なら喜んで受け入れ、自分に不利な場合は徹底的に批判する(笑)つまりスポーツとは、人に感動と悲哀のドラマを提供する娯楽と定義できる・・・のだろう(笑)スポーツに一喜一憂する姿は、完全に術中にはまってしまっている・・・と言えなくもない(笑)

[スポーツ=ヒーロー]という構図は、マスコミやテレビが作り上げた虚像にすぎない(笑)[スポーツ=運動]であり、自らの健康管理に必要なものでしかない(笑)刺激を求める娯楽として魅力があるのかもしれないが、相手をねじ伏せるという攻撃性の高いものに熱狂するのは、単に理性のたがをはずすものでしかない(笑)スポーツに関する醜聞や紛争が多いのは、スポーツそのものが興奮をあおる理性外のものだからなのかも知れない。スポーツとはあくまで自分自身でやるものであり、観て楽しむものではない(笑)

しかしテレビやマスコミは相変わらず、オリンピックや政治をネタにして刺激的なものばかり伝えてくる。これを害毒と言わずして何と言おうか(笑)ゴシップネタのオンパレードと化したオリンピックにはもう飽き飽きしたので、テレビは当分観ないことにした(笑)

と思っていたら、韓国がオリンピックに政治問題を持ち込んだとの記事があった。選手一人に責任を負わせて終わったら、今後このような問題が起っても、一人だけの問題としてすますしかなくなる。つまり政治問題持ち込み可能という事になる。これはオリンピックという大会の意義が失われる事を意味する

これを防ぐには、韓国チーム全体を失格処分にする以外に方法は無い。甘い処分は、オリンピックの火を消すことになる。しかし商業主義に陥った幹部は、個人の問題としてチームのメダル剥奪はしないのだろう

オリンピックとは政治・紛争を一切持ち込まず、平和の祭典として地球上の全ての国家が集うものだ。韓国は大統領が開催中に紛争地に訪れ、記念碑まで立て、政治アピールを行い、選手も呼応するようにオリンピックの場でアピールを行った。韓国は越えてはならない一線を越えてしまった事になる。オリンピックを戦争に利用してきた歴史を変えるべく、世界中が努力してきた崇高な精神を破壊するものであり、理性ある人間が決して越えてはならない一線のはずだった。韓国はこれをいとも簡単に越えてしまい、開けてはならないパンドラの箱を開けてしまった

以後のオリンピックは、政治主張がまかりとおる混乱の場と化す。もうすぐ閉会のようだが、閉会の前にオリンピックという競技そのものが終わってしまった(笑)近代工業の発祥の地とも言えるイギリスでオリンピックの火が消えてしまうとは・・・始まりの地で平和の祭典が終わりを迎え、新たなる混乱の時代が始まる。因果は巡り巡ってどこへ行こうとしているのか・・・

雪の降らない亜熱帯地域で冬のオリンピックを強引に開催する時点で、オリンピック競技そのものが既に破綻してしまっている(笑)既にオリンピックは各国が主張しあう場所でしかなく、メダルなどその報酬でしかない(笑)語るに落ちたオリンピックに何の意味があるというのか

たまに映像に映る選手と恋人が抱き合うシーンのみが心に残る。結局オリンピックとは個人として参加する選手らのためのものでしかないのだ。周りがいくら騒ぎ立てても、それはただの傍観者でしかないのだから・・・

追記: スポーツなんてものは自分の健康管理に必要なものであって、テレビやマスコミが報道するスポーツ番組など、ただのスポーツ産業の宣伝にすぎない(笑) 国民にとって必要なものは、自分の体を自由に動かせる場所であり、誰もが利用できる広い運動公園のようなものだ。誰もが使えない体育館や運動競技場など、お金の無駄でしかない。誰もが使える運動公園こそが国民に必要なスポーツ施設だろう。日本には多目的公園が非常に少なく、無駄な体育館や運動施設ばかりで、誰もが体を自由に動かせる場所が不足している

テレビやマスコミが流すスポーツニュースや芸能ニュースなどを無視してスポーツ番組を駆逐しない限り、日本に真のスポーツ施設が建設される事はない。スポーツ番組に肩入れするマスコミやテレビは、自分達が儲かるからやるのであり、国民にとっては無駄で無用なものでしかない事に早く気づくべきだろう(笑)

スポーツとは生活の余暇でしかなく、健康を維持するためのものでしかない。オリンピックなど誘致しようものなら、公共事業の借金で行政は破綻する。儲かるのは、マスコミ・テレビ、賄賂で儲かる国会議員と建設業界のみ。国民は借金抱えて公共福祉が破綻する(笑) 国威発揚で国が潰れては話にならない(笑) 無能なスポーツ議員など、絶対に当選させてはならない・・・

映像としては超一級品だが、0.01秒先には死が待ち受けるデスレース。映像と現実がいかにかけ離れたものなのか。映像のマジックを良く理解しなければならない

今時のスポーツは何にでも大金かけてやっているから、競技者も運営も結果を出す事が至上命題となっている。これはもう必死に営業している営業マンを見ているのと同じで、痛々しくて見てられない(笑)こんなものを見て楽しむ方がどうかしている(笑)今のスポーツは素人の祭典などではなく、金で動くプロスポーツと実質同じだという事を良く理解すべき(笑)とくにかく結果を出せばOKのスポーツに何を求めようとするのか? それが一番の問題だ(笑)

とにかく金のかかるスポーツ(単なる娯楽)のために、貴重なギャブルの収益金を湯水のように使い込む様を、テレビで応援するなど馬鹿馬鹿しいにも程がある(笑)プロサッカーやプロ野球のように、スポンサーを見つけて自立すべき。今のスポーツは、ギャンブルの金でメダルを買っているようなものだ。日本がギャンブル依存症にならないためにも、このようなスポーツ利権(ギャンブル利権)を許してはならない。ギャンブルのように勝負に勝つ事だけが目的のスポーツに、何の意味があるのか。ギャンブルで生計を立てるような組織を野放しにすれば、いずれ国全体がギャンブル依存症のように狂い始める(政治家共は日本をギャンブル大国にしようとしている)

ギャンブルの、汚い利権で海外へ。意気揚々とメダル取る様、テレビで応援(笑)
Back Ground Music: ギャンブル依存症



連帯責任
連帯保証人ほど怖い物は無く、全ての責任を連帯して背負うことになる。そのため連帯保証人は、相手に対して絶対の信頼と愛情をもっていなければなれるものではない

日本人はいつしか連帯して責任を負うことが無くなってしまった。全てを個人の問題として片付け、周りの人間は知らない振りを決め込む。この状態が進むと、個人の問題さえも問おうともしなくなる

高校野球には興味などまったくないが、学校に不祥事が起っても個人の問題として何のおとがめも無い。本来教育とは連帯責任を教える場であり、個人の行動が周りにどれだけの迷惑を引きおこすのか、きちんと教えなければならない

しかし現状は個人に責任を負わせて切り捨てるだけで、学校は切り捨てご免のやり方を教える場と化している。高校野球は既に学校行事を越えた単なる宣伝の場でしかなく、教育にはまったく貢献しない、ただの悪癖を覚える場でしか無い

現実社会は非常に厳しく、一人の過ちが会社さえも潰してしまう。学校はこうした現実を子供に教えず、問題は切り捨てれば良いような教え方をしている

連帯責任は非常に厳しいものだが、個人の責任の重さを教えるものであり、過ちを犯したものを愛情をもって立ち直らせるためにも必要なものだ。これを失った高校野球は、教育の魂が抜け落ちた単なる抜け殻に過ぎない

追記: 今年の高校野球は面白かった。野球自体はまったく観なかったのだが、試合が野球としての体をなさなくなってきたのが非常に面白かった。スポーツに勝つには、その規則を良く理解し、規則に違反しない戦いをしなければならない。言い換えれば、規則の範囲であれば、何をしても良い事になる(笑) 道徳的とか理性的とか、そういう人間性を捨て去る事ができれば、最強の試合ができる(笑) カット打法なるものを全ての球児がマスターして、全試合でやろうものなら試合自体が崩壊する(笑)マスコミは試合が話題になりさえすればいいので、面白おかしく正当化し、批判もする(笑)

高校野球自体がマスコミの宣伝ビジネスと化しているため、今更観ようとも思わないが、スポーツがいかに人間性に依存したものであるかを話題にしてくれた点だけは評価に値する。スポーツとはスポーツをする本人が楽しむためのものだ。それが見世物になれば、単なるビジネスと化してしまう。野球好きの大人ならば、それも許されるのだろう(笑) 実際にやっている本人達は楽しむどころではなくなるのだろうが、苦行を観て楽しむ大人達がいる限り、夏の甲子園が無くなる事は無い(笑)
Back Ground Music: Born Legend

軟式の高校野球で、延長50回という虐待ショーがあったそうだ(笑)高校野球がどちらか死ぬまで止める事ができない決闘だとは知らなかった(笑)高校野球にまともな神経など一切ないという事が証明されたため、高校野球というコロシアムショー(潰れる事を前提にした、怨念渦巻く残酷物語)を観る事は今後一切ない(笑)野球とは巌流島のような決闘のようなので、相手が潰れるまで戦う死闘が好きな人にはたまらないのだろうが(笑)自分にはそのような趣味は無いので、野球という死闘(私闘?)は今後も観る事は無い(笑)

マスコミも高校野球の責任者も、選手は喜んでいたと無責任な物言いをしている(笑)試合中の選手らはランナーズハイのような高揚感に満たされて楽しいのだろうが、その後に訪れる後遺症にさいなまれる事になる。それを事前に止めるのが責任者のつとめなのに、責任放棄を美談にすり替えるとは恐れ入りやの鬼子母神(笑)自分達さえ良ければかまわないという無責任ぶりにはあきれるしかないが、それが高校野球(スポンサーはマスコミ)というスポーツの性格なのだろう。マスコミと高校野球の責任者自身で、延長100回のボロボロになる試合を毎日行って、その正当性を自分の体で実証すべき

この詐欺師のマスコミが民心をあおるスローガンは、いつの時代も変わらない(笑)「聖戦だ。己殺して国生かせ」「進め一億。火の玉だ」「欲しがりません。勝つまでは」。これを地で行く高校野球には恐れ入る(笑)

ここまで凋落した原因は、野球を筋書きの無いドラマとしてもてはやしてきたからに他ならない(笑)高校野球がドラマ化したおかげで、視聴者第一の舞台作りが必須になってしまっている(笑)主導権は選手ではなく、ドラマを期待する運営者なのだから、「絵になる決着がつくまで、死ぬまで戦え」となるのは当然の事なのだろう(笑)

とりあえず勝つ事が至上命題となったスポーツに、意味を求めるのは止めましょう(笑)単なる勝負事でしかなく、ギャンブルを楽しんでいるのと何ら変わりが有りません・・・。本当にお金を巻き上げられるギャンブルよりかはましですが(笑)なので、ギャンブルを止めるために、スポーツに熱中するのは止めません(笑)
Back Ground Music: Captain America

キャプテンアメリカは、紛れも無いヒーローだ。ドラマに都合の良いヒーローでもある(笑)その盾は、全ての攻撃を見事に防ぐ。しかし現実で、全てを防げる訳がない(笑)悪党が狙うのは、盾の無い生身の部分。当たればドラマは終了だ(笑)

ドラマで必要なのは、それが何を意味するか。キャプテンアメリカは、不正を憎み、正義を貫く、正義そのもの。如何なる時でも、その信念を曲げることは決してない。だからヒーローなのだ。強力な肉体を持ち、高価な防具を備え、相手を武力で制圧する。それは単なる超人です(笑)

ヒーローは、自らの信念を決して曲げない。ヒーローは、決して人を見下さない。ヒーローは、不正・腐敗を許さない。人は超人にはなれないが、ヒーローにはなれる(笑)

信念を曲げ、不正に加担し悪人となるか。人を見下し、人を害する悪人に堕ちるか。不正・腐敗を許す悪人と化すか

それを人に問うのが、キャプテンアメリカ

超人を目指すスポーツ選手。ヒーローなんかじゃない(笑)



スポーツ観戦
巷では、ワールドカップと呼ばれるサッカーイベントで盛り上がっているらしい。しかし、「Youtube」でなにげに観ただけで終わってしまった(笑)

テレビで放送するスポーツは、とどのつまり金で動くスポーツであって、どうつくろうとも単なる商業スポーツだ(笑) テレビは熱狂する様をこれみよがしに映しているが、身近な人に聞いても、盛り上がりなどまったくいない(笑)

この手の大イベントには巨額の費用がのしかかり、終わった後に残るのは、地元住民に重くのしかかる負債だけ(笑)見た目は派手で立派に見えるが、後に残るのは重くのしかかる巨額の借金(笑)この負の部分に目をつぶり、ただただはしゃいで視聴率を稼ごうとする様は、こっけいなドラマとしか映らない(笑)

嘘で塗りかためた映像にはもはや何も感じないが(笑)、スポーツとして何か楽しめるものがあるのだろうかと思っていたが、結局何も得られなかった(笑)理由は巨大なグランドに対し、余りに少ない審判達が、不可思議な判定を繰り返すのをテレビが批判しまくるという、訳の分からない事態を延々と見せられたからだ(笑)

これを正すのは簡単で、ビデオであらゆる角度から試合を写し、30人規模の審判団によって多数決で審判すればいいだけだ(笑)これで賄賂による審判の誤審も防げる(笑) コンピューターで映像を力学解析し、反則かどうかを瞬時に判断でれば、ヒューマンエラーをほぼ完全に防げるだろう(笑)

世界規模で人の馬鹿さ加減を楽しむイベントとしてなら、十分に楽しめるものなのかもしれないが(笑)観る側は、自身のたまったうっぷんをはらすために、スポーツ観戦を利用しているという事実に気づくべき(笑)自分がやったこともないスポーツに、熱狂するなどただの馬鹿(笑)

聞くところによると、サッカーとは殺し合いよりかはましというスポーツらしいので(笑)、誤審・賄賂・収賄・だましあい・など当たり前(笑) 観ていると本当にそのようなものなのかと納得してしまう(笑)サッカー好きが観ればいいだけで、一般人が観るようなものではない(笑)

日本が敗退したら、マスコミは一気に別モードへと切り替えた(笑) 所詮テレビのスポーツに、まともなものなど何一つないという現実に気づくべき。テレビやマスコミはスポーツをネタにして、視聴者の関心を引こうとしているだけ。別にサッカーでもゴルフでも野球でもかまわない(笑)金のためなら何でもネタにする、ただの狡猾な詐欺師に過ぎない(笑)

テレビや雑誌が褒める時には、既にピークを過ぎていて、次の後釜が始まっている(笑)マスコミが褒める時点で、おかしいと直感すべき(笑)

マスコミの言う事を真に受けると、その先には地獄へ通じる落とし穴が待ち受ける(笑)

テレビのスポーツなど、金もうけの単なる勝負事。実際に恩恵にあずかるのは運営者と競技者だけ。観戦者には何の恩恵もありはしない(笑)恩恵どころか、スポーツ施設や運営に多額の税金が投入される。恩恵どころか観戦者自身の生活が脅かされる。テレビを観る事で、身の周りの環境がどんどん悪化するのだから、テレビほど無能で悪質なものはない(笑)

テレビを見ない事で、自らの生活を守れる。だから普段からテレビは観ないよう心がけなければならない(笑)テレビの情報の8割は 「嘘・捏造・偽り」であって、捏造を体験したいなら、テレビを観るのが一番(笑)

「スポーツを観れば元気になります!」と、マスコミとテレビは平然と嘘をつく。科学的に、スポーツを観て元気になる訳ないだろう(笑)



ラグビー
日本のラグビーが国際化され、立派になったと、誰も彼もが称賛する。しかし、何かが引っかる。大絶賛しているのが、あのNHKなのだから何かある(笑)何でだろう、何かがおかしい…

引っかかるのが、選手が他の国の代表に簡単になれる、という事実。これ、国内の代表から漏れた実力者達の、他国での救済措置だとしか思えない(笑)日本の野球は総日本人として応援し、ラグビーは総外国人だからだと応援する。何だろう…、この違和感(笑)

このシステムだと、日本人は日本の代表にはなれなくなる(笑)ラグビーは体力勝負なので、全てが外国人で占められることになるからだ(笑)国際化と寡占化の区別がつかなくなっている、としか言いようがない(笑)さすが「NHK・新聞・テレビ」による、一斉同時情報操作(笑)物量戦による洗脳としか言いようがない(笑)

「言われた事を鵜呑みにしろ!」。というのがテレビの本質。見えるものしか見なくなり、考えることしなくなり、人の視野が狭まっていく。テレビは見ない。平穏な生活には必須です(笑)テレビを見ない生活は、もはや情報化社会の慣習です

国際化は、まあ分かる。皆で仲良くやりましょう、というのだから誰もが納得。でも寡占化はやりすぎだろう(笑)では何故このような事態になったのか。ラグビーがイギリス発祥の伝統スポーツだというのが元凶だろう。スポーツニュースに、ラグビーの組織が硬直した独占組織になっていると書かれていたから、日本の相撲のようなものなのだろう(笑)伝統スポーツに、国際化なんぞ意味が無い(笑)

ラグビーが日本の相撲と同じならば、全ての辻褄がすっきりする(笑)NHKが絶賛するのも当然だ(笑)スポーツを目くらましに使うのがNHKの常套手段。スポーツを政治利用するのがNHKのお仕事です(笑)NHKは日本で外国人が、平等に扱われていると宣伝したいのだろう。現実は奴隷として扱っているだけだが…

スポーツは、スポーツ紙で楽しむ。ラグビーというスポーツは過酷だから、一般人には絶対無理(笑)伝統スポーツなのも頷ける(笑)強い者だけが生き残る。これほど明確な格闘スポーツは珍しい(笑)まあ伝統行事は「俺らが一番!」との恣意行為なんだから、国技と化したものは、基本どれも一緒です(笑)熱狂し、日頃の鬱憤を晴らし、ストレスの解消を図る(笑)

ラグビーは見るスポーツ。専門誌や専門チャンネルで楽しむのが王道だろう(笑)強烈な肉弾戦は、見る分には楽しいが、マネすれば確実に事故になる

地域密着型の奮起を促す催し、というのが伝統行事。しっかりとした規約に基づく興行です(笑)「約束は違えるな!」「汚い行為はやるな!」「地域の和を乱すな!」との教えを身につけるための催しです(笑)正々堂々と戦う伝統行事に、本来人の思惑など入り込む隙など欠片もない

世界選抜のラグビーと化した日本のラグビー(笑)それはそれで良いのだが、本来のラグビーの姿からは、かけ離れたものになっていることに気付いているのだろうか…。魔改造が大好きな日本人(笑)国際化ではなく、制度の隙を悪用した魔改造。その根本は「スポーツ特待生」とまったく同じ(笑)波乱が起こるのは当たり前

伝統行事がスポーツというのは、まあ色々と無理があるのは当然だろう(笑)日本の勝利を掴むためのラグビーが、単なる世界選抜へと変質する間抜けさは、ラグビーに邪は通用しないという表れだろうか(笑)日本のプレー終了後の握手の場面が、同じ外国人同士という絵面は、日本の消滅を彷彿させる…

奴隷商人(NHK)が暗躍する伝統行事…。異常を異常として認識できないのは、紛れもない異常です(笑)天候の異常化も、スポーツの異常化も、その根っこはまったく同じ。とりあえず、NHKで見ることだけは決してない(笑)

体力勝負のラグビーなのに、「休息の期間」が明らかに不公平(笑)疲れが取れないチームと、万全の体制のチームがぶつかれば、どうなるかは自明の理(笑)1人が欠けただけで、一方的な試合になる、地力勝負のラグビー。色々と調べれば、正々堂々とはかけ離れた、不都合な実態が見えてくる(笑)

見たものしか見ない生活とは、不条理の容認に他ならない

何でだろう、ローマのコロシアムで戦う戦士達と、熱狂する市民の姿が目に浮かぶ(笑)人の根本は変わらない、と言われるが、正にそのとうりなのだろう(笑)

それで何となく気になったのが、ローマが崩壊した理由。よく調べると、「戦力の外部委託」と「外部からの戦力の導入」。この政策によって国力が弱体化(笑)全てを外部に委託して、我が世の春を謳歌すれば、自滅するのは自明の理(笑)

笑えないのは、日本がこの愚策を正に行っているという事実にある…。「外国人の観光だよりの経済」「外国人の労働力の導入」「移民の増加」。日本のラグビーは、正にその象徴です…。日本のラグビーに熱狂する日本人。たどり着く場所は、ローマと同じ。笑えない現実がそこにある…
Back Ground Music: 雨が降るBack To Paradise



コメント
「SNS」や「ブログ」は、個人の意見を発信するWebツール。自分の意見を発信すると同時に、見た人の意見をコメントとして表示できる。コメントとは、書き込む人の勝手な意見。自分の意見に対し、友好的な意見を期待するのがそもそもの間違い(笑)

危機管理の観点から鑑みると、コメントできる「SNS」や「ブログ」は非常に危険(笑)何でも書けるのがコメントだから、無法地帯と言って良い(笑)ほっとけば、避難・中傷が乱舞する無法地帯と化す(笑)

コメントとは、自分で適切に管理しなければならない危機管理。コメントの非難・中傷は、自分自身で削除しなければならない危機管理。非難・中傷されたくなければ、コメントできないようにすればいいだけだ(笑)意見が合わないのは、人が欲望に根ざした生き物だからに他ならない(笑)欲望と欲望がぶつかれば、非難・中傷の応酬が必然的に発生する。何でも書けるコメントに、まともなものを期待するのがそもそもの間違い

個人の勝手な意見にコメントを許せば、荒れるのは当たり前。勝手な意見に勝手な意見をぶつけるのだから、まともなものには決してならない(笑)

コメントが必要なものとは、サービスを利用した評価など、人の意見が必要とされる場合のみ。コメントとは、サービス向上のために利用する参考意見。不適切なコメントは、管理者である発信者が自身で削除しなければならない代物。コメントの管理責任は、発信者自身が負うべきもの。コメントの放置は、発信者の責任放棄に他ならない。コメントとは、人の意見を参考にするための、Webツールの補助機能

人の勝手な意見を発信する「SNS」や「ブログ」なんぞに、コメントできるようにするのがそもそもの間違い。危機管理的に、不適切としか言いようが無い(笑)コメントは「肯定する意見」を書く場所なんかじゃ無い(笑)

「SNS」や「ブログ」のコメントは、一定時間で自動的に削除されるようにすべきだろう。削除されたコメントは、発信者が過去ログとして見れればいい。役に立ったコメントには、常時表示ができる設定機能があればいい。でなければ、「SNS」と「ブログ」は討論会の場所と化す(笑)コメントとは、参考意見を聞くための補助機能。個人が管理するWebに、コメントなど必要ない
Back Ground Music: ターミネーターTERMINATOR THEME

自民党や「NHK・新聞・テレビ」のオールドメディアは、「SNS」や「ブログ」のコメントを、法的な裁判記録として活用できるように義務付けた。人の意見にいちゃもんを付けて非難・中傷することは、法律的にまかりならんと、正式に決められてしまった(笑)つまり、「SNS」や「ブログ」のコメントは、裁判に訴えることができる公式意見に昇格した…。アホの極みとしか言いようが無い(笑)

今やコメントは、決して書いてはならない公式記録。コメントを書くとは、裁判資料を書く行為に他ならない(笑)コメントは書かない。書けば訴えられるリスクが自動的に発生する(笑)コメントは、危機管理的に絶対に避けるべき行為となった…

自民党や放送法に準じる「NHK・新聞・テレビ」の目的とは、「Web」での如何なる批判も許さない。コメントの裁判資料化は、その序曲にすぎない。いずれ、全ての「SNS」や「ブログ」が裁判資料と化す。言論の自由は、放送法に準じる「NHK・新聞・テレビ」にしか許されない。それが自民党と放送法に守られたオールドメディアが目指す独裁社会

彼らの言う「理不尽な非難・中傷は行ってはならない」というのは、人としての当たり前の常識です。では何故守れないのか。それは、自民党やオールドメディアが「嘘を平気で言う」「国民の批判に耳を貸さない」「理不尽な行為が裁かれない」との人しての常識を守らないからに他ならない(笑)平気で常識を踏みにじっておきながら、裁判で裁かれることなど決してない。正に理不尽の極致(笑)国民が常識を疑うのは当然だろうに。裁判で裁くべきは、自民党とオールドメディア

「自民党」と「オールドメディア」の不適切な発言は、裁判資料にもならないし、記録として一切残さない。「自民党」と「オールドメディア」の切り捨ては、今や情報化社会の常識です

切り捨てなければ、不正・腐敗が常態化。一切の不正が正されず、卑劣な彼らの奴隷と化す
Back Ground Music: Judgement Day



メンタリスト
メンタリストとは「人の心を読み、暗示にかける者」「思考と行動を操作する者」。タイトルからして情報化社会にマッチした、時代の潮流というべき代物だ(笑)全米一位の視聴率を獲得したのも頷ける。人の言葉が、いかに信用ならないものかが良く分かる(笑)

このドラマの第一印象は、「善人とは如何なるものか、それを人に問うドラマなんだろうな」というものだ(笑)人は見かけで分からない。人はその発言で判断できない。推理ドラマの常道だが、人の言葉を心を操る道具として、巧妙かつ狡猾に活用する。言葉遊び、言葉の綾、言葉の嘘…。言葉のあらゆる面を映し出す

普通の推理ドラマなんかじゃなく、流行りの行動心理学を基準にした多次元ドラマ(笑)様々な人間模様を絡ませながら、主線のドラマを紡いていく。視聴者を飽きさせない、流行りのドラマ構成だ。飽きさせない・スピード感・隠された真実。正統派ドラマは、突き詰めると同じ構成になってくる(笑)背景が異なるだけで、構成はまったく同じ(笑)メンタリストは、行動心理学に基づいて、行動パターン・行動真理を読み解く。ここまでは同じだが、そこから解決するための罠を仕掛けていく。犯人を狩る狩猟ドラマと言ったところだろか(笑)狩猟するのに、銃を使わない平和主義者(笑)

このドラマは、色々と沢山の教訓を与えてくれる(笑)勧善懲悪のドラマの王道として、「悪党に情けは無用」「悪党に逃げ道を用意してはならない」「逃げ道は必ず塞がなければならない」。何故なら、逃げ道を必ず用意するのが悪党だからだ

政治家に当てはめると、政治家は簡単には辞めさせられない(笑)人間性に問題が有っても、自分から辞めない限り辞めさせることなどできない。マイナンバーカードを活用し、インターネットで国民によるリコール制度が確立すれば、即座に問題のある議員は辞めさせられる。悪党の政治家は、政治家の罷免を許さない(笑)

情報は全て繋がっていて、情報を辿れば、必ず元凶へと辿り着く。推理ドラマの法則です(笑)だから、未解決に導きたければ、情報を分断すればいい。ドラマは情報を小出しにして、時間をかけて元凶へと繋げていく(笑)現実では、膨大な収集した情報から、瞬時に元凶へと辿り着く。解決したくなければ、情報の収集を止め、記録を抹消すればいい(笑)

日本では、情報を収集しないし、情報の統合もやらないし、そもそも記録などまったくしない(笑)正に電話で仕事をし、FAXで情報をやり取りし、判子で決済を行う原始社会(笑)日本のお役所は、正にテレビの時代という、昭和の時代で動いている(笑)日本のマスコミも同様に、テレビの時代で動く(笑)人はテレビからの脱却が必要だ(笑)

人の性根は一生変わらない。変えようとする努力によってのみ抑制できる。人は愚かなものだと悟るものを善人と呼ぶ(笑)自分は最高だ、過ちなど犯さない、と嘯く者を愚か者と呼ぶ(笑)ドラマでの人間構築の法則です(笑)日本の政治家と、お抱え専門家が良い見本(笑)日本では放送法によって、テレビの中を「愚か者」の天然保護区にして、法律によって保護している(笑)批判しようものなら、即座に裁判で裁かれる「愚か者の保護区」には、近寄らないのが身のためだ(笑)

「人の言葉は情報ではない」「人の言葉は信用するな」「人は行動でしか量れない」との、推理ドラマの常識を養える(笑)この常識が身に着けば、テレビなんぞ見なくなる。テレビは「人の言葉を伝える宣伝の道具」にすぎないからだ(笑)聞き流しの音楽と同じです(笑)テレビで理解は不可能です

人の言葉の意味を問う、人生の教訓がちりばめられたヒューマンドラマ。その舞台が警察だというだけだ(笑)型破りの行動を主人公のアドバイザーが担当し、法に準じた正義の行動を警官たちが担当する。型破りの行動とは、正解に導くためのシュミレーション。解決にはどのような行動が必要なのか、その解決へと至る考え方を教えてくれる。教訓とは、陥ってはならない失敗と、成功するための道筋です

他には人の信頼は、お互いの行動を通じてしか得られない。インターネットの言葉のやり取りでは、信頼関係は築けない(笑)言葉のやり取りだけでは、人の信頼関係は決して築けない。だから、顔の見えないSNSの会話に、信頼関係など存在しない(笑)顔の見えない、行動の見えない相手に、まともな対応など期待できない(笑)

答えは自分自身で見つけるしかないのが現実だ(笑)だから人は、教訓を得る機会を作らなければならない。秀逸なドラマは、教訓に溢れている(笑)

一話完結のドラマだから、毎回違う教訓が楽しめる(笑)これやったら失敗する。この手順を省いたから失敗した。成功にはたった一つの、小さな勇気があればいい。解決には地道な努力が必要だ。等々、ドラマを通じて様々な教訓が得られる。教訓は、自分で理解しなければ得られない。結局の所、どのように受け止めるかで、ドラマの価値は変わってくる

只楽しいから、只面白いからでは、ドラマを見る価値が無い(笑)ストーリーを楽しむには、そこに何の意味があるのか、徹底的に考えなければならない。何故そうなったのか、防ぐにはどうすれば良かったのか。ストーリーの意味を問うならば、そこにドラマの価値が生まれてくる(笑)

推理ドラマは、ストーリーがしっかりしている(笑)筋立てがしっかりしているのが推理ドラマ。日常も又、筋書に則って動いている。筋書を書くのは人間です。人は自分のストーリーを、自分自身でしっかりと描かなければならない

情報化社会においてのストーリーは、データを元にしたシュミレーション。自分自身でシュミレーションを行い、生活向上に役立てる。人の生活とは、様々な情報を元に活動するシュミレーションを意味すると言えるだろう(笑)

行き当たりばったりの生活を、情報社会では生活とは言わない(笑)行き当たりばったりとは、それは単なる享楽です。人の生活は娯楽じゃない。しかしNHKは、テレビの娯楽が公共だと放送法で矯正する。日本の政治家も同じ意見(笑)新聞もテレビも同意見(笑)笑うしかないだろう(笑)

スポーツを見て元気をもらい、娯楽を見て感激し、政治家の言葉に感動する。それは、情報社会の生き方では無いだろう(笑)スポーツを見て教訓など得られない。娯楽を見て教訓など得られない。政治家の言葉は、実現する気もない単なる意見の発表です(笑)

人はしっかりとしたストーリーを描くだけの能力と、ストーリーを実現する能力を磨かなければならない。そして、間違ったストーリーは正さなければならない。原因・元凶を見定める能力は必須になる。秀逸なドラマは、問題の正しい解決の仕方を教えてくれる。駄作のドラマは、学べるものが何も無い。学んだものは、生活に生かさなければならない。生活に生かしているのか検証すれば…大半は生かされていないのが分かるだろう(笑)愚かなのが人間だ。だから、人の愚かさから学ぶのが手っ取り早い(笑)

ドラマの教訓は、生きる上での忠告です
Back Ground Music: メンタリスト

人の愚かさと向き合うのが推理ドラマの特徴です(笑)メンタリストのドラマは、主人公が「憎しみに囚われる」との重大な欠陥を抱えている。欠陥を抱えながら、人はどのように乗り越えればいいのか、その方法を教えてくれる(笑)人はできることしかできない。つまるところ、自分のできることを、精一杯すればいいだけだ。海外の秀逸ドラマは、大金を掛け、大がかりなストーリーを実現する。ストーリーの作り込みが半端ない(笑)NHKが公共ドラマとして作成する、朝ドラ・大河ドラマと比較するのが手っ取り早い。日本の公共ドラマから、何が得られるのか教えてほしい(笑)

日本の公共ドラマは、どのように耐え忍べばいいのかを教えてくれる。中東の戒律が厳しい国々では大好評(笑)それは教訓ではなく教導です(笑)海外ドラマは改善がテーマになるが、日本の場合は改善できずにのたうち回る人々がテーマになる。日本の公共ドラマは、改善させる気など毛頭ない(笑)悪徳政治家の排除などとんでもない。悪法の改正など許さない(笑)

日本では、テレビ放送がメンタリスト(笑)皮肉と批判は紙一重。進化した科学は魔法と同じ。都合の悪いものはどんなに良くても導入しない。普通の人は白状するが、真の悪人は白状しない。人の本質は変わらない。人は行動でしか分からない

人の真実は、深い欲望の底にある。判断基準は、一人ひとり、全く違う。感じ方も、一人ひとり、全く違う。欲しい物も、一人ひとり、全く違う。それが人間だ。歪んだものは、全てを自分の都合のいいものに画一化しようと画策する。秀逸なドラマは、多彩で壁がなく、誰もが自然と受け入れられる。駄作のドラマは、画一的で物事を押し付けようとする

政治家の評価の場合、その行動でしか判断できない。政治家の言葉は、行動と結びついてこそ意味を成す。政治家をその発言だけで評価すると、確実に判断を間違える(笑)「NHK・新聞・テレビ」は、政治家の発言だけで評価する。駄作のドラマの見本です(笑)

学べるドラマは数少ない。それは作り手の理念によって、学べるものが異なるからだ。学べるとは、自分で学ばなければならないということだ(笑)学ぶとは、自分で考えることをいう。物事の正しい受け取り方、物事の正しい理解、物事の正しい評価。その方法は、自分自身で学ばなければならない

Back Ground Music: ライオン

メンタリストで学んだことは、ストレートな批判より、間違いではないのかと、皮肉を込めながら確認するのが効果的…というものだ(笑)間違いの指摘は簡単だが、間違いの修正には非常な困難が伴うものだ(笑)批判より、足りない要件を加えてあげて、決断の手助けをしてあげる。大概の場合、変わらないのが現実だ(笑)人の本質部分は変わらないのが良く分かる(笑)ドラマとまったく同じです(笑)

今時はコロナの判断で賑わっている(笑)科学者の詳細なレポートを読むと、こうなるだろう、こうなるかもしれない、ならないかもしれない、との曖昧な評価が乱舞する。つまるところ、良く分かっていないのが現実だ。素人達が、まともな判断などできる道理が無い(笑)このような場合は、常識に則って行動するしかないのが現実だ(笑)

科学の場合、科学の常識に則って判断するしかない。素人に、科学的な判断など不可能です(笑)素人評価が乱舞するのは当たり前(笑)科学者はそれぞれ、経験に基づく教訓を学んでいる。その教訓に則って行動するのが最善だろう。そうすれば、間違いの幅を狭めることが可能になる。100%の間違いの回避は不可能だが、間違いの可能性を下げることはできる

教訓とは、えてして単純なものだ。こうすればいい、こうしてはならない。それぞれにしっかりとした根拠がある。100%確実な根拠の有るものが教訓だ

ドラマは、悲劇の回避は絶対に不可能だと断言する。人が不完全なように、完全な世界など無いからだ。起こった間違いを、正しく修正していくのが現実だ。悲劇は乗り越えるものであり、悲劇を回避するために、人は努力を強いられる。ドラマは人の現実を、見る人に教え、訴え、忠告し、改善するよう促す(笑)ドラマは現実を写す鏡であり、そこから何らかの教訓が得られるものだ。得られるものの違いが、名作と駄作の違いになる(笑)

悪を滅して善を成す犯罪ドラマは、教訓を得るための教材として最善な代物だ(笑)悪を野放しにすると環境は悪化する。生活環境の正常化には、悪を滅して善良なものに作り変えなければならない。アメリカは銃社会だから、悪は銃で簡単に倒せる。これが銃社会の現実だ。しかし、メンタリストの主人公は銃を持たない。銃を持たずに悪を滅するために奔走する。銃社会からの脱却を図るアメリカ社会で、評価が高いのも頷ける

ドラマは最終的に、解決しなければならない代物だ(笑)ドラマの好き嫌いは、自分に都合のいい解決が為されいてるかで決まってくる(笑)このドラマは嫌い、というのは自分の望む解決では無い、ということだ(笑)つまり、人の評価はその人の好みによって左右される(笑)恋愛ドラマを見ても、自分は何も分からない(笑)よって、人の評価は当てにならない(笑)

ドラマの評価を、頭の悪い人と良い人との区別には使えない(笑)ドラマの評価は、人の判断基準にすぎないからだ。「このドラマは頭が悪い」とか、「このドラマを見れば良識が得られる」とか、「このドラマは面白い」とか、人の評価は様々だ(笑)それは、その人の判断基準を意味する。稚拙とか幼稚とか頭がいいとか、それらはまったく関係が無い(笑)この事実を、メンタリストは教えてくれる

人の評価基準や判断基準は、人それぞれ。唯一共通するのが「悪を滅して善を成す」。しかし、悪の基準と善の基準も、人それぞれ。だから、事の善悪は、その人の判断基準によって左右される。絶対的な善悪は、万人に共通するものでなければならない。それは、人が辿ってきた歴史から学んでいくしかない。歴史とは、全ての経緯を明らかにし、改善を図るための参考資料。万人の歴史は、万人の数だけ存在する。歴史によって、人の判断基準が育まれる。歴史とは人が歩んできた経験の記録。それは人に刻み込まれた情報だ

膨大な情報を扱える情報社会は、善悪の基準となる判断基準の収束を促していく。情報化社会は、膨大な情報を収集し、適切な判断を可能にする。膨大な情報を扱えなければ、情報社会は成立しない。人のドラマを発展させるには、膨大な情報を纏めることができる社会環境が必須になる。人のドラマを終わらせるには、情報を制限すればいい(笑)情報の数が多いほど、数多くの手段が生まれてくる

沢山の情報を詰め込むほど、ドラマの面白さが増大する。人の生活も同じです(笑)
Back Ground Music: YOU GET TO BURNING

自分はドラマの評価は苦手だ。言いたいことを、言葉にするのが大変だから(笑)ずぼらな性格と人は言う(笑)だから、文章を書いて矯正する(笑)

メンタリストは、時代に翻弄される人々を、犯罪を通して映し出す。評価する話は、拳闘興行を取材する女性ジャーナリストの射殺事件。この話では、興行を主催するプロモーターが犯人だ。プロモーターの不正を暴こうとした、ジャーナリストが殺される

プロモーターは、金になるなら選手の命など関係ないと、不正を当たり前のように捉えている。その理念の元になるのが、貧困から抜け出すための興行だ。金を得る手段が興行で、そのためには不正も厭わない。犯罪に手を染める典型だ

殺された女性の父親は、元ジャーナリストで、娘をジャーナリストの道に進ませたことを後悔する。「ジャーナリズムは死んだ」との言葉が印象的だ

不正を暴こうとした行為により人が殺される、とのありふれた展開だ(笑)文章にすれば、一行で終わりになる(笑)だから、つまらないという人もいる(笑)

つまらないなら、見方を変えて、どうすれば事件を防げたのか検証してみる(笑)ジャーナリストの女性は、不正の公開を犯人に言わなければ、殺されることは無かった。殺された女性には、不正をする人は、悪事を不正と思わない、との視点が欠けていた。だから女性は殺されたのだ

日本のジャーナリズムの最先端を行くゴシップ誌は(笑)、取材の経緯を、取材される側に悟られないよう行動する。徹底的に調べ上げ、事実から真実を推測する。公開するのは事実のみ。間違っていれば、訴えられるだけだ(笑)不正を暴こうとするならば、暴いた人は知られてはならない。報道の自由とは、報道する人を護ることに他ならない

娘を殺された父親は、ジャーナリズムは死んだと嘆く。情報社会では、評価は視聴者がするのであって、ジャーナリストは評価をしてならない。ジャーナリストが自分の善悪の基準で記事を書けば、事実を歪めることになる。ジャーリズムは、事実を正確に伝えることに変化した。ジャーナリズムは、死んだのではなく、変わったのだ…

視点を変えると、何故女性は殺されたのか、何故死ぬはめになったのかが見えてくる。女性ジャーナリストは、時代の変化を理解できずに亡くなった、ともいえるだろう

時代の潮流を読まなければ、時代に取り残されて難破する。人の悲しい現実です

変われなかった人の悲劇を描いた群像劇。それが、この話の自分の評価になる。別に深い話でもないし、別に感動するものでもない。しかしそこには、時代に取り残された人々の、悲しい現実が存在する。この喜劇を暴く主人公は、人の行動基準をただじっと見つめている。自分が陥った悲劇を、この事件に重ねているのだろうか。最後はいつものように、笑顔で終わっているのが救いだろう

ドラマの適切な評価ができない場合、判断能力が低下している。評価できないとは、人に必須の纏める能力の喪失だ。けっこうやばい(笑)重要な基本能力の劣化だから、判断を鍛える小説を読んだり、掃除をしたり料理をしたり(笑)ドラマは見るのではなく、感じるもの。何を感じ、何を得るのか。良いドラマは、人に教訓を教えてくれる。秀逸なドラマは、人の感性を育む。情報は検証が必須なもの。ドラマも検証が必要だろう(笑)
Back Ground Music: 魔女の宅急便星巡る方舟

「不正をする人は、その行為を不正だと思わない」の文言を読み返していると、ふと「オリンピック」が浮かんできた(笑)オリンピックの費用を、開催する国民に押し付ける。それは、オリンピック委員会にとっては当然だ(笑)世界でウィルスが蔓延していても、金儲けのために開催するのは当然だ

あれ?。なんだかオリンピックが犯罪組織に見えてきた(笑)赤字は全て、国民の税金だ。そりゃ貧困国に転落するわ(笑)「自民党」は言わば、犯罪組織のボスだ(笑)

「盗人にも三分の理」。どんな悪事にも、こじつけは可能だ。弁が立つ人は、基本信用しない(笑)物事の真理は、常に簡潔だからだ。簡潔とは、無駄の無い基本概念。犯罪者は、自分の行いを悪い事だとは、これっぽっちも思っていない(笑)だから、自らの行いを正当化する。嘘つきは、本筋から外れて、別の話にすり替える(笑)

信念の人は、基本となる概念を決して曲げない。曲げないから迷わない。曲げる人ほど迷う(笑)名作ドラマの王道です(笑)

メンタリストのドラマが凄いのは、「犯罪者は不正行為を不正だと思わない」との犯罪心理を決して曲げないとこだ。何故なら、それが必ず犯罪の発端だからだ。名作ドラマは、鉄板の基本を決して曲げない。現実社会に適用すれば、不正の本質が見えてくる

「不正が正されないのは当たり前」。「不正の記録は決して残さない」。「不正の証拠は決して暴かない」。「NHK・新聞・テレビ」の三原則。情報化社会に適応できない、致命的な欠陥品(笑)全ての記録を残そうとする「Wikipedia」が、如何に凄いものかが良く分かる(笑)

情報を記録として残す。これは情報化社会の基本中の基本です。内容が間違っていれば書き直せばいいだけだ。記録ゼロの「NHK・新聞・テレビ」を例えると、「飛べない飛行機・故障した自動車・チェーンの外れた自転車」。目的地に行けないのだから、生活に役立つ訳が無い(笑)

悪事をはたらく「政府・政治家・企業」は、悪事の記録が残ると非常に困る。だから、記録を抹消する「NHK・新聞・テレビ」を国民に押し付ける。テレビからの離脱は、まともな生活への第一歩。人はできることから始めなければならない(笑)
Back Ground Music: 左目探偵Person of Interest

ドラマは、人によって創られる。ドラマには、好感の持てる人、好感の持てない人、悪人、善人等々、様々な人間を投入する。人間模様を複雑にすることで、ドラマの幅を広げていく。善人や能力の高い人ばかりだと、ドラマには決してならない(笑)

だからドラマを観る時は、登場する人物をキャラクーとして捉えるようにしている。人物を性格と行動基準を持った一つの人物像として捉えると、物語の全体像が見えてくる。何が中心になり、何が障害になり、何を目指し、どこに向かっているのか、様々なものが見えてくる

好感の持てる登場人物からは、このようにすれば好感が得られる、との教訓が得られる(笑)好感の持てない登場人物からは、このような行為はしてはならない、との厳しい教訓が得られる(笑)キモイ登場人物からは、このような人物には決してなってはならない、との得難い教訓が得られる(笑)

だから「この登場人物は好き」とか「この登場人物は嫌い」とかの評価に意味は無い(笑)このように行動すべき、このような行為はしてはならない、このような考え方はしてはならない、との戒めを学ぶべき(笑)悪事をはたらく人・いじめをする人は、何も学んでいない人だと判断できる。判断基準によって、得られるものは変わってくる。ドラマで判断すべきは、人の性格や行動であって、人物そのものに意味は無い。人物に性格と行動を持たせているのがドラマだからだ。よって、人物を評価しても意味が無く、その性格や行動を評価すべき

このドラマの人物のようになりたい。これはドラマに憧れる原点だ(笑)コスプレはその最たるもの(笑)コスプレは無理なので(笑)、その行動や考え方を参考にする。人のためになる行動、合理的な考え方、悪の捉え方等々、精神面と行動を学ぶようにしている(笑)恰好をまねても意味が無く、その精神性と行動原理を学ぶことが大切だ(笑)大概主人公は極端なので、極端なものは欠点として受け取ることが重要だ(笑)決して真似をしてはならない(笑)欠点を持たない人間など存在しない(笑)

創られたドラマには、必ず意図が存在する。視聴者は、それをどのように感じ、どう受け止めるのか。人によって受け止め方はまったく違う。しかし、ものの見方を変えることはできる。人には様々な視点で物事を見る能力が求められる。広い視野で物事を判断しようとすると、様々な角度から物事を見る必要に迫られる

秀作ドラマからは、学ぼうとすれば、いくらでも学べるものだ。学ぼうとしなければ、何一つ学べない(笑)何を感じ、何を得て、何を学んだのか。それは、一人ひとりまったく違う。自らの感性を磨く努力が必要だろう(笑)

ドラマは考えれば考えるほど、ドツボに嵌る(笑)だから何も考えずに見るのもためになる(笑)何も考えずに見ると、人は本当に愚かな生き物だと分かってくる。だから改善が必要なのだ(笑)

人の善良性が大切だと、人に問うのがドラマの定石。道を踏み外さないよう、あえて道を踏み外す(笑)ドラマは仮想現実によって「善」と「悪」を表現する。「悪」に魅入られると、「悪」そのものへと変質する。「悪」の本質を表現し、「悪」に陥るなと警告する。「改善」できない事態に陥れば、破滅へと突き進む

改善できるのが「善」であり、改善できないのが「悪」なのだ。善悪に拘るとドツボに嵌る。ドラマはそれを教えてくれる(笑)