生活の覚え書き 3

シュタインズゲート
なにげなく DVDのレンタル店で手にしたのが「Steins;Gate」というアニメだった。暇潰しに観るつもりで借りたのだが、一巻目を観た後に、すぐさま戻って全巻全て借りてしまった(笑)

シュタインズゲートとは主人公が勝手に作った造語なのだが、主人公にとって実現したいユートピア(理想とする世界)なのだろうか、などと全巻見終わった後にしみじみと感じてしまった。このアニメを見て感じたものは、制御できない理不尽が時の流れというもので、人はその中であらがいながら生きていかねばならないという、理不尽な現実だ。このアニメは理不尽をねじ伏せる、過去と未来を往来できるタイムマシンを使って、あらがうとはどうゆうものかを教えてくれる。観る人によってとらえ方など違うものだが、自分自身はそう感じた

物語の中で良く語られているものに、「無かったことにしてはならない」という言葉がある。主人公が理不尽な事実を改変するために、何度も何度も過去に戻って、理不尽な事実を変えようともがき苦しむ。その中で得た「幸せ、苦しみ」の全てを「無かったことにしてはならない」と、未来に希望を待ち続けて突き進んで行く

終わり近くで最悪の事態に遭遇するが、「そのつらさが執念を与えた」として、悲劇を乗り越えるために全力を尽くす。未来に希望をつなぐ執念が、悲劇に見舞われた自分自身を変えていく、という姿がそこにある

時の流れとは理不尽なものであり、不幸な目に遭う事もあるし、大切なもの全てを失う事もある。そこで立ち止まるか、失ったものをなかったものにしないために執念を燃やして進んで行くか。時の流れの分岐点は、人それぞれに訪れる

立ち止まれば、失ったもの全てを無かったことにしてしまう。無くしたものを、意味の無いものにしてしまう。全てを意味のあるものにするためにも、執念を持って突き進む事が大切だ
Back Ground Music: スカイクラッドの観測者



大馬鹿者
知り合いが勤めている中堅のガス会社に労働基準監督署の立ち入り検査が入り、タイムカードの記録と、実際に支払われている残業代が一致していないため、社長が厳重注意を受けた

社長は激怒し、タイムカードを廃止して記入式の出勤簿に変えるそうだ。残業代はきちんと払うが、退社時間の記入は定時以降は認めないと宣言するつもりらしい。タイムカードによる出勤・退社システムがきちんと機能している現状で、不確実な出勤簿に変えるだけでも問題なのに、残業代を支払わない手前勝手なシステムに変えてしまうとは、労働基準監督署もなめられたものだ

この社長が大馬鹿者であるのは言うまでも無いが、労働基準監督署もこのような事例もあるのだから、立ち入り検査は一度行ったら、その後まめに検査に入る必要がある。この社長は大手のガス会社からの出向らしく、経費削減のために残業代の廃止を独断で決定したらしい。このような事を平気でするのだから、親会社の大手ガス会社もろくなところではないのだろう

労働基準監督署も、タイムカードを廃止するような会社は厳重に監視・監督し、悪質な不正が発覚したら実刑を含む厳罰で対処しなければ、このような大馬鹿者はいくらでも現われる

追記: そもそも日給月給制の会社には、タイムカードを設置するよう法律で義務づけるべき。でなければ労働者の権利を守ることはできない。法律に抜け道があるからこそ、姑息な手段で誤魔化そうとする輩が出てくる

法律上は適量な作業の遅延なら、残業が認められる事はない。しかしこの法律を盾にすれば、一、二時間の軽度の残業は永遠に認められる事はない。過度な残業でもなければ法律で裁かれる事はないのだ。つまりこの法律は、経営者側に非常に有利なものでしかないということだ

この法律を盾にしてタイムカードを廃止すれば、サービス残業させ放題になる。しかしタイムカードを義務化する事で、法律の欠陥を補完でき、適量かどうかを労働基準監督署が判断できるようになる。タイムカードは絶対に必要不可欠なものであり、労働者の権利を守るために必須のものだ
タイムカードが怠勤の元凶でしかないという経営側の主張は間違いでしかなく、怠勤を排除したいなら、残業を申告制にして勝手にできないようにすればいいだけのことだ。労働の質を上げるには、実績によってボーナスや手当を上げるのが正当な方法であり、正当な労働対価を支払わなければ、労働意欲を低下させるだけだ

この法律の運用で問題なのは、タイムカードが必要でない職種を基準にしている事だ。大多数は中小企業であり、大半の人間が時間給で働いている。少数の人間を基準とする法律自体に欠陥がある。これは自民党が政権を握っていた時代の悪政の流れを、今なお引きずってしまっているからに他ならない

労働基準法は自民党時代に制定されたものなので、経営側に非常に有利なものでしかない。しかも自民党は派遣労働法を作り、労働者を単なる使い捨ての道具にしてしまった。恨むべきは自民党であり、このような政治献金でしか動かない悪徳政党に政権をまかせてきたのだから、自業自得という他はない

そもそも派遣労働法が作られたきっかけは、「時間給が非常に高い特殊な職種に必要」 という特殊な事情に合わせて制定されたものだ。それが今や製造業以外は何でも派遣になってしまった。狡猾な自民党に騙された結果、このような悲惨な労働環境が今なお続いてしまっている。この法律の趣旨に合わせて労働者の賃金を設定するなら、手取りで30万以上支給しなければならないはずだ。しかし現状は、低賃金・労災無し・休業補償無し の使い捨ての道具にされてしまっている

政治家は派遣労働法で労働者の身分を保障できると言っているようなので、まず政治家を派遣労働者にしてその身分を保障すべき



躊 躇
人の性格をみる場合、物事に対して躊躇無く行う行動で判断できる。まともなのか、卑劣なのか、矮小なのか、簡単に見分けがつく(笑)

人が困っているいる時に即座に行動できる人はまともな人間であり、何の行動も起こさない人は矮小な人間だと判断できる。「情けは人のためならず」 とは、情けはいずれ自分にまわってくるものだから、人への親切は日常の心がけとすべき、との意味。助け合わねば生きていけなかった、先人達の良き格言と言えるだろう

これは人として生きる理を説いている。これに背く生き方は、人としての生き方を捨てるもの。生命が永遠に続くものだとするならば、人として生まれ変わる事はないのだろう…

人の助けになる行動を躊躇無く行える精神こそが大切だという事だ。これは自身が直面した場面でできれは良いことであり、全ての物事に対して行えと言っている訳では無い。人によってできる事など限られるものであり、自身のできる範囲の事を行えば良い。それに手助けとは、相手が真に求めるものをしなければ意味が無い。自身が良かれとした事が、逆に相手を困らせる事もある。相手の心情をくんだものでなければ、真の手助けとは言えないものだ

手前勝手な行動は、単なる自己満足にすぎない事を理解すべきだろう

自分の周りにも親切にしてくれる人は多が、その人達は皆親切とは非常に難しいものだという。相手によって受け取り方が異なり、逆によけいな事はしないで欲しいと言われる事もあるという。そのような場合には、怒らせる行動をしたことを素直に謝るそうだ。人助けとは感謝される事を望んではならないものであり、良き人間関係をつくるための奉仕活動のようなものなのだろう

この人達と一緒にいると心が落ち着き、非常に安心していられる。人に必要とされる人は、信頼できる良き人柄でなければならないという事だ。これは一朝一夕にできるようなものではなく、日々の行いの積み重ねでしか培うことができない

躊躇無くできる行動とは、日々の積み重ねから生まれたものであり、その人物の人柄を表す。正しい事を躊躇無くできる人間になれるよう、日々の心がけが必要になる
Back Ground Music: 孤独な生きもの



構造的欠陥
物事には目に見えない流れがあり、複数の事象が絡み合いながら動いていく。これは全ての事柄に共通する。もし目に見えるものならば、巨大なパイプラインの工場のようなものなのだろう

物事がうまくいかないのは、このパイプラインの構造に欠陥があるか、パイプラインを制御するコントロール部分に問題がある。何事にも完璧はありえず、問題を内に抱えている

どんなに完璧を目指しても、所詮人間の考えたものには限界があり、必ず修正が必要になる
Back Ground Music: Sweet Lies



アイドル
アイドルとは自分の理想を人という依り代に託し、心の中で自分の全てを受け入れてくれる架空の人物

アイドルに心酔する姿は、アニメのキャラクターを現実と混同するオタクの姿と変わりない(笑)現実社会が崩壊している現状では、現実逃避としてアイドルに夢中になるのは、仕方がないのかもしれない(笑)しかしアイドルを仕掛ける側が、人を平然と騙すテレビやマスコミである事を、きちんと把握しておかねばならない(笑)

商業的に鑑みれば、アイドルは売れる商品。いわば理想化した架空の存在。現実としてそこらの人間と変わりが無い(笑)人という範疇から外れたものでは決してない(笑)

人間とはそんなに善人なものでは無く、誰もが腹黒いものを抱えている(笑)自分の理想を相手に望んだところで、それは儚い夢物語(笑)そもそも聖人君子は、アイドルにはならない(笑)

夢中になるなら、まったく存在しない「ウルトラマン」や「仮面ライダー」などのヒーローの方が害が無い(笑)ヒーローは、中身の人間に興味を持ってはならない(笑)現実のアイドルに夢中になるのは、架空の存在に金を貢ぐようなもの。ホストに大金を使うおばさんと同じです(笑)

売れ筋の人気商品に夢中になっていると言えばまったく夢がないが、昨今のアイドル商法は、夢を売る商売としては度を過ぎている(笑)まるで催眠商法のように、夢中にさせて身ぐるみ剥ぐようなえげつないものだ(笑)マスコミやテレビのえげつなさが生んだ、今の時代に適応したアイドルなのだろう(笑)

一度冷めた目で人間を見つめてみれば、アイドルの本質が見えてくる(笑)最近アイドルがラジオ番組に進出しているが、くだらない馬鹿話ばかりで、聞けたものではない(笑)一度中身をきちんと精査して、ファンとして応援できる者か考え直すべきだろう(笑)

汚れのないバーチャルアイドルが主流となる日も、そう遠くは無いのだろう(笑)バーチャル(仮想)なら裏切られる事もなく、わざわざ会いに行く必要も無い(笑)正に永遠のアイドルの誕生だ(笑)

アイドルの本質が作られた偽物であるなら、初めから偽物のバーチャルアイドルが本物です(笑)騙すのではなく、作り上げるアイドルが本物と言われるようになるのかも知れない(笑)人は必ず醜い面を宿すため、欠点のないバーチャルアイドルは、正に理想の人物(仮想人格)と言えるだろう(笑)

穢れを知らないアイドルとは、理想化した幻想です

自分はアイドルを人ではなく、人が追い求める理想だと判断している。人のアイドルを追いかける様は、正にストーカーそのもの。「狂気の思い込み」に突き動かされる残念な人としか映らない(笑)そこに理想があるなら、理想を追い求めるのが筋というもの。追いかけるべきは理想であって、人などでは決して無い(笑)

アイドルとは得てして、自分の欠点をそぎ落とした理想の人格を投影している。アイドルを追っかけるのではなく、自分自身を理想の姿に成長させる努力が必要だろう。アイドルとは姿・形など関係なく、人を鼓舞する全てのものに当てはまる(笑)

音楽や映像に映る姿は、現実の人物とは別ものだと認識すべき。歌や映像に映る姿は役柄としての架空の存在なので、実際には実在しない人物だと思うべし。現実の人に興味を持てば、人の持つ「業」に失望するだけ

アイドルは人に求めず、理想に止めておくのが賢明だ。人は変わるが理想は変わらず、互いが相容れる事は決して無い。理想と現実が乖離した、人のアイドルに夢中になるのだけは止めるべき

アイドルとは只の幻想です。アイドルとは人が創り上げた空虚な幻。心の中にしまっておくのが丁度良い(笑)




車を運転していて、目の前に燦々と輝く丸い月が飛び込んでくる光景にはいつも驚かされる。天に輝く月は不変の象徴であり、何ものにも犯されることの無い神聖なものに映る

最近漫画を合間によく読んでいるが、漫画には作者の理念が込められていて、それを見いだすのが面白い。「文章の行間を読む」という言葉があるが、漫画にも全体を包み込む作者の思いが込められている。それを読み解く事で、そこから得られるものが自然と見えてくる

うろ覚えだが、ある漫画に「音楽とは世の中の調和を読み解くための学問である」と書かれていた。「世の中のあらゆるものが調和をもって存在しており、全が意味を持って存在している。世の中に無駄なものは何ひとつ無い」というような事だったと思う(笑)

人の経験には無駄は何一つなく、その中で人は成長していける。経験を積むことでしか人は成長できない。これがこの作品から読み解ける。一人一人がその人だけの人生を歩んでおり、その一つ一つが世の中に何らかの意味をもって存在している。人として生きるなら、悪に染まらず、人としての正しい生き方を目指さなければならない。悪意に飲まれ、悪として存在しないために、人は学ばなければならない

天に浮かぶ月は、真理そのもの。真理は光り輝き人を導く。光は自らの経験から見いださねばならない
Back Ground Music: 風の通り道

空気のよどむところは、自然と空気が腐っていく。日々空気の流れるところを探し出し、新鮮な空気を吸うことで元気でいられる。吹く風は気ままであり、風を読み解く経験と勘を養う努力が必要だろう



寺田寅彦
言わずと知れた明治の名科学者。今で言うなら、名ブロガーと言ったところだろうか(笑)

日々の日常から、科学の本質を読み解く方法を考えた傑人。傑人と言わしめるのは、誰もが物事の本質を見通せる科学者となれる法を説いた随筆家でもあるからだ

人は理不尽を呪い、その解決策を模索する。模索しなければ、永遠に理不尽に悩まされるはめになる。「疑問」を持つことの大切さを、傑人は教えてくれる



時代遅れ
科学技術の進歩は目覚ましく、時代遅れになったものは容赦なく消え去っていく。技術の進歩に逆らえば逆らうほど、受けるダメージは増していく

「三人寄れば文殊の知恵」と良く言われるが、「小田原評定」となって最悪の状況に陥る事の方が多い気がする(笑)話し合いの結果に生まれた「妥協の産物」は、大概失敗に終わる(笑)妥協自体が最適解でない証拠であり、ぐちゃぐちゃになって終わる結末が予測できる(笑)利便性に迷いの無いものが、結局のところ生き残る

今出版不況と言われているが、ずっと前からデジタル化に対応しなければ生き残れない、と散々言われ続けてきた。それなのに、利用者の利便性などお構いなしに独自の規格が乱立し、結局[Amazon の Kindle]の一人勝ちとなっている。日本の規格はデータの変換ができないため、データの活用ができない。結局のところ「紙」の欠点をそのまま引き継いでしまっている。いつまでも過去の栄光に固執するという、日本特有とも言えるしつこさは、身を滅ぼす最大の原因ともなる

活用できないデータを保有するなど、愚か者の馬鹿がする事。時代に遅れ、利用者にも見放される行動をとれば、どうなるかは自明の理。技術の進歩は、自分達の置かれている環境をまったく別のものへと変えてしまう。環境に適用できないものは消えていくしか無い。環境の変化にあらがい続けるとどうなるかを、今の出版業界から学ぶべきなのだろう

使いやすい・他の端末でも利用できる・最終的に元データに変換できる・容量が少ない、等々の利点を追い求めていけば、自然と完成形が見えてくる。日本の場合は法律で無理矢理規制して、消費者に有利な利点を潰しにかかるため、結局利用者に見限られる。利用者の利点を、商売の利点に変えていかなければ生き残る事などできない時代になっている。技術の進歩は、開発者の思惑などただの欠点として消し去っていく

電子データの最大の利点は、何千・何万という書籍データを、片手で持てる端末に全て入れて持ち運べる事にある。この膨大なデータから、一瞬で必要なデータを検索して得られるのだから、紙の本はもはや必要がない。紙の本が消え去る事は無いだろうが、廃れる事は目に見えている

「活字文化は、紙を元にするものではない。活字という文字であり、その媒体は時代と共に変化していく」。紙に固執すると、紙を必要としない活字文化に呑み込まれる。活字は無形の情報へと形を変え、形として持たない無形の文化へと進化していく。個人で膨大な情報を持ち歩き、より膨大な情報から引き出して活用する時代へと移行している

大半の本は処分してしまったが、好きな本は、生活のバイブルとして手元にきちんと置いている(笑)人はどうしても、好きなものを手元に置きたがる生き物らしい(笑)読まなくても、そこにあると安心する。暇になったら読み返す。人には何度も何度も、繰り返さなければ身につかないものがある。良い本との出会いは、何物にもかけがえないものと言えるだろう
Back Ground Music: 吹 雪

叢雲という言葉に惹かれて、つい聞き入ってしまった。新しいものに惹かれるのが、人の性というもの。空にもくもくと湧きあがる様が、時代の変化と重なってしまう

良く[Amazon]を引き合いに出すため、「お前は[Amazon]のまわしものか?」とよく言われる(笑)理由は[Amazon]の主体が消費者にあるからで、徹底して消費者の利点のみを追求しているからだ。企業の利益ではなく、消費者の利益を追求する企業など本来はありえない。ありえない企業体質だからこそ、利用者に歓迎される

逆に[Amazon]と提携する企業は、利用者の利便性を自腹で切る羽目になるために嫌われる(笑)[Amazon]とは消費者のために、自らの身を切る商売であり、非常に過酷な商売になる。最終的に製造元からの直接販売に切り替わるのが目に見えるため、一般の商売と敵対するのは当然だろう

インターネットは、情報の発信と着信をダイレクトに繋ぐ道具。そして全ての人が競争に参加できる強力な道具でもある。この誰もが参加できるという利点が、インターネットの最大の利点になる

[Amazon]はこの誰もが参加できるインターネットで勝ち残るための、最も効率的な行動を取っているに過ぎない。消費者の利益を追求すれば、他の企業が太刀打ちできる訳が無い。世界規模で[Amazon]が躍進している理由はそこにある

消費者の利便性をとことん追求するのが本来の商売の基本。その基本を忠実に実行しているのが[Amazon]という企業になる。この最先端の企業も、他の企業と同様に多くの問題を抱えている。しかし常に改善する行動を取っているため、支持され続けている

問題を放置する企業は潰れていき、問題を常に解決していく企業は生き残る。これはインターネットという最も厳しい世界で生き残るための生存競争にすぎない

このインターネットの仮想世界と、現実の世界は又別のものになる。現実世界では商品を手にとって確かめられるという最大の利点がある。どちらも欠点と利点があり、消費者は都合の良い方を選ぶだけだ。唯一共通するのは「信頼」という、消費者に対する誠意のみ

人は「値段」より、「信頼」に重きを置く。いくら安かろうが、「信頼」の置けないものは利用しない。商売の世界は、最終的に「信頼」の上に成り立っている。「信頼と値段」を追求する[Amazon]が独走するのは当然だろう
Back Ground: Godzilla vs Mechagodzilla

自分的には、ゴジラが旧態依然の[既存の企業]であり、メカゴジラが既存の概念を一新する最先端の[Amazon]になる(笑)役柄に関しては異論もあろうが(笑)、この二つが激突しているという事実は間違い無い(笑)

「Amazon」は良く利用するが、非常に危険な場所でもある。利用する場合は、送料無料の「Amazon.co.jp」の商品のみ。他の店は基本的に利用しない(笑)直営店以外は中国・韓国から直送品が多く、返品もできない、商品が送られてこない場合もある(笑)「Amazon」は直売品が基本になる。これが分かっていないと痛い目に遭う(笑)直売品であれば無料で返品できるし、保証はメーカーとの直接交渉になるが一応できる。メーカーの保証で返品する場合、送料が自己負担になるのが玉に瑕(笑)通販にはメリットもあるが、それ相応のデメリットがある。デメリットを減らすには、商品の販売先や、商品の品質の確認が必要になるのは当然だろう(笑)売ってある商品が、全て良品である訳ない(笑)

「Amazon」を上手に利用するためには、上手な選別が必要になる。失敗は全て自己責任。これが地味にきつい(笑)だから自然に「Amazon」の直売品を利用する。冒険すると、大概の場合失敗する(笑)人は失敗しなければ懲りない生き物らしい(笑)「Amazon」でトラブルに遭遇した人に、この事実を延々と説明すると、「分かりました、もういいです」と引かれてしまう(笑)通販は怖い。通販は信用第一。通販は返品可能と、商品が確実に届くのが第一。通販の保証はメーカーに自己対応。当たり前だろうに(笑)

返品が可能なのと、確実に商品が届く事が「Amazon」の最大の利点。送料無料で、返品可能な商品を何故利用しないのか不思議でならない。人は欲をかくと失敗する。目の前に欲しい商品があると、販売先と、商品の製造元の確認を忘れる。忘れるから失敗し、トラブルに遭遇する羽目になる(笑)

通販では物に対する物欲を抑え、販売元と商品の的確な評価を行う、高度な判断が必要になる



人との繋がり
人と人は縁によって結ばれる。連絡が無ければ疎遠になり、連絡が密になれば身近になる。身近な縁とは近親者と同じであり、生活を共にするのと同義になる

今の世の中「SNS・Twitter・Facebook」が全盛の時代で、誰とでも簡単に繋がる事ができる。気のいい仲間と楽しく繋がれるので使われているのだろうが、端で見ていると危なっかしくて見てられない。自分の写真や住所を公開するなど、自分のプライバシーを丸裸にする最も愚かな行為。せめてやるなら、個人情報は全て伏せて行うべき

掲示板やTwitter にのめり込むと、人の意見の渦に巻きこまれ、自分自身を見失う。だから掲示板やTwitter への書き込みは一切しない(笑)一旦書き込んでしまうと、先入観に凝り固まった、人の意見にもみくちゃにされるからだ(笑)インターネットは善人・悪人の区別なく、あらゆる人と繋がるため、個人情報をさらした上での不用意な発言は、自らを破滅へと追い込んでしまう・・・

人と人との関係は一番やっかいで、一番神経を消耗する(笑)気軽に繋がっていると、後に人間関係で大変な思いをするはめになる(笑)何故なら人との関係には、必ず責任がつきまとうからだ。それが分からないのは、単に自覚していないだけで、他人の事情に巻き込まれた時に初めて分かる(笑)人との繋がりはメビウスの輪のように何処かと繋がっていて、思いも掛けない所に影響を及ぼし、それが問題となって自分自身に降りかかる。繋がる相手は慎重に選ばなければならない

犯罪にまきこまれる時は、必ずと言って良いほど「知人」が絡む。「知人」とは「赤の他人」でしかなく、深入りは身の破滅に繋がる事を肝に銘じるべき

自分の発するメッセージは、時に自分自身を縛るものになる。縛る事で自身に行動を促す場合もあるが、それは受け取る相手が自分を知らない場合のみ当てはまる。相手が自分を知っている場合には、その行動を共有する事になる。人と繋がる事は、行動を共有する事に他ならない。深く繋がりすぎると、全ての意識を共有しているかのような錯覚を抱かせる。不用意な繋がりは錯覚を呼び起こし、自らを破滅に導くものにもなりかねない

人との関係には「出会い」と「別れ」があり、この「別れ」を探る事で、人の関係の本質を窺い知る事ができる。一番手っ取り早いのが「離婚を扱う掲示板」。「生活を共にした二人の別れ」という苛烈な経緯に、恐れおののくはめになる(笑)「人の振り見て我が振り直せ」との格言を身につけたいなら、躊躇無く「離婚を扱う掲示板」をお勧めする・・・。大人限定ではあるが(笑)ここを訪れたら、ゴシップ記事など読む気が失せる(笑)普段から行くような場所ではないので、たまに覗くくらいがいいだろう(笑)

人との関係は、時に親密であり、時に疎遠であるという、めりはりのある関係が丁度良い。これが一方に偏ると、大概壊れる。人は適度な距離にあるのが丁度よい関係を築ける。人には譲れないものが必ずあり、そこを踏みにじられると、人間関係は簡単に破綻する。そこを上手に理解しながら、関係を築いていく必要がある。めんどくさくてしょうがないのが、しがらみという人間関係・・・
Back Ground: Big Fish




芋と言えば「ポテトチップス」を瞬時に思い浮かべる。普段から良く食べていたので当然だ(笑)しかしこの頃は、芋を直接料理して食べている。油っこいものを体が受け付けなくなってきた影響も多分にある(笑)

お店で買える「ポテトチップス」は[60g]で約100円。さつま芋は[約1K]で約200円。[1/8]の値段で塩分抜き・油抜きの芋料理が食べれる計算になる(笑)

芋はおやつとして食べるため、皮ごと1cmサイズのサイコロ状に切り、器に入れて電子レンジで4分ほど加熱する。サイコロ状なので爪楊枝で刺しながら、つまみ感覚で食べる事ができる。サツマイモの甘みだけで十分なので、添加物一切無しの健康食品が出来上がる(笑)

手間を掛けずに栄養価の高いおやつが非常に安価にできる(笑)素材をそのまま生かす知恵は、手間と余計なゴミを出さないエコに通じる。これによりお菓子のゴミが大幅に減った(笑)

ゴミを減らすように工夫すれば、自然とエコな生活に変わっていく。飲み物は缶ジュース・ペットボトルを止め、紅茶・粉茶やココアなどに切り替え。ゴミを出さない生活は、財布にも優しく、健康にも優しい(笑)

脳を活性化させ、頭の回転を良くし、老化も防げる。芋は人を助ける救世主(笑)



迷 走
カーナビで目的地をセットし、走行ルートを選択して運転していたら、いつの間にか同じ場所をさまよってしまう迷宮に入り込んでしまった(笑)

カーナビに誘導されるがままに走っていると、いつか見たような風景が現われる。同じ場所をループしている事に気付なかったのは、何の特徴も無い田舎道だったからだ(笑)短時間のループならすぐに気付いただろうが、何の特徴の無い風景が延々と続く中では、気付きようが無い(笑)

何かがおかしいと感じたのは、特徴のある綺麗な花々が何度も繰り返し見られたからだ。おかしいと気付いて、カーナビの表示を縮小してルートを確認してみると、ループしている事が分かった(笑)後でじっくり考えてみると、ごく最近つくられた道が抜けており、地図上に無い道を走ったため、ルートから外れたとカーナビが勘違いして元の道に戻ったらしい。運転している時には、カーナビに絶大な信頼を寄せているから、ルートから外れたなんて思いもしない(笑)田舎道だったので、正直狐につままれたとしか思えなかった(笑)

こんなこともあるんだなと、笑い話にしかならないが、実生活ではこのような事は日常茶飯になっている(笑)「気付かない」「知らない」という無明は、人を無能な人間に貶める

「NHK・新聞・テレビ」が国民生活に必要な情報を提供しないとの現実は、正に国民を無能な人間に変えてしまっている。与えられたものを只受け取るだけの人間は、単なる奴隷にすぎない。「知らせないで見殺しにする」という日本のマスコミの基本理念は、日本全体を狂わせる元凶になっている

「NHK・新聞・テレビ」という既存のマスコミは、「国民に気付かせない」「国民に知らせない」を本分にする只の詐欺師にすぎない事を、良く理解すべきだろう。既存のマスコミに全幅の信頼を寄せたら、正にマスコミが捏造した迷宮に迷い込んでしまう(笑)

今の国民に必要な情報とは何か? 今の自分に必要な情報とは何か? と自分自身に問う事で、「NHK・新聞・テレビ」に必要な情報など何一つ無い事が理解できる(笑)正に気付く事が重要であり、気付かなければ延々と騙されるはめになる。「日本のマスコミに、全幅の信頼など寄せてはならない」。情報は自分自身で検証・比較・分析しなければ、真に意味ある情報として身につかない

人を惑わす迷宮に迷い込まないためには、おかしいものに気付く感覚が必要であり、常に注意を払って情報に接しなければならない。只情報を受け取るだけの、無能な人間にはなってはならない(笑)
Back Ground Music:



バレンタインデー
毎年2月頃にチョコを貰うため、2月は楽しみにしている。しかし今年は何だか雲行きが怪しい(笑)「チョコを贈っても、何の見返りも無い」と言われてしまった(笑)

確か去年は食事をおごったはずだが、どうやらそれは見返りには入らないらしい(笑)この状況が非常にやばいのは確かなので、バレンタインのお返しとは、どのようなものか調べてみた

マシュマロ、クッキー、キャンディーが王道で、それぞれに意味があるらしい。マシュマロは「嫌い」、クッキーは「友達」、キャンディーは「好き」、だそうだが、喜ばれるお菓子なら何でも良いらしい(笑)

好きでも無いものを贈られても迷惑だろうから、一応何がいいのか聞いてみた(笑)どうやら缶入りのクッキーが良いらしい。早速ネットで缶入りクッキーを探してみると、結構沢山有る。外国製はおしゃれな感じがするが、ここはやはり日本経済のために日本製を選択する(笑)おしゃれな缶入りのクッキーをポチッと注文した(笑)

「今さらチョコ贈っても意味無いでしょ」と散々嫌みを言われたが(笑)、お返しの方法を聞いたので、悪い流れの軌道修正は何とかなりそうだ(笑)間違いの修正は、早めにやっておけば大事には至らない。自分に非がある場合は、何を言われても反論せず、泰然自若とした心境が求められる(笑)心頭を滅却すれば火もまた涼し(笑)

たかがバレンタインデーのチョコのために、ここまでする必要などないのだろうが、人間関係は少しのすれ違いから破綻が進行していく。物は補修しなければ自然と崩壊する。心の補修も念入りにしておかなければ、簡単に壊れていく。愛想が尽きたら、それで仕舞いになる(笑)

人の関係とは儚く脆いものだ。脆いものだからこそ、繊細な補修が必要となる
Back Ground Music: 人生のメリーゴーランド



EU離脱
イギリスが EU を離脱したが、EU のこれまでの政策が原因なのは間違いない。引き金は間違いなく移民問題。EU が勝手に移民の割り当てを行うのだから、加盟する国民が反発するのは当たり前。国情を無視した政策を行えば、国民からの支持は当然のように離れていく

理想と現実の狭間を調整するのが EU の役目なのに、現実を無視して理想に突っ走ったあげく、国民から愛想をつかされてしまった。というのが現実的解釈と言えるのだろうか。身の回りに外国人が大挙して移住してきたら、誰もが生活に不安を覚える。この不安こそがイギリスの分裂を生んだ元凶になっている。離脱は民意を反映した当然の結果と言えるだろう

イギリスのロンドン市長がイスラム教徒だという現実は、イギリスがいかにいびつに変質しているかを物語っている。日本の京都の市長がイスラム教徒で、イスラム教に都合のいい政策を行おうとする時に、国内が割れない訳が無い(笑)京都にイスラムの寺院が乱立すれば、国内が割れない訳がない(笑)移民による見境の無いグローバル化は、自国民の人口比率の低下を招き、文化の喪失という最大の危機を招いている

このような状況を生んだ原因は、長年のイギリスの硬直した体質を変えようと、グローバル化のEUの政策を推し進めたからだ。しかし行き過ぎたグローバル化は、イギリスの国体そのものの崩壊を予見できるほどに悪化している。イギリスのイスラム化は、既存の文化の崩壊としか言い様がない

グローバル化とイスラム教は、非常に相性が良く、瞬く間に国家をイスラム化していく。この現状にやっと気づき、今や世界の先進国の全てが、その対応に追われている(笑)「庇を貸して母屋を取られる。時既に遅し」の感しかないが、イギリスはやっとこの問題との全面対決を決意した、と言ったところだろうか・・・

そもそもイギリスはキャメロン首相が悪すぎた(笑)大国の時代は終わり、これからは中国の時代だと盲信し、国家の安全保障にもかかわる原発をも中国に頼ろうとした大馬鹿者(笑)グローバル化を盲信し、国家の形そのものを崩壊させた狂乱の貴公子。正に日本の鳩山元首相そのもの(笑)離脱したイギリスは EU からの恩恵はもはや期待できない。他の国々がそれを許さない。許せば EU の価値が無くなる(笑)

EU とはヨーロッパの進むべき理想そのもの。理想に問題があるからといって離脱すれば、前進を止める事になる。イギリスは前進を止め、止まる事を自ら決断した。前進したら破滅すると国民が判断したのだから、止まる勇気があると見なすべき。これが成功したら、EU の崩壊が雪崩のように加速する(笑)

EU の改革が進み、イギリスが又加盟するようになるのが最善だろう。政治にはその国に住む人の民意が必要になる。政治の基本を忘れてしまった事が、イギリスの離脱を生んでしまった。EU 域内の不満が爆発する前に、改革のお膳立てができたとも言えなくも無い・・・

離脱とは、自らの意思で袂を分かつ事。自分の場合は「NHK・新聞・テレビ」からすでに離脱している(笑)彼らの報道は事実では無く、勝手な解釈をされた単なる主張にすぎないからだ(笑)人を平然と欺く主張は、確実に人を破滅へと導く。今では情報ヤクザとして完全にスルーしている(笑)

狡猾なマスコミからの離脱と、イギリスの離脱はどこか似ている(笑)両方とも信頼を失い、完全に見捨てられているからだ。しかしイギリスの場合は、確実な代替手段が無い。今までと変わりないという楽観的な観測しかない。2国間貿易で他の国々と適切な関係を築く事ができれば大成功だが、それがうまくいくかどうかは誰にも分からない(笑)

進む先が平坦な道のりでは無い事は確か。義務を放棄すれば、必然的に権利を失う。他の国々は、域外の国として冷徹な判断を下していくだけ。恐らくイギリスには茨の道のみが提示される。鉄の女の異名を持つサッチャー女史のような強力なリーダーシップが必須になる。四面楚歌の状態では、体面を気にする男の政治家はまず無理(笑)混迷の時には理屈で事は進まないため、場の雰囲気で突っ走る女性の方が合っている(笑)しかし今や一国の利益のみが通用する時代ではないため、誰が首相になろうとも安易な解決策など絶対にありはしない・・・

女性の政治家の欠点は、自分の論理でしか物を考えないという独善性にある(笑)自らの我を主張しすぎて身を滅ぼす(笑)いい例がドイツのメルケル首相。移民出身だから、移民を否定したら自らの否定にも繋がる。だからドイツは、移民という罠から逃れる事ができない(笑)人は自らの理念によって生きるが、その理念が仇となって身を滅ぼす。良い時であれば利点になるが、悪い時であれば欠点に変わる。「栄枯盛衰は世の習い」との言葉は、人の理念は時代の変化について行けないという、理念の欠点を的確に言い当てる(笑)
Back Ground Music: 風のとおり道 Energy flow

風の通り道に障害があれば、風の流れも変わる。人は風の流れを敏感に感じ取る。それを障害だと見なせば、自然と別の道へと移っていく。生きるという事は、変化に対する決断の連続にすぎない。離脱を自然な流れとみなせば、問題の本質が見えてくる

ヨーロッパのEUという壮大なグローバル化の実験は、「物のグローバル化」は有用だが、「人のグローバル化」は地域の崩壊をもたらす、という何とも都合の悪い結果になっている(笑)結局国を支えるのは人であり、人が移動すれば多数決の原理が働き、より人口の多い民族が地域を支配する。「人のグローバル化」は、民族移動による国の支配の委譲と言う、とんでもない結果をもたらしている(笑)

多様性を追求すると、少数が多数へと代わる逆転現象を生み、新たに多数となった者の独裁支配が始まる

という都合の悪い現実は、ダーウィンの進化論にも通じるものがある。より多く残ったものが支配するのは当然の摂理にすぎない。自らの弱点を補うための移民政策が、強化ではなく破滅へと変質してしまう。ヨーロッパの文化が、中東のイスラム文化に乗っ取られるという悪夢は、「人のグローバル化」を推し進めた必然でしかない(笑)EUの大実験は、国の文化の喪失という危機を生みだしてしまった

しかしこれはまだ取り返しもできるが、取り返しがつかない現実もある。異文化に取り残された人間は、文化になじめず、他の文化の破壊に走る。つまり無差別のテロが一般市民に襲いかかる。異なる思想が相容れる事など決して無く、その分断が人を狂気に走らせる。テロの根本的な原因は、思想(常識)の分断にある。一人の狂気が、社会を混乱の渦に巻き込む。人のグローバル化は、人の孤立化を生む原因ともなっている

アメリカのオバマ大統領は、人の孤立化を無くし、全ての人の平等を訴える。移民国家アメリカの正当な論理(日本は移民国家では無いので、この論理は当てはまらない。当てはめると移民国家へと変質する。エセ文化人は、人の平等を訴え移民国家になれと強要する。人の平等は原則だが、国家内での権利の平等はありえない。これは万国共通の論理。外国で日本人の権利を訴えても、そこで自国民と同じ扱いは決してされない)

しかしこれは、白人種の多数から少数への転落という、都合の悪い現実が待ち受ける(笑)対するトランプは、孤立主義を掲げ、今のアメリカの現状を守ろうとする。人のグローバル化は、今や国家の覇権争いという、国家レベルの問題へと拡大している(笑)同じ思想を共有する同じ人種内でも意思の統一は困難なのに、思想という常識が根本的に異なる集団の意思統一など、絶対にできる訳が無い(笑)強力な独裁国家なら可能だが(人類最高の英知を結集した国連でさえ意思の統一は無理)、民意を尊重する民主国家では絶対に無理(笑)民主国家とは、民意を反映させる国家にすぎないからだ(笑)

人のイデオロギー(思想)による支配が人種の違いを生み、国家という形を生み出してきた。地域に根ざした思想が地域に安定をもたらす。「人のグローバル化」による思想の分断は、社会を不安定化させる要因にしかならない。人はEUの失敗から、多くを学ぶべきなのだろう。国を発展させるには、国内の人材を育成し、国内の産業を育成しなければならない。「人のグローバル化」は国外からの人材の移転であり、「物のグローバル化」は国内の産業を移転するものでしかない(笑)育成を放棄するグローバル化という罠に陥ると、衰退への道を転げ落ちるはめになる

郷に入っては郷に従え。他の文化に溶け込める者のみが、「人のグローバル化」に対応できる。現状は溶け込むどころか、自国の文化を破壊する、異文化の興隆に邁進している(笑)結局人という生き物は、自分の論理で生きる者であり、人のために生きる奴隷では無い(笑)移民は自分達の都合のいいように生きるものだと勘違いしたため、EUは、今や移民に飲み込まれようとしている・・・

この構図は、奴隷により繁栄したローマ帝国とまったく同じ(笑)ローマ帝国は無理な拡大により、支配力が低下して自滅している(笑)EUは人類の理想を体現しようとしたが、現実はローマ帝国の模倣にすぎない。人を都合良く利用しようとすれば、必ず手痛いしっぺがえしを受ける。人は歴史から学ぼうとするが、現実はまったく学んでいない(笑)ローマの歴史家クルチュウスの言葉に「歴史は繰り返す」とある。人は利益に基づく経験からは学ぼうとするが、歴史という大きな流れからは学ぼうとしない(笑)

自らの問題は自らで解決する。これができない者は、滅ぶしか無い。ダーウィンの進化論は、思想による淘汰という厳しい現実を、思想に翻弄される人類に突きつけいてる

人ごとながら、「今更どうするの?」としか言い様がない(笑)日本も「人のグローバル化」を推し進めようとしているのだから、人ごとでは無いが(笑)やはりグローバル化を我欲で強行に推し進める、「自民党・民主党・NHK・新聞・テレビ」は切り捨てるしかない(笑)彼らも又、国民は自分達に都合のいいように生きる者だと勘違いしているからだ(笑)彼らの思考は、人を奴隷として利用するローマ帝国とまったく同じ(笑)

庇を貸して母屋を取られる。日本人の居場所が無くなる(笑)ロボット化により職が奪われると言いながら、人手が足りないと強引に移民を推し進める。理由は低賃金でこき使いたいだけ(笑)これがまかり通ったら、EUと同じ衰退の道を転がり落ちるはめになる(笑)
Back Ground Music: Ben-Her

ドイツの移民問題の解決策を模索すると、ドイツのジレンマが見えてくる。一番の問題は移民の人権問題。これを優先すると国内が崩壊する(笑)しかし放棄は人権の放棄と見なされる(笑)解決するには、この両方を満足させる必要がある。つまり移民を受け入れながら、国内への影響を最小限にする。つまり移民を受け入れる都市を造り、そこ以外には影響が及ばないようにする。隔離都市ではなく学園都市として機能させる。都市になじめる者のみを選別し、文化に適応できるよう教育する学園都市は、移民問題を解決するには最善なのかもしれない(笑)

しかしこの対策もキャパシティ(容量)の問題には対応できない(笑)野放図に受け入れれば、学園都市は際限なく拡大し、国が学園都市に飲み込まれる(笑)EU の一時的な難民受け入れと、選別と教育を行う機関として機能させることで拡大を押さえ込む。しかしこの政策が成功すると、EU はこの機関が排出する人間によって飲み込まれる(笑)高度に教育された優秀な国外の人材が、どっと押し寄せて、あっとゆうまに飲み込まれる(笑)

とどのつまり、移民の教育により、移民の社会進出を促し、移民が国内に溢れ、国内が移民の生活の場へと変質していく(笑)国内を移民が住みやすい環境に作り替えているだけ(笑)自国民の人権よりも、移民のための人権を優先する政策でしかない(笑)やがて民族の人口比率が逆転し、民族移動が完了する(笑)自国の文化は失われ、移民した民族による新たな支配が始まる(笑)何とも壮大で、壮絶な自爆的なスペクタクル!(笑)良き見本はイスラエル国家の樹立。みごとな移民による国家樹立を成功させている(笑)イスラエルの場合は追い出した形になるが、移民を受け入れた場合は、壮絶な自滅が待ち受ける(笑)

文化とは生活に取り入れるもので、押しつけるものではない。押しつける文化は、文化の侵略を意味する。成功すれば、国家そのものを乗っ取れる(笑)国家とは国民の生活を守るためのものであり、国民の生活を混乱させては国家の形そのものが崩壊する

国家とは国民の生活を守り、安定した社会を国民に提供するための互助組織にすぎない

他の国家が崩壊の危機にあるなら、国連が主導となって国家の立て直しを図る。移民の受け入れとは、国家を分割して他の国家に分配するような愚かな行為。ドイツの行為を正当化したら、国家は全ての貧民を受け入れなければならなくなる。ドイツの混乱の原因は、「社会の安定」という国家の役割をないがしろにした結果にすぎない

世界史に、広域的な民族(文化)の共生という歴史は存在しない(笑)一時的に共生はしても、衰退して消滅している(笑)文化とは常識であり、文化の違いとは常識の違いを意味する。常識が違う者同士が、共生できるはずも無い(笑)現代の移民国家は、国家に忠誠を誓い、国家という枠組みの中で生活する。言わば国家が文化の礎になっている。なってはいるが、現実は自らの理念となる文化を優先するため、国家内での紛争が激化する(笑)現実は文化の寄り合い所帯(笑)今では文化の元である、人種による差別にまで拡大している(笑)

人類に必要なのは、文化の共生ではなく、思想(常識)の統一にあるのだろう。SF映画では、文化という習慣を残しつつも、世界連邦という形で思想が統一されている(笑)世界に孤立主義が蔓延しているのは、文化の共生が破綻している証明でもある。国連を中心にした思想の統一化を図るのが最善なのだろう。文化の壁を取り払う、新たな思想・枠組みが必要になる・・・

しかし現在の国連は「歴代最悪の事務総長」が鎮座している(笑)「神輿は軽くて馬鹿がいい」と言うことで、国家の利益を阻害しない馬鹿なトップを据えたおかげで、国連がまったく機能しなくなった(笑)国連がまったく機能しないのだから、国際社会が混乱するのは当たり前(笑)人類の未来を託すべき国連が、無能な人間をトップに据えるのだから、いかに人類が愚かなのかが分かる(笑)国際社会の混乱は、自業自得にすぎない(笑)

EUの混乱の原因は、国連の機能停止という単純なもの。世界中の国々が大金を投入し、国際社会の安定のために作った組織が、無能な事務総長というたった一人のために混乱する構図は、人類が歴史をまったく学んでいない証拠でもあるのだろう(笑)無能なトップは、組織を崩壊へと誘導する(笑)国連もリコール制度を導入すべき(笑)

オタク文化で世界統一(笑)余りに困難な道なので、安直な方法しか思いつかない(笑)あらゆる思想・宗教・法律に優先する思想とはいかなるものか。国連を通じて、地道に実現していくしか無いだろう。国連が無能であれば、世界全体が混乱する(笑)

国内の人材を教育し、文化を発展させ、人の住み易い環境を作り出し、人を生み育てていく。これが国力を強化する正道です(笑)この道から外れると、国内が外部の影響を受け、少しずつ確実に変質していく。人のグローバル化を推し進めると、人材が国内の人間から、外国の人間に少しずつ確実に置き換わっていく・・・

移民は国家の侵略を意味する、というのは人類の歴史が証明している。証明しているが、人権を盾に正当化されている(笑)多文化主義は、自国の文化の崩壊に繋がる(笑)当たり前の事なのに、人の理念と理想という怪物に踊らされて道を誤る(笑)多文化を主張する文化ほど、他の文化を認めない(笑)文化とは本来排他的なもので、文化に根付いた法律を立法していく。法律の基礎となる最上位に君臨するものだからこそ、他と争う元凶になる。文化とは社会を支配する根本の原理であり、文化の混在は支配原理の混在を意味する

多文化主義とは、複数の文化という法律に分断された、分断国家を意味する。異文化の法がまかりとおる地域が出現し、国家そのものが分断される。移民は国家の分断を招く元凶です。法の異なる文化に、共生などどだい無理(笑)行き着くところは、支配の委譲か、支配の強奪という、ろくでもない結果が待ち受ける(笑)

人権問題と移民問題をごっちゃにすると、移民国家へと転落してしまう。ドイツは同列にしたため、移民が暮らす国家へと変質してしまった(笑)「NHK・新聞・テレビ」も又、卑劣な情報操作により日本を移民国家へと導こうとしている。日本に不要なマスコミとして切り捨てるべきだろう(笑)

土地の文化に溶け込める者のみが、その土地に根付くことが可能になる。人はこの意味を理解すべき
Back Ground Movie: 日本

「歴史は繰り返す」との言葉は、人の本質は変わらないという、人の愚かさを証明するものだ。人の本質と向き合う事が、問題の解決には必要になる

この問題の解決には、移民を生む争いを終結させる以外にない。正常な生活が送れる環境を整備する。これ以外の方策などありはしない(笑)中東問題の最大の問題は、イデオロギーという思想の違いにある。西洋の論理で解決しようとしても、イスラムの論理でひっくりかえる(笑)イスラムの問題は、イスラム流で解決してもらうしかしょうがない(笑)イスラム流で解決を図ると、イスラム原理主義に行き着き、問題がより深刻化するのだから、中東問題はどうにもならない泥沼と化している(笑)

イスラムの基本原理は、支配の絶対化にあるのだから、共生できるはずも無い(笑)これはイスラム教からの改宗を、死刑とする制度が証明している。イスラムを受け入れれば、国内にイスラム文化が定着し、イスラム法が国内法として定着する。宗教と政治の一体化が、イスラム文化の本質です。絶対主義は、民主社会に相反する異物にすぎない。寛容な民主主義に、絶対主義を受け入れれば、その先には無秩序な「混沌」が生まれでる。絶対主義は人を狂わす麻薬です。「法」は時代に合わせて柔軟な改正が必須なもの。「イスラム法」に改正などありえない(笑)「宗教」が「麻薬」だと揶揄されるのは、法の改正を認めず、法への絶対服従を迫る「絶対主義」だからに他ならない

「宗教」とは生きていくための「生活規範」。自らが定めた「行動規範となる絶対法」。人は誰もが「自分の宗教」に従って生きている。「こうあるべきだ」と主張し、それに従うように命令すれば、あなたは立派な「宗教家」(笑)無宗教者など存在せず、そこには「他とは迎合しない」という孤高の宗教家が存在するだけ(笑)

イスラムを絶対視するイスラム文化に、共生の道など存在しない(笑)イスラムの下では、全ての異文化は、支配下での自由しか認められない。できる事は協力ぐらいしかない(笑)イスラムとは、全てをイスラム教の下に隷属させる絶対主義。人の生活はイスラムの法が基準となり、イスラムの法の下で矯正される。イスラム文化を民主化しても、イスラム教を絶対視する世界へと自動的に回帰していく・・・

イスラム特有の問題は、異文化の人間には解決できない。下手に手を出すと、逆に噛まれて大けがをする(笑)とりあえず安全地帯を確保して、安心して暮らせる都市を用意する。只の都市ではなく、学園都市として機能させ、人材教育の場として機能させる。難民問題は、難民の地で解決を図っていくしかない。思想による問題は、思想でしか解決できない。イスラム文化の侵略には、西洋文化の侵略で対抗するしかない(笑)武力で思想は変わらない。戦争は冷戦以前の、イデオロギー(思想・常識)の戦争へと回帰していく・・・

人は土地に根付き、そこで生活するための文化を築く。人は自ら築き上げた文化という常識の下で暮らしていく。文化の破壊は、生活の基本となる常識の破壊であり、国内が大きく乱れる。文化とは何か、民族とは何か、国家とは何か。その意義が問われている



バーチャル・リアリティ
バーチャルとは「仮想現実」。つまり現実の仮想シュミレーションであり、現実ではできない事を手軽に実現できる。正に夢の技術と言っていいだろう(笑)しかし夢の現実は、所詮夢でしかない(笑)

バーチャルシュミレーションでは、現実の問題を解決する補佐として利用するため、非常に高度な技術と正確無比な精度が求められる。精度や設定が狂えば、間違った結論へと導かれる。バーチャルの利点は、膨大なシュミレートにより、失敗という現実を潰していけるという点にある。しかし必ずしも残ったものが成功するものでもない、という曖昧さが残る(笑)

コンピューターはシュミレーションの道具であり、正しい結果を導くための道具。正解により近づくための道具であるが、失敗に繋がる事もある(笑)失敗を回避するための道具としては、これほど便利なものはない。人は過ちの軌道修正を誤り、失敗に至る。コンピューターは、過ちの軌道修正を瞬時に行い、失敗の回避を延々と行う。失敗する道だと判断したら、躊躇無く切り捨てる。コンピューターの論理は、失敗の回避を基本にする

人がコンピュータに勝てないのは、膨大なシュミレートにより、失敗の回避を図るからだ。常に一歩先を考え、次に進めばどうなるかをシュミレートして失敗の回避を図る。過ちを潰す操作を瞬時に判断し、常に正しい結果を出そうと計算する。判断の元となる基礎データの数が桁違いなため、コンピューターに勝てる道理が無い(笑)コンピューターは論理で動く思考シュミレーターであり、人知を超える創造をも可能にする。その論理は、常に天才を模倣するため、正常に機能すれば最高の性能を発揮するが、一つでも間違うと只の凡人か狂人と化す(笑)最高の結果をもたらすか、最悪の結果をもたらすか。それは組み立てた論理に依存するし、機械が故障すれば暴走もする(笑)

人を模倣するのだから、人と同じ結果しか得られないのは当然だろう(笑)運に左右される部分は、コンピューターでも解決できない(笑)運に左右される部分であっても、コンマ0秒単位で修正を図れるのだから、コンピューターは馬鹿にできない(笑)コンピューターの利点は、休むことなく考え続ける事にある(笑)

人はともすれば、成功の論理を振りかざし、失敗の要因を潰さずに突っ走る。コンピューターは、失敗の要因を許さない(笑)

しかしこれは、倫理的問題を考慮しない場合のみ当てはまる。倫理的な解決には、倫理的な基準が必要になる。しかし、人の考え方が千差万別であるように、万人共通の倫理など存在しない(笑)存在しないからこそ、そうなるのも時間の問題と言えなくも無い(笑)

人の判断がいかに欲に左右され、自己本位であるかは、世界で戦争が無くならない現実が証明している。コンピューターが善悪を判断できるようになったら、戦争という非論理的なものなど真っ先に無くなる(笑)

バーチャルで現実を仮想化できるが、人間の判断は仮想化できない(笑)それは人の欲望を仮想化できないから(笑)人の欲望ほど非論理的で、非科学的で、非倫理的なものは無い(笑)だからこそ「人」が「人」たるには、この矛盾を乗り越える必要がある(笑)
Back Ground Music: リサージェンス

昨今、日常の現実とバーチャルを融合させた「ポケモン」のゲームが巷を賑わせている。これは現実社会をゲーム領域に見立てるという、新しいジャンルのゲームになる。このゲームが素直に人に受け入れられるのは、現実社会を嘘の領域と認識できるからであり、現実社会の歪みが広がっていると解釈する事もできる。これが悪い方にこじれると、現実社会との隔絶を生んでしまう

このゲームの危険性は、現実社会と架空のゲームの世界の垣根を取り払っている点にある。つまり現実と嘘の区別が無い。バーチャル技術は、本来現実社会の補佐として利用するが、補佐ではなく誤認する道具として利用している。理解しているのなら問題ないが、理解していない子供が利用するのは・・・

ゲーム会社は、ゲームの本質である、現実を誤認させて楽しむというバーチャルの世界を、現実社会に持ち込んでしまった。これが主流になったら、今まで築き上げてきた資産がゴミと変わる(笑)このゲームの世界観が暴走すると、現実社会の人間をも仮想だと認識する。麻薬で幻覚を見ているのとまったく同じ。いやいやいや・・・それはいくら何でもやばすぎる・・・

現実とバーチャルの垣根を払う危険性は、言うまでも無い(笑)高速道路を長時間運転すると、通常の道での運転感覚を失うのと同じ(笑)ゲーム会社は、相当やばい橋を渡っている(笑)自分はこのゲームは意識してやらない(笑)危機を関知するアラートが、全力で鳴っている(笑)

「ゲームと現実は別だ!」と完全に割り切っている人なら問題無い。しかしゲームで行う行為と現実は、確実にリンクしている。人の認識を誤認させる事が、吉と出るか凶と出るか。それはゲームを行う本人次第。現実社会にゲームの論理を持ち込む。やばい展開しか思いつかない
当然と言うか、周りの人間が次々にポケモンをインストールしている(笑)いい大人なのに、ポケモンがゲットできないと不満たらたら(笑)どこにでもいたら問題だろうがと、突っ込みを入れるしかない(笑)見ていると、単なる宝探しのゲームと同じじゃないかと思えてくる(笑)宝を見つけても、そこに実在しないし、何の見返りも無い。せめて特典でもあれば楽しめるのに(笑)嫌がる子供を外出させるためのゲームとしての利用価値はある。問題はどこにポケモンが潜んでいるかにある(笑)どこにでもいたら、最悪危険地帯に迷い込んで事故に遭う。広々とした公園や図書館などが望ましい(笑)いい大人がやるものではない(笑)

商売とリンクすれば、大人も子供も楽しめる? このゲームは商売とリンクしてこそ、最大の効果が得られる(笑)地図上に行けば特典があると表示されれば、これほど購買意欲を刺激するものはない(笑)しかし、こんな事していいのか? ゲームの範囲を超えている(笑)このシステムは本来、買い物の活用ソフトとして利用すべきものなのだろう(笑)「このお店は現在半額で特売中」と表示されれば、これほど便利なものは無い(笑)リアルタイムで特売情報が表示されるソフトなら、誰もがインストールして楽しめる

しかし運転中や作業中にはじゃまになり、最悪事故を誘発する。次々に移り変わるリアルタイムの情報は、併用しながら利用できるものではない

リアルタイムの情報と人はどう向き合うべきかを、このゲームは示唆している。人の生死にかかわる情報ならいざしらず、目先の安易な情報にひっかきまわされる、人の愚かさを嘆くべきなのだろう(笑)清貧の精神こそが、リアルタイムの情報と向き合う場合には必要になる

リアルタイムの情報とは、次々に流される情報の激流にすぎない。激流に身を任せると、処理しきれない情報に精神を乗っ取られる(笑)人には情報の許容量があり、処理できる情報の数には、人によって限度がある(笑)

容量を増やす努力と、情報を処理できる、高度な知性の開発に努力すべき。情報そのものには、何の力も無い。情報は人が活用してこそ意味がある。意味ある情報を上手に活用する事が、情報との正しいつきあい方

情報を活用できる体制を整える事が先決になる

人は必ず何かが欠けている。欠けたものを埋めるために、人は寄り集まって生活する。欠けたものを探し求めるのが、人という生き物
Back Ground Music: Mystic CrystalVan

人の指す将棋は面白い。人の性格が反映し、思考の駆け引きが楽しめる。対するコンピューター将棋はつまらない。あらゆる無駄を削除した、冷徹な正解しか無いからだ。プログラムを作成する人が楽しむための、プログラムの優劣を競うゲームにすぎない。プログラマーやシステムエンジニアのための、技術向上のための競技にすぎない

人と機械の論理は、根本的に異なる事を理解すべき。人の曖昧さ、欠点、欠陥の全てをそぎ落とし、最良の結果を出そうと、ありとあらゆる膨大な計算と思索をめぐらせる。機械の無茶な論理を人に当てはめると、人の精神は破滅する(笑)

思考ゲームは、人の思考の読みあいを楽しむもの。人と人との対決は、泥臭く、曖昧で、人間的な解決しかできない。人間関係、経歴、悪手、好手、疑問手の全てを楽しむのが、人と人との対決の醍醐味と言えるだろう。棋士が絶対に犯してはならない二歩を、時間に追われ、読み間違えてついうっかり指してしまう(笑)

人の勝負は、自分のミスとの戦いでもある(笑)ミスをしない自分を肯定したら、人の自我は崩壊する(笑)勝負の世界は、白黒だけの非情な世界。だからこそ人間的な感情が必要になる。コンピューターは、自らのミスを嘆きはしない。コンピューターとの対決は、何も生まない不毛な勝負

世間を騒がせている将棋連盟のゴタゴタは、人に対する不審(不信)が原因。これはどこにでも起こる日常の問題にすぎない。人は他人を100%信じ切れない。信用して裏切られれば、損失は計り知れない。人を信じ切れないのが人であり、それは当たり前の事でしかない(笑)人は感情という制御できないものに振り回される(笑)人の感情に振り回される将棋連盟は、人間味のある団体なのだろう(笑)相手の筋を読み切る勝負師も、将棋盤の外では人の心を読み切れない(笑)読み切れないのだから、疑問手・悪手が連発される(笑)将棋連盟は、将棋盤以外の読みあいは苦戦の連続(笑)不信によるゴタゴタは、そうそう簡単には決着できない(笑)人は疑い始めたらきりがない(笑)疑心暗鬼という最も厄介な事態に陥った組織をどうまとめるのか。将棋連盟のお手並み拝見といった所だろうか(笑)将棋が生活に役立つものかが問われている(笑)



Re:ゼロから始める異世界生活
このアニメは、はっきり言って面白い(笑)面白い理由は、「人の普遍性」を描き出しているからだ。人の変わらない普遍的な部分を徹底的に描き出す。何度も何度も過ちを繰り返し、その過ちを何度解決しても、何一つ変わらない。人の変わらない「業」とも言える普遍性を、容赦なく見せつける。経験を積むことで成長しているように見せてはいるが、その根本は何一つ変わってはいない(笑)

文学作品の「羅生門」のように、生死の境を舞台にして様々な問題を提起する。主人公がヒーローではなく「普通の人」なのが、この作品の最大のポイント(笑)テンポの良いストーリーと、軽快な音楽と、スピード感に溢れた映像。この三拍子が揃った、泥臭い文学作品(笑)

人は物事を経験し、経験を元にして正しい行動を模索していく。物事は根本的な解決を図り、正しく解決しなければ、経験した全てが無意味になる。困難と思われる根本的な問題の解決は、所詮人の判断で簡単に変わる事を、このアニメは示唆している。問題は根本的に解決しなければ、次の舞台には永遠に進まない。失敗とは物事を知る事であり、失敗した時点で次ぎの手段は見えている。知った事実をどう生かすのか? 生かすも殺すも、次の手段で決まってくる。失敗する事でしか、事実を知る事ができない現実を、いやおうなく見せつける

問題の根本的解決を厳格に規定し、問題の正しい解決を命題にする超問題作(笑)「変わろうとしなければ、理不尽な状況は何一つ変わらない」「問題は根本的に解決しなければ、次の舞台には進めない」

主人公が失敗を繰り返し、その失敗を繰り返さないよう、喘ぎ、もがき、悶え苦しむ。この姿を笑う人もいるようだが、笑う人は間違いなく自分自身を笑っている。これは過ちを繰り返す、人の「業」そのものだからだ。この作品は人の醜くい面や弱い面を主題にしているため、好き嫌いが明確に分かれる。問題を提起し、その解決を人に求めるため、このアニメは人を選ぶ(笑)
Back Ground Music: RedoParadisus-Paradoxum

アニメは音楽8分、内容は残りの2分で判断する(笑)基本BGM目的なため、音楽の出来不出来で好き嫌いが決まる(笑)このアニメのように、内容と音楽が調和するものは非常にありがたい(笑)歌の歌詞に重みが増し、心地よく聴いていられる(笑)評価なんてものは、所詮人の論理のこじつけ(笑)とらえ方は人それぞれ。楽しむのが一番(笑)



アフガニスタン撤退
アメリカは20年にも及ぶアフガニスタンの駐留を止め、完全撤退を選んだ。イスラム教を国教にする国に、民主主義など育たない(笑)テロを防ぐには、属国化するしかない。つまり、アメリカが統治者になるしかない。しかしアメリカは、アフガニスタンの民主化を選択した。明らかな悪手であり、撤退は当然だ

イスラム教が行動規範になるイスラム国を統治するには、強力な軍事力を有した、絶対的な統治者が必須になる。イスラム教は絶対主義。だから、絶対主義を体現する指導者が必然的に必須になる。民主統治など、イスラム国では不可能だ

アフガニスタンの国軍が敗走したのは、国軍が統治者ではなかったからだ。実質的な統治者はアメリカ軍。アフガンの国軍は、ただ従っていただけ。国を護る気概も無いし、イスラム教に敵対するアメリカに、協力する気など毛頭無い(笑)敗走するのは当たり前(笑)アメリカの撤退も、早くやろうが、遅くやろうが、その結末はまったく同じ。イスラム法に則った社会ができるだけ(笑)大統領が「やってられるか!」と投げ出したのは当然だろう(笑)老人のバイデン大統領の頭の中にあるのは、自分の事だけ(笑)広い視野を持てない老害患者に、大統領は務まらない。撤退は正解だが、やり方は最悪だ

アフガンの成り立ちは、多民族国家という寄り合い所帯。それぞれの民族による勝手な統治がされる国。だから、不正・腐敗が蔓延する。国としてまとまっていないのに、民主政治など絶対不可能。それぞれの民族が武器を持ち、民族特有の統治を行う。共通するのはイスラム教のみ。イスラム教を主体にする統治しかできないイスラム国。行きつく先は、イランと同じ(笑)アメリカが第二のイランの国家樹立を、後押しするわけがないだろうに(笑)

アフガンの民主化には、イスラム教と政治の分離が必須になる。宗教分離という、新たなイスラム体制を築く必要があったのに、アフガニスタンに丸投げしたのだから、うまくいく道理が無い(笑)アメリカは、西洋諸国の論理で民主化を試みたが、完全なる失敗に終わった。それが現実なのだろう

アメリカは試行錯誤を繰り返し、失敗しながら成功へと前進する国。失敗は経験と割り切って進む国。アフガニスタンは、良き経験となっただろう(笑)国を治めるのは、その国の国民だ。国民が変わらなければ、その国は変わらない。アフガニスタンの国民の意識を変えられなかったのだから、アメリカの駐留は完全な失敗だ

しかし、テロ対策から見れば、時間稼ぎができたので、完全な失敗とは言えないだろう。まあ以前と同じ、テロ集団の国に成り下がったのだから、内部分裂を仕掛けるしか手段が無い。アフガニスタンは、永遠に紛争が止まらない、紛争地帯へと突き進む

西洋の民主化を拒んだ、アフガニスタン国民の選択なのだから、アメリカに文句を言っても意味が無い。アフガンから逃げ出した自国民は、本来なら銃を手に取り、テロリストと闘うべき人達だった。テロリストと闘う気がない者達を、西洋諸国が受け入れるのか、非常にあやしい(笑)テロの温床になる可能性もある。アフガン難民の受け入れは、大いにもめることだろう

テロとの戦いは、今やイスラム教との闘いだ(笑)自爆テロを無くすには、そもそもそのような考えを改めなければならない。つまり、イスラム的思考を止める宗教政策が必須になる。イスラム教の改変はできないため、現代に適応できる宗教改革が必要だ。宗教学者をまきこんだ、大胆な改革が必要だ

出来るかどうかも分からない一大事業を、そもそもアメリカはやりはしない(笑)世界中のイスラムと敵対する気など無いからだ。対立しようものなら、自爆テロが頻発する。アフガンがイスラムで統治不可能だから、ロシアは完全に手を引いた。絶対主義のイスラムは、他の文化には統治不能

アメリカの撤退は必然だ。イスラムの民主化に、とほうもない年月がかかるのは間違いない。人類が進化しない限り、イスラム教の改定はできないだろう(笑)何十年・何百年かかるか分からない(笑)人は、自分に都合のいい制度は変えないからだ。国の法律は変えるのに、何故か宗教だけは絶対に変えない。時代に合わせ、法律は随時改正する。しかし宗教は、原本が基本だと改定を忌避する(笑)変えられるのは、何故だか宗教学者だけ(笑)その構図は独裁者とまったく同じ(笑)

決められたものは変えられない、と諭すのが宗教政策(笑)宗教の戒律とは、創った者に都合のいいもの。人全てに都合のいいものでは決してない。支配し、利益を得るのが制度の基本。人全てに都合のいいものと、一部の支配階級に都合のいい2種類が存在する。制度や戒律は、人を縛り、行動を制限し、行動を推奨する。それが人に良いものかは、創った者の思想によって変わってくる。時代の変化に対応できないのが、制度と戒律。変えられない制度や戒律は、洗脳と同じです(笑)

日本では「NHK」が良い見本(笑)放送法の「テレビを設置したら契約しなければならない」との理不尽な一文を、決して変えられない聖文と化し、それに生涯従えと強制する(笑)「NHK」はアフガンのタリバンと本質的にまったく同じ(笑)違いは銃で脅すか、裁判で脅すかの違いしかない(笑)若しくは、笑顔で騙すか、戒律で騙すか。その悪辣な行為はまったく同じ

タリバンが許せないなら、まず国内の「NHKの民営化」と「自民党」を討伐すべき(笑)他にも、欠陥制度で甘い汁を吸い続ける悪党は沢山いる。民主主義とは、制度を国民が改正できる体制を意味する。悪い制度は、国民の手により改正しなければならない
Back Ground Music: 妖獣都市



名言
名言は人の行動指針となる基本理念。名言は人の行動の基準となる。名言は人の生活を向上させる大切なもの。この名言は、様々なものから得ることができる。書物・映画・ドラマ・アニメ等々、どこからでも得られるのが名言だ(笑)

動画や小説が好きなので、当然のようにそこから名言が得られる。日常生活から得られるのが名言だ(笑)

アニメからは「シャー・アズナブル」の「戦いとは、いつも二手三手先を考えて行うものだ」。これは人の行動指針として大切なのものと言えるだろう。行動は一手先では無く、二手・三手先を考えなければならない。目先の欲に駆られた愚かな行動はしてはならないとの戒めだ。人は目に見えるものだけで判断しようとする。その先にあるものをしっかり見据えて行動をすべき、との教訓だ(笑)

この「シャー・アズナブル」、生涯を復讐に捧げた人物だ。いや~ありえん(笑)相手が悪党との前提だから、何をしても許される。との前提で話が進んでいくから、相手を騙す・陥れるのは当たり前(笑)いいのか、悪いのか、判断つかない人物だ(笑)だから人気があるのだろう(笑)

理不尽と闘う姿勢を表現した人物、と捉えるのが最善だ。目の前の困難と闘う際の、絶対に諦めない根性と、絶対に挫けない精神と、最良の行動を常に目指す心構えを教えてくれる。かっこいい、とは何かを体現する人物だろう(笑)

格言で言うなら、将棋の大山名人の「将棋は三手先まで読めればよい」、孫子の「策は三策なかるべからず」あたりになる。常に三手先まで読め、常に3つの策を用意する周到さが必要との格言だ。この格言を実現するには、状況を的確に読むための情報が必須になる。策を講じるには、入念な下準備が必要だ

前提として、格言の実行には状況の的確な把握と理解が必須になる。状況を読み間違えると、用いた策は失敗する。格言以前に、準備が万全かどうかが問われている(笑)日常生活では、状況をしっかり読み解く生活習慣が必要だ。そのためには、必要な情報を瞬時に得られる情報環境が必須になる。インターネットで常に検索する習慣が必要だ(笑)

「テレビで情報は得られない」「とりあえずググれ」「行動する前に一旦ググれ」「個人情報は公開するな」。これは現代の名言です(笑)
Back Ground: Doctor StrangeBATMAN

名言は人の生活から生まれ出る。だから、どこからでも名言は得られる。別に歴史上の偉大な人物だけから得られるものでは無い(笑)名言とは教訓であり、日常生活に生かしてこそ意味がある。日常に活用できるものが名言だ。名言は活用してこそ意味がある。何故名言と呼ばれるのか。それは、日常に活用可能なものだからだ

名言とは実行するもの。名言とは実行するための教訓だ。どう生活に生かすのかが試される

名言は自分に取り込むことで、自身の名言へと進化する。名言を日常に取り込むことで、まともな生活へと改善できる。人は何を基準にするかで、その行動が左右される。基準を誤れば行動を誤る。人には正しい基準が必須になる

人を判断するのに「座右の銘は何ですか?」との質問は定番だ(笑)座右の銘とは、自身を律する戒めだ。「ありません」と答える人は、戒めが必要な無い無法者(笑)人として、必ず一つは言えるようになるべき代物だ。まあ言えたとして、それが真実かどうかは分からないが(笑)

自分が好きな名言(座右の銘)は、マザーテレサの「暗いと不平を言うよりも、あなたが進んで明かりをつけなさい」というもの。人に優しく、人に厳しい名言だ。マザーテレサという人物を形づけた名言と言えるだろう。人格が如何に大切なものかが良く分かる

しかし、先のシャーアズナブルの人格は、見事なほどに破綻している(笑)人格と名言は別物だ(笑)行動の指針となるものが名言だ。名言には、無機的なものと、有機的なものの2種類が存在する。無機的な名言とは、行動を律する戒めだ。有機的な名言は、人の成長を促す指針となる

無機質な名言は、日常の行動の戒めだ。シャー・アズナブルの「戦いとは、いつも二手三手先を考えて行うものだ」もその一つ。他に「習慣は力なり」「継続は力なり」「千里の道も一歩から」「失敗は成功の基」などなど(笑)

有機的な名言は、人の成長を促すものだ。ヘンリー・デイヴィッド・ソローの「自らのものでないあらゆる道は悲運の道だ。だから自らの道を進め」。これは自分に関係の無いものに振り回されるな、自分に必要な情報を適切に選別すべし、等の様々な意味がある。有機的にあらゆるものと繋がっているのが特徴だ。広く応用ができる、含蓄の深い代物。人格形成に影響を与える重要なものと言えるだろう

名言とは自分自身で創るもの。自分に取り込み、自分のものに仕立て上げ、自分のものへと変えていく。名言とは、自分に取り込まなければ意味が無い。名言とは、食べ物と同じです(笑)即効性があるのが無機質な名言で、人を形づける精神性を養えるのが有機的な名言と言えるだろう(笑)どちらも人に必要で、偏ると栄養不足で病気になる(笑)

人に必須の栄養素。それが人を形づける名言だ(笑)
Back Ground: スターウルフ



UNIVERSE 25
年末を迎えて来年はどのような年になるのか調べていたら、ハンガリーの予言者、ババ・ヴァンガの予言が出た(笑)なんのこっちゃ、と見てみると、とんでもないことが書かれている(笑)「誰もロシアの戦争を止められず、そしてロシアが勝利する」のだそうだ。その的中した予言というのは、全て抽象的な言い回しで、固有名詞の予言は尽く外れている(笑)

予言は抽象的でなければならないらしい(笑)一つ自分も予言をしてみよう。「2と3に関わる年、海が割れ、沿岸に大いなる災いが訪れる」。何かそれっぽいのが出来た(笑)もう一つ、「二匹の兎と三匹の猿が喧嘩して、金を扱う商人達が莫大な金を喪失する」。中々にいい出来だ(笑)

予言とは「予測」を意味する。今や予測は「科学的なデータ」から導かれる。判断材料が揃ったなら、シュミレーションで未来の予測が可能になる。現代社会においては、判断材料され揃えれば、まともな予言が誰でも行えるということだ

昔は情報が揃うなど無かっただろうから、まともな予言など不可能だ(笑)しかし情報化社会においては、様々な情報が瞬時に得られる。予言は身近なものであり、今や日常と化している。それは「天気予報」であったり、カーナビの「ルート選択」であったりと、様々な予言に溢れている(笑)

「発達した科学技術は魔法と同じ」との言葉があるが、判断材料のデータさえ揃えばその先の予測ができるため、様々な行動が可能になる。予測は人の可能性を広げ、多種多様な手段を可能にする。予測ができないと、あらゆる可能性を潰し、人の路を潰していく。人にとって最も重要なのは、予測するための情報を十分に集めることだ。その手段が科学技術の粋を集めたインターネットと言えるだろう

来年の予測を調べていて表示されたのが「UNIVERSE 25」と呼ばれた実験だ。え!何だこれ、と見てみると、これまたすごいことが書かれている。まったく知らなかったので、何でこの実験が話題にならなかったのか不思議でならない。それほど衝撃的なものだった

「UNIVERSE 25」は「ウキィペディア」では出て来ない。「ジョン・B・カルフーン」の行った「ねずみ実験」として書かれている。この実験は、過密状態での異常行動を、ねずみの行動で検証したものだ。人が過密という異常な状態に置かれたとき、人はどのような結末を迎えるのか。その検証をねずみを使って実験している

この実験は、密閉された限られた空間で、生物がどのように繁殖するのか、その過程を検証する。この実験結果は、正におぞましいとしか言いようが無い。空間で生きられる限界の手前まで繁殖し、その後は繁殖をしなくなり、ただ生きるだけの無気力な引きこもりと成り果てる。求愛と繁殖を止めた生き物は、静かに絶滅へと向かっていく

過密化した世の中で生きていく弊害を、この実験は示している。人はのびのびと生きなければならない、ということが良く分かる。過密化とは、閉鎖された世界を意味する。人は閉鎖された異常な空間に放り込まれたら、まともに生きていけないことが良く分かる

人の視野が狭くなると、短絡思考に陥るのと似ている気がする。人は見えるものが少ないと、自分に都合のいいことしかしなくなる。子供の視界と同じです。経験を積んだ大人の視界と、経験の無い子供の視界が違うのは当たり前。経験とは、生きていくための規則・常識を学ぶことであり、判断の基準となるものだ。情報が閉鎖された空間では、人は判断の基準を学ぶことができなくなる

過密化した空間とは、自ら考えることを放棄した、閉鎖された空間を意味するのだろう。これを現実社会に例えると、どのような場所なのか。暴力で支配された独裁国家。情報を制限され、権力者に都合のいいだけの奴隷社会。権力者に都合のいい規則に従うしかない封建社会。テレビでしか情報を得られない一方通行の閉鎖社会。どれも人にとってまともなものでは無い

では人は何故このような閉鎖空間に閉じこもるのか。その原因は逃げ場が無くなるからだ。逃げ場が無いとは、そこから抜け出せないことを意味する。閉鎖された場所には、逃げ場が無い。取れる手段が無く、逃げ場が無くなると、閉じこもるしか手段が無い

閉鎖された空間が、人を如何に無能にするのかが良く分かる。普通に暮らしいてれば、世の中が閉鎖されることはない。しかし、暮らしている環境が閉ざされたら、閉鎖された異常な空間に変わってしまう

物事を改善できないようにすると、疑似的に閉鎖空間の構築が可能になる

逃げ場とは、様々な手段があり、行き先を自由に決められることを意味している。物事が改善できないと、そこで物事が停止する。「進まざる者は必ず退き、退かざる者は必ず進む」と福沢諭吉は言っている。これは、世の中では停滞しているものはなく、前に進むか後ろに退くかのどちらかしかない、と言う意味だ。改善できなくなると、物事が後退していくということだ

「改善できない」に事態に嵌ったら、後退して閉鎖空間が出来上がり、逃げ場が無くなって自滅する、ということだ。人を自滅に追い込むには、改善できないようにすればいいだけだ。難しいように思えるが、実は簡単に実行できてしまうから恐ろしい

人は「理解できない」と、物事を改善できない。人を騙すには、理解できないよう、情報を制限すればいいだけだ。政治家なら、改善できないよう「立法化」すれば、国民を永遠に閉鎖空間に閉じ込めることが可能になる。これを打破するには、最早「革命」しかない。現代社会の「革命」とは、選挙による社会の正常化。悪徳政治家は選挙で叩き落せばいいだけだが、選挙に無関心になったら、永遠に抜け出すことができなくなる。だから悪徳政治家は、投票率が上がらない、時代遅れの選挙制度を存続させようと必死になる。電子投票が可能になれば、民意の反映が瞬時にできる

この実験は「過密化して閉鎖された非人間的な世界」で生きる先には滅亡しなかない、と警告する。「閉鎖され閉じられた、非人間的な世界」とは、「情報の公開」無き閉鎖社会。人には自分で適切な情報を選び、自分で判断できる、自由な環境が必要になる。人には開かれた自由な環境を、自らの力で築かなければならない

人は定められた運命に抗わなければならない。抗わず、思考を放棄すれば、その先には滅びの路が待ち受ける。その現実を、ねずみ実験が証明する
Back Ground Music: THE SKY FALLS

「人の過密化」は「情報の過密化」にも当てはまる。扱う情報が膨大になると、正しい情報を選ぶ必要に迫られる。正しい情報、正確な情報、倫理的に正しい情報を、自分自身で選ばなければならない。選択を誤ると、その先には失敗が待ち受ける。金を失うか、時間を失うか、人生を失うか、信頼を失うか、命を失うか、それは誰にも分からない

情報量が膨大になり過密化すると、どうでもいい情報が溢れてくる。危機管理となる重要な情報と、生活に影響などないどうでもいい情報が同列に扱われる。情報の過密化は、情報の優劣を狂わせるということだ。人は情報の優劣と必要性を、自分自身で厳格に見極めなければならない

情報の選択を誤ると、人は勝手に自滅する。制限された情報の中に暮らしていると、適切な危機管理と情報管理ができなくなり、理解ができない、理解しようとない、無気力な無能力者へと変質する

この現実を、閉鎖空間で人が無能になって自滅していく「UNIVERSE 25」の動物実験が示唆している

人は自分で必要な情報を選ぶ能力を、しっかりと身につけなければならない。人は失敗するリスクを減らすため、学習し失敗しないための努力をする。失敗しないためには、人は死ぬまで学習が必要になる。学ぶとは、失敗しないための論理を身に付けることでもある

人が学習できない閉鎖環境に放り込まれたなら、おぞましい破滅が待ち受ける。何一つ学べない、失敗に気付けない、理解できない、何一つ改善できない無能力者が出来上がる
Back Ground Music: Tribute

人には情報を自由に活用できる環境が必要になる。自由に情報を選び、自由に情報をアップし、自由に情報を活用できる環境が必要なのだ。そのためには、情報を活用できるルール作りが必須になる。倫理に反する情報や人を騙す情報は、そもそも掲載できないよう制限する。そのような情報を見かけたら、通報により瞬時に削除できるようにする

情報を正しく活用するには、「倫理に反する情報や、人を騙す情報」が流れないようにする仕組みが必要だ。誤った情報が流れる仕組みは、単なる技術的な欠陥だ。欠陥は正していけばいいだけだ。単なる技術的な欠陥を、裁判でしか正せないようになったら、欠陥品が世の中に蔓延ることになる

世の中の欠陥は、改善して正していく。それが人の日常だ

世の中の悪人は、欠陥を正されないよう様々な手管を使う。欠陥を正せないよう、裁判でしか正せないよう規制する。欠陥を正せる仕組みを作らない。欠陥を隠蔽し公開しない。欠陥を欠陥として判断しない。欠陥を正しいものにしてしまう。欠陥を正しいものだと断定する

人は何故欠陥を正せないのか。それは「人の想い」は人それぞれだからだ。人によって「欠陥の定義」は異なる。それは自分に都合の悪いものだから、それは自分の教義と異なるから、それは自分に合わないから。人の欲望が渦巻く場所、そこには必ず人を狂わす利権・利益が有る

莫大な「利権・利益」が絡む場所には、「欠陥」が必ず潜む。それは「政治利権」であったり、「莫大な利益」であったりする。つまり、金は人を狂わせるということだ

欠陥を潰していくには、物事を理解する必要に迫られる。人には理解するための情報が必要なのだ。理解するための「経緯・検証・実証・予測」という膨大な資料化が必至になる。この作業をしないから、理解ができず、物事の改善ができなくなる。理解できない、理解させない、そこから世の中に欠陥が蔓延していく

日本を「UNIVERSE 25」に当てはめてみると、何故日本の出生率が落ちているかが分かる。「テレビは公共」と放送法で規制して、政府・政治家の行政は「テレビを公共」にすることを基準にして、全ての物事が決められる。つまり、テレビに情報を制限され、テレビが公共に対処するという馬鹿げた愚策が平然と行われ、テレビで政策の是非を問うという信じられない愚行が繰り返される

日本では国民を、情報をテレビに制限し、情報処理をテレビで行うという、テレビ社会という閉鎖された空間に閉じ込める。日本人は正に政府・政治家によって「UNIVERSE 25」の実験中なのだ。そりゃ、日本の出生率が落ちるのは当たり前

テレビを公共に制限する放送法という邪法に準拠する「NHK・新聞・テレビ」との決別は必至になる。「政府・自民党」の選挙での討伐も必至です。問答無用で切り捨てなければ、その先には逃れられない「自滅」が待ち受ける

それは「UNIVERSE 25」の動物実験が証明する
Back Ground Music: Tribute

日本の文明の進化を止めているのが「テレビを公共」にする放送法。放送法を実行するのが、日本の「政府・自民党」と「NHK・新聞・テレビ」になる

「NHK・新聞・テレビ」の記事を見ていると、「人を貶める・人の意見に従わせる・人の意見を見本にする」ものが大半を占める

新しい技術の公開や、物事の改善や、見本となる人の行為、などの「人の進化」を促す情報がまったく無いことが見えてくる。「人を誉めない・新しい技術を紹介しない・改善の道筋を記事にしない・人そのものを否定する・社会の欠陥を正そうとしない」。正に滅びの利権団体。マスコミなんかじゃない

文明開化の明治時代は、新しい技術・新しい思想・新しい制度が、海外から怒涛のように押し寄せた。人々は、新技術を取り入れ、民主思想を取り入れ、生活を向上させていく。文明開化とは、新しいものへと挑戦と、社会を生活をより良いものへと変えていく、人と社会の改革を意味している

対する文明の後退とは、新しい技術を取り入れない、より良き思想を取り入れない、より良き社会を目指さない、社会の改善を目指さない…。これは日本の「政府・自民党・政治家」と「NHK・新聞・テレビ」の行動そのものだ。日本の文明が後退している現実を、理解する必要があるだろう

この状況を端的に言い表すなら、理解させない、分からせない、改善の道筋を示さない、改善の手段を与えない。正に「閉鎖社会」の構築です

人を腐らせ、人を理解できない無能にするには、どのような手段が有用なのか。それには「人の意見」に従わせるのが一番だ。「人の意見」とは、その人の欲望・願望そのもの。欲望に盲従すると、人はその精神が蝕まれる。学ばない行動は、己の欲望のままに突き進む。人に必要なのは、正しい行い・正しい思想・正しい判断などの見本になる

それが正しいものか判断するには、その行動を見ればいい。それがいいものか判断するには、自分の役に立つものか、検証と実証をすればいいだけだ。自ら学ばなければ、人は判断など決してできない

「人の意見で判断するな」。これは、情報が氾濫する情報社会の鉄則だ

何故なら、学べるものではないからだ。学べないものは、人の精神を蝕んでいく。自ら学ばなくなるからだ。それは最早、人間と呼べるものではない

「テレビ」には「人の意見」しか存在しない。テレビは時代遅れの欠陥品だ。正に滅びの道具となる。人はテレビとの決別が必要だ。テレビを持つと、NHKから裁判に訴えられる。テレビを持たないことが、今やテレビとの決別だ。人はテレビを持たない生活を、学ばなければならない

「人の意見」の本質とは、「自分の意見を聞け!」「自分の意見に従え!」「そして、自分の糧となれ!」。人の意見が、欲望・願望と呼ばれる所以です。だからずっと昔からの教訓として「歴史に学べ!」と言われてきた。人の行動から学び、人の言動から学び、事の経緯を詳細に見ることで改善点を学んできた。人には理解するための情報が必要なのだ

「UNIVERSE 25」が言うところの閉鎖空間とは、人が学べなくなった環境とも言えるだろう。外界から閉ざされた空間では、どのような状態にあるか、自分では一切気付けない。だから、どうすればいいのか分からなくなる。つまり、適切な基準を設定できなくなる。自らの欲望に振り回される、愚かな日常に陥ってしまう

今の社会で一番良い見本は「ロシア」になる。「ロシア」の行動や理念を学べば、それが如何に危険な代物かが理解できる。「ロシア」の行動理念は、その「体制」を護ること。「体制」を護るためには、国民に対してどのような犠牲も厭わない。これは「閉鎖された異常な社会」の見本です

「ロシア」の政策をみることで、何が社会を狂わせるかが分かってくる。「ロシア」はテレビの一方的な「発言」が正しいものだと、国政により強制する。これは日本の政策とまったく同じ。人を支配するには、「情報の制限」と「テレビの強制」が必要になることが良く分かる

テレビを国民に強制するには、テレビを唯一の情報入手の手段にすればいい。そのためには「テレビは公共」だと法律で定めればいいだけだ。法律で悪事を正当化する、腐敗政治の典型です。日本の場合、放送法で「テレビは公共」だと定めている。日本もロシアと同じ、情報が統制された奴隷環境に転落している

「NHK・新聞・テレビ」は、放送法の「テレビは公共」を基本理念として活動する利権団体。その理念はテレビを生活の基本にし、全ての出来事を自分勝手に断定、全ての情報を記録せずに消していく。だから、物事の経緯が分からない、物事の理解が一切できない。「テレビは公共」は、全ての論理を狂わせる。「NHK・新聞・テレビ」との決別は必至になる。三種の暗愚と呼ぶべき「理解に必須の情報を渡さない。理解させない」ことを命題にする、解決しないことを仕事にする利権団体

「テレビは公共」との利権を護るためだから、国民を理解できない無能な馬鹿にするのが仕事になる。だから、理解できない・分からない・解決方法が分からない・解決できない、無間地獄へと引きずり込まれる

情報化社会では扱う情報量はあまりにも多いため、それぞれの分野ごとに分散化して、分野ごとに専門のメディアが情報を扱う時代へと変化した。全ての情報を扱う統合メディアは、今やその役目を終えている。「NHK・新聞・テレビ」と呼ばれた統合メディアの時代は、今や完全に終っている

「NHK・新聞・テレビ」は、今や過去の遺物です

「NHK・新聞・テレビ」は、そもそも理解させる気が全く無い。理解するための判断材料が、まったく揃ってないからだ。「これで、どう理解すればいいのか」となるのが、彼らの記事の本質です。最初から狂っているから理解できない。「理解できない」との違和感を感じる感性を、人は磨かなければならない

彼らの論理の基準は「テレビは公共」。だから、これに反するものは許さない。そもそも基準が狂っているから、その全てが狂ってる。視点が狂ってるから、まったく見当違いの方向に誘導される。まともに見えても、それは決してまともじゃない。行きつく先は「テレビは公共」。つまり、情報の隠蔽・抹消・改善の放棄。不正・腐敗を見ぬ振りをして放置する。過去の遺物は、物事を歪める元凶です

国民を問答無用で「解決できない」自滅に追い込むから、問答無用で切り捨てるのが最善です。結果がどうなるか分かった上での誘導だから、悪質なんて表現は甘すぎる。思い違いに繋がる事を理解した上でする確信犯だから、問答無用で切り捨てるのは当然だ。自分の利益しか考えないのが、人の意見の本質だ。だから、必要な情報が揃わない「NHK・新聞・テレビ」は、生活から切り捨てるしか手段が無い

人に行動を起こさせるものが情報だ。だから、情報が人に何をさせようとしているか、見抜かなければならない。人を騙す、人を偽る、とは理解させないこと。理解させないことが、人を騙すことにつながっていく。理解させない情報が、如何に卑劣なものか理解すべき…

扱う情報で、発信元の質が判別できる。生活に根差した情報で、理解を促すものは、発信元がまともなものだと判断できる。どうでもいい、質の悪い情報を垂れ流す発信元は、それが社会で重要な情報だと認識する、質の悪い発信元だと判断できる。流している情報で、発信元の理念が簡単に判断できる

情報とは本来、冷酷で冷徹な代物だ…。人はその行動から学ばなければならない
Back Ground Music: Tribute

世の中は、その全てがネットワーク状に繋がっている。人の脳細胞がネットワーク状に繋がっていて、関連する膨大な情報を、瞬時に記録し再現するのと同じになる。情報の繋がりが絶たれたら、適切な判断ができない不完全な情報に劣化する。情報とは関連する膨大な情報の集合体。そこに、人の勝手な判断など入る余地など微塵も無い

情報とは本来、人の意見・思惑などを排除した、冷徹な事実の経緯。人の意見・思惑が入った時点で、情報ではなく「人の意見」に変質する。情報とは基本非常に冷徹な代物だ。情報を弄ぶと、手痛い目に遭うのは当然だ

情報を勝手に選別し、内容を勝手に判断、勝手な「意見」を情報にすり替え、それを「公共」として国民に強制する「NHK・新聞・テレビ」。マスコミではない、「人の意見」を伝える利権団体。正確な記録データを残さないから、危機管理と情報管理が一切できない。問答無用で切り捨てるのは当然だ

正確な記録が、如何に難しいものなのか、自分でブログでも書いて体験するのが一番だ。役立つ情報を人に伝えるには、どのような手順で行うか、どうのような時に使えばいいのか、詳細な説明が必至になる。情報とは活用できて意味を成す。活用できない情報に意味はない。生活に活用できる情報を、自分で記録し、公開することで、情報の本質が理解できる

情報とは非常に冷酷で冷徹な代物だ。人は情報を見て、自分なりの判断を下すからだ。どのようにとらえるかは、人によって違ってくる。自分が良くても、他の人には許せない、など当たり前。だから、情報を弄ぶと大変な目に遭う。つまり情報を公開した時点で、真実として人に伝わり、人によって勝手に判断され、自分の意図するものとはまったく違うものに変質する

情報の公開とは「どうぞ評価して下さい」と、「自分の評価」を人に委ねる、非常にリスクの高い危険な行為

情報の公開とは、真実の公開。だから、情報を弄ぶと大変な目に遭う。気軽に情報をアップロードできる時代だからこそ、この現実としっかりと向き合わなければならない。発言の公開・情報の公開には、問題が無いか、何重ものチェックが必至になる。情報社会の常識として、情報の危険性を理解しなければならない

自分が情報を判断する場合、「情報を弄んでいるな」と感じたら、問答無用で切り捨てる。情報を受け入れるとは、それが自分の血肉となって取り込まれることを意味している。受け入れた時点で、それが自身の基準となる。世の中には、決して受け入れてはならないものがある。それは人の倫理であったり、行為であったり、思考であったりする。それが世の中の見本となるものか、しっかりとした判断が必要だ

情報は公開された時点で、どのようなものだろうが「真実」として公開される。それがインターネットの役割だからだ。公開された情報は、世の中で真実として活用できるかどうか、厳しい判断にさらされる

情報とは本来、冷酷で冷徹な代物だ

情報には重要度の設定が必ずいる。世の中にどれだけの影響があるかで、重要度が決まってくる。国民全てに関わるものが、最も重要度が高くなる。政治家の不正・腐敗などは、最も重要度が高くなる。個人の軽犯罪などと、比ぶべきものではない。情報の重要度は注目度とも言えるもの。日本では、情報の重要度が完全に狂っている

データベースのインターネット社会では、全ての情報に重要度を設定し、情報管理と危機管理が可能になる

情報を分類し、必要な情報を、必要な時に、必要なだけ得ることが可能になる。情報を適切に分類し、防犯・犯罪など危機管理に必要なもの、自分の生活改善に繋がるもの、今の生活に必要なもの、等々に細かく分類できる。人の生活に必要とされる情報は、詳細に分類し、適切に纏めなければならない
情報の管理には、情報の重要度を設定し、必要な情報と不要な情報を、しっかりと見極めなければならない。情報は自分自身で管理するのが基本です。情報管理に「NHK・新聞・テレビ」は使えない。何故なら、情報の重要度が狂い、情報を纏めようとはせず、情報を残そうともしないからだ。情報を管理するには、テレビとの決別が必至になる

全ての情報を重要度による優先順位を付けると、全ての国民に必要な「公共・事件・犯罪」などの危機管理が最優先。その次にくるのが「天気・地震・ニュース」など、地域ごとに異なるローカルニュース。公共情報は、政府・自治体が直接ホームページに告知して、直接対応すればいいだけだ。天気は専門業者がインターネット公開している。イベントなどは、イベント専門サイトが告知する。事件や犯罪は、雑誌や週刊誌が細かく取材する

一番最後になるのが、趣味や娯楽の情報だ。優先順位は最下位で、無くてもまったく困らない。「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」に、必要性など欠片も無い。興味のある人のみに必要なものだから、興味を引くように大々的に宣伝する。興味を引いて利益を得る。それが「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」の本質だ

人は学ばなければ成長しない生き物だ。だから、人は生涯学ばなければならない。人には学ぶための情報が必要なのだ。それは、ドラマであったり、小説であったり、漫画であったり、専門書であったり、解説書であったり、歴史書だったりする。これらは、人の行動の記録になる。人が何を行えばどうなるかを、物語に綴った行動記録。それを知ることで、行動の善悪を学んでいく

世の中の出来事は、正確に記録して残さなければ、何一つ分からない。悪党は情報を残さない。悪事を知られると困るからだ。情報を一切残さないよう強制するのが、日本の国政である放送法。日本の放送法が、悪党共に悪用されているのが良く分かる。悪党は情報の記録化を許さない。だから放送法で禁止する。情報の記録化が、如何に大切かが良く分かる

全ての情報は、その分野ごとに細かく分類され、重要な情報は「ウィキペディア」などに記録され、一般に公開される。最終的に、一般に公開された情報に一番の価値がある。多くの人が有料・無料で自由に手に入り、多くの人に影響を与える情報こそが、人の役に立っていく。情報は記録し公開し残さなければ意味を成さない代物だ

テレビは一切記録として残さずに、「人の意見」だけを垂れ流す。「人の意見」を持ち出す者は、「人の意見」に従えと誘導する。物事の経緯も、実際の状況も、実際の内容も、一切無視して「人の意見」に従わせようする単なる詐欺師。「人の意見」を持ち出す時点で、物事を理解させる気になどまったくない。詐欺師は「己の意見」で人を唆して人を騙す。情報化社会において、人の意見などに意味は無い。テレビがいらない、最大の理由です

何故そうなるのか、それはどういう意味なのか、いったいそれは何者なのか、これからどうなるのか。徹底的に物事を分析して予測するのが、情報社会の基本になる。世の中で絶対にしてはならない禁忌とは、人の意見を鵜呑みにすること。物事を知ろうとする時、「意見を匂わせる情報」は問答無用で切り捨てる。何故なら、人の意見は欲望に根差した戯言だからだ

人の意見。それは知るため・理解するため・解決するための情報なんかじゃない。個人による物事の勝手な断定だ。調べることを放棄した、勝手な物事の断定だ。そこで物事を完結させる卑劣な手管。このような記事の書き方をする所は、まともじゃないと判断できる。何故なら、人の勝手な判断を物事を理解・解決するための基準とするからだ。それがどのような結果をもたらすのか、どのような影響をもたらすのか、何一つ予測できない。人の勝手な判断を基準にする、まともでないものの見本になる

「まともなでない記事」は、そこが「まともでない発信元」だと人は勝手に断定する。「何でこんな訳の分からんもんを話題にするか。他にもっとすることがあるだろう。この話題にそもそも意味があるのか」。情報が如何に冷酷で冷徹なものなのか、その現実を理解すべき

まともなものか、まともでないか。情報はまずそれがまともなものかを判断しなければならない。状況を判断できるだけの情報が揃っているか、足りない情報で判断を迫っていないか、そもそもそれで判断できるものなのか。判断するには、判断できるものかどうがの確認が必ずいる。そもそも判断できない情報で、まともな判断など不可能だ。判断できない情報で人を唆して騙すのが、詐欺師による常套手段。勝手に出した結論は、大概ろくなものではない

人は物事を判断する時、全ての事実を繋ぎ合わせて状況を確認する。正しく状況を確認できたら、正しい基準に則って情報を分析し、正しい判断を導こうとする。そのためには、それが正しい基準なのか、それが正しい判断なのか、世の中の膨大な記録から導かなければならない。勝手な人の意見が、人の判断を誤らせる最大の要因だからだ

人に必要なのは、判断するための経緯であり、事実であり、正しい基準であり、正しい予測になる。そこに人の意見が入り込む余地など微塵もない
Back Ground Music: 武神

「禍福は糾える縄の如し」。物事は縄のように絡まっているのが現実だ。情報は丁寧につなぎ合わせる作業が必ずいる。全ての情報を繋ぎ合わせることで、全体像の理解ができる。全ての情報が繋がることで、情報は意味を成す。分断された情報は、人を惑わすまがいもの。人には様々な情報を繋ぎ合わせる習慣が必要になる

全体像の理解ができたら、他の情報や基準と比較する。「過去の歴史」から「こうしたらこうなる」との実例を学びながら、評価と判断を下していく

物事の全体像という膨大な情報と、過去の歴史という膨大な情報を繋ぎ合わせることで、正しい評価と判断が可能になる。情報は全てのものが繋がってこそ意味を成す

情報は単独では意味を成さない。多種多様な情報を繋ぐことを習慣化することで、情報の鵜呑みを止められる

正しい判断を下すためには、膨大な情報が必要なのだ。それを可能にするのが、膨大な情報の記録・公開・分析が可能な、データベースの情報社会。正しい評価と判断には、膨大な基礎情報を元にした正確な分析と予測が必要だ。情報社会では、一歩引いて、全体像を眺める余裕を持つことを要求する

それは、「正しい」ものと「間違った」ものを試行錯誤しながら判断するのが人だからだ。「正しい」か「間違い」なのか、それは人の判断によって変わってくる。だから、人の判断に左右されない「状況分析」が必須になる

情報化社会の自由とは、全ての統制がしっかり取れた、調和の取れた状態を意味している。調和を乱す異物があれば、即座に修正し、正常な状態へと戻していく。情報化社会の基点は、正常な状態を保つことと言えるだろう

情報化社会の基本は、異常の検知と修正です

異常を検知したら修正し、正常な状態に戻す。異常の検知と修正がセットになって、正常な状態が保たれる。情報化社会の役割は、正常な状態にすることだ。異常な状態を放置すれば、同じことが繰り返される。だから情報化社会では、何が異常で何が誤りなのか、その基準設定が厳しく問われる。人を裁いても意味が無く、何が異常を引き起こしたのか、その現状を正さなければ意味が無い

正常を保つには、何が異常で、何が正常なのか、その判別を正しく行わなければならない。異常と正常の区別は、人によって異なる。だから、人の意見に従うと、異常という罠から抜け出すことができなくなる。正しい基準に則った、正しい判断が必要だ

異常なものは、異常を決して正せない。これはまごうとこなき真実だ

情報化社会は全ての情報を記録する。何故なら、それが人の行ってきた歴史そのものだからだ。人の歴史は、正しく記録しなければならない。記録をしない、記録を残さないことから異常が始まる。記録が無ければ、異常を正すことができなくなる

記録をしない、正しい記録を残さない。そこから異常が始まり、異常が常態化し、閉鎖社会が構築される

改善できない閉鎖社会が構築されると、人は正常では無くなり、自滅へとひた走る。その現実を、「UNIVERSE 25」の動物実験が証明する