テレビの覚え書き

テレビの覚え書き


大嘘つきで人を騙すのが商売のテレビなど、今やまったく見ていない。何故なら、テレビを持つとNHKが訪問してきて、金を払わなければ裁判に訴えると脅迫する凶悪な代物だからだ。持てば脅迫されるテレビとは、得られる情報を制限し、情報操作によって国民を無能化する、凶悪な封建社会の推進者

テレビは必要な情報を調べられない、奴隷の道具にすぎない。調べられないテレビは、技術的に何の役にも立たない

テレビとは「テレビに映った物の、中身が不明・実態不明」という、とんでもない欠陥品

何故なら映像として映し出されたものの、膨大な来歴・説明という「記録データ」が何一つ無いからだ。情報は記録しなければ活用できない。何故なら、物事を知るには「記録」されたものを「調べる」しかないからだ。テレビが何故「詐欺の道具」と呼ばれるのか? それは、都合の悪いものは写さない、全体像が分からない、人の勝手な発言だけで判断するしかないからだ

これは言葉巧みに人を欺く、狡猾な「詐欺師」とまったく同じ


しかしテレビ自体は無限の可能性を秘めている。テレビがインターネットと接続すれば、あらゆる情報が検索でき、誰もがネット経由であらゆる手続きが可能になる。インターネットの情報をテレビを通して操作できれば、社会のあらゆる情報を得ることが可能になる。これは現在のインターネット網を利用すれば即座に可能

テレビは情報を自分自身で操作できる「モニター」へと進化する。インターネットに接続し、世の中の膨大な記録データを検索し、自由に活用できる時代へと進化した。時代は「モニター」を通して、自分自身で情報を操作する情報化社会へと移行済み

「モニター」とは「映像・画像・文字・音声」などの様々な情報を映し出す表示機器。「モニター」はパソコンに接続し、表示された情報を操作し、加工し、情報を必要な形に整形して保存ができる。「モニター」とは映像の解像度が非常に高い、情報をパソコンで活用するための道具になる。テレビの名が付くスマートテレビもあるが、解像度が低く、使い物にはならない

インターネットに接続した「スマホ」は、手軽に持ち運びできるパソコンの小型版。スマホがあれば、出先であらゆる情報を検索し、必要な情報が簡単に得られる。お金の決済もできるし、「QRコード」の読み取りであらゆる手続きが可能になる

情報とは活用するもの。活用するには、情報をデータとして記録し公開し検索できる環境を整えなければならない。テレビ放送は利用者が情報を調べられない致命的な欠陥品。テレビ放送では、情報の活用など技術的に不可能だ

テレビの基本的な性能は「記録できない・調べられない・検証できない」。情報を適切に管理できない「無能なテレビ」で、情報の活用など一切できない

「テレビは公共」との言葉があるが、これは情報をテレビに制限し、時計の針を一方的な情報しか得られない中世の暗黒時代に巻き戻す。これは「公共情報は記録せず」との情報の隠蔽を謀る邪悪なもの。情報の「記録・公開・共有」を基本にする情報社会においては、使ってはならない忌み言葉

何故なら、テレビに判断材料となる「情報の記録」など無いからだ。今や「考えることが出来ない・調べることができない・情報の活用ができない」無能な人間を作り出す邪悪なもの

「テレビは公共」に絶対にしてはならない危険物


テレビの時代は、情報を記録・検索・分析し、双方向で情報をやり取りできるインターネット社会の到来と共に、とっくの昔に終わっている…

「テレビは決して持ってはならない」。これは情報化社会の鉄則だ。何故なら、人には必要な情報は自分で調べるという、自発的な習慣が必要だからだ


自分で調べるのが習慣になると、生活が学べる場所へと変わっていく。テレビを持つと調べる習慣が失われ、テレビの奴隷と化し、無能な馬鹿となって自滅する。テレビは基本、情報を記録できない・公開できない、全ての情報を抹殺する危険物。テレビを見る習慣とは、一方的な情報に酔いしれる、麻薬患者とまったく同じ。今やテレビは、独裁国家ご用達の奴隷の道具にすぎない。日本では、テレビを公共に強制するNHKが良き見本

人に必須の「危機管理・情報管理」が一切不能な、人の危機管理能力を破壊する無能なテレビ。今や情報は自分自身で管理する、テレビを持たない「情報化社会」へと移行済み…

情報化社会の基本は「情報の記録・公開・共有」です。情報は「記録」しなければ意味が無い。情報は「公開」しなければ活用できない。情報は「共有」しなければ改善できない


インターネットは情報の記録・公開・共有を基本にし、人が適切に情報管理ができるよう手助けする。インターネットは人々の生活を支える公共インフラとして活用される時代になっている

テレビを持てば、危機管理不能で確実に野垂れ死ぬ…。テレビとの決別とは、情報を自分自身で管理できない奴隷生活との決別です

正しい答えを決して得ることが叶わぬ無能なテレビ。見れば観るほど「馬鹿」になる…


時代は「AI」がインターネット上の情報を選別し、必要な情報を提示する情報社会へと進んでいく。「情報端末」に「音声」で必要な情報や質問をすると、即座に答えてくれる情報社会へと進化する。情報とは活用するもの。活用法は技術の進歩と共に変わっていく…

「テレビは公共」と呼ばれたのは、「新聞は公共」だと呼ばれていた時代から、映像でリアルタイムに情報を得られる時代へと移行したから。時代は進み、公共を含む、あらゆる情報が瞬時に得られ、リアルタイムで双方向に情報のやり取りできる、人が求める情報が瞬時に得られる真の情報化社会へと進化した。時代は「インターネットは公共」と呼ばれる時代へと移行した

調べて必要な情報が瞬時に得られる(テレビは情報を調べられない)、情報を双方向で瞬時にやり取りできる(テレビは一方的)、あらゆる手続きが瞬時にできる(テレビは手続きできない)。情報を瞬時にやり取りできる、社会を支える「インターネット」

今や「インターネットに接続した情報端末」に「質問」すれば、インターネット上の「膨大な記録」を元に、「AI」が適切な「回答」をしてくれる。インターネットが無ければ、情報化社会は成り立たない

情報化社会は、インターネット上に記録された膨大な情報を元に、適切な判断を下していく。社会の情報や出来事は、インターネットに記録して活用する時代になっている。社会の改善には、あらゆる出来事を記録した膨大な情報が必須になる。そもそも記録が無ければ、社会の改善など不可能だ

現代人はテレビが無くても困らない。テレビを公共にしようものなら、必要な情報が得られずに、文明社会が後退する


テレビには調べるための記録が存在しない。だから一方的な宣伝しかできない。今や単なる宣伝の道具にすぎない。テレビは情報化社会に必須の「情報の記録・公開・共有」「危機管理・情報管理」が「技術的に不可能」な致命的な欠陥品です

「テレビのスイッチを入れても、必要な情報は得られない」

テレビは当たり前の事を、当たり前だと気付かせない。気付かせないよう、人の判断には判断材料となる「膨大な事実の記録」が必須になることを完全に否定する。テレビには判断の元となる「事実の記録」が存在せず、起こった「事実」を無かったことにしてしまう

「テレビは必ず嘘をつく」。何故なら、判断に必要な全ての情報が揃うことなど無いからだ。足りない情報で、まともな判断など決してできない


情報を調べられない「無能なテレビ」で、必要な情報など得られるはずがないだろうに…

テレビは情報に必須となる「記録・公開・共有」が一切できない。情報が瞬時に消滅し、全体像が不明になる致命的な欠陥品。テレビで判断すれば、確実に野垂れ死ぬ
Back Ground Music: Sherlock Holmes Theme

テレビには判断するための「膨大な事実の記録」が無いのに、物事を勝手に断定する。勝手に情報を選別し、それだけで判断ができると見せかける。はっきり言ってイカサマです

判断に必要な膨大な「事実の記録」を一切提示しないで、人の勝手な意見で物事を勝手に断定する。そこに現実に起こった「事実の記録」など存在しない。テレビで判断など論理的に不可能です

テレビで必要な情報は得られない。テレビで試行錯誤はまったくできない。そもそも必要な情報を得るための機能が無い…

テレビは人の勝手な意見を情報にすり替えて、人の発言で判断するよう誘導する。そこに「経緯」や「原因」や「分析・推測」などの判断材料となる記録は存在しない。テレビの役割とは、判断に必要な記録の抹殺であって、人に必須の「情報管理」と「危機管理」ができないようにすることだ

「テレビの情報は有用です」「テレビの情報はあなたに役立ちます」とテレビは唆す。しかし現実は自身に関わりのないまがい物。何故なら、自分自身に必要な情報は、自分で調べなければ決して得られるものではないからだ。必要な情報は一人一人まったく違うのだから当たり前。テレビに判断材料など存在せず、人の勝手な意見しか存在しない。テレビは必要な情報が得られると詐称する詐欺の道具にすぎない

テレビは調べられない欠陥品。テレビに判断に必要な「事実の記録」など存在しない。そこにあるのは勝手に判断する「人の意見」という紛い物。「人の意見」はその人が実現したい願望であって、人の意見は情報なんかじゃない。テレビは人の意見を元に、物事を勝手に断定していくイカサマにすぎない


「人の発言」は諫めて「悪しき行為」は法で裁くのが本筋だが、「人の発言」が判断基準になると、「人の発言」は法で裁き「悪しき行為」は法で裁かれないという腐敗した社会へと変わってしまう。テレビを持つと「人の発言」でしか物事を判断できなくなり、「悪しき行為」が放置される凶悪な劣化社会へと変わってしまう

「批判するな」。「都合の悪いことは言うな。記録して公開するな」。「人の意見で判断しろ」。「自分の意見を勝手に言うな」。正に言論の自由を否定する、言論統制へとまっしぐら…

「人の発言で物事を勝手に断定」し「悪しき行為の記録の抹殺」を謀るのがテレビの大事な役割です。調べて答えを得る正常な社会が阻害され、人の勝手な意見によって物事が勝手に断定されていく。テレビには「人の意見」しか存在しない。テレビとは宣伝の道具にすぎない


テレビを見ていて感じる違和感は、ほんの少しの情報で物事を勝手に断定してく邪悪な行為にある。あまりに稚拙で、あまりに邪悪。テレビで判断できるとの考えがそもそもの間違い。テレビは「人の意見」で判断するしかない「宣伝の道具」にすぎない

テレビには判断の基準となる「事実の記録」など存在しない。テレビは人の意見による「人の支配」を実現するための邪悪な道具にすぎない。テレビで判断すると正しい法による「法の支配」が崩れ去り、法で裁かれない「悪しき行為」が許される邪悪な社会へと突き進む。欠陥法によって利益を貪る支配者が、のうのうとのさばる暗黒時代が訪れる

良い例が、テレビを公共として強制する「北朝鮮・ロシア・中国」などの独裁国家。テレビが情報を得るための唯一の手段であると法律によって強制し、情報を調べることができるインターネットを規制する。調べられないテレビは、国家による情報統制の道具になる。これが紛れもない現実です

情報化社会にテレビは必要ない。人の生活には、自分で調べ、自分で判断できる「インターネット環境」の構築が必須になる

記録が存在しないテレビという媒体で、危機管理や情報管理は技術的に不可能だ。当たり前のことなのに、テレビは「必要な情報が得られる」と平然と嘘をつく。誤認を招く「イカサマ」が無能なテレビの本質です。改善するためのデータが一切存在しないため、「不正・腐敗・欠陥」が何一つ改善できなくなる。テレビを持つと、当たり前が当たり前ではなくなり、非常識が当たり前へと変質していく

テレビが行う詐欺の手口は、「前提」として「おかしい」ものを「正しい」ものだと断定する。正しくないものを正しいものだと思わせるには、前提そのものを正しいものだと断定するしかない。見破るには、判断の元になる前提がそもそも正しいものかをしっかりと見極めなければならない

「テレビは公共の役割を果たしているので必要です」との言葉が良い事例。そもそもテレビは情報を調べられない欠陥品。調べられない公共など、公共と呼べるものでは決してない。これは前提が間違った大嘘です。テレビには嘘を証明する手段が無いため、嘘が堂々とまかり通ってしまう。これは検証できないテレビの悪しき特質です。偽造・捏造・偏向は日常茶飯事

検証できないテレビは、そもそも「宣伝」しかできない欠陥品。判断するための判断材料が欠片も無いから、まともな判断など絶対無理

似たような詐欺の手口と言えば、なりすましのフィッシング詐欺が該当する。テレビは自分の意見を正当化するために、都合のいい情報だけを選別し、勝手に物事を断定する。正しいものだとなりすまし、間違った認識を植え付ける。善人になりすまし、勝手な意見を正当化。正しい判断などできる道理が無い

テレビは「自分は間違っていない。嘘など言っていない」と正々堂々と「意見」する。詐欺師は正しい都合のいい事実だけつまみだし、都合悪い事実は一切言わない。間違った事は言っていないので正々堂々と「意見」する。しかし全てを語っていないので、それは情報ではない単なる「意見」にすぎない

現状を把握するには、過去から現在に至るまでの詳細な経過・現在の状況の詳細な説明・現在に至った状況の背景と影響を与えた関連情報・これからどうなるのかなどの膨大な情報が必要だ。そこに人の意見など存在しないし、存在しては正しい判断ができなくなる

テレビは適当な事実を繋げて、都合のいい解釈をして、都合のいい判断を勝手に下す。嘘は言わないが、判断するための情報が足りてないから、間違った印象を与えてしまう。テレビは適当な意見を言っているだけで、正しい情報など伝えていない

正しい情報とは、正しい判断ができる情報です


判断材料が足りていない「正しい情報なんかじゃない自分の意見」を「嘘などついていない」と堂々と伝えるのが「イカサマテレビ」の正体だ。判断材料が足りない「架空の物語」をでっちあげるのがテレビのお仕事。確かに「嘘」は言わないが、判断するのに必要な情報が足りていない。そもそも宣伝するテレビの意見に、都合の悪い「事実」は何一つ存在しない…

都合の悪い「事実」を一切言わずに、勝手な意見で人の判断を狂わせるのがテレビの本質。「判断するための記録」が欠片も無い、これがテレビという媒体が信用ならない最大の要因です

テレビは「嘘など言ってません」と堂々と宣伝するが、そもそも情報が不足しているから正しい判断など論理的に絶対不可能。何故なら、テレビには「判断に必要な全ての情報」を「記録し調べる機能」が無いからだ。それは正確な情報なのか、調べて検証する手段がないものを情報とはいいません。テレビは単なる欠陥品です


物事はあらゆるものと繋がっているため、全体像を理解するには関連する膨大な判断材料が必要だ。情報の繋がりを丁寧に探っていかなければ、物事の真実など分からない。判断材料なき人の意見は、まごうことなき「イカサマ」です

判断材料にはならないのに、判断材料なんだと思わせて人の判断を狂わせる。自分勝手な意見を正しいものだと断定し、物事を勝手にこうゆうものだと断定する。そこに何故そうなったのか理由も経緯も原因も、判断材料が何もない。テレビは物事を勝手に判断する詐欺の道具にすぎない

「これはいったい何者なのか。何をしてきた者なのか」「これはどうゆう経緯でそうなったのか」「これはどうゆう意味なのか」「これは正しいものなのか」「これからどうなるのか」。判断材料が一切無いから判断不能…

テレビが「自滅の魔道具・イカサマの魔道具・宣伝の魔道具」と呼ばれる所以です

テレビは誰一人救うことなどできない。真実は「事実」の記録からしか分からない

「そこに救いは何もない」。何故なら、正しい判断ができないから。そこにあるのは「宣伝」だけ


テレビの恐ろしさは、そこに知るべき情報がまったく存在しないこと。調べることなどできないから、そこには知るべきものなど存在しない

だから、テレビとの決別は必至になる。テレビを持つ決断を下したのは、誰でもない自分自身。テレビを持つだけで契約成立と促す放送法は「決断したのはお前だろう」と、テレビを所持する者に破滅に至る全責任を押し付ける。そもそもテレビを持つこと自体が誤りなのだということを理解すべき

「情報」とは基本、人にとって役立つもの。しかし「テレビ」は何の役にも立たない。それは人の勝手な意見しかないこと、全てが消えてなくなる現実が証明している。そもそも判断材料が皆無のため、人を救う気など欠片もない。人の勝手な意見は、正義などには決してならない。正義とは人の行為の正当性の証明だからだ。証明するための「人の行為の記録」が存在しない「欠陥テレビ」に、意味を求めても意味が無い

「情報の公開」を基本にする情報化社会の到来と共に、記録しない・公開しない、だから調べられないテレビの時代は、今や完全に終わっている。テレビに物事を判断するための情報(データ)など存在しない。テレビで判断など一切できない…

テレビは情報を記録し管理できない致命的な欠陥品。テレビで情報管理は、技術的・論理的に絶対不可能。テレビで必要な情報は絶対に得られない。テレビを持てば情報管理をしていると錯覚し、危機管理が出来ずに自滅する。言われたことを鵜呑みにするしかない洗脳テレビは、自滅の道具にすぎない

テレビが発する情報とは、自分とまったく関係の無いまがいもの。関心を持てば自分のものにすり替えられ、自滅へと突き進む。今やテレビの情報には何の意味も存在しない。それは自分が必要とし、自分で調べるべき情報ではないからだ。問答無用で切り捨てるべき、今や意味無き宣伝です。テレビは「人の意見」を宣伝すりかえる、無能な道具にすぎない

時代は「テレビは持ってはならない」情報化社会へと移行した。テレビとは…人の恣意的な意思によって都合のいい場面を切り取った、全体像が把握できない歪められた宣伝だ。持てば…確実に自滅する

「テレビを見る」習慣が、人を無能な馬鹿へと変えていく。調べられないテレビで必要な情報など得られないのだから当然だ。テレビは習慣病なので「テレビは持たない」との決意がなければ、テレビを見る悪習は止められない…

「テレビの時代は終った」とはどういう意味か。それは、テレビを使わない時代を意味している。例えるなら、フィルムカメラからデジタルカメラへの移行と同じ。フィルムカメラは今の時代、使える代物ではなくなっている。危機管理が不能な欠陥テレビは、現代社会においてはまったく無意味。そもそも使える代物では無いということだ

テレビの時代は終わったが、テレビの資産は残される。テレビの映像は、インターネットに記録として残されて、何時でも再生できる時代になっている。テレビという媒体は終わったが、その役割はインターネットによる映像の配信へと進化した。時代は一方方向のテレビから、双方向のインターネットへと技術的に進歩した。テレビは技術的に終っている。それが情報化社会の現実です

テレビを生活から切り捨てると、自分で情報を調べる自発的な生活へと自動的に切り替わる。自分自身で情報管理を行う、との正常な生活へと転換できる。自分に必要な情報は、自分で調べなければ得られない。自分で情報を取捨選択するのが、情報化社会の生き方だ。調べられないテレビは、考えて行動するという、人の基礎能力を破壊する

テレビを持つ最大の弊害とは「言われた事・見せられた範囲」でしか物事を考えることができなくなることだ

それは自ら情報を調べ判断する能力が失われ、物事を詳細に分析し、原因・元凶をつきとめることができなくなることを意味している。得られる情報を制限し、人の考える能力を破壊する、人の無能化がテレビの本質です。記録が無い、検証できない、調べられないから何一つとして判断できない

テレビを持つと「情報の適切な判別能力」が失われ、馬鹿になって自滅する。「危機管理・情報管理」を不能にし、「自滅」を促す邪悪なテレビ。人を破滅に導く「麻薬」と同じ。テレビは決して持たない、との決意と覚悟が必要だ

時代はテレビを持たない情報化社会へと移行した


テレビの仕組みは「情報の非公開」が基本です。情報とは到底呼べない、瞬時に消える幻です。「情報の非公開」によって、情報を一切残さず、情報を唯一扱うものとして情報を独占し、情報操作を謀る。これは「言うだけ詐欺」を堂々と行い、言葉のみで信用させる洗脳行為。証拠も根拠も何もない戯言です

テレビで利益を得るのは「テレビ局・スポーンサー・出演者」の3者だけ。国民は何の恩恵も得られない。テレビは「テレビ利権」で儲ける。テレビ利権で肥え太り、自らの利権を護るために活動する。国民にとっては、まったく意味の無いものだ。テレビの役割とは「宣伝」です。「宣伝」によって利益を得て、「宣伝」によって情報操作を謀る。テレビの「宣伝」は、証拠も根拠も何もない、消えて無くなる戯言です

テレビには「根拠」も「証拠」も何もない。検証するための「科学的なデータ」が何一つとして存在しない。データ皆無のテレビに意味は無い

テレビの本質は「情報の抹殺」と「情報の独占」です。世の中の情報を尽く抹殺し、テレビが唯一の情報を垂れ流す者として君臨する。その姿は極悪非道な独裁者とまったく同じ。独裁者は見た目は善人を装おうが、その行動は極悪だ

悪党は嘘がばれる「情報の公開」を忌み嫌い、情報を一切残さない。「情報の非公開」とは、紛れも無い「イカサマ」です

情報の抹殺とは、都合の悪い情報の隠蔽だ。無能なテレビは、世の中を地獄へと変えていく。情報管理が論理的・技術的に不可能な欠陥テレビ。情報管理は自分自身で行わなければ、待ち受けるのは壮絶な自滅です。自滅の回避には、テレビを忌み嫌い、生活から問答無用で切り捨てる。これが情報社会の偽らざる現実だ


テレビで情報管理を行えば、自滅するのは自明の理

NHKは良い見本。「テレビを持てば契約成立!」。テレビを持てば、問答無用でNHKの奴隷に落とされる。これが日本の放送法で決められているというのだから、いつの間にか日本は奴隷国家へと転落している。テレビに情報を制限され、テレビでの決断を強要される。これを奴隷社会と言わずして何と言おうか

情報化社会において「テレビを持つ」のは、明確な「自殺行為」にすぎない。テレビは単なる「主張の道具」。主張を正当化するために、世の中のあらゆる情報を記録せずに消していく。テレビに情報など存在しないということだ。テレビを持てば、必要な情報の入手などできなくなる。しかも、根拠も証拠も何もない、人の勝手な発言を鵜呑みにしろと強要する。正に自殺行為以外の何ものでもない

自分に必要な情報は、自分で調べなければ得られない。これは情報化社会の鉄則だ

テレビの機能は「宣伝」だ。勝手な都合のいい「宣伝」をするだけの、判断材料が存在しない致命的な欠陥品。テレビは「証拠隠滅」の道具にすぎない。テレビに求める情報など欠片も無い。テレビは単なるガラクタだ。つまりテレビに意味は無い…

情報化社会では、事実を詳細に記録し纏め、その情報を元に検証・分析して改善の手段として活用する。情報は纏めて記録しなければ意味を成さない代物だ。現代社会は膨大な情報を元にシュミレーションを行い、詳細な分析によって来るべき未来を予測する。現代は「判断するためのデータ」が揃わなければ、適切な判断など不可能だ

人の為になる情報(データ)は、インターネットで常時公開するのが基本になる。何故なら瞬時に調べて活用できるようになるからだ。テレビを持つという事は、必要な情報が一切得られないことを意味している。テレビで必要な情報など得られない。これが紛れも無い現実だ


「情報の非公開」とは「生活改善の不能」を意味する。テレビを持てば、確実に野垂れ時ぬ

情報を調べる習慣が身に付けば、テレビなんぞは見なくなる。何故ならそこに、必要な情報など無いからだ。テレビには、そもそも記録データという情報そのものが存在せず、情報の活用がまったくできない。だからテレビに意味は無い。テレビは人に理不尽をもたらす災厄です。よって人にテレビは必要無い

テレビは映像で人を偽る。テレビは見た目で人を騙すということだ。人の本性は見た目では分からない。人はその行動でしかはかれない。テレビは本性を偽り、善人を装って人を騙す。テレビの本質とは、本性を偽り徹底的に善人を装おうこと。テレビに映る人の言葉が全てであり、それが真実へとすり替わる。テレビは徹底的に善人を装い、人にすり寄る。テレビは忌み嫌って切り捨てるしか手段が無い。テレビは詐欺の道具にすぎない…


テレビを持てば、欲しい情報・必要な情報・危機管理の情報を得られず、確実に野垂れ死ぬ。テレビは忌み嫌わねばならない時代へと移行した。これが紛れも無い情報社会の現実だ

「テレビは持たない!」「テレビは生活に必要無い!」との確固とした決意と信念が必須になる。何故なら、自分に必要な情報を自分自身で管理する情報管理と、社会の「不正・腐敗・欠陥」に対する危機管理が、完全に不能になるからだ。テレビは人の危機管理能力を完全に狂わせる「麻薬」と言っていいだろう

テレビには人の判断の基本となる、情報そのものが存在しない。だからテレビを持てば、人の情報管理能力と危機管理能力が失われ、緩慢な自滅へと追い込まれる。テレビは善人を装い、必要でない情報を、必要な情報だと「宣伝」する。テレビ持つだけで、人は「自分で情報を選べない」無能力者へと変質する。だからテレビは麻薬と同じ。テレビを持つのは、情報を得ること・理解することを放棄する、廃人まっしぐらの愚行です


テレビを一心不乱に見ている姿は、享楽に耽って判断能力が失われていく、麻薬漬けとまったく同じ。必要な情報など得られないのに、テレビを見れば情報が得られるとの、事実誤認の洗脳です。必要な情報は、自分で調べなければ得られない

情報化社会では、テレビは持たないとの決意と信念が必須になる

「テレビは持たない」。それが自分で判断できる、まともな環境を整える必須の条件。テレビを持てば、情報を制限され、自分で判断できない馬鹿になって自滅する。テレビを推奨する者は、何者だろうが卑劣な悪党。自滅の推奨だから、詐欺師・食わせ者の類になる


「テレビの薦め」は「自滅の薦め」。今や、人の善悪を見抜けるバロメーター。善人を装おい、人を自滅に誘う悪党を瞬時に見抜ける。悪党の論理は、小狡く汚い。その主張は、正に悪党

人の本能とは、生きる事。生きるために、自らの利益を優先する。人の理性とは、道理によって判断すること。テレビの薦めは、判断材料など持たずに、ただ本能のままに生き抜け、との薦めになる。理性無き生き方を薦める者は、紛れも無い悪党だ。テレビは「善」には決してならない

「情報の解釈」は自分でするのが基本です。何故なら、人によって必要な情報は異なるからだ。自分で情報を解釈できなければ、人は確実に自滅する。テレビは情報を勝手に選別し、勝手な解釈をしてくれる。テレビが「愚者の道具」と呼ばれる所以です

「テレビで情報が得られる・テレビは有用」との前提がそもそもの間違い。「テレビを見ればためになる」との前提は真っ赤な嘘。何故なら、テレビに情報など存在しない、テレビに判断するための判断材料など存在しないのだから。それが「自分に必要な情報」なのか、自問すれば直ぐ分かる。テレビがどれだけ無能で時代遅れなものなのか、それを理解することが重要だ

「テレビは公共だ!」などと、邪法(放送法)を使って契約を裁判で無理強いするNHK。「解約するならテレビは捨てろ!役立たずのテレビなんぞは、捨ててもまったく問題ない。捨てなきゃ裁判に訴える!」。NHKは今や「テレビ撲滅運動」の先導者と化している。「テレビは無意味。テレビを持つと自滅する」との真っ当な「主張」をする、「テレビの廃止(テレビを持たない)」を世に広める宣教者。テレビを持つと、情報を制限され、テレビの奴隷になると教えてくれる

NHKは放送法で「テレビとの決別」を裁判によって促す法的機関。国民の家庭を一軒一軒訪問して、「テレビが有れば契約成立!テレビを持てばNHKの奴隷になりますよ」と警告する、「政府・自民党」が国民を洗脳するための政府機関。放送法を使って強制するのだから、まごうことなき政府機関

NHKが訪問してきたら「家にテレビは有りません!」と堂々と宣言できる生活環境の構築が必至になる。何故なら、契約しなければ問答無用で裁判に訴えられるからだ。今やテレビは政府が規制する、凶悪な危険物と化している

NHKの支払いを怠ろうものなら、3倍の借金としてのしかかる、サラ金も真っ青の奴隷契約。解約は必至であり、テレビを持たないのが情報社会の基本になる。NHKとの関わりを断つには、テレビを持ってはならない


テレビは放送法によって規制される危険物。テレビを持つと、NHKから裁判に訴えられるリスクを背負い込む。テレビを持つと、放送法によって、自分で情報を選べない「情報の自己管理ができない無能力者」とみなされる。つまり、自分の公共が「テレビ」にすり替えられて自滅する。テレビは持たない、情報社会が到来している

「政府・自民党」にとってテレビを見る国民とは、情報管理ができない、言われた事を鵜呑みにする愚か者。ハッキリ言って、只の馬鹿。調べられないテレビなんぞに、意味など有るわけないだろうに…

「調べられない」とは「検証できない・改善できない・活用できない」などなど、「意味が無い・無責任」と同義になる。「嘘つき」は記録を残さず、発言だけで判断を迫る。つまり、行動記録という「真実」の隠蔽だ。「真実」を言わないから「嘘つき」なのであって、悪党は「嘘」を言わずに「真実」を偽る。「情報の公開」とは、「真実の公開」だということを理解すべき

情報は記録しなければ意味を成さない


テレビの情報に意味は無い。何故なら、記録せずに消していくから、判断が一切できなくなる。つまり、「物事を調べられない、無能な馬鹿が出来上がる」。テレビを持つということは、情報社会からの脱落を意味している

テレビを持つだけで、人は無能な馬鹿になる。人の無能化がテレビの本質です

だから、テレビは持たない。人を無能化するテレビは麻薬と同じ。テレビとの決別には「テレビは持たない」との決意が必至になる。テレビで情報が得られるとの事実誤認は、人を自滅へと追いやるからだ。意味無いものを、意味あるものと、人の感覚を狂わせるものがテレビになる。テレビとの関係を一切断つ。それが情報化社会の生き方だ

テレビはそもそも「放送利権・政治利権・製造利権」の3つの利権で成り立つ、悪質極まる利権商売。テレビは「不正・腐敗・欠陥」を生み出す邪悪な道具にすぎない。正に忌み嫌うべき災厄だ

「NHK・新聞・テレビ」は情報の独占ができる「放送利権」で儲ける。「政府・政治家」は国民に不正がばれて裁かれないよう、放送法によってテレビを公共に仕立て上げる。自分の身を守るため、「公共情報の非公開」により都合の悪い情報を隠蔽し「政治利権」を護る。テレビを作るメーカーは、テレビに「B-CAS」カードを付けることで「製造利権」を護る

テレビは3つの汚い利権で成り立ち、それぞれに莫大な利益を約束する。しかし同時に、国民から数多の権利を搾取する。「情報を選ぶ権利」「公共情報を得る権利」「自由に情報を調べる権利」等々の国民の権利を搾取する。テレビは凶悪な「搾取」の道具にすぎない

放送法は「テレビを国民の公共」として強制することで、「政(政治家)財(財界)官(官僚)」の「テレビ利権」を護って来た。テレビは「人の意見」を伝えるだけ。テレビに情報など存在しない。テレビで社会の「不正・腐敗・悪政」は裁けない。テレビは3者の利権を護る、薄汚い利権の道具にすぎない

「政財官」が「テレビを公共」に指定する邪法(放送法)を使い、「情報の非公開」によって「国民の無能化」を謀っている。「テレビ」は国民の情報を制限し、国民を支配する薄汚い「奴隷の道具」にすぎないことが良く分かる

放送法が管理するテレビというシステムは、国民の情報を制限し、都合のいい家畜として利用するのが目的だ。情報制限と情報操作が可能な無能なテレビを使い、国民を家畜化して莫大な利益を得る。「国民の無能化を謀る」テレビは、そもそも邪悪な代物だということだ

テレビに必要性などまったくないから、テレビを持たなければいいだけだ


「テレビの機能は情報の非公開」。「テレビは公共」と強制する放送法は、国民への公共情報を非公開にする、紛れも無い邪法です。テレビで必要な情報など得られない。調べられないのだから当たり前。テレビは人に必須の「情報管理」と「危機管理」ができない致命的な欠陥品だ。テレビを生活に取り入れると、確実に自滅する

テレビを持てば何故に自滅するのか。理由は理解するための「5W1H(だれが・いつ・どこで・なにを・なぜ・どのように)」が一切不明になるからだ。テレビの情報は、すべてが消えて無くなる幻だ。纏めて文書化しないから、経緯・結果の不明により予測ができなくなり、人にとって最も重要な「物事の改善」ができなくなる。全てが消えて無くなるテレビでは、「証拠」がまったく残らない。テレビは役立たずの欠陥品にすぎない

人によって必要な情報は異なる。テレビはこの当たり前の常識を狂わせる。テレビの情報は、人全てに必要なものとして強制する。テレビの本質は、情報の選別と、勝手な断定による洗脳です。テレビに情報など存在しない

「テレビの薦め」とは、「人を都合よく利用したい」「浪費させたい」など、自分の利益のために人を奴隷として活用したいとの意思表示。テレビは人のためには決してならない。穢れた欲望の塊が、勝手な情報を垂れ流すテレビという道具の本質です

テレビを薦める者は、テレビを観る者から搾取して肥え太る。テレビは搾取の道具にすぎない


テレビは日本の文明を後退させ、日本を貧困化させる元凶だ

放送法の役割は「公共情報の非公開」と「政府・政治家の不正・腐敗・汚職の非公開」。「NHK・新聞・テレビ」は「放送利権」を独占し、世の中の「不正・腐敗・欠陥」を放置する「放送法準拠の利権団体」。国民は「情報の非公開」によって「生活の改善・社会の改善」が一切できない。テレビは「予測・経過・結末」が分からない致命的な欠陥品。「NHK・新聞・テレビ」では、社会の「不正・腐敗・欠陥」は正せない。全ての情報が消えて無くなるのだから当たり前。つまり、「NHK・新聞・テレビ」は「調べられない」から何の役にも立たないということだ。見れば観るほど、社会環境が悪化する

「自民党」と「総務省」は放送法で「テレビを公共」にすることで、世の中の「公共情報」を非公開。所謂、「不正・腐敗・汚職」のし放題。放送法を統括する責任者なのに、まったく知らないふりを決め込む恥知らず。「自民党」と「総務省」は、情報の非公開により日本の情報を狂わせる元凶だ

「自民党」と「総務省」がどんだけ屑なのかが良く分かる

放送法という人権侵害の邪法を使い、テレビによる「情報の非公開」によって国民支配を謀る。日本は「不正・腐敗・欠陥・汚職」が「情報の非公開」によって許される、社会の改善ができない腐敗国家へと転落している。テレビは今や、社会悪化の元凶だ


「テレビメーカー」は「B-CAS」カードをテレビに装備することで、テレビを「利権の道具」に仕立てる。所謂、テレビという「利権の道具」を製造し、「B-CAS」カードの利権を守る。テレビメーカーはモニターを造らない。己の利権を脅かすモニターなど、製造する訳がない。モニターは「iiyama・Dell・HP」などの専用メーカーで購入するのが基本です

「政財官」は放送法による鉄壁の利権構造を構築し、国民を無能化し利益を貪る。テレビは「不正・腐敗・欠陥」を正せない「不正の道具」であって、国民にとっては何の意味も無い代物だ

「テレビの世界」は「侮辱罪」を振り回し、悪党が許され、悪党を生き延びさせ、悪党による悪行が許される「全ての情報が消されてしまう、理不尽が許される裏社会」。テレビは「人の無能化」を謀る、今や立派な裏稼業。テレビの時代は終わっている。テレビとは一切関わらない。それが表の情報社会の常識だ


テレビを持てば、放送法でNHKとの契約を強制され、危機管理ができずに自滅する。テレビは「不正の道具」として忌み嫌い、問答無用で切り捨てるのが基本です

時代は個人で情報を管理する「モニター」の時代へと移行した。「モニター」は「パソコン」と接続することで、あらゆる情報の操作ができる。テレビは持たない時代です

「テレビ」は「情報の公開」ができない「致命的な欠陥品」。「情報の公開が不可能」だから、情報を調べることができない。調べられないから、分析など一切できない。分析できないから、物事の改善が一切できない。つまり、人はテレビで何一つ判断できない

「テレビには情報が存在しない」と言うことだ

テレビは「調べられない」から、まったく無意味。情報管理・危機管理が一切できない「デタラメ」だ。判断材料がまったく無いから、試行錯誤が一切できない。危機管理ができないから、無能になって自滅する。テレビは見れば観るほど馬鹿になる

テレビを持てば「死亡フラグ」が問答無用で成立する


中身は只の「人の意見」。つまり単なる宣伝です。テレビは「政財官」に都合のいい洗脳の道具にすぎない。テレビは忌み嫌い、問答無用で切り捨てるのが基本です。「死亡フラグ」を叩き折るには、テレビを持たない。テレビを持たないのが情報社会の基本です

テレビの時代は終わりです。何故なら、日本はテレビが公共だからだ。テレビを終わらさなければ、自身の情報化社会は永遠に訪れない

テレビが役に立たない現実を理解するには、それが自分に必要な情報なのか、自分に関する情報なのか、判断できる情報なのか、自分自身に問えばいい(笑)まったく関係のないものを、必要なものだと押し付けるのが、テレビ放送の現実だ。情報社会において、テレビ放送に意味は無い

テレビは「情報の記録・公開」が不可能な、情報の管理が一切できない致命的な欠陥品。情報社会において、テレビは無意味。テレビは「予測」ができないため、人に必須の「行動の予定」がたてられない。よってテレビを生活に取れ入れると、必然的に「自滅」する

日本のテレビは、須らく狂っている。テレビで問題の解決など不可能だからだ。テレビで生活に必要な情報など得られない。テレビ生活とは、テレビの狭い空間が自分の全てになる奴隷生活に他ならない。テレビは何の役にも立たない欠陥品だ。テレビとの決別は、情報管理の第一歩

テレビは「人の行き先」を惑わす危険地帯。まったく関係のないものを、必要なものにすり替える。テレビが洗脳と言われる所以です


確認するには、テレビを見て、自分の問題が解決できるか試せばいい。何一つ解決できないことが実証できる。テレビは「調べることができない」致命的な欠陥品だ

テレビを車に例えると、目的地を表示できない欠陥ナビ(調べられない)を装備した、ハンドル(行き先を決められない)とブレーキ(試行錯誤ができない)が効かない欠陥車。乗ろうものなら確実に破滅する

テレビの機能は「宣伝」です。テレビは「人の意見」を延々と宣伝するだけ。宣伝は都合の悪いことは言わないし、証拠となるものは何一つ残さない。だから、人に必須の「推測・理解・解決」が一切できない。端的に表現すると「自滅」する。自分でテレビを選ぶのだから、明確な「自滅」です。だからテレビとの決別が必至になる

テレビを持たないのが、情報社会の基本です

テレビは「推測・理解・解決」させる気などまったくない、というか判断材料がまったく無いのだから絶対不可能。所謂、話にならない。テレビを見ていれば、確実に自滅する。テレビが吐き出すものは、そもそも人の意見であって、判断材料なんかじゃない。テレビは、判断材料で判断させない邪悪なもの。テレビは常に、物事を勝手に断定する。テレビは常に狂ってる。狂ったものは、忌み嫌わねば身を亡ぼす…


「毎日々、全ての情報を消されたら、そりゃ確実に死に至る」というか、マジで死ぬ。独裁国家御用達の宣伝放送。必要な情報を得られないのだから、生活に取れ入れようものなら、確実に自滅する。テレビは徹底的に忌み嫌い、生活から切り捨てなければならない。調べる習慣は、生活の基本です

テレビは持たない。何故なら、テレビは「人の意見」を情報にすり替えて、まともな判断をさせないからだ。先にあるのは「自滅」のみ

そもそもテレビで、必要な情報など得られない。テレビは圧倒的に少ない情報、つまり簡単なイメージで、見る人に都合のいいイメージを植え付ける。イメージは情報ではない、鵜呑みにさせる洗脳だ。思い込みという、最も愚かな状態に人を貶める。テレビで求める情報など、何をしようが得られない


テレビは勝手なイメージを植え付ける、紛れも無い洗脳です。テレビは勝手な「人の意見」を垂れ流す。「人の意見」は判断材料なんかじゃない、単なる「人の主張」にすぎない。テレビに判断するための、判断材料など存在しない。だから「テレビを持たない生活」が、情報社会の基本になる。「調べられないテレビが有用」なんて思うものなら、確実に自滅する

はっきり言えば、人生そのものが詰みになる。「必要な情報が得られない」とはそういうことだ


「善人を装い、人を騙すのが詐欺師の王道」。よって、見た目善人というのが一番危ない。テレビは善人を装うのが仕事になる。そもそも必要性がまったく無いのだから当然だ。テレビが最も恐ろしいのは、物事を解決する手段がまったく無いということだ。まったく無いのに、解決できると思わせる。しかし、解決できないから必然的に自滅する。正に踏んだら爆死する地雷原。テレビとの関わりは一切断つ。それが情報社会の基本です

「何一つ解決できないテレビなんて大嫌い!」「テレビを見ると虫唾が走る!」「調べられないテレビなんぞ意味が無い!」などと嫌悪するのが、人として正常な感覚です(笑)「テレビ生活」とは、常時自分に目隠しをするような愚かなもの。テレビの「毒気」を抜くには、テレビを持たないことが肝要だ。情報の公開をしないテレビの現実は「不正・腐敗・汚職」のオンパレード。この現実を理解すべき

人には、さまざまな視点からみた、膨大な情報が必要だ。それを可能にするのがインターネット。情報とは物事の詳細を纏めた文字データ。理解するには、「過去・現在・未来」をみとおせる膨大な判断材料(記録データ)が必要だ

テレビの致命的な欠陥は「調べられない」。だから人に必須の「試行錯誤が一切できない」。つまり「考えられない」から「判断できない」。だから物事の解決が一切できない。人はテレビを見ながら考えることなどできない。テレビで物事の理解や解決など一切できない。情報が消えて無くなるテレビで「情報管理」など論理的に絶対不可能!

情報を見るだけだから、情報を確認できない、調べられない、纏められない、理解できない、活用できない馬鹿になる。情報を自ら活用できない、「愚者」という名の無能な奴隷が出来上がる…。正に人を「無能化」する邪悪な呪い。テレビは忌み嫌わねば身を亡ぼす

テレビは人そのものを劣化させ、自ら考えられない無能力者を作り出す。そもそも自分に必要な情報を選べないし調べられない。テレビ放送は単なる宣伝であって、そもそも情報量が圧倒的に少ない。その上情報が変質し、物事を正しく理解できない。テレビは基本、無能で邪悪。なのに善人を装い、必要なものだと思わせる。テレビは生活に必要ない。テレビとの決別は必至です


確認するのは簡単だ。テレビを見ながら考えることができるのか、試してみれば即座に分かる。人はテレビを見ながら考えることなどできない。やってみればすぐ分かる。何故なら、テレビの情報は判断材料などではないからだ。情報を得たようで、必要なものなど得ていない。単なる「意見」の宣伝です。テレビが「イカサマ」だと言われる所以です。「イカサマ」は人の生活を破壊する。まったく役にたたないからだ

「自分に必要な情報は、自分で調べなければ得られない」。これは情報を得る基本原則。鉄則と言ってもいいものだ。よってこの原則に背くものは、全て「イカサマ」だと断言できる。だからテレビに意味は無い。調べられないテレビで、必要な情報など得られない。テレビは見れば観るほど馬鹿になる

テレビは「人の発言」を映像で写すだけ。テレビには「人の意見」しか存在しない。「人の意見」は情報ではなく単なる主張の「宣伝」だ。NHKが「宣伝放送」と揶揄される所以です。情報はテレビに存在しないことを理解すべき。テレビは必要な情報を瞬時に得ることが叶わなかった、古の不遇の時代へと時間を巻き戻す。テレビは必要な情報が得られない、時代錯誤の「イカサマ」です

「テレビは持たない」。それが情報社会の基本です

テレビは娯楽で人を誘引する誘蛾灯。近づけば確実に自滅する。テレビは徹底的に忌み嫌わねば身を亡ぼす…


テレビに判断材料など存在しない。テレビに「検証・改善」するための判断材料など存在しない。テレビで情報など得られない…

情報とはデータであり、理解するために全てを纏めた「文字データ」。テレビに判断に必須の「基礎データ(文字データ)」など存在しない。テレビは不可能を固定化し、可能を不可能にしてしまう。テレビは人の進化を止める邪悪な道具。調べられないテレビに、判断するための情報(データ)など存在しない。だからテレビは、見れば観るほど馬鹿になる。人はテレビを見ながら、試行錯誤は決してできない。何故ならそこに、判断材料など無いからだ

「検証」できないテレビは明確な「イカサマ」だ!

しかもテレビを持てば、NHKとの間で裁判沙汰へと発展する。欠陥法たる放送法は、テレビをNHKの管理物に指定する。テレビは基本、持ってはならない

所謂、持てば裁判、見れば自滅、利用すれば破綻する、破滅に繋がる危険物

「テレビは無意味」。それがテレビの真実だ


情報は記録しなければ意味を成さない。記録しなければ、調べることも、纏めることも、理解さえできなくなる。記録できないテレビに、情報など存在しない。テレビは「記録できない・調べられない・手続きできない」致命的な欠陥品。生活の改善も、生活の危機管理も、調べることも一切できない

だからテレビは娯楽だらけになる。人の興味を引くには、娯楽しかないからだ。しかし今や娯楽も、インターネットを通じて自分で選ぶ。テレビとの決別は必然です。情報は自分で選ぶ。でなければ、必要な情報など得られない。テレビが日常化すると、確実に野垂れ時ぬ

テレビには記録情報(判断材料)が存在しないため、まもとな判断など論理的に絶対不可能! テレビで情報管理は論理的に不可能です

「情報が欠落した不完全な断片情報・全体像を把握できない欠陥情報」で決断をせまる欠陥テレビ。テレビを生活の基本にすれば、まともな判断・生活改善ができなくなり、確実に死に至る。テレビ放送の現実は、人の意見のごり押しです。そこに必要な情報など存在しない。テレビを生活から切り捨てるのは、まともな生活の基本です


時代は、必要な情報は自分で調べる、インターネットの記録データを元に判断する、情報社会へと移行した。情報社会の基本は、自分で調べる。インターネットは、あらゆる情報の入手・あらゆる手続きを可能にする

テレビは「見ない・持たない・気にしない」、テレビを持たない時代へと移行した。瞬時に変化する、膨大な情報と向き合わなければならない情報社会。世の中の情報は膨大すぎて、自分で選ばなければ、必要な情報など得られない。テレビに意味など存在しない

テレビに意味を求めれば、必要な情報が得られずに、確実に自滅する。それが情報社会の現実だ

「テレビは無意味」。それが「思考の放棄」を促すテレビの邪悪な本質です

確認するには、テレビから「人の意見」を「無意味」なものとして排除する。そうすると、何も残らないことが確認できる。テレビには「人の意見」しか存在しない…。「検証」も「実証」も「改善」も何一つできない「イカサマ」だ。だから、何の役にも立たない。何の役に立ったのか、それをテレビを見て確認すれば即座に分かる

「人の意見」で判断すると、炎上し、理不尽がさく裂し、阿鼻叫喚の地獄と化す。それが人の数だけ存在する、単なる「人の判断基準」にすぎない「人の意見」の本質です。だから、テレビは話題作りに「人の意見」を利用する。「人の意見」はそもそも情報なんかじゃない。その人物を判断するための参考資料にすぎない。人物を判断する参考資料に、意味を求めても意味が無い

現代社会は「調べて行動する時代」へと進化した。テレビは斬り捨てる時代へと移行した


物事を理解するには、まず調べることから始まる。次に調べた情報が正しいものか検証する。検証して正しければ、情報を元に行動を起こす。行動によって情報が正しかったかどうかを実証できる。情報は検証しなければ使い物にならない代物だ。実証まで必要なのが、人に必要な情報だ

「調べる」とは「纏める」ことでもある。調べた情報は、自分で活用できるよう、しっかり纏めなければならない。調べて纏める、がセットになって情報の活用が可能になる。情報を鵜呑みにするしかないテレビが、役に立たない理由です。纏めて文書化するには、パソコンが必須になる。パソコンを使ってのインターネットは、情報社会の基本です

情報は利用者にとって「行動するための判断材料」「行動の指針」「自分の生活に影響を及ぼす出来事」。行動の基礎となるのが情報だ。それ以外は、利用者にとって意味の無い単なる参考資料。参考資料を幾ら揃えても意味が無い。「意味有る」ものと「意味無い」ものの見極めが必至になる

今の世の中、まったく意味の無いものが「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」。見れば役に立つ・元気になる・楽しくなると宣伝する

実際は何の役にもたたないから、日常生活においては、踏んではならない地雷。エンタメは生活に関係ない。スポーツは自分でするもので、それ以外は只の宣伝だ。政府・政治家がスポーツを公共に祭り上げ、莫大な予算を浪費する、今や只の極潰し。ゴシップ情報に意味は無い。他人の生活を覗き見る、いやらしい下種な行為にすぎない。まず生活から「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」を切り捨てる習慣が必要だ。テレビのほとんどを占めるのだから、如何にいらないかが良く分かる

安易な人の意見に感化され、安易な思考に囚われて、安易な行動に走って自滅する。本来人に必要ない、墓穴を掘る「地雷」です

調べて、纏めて、文書化しない情報に意味など無い。判断材料でもない、日常生活ともまったく関係のない「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」に意味は無い。イメージや感情で物事を断定するから、まともな判断では無くなって、炎上し、理不尽がさく裂し、泥沼に嵌まり込む。正に地雷と呼ぶべき代物だ。関心を持たずに切り捨てる生活習慣が必要だ

「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」と縁を切るには、「人物名」を「日本人」にすり替える。「NHK・新聞・テレビ」が「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」を「危機管理」にすり替える愚劣な行為に対する対策だ。「人物名」を「日本人」にすり替えると、記事は意味ないゴシップに早変わり(笑)ゴシップ記事に、元々意味など存在しないとの証明だ。「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」とは、只の意味無い「宣伝」です

情報は基本的に、自分の生活の向上や、物事を解決したり、行動を起こすために必要な状況の把握など、自分自身のために活用する。活用できない情報に意味は無い。まずはその情報がどのように活用できるのか、自分自身に問い正す。それは意味ある情報なのか、まず自分自身に問わなければならない。学ぼうとすれば、いくらでも学べる場所。学ぼうとしなければ、何一つ学べない場所。それがインターネットと呼ばれる場所だ

情報社会において、情報とは記録された「記録データ」を意味する。「記録データ」は検索して簡単に調べることが可能になる。情報はインターネットに記録し、検索で瞬時に得られるデータベースの情報社会へと移行した

テレビに情報は存在しない。情報とは「経過と予測」という「過去・現在・未来」を詳細に纏めた膨大な記録化された判断材料を意味する。判断材料が無ければ、判断などできないし、そもそも改善など不可能だ。テレビを持つと、正しい判断と生活の改善ができなくなり、自滅へと突き進む。テレビを生活から切り捨てるのは、今や情報社会の常識です

端的に言うと「テレビを持つと、判断できずに確実に破滅する」。判断材料が何一つ無いのだから当然だ

「調べられない」とは「情報が得られない」と同義だという事を理解すべき。テレビを持つと自滅する。今や世間の常識だ


テレビとインターネットの融合により、テレビは情報を写すPCモニターへと進化する。テレビとPCモニターは、機能的に全く違う。テレビは映像を写すだけ。映画館のスクリーンとまったく同じ。PCモニターは、入力された情報を写す、構造的に非常に単純。入力された様々な画像・動画・文字等を表示する、情報を操作するための道具になる

チューナーやBSカードなどの余計な機能が付いたテレビは、限定された使い方しかできない欠陥品。テレビ放送の見るためのテレビは、高価で使いにくく・馬鹿でかく・消費電力がはんぱなく・故障が頻発し・文字データの表示に適さない。最大の欠陥は、テレビ放送を見るための道具にすぎない事だ。テレビを持てば、NHKが金払えと飛んでくる(笑)

「テレビ(チューナーレス含む)」と「PCモニター」は構造的に全く違う。余計な機能が盛りだくさんの「テレビ放送専用の欠陥テレビ」は、モニターには適さない。「テレビ」の名を冠する物は、モニターでは無い紛い物。モニターは、入力された「データ」を映すだけ。「テレビ」は情報管理ができない、買ってはならない欠陥品だ

使い方を限定し、情報を制限するテレビの時代は、今や完全に終っている。テレビとインターネットの共存などあり得ない。何故ならインターネットは、テレビの上位互換の存在だからだ。テレビは今や、情報が存在しない馬鹿で阿呆な欠陥品です

テレビは映像に映したものの正体が、何一つ分からない、とんでもない代物だ。それが何者なのか、それは正しいものか、それは正義なのか悪なのか、その判別がまったくつかない。テレビは判断が一切できない、とんでもない欠陥品だ

時代はインターネットや記録情報を表示する、モニターの時代へと移行した。テレビの時代は終わっている


悪が善にすり替わり、誤りが正しいものとされ、見せないものが切り捨てられる。テレビに在るのは、人の狡猾な意見だけ。「テレビは見るな!」「テレビを生活から切り捨てろ!」と言われる所以です

テレビは役に立たない情報を人の脳裏に次から次へと送り込み、役に立ったと思わせる。テレビは好き勝手な情報を、人に必要なものにすり替える。人の役に立つ情報とは、自分で調べる必要があるものだけ。情報は自分で調べなければ意味を成さない。テレビは調べられない欠陥品。テレビを持つのは自殺と同じ


時代は、自分に必要な情報を自分で調べ、適切な回答を得る、情報社会へと移行した。調べられない・伝えられないテレビに、今や何の意味も存在しない。生活の基本にしたら、間違いなく自滅する。情報社会とは、情報の記録と公開により、膨大な情報を全ての人が共有できるデータ社会を意味する。情報が瞬時に得られ、瞬時に手続きが可能になり、瞬時に連絡でき、瞬時に適切な行動が可能になる情報社会。インターネットの膨大な情報との付き合い方を、人は学ばなければならない

「データ化できないテレビに、情報など存在しない。テレビで情報は得られない」。全てが泡と消え去るテレビに、情報なんてあるわけない。「テレビは情報でいっぱいです!」とテレビは宣伝する。その実態は何も無い。情報の一欠けらも存在しない

テレビには何~も無い。テレビは意見するだけの宣伝の道具にすぎない。テレビで情報は得られない。情報社会の常識です

人の言葉が情報だった、中世の暗黒時代の再現が、テレビ生活の現実だ。無意味、無価値に出鱈目です。調べられないから、自分に必要な情報が得られない。テレビは自分に関係ないことを、延々と喋り続けるだけ。テレビの現実は、根こそぎ情報を消していく、生活情報の抹殺です

「データ無し・改善不可・理解不能・手続き不可」の欠陥テレビは、情報を調べられない時点で、何の役にも立たないガラクタです。調べられない、答えられないガラクタです

時代はインターネットを通じて、自分に必要な情報を調べて回答を得る、テレビを持たない情報社会へと移行した


映像とは単なる参考資料。物事を理解するためには、全体像をまとめた膨大な資料が必要になる。映像だけで理解や生活の改善など、論理的に絶対に不可能。情報は検証と実証が必須なもの。テレビ映像は残らない・テレビ映像は見えるところ写すだけ・全体像の把握は不可能。テレビ映像は情報なんかじゃない。映像を生活の基本にすると、壮大な自滅が待ち受ける…

テレビで毎日々全ての情報を消されたら、自滅するのは当たり前。日本の年間自殺者は約2万人。テレビが生活に根付く日本じゃ当たり前。テレビは見てはいけない理解不能・改善不能の邪悪な代物。毎日、60人近くが自ら命を絶つ国、ニッポン。有名人が亡くなると大騒ぎして、民間人の自殺は無視する国、ニッポン。テレビで全ての情報が抹殺され、後進国へと転落した無様な国、ニッポン

「ニッポン、チャチャチャ。消えて無くなる人の言葉が情報だ。浮かれ騒いで、何も得られず自滅しろ~♪」

と宣うのがテレビの本質。自滅の放送。それがテレビの現実だ。最早、呪いの類と言えるだろう。だから娯楽・エンタメ・スポーツだらけになる。何も残らないから、最後に楽しい娯楽で締めくくる。だから、テレビは娯楽の記憶しか残らない。テレビが何の役にも立たないことを誤魔化すための卑劣な手管。だからテレビは、徹底的に善人の振りをする。邪悪なものを悟らせないのが邪悪の手管。エンタメ・ゴシップ・スポーツは、基本、生活に必要無い。生活に必要な情報・危機管理に必須の情報を得るのが、日常生活の基本になる

テレビは何も残らない。瞬時に消える幻です。だから問題を解決する手立てが無い。使っていれば、間違いなく自滅する。愚者の道具と揶揄される致命的な欠陥品。だから、役立つものだと宣伝する。しかし実際は何も無いから、何の役にも立たない。全てがゼロから始まる宣伝と洗脳の魔道具だ

テレビの神髄は「何も理解させない」こと。だからテレビは嘘はつかない。嘘つきでは無いが、人が理解できる判断材料がまったく存在しない只の無能な役立たず。それがテレビの現実だ


人の環境は一人々まったく違う。だから必要な情報も一人々まったく違う。しかしテレビは、人全てを一括りにして、必要な情報だと強制する。テレビは明確な詐欺であり、テレビは言葉を操る狡猾な詐欺師。この愚劣な詐欺がまかり通るのは、放送法という邪法にある。放送法(邪法)がテレビを公共に規定する。邪法によって必要な情報が、全てバッサリ消し去られる。だからテレビは生活から切り捨てなければならない

その情報が、自分に必要なものなのか、確認すればいいだけだ。確認すれば、まったく必要ないことが分かるだろう。テレビは只の宣伝です。必要無いものを、必要だと押し付ける洗脳です

テレビとの決別は、まともな生活の基本になる。天下の「NHK」も「解約するならテレビを捨てろ!」と放送法で強要する。「生活にテレビは必要ないから、さっさと捨てろ!」と言い放ち、PCモニターへの切り替えを推奨する。NHKは今やテレビの縁切寺

人は廻りの状況を的確に把握できなければ、確実に死に至る。「死にたくなければテレビは捨てろ!」。NHKも推奨する情報社会の名言です

テレビは「見ない・持たない・気にしない」情報化社会へと移行済み

生活改善がまったくできないテレビは、忌み嫌い、捨て去る時代へと突入した。テレビは生活を破壊する。テレビを生活から切り捨てる生活習慣が必要だ


テレビを「公共」に祭り上げるのは、放送法準拠の「NHK・新聞・テレビ」。何一つ記録が残らないから、社会の改善・生活の改善がまったくできない。「三種の暗愚」と呼ばれる、記録の抹殺・情報の偏向・悪事の放置を仕事にする「放送法準拠の利権団体」。生活からの切り捨ては必至です

繰り返し々、何度も々、「テレビに情報など存在しない。テレビで情報は得られない」と言い続けていると、自分は間違っているんじゃないか、テレビを否定する危険人物なのかと思えてくる(笑)しかし、テレビに情報など存在しないのは明確だ。記録が無いのだから当たり前(笑)当たり前を、当たり前ではないものにすり替えるのが、テレビの狡猾な洗脳だ

「テレビは情報を伝えるもの。だからテレビは公共だ」とテレビを公共に規定する邪法(放送法)に準拠した「NHK・新聞・テレビ」は断言する。しかしテレビは情報の公開ができない致命的な欠陥品。だから公共には決してならない。真っ赤な嘘も、開き直って言い張り続け、状況が変わらなければ、どんな理不尽でも正当なものとしてまかり通ってしまう。テレビは改善しない理不尽を正当化する「情報を制限された偽りの幻像」を映像で創り出す

調べられないから何もできずに野垂れ時ぬ。それがテレビの現実だ

テレビの真実とは「理不尽でも変えられなければ、それは正当なものとして成立する」。こんな理不尽が通用するのは、そこに情報など無いからだ。情報が無いから、改善が一切できなくなる。改善ができないから、理不尽が正当なものとして押し付けられる。テレビは無茶苦茶な代物だ

情報は「記録」し「公開」しなければ意味を成さない


テレビを見てはならない理由は、理不尽が正当化され、生活の改善が一切できなくなるからだ。テレビが災厄と呼ばれる所以です(笑)テレビは不正・腐敗・欠陥を正当化する道具になる。政府・政治家が、テレビを公共に仕立て上げ、自らの不正・腐敗・悪政を裁かれないようにするのは当然だろう(笑)

テレビとの決別には、世の中の情報は膨大すぎて扱え切れない、との現実を理解すべき。膨大な情報を適切に管理するのが情報社会。情報の詳細な記録・分類・分析・統合等々、情報を適切に理解できるインターネット環境が必須になる

テレビは情報が存在しない、生活から切り捨てるべき致命的な欠陥品。根拠無き消えて無くなる「人の言葉の情報」に、意味などあろう筈がない…。テレビは宣伝の道具にすぎない。テレビにあるのは、狡猾な人の意見だけ

全ての情報を消されたら… まあ、確実に自滅だね(笑)テレビの論理は、詐欺師の論理…

テレビは「人の穢れた願望(言葉)」を現実へとすり替える。テレビは改善すべき理不尽を隠蔽した挙句に放置する。テレビは理不尽を生む元凶です。自滅と理不尽が嫌なら、テレビとの決別が必要だ

Back Ground: 千年女王

テレビのシステムは、数十年前から全く進化していない。デジタル化で映像の質は上がったが、画面は録画防止のためか、透かしやテロップだらけになり、逆に映像は劣化している(笑)そんなに録画されたくないのなら、いっそ全面透かし画像にして、テレビが嘘でかためた利権にすぎない事を白状すればいいのに(笑)

テレビ放送とは、テレビ局のための利権放送。国民のための放送なんかじゃない(笑)

テレビの最新型はインターネットに接続できるが、それが標準にならなければ意味がない。パソコンでのインターネットと同等の事ができなければ、垂れ流しの情報を観るだけの現在の状況と変わらない(笑)インターネットとテレビの融合は、国家の根幹である情報通信事業であり、政府が率先して行わなければ実現できない。企業と堂々と癒着する政治家がいる限り、日本は情報後進国として没落の一途をたどっていく(笑)

政治献金で肥え太る今の自民党では、千年経っても実現は不可能(笑)とりあえず無能な自民党の大臣は、次の選挙で落とすべき(笑)業界からの献金で、業界に都合の良い政策しか行わない大臣は、国を滅亡させる手先にすぎない。総務省の歴代の大臣を「Wikipedia」で調べると、不正・腐敗・汚職のオンパレード(笑)総務省は政治家と放送を律する国の機関だが、腐敗政治家によって、今や不正と腐敗と汚職を推進する腐敗組織と化している

腐敗政治家はマスコミを都合のいいように利用するため、テレビやマスコミの利権を必ず保護する。腐敗政治家とマスコミが癒着すると、国民に重要な情報が知らされないため、国家の腐敗がじわじわと進行する。不都合な情報の隠蔽は、既にマスコミの常套手段

追記:
日本は未開のジャングルなので、公共放送として「NHK」が存在する(笑)

強制的に視聴料を徴収し、未開の田舎でもテレビが観られるようにしている(笑)日本は放送に関しては、電波がまともに届かない後進国(笑)公共放送がなければ、情報を得ることができない国なのだ(笑)だから大河ドラマや朝ドラが必要なのであり、情報を得ることができない国民のために、法律で「NHK」を公共放送として守護している

日本でテレビ放送が観られるのは、日本の立派な「利権政治家」のおかげなのだ(笑)言い換えると、日本を時代遅れの後進国に貶めているのが、日本の「利権政治家」だ。「自民党」が如何に卑劣な政党なのか、良く理解すべきだろう

しかし時代は電波のテレビを必要としなくなり、インターネット配信へと移行している。NHKは今や単なる娯楽。ワイドショーと化したNHKは、決して公共放送などでは無い。NHKは娯楽に莫大な金を浪費する有料放送なのだから、スクランブル化は必至です。NHKを見ない人からも強制的に徴収する法律は、不公正きわまりない卑劣なもの。NHKは政権を担っている与党と一連託生の関係にあり、総務省と悪徳政治家に都合のいい「情報の独占」と「政治献金」を提供する卑劣な組織。だから腐敗政権下では、法改正など絶対にあり得ない。NHKのスクランブル化は、まともな見識を持つ政治家しか実現できない。NHKが存在する事実が、日本にまともな政治家がいない現実を証明している(笑)政権与党の自民党だけは選んではならない(笑)

NHKに権力を与え続けた結果「ご契約いただけない場合の最後の方法として、受信契約の締結や受信料の支払いを求める民事訴訟を実施します」という無茶苦茶な請求を国民に対して起こし始めた。根拠とする法律は強制力のない放送法なのに、法律として成立している以上、従うのが義務だと詭弁を弄して国民を騙す

「テレビ・パソコン・携帯があれば受信料を払え!」と各家庭を訪問し、国民を脅して契約を迫る。NHKは「契約しなければ裁判に訴える!」と脅して回る「チンピラヤクザ」と化している

今やテレビは、NHKの私利私欲にまみれた「狂気の放送」と化している。この実態を隠蔽する新聞・テレビも又、NHKと同様に国民を欺く「ペテン師」と化している。テレビにより、腐敗政治家が堂々と闊歩する国、ニッポン。テレビとの決別は必至です

「NHK・新聞・テレビ」に倫理観・道徳心・社会正義を期待しても意味が無い。今や「不正・腐敗・欠陥」の元凶です


テレビ・パソコン・携帯がインターネットで繋がれば、情報を自由に共有化でき、SF映画の世界が実現する。その基盤は既にできあがっているのに、利権を食い物にする業界と政府が阻止している。情報は自由に移動・共有できるため、伝達方法と規格さえ整えれば、あらゆる情報が何の垣根もなく自由自在に扱える。情報を自由に利用・伝達できない現在の状況は、利権を規制で守っているからに他ならない(笑)

テレビ没落は国民にとって実現すべき未来を潰した結果であり、テレビが只の利権にすぎないという不都合な現実の証明でもある。テレビに「情報」は存在しない。テレビは「主張」する「洗脳」の道具にすぎない。テレビの先に、人の望む未来など存在しない。テレビが望む、奴隷社会が存在するだけ

家電メーカーが馬鹿なテレビを売るには、付加価値を付ける以外に無い。家電メーカー自身がインターネット配信で商売し、普通のインターネットも出来るようにすれば、購入したユーザーを囲い込める。これほど儲かる商売はない。メーカーがハード(テレビ)とソフト(番組)を提供すれば、自ずと利益が上がっていく。ゲーム機メーカーがハードとソフトのセットで利益を上げているのに、家電メーカーはよほどの馬鹿なのだろう。地上波は放送局に利権を握られていてどうにもならないが、ネットなら家電メーカーも番組で商売できる(笑)しかし無能なメーカーは既存の放送局と手を組み、みすみす利益を放棄したあげくに、テレビ自体が見放されていくのだろう(笑)

これからのテレビは、低価格でインターネットで番組を選択できるものしか生き残れない。10万以上もするテレビがバカスカ売れると思っているのなら、あきれて物も言えない(笑)しかし50万以上もするテレビを、国を挙げて売り込もうとするその根性にだけは敬服する(笑)こんな根性があるのなら、すぐさまネット放送事業に参入してテレビ復権に貢献して欲しい(笑)

最新のテレビは最新技術を組み込み、インターネットや携帯などと連携できる機能を追加している。これはつまりテレビがPCモニター化し、さまざまな情報を表示する映像デバイスに変容しつつある事を示唆している。これはユーザーからすれば非常に好ましい事であり、メーカーにしてみれば最終的にテレビの広告を独り占めできる可能性もあり、新しい収益源として期待できるようになる(笑)自社の製品の広告を無料で流し放題でき、他の広告も横取りできる一石二鳥の良いことずくめだ(笑) テレビメーカーもまんざら馬鹿ではないようだ(笑)テレビはますますPCモニター化していき、インターネットで情報を相互交換できる大画面PCモニターとしての地位を確立していくのだろう(笑)

テレビは只ぼーっと見るだけで、考える事をしないため、認知症一直線のアホの道具と化す(笑)テレビは「隷属の道具」にすぎない。テレビを見ない生活は、自ら情報を選別する自発的な生活。テレビはPCモニターに変える事で、考えるための道具という本来の姿を取り戻す

テレビは情報を選べない。情報を選べず、常時公開もできず、比較・検証も正誤の判断もできない、情報操作がし放題の自分勝手な媒体です。勝手な情報を押しつけるだけのテレビでは、社会の問題は決して解決できない。テレビとは娯楽であり、映像の生配信であり、記憶として残らない「忘却の道具」にすぎない。物事を知るきっかけになるだけで、もはや生活に必須の道具ではありません

そもそも膨大な情報を扱えないテレビ放送で、国内全ての、まして世界の膨大すぎる情報を詳細に扱おうなど物理的に絶対に無理。テレビ放送で扱えるのは、テレビ局が選んだ情報だけ。その範囲も絶対量も余りにも小さく、大海の中の砂粒にすぎない。目に付いた情報をつまみ食いしているだけ(笑)この事実に国民はいいかげん気付かなければならない(笑)テレビ放送とは、どこまでも自分勝手な放送です。「テレビの時代は終わった」と良く揶揄されるが、物理的にも論理的にも、完全に終わっている(笑)


一つの問題を炎上させ、他の多数の問題を無効化する。テレビ放送はこのような卑しい使い方しかできない明確な欠陥品です。多数の問題を平行して同列に扱えるのは、膨大な情報を同時に扱えるインターネットしかありません

「分かったような気にさせる」それがテレビ映像のトリックです(笑)

「テレビ放送がおかしい!」その感想は間違いない。あなたは間違ってなどいない。情報の絶対量が余りにも少ないからです。テレビ放送は膨大な情報を物理的に処理できない、構造的な欠陥を抱えた明確な欠陥品。世間に流れる情報を操作する、情報操作ための卑しい媒体。テレビ放送は情報の公開が不可能な、多数の構造的な欠陥を抱えた致命的な欠陥品。必要な情報にアクセスできない時代遅れの欠陥品です。次々に流れ去るだけの情報が、身に付く筈も有りません。欠陥品に期待するのが、そもそもの大きな間違い(笑)

テレビ放送は、問題解決のために利用する道具では無い。只の主張・宣伝の道具にすぎない。必要な情報が得られないのだから、致命的な欠陥品です

テレビ放送はそもそも善人ではありません(笑)人々の目線を逸らし、他の話題に釘付けにするという邪悪なもの。人は目先の刺激の強い情報に飛びつく、非常に愚かな動物です(笑)少ない情報で簡単に目先を変えられます(笑)映像という刺激の強い情報に、人は簡単に誘導される(笑)テレビの意味の無い情報に流される、無能な人間の大量製造兵器にすぎません(笑)「井の中の蛙大海を知らず」を体現するテレビ放送は、人を無能な人間に貶める。只の宣伝の道具にすぎないテレビ放送は、その役割を終えようとしている。その牽引役となっているのが、テレビ放送の盟主であるNHKです

NHKの解約とは、テレビ放送との決別です

テレビを観ない習慣は簡単に身につく。1ヶ月観ないでいれば、必要ない事が理解できます(笑)テレビは娯楽であり、他に娯楽を見つければ、簡単に切り捨てられます(笑)テレビを観ない習慣を身に付ければ、「世の中の情報は膨大すぎて、人の手には扱いきれない」と分かってくる


神でも無い限り、物事の全てを見通すなど絶対に不可能。だからマスコミは善人に擬態し、神のように振る舞う(笑)

「私は全てを見通すマスコミ。私の導きに従いなさい!」「この情報だけで十分です。他は必要ありません。信じる者の道は必ず開かれる。私は善人。ニコニコ」

直訳すれば「何か問題でも? てめえら馬鹿なんだから、言われた事を信じていればいいんだよ。くそったれが! 問題なんてないんだよ! いいかげんにしないと裁判に訴えるぞ!」

自らの決断の手助けとなるマスコミの正体がこんなものとは、真実とは常に残酷です(笑)どんなに善人を装うとも、その「卑しい行動」だけは誤魔化しきれない(笑)偽物だと見抜けば、簡単に切り捨てられます(笑)


テレビ放送の盟主であるNHKは、「豊かなテレビ放送」のためにNHKは必要なんだと力説する。公共の役割は何処行った(笑)公共情報は既にインターネット上で常時公開されるため、NHKは最早必要性が無い(笑)「豊かな国民生活」では無く、「テレビ放送のために犠牲を払え!(俺の為に死ね!)」と力説するテレビ放送は、もはや「邪神」以外の何者でも無い(笑)テレビは人に犠牲を強いる、非情で独善的な代物です。テレビの本質を力説するNHKは、ある意味正しい存在なのかもしれない(笑)

人の外面と中身は、まったく違うという現実を、人はいいかげん理解すべき(笑)その最たるものがテレビ放送で、「幾ら何でも違いすぎるだろ!」というのが偽らざる現実です(笑)基本は只の宣伝。人に影響を与えるのが仕事だから、精神衛生上最も悪い。テレビが「洗脳の道具」と言われる所以は、次から次に関係の無い情報を浴びせられ、問題そのものを忘れてしまう「情報の上書き」という情報操作にある。人は直近の情報に最も影響を受ける。情報は自らの手で選ばなければならない

自分の生活に影響を及ぼす情報だけを選別すれば、いかに無用なものかが理解できる。はっきり言って何もない(笑)必要な情報が完璧に欠落している。生活に必須の情報、身近な情報が得られないものに意味など無い

欠陥を隠蔽する「宣伝情報」は、身の破滅に繋がる。関係を断ち切り、切り捨てるのが最善です。まあ基本只の宣伝だし、基本重要な問題から目を逸らすための目眩まし(笑)

「いらないし、鬱陶しいし、邪魔だし!」「目を向けるべき問題はそれじゃ無い!」という鬱陶しい邪魔者です(笑)


テレビ放送は「問題はひとつずつ、着実に解決していかなければならない」という社会常識をねじ曲げる。テレビは人に「問題の放置」「答えを出さない」という呪いを掛ける(笑)答えは自ら見い出さねばならない。テレビは「邪な答え」与える「宣伝の魔道具」。自分で選べるようになったら卒業すべき

「(無能な)テレビを見るのを止められない」。それは立派な依存症


テレビ = マスコミ = 大嘘つき = 信じる = 欺される = ネットで生の情報を調べる = テレビはいらないがPCモニターはいる(笑)

今テレビを買うと、NHKに数千円の受信料を毎月支払わなければならないという罰ゲームがついてくる。これは自民党と民主党が決めた立派な法律。NHKはこの邪法を盾に、国民の家庭に土足で上がり込み、受信料を強奪する。この馬鹿げた喜劇を、テレビもマスコミも政府も、テレビを売る電気屋さえ説明しようとしない(笑)

NHKだけが「テレビを廃棄するか、NHKと契約するか、どちらか選べ!」と、自らを法の番人と称して服従を迫る。このような異常事態を、テレビ・新聞等のマスコミが一切報道しないのだから、日本のマスコミがいかに狂っているかが良く分かる

「国民はNHKと契約しなければ、テレビを観る事はできない」と、NHKは放送法を自分勝手に解釈する。これは正に、NHKという独裁者による言論統制そのもの

この事実を真摯に受け止め、NHKが映るテレビを捨て去り、映像を見るためのPCモニターに切り替えなければならない(笑)PCモニターはテレビ放送(NHK)を見るための道具などではない(笑)

テレビとPCモニターは、本来用途が全く違う。PCモニターは文字・音声・映像などの情報を、加工・編集するための道具であり、テレビは「テレビ放送」を見るためだけの道具にすぎない。解像度の低いテレビで、情報の編集作業は不可能。テレビは映像を見るためだけの奴隷の玩具。チューナーの無いパソコン専用のPCモニターに切り替えるのが最善です。バカでかいだけのテレビは、情報を制限される、馬鹿の道具にすぎない。馬鹿の道具だから、NHKによって搾取される道具となる。テレビは無能・搾取の奴隷の玩具。テレビからPCモニターへの切り替えは、情報化社会に適応するためには必至です

「テレビが欲しい」とは、「馬鹿になりたい」「自滅したい」と同義になる…。テレビとは、何の役にも立たないガラクタです

NHKは単なる卑劣な押し売りです。NHKの実態は「自民党と総務省と特殊法人」の共同体。NHKとは政府と自民党の宣伝放送。話を聞く義務など微塵も無い。今やNHKの勝手な訪問には、「家にテレビはありません」と言い放ち、問答無用で叩き出すのが常識となっている(笑)NHKの訪問は、自民党と総務省による、テレビの存在を確認するための訪問調査。テレビが有ると分かれば、問答無用で国民を裁判に訴える。放送法を悪用する「自民党」は、選挙での討伐が必至です

放送法の現実の解釈は、NHKとの契約を推奨しているだけで、契約の強制はできない。NHKとの契約はあくまで任意であり、必ず相手の同意が必要になる。だから訪問して「NHKと契約しなければ訴える」と脅して、強引に契約を迫る!

NHKとは、数十年前の時代に合わない欠陥法(放送法)を盾に、国民に契約を強制する卑劣なもの。これはNHKが「社会の欠陥は正さない。国民は社会の不正と腐敗を受け入れろ」と強硬に主張する卑劣な放送局にすぎないことを物語っている。NHKが拠り所とする放送法の欠陥は、NHKが不浄な存在だという現実を証明している

NHKの主張の欠陥は、自己保身しか考えない自分勝手な解釈と、国民を裁判に訴える卑劣な行為にある。国民に奉仕すべき放送が、逆に国民を貶めるのだから、いかにNHKが卑劣な存在であるかを理解すべき。利用する国民を無視した勝手な放送など、国民に役立つ道理が無い。国民からそっぽを向かれた放送に、もはや存在意義などない

「NHK・新聞・テレビ」は、都合のいい情報で洗脳しようとする、受動的な欠陥品。自らの手で情報を検証して客観的に分析できる、能動的なインターネットがこれからの時代の主流になる。押しつけられる狂った情報と価値観は、情報化社会がその存在を許さない

情報は自らの手で選び取る時代へと移行している


時代はテレビを不要とみなし、PCモニターの時代へと移行している。インターネットを活用する未来では、テレビと新聞は完全に無用であり、利用価値などもはや無い。国民生活に直結する法律を報道せず、社会の悪の根本を一切追求しないものなどマスコミではない。国民に危険を報告せず、危機管理が一切できないものなど、マスコミと呼んではならない

利権と繋がるテレビと新聞など、国民生活を破綻に導く卑劣な詐欺師。利権と直結しているから、正しい報道などありえない。利権そのものだから、悪の隠蔽など朝飯前。本来有るべき危機管理の情報が無い事態が、いかに危険なものか理解すべき

「NHK・新聞・テレビ」には、本来有ってしかるべき情報が存在しないのだから非常に危険。信頼性と重要度が著しく低く、根本の元凶を排除できない。情報の公開を拒み、適切な纏めをしない情報に、利用価値などありません


「テレビ」と「新聞」は利用価値が無いと認識し、容赦なく切り捨てる時代が訪れている。他に情報がいくらあろうとも、生活が崩壊したのでは意味がない。「NHK・新聞・テレビ」という、利権と直結した腐敗したマスコミは、確実に国民生活を破壊する。重要な情報を「知らせない・気付かせない・正しく認識させない」ものなど利用する意味がない

「テレビの時代」は確実に終わりを告げ、PCモニターの時代へと必然的に変わっていく。この流れは、NHKという卑劣な放送局によって加速する…

「家にテレビはありません!」と言わしめるNHKは、テレビからの離脱を法的に推し進める「テレビ廃棄の請負人」。「テレビは無いか~。契約しないと裁判に訴えるぞ~」と巷を徘徊するNHK。テレビとの決別は、情報化社会の常識です

Back Ground Music: Rolling in the deep、Star Trek Beyond Trailer1Trailer2

ヤクザのNHK(自民党・総務省・特殊法人の共同体)が「テレビ持つなら金払え!」と脅迫するのだから、素直にテレビ放送を捨て去るべき(笑)持てば脅迫されるようなものなど、ろくな代物では無い(笑)テレビ放送とは、只のヤクザの商売道具(笑)人を廃人にする麻薬と同じ。実態から乖離した幻覚に呑まれるだけ

切り捨ててしまえば、テレビとネットの余りにも食い違う情報に恐怖する・・・。社会に多大な影響を与える事柄が、テレビや新聞では適当に報道し、インターネット上では大問題だと詳細に掲載される。これを異常だと思わないのは只の馬鹿(笑)テレビとは情報操作された単なる幻。マスコミに都合のいいだけの幻影の世界に迷い込む

「NHK・新聞・テレビ」は、社会の不正・腐敗・欠陥は解決しなくても問題ないと、無意識下に刷り込みを謀る謀略の魔道具(笑)問題を解決する気が無いものは、利用しても意味が無い。問題を放置するマスコミは、社会を生き地獄へと変えていく

「知らせない・気付かせない・正しく認識させない」とはどうゆう事なのか? 深い海でおぼれている人に向かって、「知らないふりをする(知らせない)」「そこは海じゃないですよ(気付かせない)」「そこは浅瀬だから大丈夫ですよ(正しく認識させない)」と欺く行為。「NHK・新聞・テレビ」はこのような卑劣な行為を当たり前のように行っている。人を騙す詐欺師でしかなく、価値観そのものが狂っているのだから、利用価値など欠片も無い

人は「主張」の押し付けは嫌うのに、テレビの「主張の押し付け」は気にしない。テレビの「主張」は正しいとの刷り込み(洗脳)は、非常に危険な代物です。「人の主張」の鵜呑みは破滅に繋がる。「洗脳」とは情報の鵜呑みを意味する。情報は検証が必須なものであり、検証不可のテレビ放送は、紛れもない欠陥品です

「NHK・新聞・テレビ」のお仕事は、「当たり前ではない」ものを、「当たり前」だと洗脳する事。社会の異常な状態を「解決しないからしかたがない」で次から次へと放置する。マスコミが人を欺けば、それは明確な「社会的犯罪行為」。放送法は利権団体に、犯罪行為を許す利権を与えている。放送法は紛れも無い邪法です

自らに降りかかる火の粉に気付かなければ、自らの生活が生きて焼かれる生き地獄へと変貌する。「NHK・新聞・テレビ」とは、生き地獄へと誘う地獄の門


フジテレビの地獄絵図。テレビが自らの本性をさらけ出した正真正銘の本物。正に俗物の極致。テレビを見る行為の本質を、これほど的確に表現したものは何処にもない(笑)テレビを見るとは、悪行そのもの

「調べる必要など有りません!」と宣う彼らの主張の先には、生きて焼かれる生き地獄が待ちうける…。「知らない・気付かない・正しく認識できない」とは、人に食われる家畜の生き方…
Back Ground Music: Ao no Exorcist

テレビで情報は得られない。これはまごうことなき真実です。テレビは映像を写す道具にすぎない。情報を操作できるのは「PCモニター」だけ。テレビはPCモニターには決してならない。何故なら、文字データの表示に適さないから。光が反射する、低解像度、目に悪いブルーライト等々、映像は奇麗だが、文字データの操作には適さない。つまりテレビでは、情報の操作ができない

時代は、映像と文字を操作できる「PCモニター」の時代へと移行している。テレビはいらない時代です。大画面に惹かれるなら、VRモニターに切り替えるべき。大画面を小さなVRモニターで実現できる。バカでかいテレビは、場所と電気を馬鹿食いする、馬鹿と無能の象徴です(笑)

テレビとの決別は、データ(記録情報)の生活への活用を意味する。テレビにデータは存在しない。データは生活改善・危機管理・判断材料の元になる。データの無いテレビを基本にすれば、自滅するのは自明の理。間違いなく野垂れ死ぬ(笑)テレビは見ない。それが情報社会の基本です

「俺、俺、テレビの情報は公共だから」と偽るオレオレ詐欺。テレビは公共なんかじゃない。テレビは「情報が得られる」「理解できる」と嘘をつく詐欺師の道具。詐欺とは、情報を制限し、認識を偽り、人を騙す行為をいう

テレビは情報を扱えない、致命的な欠陥品。情報を検索し、情報を調べ、目的の情報を得ることができない致命的な欠陥品。情報社会とは、テレビとの決別です

テレビの何が悪いのか?。それは、人に必須の基礎能力の低下を招くため。それが正しいのか、自分に必要なものなのか、それが意味あるものなのか。情報を検索し、精査と分析を行い、結論を適切に纏めあげる。テレビを見ることで、これらの人の基礎能力が著しく劣化する。テレビは言われたことを鵜呑みにするしかない。だから考えることをしなくなり、まともな判断ができなくなる。それがテレビ見る最大の弊害だ。テレビを見ると、人の思考能力が劣化する

テレビは「見ない・持たない・気にしない」。テレビの排除が、まともな生活の基本です



テレビの害毒


テレビは娯楽であり、暇な時間を過ごすにはちょうど良く、さまざまな情報を無料で提供してくれるので大変助かります。テレビはためになる情報を提供してくれる大変便利なものです

とテレビが大好きな女の子はのたまわる(笑)ではテレビとは何なのか、よくよく考えてみると、宣伝としての強力な媒体である事が分かる。テレビがなければ、プロ野球も、プロサッカーも、プロゴルフも、オリンピックでさえ人の目にとまらないため、誰も見向きもしなくなる(笑)

テレビで放送されるものは、いかにも高尚で立派なものであるかのように錯覚してしまうが、実は単なる宣伝放送でしかなく、放送することで価値を高めているに過ぎない。テレビとは宣伝放送でしかなく、その価値がいかにも立派な物であるかのように捏造された、厚化粧のいいとこ取りのまがいものでしかない(笑)

宣伝とは「事実以上に言いふらす」誇大広告。宣伝の集大成がテレビの実像だ(笑)テレビ放送に価値は無く、いかにも価値があるものとして宣伝しているだけ。本来放送の価値を決めるのは視聴者なのだが、放送する側が勝手に価値ある物ときめてかかっているのが現実だ。広告主の要請により、価値があるものと誤認させることでテレビやマスコミの商売が成り立っている。正に誇大広告による洗脳です(笑)

テレビのためになる情報とは、テレビ局にためになる情報にすぎない。価値ある物とテレビ局が認定しただけ。価値の押し売りがテレビの実態です。テレビ放送の本質は、誇大広告の宣伝にすぎない事を理解すべきだろう(笑)

テレビによって作り出された価値とは、テレビに都合の良いだけの独断的な価値観。独断的な価値観は、浮世離れの毒となる。毒に犯されると、思考が麻痺し、ただ盲目的に信じてしまう。テレビは放送局の価値観を押しつけるだけの、嘘・真実・捏造がごちゃまぜの宣伝放送にすぎない(笑)

善人ぶっていかにも正しいものであるかのように薦めるのだから始末が悪い(笑)例えるなら、深夜のテレビショッピングが利点だけを大げさにに薦めるのと同じであり、テレビ放送とは情報のテレビショッピングだと思うべきものでしかない(笑)通販なら実物と違う事がすぐにばれるが、テレビだと確認しないかぎりばれることはない(笑)何でもためになる情報に改変する商売人の放送局に、まともな倫理観を期待するほうが間違いだという事に気づかなければならない(笑)

テレビやマスコミとは毒のある価値観を植え付ける宣伝放送であり、観るのはほどほどにしときましょう(笑)宣伝放送をありがたく観ている姿は、独裁者の発表を盲目的に信じる愚か者の姿と似通っている。情報の価値は自身で決めるものであり、テレビ局に押しつけられる物ではない(笑)ダイレクトメールなどの宣伝物は嫌がるのに、テレビの宣伝放送はなにげに受け入れてしまうのは、テレビが宣伝放送であるという事実を巧妙に隠しているからに他ならない(笑)

テレビは音声だけを聞いていれば、「・・・こうゆう事なんです」「・・・ですよ」「・・・すごいですね~」 と一生懸命に宣伝している事が分かる(笑)ためになる情報などではなく、単に宣伝しているにすぎないという事実に気付かなければならない(笑)

テレビはリアルタイムに状況を放送できる最高の媒体であり、事実を放送するだけにとどめていれば何の問題もない。そこにテレビやマスコミの思惑が入り、事実をねじ曲げるからおかしくなる。偏向報道、嘘つき、厚顔無恥の主張等々、テレビやマスコミの捏造放送には本当に嫌気がさす(笑)

「テレビ(宣伝放送・放送局の主張)は嫌い」 という人は、まともな神経をしている証拠なのだから、テレビ離れは良い傾向だと言えるだろう(笑)

テレビを見続けていると、人間性が少しずつ失われ、自分で考えることができない廃人と化していく。テレビは単なる娯楽であり、テレビを見ても生活能力が低下するだけ(笑)生活は改善しないし、生活の向上も望めない(笑)ドラマが見たければ、質の高い海外ドラマを見ればいいだけだ(笑)海外ドラマは日本のドラマと違って、お金のかけ方が半端ない。よって質の高さは段違い(笑)

テレビの害毒で見逃されているのは、都合の悪い情報を流さないというものだ。これは目の前で人が溺れているのに、ただ見ているだけで助けない傍観者と同じである。この無作の行為こそが、テレビの卑怯な本質を物語っている。次々にどうでもよい情報を垂れ流し、最も重要な事実を視聴者から覆い隠すという最も卑劣な行為を堂々とやるのだから、視聴者が離れていくのは自業自得という他ない

テレビは何もしない事で多くの都合の悪い情報を葬ってきた、「見殺しの道具」 と言う卑劣な一面がある事を理解すべきだろう。テレビやマスコミは、叩きやすいものを徹底的に叩き、暴かれたくない事実は放送せずに隠蔽する卑怯者にすぎない

テレビやマスコミは、自分達に都合の良い情報だけを選んで流しているという事実を忘れてはならない。彼らが垂れ流す情報は、政府や企業からの汚い金で、都合の悪い事実を隠した 「偽りの情報」 であり、初めから疑ってかかるべきものでしかない。テレビやマスコミがいかに卑劣な体質で、信じるに値しないものであるかをきちんと理解すべき

テレビやマスコミは嘘をつかない。ただ10の真実の内、1つのみを語るだけだ。残された9つの真実を闇に葬り、真実とは異なる虚像を作り出して人を騙す。見せかけの真実は中身のない空虚な偽りでしかなく、繰り返し繰り返し流される刺激的な記事や映像は、観る者の感性を麻痺させていく。凶悪や美徳というインパクトの強い部分のみを強調して、事実とは異なるまやかしを真実のように見せかける。テレビを観る時間とは、人生をただむなしく過ごす浪費です…

テレビやマスコミは正義の代弁者などではなく、情報を商売の糧とする、狡猾で強欲な商売人・・・。特別に見えるように装うのが仕事であり、中身は只のサラリーマン(笑)特別でも何でも無い(笑)


テレビやマスコミの情報には、必ず判断基準となる重要な情報が欠けている。だから適切な判断ができないという現実を理解すべき

テレビを観るという行為は、「テレビ局にいいように利用されているだけ」 との現実に気付かなければならない(笑)テレビにとっての視聴者とは、視聴率稼ぎという商売の餌に食いついた、馬鹿な魚にすぎない(笑)

テレビやマスコミは、都合の悪い情報は一切報道しない。報道しない事で死人が出ようがおかまいなし。その卑劣さには舌を巻く…

テレビの視聴が習慣化すれば、必ず家庭は崩壊する。理由はテレビが洗脳の道具であり、コミュニケーションの機会を奪うものでしかないからだ。マスコミに都合のいいだけのどうでも良い情報や、まったく役にたたないバラエティなどの情報しか入らない。テレビとは、人を劣化させる邪悪な代物にすぎない

テレビを情報収集の道具だと誤認し、必要な情報が消されている事に気づかない。毒を少しずつ飲まされているようなものだ。テレビは人を無能な人間に改造する、危険な人間改造兵器(笑)テレビ離れは必至です(笑)

情報は自ら探すよう日頃から心がければ、テレビなんぞ自然と見なくなる(笑)天気予報など、インターネットで天気予報サイトを見れば、テレビの何十倍もの情報が簡単に手に入る。自分で考える人になるか、洗脳されて無能な人間になるか。それは自ら判断すべき時代です
Back Ground Music: Rolling in the deep

「テレビが大好き」という人は、自分で情報管理ができないと「公言」しているのと同じです(笑)テレビは情報を選別し、テレビに都合のいい判断を押し付ける。選別の元となる膨大な情報を自己管理できれば、そもそもテレビは必要無い。テレビに判断を頼っていると、人としてのまともな判断ができなくなる。テレビは、自己判断ができない人のための奴隷の道具にすぎない

テレビは「ジャンクフード」と同じ、人をダメにする習慣病。テレビからの離脱が最善なのは言うまでもない(笑)洗脳と同じだから、テレビを見ないという手段しか無い。テレビが無くても、人はまったく困らない(笑)情報を選別する道具だから当たり前(笑)テレビは情報を制限する道具にすぎない

正しい情報を選別するには、善と悪の明確な線引、主張と情報の判別、正誤の判断というしっかりとした「基準」が必須です。人の基準は人それぞれ。基準は自らの力で養っていくべき、人としての必須の能力。テレビはこの能力を低下させる、人の無能化を目的にした「宣伝」です。人にテレビは必要性は無い

「テレビが大好き」という人は…もはやどうしようもない原始人(笑)パチプロ、ギンブラーと同じです(笑)自分で情報管理はできないと宣言するダメ人間(笑)テレビを見るのは止めましょう(笑)

テレビが無い生活とは、自分で情報を収集し、自分で判断する生活です。必要な情報と不要な情報とを適切に分別できる能力と、情報の正しさを適切に判断できる能力が必須になる。情報を検証し、情報の信頼性を判断できなければ、人は簡単に騙される。人としてのまともな生活には、テレビからの完全離脱が必要です…



主張


昔は映像を作成したり、文章を作成して公開する事は、特殊な技能と設備を持つ専門家にしかできなかった。しかし、パソコンとインターネットが普及した今では、誰もが簡単に映像を作成し、自分の主張を世界中に公開できる

素人でもテレビのような映像を作り、新聞記者のように主張を一般に公開できる。そのため、マスコミの嘘が、簡単に暴かれる世の中になっている(笑)

映像を作成する場合、元の映像から切った貼ったを繰り返し、感動的な映像を作成できる。主張にそった強調により、方向性をはっきりさせ、観る者が分かりやすいものを作れる。自分で映像を作成すれば、どのようなものでも、都合のいいものに編集できる事が理解できる(笑)テレビの嘘はこのように、編集の段階で必然的に生み出されている事が一般に知れ渡ってしまった(笑)何でもかんでも感動作に仕立てる映像技術は、視聴率稼ぎのための卑劣な捏造にすぎない・・・

現実とは感動的なものではなく、非常に平凡な日常の積み重ね(笑)感動的な名言もなく、感動的な音楽もなく、感動的なドラマもない、平凡な日常生活が現実だ(笑)感動とはあくまで主観的なものであり、感動はほんの一瞬の時間として凝縮され、心の奥底に刻まれていく。テレビのドラマのように、感動的な音楽をバックにして、すばらしい名言の数々が語られるものでは決してない(笑)

テレビ番組の実況ニュース以外を、全て架空の物語だと思えばいいだけ(笑)合間のCMは馬鹿高い広告料金が上乗せられた、まやかしの大嘘だ(笑)CMは警戒すべき商品を、わざわざ教えてくれる、消費者にとってありがたい代物です(笑)

テレビの嘘を理解したければ、自分でパソコンを使って映像を作成・編集してみればすぐに分かる(笑)編集する側が自由に情報をねじ曲げられる事が簡単に理解できる(笑)テレビの情報は全体のほんの一部分を切り取っただけ。しかも主張と反する部分はカットするため、意味など初めから存在しない(笑)物事の真実を、二・三分で語れる訳がないだろうに(笑)

新聞は全国に世界中の情報を流す役割を担っていたが、今ではホームページやツイッターで誰もが世界中に自分の意見を配信できるようになってしまった(笑)誰もが新聞記者になれるため、注目を集めるための情報を何も考えずに配信してしまう。事の善悪など考えない、無責任な情報が氾濫している(笑)

新聞は新聞社の主張を発表する場であり、達筆な文筆業者の世間話(笑)広告を載せてくれるスポンサーの意向にそった記事しか載せないのだから、信用すればテレビと同じように馬鹿を見る(笑)真実、ねじ曲げられた真実、スポンサーに利用される真実が混在する、情報の多極化に対応できない時代遅れの欠陥品。視聴者が真に欲しい情報は、現実に起こっている事実であり、スポンサーに都合のよい事実などではない(笑)

インターネットを始める際にする事は、NHKと新聞の解約と、ニュースサイトの登録です(笑)これからの時代、新聞を取らないことが当たり前になる。新聞は単なる新聞社の自己主張であり、記事に今や何の価値などないからだ(笑)中国の壁新聞なみの偏向記事に、意味を求める事自体無理がある(笑)

マスコミに共通する点は、人の批判は非常に厳しく、自分に対しての批判は認めない(笑)無責任体質な上に、逃げ場が無くなると開き直る(笑)スポンサーの意向には絶対に逆らわず、スポンサーに都合に悪い情報は決して流さない(笑)このような体質では信用できるはずもない(笑)

マスコミは基本的に金になる情報しか流さない。つまり視聴者が真に必要な真実の情報は流れない(笑)視聴率の取れる情報しか流さないため、信用すべきものでは決してない(笑)情報はしっかり纏め、文書化しなければ意味が無い

経験的にラジオの方が信用性が高い(笑)何故なら実況が基本なので、ごまかしがきかないからだ。放送事故はごまかしのきかないリアルタイムで起こる(笑)マスコミにとっては鬼門であり、マスコミの質がもろに出る。視聴者にとっては、情報の質を見定めるバロメーター(笑)

テレビ番組は意図的に情報を操作するため、信頼性など欠片も無い(笑)テレビは最早、必要のない時代です(笑)

マスコミは嘘をつく(都合のいい情報しか流さない)。マスコミは都合のいい情報しか流さない。この事実を理解しなければ、マスコミの嘘に振り回されるはめになる(笑)

テレビ番組の特徴は、必ず意見を衝突させ、劇場型の論争を作り出す狡猾な演出にある。つまりドラマ化して、都合の良い結論にもっていく。政治論争の場合、多くの意見を衝突させて、結論自体を曖昧にする。テレビは論争をしたという事実をもって、問題の幕引きを図る。テレビとは単なる見せかけの道具であり、全て計算ずくの台本のある捏造にすぎない。そもそも台本もなしに、整然とした番組など作れるはずがないだろう(笑)

視聴者が「捏造・偏向・隠蔽・扇動・只の意見」という悪しき台本を見抜く事が不可能だから、テレビは悪しき洗脳の道具と呼ばれる

無いものを有ると見せかけ、有るものを無いと見せかける。無益なものを有益だと偽り、危険なものを安全だと偽る。テレビとは捏造の道具であり、作り物のファンタジー
Back Ground: 映像の台本

自身の人としての尺度を測りたければ、普段見ているテレビ番組の質である程度判断できる(笑)バラエティー番組ばかり観てるなら、自身もバラエティーと同じ人間性しかないと判断できる(笑)ある芸人が 「見たくなければ見なければいい」 と言っていたが、まさしく的を射た真理であり、テレビは観なければ良いものだ(笑)

テレビを観れば、誰もが少なからず影響を受ける。映像の訴える力がどれほど強いものかを、人は良く理解しなければならない

テレビにはタバコと同じ中毒性があるため、テレビの毒を抜くには、普段から観ないよう心がけなければならない。観ないことに慣れれば、自分で考える力が蘇ってくる

テレビ番組の質を確認するには、音声だけを聞いていれば即座に分かる

低俗な番組ほど、聴くに堪えない暴言を平気で繰り返す。映像は嘘をつけても、声は嘘をつけない。しゃべり方で品格がすぐにばれる(笑)

恐ろしいのはこのような暴言や行動が、自身の意識に植え付けられ、自身の行動原理に埋め込めれてしまう事にある。映像を見る行為は、学習行為だとの現実を理解すべき

テレビの本質は洗脳であり、映像で考える力を奪い、都合の良い考え方を植え付ける。映像だけで、ものごとは決して理解できない。テレビからの離脱は、情報社会の常識です(笑)

テレビを「ぼー」っと見続ける行為は、その間の時間を無駄に過ごす事であり、しかも自身にとって何の役にも立たない情報を植え付けられるという悪行を行う時間になる(笑)国内の問題に目をつぶり、海外の話題や空虚なドラマを流し続けるテレビなど、ネットで詳細な情報が手に入る現在ではまったく必要のないものだ(笑)

彼らに正義などない事は、人を平気で傷つける馬鹿番組(暴力番組・低脳傷害バラエティ)を平気で垂れ流す現状をみれば分かるだろう

人が傷つくのを笑いにする醜悪な番組は、古代ローマ人が人の殺し合いを観て楽しむのと変わりが無い

この醜悪さがマスコミの真の姿であり、体裁を整えてまるで聖人のように視聴者に訴えかける姿は、ピエロがスーツを着て作り話を吹聴している姿でしかない事に気づかなければならない(笑)悪は決して善にはならい・・・

真実は体験した本人のみが知っているものであり、真実は本人からのみ手に入る事を良く理解しておくべきだろう。マスコミは情報をフィルタリング(選別)する事を、理解しておかなければならない。テレビは必要な情報が得られる番組か、気に入った番組だけを観れば良い。民放の大半の番組は、スポンサーの意向にそった間違った知識をすり込むための道具でしかなく、番組は慎重に選ばなければならない。テレビやマスコミは、スポンサーのお金でスポンサーのための番組を作成しているのであり、視聴者のために作成している訳ではない(笑)

情報を公開し主張する側はその情報に対して責任を負わなければならない。しかし全ての人が責任の二文字を忘れ去ってしまっている(笑)日本の代表者たる総理大臣が、嘘を繰り返して責任を一切取らない国なのだから、当然といえば当然だろう(笑)

テレビや新聞などのマスコミは、嘘も言えば真実もたまには言う(笑)つまり見た目は清らかな水の流れに見えるが、実際は大腸菌に汚染された飲めない水でしかない(笑)

しかしきちんと除菌すれば飲めるようになる。ようはマスコミが情報を選別して流すなら、視聴者も同様に選別すればいい事になる。真偽の判断は自分で行うべきものであり、真に受けて素直に飲むと、腹を下して七転八倒するはめになる(笑)判断が難しい場合は、手の込んだ手品だと思って未整理の引き出しにでも押し込んでおけば良い(笑)

マスコミの狡猾さは、大きな嘘を隠すために小さな真実を小出しにするところにある。小さな真実で信用させ、大きな嘘を気づかせないようにする。又は人気取りの番組で信用させ、さも視聴者に真実を語っているかのように信用させる(笑)独裁者が国民をたぶらかすのとまったく同じ手口を使う(笑)

インターネットの世界はマスコミ以上に混沌とした、魑魅魍魎がばっこする非常に危険な場所になる(笑)批判、中傷、18禁、暴力、宗教、政治、科学等々、ありとあらゆる善と悪と中庸が混在している(笑)検索エンジンで検索すると、ありとあらゆるものが表示され、間違った情報、正しいと思われる情報、騙そうとしている情報、真実を語っている情報などなど、正しい判断をしようとすればするほど難しい判断をせまられる(笑)

ただ一つ言える事は、利益にとらわれない公正な立場の人間だけが正しいものを書けるという事だ。そこに自身の利害がからめば、もはやただの自己満足の文章でしかなく、事実ではなく感想でしかない(笑)インターネットの世界は、感想であふれた自己満足の世界でもあり、事実を公正に語った真実の世界でもある(笑)又どちらにもあてはまらない、比較検討のできる世界でもある。自身の心のありようで、悪にもなるし善にもなる、非常に厳しい世界になる(笑)

インターネットの世界に比べたら、マスコミの情報など数本の髪の毛ほどの情報量しかない(笑)インターネットの欠点は、自身でこの莫大な情報を正しく整理・分析できるどうかにある(笑)何も考えずに、人の言うことに黙って従う事ができる人は、ただテレビを観ていればいい。その結果は、他人任せの他人に都合のよい生き方でしかない事を理解すべきだろう(笑)マスコミの奴隷として生きる愚かさを、自ら気付く必要がある

事の真偽は時とともに移り変わる。その時点で正しいとさたれものでも、新しい事実により誤ったものと判定される場合もある。つまり事の真偽は現時点では誰も分からないものでしかない。権威のある学者が言ったことでも、後で間違いであったと修正する事など当たり前のように起っている(笑)つまり事の真偽の判断は、本人の自己責任でしかないという事だ。マスコミの報道など一判断材料でしかなく、マスコミは本来責任など取れる立場にはないという事をよく理解しておかなければならない

マスコミとはその存在自体が無責任なものでしかない。だからこそマスコミはぶれる事のない信念と誠実さを持たなければならないのだが、今のマスコミにそれがあるとは到底思えない(笑)

マスコミとは商売人であり、基本的に自分の会社が繁盛する事しか考えていない(笑)真実を報道しないマスコミを批判するなどそもそも無意味であり、人が自分の身を守るために嘘をつくように、商売人も又自分を守るための嘘をつく(笑)

マスコミに社会的責任など初めから存在するはずもなく、ただあるのはあくなき利益追求という商売人の性根だけだ(笑)

マスコミとは情報を売買する商売人であり、その情報を信用するかどうかは受け取る側の問題になる。商売人の言うことを鵜呑みにするか、自分で情報の真偽を確かめるかどうかは、本人次第ということだ(笑)

マスコミを近所のおばさんだと思えばいいだけのことで、おばさんを信用するかどうかは、その情報源の確かさと、おばさんの性格と普段の行動によって判断する事になる(笑)おばさんがどのような思惑で語っているのかを、きちんと把握する必要がある(笑)金をもらって利益誘導のために言っているのか、自分の利益になるから言っているのか、単に自分の評価をあげるために言っているのか、よく見極めなければならない(笑)マスコミを擬人化すれば、その正当性など遠いかなたへと消え去ってしまう事をよく理解しておくべき(笑)

普通の商品を販売する商売人なら、商品に瑕疵があれば交換したり返金するという損害をうける。しかし情報を売買する商売人は、「ごめんなさい」の一言ですむし、損害賠償でも起こされない限り責任などとらないし、自身の過ちなど決して認めようとはしない。何故なら過ちを認めた時点で信用がなくなり、情報を売買するという商売が成り立たなくなるからだ(笑)しかも規制で新規参入を制限されているため、利益率が非常に高い殿様商売ができる(笑)

こんな自己中心的な商売人の言うことを、信用する方ががどうかしている(笑)近所のおせっかいな情報通のおばさんとして、適度な距離を置くべきだろう(笑)人の話などまったくきかない、独りよがりなおばさんや、自分の商売のためになる事しかいわないおばさんもいる(笑)人の意見は参考にはならない。参考になるのは元データ。それが判断材料なのか、見極める目が必要だ

テレビやマスコミは自分のための情報を流しているだけ(笑)視聴者のためになる情報を流しているわけではない(笑)視聴者のためにならない情報でも、お金になるなら平気で垂れ流し、責任など一切とらない(笑)情報をインターネットから入手できる今、必要な情報は自分で探さなければならない。マスコミやテレビの情報は、マスコミに都合のいいものにすぎない(笑)情報は選別するのが基本です

新聞は押し紙と偏向記事で詐欺行為。テレビは偏向・虚偽報道と、報道しない事で見殺しにする詐欺師。マスコミとテレビは、どちらも詐欺行為を堂々とはたらく知能犯(笑)「自分は正しい」と主張する知能犯。知能犯に欺され続け、それを許し続ける国民は、お人好しとしか言いようが無い・・・

不浄なテレビ放送を見る、不浄な新聞を読む。それは詐欺師の応援と同じであり、知らず知らずの内に、自らの手で、自らの住む社会を、「犯罪の都」へと変えていく

これは公共手段を悪用する者に対する正当な主張であり、言い過ぎでは無い所が恐ろしい。詐欺師の応援は、自らを詐欺の餌食にさらし、身の破滅に繋がる。テレビは見ない、新聞は信用しない。今や情報化社会の常識です


ドラマが見たければ、海外の良質なドラマを見ればいいし、ドラマ専門の専用チャンネルを利用するのもいいだろう。テレビ局やマスコミという詐欺師に欺されて、ただ言われるがままに従うしかない、奴隷のような人間にだけはなりたくない(笑)

テレビの怖いところは、映像で簡単に洗脳されてしまう事。映像が脳にすり込まれ、それが正しいと認識されるだけでなく、処理できない映像情報だけで満足してしまう。つまり、テレビの情報が自分の全てになり、単なる操り人形と化す。日本のテレビやマスコミは、自分の利益のためなら視聴者を平気で欺く。信頼性など欠片も無い(笑)テレビや新聞の信用度を適切に判断すれば、自分自身を取り戻し、間抜けな洗脳から免れることが可能になる。完全ではない情報。それがテレビの本質です(笑)

情報の真偽を自分でしっかりと判断しなければ、いいように騙さる時代が到来している。情報社会の現代は、膨大な情報をきちんと整理し、適切な判断ができる者だけが生き残れる弱肉強食の非情な世界。食うか食われるか。それは自分自身の判断で決まってくる

マスコミやテレビが賞賛する情報ほど危険であり、金を貰って褒めているだけなので、危険度120%の信頼度ゼロの情報だと判断できる(笑)逆に批判する情報は、金を貰って批判しているだけなので、批判する事で儲けている者がいると判断できる(笑)どちらにせよ、詐欺師の言う事など、信用してはならないという事だ(笑)情報の重要度は、自分自身で判断すべき

マスコミの報道など必ず重要な情報が欠けており、情報の精度は50%以下(笑)残りの50%を隠蔽する事で、真実を闇へと葬っていく。そもそも隠蔽している情報が重大な場合がほとんどなので、信頼性など欠片も無い(笑)情報は必ず複数の情報源から確認しろ、と言われるのは、マスコミが必ず情報の核心部分を隠蔽するため、隠蔽した断片情報をつなぎ合わせなければ、正確な情報が得られないと、いう事だ・・・。これをマスコミは、情報の見方が違うと平然と嘘をつく…

純然たる事実の経緯は、数式の答えと同じで必ず1つの結論に至る。脚色した感想文なのだから、十人十色になるのは当たり前

インターネットがあれば、テレビも新聞も雑誌も、携帯さえもいらない(笑)ネットから必要な情報が得られ、他人とのコミュニケーションもとれる(笑)情報は与えられる時代から、探し出す時代へと移行している。膨大な情報を、適切に管理・処理できる能力の開発が求められる。そのためには、情報の重要度・必要性・優先順位を適切に判断できなければならない

判断能力を鍛えるには、膨大な情報を適切に纏めるのが最適だ。纏めるにたる情報なのか? 纏めるだけの情報量があるのか? そもそもそれは情報なのか? それらを見極められれば、適切な情報の選別ができる。情報の取捨選択ができるのが、インターネット最大の利点です



情報


公共の情報は、全ての人に正しく分かりやすい文書として公表されなければならない。しかしテレビやマスコミは、一度放送すればそれで責任を果たしたとして、記録として一切何も残さない。情報の管理を自分達の特権として、国民には情報の本当の意味がわからないシステムになっている

今日東京都議選の選挙結果が確定したが、ネットで最終結果を探しても、ホームページに一切公表されていない(笑)テレビやマスコミは、何処の政党が勝ったの負けたのとか抽象的なものしか表示せず、テレビに至っては画面で表示するだけ(笑)この情報社会で、選挙結果が翌日に文書として普通に見る事ができないとは、いったい日本はどこぞの後進国かと目を疑ってしまった(笑)所詮選挙結果は金になる情報でしかなく、新聞を買って読めという事なのだろう(笑)NHK なんぞという訳の分からない公共放送がまかりとおっているお国柄なのだから、日本の情報は統制のとれた大本営発表なのだろう(笑)狂った情報は、国というシステムを破壊するという事を良く理解すべき

今回の東京都議選で一番重要な情報は投票率であり、都民の何%の支持を得て都政の責任者が選ばれたのかが重要になる。何故今の都知事が選ばれる事になったのか、その辺の情報分析が一切流れないのだから、いかにマスコミが信用ならないものかが分かる(笑)

日本の情報とはマスコミ・テレビが公表する、スポンサー(政治家・企業)とマスコミ(団体)に都合の良い情報でしかない(笑)マスコミが発する情報は、既に死んで腐った情報でしかないのだろう(笑)いやはや既得権益とは空恐ろしい(笑)日本の報道とは現実ではなく、フィルムに映し出された虚像にすぎない

テレビやマスコミが国民を切り捨てるなら、国民は問答無用で切り捨てなければならない

テレビやマスコミの情報とインターネットの最大の違いは、情報の残存性にある。テレビやマスコミは情報の忘却が目的であり、真に必要な情報は一切報道しないし、記録として一切何も残らない(笑)重要な情報を覚えさせないようにするための、情報隠蔽の道具にすきない(笑)

追記: 維新の会などの新勢力が既成政党と戦うには、既得権益を破壊する政策しかないのだが、実際にはギャンブル・憲法改正・無能議員の擁立などなど、既成政党と同じ事をやっている(笑)民主党は詐欺師の集団だと確定されてもなお議席を確保するのだから、ゴキブリといっしょでなかなか死なない(笑)悪徳政党が無くならない理由は、政党がどのような政策をとり、どのような成果を残してきたかを一切公表しないからに他ならない(笑)

何をしてきたか分からない人間を選挙で選べというのは、詐欺行為という以外言いようが無いのだが、誰も批判などしない(笑)詐欺師の政治家に通知表など必要無いのだろう(笑)一番怒るべきは学生であり、国会議事堂の前でデモを行い、自分達の通知表も無くせと訴えるべき(笑)

維新の会が最初に人気があったのは、既得権益と戦い、その実績を積み上げてきたから。反権力という御旗を下ろしたら既成政党と何も変わらない(笑)社会の矛盾を暴き、それを正すのが維新という言葉なのだろうが、実際はマスコミを利用し、人気取りに邁進しているのだから見放されてもしょうが無い(笑)石原を切り、ギャンブルを切り、軍国主義と手を切ったなら(自国を守る事は、他国と戦争する事ではない)復活もできようが、現状では「自分こそが正義」と偉ぶっている独裁者にすぎない(笑)

維新の会の最大の悪は、ギャンブルと風俗を認めているところだ。どちらも利用する側、運営する側の事しか考えていない。ギャンブルで生活破綻する者、風俗に落ちてまともな生活がおくれなくなる者の事など何も考えていない。ギャブルをして生活が成り立つのか、風俗で働いてまともな生活がおくれるのか。生活する人間にはどちらも害悪でしか無いのに、人間の本能なのだからどちらも必要だとひらきなおる

維新の会とは、ギャンブルと風俗を日本に広めるとの公約を掲げる政党だ。このような政党は、大阪だけにとどめておくべき(笑)大阪をギャンブルと風俗の都にして、それで地域が栄えるのか実験すべきだろう(笑)
Back Ground Music: 風の大陸



広告


嘘の広告。まやかしの広告。虚偽の広告。されど広告

広告とはよく言ったもので、広く人に告げるための印象づけを様々な手法を用いながら行っている。それはそれは涙ぐましい努力の結晶であって、千件に一件あるかないかの販売効果を狙っている。だから、何はともあれ目立つ事が第一だ(笑)広告とはめだってなんぼの虚像にすぎない(笑)

企業の広告には多額の予算がかけられて、見える成果が義務づけられる。成果がでませんでしたなどとは、口が裂けても言えない(笑)だから手っ取り早く、まやかしに走る(笑)都合の悪いことには目をつぶり、利点のみを強調する(笑)広告を見る側が作る側の視点にまわってみれば、広告がいかにいかがわしいものであるかが分かるのに、それが理解できない奴隷体質にはまっている(笑)

ようはまやかしの広告が真実であるとの意識が、テレビを見続けている事で形成されてしまっているからだ(笑)テレビは無能力者の製造器であって、まやかしを現実だと思い込む人間を大量生産する道具でしかない(笑)テレビとは、虚像を真実に見せかける危険物(笑)

人は「意見」によって、巧妙な虚像を作り出す。それが事実なのか、意見なのか、判断すればすぐ分かる(笑)

この危険な放送を管理するのは総務省。つまりテレビやマスコミの所行の一切の責任は、国家を運営する総務省の大臣に帰結する。つまり自民党の政治家によって、まやかしのテレビ放送が流され、国民が騙され続けるというシステムができあがってしまっている(笑)テレビやマスコミが悪いのではなく、元締めたる総務省が諸悪の根源である事に気付かなければならない(笑)いったいどれだけの賄賂をもらっているのか、すぐさま想像できてしまうところが面白い(笑)

総務省の大臣は、選挙では必ず落選させるべき筆頭候補と断言できる(笑)軽自動車税の増税、携帯SIMフリーの義務化を放置、NHKの放置、放送事業の利権を放置等々、総務省は巨悪の根源であり、真っ先に整理して正常化しなければならないものだ。無能で国民に害する事しか行わない省庁など、有能な政治家を送り込んで解体する他ないだろう

追記: 今時の消費者は、イメージだけで商品を買うようなまねは絶対しない。ネットで商品の品質を口コミサイトで確認してから購入する(笑)

イメージだけのCMは、その企業の製品に欠陥が出たり悪い噂が流れた場合、強烈な負のスパイラルが自動的に発動する。つまり真逆の悪いイメージとして宣伝されるはめになる。CMが流れるたびに、企業イメージが激しく毀損する…

テレビでCMを流すより、企業のホームページで製品を紹介するか、王道である店頭の宣伝が一番効果的で、何より消費者の理解が得られる。消費者はCMで何度も痛い目にあっているので、今時CMのイメージをそのまま受け取るお人好しなどいない。CMに期待するという事は、消費者が愚かな馬鹿だと言っているのと同じになる。視聴者にとってのテレビのCMとは、もはやじゃまな存在でしかなくなっている。企業も費用対効果をよく考え、一つの宣伝にこだわらずに、消費者の趣向に合わせた分散的な宣伝が必要な時代だという事を理解すべき

今やテレビに影響力など微塵もない(笑)
Back Ground Music: TV Spot

どこぞのテレビ局が自らの不祥事に対して、テレビは入れない・静止画だけ・完全独立の第三者委員会は作らない・自分達が作った委員会で判断する、との人を舐め切った記者会見を開催した(笑)

舐められた保険会社と自動車会社が、即座に自社のCMを「ACジャパン」に切り替えた。つまり、このテレビ局に我が社のCMを流す価値などないと判断した。さっさとCMを切り替えない・スポンサーを降りない企業は、このテレビ局と同じであると表明したことになる。どのような思惑があろうとも、視聴者はそのようにしか受け取らない…

CMは宣伝であると同時に、自らの倫理観を表明する場でもある。会社の倫理観が厳しく問われる場でもある

スポンサーを降りない会社は、このテレビ局と同じであると判断するしかない

自分らの倫理観はこのテレビ局と同じだと表明してくれる、非常に頭の悪いスポンサーだと即断できる(笑)この会社は倫理観など欠片もないと判断し、切って捨てればいいだけだ。選ぶ選択肢が減るのだから、これは消費者にとって有益なCMだと言えるだろう(笑)

このテレビ局のCMは、その会社の倫理観を判断できるバロメーターとして機能する。自社の宣伝ではなく、自らの倫理観を表明するものとして機能する。大金はたいたCMが、自社の株を上げるか下げるかの評価にしかならないというのだから、たまったものではないだろう(笑)さっさと撤退するしかないのが現実だ。撤退しなけりゃ「お前も同じムジナだな」とのレッテルが容赦なく貼られていく。倫理欠如の企業として、語り継がれるはめになる…

消費者を舐めた企業がどうなるか? 自社のCMが自社の評価にすり替えられ、悪党をあぶりだすお祭りの道具と化すのだから、消費者が如何に恐ろしいか実感すべき。視聴者の倫理観もまた、厳しく問われていることを実感すべき
Back Ground Music: Shangri-La

倫理観が厳しく問われる事を理解しなければ、その先にあるのは倫理が崩壊した理不尽な社会があるだけだ

このテレビ局が何故許されないのか? それは報道としての資格がまったく無いからに他ならない。これを許せば、全ての「不正・腐敗・欠陥」が全て闇へと葬られる。全てを知っていながら放置したテレビ局。コンプライアンスもガバナンスも、まったく機能していないならず者。これを理解できない者は、被害者と同じ末路が待ち受ける。事件の悪質性を論じないなど、もはや論外の鬼畜です

この事件で本当に恐ろしいのは、CMを差し替えた企業が撤退せず、ほとぼりが冷めたら厚顔無恥にも再開する無責任な行為にある。正に同じ穴の狢です。だから一度撤退するしかないと言っている。このテレビ局は、CM差し替えを撤退などとは微塵も思っていないだろう(笑)手厚く接待した企業だから、離れるなどとは思わない。正に「同じ穴」のムジナです(笑)

これが理解できない企業は、このテレビ局と同じことを繰り返す。何故なら、不正と決別できない愚か者だと判断するしかないからだ…

しかし、グローバル企業である「Amazon」が契約継続を表明したのには驚いた(笑)継続表明とは「うちも同じ体質です!」との表明だからだ。本来ならば即打ち切りの厳しいはずの外国資本なのに、日本では許されるものだと判断された。このコンプラは、外国企業として非常にヤバい(笑)テレビ局の対応など、本来商売人が決して許してはならないものだ。これは、子供でも分かる理屈です。普通なら、三行半を突き付けて終わりです。本性は、その行動で暴かれる

同等品で違いが無ければ、率先して他に乗り換えるようにするしかない。質が落ちたな…と落胆した…。このテレビ局と同じ対応しか期待できないから、離れるしかしょうがない。このような事でもなければ、企業の倫理観など分からないことが良く分かる

だが正直、CM継続を表明した企業の多さには驚いた。消費者なんて馬鹿だと見下している証拠です(笑)いや~、あきれるほどいっぱいいる(笑)今や調べりゃすぐ分かる(笑)

スポンサーを今なお続ける企業の「ガバナンス」は、「バカナンデス」に書き換えの必要があるだろう。事の善悪を判断できない行動は、悪事を肯定する企業として・消費者の心の傷として、絶対に避けるべきものとして、その企業名が魂の奥底に刻み込まれる。馬鹿に付ける薬はない…

残る企業は「サラ金・パチンコ・ギャンブル・テレビ通販・投資会社・風俗」等々、企業イメージなどまったく気にしない所だけ(笑)国内外のきな臭い企業を節操なく全て受け入れれば、テレビ局は安泰だ(笑)まったく改善する気がない傲慢な姿勢は、うちはまったく揺るがないとの慢心があるからだ。こんなテレビ局が一つはあってもいいだろう(笑)

チャンネル入れれば、「パチンコ・ギャンブル・投資・風俗・アダルト」などのCMがキラキラと乱舞する世紀末。正に今の日本を風刺する一大エンターテイメント(笑)

初動であんな馬鹿な会見をする幹部共が、辞めるなどありえない(笑)辞めようものなら諸々の悪事が暴かれて、裁判沙汰は必至だから死んでも辞めない(笑)辞めても、グループ会社でたらい回しにされるか、口止めの大金貰って逃げるだけ。完全独立の調査委員会など絶対に作らない(笑)自浄作用など欠片もないことが良くわかる(笑)撤退しなけりゃ馬鹿をみるだけ

残ろうものなら「パチンコ・ギャンブル・風俗・サラ金…」と同等の企業と見做される。一般庶民の感覚とはそうゆうものだ(笑)

テレビ広告は「商品のイメージ」や「企業のイメージ」を映像で表現する。しかしそこには、判断材料となる資料も証拠も何も無い。只の宣伝だから判断材料にはならない。視聴者にとっては今や何の役にも立たない。それがテレビの現実です

「イメージ」を売るテレビ局が、「嘘をつく」「人を騙す」「人権を踏みにじる」など絶対にあってはならない。あってはならない事をしたのだから、スポンサーが残るなど有り得ない。日本ではありえないことが平然と許される。それがテレビの狂気と言えるだろう
Back Ground Music: 賭ケグルイULTRASEVEN X

「楽しくなければテレビじゃない」。このキャッチコピーを企業のコンプライアンスに定めて、人を玩具(おもちゃ)にして楽しんでいたことが暴かれた。これはもう、人が守り通すべき倫理を平気で踏みにじる邪悪なもの

公共機関の不祥事は、完全独立の調査委員会で徹底的に調査し、全てを明らかにして厳正な処分を下されなければならない。これは報道の正義であり、テレビ局が行わなければならない義務でもある

しか~し、テレビ局は首の挿げ替えや、社内調査で幕を引こうとする。不祥事を明らかにする気も、不祥事を正そうなんて気は一切ない(笑)何故ならこの不祥事の詳細が明らかになれば、幹部共には厳しい処分が待ち受けるからだ。だがしかし、自分らは絶対に裁かれないと高を括る経営陣。不祥事をおこした政府・政治家共と同様に、何の責任も負わずに終わらせるのが彼らの仕事(笑)本来は監視すべき相手である総務省の天下り先となったテレビ局に、一般常識などあるわけない(笑)

報道機関として被害者を放置した上に、加害者を自社の番組に起用するなどありえない。これを自動車事故に見立てると、轢き逃げ現場を目撃したのに、被害者を放置して、加害者の非道を通報しないという、あまりに酷い事件になる。報道以前に人としてありえない。まあ、これ、異常というか狂気でしかない。これを当たり前だとしてきたテレビ局。これは信頼回復などという生易しい段階はゆうに超えている

不祥事の徹底解明と、厳格な処分が下されなければ、この問題は終わらない。終わりにしてはならない

もし自分が後の処理を任されたら(笑)、テレビ部門をまともなところに売り飛ばし、残り半分の不動産事業へと華麗に転身(笑)組織的な重大なコンプライアンス違反なのだから、諸々の悪行が全て暴かれて、白日の下に晒される。ここで完全終了です(笑)残れば地獄、であれば売り飛ばすしか手段は無い(笑)はっきり言って完全に詰んでいる。最早どうしようもありません(笑)対処法などあるわけない

残ったスポンサーはこの異常なテレビ局と同じだと、厳しい目を向けられる。「楽しくなければ会社じゃない。うちは何をしようが許される」との意志表明にすぎないからだ。異常な場所に居残る者を、誰もまともなものとは思わない(笑)まともなスポンサーは激怒して、さっさと見切りをつけて逃げていく。まあこれが当たり前。沈む船に残る馬鹿などいるわけない。残ろうものならテレビ局と心中です

一緒に心中しそうなスポンサーがいっぱいいるのが、日本のテレビの異常性を示している(笑)「スポンサーは残ってね」と言われても、購買層の女性達を敵に回そうものなら自分達の身が危ない。世間では、同じ輩と見做される。やばいテレビ局だと認識できない時点で、スポンサーも又、このテレビ局と「同じ穴」に嵌って破滅する

スポンサーの倫理観が厳しく問われていることを、しっかりと認識すべき
Back Ground Music: 鬼平犯科帳水の恋唄

「倫理とは?」「道徳とは?」「良識とは?」。人はこの意味をしっかりと学ばなければならない。これが失われたら、最早人ではなく感情で物事を判断する動物です。人と動物の違いは、自分の行動に対して考えることができること。しっかりと考えられない者は、最早人ではない。人ではない者は、己の感情で判断する

「人とは如何なるものか」。それをこの事件は暴いてくれる

人が変質するのは、諫める者が周りにいない、悪事を悪事と感じないからだ。だから人は倫理が狂うと、人ではないものへと変質する。この経緯をこの事件は詳細に暴いていく

人はどのように変質していくのか。その経緯を良く知るための見本になる。ある意味「こうなってはだめですよ」との手本を身をもって教えてくれる(笑)「楽しければいいじゃない」を地で行くテレビ局。その軽薄な意見に追随すればどうなるか。その先にあるものを教えてくれる

今や「このような考えはだめですよ」「このように考えたらこうなりますよ」「このようなことをしたらこうなりますよ」と自ら行動で教えてくれる、壮大な自爆型のエンターテイメントと化している。人としてあり得ぬ悪事が暴かれて、壮絶に自爆した者が助かるものなのか? いったい誰が助けるのか? その答えをスポンサーが教えてくれる。エンディングが楽しみだ(笑)

結局、人はその行動でしか判断されない。何を言おうが意味が無い。人の倫理性は必ず行動として現われる。人は見た目で分からない。人としての行動が問われていることを理解すべき

映画やドラマの悪役は、表の顔は善人そのもの。裏では汚いことを平気でやる。表の顔が善人ならば、何をしようがお構いなし、というのが定番だ。人の根本をなす人格が、如何に重要なのかが問われている。人格とは、倫理であり、道徳であり、人の在り様となる大事なもの。人の在り様を外れたら、それは人格無き動物です。動物が獲物を狩るように、本性を隠して人を食い物にする。だから、人は見た目じゃ分からない。人の闇は表には現われない。ジキルとハイドは、人の二面性を物語にした名作だ。ジキルの行いは善ではなく、悪へと繋がる見せかけだ。人を不幸にする「見せかけの善」があることを、人は理解すべきだろう。犯罪で例えるなら、本性を偽る詐欺師と呼ばれる部類に入る

善人とは善き行いが常にできる人。悪しき行いをする人は、善人などでは無い。だから、世の中では悪しき行為が厳しく問われる…

この事件の元凶は、事件の発端であるアイドルの行動を諫めなかったテレビ局。このアイドルは自らの行動の良し悪しを教えられなかった被害者とも言えるだろう。行動の善悪の基準が完璧に狂ったテレビ局が、如何に罪深いものかが良くわかる。女子アナウンサーをキャバ嬢扱いする異様な状況を、何一つ咎めなかった周りの人間も同罪です。知らぬ存ぜぬなど通用しない…

この事件に対し、邪悪な者は邪な意見で引っ掻き回し、まともな者は常識によって判断する。情報が錯綜する現代社会は、情報をしっかりと見極めなければならない。まあ良書でも読んで、頭を一度リセットするのもいいだろう(笑)自分の場合は、自身の倫理基準に従って、邪悪なものは問答無用で切り捨てる(笑)関わるのがそもそもの間違い。関われば、邪な相手の土俵にのぼることになるからだ。のぼろうものなら、自身の倫理がズタズタに引き裂かれる

人が悪に落ちるのは、悪に関わったからに他ならない。関われば、狂ったものに巻き込まれる。まともな理性を持つ人は、問答無用で切り捨てる

邪悪なものには関わるな。これはこの事件の本質だ。邪悪なものだと認識しないから止められない。本質を見極められる者だけが、人として生きられる

この事件で気になったのは、スポンサーの意思表示として流された「ACジャパンのCM」だ。SNSの言葉を決めつける意見にすぎないと戒めるCMとなっている。言っている事はまともなものだが、この事件には似合わない

スポンサーが選べるなら、「人に嫌がることを強要してはいけません」「人の人権を貶める行為は絶対悪であって、絶対にしてはいけません」との人権を守るCMが相応しい

結局、人は選択肢を制限されたら、破滅へと向かうことを教えてくれる。スポンサーの意思表示もままならない「ACジャパンのCM」は、テレビ局という強権を握る者の異常性を如実に語る。この異常性を敏感に感じ取れるスポンサーは即座に逃げる。まともな視聴者はこのテレビ局は絶対見ない。人の感性を狂わせる情報は、避けるべきものだと言うことが良くわかる

今日、トップの責任者会議で、外部の調査委員会を立ち上げることが決定したが、この期に及んでトップは誰一人として辞任しない。この会社の本性が良くわかる。何一つ責任を負わない無責任ぶりか定着している。不祥事をおこしても責任など問われない、政府・政治家と同じ特別な人間だと思っている。この状況で、責任が問われないとの考えは、もはや狂っているとしか思えない…

スポンサーが付かなけりゃ、ネット配信を中心に据える腹積もりなのかもしれない。スポンサーが付かなくてもやっていけるとふんだのなら、悪事が暴かれようが居座り続けりゃいいだけだ(笑)辞める判断はトップが決める。これは政府・政治家共とまったく同じ(笑)調査委員会など怖くない。それを視聴者が許せるかどうかが問題だが(笑)フジテレビのネット配信は「FOD」。会員数は「150」万人。この問題を受けて止める人は…いないだろうな(笑)後は前述のスポンサーならなんでもかんでも受け付ける、との手段しか浮かばない(笑)うまくいなかったら、売り飛ばせばいいだけだ(笑)

「スポンサーの意見などどうでもいい。俺らは絶対に辞めない」との表明に対して、様子を見る・契約を止めないスポーンサーは只の馬鹿。テレビに名前が出るスポンサーは、危機管理能力などまったく無いと切り捨てればいいだけだ。まともな社員なら、何が何でもすぐさま逃げる。退職金が貰えるうちに即座に辞める。辞めない社員もまた、危機管理能力が失われてる…。有能な社員ほどすぐ辞める、との話は本当だったんだな~

「会社ぐるみの性接待」。この言葉が出た時点で、残るスポンサーの見識が疑われる。「お前らこれを許すのか。お前らもやっていたのか」と消費者から厳しく批判されるのは当然だからだ。広告とは告知だから、自身の見識を表明する場でもある。これが理解できないのだから、日本の倫理観が如何に狂っているかが良くわかる

被害者救済・弱者救済のためのCMを停止しない法律会社とは性質がまったく違う。広告を流す場所としてふさわしいとの考えなのか。ふさわしいと考えているから、視聴者から叩かれる。倫理観など欠片もない、まともでない企業と認識されるのは当然だ。広告とはイメージだから、残るスポンサーは最悪のイメージとして晒される。だから良識あるスポンサーは、さっさと逃げた。このテレビ局のガバナンスはやばいと、即座に逃げた。スポンサーのガバナンスが厳格に問われる、良き判断材料となっている

しかし経営陣はやっていけるとの皮算用をはじいている。これでやっていけるのか? テレビ局も残るスポンサーも、視聴者を敵に回してやっていけると思う神経が、テレビという媒体の狂気なのかもしれない…

最早変わることなどできないテレビ局だということが証明された。危機管理ができない企業の行く末は…。恐らく逃げたスポンサーの穴埋めしか考えない、自浄作用などまったくない、これほど無能な企業は見たことない。変われない、変わることなどできない、破滅するまで止められない、正に今の日本の象徴だ

テレビは基本、人の勝手な意見を喋るだけ。証拠も資料も何もないから「不正・悪事・汚職」のし放題。証拠を隠蔽するから平然と嘘をつく。まともでないものを、まともなものに見せかけるのがテレビの仕事。テレビは「証拠となる記録が無い」時代遅れの欠陥品です。だから無くても困らない。無くても困らないなど、テレビは絶対に喋らない

傲慢なテレビは、ここまで落ちるものなのか。テレビに止めを刺すのが、「楽しくなければテレビじゃない」のフレーズで、やりたい放題を貫くテレビ局だとは思わなかった(笑)
Back Ground: 鹿の国

「接待なくして、この国は成り立たズ」

「楽しくなければテレビじゃない」。自分達は絶対に裁かれない特別な人間だと勘違いした愚か者共が、失態を晒しながら転落していく「ドキュメンタリー」を、テレビは国民に娯楽として提供する。国民は法で裁かれないから何をしても許されている「政府・政治家共」の姿を重ね、この推移を固唾をのんで見守っている

観ている国民が望むエンディングは、悪が正しく裁かれること

この裁きに視聴者自身が影響を与えることができる「参加型のエンターテイメント」になっている。正に、悪を見定め、悪として裁くことができるのか。誰が悪で、助けている悪は誰なのか、悪を利用して儲けようとしている者は誰なのか。悪を見て見ぬふりを決めこむ輩は誰なのか。生贄を晒して楽しむ誹謗中傷をする輩は誰なのか

生贄をささげる邪悪な文化は、現代社会においても無くならないものなのか。人の見識が錯綜し、混沌と化していく。ドキュメンタリーとして十分に楽しめる

解決するには、生贄文化を育んだ経営陣の総退陣しかない。しかしこの総退陣を決められるのは、身内の取締役会と株主総会だけ。よって、今の経営陣は株主総会さえ乗り切れれば安泰だ。しかし、視聴者である一般人がテレビ局にそっぽを向けば、広告効果が無くなりスポンサーが逃げて経営破綻。このシナリオは完全に破綻する。視聴者参加型のエンターテイメントは、この点が大いに違う

問題解決の鍵を握っているのは、誰でもない「視聴者」であることをしっかりと理解すべき。「嫌なら見るな」を一般大衆が行えば、テレビ局は破綻する

テレビをまったく見ない自分でも、この「参加型のドキュメンタリー」は十分に楽しめる。現在進行形で進んでいくドラマは、テレビ局が提供する一大イベントと化している

無能で馬鹿な幹部が出世して、法令・規則など無意味だと放り投げ、セクハラ・パワハラし放題のテレビ局。悪事を見て見ぬふりを決め込むテレビ局。テレビがどんだけ邪悪なものかが良くわかる

技術的にテレビとは「記録が無い」「証拠が残らない」「調べられない」から、全てのものが喋って終わり。そこに「証拠」など何一つ存在しない。その本質は「理解させない」道具であり、「全体像が分からない」道具であり、…「逃げる」ための道具にすぎない

「嘘をつク」「証拠を隠蔽すル」「人を玩具にして弄ブ」。これがテレビの文化だと、テレビ局は身をもって教えてくれる

アイドルによる悪夢の性加害事件を通じて、テレビは嘘つきで、まったくの役立たずで、まったく不要な物だとの現実が、全ての国民にばれてしまった

「誰もCMなんて見てなくね?」「テレビのCMなんて意味なくね?」「テレビはそもそも要らなくね?」との現実が、スポンサーにもばれてしまった

テレビは金を生む単なる利権にすぎず、利権の恩恵を貪る強欲な人間達の欲望を満たすだけの邪悪な道具にすぎないことが、世の中の理として定着してしまった

今や無能で邪悪な行為をさらけ出すやりたい放題のテレビ局。悪夢の性加害事件によって、テレビの時代が終わったことが証明され、無能と馬鹿が白日の下に晒されいてく。利権に関わるテレビも新聞も警察も、悪夢の性加害事件を調べない。調べているのは週刊誌だけ。調べない・誤りを正さないものは、単なる無能にすぎない

老獪な老人共が支配する〇〇テレビ教団。教団トップは居座り続け、邪悪な教団は残り続ける。正義であるべき報道やマスコミが、邪悪な教団によって崩壊していく。CM提供とは正義を挫く応援だ。まともな者は近寄らず、まともでない者だけが残っていく。テレビを持たない・テレビに興味を持たないことで、報道を狂わせる邪悪な教団を根絶やしにできる。テレビが如何に邪悪な利権なのかを理解すべき

テレビは生き残ろうと、「同情・偏向・目先を逸らす」等々、あらゆる手管を使って訴えかける。しかしながら、どのような手管を使おうがテレビが邪悪なのは変わらない。テレビは生活から切り捨てるしか手段がない。無くてもまったく困らない、そもそも生活に必要ない

邪悪なものには関わるな。つまり、テレビには関わるな。それは性加害事件にどっぷり関わるテレビ自身が証明する

事件が話題になるほど、様々な悪事の情報が湧き出てくる。だから悪党共はそもそも話題にしない。湧き出た悪事の情報をつなぎ合わせると、全体像が見えてくる。そこでラスボスとなる真の首領が登場する。話題になり、情報が次々と公開されていくことで、事件の真相が見えてくる

ラスボスとは、言わずと知れた「自民党」。テレビ利権を牛耳る、テレビ局とお友達の「自民党」。世の中の真実を闇に葬る、あまりに汚いテレビ利権。テレビに真実など存在しない。よってテレビは今や報道などではない

真実を報道する者こそが、マスコミ(週刊誌・スポーツ誌)へと昇格する。「NHK・新聞・テレビ」は、今や真実を隠蔽する利権団体

「話題」にしなけりゃ、真実は暴けない

「テレビ -1.0」。生きるために、テレビは捨てろ!

テレビは情報化社会に適応できない欠陥品。テレビという存在は、時代を必要な情報が得られない封建社会へと後退させる。そしてテレビに関わる人間を、人を見下し・人を奴隷として扱う姦賊へと変えていく。テレビがあると、そこには金の亡者たる腐った権力者共が寄り集まり、社会の進歩が止まってしまう

それは「総務省」と「自民党」が改悪する放送法が証明する

「道具」というものは、人を幸せにする目的に使われる。問題はそれが誰を幸せにするものか。テレビは「テレビに関わる者」だけに、テレビ利権という金を生む恩恵を与えている。テレビに関わらない国民は、搾取されるだけの奴隷になる。奴隷が解放されるには、テレビを捨てればいいだけだ

国民から見放されるテレビでは、関わる者全てに衰退という社会の歯車が襲い来る。テレビを必要としない情報化社会では、テレビに関わる者全てを道ずれに、忘却の彼方へと引きずり込む。デジタル社会においては、必要なきものは存在そのものを消していく…

賢明な者達は、テレビの先へと進んでいく



秘密


秘密を守れない人間は信用できない。秘密にすべきものと、すべきでないものをきちんと判断できない人間など信用ならない

マスコミは秘密保護法を天下の悪法のように報道しているが、国家が秘密を守れないようでは、他国からまったく相手にされなくなる。ようは運用する側の問題であり、まともな政府なら何の問題も無い。では何故マスコミがこれほどまで反対するのか。それはマスコミにとって非常に都合の悪いものだからだ。決して国民に都合の悪いものではなく、あくまでマスコミにとって都合が悪いものでしかないのだ

マスコミは政府と結託し、天下の悪法を幾度となく隠蔽してきた。そのマスコミがヒステリックに批判するのは、マスコミ(大嘘つき)の首を絞めるものだからにすぎない。この法案が制定されると、政府からの情報が制限され、まやかしの報道で国民を欺く事ができなくなる。マスコミは金づるの手段が制限されるから反対するのであり、マスコミの厚顔無恥で傲慢な報道には虫ずが走る

マスコミは情報を自分の特権とし、国民を平気で裏切ってきた裏切り者にすぎない。そのマスコミが騒ぎ立てる情報など、国民にとって何の利益もないものだ。国民に国家の機密を守ることがいかに重要な事なのかを示すことが重要な事なのに、自分達の首を絞めるものは徹底的に批判するという行動しかとれないマスコミなど、ただの詐欺師でしかない。このマスコミにいいように騙され続けている国民にも問題がある

情報とはきちんと管理すべきものであり、守らなければならない秘密は厳重に保護しなければならない。諸外国のように、一定の期間が過ぎると自動的に公開されるようにしておけば何の問題もない。どのような情報を秘密にしているかを国会で追及できるようにしておけば、政府のごまかしもきかなくなる。このような秘密法案の核心部分は、機密とされた情報を勝手に処分できないようにする事にある。これがない秘密法案など、国民にとって何の意味も持たない。この法案は民主党時代に多くの機密が廃棄処分にされ、政府が為政者のおもちゃにされてしまった反省からきている。機密は最終的に国民に公開されなければならないものであり、勝手に処分されていいものでは決してない。秘密法案とは本来、国民の知る権利を守るためのものになる

国会とは法律を検討し政府が暴走しないようにする場であり、それを公正に報道するのがマスコミの仕事なのに、マスコミは一方的に悪法と決めつける。情報はマスコミの特権として利用されるものでは決してない

情報はインターネットを通じて瞬時に公開されるため、マスコミの地位と評判は既に地に落ちている。情報の隠蔽で商売をするマスコミにとっては、政府の重要機密は商売のネタでしかなく、自分の地位を守るための保険のようなものでしかなくなっている。それは民主党時代の悪行を、マスコミが一切批判しなかった事で明白になっている。民主党が秘密保護法が無いことを良い事に、あらゆる悪行をマスコミと共謀して隠蔽し、都合の悪い機密を廃棄してきたという事実を忘れてはならない。秘密保護法とは、情報の隠蔽を国会で追及できるものだという事を知るべきだろう。だからこそマスコミにとって都合の悪いものにすぎない

そもそも政治家を評価するための活動記録を何一つ公表しないマスコミなど、政治家と手を組む利権団体。もはやマスコミなどではない

日本のマスコミはもはや正義ではなく、国民に害なすものに変質してしまっている。もはやテレビや新聞の情報は、疑ってかからなければならないものに変質してしまっている。インターネットは情報公開の場としての地位を固め、マスコミは底辺をさまよう幽霊のようなものとなりつつある。テレビや新聞で国民は騙せても、インターネットの世界は簡単に騙す事などできない。何故なら数千・数万の意見の隠蔽など不可能だからだ

追記:
ブログなどで自分の意見を公開するのは非常に有用な手段であり、自身の人間性を高めるための手段ともなる。考える事ができるのが人間としての証明であり、考える事をしなくなった時点で人間とはいえなくなる。インターネットとは人として生きる手段を見いだせる場でもあり、逆に身を落ち崩す場にもなりえるものだ

その分かれ目は 「考える」 という人間の本能を正常に機能させられるかどうかにかかっている。インターネットを正しく使うには、「考える」 という行動が伴わなければならない。それには自分で文章を書く事に集中するのが一番だ

文章を書くには、日頃からさまざまな情報に触れ、あらゆる角度から情報を分析しなければならなくなる。まさに情報収集の場としてのインターネットを支える役割を、自身で担う事が可能になる。自分を鍛えるには、自分の全てをさらけだす、文章を書くという行為で自分自身を見つめ直す必要がある
Back Ground Music: Pacific Rim

映画の「Pacific Rim」が何故面白いのか? それはロボットを2人で操縦するという特異な操作系にある。一人の場合、眼前の情報しか見えなくなり、全体の状況把握を誤って失敗に至る。2人の場合、お互いを補完しあう事で視野が広がり、自然と最善の手段が見えてくる

「Pacific Rim」は2人の人間が同期するという、あり得ないシステムを前提としているが、人の思いを同期できれば最強のシステムが出来上がる。それは人の考えを共有する事で、人の欠点を潰していけるからだ。一人でものを考えるのでは無く、他人の意見に良く耳を傾け、己の視野を広げる努力が必要だ



狂気


戦争は人の狂気によってもたらされる。人は狂気に犯されると、もはや人ではなくなってしまう

テレビでは時代劇がもてはやされて、さも人として生きるための倫理観が得られるものとして放映されている(笑)しかし刀で人を斬り殺す行為そのものは、狂気以外のなにものでもない。平和な江戸時代になって刀を使う事を厳しく禁じたのは、刀のもつ狂気を恐れたからに他ならない。実際に刀で人を殺める狂気とその残酷さは、まともな人間なら決して耐えられるものではない。時代劇とは現実社会に受け入れられるよう、狂気を隠して正義に見せかけた紛い物。つまり事実とは異なる架空の娯楽番組というだ(笑)

別に時代劇を批判する気はないのだが、正義のためなら人をいくら殺めてもいいような倫理観を、見る者に与えてしまうのはどうかと思う(笑)せめてみねうちにして、しらすで裁いて欲しい(笑)切り捨てご免が許されるのは時代劇の中だけで、現実の社会では決して許されない。時代劇は勧善懲悪の舞台劇であって、人の愚かさを気づかる。善きことを行おうとする時には、莫大な労力と忍耐が必要になる。しかし悪しき行いは、誰にでも簡単にできてしまう。この論理で時代劇を分析すると、悪を持って悪を倒すといったところだろうか(笑)物事を手っ取り早く解決するには、この方法が一番楽であり、人が犯す過ちの最たる因でもある(笑)

時代劇では悪役の悪代官を懲らしめるのが定番だが、今の国会で風貌・発言ともに悪代官としか言えない人物が堂々と国会議員としてふんぞりかえっているのを見ると、勧善懲悪としての存在意義などまったくないと言わざるを得ない(笑)時代劇が衰退しているのは、見ている人が勧善懲悪を楽しみながらも、現実社会においては単なる絵空事として悪を放置してしまっているからだ。絵空事の勧善懲悪に興味がなくなるのは当然の事だと言えるだろう。とどめはテレビは嘘を平気でつくというイメージが定着してしまった事にある(笑)

もし悪代官として自分達の利益のみを優先させようとして送り込んでいるのなら、送り込んだ人達は同じ穴のムジナにすぎない(笑)悪代官の最後は天罰を受けて悲惨な最期を迎えるため、同じ穴のムジナも又、同じ最後を迎えるのだろう(笑)

時代劇や戦争映画は、人の狂気を顕すものであり、その倫理観の根底は狂気そのもの。何か学べるものがあるならば、それは人の愚かさだけで、人殺しに正義などあろうはずもない。宮本武蔵などは現代であれば立派な連続殺人犯。刃物で人を斬り殺す狂気に取り付かれた凶人だ(笑)時代も古い事だし、侍だから人を殺しても許される事だし、偉人として扱われるのもしかたがないのかもしれない(笑)

しかしもっと古い時代であっても、武力より平和を望み、命がけで暴力と戦った人もいるのだから、時代が変わろうとも根底となる精神は今と何ら変わりがない(笑)人物の評価は思想や考え方ではなく、何を行ったかで決めなければならないものだ。行動はその人の精神によって生み出された結果であり、行動によってのみその精神性が正しいかどうかが評価される。行動のともなわない思想など何の意味もないし、自身で実証をしめさない思想など単なるまやかしでしかない

暴力もまた人の狂気が生み出したもので、いかなる理由があろうとも決して許してはならない。暴力は人の尊厳を踏みにじる行為であり、暴力を振るう人間はもはや人ではなく、人の仮面を付けた野獣でしかない。暴力は体を傷つけるだけでなく、心に深い傷をつける。心に負った傷は、一生消えることはない。暴力を肯定する人は、人の心を否定するものであり、それはもはや理性ある人間ではなく、畜生と呼ぶべき動物です

人は聖人になる事は難しいが、悪人には簡単になれる。悪を一度許すと、全てのものが悪を基準にして動くようになる事を理解しなければならない。暴力の歯止めは、暴力を決して許さないという決意しかない。いかなるものであれ暴力を一旦許すと、一時の感情で暴力が暴発してしまう。人の心は一旦闇に覆われてしまうと、いかなる理性をも駆逐してしまう

悪を決して許さない心が平和な日常を支えている事を、ゆめゆめ忘れてはならない

人を殴る、蹴る、斬り殺す、刺し殺す、あざける、おとしめる、という映像を普段からテレビで見慣れていると、それがいかに残忍で決して許されない行為であるかという現実を忘れてしまう。そして理性を失った時、普段見慣れた映像と同じ事をしてしまう。映像では何事もなく終わる事が、現実ではとりかえしのつかない事態になる。無責任な映像は、無責任な結果しか生み出さない事を良く理解すべき

追記: 痛快娯楽劇としての時代劇やマカロニウェスタンは大好きだ(笑)好きな映画の基準は映画音楽で、音楽の優れたものは大概名作が多い(笑)娯楽劇は難問を簡単に解決していくため、ストレス発散には一番効果的だ(笑)地道な作業ほど労力と忍耐が必要になるため、真逆をいくドラマはストレスをほどよく忘れさせてくれる(笑)気分転換のコーヒーみたいなものだ(笑)

自身の心の弱さや間違いを倒される悪役に例えてやる事で、自身の弱さを少しでも克服していける。と心の中で勝手に解釈している(笑)生きるという事は、自身の心との戦いなのだから(笑)

ドラマは筋書きのとうりに動くが、現実社会はそうはいかない(笑)
Back Ground Music: The Ecstasy of Gold



印象操作


詐欺師の常套手段として、相手が注目する情報を与えて、その情報を餌にして相手を騙す、との手口がある。所謂、印象操作というものだ

この手口が巧妙なのは、相手が簡単に覚えられる少量の見せかけの情報を与えて、それがいかにも正しいものかのように錯覚させる。圧倒的に少ない情報で、相手を丸め込むのが印象操作。騙されないためには、判断するための情報が揃っているか、確認しなければならない。判断するには、絶対に必要な項目が複数ある。判断に必要な情報がどれだけあるか、しっかりと見定めなくてはならない

マスコミには必須の情報が日常的に欠けており、今や情報操作は日常です(笑)

事件を報道する場合、紙面の活字数に制限があるため、どうしても情報をまとめなければならない。そのため情報を間引きして、都合の良い情報のみを掲載する。それが事実であろうが、情報を間引きしている時点で真実とかけ離れたものになる。全ての情報を端的にまとめているなら問題ないのだろうが、そのような記事は非常に希だ。しっかりとした記事は大抵外部の識者であり、他の記事とは質が異なる(笑)

しかも間引かれた情報がいかにも真実のような言い方をするため、非常に悪質としか言いようがない(笑)なにげない一言に注意を向け、そこから人物像や事件をでっちあげる。情報は人が作り上げるものなので、書いた人物の性格が必ず出る。信頼できるかどうかは、内容の深さと情報量で、即座に判断できる

印象操作の基本は、少ない情報で相手の不安を煽る。ごく少量の情報が、人の心証を悪くしたり、善人や正論に化ける。このような愚劣な行為を「NHK・新聞・テレビ」は毎日のように繰り返している。悪人が善人に化け、欠陥品が優良品に化ける。印象操作とは、人を騙す行為に他ならない

今日の記事に、逮捕された犯人が警察とアニメの談話をしていたというものがあった。これは犯人がアニメ好きだという印象を与え、いかにもアニメオタクは頭の悪い犯罪者予備軍だと決めつける悪意しか感じられない。そもそもアニメの話がどう事件と結びつくのか? マスコミの価値観でしか物事を判断できないという現実が、マスコミの限界を如実に物語っている

次は刑事と逮捕された犯人が、新聞やテレビを見ながら歓談していたという記事をぜひ載せて欲しい(笑)犯人が新聞やテレビ好きの頭の悪い人間だという印象を与え、マスコミを信じる人間の精神がいかに歪んでいるかをぜひとも証明すべき(笑)

これからの時代、テレビを見たり新聞を読む行為が、「テレビオタク・新聞オタク」と呼ばれ、蔑まれる行為になる・・・べきだろう(笑)

それは証明しなくとも、テレビやマスコミの情報など虫食いで穴だらけになったまやかしの情報なのだから、それらをまともに信じるなど狂気の沙汰

情報の何が欠落しているのか(5W1H + 不足している情報を確認)、誰の視点の情報なのか(視点の角度が異れば、まったく逆の情報になる場合がある。誰の視点かで、情報の信頼性を確認できる)、それが信頼に足るものなのか(現実におこっている情報なのか)を、自分自身で判断しなければならない。かれらは絶対に真実を語ろうとはしないのだから、情報の真偽を確かめられるだけの確かな目を養う必要がある

情報とはその骨子だけを取り出してみれば、非常に単純なものだ。単純なものだからこそ、人は情報に騙される(笑)生活情報は関連性の低いものが多くなればなるほど、情報の要点がぼかされて信頼性が低下していく。それは全ての情報が密接に繋がっているため、最終的に全てを理解しなければ全体の把握ができなってしまうからだ(笑)そのため要点を押さえた情報を利用する事になるのだが、その要点がくせもので、拾い出した要点をうまく組み合わせるだけで、まったく意味の異なるものが何種類も出来上がってしまう(笑)ただ要点を拾い出しているだけなので、その情報自体は事実なのだが、全体の意味合いがまったく違う物になってしまう(笑)

数多くの要点の中に、核心となる情報が紛れ込む。核心となる情報があるかどうかで、情報の信頼性が決定する

つまり拾い集めたピースを集めるだけで、都合の良い情報ができ上がってしまう(笑)情報とは多角的な見方ができるもので、本来一つの意味として限定すべきものではない。見方の角度・方向によって、情報はその意味あいを変えていく。例えるなら、光り輝くミラーボールのようなものだ(笑)見る角度によって、さまざまな色合いに変化していく(笑)テレビやマスコミはこのように、都合の良い正しい情報をいとも簡単に作り上げていく(笑)一つ一つの情報は正しいのだから、厚顔無恥な不遜な態度を取るのは当然だろう(笑)

「騙されるお前らが悪い」と開き直るのは、何一つ嘘は言っていないという自信の表れ(笑)その真実は、大事な事実を言わない大ウソつき。「大事な事を言わない」とは、「そんなことは知らなくてもいい」という事実誤認をさせる詐称です。大事な情報が欠けているのが、テレビ放送の現実です

情報とはどうゆうものなのかを人は良く理解すべきであり、考える人になれるよう努力すべきだろう(笑)真実の情報とは現実に起こっている経緯そのもので、テレビやマスコミが要約した情報など、役立たずのまやかしです(笑)

人が関わる情報は、必ず関係する複数の人の視点から見る必要がある。マスコミは必ず金になる立場からしか情報を見ないので、他の人の視点から見る癖をつけなければならない(笑)うそっぱちの偏向記事も、別の視点からみれば立派なものになるので、マスコミの主張の逆を推測するのが一番の早道だ(笑)

注意すべきは、マスコミの流す情報には必ず彼らの思惑が潜んでいる事。例え事実であっても、それが何を意味するかを注意深く考えなければならない。マスコミの主張とは、人を惑わし、人を誘導するための情報でしかないのだから・・・ 深読みしすぎて、脳内に陰謀のドラマを展開する位が丁度良い(笑)それほどマスコミの主張は毒されており、虚偽・捏造・偏向にまみれたものでしかないのだから(笑)

情報の意味をどうとらえるか?。それが情報を理解する上で一番重要だ

マスコミは常にインターネットを非常に毛嫌いしていて、ネットの情報など情報源が曖昧なのだから信用すべきではないと断罪する(笑)しかし自分の主張を正当化する場合には、世論の代表としてインターネットの情報を利用する(笑)この訳の分からない思考そのものがマスコミの実態であり、マスコミがご都合主義の信用ならないものだと証明している(笑)

マスコミとは究極の自己中。信用する事自体が誤りだと断罪すべき

事実の経緯が明らかにならないものは、既に隠蔽された情報であり、それはマスコミにとって都合のいい情報でしかないことを理解すべき(笑)かれらの流す情報とは基本的に宣伝であり、大半は忘れられては困る宣伝情報を流しているだけにすぎない(笑)

その裏で知られてはまずい事故・事件は隠蔽し、都合のいい情報に作り変える。マスコミの流す情報全般を眺めてみれば、大半が単なる宣伝(賞賛・批判含めて)でしかない事が即座に理解できるだろう(笑)



マッチポンプ


マスコミの速報はいかにも立派なように見えるが、実際には速報にして良いものと、してはならないものがある

例えば自分が世界初の無重力発生装置を作成したと発表する。発表したからと言って誰も信じる者はいない(笑)発表されたものは、必ず検証という手順が必要になる

マスコミは発表されれば、何でも食いつき話題にする(笑)それが嘘だろうが、まやかしだろうが、検証などされていない不確かな情報でさえ記事にする。そしてそれが間違いだと分かったら、鬼の首でも取ったかのように強烈に批判する。実際は裏のとれない不確かなものを、勝手に記事にする方が悪いのだが、まるでマスコミが不正を暴いたかのように振る舞う

マスコミはもともと記事にする必要の無いものを記事にして、それを元に話しを大きく広げていく。所謂マッチポンプを巧妙な手口で繰り返している(笑)勝手に記事を捏造し、勝手に批判し、勝手に賞賛する、非常に身勝手な詐欺師がマスコミの本当の姿である。マスコミの異常性を良く理解すべき

マスコミの話題の多くが、検証というごく当たり前の作業を省いた欠陥品。見るに堪えない、恥ずかしい情報のなれの果て(笑)その裏で非常に重要な事件が起こっていても、都合の悪い情報は切り捨てる。情報の重要度が完全に狂っているのが、日本のマスコミの実態です。この卑劣で傲慢な姿が、今や白日の下に晒されている事を、マスコミは一切気にしない(笑)マスコミを盲信する人がいる限り、卑劣で傲慢なマッチポンプは永遠と続いていく・・・

昨今の話題のほとんどが、ただの宣伝かマッチポンプのなれの果て(笑)その陰で重大な事件や事故が何事も無かったかのように、見過ごされて消えていく…。マスコミの情報は、生活に必要な情報をカットし、現実社会から目をそらせるためのまやかしと化している

生活に必須な情報を隠蔽し、社会のひずみを国民に悟られないようにする事が、今やテレビやマスコミの本分だ。かれらの垂れ流しの情報が、いかに社会に多大な損害を与えているか、しっかりと理解すべき

片隅に追いやられた記事と、一面に載せられた記事のどちらが重要なのか。一度じっくり比べてみるといいだろう(笑)完全に隠蔽する事も多いため、今や比較するのも難しい(笑)マスコミは国民の為になる事は一切報道せずに、自分達に都合のいい情報しか流さない

本当に的外れの報道しかしないマスコミとテレビとは、適度な距離が必要だ。映像は真実だと錯覚してしまうため、テレビは普段から観ない生活習慣が必要だ(笑)軽自動車税の増税、TPP、原発事故等々、国内の重要問題は棚上げして、まったく関係の無い外国の事故や芸能ニュースを大問題のように報道するテレビやマスコミなど見るだけ無駄。自分の主張を一方的に流すだけなので、単なる子供の主張大会(笑)

テレビやマスコミの捏造の基本は、自分達の主張に合うサクラを用意する事。インタビューならサクラならぬ役者で対応し、記事なら御用達のお抱え専門家を用意する(笑)全ては台本のあるいかさまにすぎない(笑)

テレビと新聞は役に立たないゴミとして、ゴミ箱にポイするのが丁度良い(笑)メディアの嘘は強烈すぎて、簡単に信じ込まされる(笑)初めから嘘つきだと認識すべき(笑)

テレビやマスコミが賞賛し、ごり押しする情報の裏には、信じた者を破滅に追い込む罠が仕込まれる。金を貰って記事にするのだから、嘘をつくのは当たり前(笑)嘘を吐いて、皆を騙して、正義づらをする。マスコミの悪意とは、知るべき情報を知らせない事

テレビとマスコミの基本は「捏造と偏向」と「隠蔽と無責任」。この基本を抑えておく事が重要だ

マスコミ・テレビ・CMなどの、魅惑的な言葉は全て嘘(笑)「金」に狂った情報は、世の中を改善できない地獄への入り口です。基本まったく意味が無い(笑)要するに「金で操作された情報など信用するな」と言うことだ
Back Ground Music: KINKY BOOTS

物の価値など所詮人が勝手に決めたものなので、実際の価値は利用価値へと帰結する(笑)宝石なら石ころの価値しかなく、絵画なら紙の価値しかない(笑)いくら高額で取引されようとも、利用価値などまったくないのが現実だ(笑)しかも転売しようものなら、数分の一以下か無価値という悲惨な事態が待ち受ける(笑)文化財としての価値があるかもしれないが、それは国民全ての財産として国が管理すべきものだろう。そもそも一個人が所有・管理すべきものではない(笑)

ダイヤなどの石ころは工業用としての価値が本来の価値であり、金の宝飾なら金の地金の価値しかない(笑)永遠の価値などと言う物は、この世には存在しない(笑)物の価値を決めるのは自分自身であり、人が勝手に決めた価値に振り回される事ほど愚かなものはない(笑)

砂漠に一人投げ出された時、自分の持ち物に一体どれだけの価値があるのか。その利用価値こそが、実際の価値でしかない事を理解しなければならない(笑)

自分にとって絵画とは、デジタル画像をPCモニターに表示するだけで十分なので、画像データとしての価値しかない(笑)複数の巨匠の絵画を切り替えながら表示できるデジタル時代に、壁に絵を飾るなど中世に逆行する愚かな行為(笑)自分の撮った写真を絵画調にちょちょいと変換するだけで、名作(現代美術)が簡単に出来上がる時代なのだから、自らのオリジナル作品にこそ価値を求めるべきだろう(笑)

時代はデジタル社会であり、紙の時代(紙媒体に価値を求める時代)は既に終わっている現実に気づくべき(笑)紙媒体(過去の遺物)と決別する事で、新しい未来(視界)が開けてくる

言ったもん勝ちの理解不能な自称芸術の世界には、自称大芸術家(現代作家)として上から目線で対処すべき(笑)宝石に至っては興味など全くないので、色の付いた石ころにすぎない(笑)

物の価値は衣食住が基本であり、それ以外は基本無価値が基準になる(笑)無価値の物に値段がつくのは、己の欲望によって価値観が揺らぐからに他ならない(笑)己の欲望に支配されると、単なるガラクタが高価な価値ある物に映ってしまう(笑)不要な物は買わない事が、充実した生活を送るための秘訣となる(笑)



4K・8Kテレビ


情報は記録し、纏めなければ意味が無い。だから、テレビはいらない時代です。では、何故テレビは「4K・8K」へと突進するのか? 理由は「4K・8K」は膨大な情報量になるからだ(笑)

インターネットで膨大な情報になる「4K・8K」を実現するには、画像の圧縮技術の向上と、パソコンの能力向上が必須になる。余りに巨大なファイルになるため、インターネットでの公開には無理がある(笑)だからテレビは、インターネットで不可能な「4K・8K」へと突進する。無駄な努力としか思えない(笑)

映像が「4K・8K」になると、人物なら毛穴や小皺まで見えてくる(笑)鑑賞する映像としては、見れたものでは無い(笑)畳一枚ぐらいの巨大なディスプレイが必要になる代物で、とてもじゃないが情報の操作には使えない(笑)「4K・8K」は調査映像の記録データとして活用できる。一般に必要なものでは無い(笑)気軽に活用できる映像データは、容量の少ないものが重用される。「4K・8K」のテレビは一般人には必要のない代物です(笑)

「4K・8K」には巨大なディスプレイと、膨大な容量を記録できる新技術が必須になる。つまり、莫大な金が掛る代物です(笑)そもそも、VRゴーグルがあれば必要無い。小さなディスプレイで、巨大な画面を実現できる。「4K・8K」は一般的に必要性が無い(笑)金と場所と電気を無駄食いする疫病神(笑)

疫病神だから、NHKが推進する(笑)これからは「4K・8K」の時代だと、強力に推進する(笑)「畳一枚もの巨大なディスプレイを買って、テレビ生活で自滅しろ」、との凶悪な主張を平気で語る(笑)正に自滅・破滅の象徴だ(笑)

畳一枚分の画像データの情報量は余りに膨大で、人の処理能力を超えている(笑)理解も判断も、まったく不能(笑)分析用の観測データ・映像データとして、一部分を拡大し詳細に解析するためのデータとして活用する。「4K・8K」は観測・撮影などの技術データとして活用するのが本来の使い方。一般人には無用です(笑)膨大な情報を処理する高度な処理能力が必須になる「4K・8K」は、人の手に余る代物です(笑)

馬鹿デカい映像を前にすると、人はただ「ボー」と見るしかない(笑)脳が映像を処理できないからだ(笑)映画館の映画と同じ(笑)考えずにただ観るだけになるのが「4K・8K」の実態です(笑)馬鹿になるからいらない、というのが現実だ(笑)

「4K・8K」の映像が一般的になるには、膨大なデータを記録できる媒体と、膨大な情報を高速で流せるインターネット環境が必須になる。「4K・8K」の映像なら、見たい部分の拡大を視聴者自身で行える。つまり、視聴者が見たい部分を調節できる。映像は、全体を写すだけでいい。見たい部分は、視聴者自身で操作する。それが「4K・8K」が進むべき本当の未来(笑)

上下左右の5台のカメラで全方位から撮影し、視聴者の操作で見たい角度で見れる。全てを写す。それが映像が進むべき未来と言えるだろう(笑)

視覚映像から得られる情報を適切に分析するには、映像の流れをしっかりと把握する必要にせまられる。映像は見た範囲しか分からない。だから、全体が分かるストーリーが必要だ。映画やドラマは、物事の全体の流れを順序だて、物語として提供する。映像は全体の流れを理解するための参考資料。だから、映像に映らない部分は分からない(笑)全体の流れは分かるが、全体そのものが分からないのが映像だ(笑)

しっかりとしたストーリーがなけば、物語は成り立たない。だから、加筆・修正ができる文字データが重用される(笑)小説は、いくらでも加筆・修正ができる柔軟な代物だ(笑)映像での全体像の把握は、情報量が多すぎて、とてもじゃないが纏めきれない(笑)全体の流れを把握するには有用だが、全体を理解するにはまったく不向きなのが映像だ。映らないところが分からないのだから、そもそも纏めようがない(笑)映像は、映った場所しか分からない。つまり、一部分しか理解できない

だから映像は、全てを写すものへと進化する。全ての範囲を膨大な画素数の映像で撮影し、見たい部分を拡大する。映像の技術革新は、高密度の映像を記録し活用する時代へと進化する。テレビが「4K・8K」になっても意味が無い(笑)

PCモニターの「4K・8K」は必要だが、テレビの「4K・8K」は意味が無い(笑)テレビはいらない時代です
Back Ground Music: 花火Picture



NHKから国民を守る党


ひさびさに笑った、テレビという「主張」から生み出された、人の期待を平然と裏切る詐欺政党。テレビは「主張」の道具であり、そもそも理念も信念も思想もない。利権という邪悪なものから生まれたものは、正義には決してならないとの見本です。いや~笑った、笑った(笑)

「NHKをぶっ潰す」と言いながら、NHKは必要だと言い放つ。NHKの契約は義務だが、料金を払う義務は無いと言い放ち、NHKの義務化を誘導する。人の期待を裏切る、立派な詐欺師。NHKに寄生し、NHKを批判する事で生計を立てる穀潰し。「発言」と「行動」がまったく異なるのは、NHKとまったく同じ(笑)「テレビから生まれたものはまともじゃない」との現実だけがのしかかる…

「毒をもって毒を制す」というのは薬の世界。人の世界には通用しない。本気で思っているなら、テレビドラマの見すぎです。「悪党をもって悪党を制す」の現実は、生き残るのがより悪質な「悪党」という、改善どころか悪化するだけ(笑)

テレビに「情報」は存在しない、テレビに「理念」など存在しない。テレビからは何も得られない。テレビに期待しても意味が無い。そこに判断するためのデータがないからだ。まともな判断など不可能です。テレビで情報は扱えない。テレビは情報を扱えない致命的な欠陥品だ

テレビからの離脱とは、テレビとは一切関わらない、テレビとの決別です。テレビとの決別とは、膨大なデータとの格闘を意味する。つまり…有意義な時間の使い方を覚えなければならない、ということです。テレビは先進社会と隔絶した、生活を退化させる、時代遅れの骨董品だ

情報化社会でテレビを見るのは、お酒をかっくらってギャンブルをするのと同じです(笑)そこに有益性などないからだ。テレビを見るのは、今や立派な悪行です

「テレビは見ない! 死んでも見ない!」との決意と覚悟が必要だ

理不尽なNHKから国民を守る必要など無い。テレビと決別すればいいだけだ。テレビに情報など存在しないのだから、見れば観るほど馬鹿になる。人の無能化がテレビのお仕事

覚悟を示せ。テレビの洗脳から逃れるには、テレビと決別する決意と覚悟が必至になる。テレビは麻薬と同じです。日本のテレビは狂っている。NHKを見れば一目瞭然。テレビには人の意見しか存在しない、人の欲望の掃き溜めだ

「人の発言」は諫めて「悪しき行為」は法で裁くのが本筋だが、「人の発言」が判断基準になると、「人の発言」は法で裁き「悪しき行為」は法で裁かれない。テレビを持つと、人の発言でしか物事を判断できなくなり、「悪しき行為」が放置される無能社会へと変わっていく。「悪しき行為の記録の抹殺」がテレビのお仕事

時代は「AI」に質問すると、適切な答えが得られる情報化社会へと驀進中

「AI」はインターネットの記録を元に判断するため、記録されないと判断できない。「AI」に必要なのは物事の経緯という事実だけ。人の勝手な意見など意味が無い。情報化社会においては「事実の記録・公開・共有」が必須になる。しかし現状は、正しい事実は公開されず、正しい判断は難しいのが現実だ(笑)

人に必要なのは、事実の経緯を詳細に記録し公開すること。人物を判断する場合、その人の詳細な行動記録が必要だ。人の行動記録とは人の理念の実証だから、行動記録を辿れば人の本質が分かってくる。事実の経緯・行動記録を明らかにしなければ、原因・元凶が不明になり判断などできないということだ。これは人もAIもまったく同じ

だから悪党共は、インターネットに都合の悪い「事実の記録」を許さない。悪党は「人の発言」によって判断するよう誘導し、人の行動を記録しない・都合の悪い記録は残さない。「人の発言」とはその人の理念を語っているだけ。物事を判断するには詳細な事実の経緯・人物の行動の正確な記録でしか分からない

詳細な経緯が分からない、いったい何をしてきた者かが分からない。経緯・行動記録などの判断材料が一切無い。「自民党」と「NHK・新聞・テレビ」は「人の発言」で判断し、都合の悪い情報は決して記録として残さない…

「テレビは無い!」と言い切る生活習慣が必要だ。「自民党」の討伐も必至です
Back Ground Music: 慎重勇者Ultraman



デジタルタトゥー


時代はインターネットに膨大な情報を蓄積する情報化社会へと移行した。人は記録された膨大な記録を元に、適切な判断が行える。社会に役立つ情報は、インターネット上に公開する時代になっている

ここで問題になるのが「公開」すべき情報だ。情報とは人に役立つものでなければならない。問題の解決や、正しい判断をするためのものが情報だ

情報は正しいものでなければならない。正しいものとは、道理や法にかなって、誤りが無いもの。誤ったものや、道理や法にかなっていないものは情報と分類してはならない

インターネットは情報を記録し公開する道具にすぎない。そもそも情報は「公開」しなければ「知る」ことが叶わない代物だ

人が公開するものは「人の意見」と「事実の記録」と「宣伝」の3つに大別できる。「人の意見」は他の人の参考になればと公開するもの。単なる参考資料にすぎないから、正しい解釈もあれば間違った解釈もある。「事実の記録」は物事を正しく理解するために必要なものだ。公開する人によって物事の見方は異なるため、記録が多いほど物事を正しく理解できる。「宣伝」は見てもらうことで利益を得ることができるもの。宣伝は都合のいいことしか言わないから、そもそも正確な情報なんかじゃない(笑)

人は何でもかんでもインターネットに公開できる。嘘や人を騙す詐欺などの犯罪目的のものもある。人は自らの欲望を満たすため、インターネットにあらゆるものを公開する。インターネットは「人の欲望の塊」といって良い

つまり何を言いたいかというと、インターネット上の全てのものは、検証しなければ正誤の判断ができないということだ。嘘を平気でいう者、人を平気で騙す者、人を平気でけなす者、犯罪を平気で犯す者がいっぱいいるのがインターネット(笑)自分で正しいものか、検証しなけりゃ分からない(笑)

「インターネットの情報は全て嘘」。これは明確な間違い。「インターネットの情報は検証しなければ使えない」が正しい解釈

インターネットに公開しているものから、道理や法にかなって、誤りが無いものを探し出すには、厳格な検証が必要だ。厳格な検証に耐えうる、人に役立つ情報は…非常に少ないのが現実だ(笑)

インターネットの仕組みでは、公開された情報は検索エンジンを使って探せるようになっている。しかしそれが正しいものかどうかは判別しない。検索エンジンは公開された情報をキーワードで検索できるようにしているだけ。膨大な情報を人が一つ一つ整合性をチェックできるはずもなく、ロボットエンジンによって自動的に分別されていく。人の手によらないものが、公正な判断を容赦なく下せるということだ(笑)

なんでも公開できるインターネットでは、公開されたくない個人情報が公開されてしまうという重大問題が発生する。これを巷では「デジタルタトゥー」と呼んで、インターネットそのものを毛嫌いする。自分の名前を検索したら、自分の個人情報が表示されるなどたまったものではない

人の日常生活に支障の出るプライバシーの侵害は、インターネットでは非常に忌むべき行為になる。公開する人の人間性を疑う邪悪な行為。人のプライバシーを勝手に侵害するなら、自身のプライバシーも丸裸にして公開すべき。人の嫌がる迷惑行為は、道理や法に反する悪しき行為にすぎない

まともなサイトなら、非常識な個人情報の公開など決してしない。何故なら、これは個人に対する脅迫にすぎないからだ

「デジタルタトゥー」として個人情報が残るサイトは、まともなもではないと断言できる

だからインターネットには「実名」を出してはならない。後で消そうと思っても、アクセスするためのパスワードを忘れたとか、パソコンが故障してインターネットに接続するための情報を全て失えば、消すことも修正することもできなくなる。正に消すことが出来ない「デジタルタトゥー」と化す。インターネットへの安易な情報の掲載は、後に大問題へと発展する危険性をはらんでる

しかしながら、公共に携わる者・顔を出して商売している者・多くの人に影響を与える者の「悪しき行為」は、社会の出来事として残すべき。犯罪者として逮捕されたら、「名前・顔写真・罪状」は容赦なく公開される。公開されるが、それは記録として残らない。犯罪記録は政府が厳しく管理する、一般に公開されないものだからだ

一度情報が公開されたら、活用できる情報は延々と残るが、活用できない情報は自然と抹消されていく。インターネットに残る情報とは、人が活用できる情報だけ。一年・五年・十年と時の流れとともに、個人情報はその意味を失って次々と消えていく

個人情報が次々に忘れ去られる中、有用な事例として、又は悪質な事例として、社会の見本となる情報はしっかりと残っていく。そこに個人としての意味は無く、「どんな考えを持つ者か・どんなことをしたのか」との「人の思想と行為」が見本として残っていく

個人情報として活用されるのは、人が行った行為だけ。「どのような考えで、どのような行動をとったのか」。それが歴史のひとコマとして記録されて残っていく

数年後、この出来事を知った人達は…「こんな馬鹿な事をする人いたんだ。今じゃ考えられないよね。情報公開の法整備がしっかりできない後進国の特徴だね。政治家が馬鹿だと、世の中が狂う見本だね。しっかりした倫理観と正義観を持たない政治家を選んじゃだめだよね~。社会の常識が狂うのは、狂った行為を認めることが原因なんだよね。狂った行為を認めちゃだめだ。情報管理はしっかりと、それが世の中の基本だね」との感想を漏らすのであった…

個人情報を活用しようとする者など、あやしい商売人や人を騙して金を得ようとする犯罪者。一般人にはそもそも無用な代物だ。必要なのは、多くの人に影響を与える個人や企業や政治家など。社会に影響を与える者が、検索の対象になるのは当たり前

国民を裏切る政治家の「名前」と「活動記録」がインターネットに記録として残るのは当たり前。裏切りの記録が無ければ、国民は政治家に延々と騙され続ける。議員は「公金」を使って活動する。活動報告は国民に公開すべき義務になる。議員の活動記録は個人情報だとほざく輩は、公金を私物化する犯罪者

人が名前や企業名を検索するのは、何をしてきたものか調べるためだ。まともなものか、おかしくないか、何を行ってきた者か、それは使えるものなのか、判断するために検索する。調べる価値があるものを人は検索するということだ。人は調べる価値の無いものなど調べない。人は自身に関わるものを調べていく

人には生活の活動範囲があり、それは一人一人全く違う。学校生活をおくる学生には、所属する学校が生活範囲になる。学校という狭い範囲で必要性のある情報が共有され、円滑な運営がされていく。不祥事があったなら、その情報を共有して改善を図る。隠蔽しようものなら、改善できずに同じことが繰り返される

個人情報が影響を及ぼす範囲は、自身の活動範囲だけ。活動範囲が狭かろうが広かろうが、影響そのものに違いはない。学生にとっては、在籍する学校が全てになる。人の生活に支障がでるという事自体が問題なのだ

人は自身の活動範囲内の情報を、生活に必要な情報として活用する。それは学校であり、職場であり、利用する行政サービスだったりする。人は自身に関わる情報を活用しながら生活する。その中で、関わりのある人たちの個人情報が必要になってくる

個人情報は、人が生活する上で支障をきたさない範囲で活用される。それは「名前」であったり、「顔」であったり、「社会的な地位」であったりする。人は自分の個人情報が勝手に利用されることを恐れるものだ。個人の特定は、往々にして悪い意味として活用されるものだからだ

人は他人の評価を恐れる。人は自身の情報が勝手に広まることを恐れる。人は自身の情報が悪用されることを恐れる

これはごく普通の一般人の考えだ

しかしこれが通用しない者もいる。商売人・有名人・芸能人・政治家など、名前と行動と顔と思想を売りにして活動する者達だ。大勢の人たちに顔と思想と行動を売りにして、有名になって金を稼ぐ者達だ

この有名人と呼ばれる者達は、自身の個人情報を売りにする。この有名人が個人情報を偽るのは、信じる人を裏切る行為。「私はこうゆう者です。信じて行動してください」と宣うのが有名人だからだ。誤った個人情報は、正しく修正しなければならない

今現在、個人情報を含むあらゆる情報をまとめたものに「wikipedia」がある。ここにある個人情報を見本にすれば、公開していいいものが分かってくる

特に悪質で人に甚大な被害を与えるのが「商売人」と「政治家」だ。「商売人」が商品を偽ったりして被害を消費者に与える行為は犯罪行為にあたる。「政治家」が売りにする信条と行為を偽って選挙に当選し、己のために政治を金集めの道具にしようものなら、信じて投票した国民は甚大な被害を被る

自らの個人情報を売りにする者達は、売りにした個人情報に責任を負う義務がある。「wikipedia」は正確な個人情報を記録し公開する

「wikipedia」の情報を眺めていると、そこにあるのは「事実」だけ。そこに勝手な「人の意見」など存在しない。日本のマスコミが如何に狂っているかが分かる(笑)

「人の意見」は一個人による考え・評価にすぎず真実ではない。「事実」は嘘をつかない真実だ

愚民は「人の意見」で判断する。賢人は「事実」を元に判断する。真実は「事実」によってしか分からない

個人情報は時の流れとともに風化して、人の考えや行動として記録されて残っていく。重要なのは、人がどのような考えで、どのような行動をしたのか、その事実にある

人が自らの考えと行動を偽わるなら、偽りの記録を正さなければならない。何故なら、情報を信じた者に対する裏切りだからだ。記録し修正しなければ、人は永遠に騙され続ける

正常な社会システムは、過ちを正すため、同じ過ちを繰り返さないため、社会を発展させるため、正しい記録を残こす。情報は偽ってはならない。これは情報化社会の鉄則だ