生活の覚え書き 9

北京冬季五輪
中国の人権侵害に対して、各国政府のボイコット運動が始まった。中国の人権侵害は酷すぎる。この運動に対して、何の問題も無いとの意見が散見される。所謂、大学教授とか有名人とかの意見である(笑)こいつら、自分が人権侵害された場合を、一切考えない愚か者。自分は何もされないから、他人が何をされようがお構いなし、との自己主張。考え無しの馬鹿揃い

人権侵害は、人として絶対に行ってはならない禁忌と言える。それを許すのだから、正に「人非人」の類になる。インターネットで公言するなど、人としてあり得ない。公言した者は、この事実に無頓着な愚か者。人として信用できない人間だ

北京オリンピックを応援するなどあり得ない。「シンドラーのリスト」とか、「杉原千畝」の行為を否定する卑劣な行為。時の日本政府は 「杉原千畝」を解雇したのだから、馬鹿な政府なら応援するのは当たり前か。日本の著名人は馬鹿揃いなのかと不安になるが、金に汚い著名人なら、きっと応援するのだろう

信念無き愚か者だと即断できる、良きリトマス紙と言えるだろう

そもそも北京冬季五輪に参加するなどあり得ない。単なるスポーツ大会に、神聖なものなど存在しない。スポーツを神聖視する馬鹿なら、喜んで行くのだろうが、人としては最低だ。その人物の理念を知らしめる、とっても素敵なイベントと言えるだろう(笑)出場を止めると宣言する競技者は、いったい何人いるのだろうか。その人は信念がある人だと、最高の評価をしてあげよう(笑)オリンピックのメダルとは比較にならない、人としての栄誉になる

自分の利益よりも、他人を思いやる心を優先するのは、人として当たり前の事だろうに。それが出来ない輩は、人権侵害に無頓着な最低の人間だ。競技者失格の焼印が問答無用で押印される

北京オリンピックに参加する人達を非難する必要などまったくない。非難は、参加する者達と同じ行為になるからだ。参加はその人の判断基準。判断はその人の自由。だから、非難ではなく切り捨てる。切り捨てるのが最善だ。何故なら彼らは、人権侵害に遭っている人達を見捨てているのだから…

金目当て、名誉目当ての競技者や団体ならば、喜んで宣伝し参加するだろう。スポーツは、人の理念が形として行動に顕れる。人の理念が狂ったものが、スポーツの訳がないだろう。それは只の金儲けの競技にすぎない

人権侵害を堂々と行う中国政府にすり寄るオリンピック。正にベルリンオリッピックの再来だ。スポーツと政治は関係ないなどあり得ない。国からの助成金で行うオリンピックに中立などあり得ない。平和の祭典では無く、政治利用される祭典だ

日本はオリンピックに3兆円もの金をつぎ込んだ挙句に、「国民の最後のセーフティ」と言われる生活保護費を引き下げた。自民党による情報の非公開によって、国民は正確な情報が得られないため、正しい判断ができずにいる。情報公開無き日本社会は、どん底に向かってひた走る。自民党が有る限り、まともな判断ができる情報化社会は訪れない

オリンピックは正常だ、と宣伝するものは、須らく狂っている。主犯のテレビは、問答無用で切り捨てだ。テレビとの決別は、NHKによる人権侵害・中国のジェノサイド・自民党の情報統制との決別だ。テレビは人権侵害を肯定する、人として忌むべきものへと変質した

テレビは今や、人を狂わす麻薬と同じ。テレビは宣伝の道具にすぎない。宣伝を情報にすり替えるテレビは、根本から狂っている。それが見えるものでしか判断しない、欠陥テレビの現実だ

北京冬季五輪は、言わば「アウシュビッツ」で行う競技会。こんな場所での催しを観るなど、人としてどうかしている。嫌悪するのが当たり前で、喜んで観るなど頭がおかしい。テレビは価値観そのものが狂っている

テレビ放送はまともじゃない。人として決して犯してはならない禁忌を平気で犯す。テレビは情報の重要度と必要性が完璧に狂ってる。テレビは「勝手に意見する道具」にすぎない。言わば「自分勝手なブログ」を映像化したものがテレビになる。テレビがいらなくなるのは当然だ

日本のテレビは狂ってる。「テレビは見てはならない時代」へと突入した
Back Ground: ワンパンマン



データの統合
トカラ列島の地震により、日本に津波注意報が出されたが、その影響がまったく見えない。時系列で日本の港の水位が分からない。日本全体の海水の水位が分からない。日本は港の水位の自動計測は行っていないのだろう。情報後進国だからしかたがない(笑)港の水位は、人の手で計っているのだろう。技術後進国だからしかたがない(笑)

スポーツ庁まで創って、オリンピックに3兆円、スポーツの年間予算に500億円浪費しても、何の問題も無いのだろう。日本の海水の水位の計測など、日本には必要ないそうだ(笑)津波なんて怖く無い、水位を計測しても意味が無い。被害があっても、後で計測すればいいだけだ。いや~、すばらしい論理で頭が下がる。自民党は素晴らしい(笑)

データの統合とは、個別データを統合し、全体像が分かるように数値化・グラフ化すること。データの統合により、全体が見えてくる。データは統合化しなければ、全体像は見えてこないし、理解もできない。数多のデータは、統合化が必須になる。まあ日本の場合は、政府・政治家が必要としないから、公に実用化されることはない(笑)

日本は自民党によって、壮絶なアナログ社会という、石器時代へと移行中。日本の公共情報の統合化など、夢のまた夢(笑)日本政府はオリンピックで国民生活の改善を図るそうだ(笑)公共情報の公開は、NHKで十分だそうだから仕方がない(笑)

まあ日本の政策で、データの統合はしないことが分かった(笑)しかし、生活にはデータの統合化は必須になる。膨大なデータの理解には、データの統合化が必要になるからだ。データの統合とは、全体像の把握であり、瞬時の判断には必須になる。つまり、データを統合しなければ理解できないということだ(笑)

パソコンでデータ処理しなければ、まともな成果は得られない。デジタル化とは、情報を数値化して、情報を的確に理解できるようにすることだ。デジタル化は、人の数値化なんかじゃない(笑)人の行動を文書化し、人の品質を明確にするため、デジタル化は悪人に嫌われる(笑)

テジタル化により、人が何をしてきたのかが明確になる。悪人にとってデジタル化は、回避すべき行為になる(笑)善人にとっては、悪人を特定できる、危機管理の道具になる。悪人には嫌われ、善人には危機管理として喜ばれる。それがデジタル化の評価の現実だ(笑)

しかし、個人情報は公開してはならない。何故なら、プライバシーの侵害になるからだ。デジタル化には、公開と非公開の線引きが必須になる

日本国内のツイッターやブログに、個人情報の保護など存在しない(笑)国民の発言全てが、裁判記録として適用される(笑)最早笑うしかないだろう(笑)毎日せっせと、裁判の証拠を書きなぐるのだから、正気の沙汰ではない(笑)他人を批判しようものなら、即裁判沙汰になり、損害賠償の支払いが待ち受ける(笑)この流れを作ったのが「政府・政治家」と、世間の情報の独占を謀る「NHK・新聞・テレビ」と呼ばれる利権団体

放送法によって、ツイッターとブログから、個人情報の保護が抹消された(笑)日本のツイッターとブログは、裁判沙汰になる証拠書類の提出だ(笑)

芸能人のブログやツイッターへのコメントが、人権侵害だと「NHK・新聞・テレビ」と「政治家」が騒ぎ立て、ブログやツイッターの発言は法的発言として裁判で裁かれるものになってしまった。コメントができないようにすればいいだけなのに、何でコメントが法的発言になるのか理解できない

そもそも、「コメントを書く権限」は利用者には無い。ブログやツイッターの作成者に、「コメントを残す権限」が与えられている。コメントの責任は作成者にある。残すも消すも、作成者の責任だ。何でも書けるコメントは、制御不能になるから、作成者が自分でコントロールするのが基本になる

ブログやツイッターの閲覧者に、コメントを残す権限は無い。「NHK・新聞・テレビ」と「政治家」は、大嘘つきの大馬鹿野郎!

つまり「政府・政治家」と「NHK・新聞・テレビ」にとって、国民の意見は害悪でしか無い、ということだ。つまる所「国民は発言するな!、国民は意見するな!、国民は批判するな!」ということだ

利権団体(三種の暗愚)の情報操作は恐ろしい…

結局、データの統合化には、「自民党」の討伐と「NHK・新聞・テレビ」からの離脱が必至になる。日本は放送法によって、データの統合化ができない三流国へと転落した。テレビとの決別は必至です

情報の統合化には、状況を把握するための膨大な情報の収集が必要だ。まず、正確な基礎データを揃えなければならない。統合化は適切なデータを揃えることが前提になる。データが揃ったら、パソコンを使って統合化する

場所・時間に応じた、個々の情報の羅列が情報の実態だ。羅列した情報を纏めて、理解できる情報にするのが情報の統合化。個々の情報からは、見えないものが見えてくる。全体を理解できるようにするのが、情報の統合化と言えるだろう

一つの情報で、判断がひっくり返るのが現実です。だから、現状を把握するための膨大な情報が必須になる

「情報は信じるものではない。単なる判断材料にすぎない」

個々の情報では判断できない。全ての情報が揃わなければ、判断などできないということだ。情報は時間の経過と共に増えていく。だから判断も、時間の経過と共に変わっていく。それが、リアルタイムでの判断を可能にする情報社会の現実だ

全ての情報が揃うことなど、現実的にあり得ないから、揃った情報での推定になる。だから、根拠のある情報・核心となる情報・人の意思が紛れ込まない事実でなければならない。つまり、完全な情報など存在しないということだ(笑)だから情報は記録し、蓄積しなければ意味を成さない

情報の統合化により、全体像を把握しなければ、判断などできない。だから「NHK・新聞・テレビ」に意味は無い。統合化以前に、情報そのものが無いからだ(笑)情報を記録としてしっかり残す。それが情報社会の基本です

必要な情報は一人々まったく違う。だから膨大な情報は分類され、専門化されていく。「NHK・新聞・テレビ」のような、全ての情報を一括りにする総合メディアはいらなくなる。というか、情報が存在しない「NHK・新聞・テレビ」からの離脱が必至になる(笑)ニュース専門サイト、科学専門サイト、料理専門サイト、政治専門サイトのように、分類され専門化されていく

専門雑誌がマスコミになり、週刊誌がマスコミ化し、スポーツ誌がマスコミの役割を果たし、海外のマスコミが評価の基準になり、東京新聞 Web・共同通信がマスコミの盟主となる(笑)ためになる情報の有る所がマスコミだ(笑)マスコミは利用者が育てる時代へと変化した。総合メディアの時代は完全に終っている

マスコミの役割とは、判断材料を提供し、しっかり残す。情報とは改善するめたの基礎データ。改善できない情報に意味は無い

自分に必要な情報は何なのか。それは自分に必要な情報なのか。それはそもそも情報なのか。それらをしっかりと考えて、自分で情報を選ぶのが、情報社会の生き方と言えるだろう

この情報に必須と言えるのが「信頼」と「正義」。これが欠けると、情報はガラクタへと変質する。信頼の無いものは只の嘘。正義が欠けると人を畜生へと貶める

ガラクタの情報の見分け方は、人の意見での正当化。人の意見で正当化をはかるのが、ガラクタの情報の見本になる。人の意見は、根拠のある情報なんかじゃない(笑)正当化できないから、他人の意見で正当化する。人の信頼を裏切るガラクタだ。今やNHKが良い見本。全てを「専門家の意見では…」で正当化する、詐欺の見本市と化している(笑)専門家を参考資料として活用するには、その正当性をまず証明しなければならない。根拠を示せ。それが情報の基本です

一つの情報が、まるで世の中の全てであるかのような状態は、非常に危険なものになる。他がまったく見えなくなるからだ。情報の独占と占有を謀る「NHK・新聞・テレビ」からの離脱は必至です

情報は分野ごとに深く追求する、情報の分散化の時代へと移行した



履歴
インターネットで情報を得る場合、ブラウザを操作して検索する。自分の場合、セキュリティが強固な「Firefox」を使っている。機能を追加するアドオンを使って、簡単に機能を強化できるからだ。広告が表示されないようにしたり、リンクのクリックで新しいタブで表示したり、表示しているタブ以外を一括して閉じたりと、便利な機能を簡単に追加できる

ブラウザで見たホームページの履歴は、後で数日分を確認できる。履歴によって、自分がどんなホームページを閲覧していたかが確認できる。確認すると、如何に自分が無能なのかが理解できる(笑)

人に公開できないのがホームページの履歴になる(笑)小説が時に半分近くを占めるため、自分の嗜好がバレバレだ(笑)

小説や映像を見ていると、行動が全てだと分かってくる。どのような行動をとるかで、その価値が決まってくる。人はその行動でしか判断できない

履歴は人の性質を暴く代物だ(笑)だから、人は行動履歴で判断できる(笑)何を成し、何を行う者なのか。人の本質は行動に表れる

ホームページの履歴で、調べる過程が確認できる。どこから情報を得て、どのように判断したのかがはっきり分かる(笑)情報は判断材料にすぎないため、比較検討と正しいものかどうかの検証が必須になる。検証は地味に面倒な作業になるために、当然省きたくなる(笑)しかし、省こうものなら間違いなく判断を誤る。情報の鵜呑みが厳禁なのが、実体験として分かってくる

「自分はこう思う」が「このようなものなんです」にすり替わり、物事が勝手に断定されていく。そこに根拠となるデータなど存在しない(笑)断定するなら根拠を示せ。「Wikipedia」の指針は、情報社会の名言と言えるだろう(笑)根拠となるデータを収集していくのが、インターネットでの検索だ。意見は収集しても意味が無い(笑)

人物を調べる場合、その行動を調べるのが基本になる。人は発言では判断できない。発言で判断すべきは、生活に影響を及ぼす者に限られる。政治家やマスコミなどの、発言が即行動に繋がる者だけに限定される。一般人の発言は、自己理念に基づく個人的な感情の発露にすぎない。それが犯罪や倫理に反した場合のみ、批判の対象へと繰り上がる。全ての発言を裁く行為は、言論抑圧の独裁だ

人の発言が許せないなら、中国の人権弾圧や、アフガニスタンの無法行為や、カースト制度に苦しむ人達のために戦うべき。これらは全て、人の勝手な発言による無法行為。発言は行為となって廻りに悪影響を及ぼす場合にのみ批判できる。発言だけで裁かれるようになったら、人権弾圧に他ならない

だから、人の意見は情報なんかじゃなく、切り捨てるべき戯言だ。人の意見を鵜呑みにすると、そこに悲劇が誕生する(笑)
Back Ground: 靴跡の花SPACE 1999

人の迷い惑う心を詠うテーマ曲は「ぐっ」と来る(笑)原本の曲はピッチ(速度)が狂っているため修正が必至になる。曲自体も迷っているのだから面白い(笑)サウンド編集ソフトで、ちょちょいと編集できるのだから、良い時代になったものだ(笑)曲の長さ・音程・ノイズ除去等々、自由自在に修正できる。音楽は、今や修正できる情報だ(笑)

う~ん、曲のテンポで印象がまったく違ってくる。テンポが速いと重厚さが無くなり、遅いと間延びした感じになる。中間をはかるのが難しい。多分速いテンポが正しいのだろうが、ちょっと遅くすると物悲しさがでて丁度いい(笑)物事は全てをきっちり決めなければ完成しない、というのが良く分かる(笑)

曲の重厚さに重きを置き、ほんの気持ち遅くする。これで自分が思うテーマ曲の完成だ(笑)繰り返し再生に耐えられる良い曲だ(笑)



独裁
ロシアのプーチンによる、ウクライナ侵攻が始まった。これは正に、ヒトラーによるポーランド侵攻と変わらない。世界は二度の世界大戦を教訓に、世界秩序を保つ国連を創ったが、大国には拒否権などという抜け道を用意した。これが国連の機能を麻痺させる最大の要因と化している。つまり、過去の教訓は何一つ役に立たなかったということだ

規則に抜け道を用意すれば、その規則は用を成さない。当たり前の事だが、これが当たり前のように用いられているのが現実だ

人は自分に都合が悪ければ、抜け道を必至に考える。考えた上で抜け道を規則化するのだから質が悪い。独裁が悪いのは、人類の歴史を見れば一目瞭然。しかし、人類は独裁を止められない。その理由が、規則を遵守できなくする抜け道だ

ロシアのプーチンは、いったい何時からロシアの権力を掌握しているのか。調べると、何と10年もの間大統領に在籍している。いくらなんでも長すぎる。アメリカでも8年の縛りを掛けている。プーチンが「KGB」と呼ばれる秘密警察出身で、権力を笠に着る政策が当たり前になっているのが現状だ。その任期も法律の改正で、次々と延長する。正に独裁者の典型だ

民主政治など欠けらも無い独裁国家。それがロシアの実態だ。軍事力を持つ独裁にまでなったなら、革命しか手段が無い。止められないのが独裁だ

ではどうすれば独裁を回避できるのか。それには過去の教訓を生かしていくしかない。国連は過去の教訓を生かせなかった。だからロシアの軍事進攻を防げなかった。国連に参加するなら、独裁を生まない政策を徹底的に遵守させる。遵守できなくなったら、国連から追放する。それしか多分手段が無い

独裁を許せば、独裁は止められない。それが紛れも無い現実だ

独裁は「対話など必要無い」との人権無視が基本だから、独裁に対話など意味が無い。独裁は都合が悪くなったら「対話で解決しましょう」との自己保身に走る。何も無ければ対話を拒否、都合が悪くなったら対話を求める。独裁に改革など存在しない。独裁に逆らえば、銃殺・暗殺・監禁が待ち受ける。独裁は革命でしか覆らない。それは人の歴史が証明する

独裁に対しては、毅然とした拒絶しか手段が無い

独裁を許し、独裁が強化されたのが「中国」と「ロシア」。独裁国家と民主主義が手を取り合った結果が、独裁化の強化なのだから笑うしかない(笑)完璧な独裁国家の北朝鮮は孤立化をはかったのに、「中国・ロシア」は完全な野放し。これで独裁化を止められる道理が無い

中国製品は買わない、中国・ロシアとの取引は停止する、などの手段が必要だ。何故なら、独裁に民主主義の道理は通じないからだ。独裁だから、自由経済など通用しない。独裁国家の国民は単なる奴隷にすぎない。だから、通常より物を安くできる。物が安いのは、国民の搾取と、出鱈目な経済のたまものだ

独裁国家との取引で利益を得るのは、独裁国家の体制そのもの。そして、独裁国家で安く物を仕入れる業者。国内より物が安く手に入るから、国内で物を生産できなくなる。つまり、国内の産業が衰退する。つまり、独裁国家が強化され、国内の産業が破滅する

独裁国家はまともじゃない。まともじゃないから、まともな対話・経済常識は通用しない。つまり、独裁国家は対等に付き合える相手などでは無い、ということだ。独裁国家と付き合えば、独裁が強化され、自分の身が脅かされ、自分自身が破滅する

独裁に対しては、断固とした拒絶が基本になる。独裁との対話は、独裁の強化に繋がるだけ。それは第二次大戦のヒトラーが証明する。独裁国家との「宥和政策」により、独裁国家が強化され、第二次大戦が勃発した。ロシアのプーチンとまったく同じ。過去の教訓は生かさなければならない

独裁とは、人の人権を踏みにじる狂気にすぎない

プチーンはどうやら病気らしい。パーキンソン病やアルツハイマーなどの病気により、正しい判断ができないらしい。病気による誤った判断が戦争を起こしたのなら、これは新しい戦争と言って良いだろう。過ちを正せない制度が戦争をひきおこす。独裁により権力が集中した結果、狂った人の判断によって戦争が勃発する

独裁が如何に危険な代物なのかが良く分かる。暴走を止められない制度そのものが原因と言って良いだろう。制度が狂うと、人も暴走して狂っていく。人には暴走を止める歯止めが必須になる

制度が狂い、人の歯止めが効かなくなって暴走する。制度の狂いを放置したなら、戦争までもひきおこす。これは現代社会の根深き病巣だと言えるだろう。ロシアの戦争行為は、ロシアの欠陥制度がひき起こした暴走行為にすぎない。主役はプーチンだが、新の元凶は独裁を許す欠陥制度を放置した、ロシア国民にある…と言えるだろう

こうしてみると、ロシアの戦争は惨めなものとしか映らない。そこに正しい判断など存在しない。そこに正義など存在しない。そこに民意など存在しない。そこには、人の暴走があるだけだ…

これは決して他人事なんかじゃない、日本でも自民党による欠陥制度が蔓延している

情報社会と呼ばれる現代社会。情報が如何に大切なものなのか、声高々に叫ばれる。しかし現実は、情報を制限し、情報を記録せず、人の言葉が情報にすり替わり、人の発言が即裁判沙汰へと発展する。日本の情報環境は最悪だ…

どんなに情報があろうとも、それが活用されなければ意味が無い。情報がしっかりと活用されているのか、その確認が必要だ。日本は管理者の責任を一切問わない、との悪習が蔓延っている。最悪なのは「政府・政治家」の責任を問わないことだ。日本のトップである政府・政治家が、情報公開を阻む最大の要因と化している。日本で情報公開が進まないのは、政府・自民党の責任だ(笑)

ロシアの二の舞を踏まないためには、テレビと自民党との決別が必至になる。まず最初に考えるべきは、誰が責任者なのかということだ。責任者に権限が集中すると、必ず腐敗し暴走する。これは人の本性だ。権力の集中は防がなければならない

「あっしには関係ない事でござんす」との名台詞は、今日の管理者の常套句と化している
Back Ground: 木枯し紋次郎



伝える
伝えるとはどうゆう意味か。言葉や映像や文字などで、人に知らせるのが一般的だ。では知らせるの意味は、他の人に知らせるようにすること。伝えるとは、正確に状況を他人に知らせることを言う

正確に伝えるには、状況をそのまま伝えるのが一番だ。理解や判断には、どのような状況にあるのか、それを知るのが先決だからだ。伝えるとは、理解や判断の手助けをすることに他ならない

現代は情報社会へと進化している…はず(笑)瞬時に情報が得られ、適切な判断ができる…はず(笑)しかし、現実はそうなってはいない。それは何故か? 情報を正確に伝えていない、としか言いようが無い

ロシアの侵略戦争が、ロシアではファシストとの正義の闘いだと報道され、日本では状況と影響が見えてこない。リアルタイムで情報が得られる世の中で、報道記者が潜入し、その様子を伝えるだけ。Webカメラを使って、状況をリアルタイムで流せば、何が起こっているかは瞬時に分かる

戦争を止めるには、戦争の可視化が一番だ。リアルタイムで戦争の現状が確認できれば、如何に愚かな行為なのかが理解できる。情報社会においては、通信の自由が報道の自由に繋がる。誰が伝えるものでもなく、設置されたWebカメラが、起こった事実を正確に伝えてくれる

戦争の現実が見えないのは、戦争によって情報が退化しているからだ。情報の退化とは、現状の確認ができないこと。最大の要因はテレビ放送だ。人の意見が情報にすり替わり、状況の把握が一切できない。テレビという「意見する魔道具」からの離脱は必至です

ロシアもウクライナも、情報の公開が一切無い。情報戦だと言いながら、断片的な情報しか流れてこない。戦争だから、互いに情報を都合のいいように利用する。戦争が如何に醜いものかが分かる。何故ならそこに、被害を受けた国民が存在しないからだ

SF映画では、物事の状況が手に取るように分かる。映画や小説などでは、場面が詳細に語られる。しかし現実の戦争では、何一つ見えてこない

情報社会で戦争を止めるのは簡単だ。軍事衛星、監視衛星、ドローンなどを駆使して、戦場全てを詳細に映し出す。そうすれば、人殺しの戦争などできなくなる。戦争とは人殺しだ。殺人の現場をリアルタイムで公開すれば、廻りが黙っている訳がないだろう

犯罪は密室で行われる。だから犯罪は暴かなければならない。戦争も同様に、その実態を暴かなければならない

戦争はどちらも正義を振りかざし、どちらも引かないから悲劇になる。泥沼に嵌まり込むのが戦争だ。だから、真実から目を逸らしてはならない

変革の時には、事の善悪が明確になる。はっきりさせなければ、悲劇を止めることができないからだ。曖昧にしてきたことが、明確な悪へと繋がることが分かってくる

明確にしないことが美徳とされる日本は、今現在、正に泥沼に嵌っている

「人」は「人」を裁けない。それは現在の国連を見れば一目瞭然。それは「人」が世の中の一部として取り込まれているからだ。だから「悪党」を排除し、まともな社会環境を創るしかない。「悪党」とは「社会秩序」を乱す者。この戦争の場合は「独裁」になる

「一般市民」をいくら批判・糾弾しても意味が無い。「人」を裁く行為は「独裁」と同じです

社会問題の解決とは「社会システム」を作り変えることに他ならない。よって「悪党」とは、システムそのもの、又はシステムの管理者を意味する

「人」を裁けば裁くほど泥沼に嵌まり込む。それは「独裁」と同じ行為にすぎないからだ。それは人の「虐殺の歴史」が証明する

「どうすれば改善できるのか」。それが生活の基本になる。「改善」できないのが「悪」になる。「間違い・誤り」を認めないのが「悪」になる
Back Ground: STAR TREK

日本の場合は「テレビ」が「公共」として堂々と居座っている。ロシアのプーチンとまったく同じ。アメリカでは「公共放送」はとっくの昔に終わっている

「社会システムは変えられない」「間違いは正せない」。正に日本社会・日常生活劣化の元凶です

日本の劣化具合は末期的。テレビとの決別は必至です…

日本のテレビは末期的だが、インターネットの「SNS」も同様に末期的だ(笑)「人の発言」を鵜呑みにすることが、如何に危険なことなのか。それが世界規模で起こっている。ロシアや中国もそうだが、フィリピンでは「SNS」での洗脳が余りに酷い

日本も同様に「SNS」が「人の発言」に毒されている。「SNS」は状況の確認や連絡には都合がいいが、プロパガンダに活用されると、テレビ以上の被害をもたらす。結局、道具は使い方を誤れば、人に危害を与えるものになる、ということだ。テレビは持たなければいいだけなので、簡単に避けられるが、「SNS」は身近な存在として擦り寄ってくる

善人を装って近づけば、簡単に騙される(笑)人の言葉は鵜呑みにするな。これは、テレビもインターネットもまったく同じ

日本も政治家の見栄えのいい言葉に、簡単に騙される(笑)その中身を吟味しないのが、人の愚かさなのだろう。情報が沢山あれば、人は正しいものを選べる。というのは、完全な間違いと化してしまった(笑)

「自分は正しいものを選べる」との勘違いが、軌道修正ができない、愚かな現状を生み出している。人はまず、「正しいものとは如何なるものか?」。その判断基準を鍛える必要があるのだろう

人は本来愚か者なのか? いやいや、それは違うだろ(笑)う~ん、学ぶのが嫌い? めんどくさがり? う~ん、たぶん流され易い。だから、簡単に人の言葉に騙される。思考を放棄すれば、何も考えなくてもすむ。善悪の基準に悩む必要も無いし、正誤の判断も必要ない。思考の劣化が、人を愚か者へと変えていく…

思考を鍛えるには、いったいどうすればいいのか。徹底的に自分で考える習慣が必要なのだろう。色々な経験を積み、色々な体験を重ねて、自分自身で解決する手段を模索する。これはとても面倒だから、人は回避しようと思考を放棄するのか(笑)これを楽しみに変えるのが、人としてあるべき姿、と言って良いのだろう

確かに、テレビとSNSは簡単に流される(笑)そもそも言われたことしか分からない「テレビとSNS」は、問答無用で切り捨てだ。「テレビを捨てろ!」と強要するNHKが、如何に親切かが良く分かる(笑)さすが自称公共放送。テレビが如何に人に悪いか、良く理解している。テレビは破滅に導く誘惑だ

人には無用なものや害のあるものに対して「いらない!」「必要無い!」との拒絶が必須になる

ウクライナの戦争の報道では、Youtubeの「テレ東」が一番分かりやすい。テレビ局から個人まで色々見たが、「自分の考えでは」が基本であり、歴史的な背景や国民性の考察などが欠けている。その中で「テレ東」だけが、しっかりとした解説を行っていた

社会主義などという欠陥システムを生み出した国だから、まともな政治体制を築けない。ロシアの狂った政治体制が、自国民、ひいては回りの国々を不幸にする。日本も無能な政治家のおかげで、社会環境が悪化している。ロシアは決して他人事なんかじゃない

印象的なのが、ムーミンの「だれかを崇拝しすぎると、ほんとうの自由は、得られないんだよ」との名言の引用だ。絶対的な支配者は、多くの国民からの支持を得て、やりたい放題ができる。それが戦争の引き金になることを、支持している人達は分かっていない。戦争を経験した作者が、言いたかった言葉だろう

「全てを人に委ねる行為は、自由の放棄に他ならない。独裁者による戦争は、崇拝する国民によって起こされる。自分で考える人になれ」、ということなんだろう。絶対的な正義は存在しない。それはまやかしにすぎない、ということが良く分かる

国連がロシアを明確に批判できない状況が、明確な正義など存在しないことを証明する。核大国を断罪できない国連は、それぞれの国に判断を委ねる。核戦争を起こさないのが、国連の明確な正義になっている。ロシアが核を使えば、ロシアは本当の地獄をみるだろう。他の国々との繋がりを完全に断たれる

ロシアの侵攻に恐怖し、日本が軍拡に走るのは、ロシアと同様の愚かな行為といえるだろう。平和憲法は、戦争をひきおこす愚かな政治体制との決別だ。身を守る術としての軍隊を持つのが基本になる。侵略されないための方策は、他国との同盟など多様な手段がある。日本は短絡的な思考に陥らないことが重要だ

戦争の考察は、直接的な戦闘よりも、人に対する考察が重要だ。単なる戦闘の考察は、軍事評論と変わらない



全体主義
吉野家の役員による不適切な発言があった。だから吉野家が徹底的に叩かれている。マスコミや巷の人々が、口々に吉野家を非難する

一役員にすぎない者の発言が、吉野家の発言にすり替わる。一個人の発言が、全体の責任へとすり替わる。このようなものを全体主義というのだろう。これは非常に危険な思考であり、個人の人権をも磨り潰す

全体主義は、為政者やマスコミなどには都合のいい代物だ。何故なら、自分達には適用されないものだからだ。適用される国民は、たまったものではない。正に自分の首を絞める自殺行為

吉野家を批判する論理とは、江戸時代の藩の取り潰しの論理とまったく同じ。殿様が間違いを起こしようものなら、家臣もろとも取り潰し。家臣はたまったものではない。この論理の小賢しいところは、間違いなく誰かに都合の良いものだということだ。藩の取り潰しは、幕府に都合がいいものだ

ではいったい誰が得するのか。イメージだけで判断することを推奨するのだから、テレビ・マスコミ・宣伝に都合がいいのは間違いない。会社で働く国民や、自営業の国民には、一切利益のない代物だ。逆に国民自身の首を絞める自殺行為にすぎない

考えない馬鹿とは、イメージで物事を判断する馬鹿を言う。国民を無能化するには、イメージだけで判断するよう仕向けるのが手っ取り早い。善人を装えば、悪人でも許される。イメージ戦略は、人を考えない無能な馬鹿へと変質させる

叩かれている役員は、聞いている人達にイメージしてもらうための例えとして引用したのだろうが、その引用例が余りにも非常識すぎた。「これは引用としては間違っているが…」と一言言っておけば問題は無かっただろう。一言いい忘れただけで、職を失い、人間性までも疑われるのだから大変な世の中になったものだ。公の発言には慎重に慎重を重ねなければならないのが良く分かる

と思っていたら、この役員、色々と問題があるらしい(笑)吉野家のイメージ戦略自体にも問題がありそうだ。目立ちたがりは、色々と問題をひきおこす。イメージで世の中を渡り歩く人間は、何を言おうが気にしない。とりあえず吉野家で働く人達には、まったく関係の無い代物だ

イメージだけで判断する、愚か者の結末がここにある。イメージで判断するのが、如何に愚かなことなのか、その実列がここにある

このような人を無能化するイメージ戦略にも利点はある。政治家が不正を行ったら、所属する政党は潰さなければならない。マスコミが誤った行為をすれば、そのマスコミは潰さなければならない。正に正論である(笑)



文明後退
日本の文明は明らかに後退している。必要な情報が得られない。社会問題が解決しない。悪癖・悪行が繰り返される…。社会問題がゴシップにすり替わる

日本は「テレビが公共」に限定される超劣化社会へと驀進中。「自民党」が生活の中心に「テレビ」を据えて、「テレビ」で社会を支配する。テレビ利権の総本山である「総務省」は、今や日本劣化の元凶だ

「何で情報が生かされないのか?」との質問に「テレビが公共だから」で完結する日本社会(笑)科学技術関連は、順調にインターネットに移行しているが、公共・社会・時事情報は、今だテレビが中心だ(笑)生活の向上などある訳ない(笑)

日本は「消えて無くなるテレビの情報」が生活の基本になる…。こりゃ終わったな(笑)「自民党」が「侮辱罪」などという時代錯誤の人権侵害の邪法を成立させる理由はここにある。「批判したら」問答無用で裁判に引きずり込まれる。日本の劣化がますます進む

「自民党」は世の独裁者と同じです。自分に都合のいい法律を次々創り、国民の権利を縮小する。気付いた時には、もはや手遅れ。選挙で「討伐」などと言う段階は、もうとっくに過ぎている。選挙で落とさなけれれば、国民は一生奴隷です

行政からの情報公開がゼロだから、社会の改善がまったく不能。国民は奴隷生活を強いられる。「自民党」の「討伐」は必至です

「テレビ生活」とは「情報公開」なき「奴隷生活」。情報の非公開とは、危機管理不能を意味する。だから、確実に破滅する。テレビ社会からの脱却が、まともな生活の第一歩
Back Ground: Dune復活の日

ごく最近の知床遊覧船の事故も、事故歴・船歴・監査の状況などの情報が公開されていたなら、利用者は別の判断もできただろう。そもそも選ばない可能性が非常に高い。行政の情報非公開が招いた惨劇とも言えるだろう。事故の後に、杜撰な管理体制を知らされても意味が無い

責任者を追及するのも大事だが、それ以上に同じ事故が起きないようにすることが重要だ。日本は情報の公開が機能しないため、同じ過ちが何度も々繰り返される。改善できない社会は、奴隷社会以外の何ものでもない。同様の悲劇を防ぐため、どのような情報が必要なのか? その議論が起きない日本は、正に奴隷社会に転落している

情報公開とは、そもそも判断ができる材料を提供し、適切な判断ができるようにすることだ。行政が持つ情報を公開しない。その意味は、政府・政治家に都合の悪い情報は公開しない、という杜撰なもの。行政の情報非公開は、国民に対する侮辱以外の何ものでもない

国民は判断材料なしに判断しなければならなくなり、次々に事故や事件に巻き込まれる。奴隷生活からの脱却には、「宣伝が全て」「テレビが公共」の自民党の討伐と、テレビからの脱却が求められる。テレビは持たない。今や生活の基本です

テレビを持たないことで、情報のもつ意味が分かってくる



自動補正
誤りを自動的に補正する機能は、コンピューターではごく一般的な代物だ。車や電車の自動運転も、自動補正により適切な運用ができる。補正の意味は、過ちを正す、正しい判断をする、状況に応じた判断を下す、などなど色々ある。一般的に補正は正すの意味があり、補正によって正しい結果が得られる

補正ができなければ、正しい結果は得られない。だからコンピューターは、過ちを徹底的に検知して、正しい結果を得ようとする。実際はプログラムでやっているだけだが(笑)

世の中が劣化していくと、補正の意味を理解しない人が増えていく。何故なら、世の中が劣化すると補正が効かなくなるからだ。所謂、無法が蔓延ることになる。劣化した世の中では、正しい結果が得られない。だから、人には補正が必須になる

補正をしなくなると、補正しないことが正しいことに変質する。正に劣化である(笑)劣化の怖いところは、それが正しいものだと思いことむ事にある。劣化していることに、本人はまったく気づかない

インターネットに、泥酔したミュージシャンの演奏に苦言を呈した人が叩かれている、との記事があった。これは正に劣化の実例だ。泥酔しながら歌って、まともな結果が得られるのか。肯定する思考は、人の劣化に他ならない。人の思考の補正が効かなくなった、正に良き実列と言えるだろう(笑)

以前におしゃれな喫茶店で、歌の上手な人が演奏をしていたので、気に入ってたまに通っていた。しかし、お酒を飲みながら演奏をしている人がいたので、その喫茶店への想いが一気に冷めた。正にドン引き。よって一切行かなくなった(笑)音程は外れるわ、演奏は稚拙になるわで、聞いている人を馬鹿にしているとしか思えない。本人は酔って、いい気分で歌っていたが、聞く方はたまったものではない

プロのミュージシャンが苦言するのは当たり前(笑)なんで批判するのか分からない。クラッシックの演奏で、演奏者が泥酔していたら、即座に退出するだろう(笑)正しい結果を得ようとすると、その裏には膨大な努力と、それを支えようとする人達の支援がいる。演奏を聴くのは、正に支援に他ならない

酔った演奏者を支援する。その意味を、どれだけの人が理解しているのか。そもそも演奏者自身がだめになる。演奏者をだめにしていることに気付かない。正に劣化である…

支援繋がりで、本屋が都心で無くなっていて、支援が必要だとの記事もあった。本のデジタル化は、最早止めることなどできない。何故なら、瞬時に検索して、必要な活字情報が得られるからだ。そして、紙の本というかさばるものから解放されるからだ

本屋が模索すべきは、デジタル化との共存だ。デジタル化により、膨大な書籍を扱う事が可能になる。陳列以外の書籍が扱えるのだから、商売の機会が生まれる。言うは易しで、これを事業化するのは簡単なことではない(笑)

版元、著者、流通業者、書店等々、膨大な数の利権者との調節が必要になる。しかし、やらなければ本屋の自然消滅が待つだけだ

書店が著者と協力して、全国規模での販売を行うことも可能になるのがインターネットの現実だ。インターネットは、誰もが商機を得られる。本屋自身が、本を発掘して商売できる時代になっている。時代を押し戻すことは不可能なので、時代に応じた商売が必要になる

本を活用する消費者に寄り添うことができるかどうかが、成功のカギになる

自分が欲しいのは、ハッキリ言って廃刊本や古い本のデジタル本(笑)しかしそもそもデジタル本が少ない。しかも価格が高い(笑)本来安くなるべきデジタル本が、紙の本と価格が同じ(笑)デジタル本の価格が高いと、購入意欲が減退する(笑)

デジタル化の利点がまったくないのが、日本のデジタル本の現実だ(笑)

本の著者が、直接販売するのは大変だから、本屋が仲介するようになれば本への距離が短くなる。本屋が身近な存在になることが、本屋が生き残るカギになる。紙の本とデジタル本の共存が、これからの本屋には必要だろう…

地元の本屋の通販で、特殊本の購入ができるようになったら大変嬉しい(笑)本屋によって、入手できるデジタル本が変わるのもいいだろう。本屋の違いが生まれることで、本屋の独自性が生まれてくる。本屋は何処に行っても同じだから、本屋の魅力が薄れている

デジタル化の利点を、とことん活用する努力が必要だろう。まあ、簡単にできれば苦労は無い(笑)読者が欲しい本が手に入る。それが本屋の仕事になる。それができないから、本屋が町から消えていく…。デジタル本は、本来安くできるはずなんだがな~(笑)「本離れ」じゃなくて「活字離れ」というのが現実だ(笑)活字は物事の基本となる。デジタル化が進まない日本では、デジタル本の魅力が失われている

本屋は支援したいが、支援するだけの魅力が無い。だから、巷から本屋が消えていく…。本屋は消えても、版元は生き残る。テジタル本で商売ができるからだ。利権構造の変革がなされなければ、本屋の生き残りは難しい。これが厳しい現実だ



世相
世の中の様々な事件に対し、有名人の意見が乱舞する日本のニュース。ゴシップどころか、自分勝手な無責任な戯言なのだから、見ていて気分が悪くなる

世相と言う、あまり使われなくなった言葉があるが、世の中の様相を詳細に繙く言葉になる。世相は世の中の実態から、物事の原因を探るもの。世の中の事件は、世の中の仕組み・実態から生まれ出る

世相を理解しなければ、事件の背景など掴めない。世の中が苦境にあれば、苦境に応じた事件が起きる。世の中が繁栄していれば、繁栄の裏に潜んだ闇に起因した事件が起きる。事件には様々な顔があり、世相を理解しなければ、事件の再発は防げない

日本の世相は「人の意見」に毒されている(笑)「YouTube」でも「人の意見」ばかりを参考にする(笑)「どうやったら防げたか」との視点がまったくない

世相は人が作り出した、社会のシステムそのものだ。正しい社会システムならば、人が破滅することなど決して無い(笑)しかし世の中、そんな甘いものじゃない

直近の例として挙げたいのが「4630万円の誤送事件」。町役場が誤って送金し、受け取った人が「ギャンブルで全てをスった」というもの

町役場のチェック機能が働かず、銀行のチェックもまったく無し。事件が起こるのは必然だ(笑)金額が少なかったら、事件にはそもそもならなかった(笑)

受け取った人は「ギャンブル」で儲かる、との誤った認識を持っていたため、全ての金をスッてしまった(笑)ギャンブルは絶対に儲からない。何故なら、負けたら掛け金全てが無くなるからだ。丁半博打の1/2の確率でも、残金半分残して2度負けたら全てを失う(笑)一時的に勝てても、長くやればやるほど全てを失う。博打は絶対に負けるシステムになっている。でなければ、ギャンブルの胴元は儲からない(笑)

パチンコ店が清潔で最新の遊技台を揃えられるのは、遊ぶ人が負けて金をスッているからだ(笑)莫大な利益が得られるのは、ギャンブルの胴元であって、遊ぶ人は金をすられるだけ。それがギャンブルのシステムだ

世相で言うなら「まともな社会システムを理解していない人達による、公金をドブに捨てた愚かな事件」

金の流れをチェックしない町役場と、不自然な振込をチェックもしない銀行。そして「ギャンブルは決して儲からない・誤って振り込まれたお金は返さなければならない」との学校教育をしっかりと受けなかった愚か者。この三者が揃ったことで発生した愚かな事件。どれか一つでもまともであれば、事件など起こらなかった

事件を防ぐには、この3つのチェック機能が働かなければならない。しかし、最後の「ギャンブルは決して儲からない」との教育はなされていない。何故なら、政府がギャンブルを推奨するからだ(笑)

「自民党」などの政治家は「ギャンブル場の建設で社会が潤う」と国民に説明し、法律までも改正した。国民にとっては「ギャンブルは決して儲からない」代物だ。儲かるのは運営する胴元だ。国が推奨するギャンブルで金をスるのは国民だ。国民からピンハネし、国民が困窮するのが「自民党」の政策だ

「ギャンブルは決して儲からない」との教育を、学校で徹底的に教育していれば、 恐らく事件など起こらなかっただろう。ギャンブルが如何に愚かなものか、学校の授業で「ギャブルの運営」を生徒で行い、絶対に負けるシステムになっていることを理解させる必要があるだろう(笑)

そのためには、ギャンブルを推奨する政治家を、選挙で叩き落さなければならない

「世相」とは「社会システム」そのものだ。社会システムに欠陥があるからこそ、事件が起きる。人の憎悪に絡む事件は本来当てはまらないものだが、人は基本的に環境の影響からは抜け出せない。この「世相」による悲劇は、本来防げるものだ

防げないのは、日本の政府・政治家が、無能で愚かで馬鹿なだけ(笑)馬鹿な政治家を野放しにする「NHK」が、如何に罪深いものかが分かる…。まともな情報が得られない「NHK・新聞・テレビ」からの離脱は必至です

結論としては、町役場と銀行の失策が事件の元凶。馬鹿に金を振り込んだ時点で金が無くなるのは必然だ。悪人だったら、さっさと金を下ろして、海外にとんずらしている(笑)この青年は週刊誌によると、大麻の常習犯だったらしい。金は絶対に戻らない(笑)と思っていたら、インターネット決済前の金を取り戻せたそうだ。ギャンブルの金を決済する業者から金を取り戻すとは、悪党が悪党から金を取り戻したと言ったところだろうか(笑)

金を取り戻すために活動する町長と弁護士が、悪徳業者に見えるのは何故だろう(笑)それは、ギャンブルの金を決済する業者と訴訟で戦っているからだろう。警察が潰しにかからない時点で、違法ギャンブルを認めている点も原因だ。何時から日本は、違法ギャンブルを認める国になったのか。してはならない行為をする者同士が、醜い争いをしているとしか映らない。正に違法行為・脱法行為の見本市。日本社会が如何に狂っているかが分かる

金を取り戻した弁護士を有能だと評価する向きもある(笑)確かに有能だろう。卑劣な手管を使うヤクザ相手なら理解もできる。公金がからむ事件に、このようなアンダーグラウンドの手管が活用されるのが、そもそも異常な事態。違法ギャンブルが蔓延ってる現状が、さも当たり前の状況として扱われているのが異常だということを理解すべき

全てを訴訟で解決する姿勢は、NHKとまったく同じ。単なる面倒ごとぐらいにしか考えていないから、まともな対処ができない。大金を誤って振り込まれた者も、何でこんな面倒な手続きにまきこまれたのか憤慨しただろう。この理不尽さが、犯罪にまで発展した元凶と言えるのかもしれない

しかし本来、公金の誤った送金そのものが、本来あってはならないものだ

この情報化社会で、こんなまぬけが通用するなら、日本はとっくに破綻している。日本の行政システムが、如何に劣悪な状況なのかが良く分かる。元凶である政府・政治家を糾弾しない日本は、正に羅生門のような悪鬼羅刹の国に転落している

金をスった愚か者を批判しても意味は無い。麻薬常習犯に、物の道理など通用しない。批判するなら、詐欺罪を労役で全額返すものに改正する運動をすべきだろう。金が全て返却されないから問題なのであって、金が労役で全て弁済されるなら問題にはならない。労役弁済が認められれば、詐欺師は絶滅するだろう(笑)基本ムショに入れば、一生出ることは叶わない

日本の詐欺は、労役で全てが許される。金が返ってこない被害者は、死ぬまで一生浮かばれない…。日本は詐欺師の天国だ。これを理解していれば、情報が如何に大切か、危機管理が如何に大切か、改善できない社会が如何に愚かなものかが分かる…。日本の劣化は、全て政治家の責任だ

YouTubeで羅生門がテスト対策として語られる日本社会(笑)事の善悪をはかれなくなった日本がそこにある(笑)世相から日本の現状を理解すべきだろう

金が振り込まれた先が裕福でない青年であり、ギャンブルで即座にスッてしまった状況は、正に日本社会の縮図と言えよう。映画化や小説化してもいいような愚かな事件。このような社会にしてはならない、との戒めになる。正に現代版の羅生門だ

日本の政府・政治家が、社会環境を悪化させる悪人で、町役場と銀行が愚かな役人。金を振り込まれた青年が、まともでない社会で麻薬におぼれた小悪党。3悪党のそろい踏みで、現代版の羅生門が完成する(笑)日本の劣化がすさまじいのに、その現状が分からないし、その現状を変えようともしない日本社会。それが如何に愚かなものなのか、この事件が日本の現状を明らかにする
Back Ground: 仮面ライダー

劣化した日本社会で、このような事件が一つなわけがないだろう。案の定、何件もの同じ誤送金があるらしい。送金が大金ではなく少額だから、振り込まれた国民は分からない。分からずに使ったのに「返金しなければ差し押さえする」と脅しをかけ、泣く泣く分割に応じる羽目になる。国民はたまったもんじゃない

そもそも、なんで送金を誤るのか? それ自体が役所の怠慢とまともな仕事ができていない証明だ。国民にペナルティを押し付けて、役所は何の責任も取らない。これは明らかに異常なものだ。役所の失策のつけを国民に押し付けて国民が泣くなど、何のための公共なのか分からない

右も左も分からない新人に、4千万もの金を、何のチェックも無しに任せる町役場。全国民のデータベースを構築し、町役場はデータの入出力と照合を行うだけ。銀行との決済は、データベースの管理者が行うのが最も効率的だ。データの保守・管理は、本来国が一括して標準化すべきもの。日本の公共が、いかに脆弱なものかが分かる

総務省によって、テレビが公共に指定される劣化社会(笑)日本の劣化は笑えないほどにひどい有様だ。全ては「政府・自民党」の責任だ

日本の行政システムがまともでないから、このようなあり得ない事件が起きる。改善できない日本社会を変えるには、まともな情報環境の整備が必要だ。必要な情報が得られているのか。まずその再確認が必要だろう。まあ結局、馬鹿な政治家を変えるしか手段は無いのだが(笑)

最近ニュースの見方が変わってきた。まともなニュースが増えてきたのもある(笑)まず「生活に活用できるのか?」これが基本。基本で判断すると、当然「NHK・新聞・テレビ」は問答無用で弾く(笑)まったく活用できないのだから当然だ

この三種の暗愚を弾けば、まともな情報が残るのだからありがたい(笑)危機管理が不能というのは伊達じゃない。改善すべき重要な危機管理を抹殺するのだから、クズ・ゲス・ゴミの評価が当たり前。新聞記者が強姦未遂で逮捕など、今や単なる日常です。無能が役に立つのが、日本の危機管理の現実だ

「悪党」が「善人」を装うのが「NHK・新聞・テレビ」の本質だ。「悪党」のニュースは「悪党」のためのニュースにすぎない。悪党を善人に見せかける、破滅に繋がるギャンブルを推奨する、悪徳政治家を放置、悪が蔓延り社会環境が悪化する。悪党がどんなに善人を装おうとも「悪党」は決して「善人」にはならない

国内での違法ギャンブルの放置、「政府・自民党」によるコロナ対策費の使途不明金、等々の隠蔽は「NHK・新聞・テレビ」のお仕事(笑)世間の話題にならぬよう、徹底的な情報操作を謀る。「事件」は「どのような結末になったのか」それがもっとも重要だ。日本のニュースは最も重要な「結末」が存在しない。当たり前のように見えて、まったく当たり前でないのが、日本のニュースの現実だ

「悪徳政治家を放置して、社会環境が悪化する」。日本の劣化の法則です

消えて無くなる情報なんてのは、基本まったく意味が無い。しっかりと記録化し、それがどう改善できるかで情報は意味を持つ

「自民党」は法治国家という言葉を乱用するが、その法そのものが悪法なのだから、国民はたまったもんじゃない。悪徳政治家を放置する、日本のマスコミの業の深さにはあきれるしかない

危機管理がマスコミの役割。まともなニュースを選別するのが国民の役目と言えるだろう。不正が正されないから世の中が悪化する。いったい誰のための情報なのか。いったい何をしたいのか。真理は常に簡潔だ

人のため、自分のためにならないものは、問答無用で切り捨てる。全ての情報を受け入れるなど、到底不可能だからだ。人は切り捨てるべきものを見極める能力を身につけなければならない。基本、悪の放置が最も忌むべき代物だ

別に何も気負う必要などまったくない。「それは検証できるのか?、それはそもそも情報なのか?、それは活用できるものなのか?、それはいったい何者なのか?、それは正しいものなのか?」自分で判断すればいいだけだ。いらなければ問答無用で切り捨てればいいだけだ

今の世の中、無用な情報が溢れている(笑)有用な情報を探す方が難しい…

「誤ったものは、正しいものには決してならない」。当たり前が当たり前でないから不都合が起きる。当たり前でないものを受け入れると、不都合な状況に陥ってしまう。判断の基準を誤ってはならない

「正義とは悪を討つものではない。正義とは正しい状態に戻すこと」。だから人の批判は正義などでは無い。どのような状態が正しいのか、どのように落とし前をつけるのが正しいのか。その判断は、状況によって変わってくる

世のヒーロー達が何故苦悩するのか? それは正義が必ずしも正しい結末にならないからだ…

正しいものが、必ずしも良い状況とは限らない。それは人によって異なるからだ。だから本当のところは当事者しか分からない。周りがいくら騒いでも意味が無い。だから人は意味のない「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」からの離脱が必至になる(笑)何の関係もない「赤の他人」が、何を言おうが意味が無い

時間の無駄。それ以外の何ものでもない。人の意見は人の数だけある。人の意見に囚われると、無間地獄へと引きずり込まれる。「人の意見」が情報ではないと言われる所以です(笑)

人は正しい「怒りのベクトル」の向け方を身につけなければならない。正しい怒りとは「自らの生活を貶めるもの」。その最たるものが「政治」になる。日本は「政治」に対する正しい「怒り」を失っている。「まともな世の中」にするための情報が、まったく無いのが現状だ。その元凶が「テレビを公共」にしたてる、政府・政治家主導の放送法。放送法の眷属たる「NHK・新聞・テレビ」が、「正しい政治・まともな世の中」を不可能にする元凶だ

「NHK・新聞・テレビ」からの離脱は必至です

世の中の不満が「政府・政治家」に向かないよう情報操作を謀る。世の中の不満を別の「事件」に誘導する。判断材料を渡さないのだから「正しい政治」には決してならない。世の中が良くなる道理が無い。判断材料が如何に大切ななのか、よく理解すべき

「意味ある情報とは如何なるものか?」。それを自分自身に常に問う必要があるだろう



いかさま
今の世の中、「いかさま」が堂々とまかり通るようになっている。いったい何が「いかさま」なのか。言わなければならないことを、一切何も言わないからだ。これがまかり通れば、「いかさま」が世に蔓延り、狂った世の中で生活するはめになる

何といっても一番目の「いかさま」は「テレビ」になる。「テレビ」はそもそも情報を得るための道具じゃない。消えて無くなるものを、情報とは呼ばないからだ。「人の言葉」は情報にはならない。検証できる判断材料ではないからだ。情報社会において、問答無用で切り捨てるべき代物だ

二番目の「いかさま」は「政治の言葉」になる。日本の政治は何時の間にかに、証拠の無い「人の言葉」に変質した。根拠のない「自分勝手な政府・政治家の発言」が、いつのまにかに「放送法」で強制された「公共情報」に仕立てられる

これは政府・政治家が、「テレビが公共」になるよう放送法を悪用し、NHKというテレビ放送を「公共放送」に仕立たてたからだ。「テレビは公共に成り得ない」。何故なら、生活に活用できる代物ではないからだ。テレビで公共は活用できない。NHKは根本的に狂っている。日本の「テレビ」が「いかさま」に変質した元凶だ

三番目の「いかさま」は「根拠の無い情報」。情報には根拠が必須になる。根拠がなければ、それは単なる戯言だ。「根拠の無い情報」とは、正に根拠が無い「人の意見」。「NHK・新聞・テレビ」がよく使う手管になる。所謂、「この人が言っている」から間違いない。芸能人や専門家の根拠なき単なる意見を情報にすり替える

「専門家が言っているから間違いない」は、明確な「いかさま」だ。根拠のある「データ」を示さないものは、紛れも無い「いかさま」だ。「人の意見」を匂わせるものは、人を騙そうとするもので、問答無用で切り捨てだ

四番目の「いかさま」は「足りない情報」。情報とは本来、全てを理解できるものでなければならない。でなければ、人は判断を誤るからだ。判断できない「足りない情報」で判断を押し付ける。これは明確な「いかさま」だ。「いかさま」だから、まともな判断が一切できない

今やインターネットの百科事典となった「ウィキペディア」には、膨大な情報が記されている。あらゆる関連した情報が記録され、対象が如何なるものが判断できる。判断するためには、関連する膨大な情報が必須になる。「足りない情報」で判断を迫るものは、明確な「いかさま」だ。情報が「足りない」と思ったら、判断を誤らせるイカサマだから、問答無用で切り捨てだ

テレビを日常に使っていると、「根拠の無い情報」と「足りない情報」が日常化する。所謂、判断できずに自滅する。テレビとの決別は必至です

「斬り捨てる」と「切り捨てる」は音は同じだが、用法が異なる。「斬り捨てる」とは、「常識から逸脱したものを斬り捨てる」の意味になる。言わば、世の常識に反するものを斬り捨てる。ここで使っている「切り捨てる」は、本来「斬り捨てる」と言うべきだろう。日本語変換で自動的に「切り捨てる」になるのだから、文句は「日本語変換プログラム」に言っている(笑)

「いかさま」に惑わされないためには、「判断できる情報なのか?」との検証が必須になる。「根拠」があるのか、「足りているのか」の判断は必至になる。情報と接する場合には、この二つの検証は必至になる。日常では、これに加えて「正しい」ものかどうかの判断が必要になる

「根拠」があって「足りて」いても、正しいとは限らない。「正しい」かどうかの判断が最も難しい。簡単に「正しい」と言うものは、間違いなく「イカサマ」だ(笑)「正しい」を連発する見本は、今世間をにぎわしているロシアの「プーチン大統領」。「自分は正しい」を連発し、世の中を地獄へと引きずり込む。正に「正しい」を誤用する見本です

「正しい」かどうかの判断は、それが実際に用いられ、満足できる成果が得られた場合のみ言えるものだ。「正しい」は「結果」を見なければ分からない。だから判断材料にすぎない情報では、「正しい」との言葉は使えない。「正しい」と断定するものは、間違いなく「イカサマ」だ~
Back Ground: グリザイアの楽園

「善人に成り済ます」成り済まし詐欺が、今や世間で大流行り。所謂、善人に思わせて、相手を騙す。政治家なら、さもできるように言って、実際は何もしない「言うだけ詐欺」。インターネットでは、サポートに成りすまし、パソコンを操作させて動かなくした上で金を巻き上げる「サポート詐欺」

政治家の「言うだけ詐欺」と「サポート詐欺」は、成り済ますという点でまったく同じ。政治家が善人に成り済ませるのは、自分が行ってきた行為を、一切公に公開しないからだ。人はその行動でしか判断できない。正に「言うだけ詐欺」が正当化されている

「言ったことを実行しない」は明確な詐欺。「誤った判断をさせる」も立派な詐欺。「必要な事を言わない」も詐欺に当たる。「都合のいい行動をさせる」のは犯罪だ

政治家の「言うだけ詐欺」は、有権者に投票させて当選する紛れも無い犯罪だ。政治家は、その正体を暴かなければならない

「サポート詐欺」は、おとりのホームページで「警告」を表示して、見ている人を混乱させ、表示した「電話番号」に電話を掛けさせる。「電話」でのサポートを装い、相手に「パソコンが動かなくなる操作」をさせて、「動くようにするには、有料のソフトが必要ですね。〇万円かかるので、コンビニで金券を購入して下さい」と誘導する。金券のナンバーを聞き出し金を得た後、適当な操作をして「どうやらら重症ですね。後〇万円かかるので、又コンビニで金券を購入して下さい。できないなら、ここでサポートを打ち切ります」と勝手な事を言う

ウィルスはパソコンを自動的に破壊するが、「サポート詐欺」は相手に「パソコンが動かなくする操作」をさせる。言わば、無知につけこみ、相手にパソコンを動作不良にする操作をさせるのだから、悪質にもほどがある

「サポート詐欺」では、払った金券は戻ってこない。そのようなシステムになっているからしょうがない。おまけにパソコンの中身もおじゃんになる。その被害は甚大だ。しかし法律に訴えても、何年かかるか分からないし、訴訟費用が無駄になる。金券は購入した時点で、購入した人の所有物。何に使ったかは所有者の責任になるからだ。使った所有者に責任があるもので金を支払わせる、巧妙な詐欺の手口になる。パソコンに対する無知につけこんだ、悪質極まる犯罪だ

こうしてみると、政治家の「言うだけ詐欺」と「サポート詐欺」が同じだということが良く分かる(笑)政治家の無能で国民生活が困窮する。サポート詐欺でお金とパソコンがおじゃんになる。受ける被害はどっちも同じ。そしてどっちも、その正体を巧妙に隠蔽する。正に無知につけこんだ犯罪だ

「必要なことを言わない詐欺」の横綱は「NHK」だ

「テレビが有れば契約成立! テレビを持てば放送により、NHKの契約は自動的に成立する! テレビをもって契約しないやつは、放送法に違反する犯罪者。テレビを持つ国民は、NHKと契約しろ!」と、明確に言わない「NHK」。NHKはテレビがあるかどうかを徹底的に調査して、契約しない輩は犯罪者として断罪する。その根拠は、テレビは公共だからだそうだ。「テレビは公共」は明確な詐欺。消えて無くなる言葉が、公共の訳が無い

日本はテレビを持てば、NHKから放送法で裁かれる、恐ろしい時代になっている

国民を放送法で裁く官憲がNHKの正体だ。言葉は丁寧だが、言っている内容は「お前ら! NHKの言う言葉がお前らの公共だ!」。NHKの言葉はその内容で判断すべし。判断すれば、何一つとして「自分の公共」ではないことが理解できる

時代はテレビを必要としない「情報化社会」へと移行した。テレビを持てばNHKがやって来て、「テレビが有れば契約成立!」と言って契約を強制する。その根拠は「放送法にそう書かれているから」というだけだ。これを強制するのは、放送法を運用する日本の「政府・政治家」だ

「テレビを公共」に仕立て上げ、「政府・政治家」の情報公開を一切拒否

放送法とは「政府・政治家」の情報公開を阻む邪法にすぎない。「テレビは持たない」。テレビは見れば観るほど馬鹿になる。何一つ判断材料が無いから、試行錯誤ができなくなって自滅する。テレビは忌み嫌わねば身を亡ぼす…

NHKを「国民の公共」として放送法で強制するのは、安寧を貪る悪徳「政府・自民党」。国民から公共を奪い去る、「言うだけ公共」という名の詐欺行為。日本国民は貧困と言う名の無限地獄へと転落した。自民党の選挙での討伐は必至です

テレビを公共に仕立てる「政府・自民党」の政策は、日本そのものを歪めている。インターネットによる情報の統合化ができなければ、日本の情報化は一切できない。「自民党」の本性は、週刊誌にスッパ抜かれた記事で確認できる。政治資金の不正流用・活動資金の不正・未成年との交際等々、不正・腐敗のオンパレード。選挙での「自民党」の討伐は必至です

テレビは単なる「言うだけ詐欺」。テレビを持たないのが、今や情報社会の基本です(笑)チューナーレス・テレビも立派なテレビ(笑)テレビからチューナーを省いただけの、モニターとして通用しない欠陥品。「テレビ」の名を冠するものは、全てモニターに適さない詐欺商品

インターネットをしていても、「Youtube」や「ゲーム」ばかりしていたら、脳細胞が劣化する。享楽に耽る麻薬ジャンキーと同じです。インターネットは学ぶ場所。脳細胞をフル活用する場所になる。脳細胞を享楽にフル活用してしまうと、麻薬ジャンキーへと転落する

インターネットの活用には、人は賢明でなければならない。賢明とは、自分で考えることができる人。徹底的な試行錯誤が求められる。そのためには、数多の情報を得る必要に迫られる

インターネットをするとは、自分の視野を広げる、との意味になる。視野を狭める行為は、正しいインターネットの活用法ではない、ということだ(笑)様々な情報を得る必要があり、偏った情報の取得や、偏った論理の構築は、自分自身をだめにする

情報とは元々、人の知らない部分を補い、人の視野を広げるもの。人の視野を広げるものか判断すれば、それが情報かどうか判断できる。偏った見方をするものは、そもそも情報なんかじゃない。それは単なる、人の視野を狭める意見にすぎない

人には「悪」も「善」も、そもそも内に秘めている。だから人は、「悪」と「善」とは如何なるものか、判断するための膨大な情報が必要になる。「悪」と「善」を理解しなければ、人は善悪の判断などできなくなる。「悪」を理解しないから「悪」の行動に走る。「善」を理解しないから、正しい行いができない

善悪合わせ呑むのが人になる。完璧な善人など存在しない。完璧な悪人など存在しない。そこには、明確な善悪の基準も持った人がいるだけだ

「正しい善悪の基準」を持てるかどうか。そのためには、「善」と「悪」の両方を正しく理解する必要に迫られる。人に膨大な情報が必要とされる所以です(笑)本を沢山読む。理解できるまで何度も読む。分からない所が無くなるまで、インターネットで調べ倒す。理解するには「調べ倒す」しか手段が無い(笑)

人には「調べる習慣」が必須になる。人には徹底的に調べられる、情報環境が必要だ。「調べ倒す」習慣が身に付けば、自然とテレビと決別できる。テレビに中身(情報)など存在しないことが分かってくる(笑)

インターネット社会で禁忌と言えるのが「情報の非公開」。日本社会で蔓延しているのが「情報の隠蔽」と「情報の非公開」。情報の公開は、まともでないものを判断する良き判断材料となっている。Youtube は今や、まともでないものを公開する「情報公開」の場ともなっている(笑)

人は知らなければならない。人は知るために行動を起こさなければならない。人は知るための環境を整えなければならない
Back Ground: 君の知らない物語

「知る」とは本来楽しいものだ。「知る」とは判断するための材料でもある。だから、人は知らなけば生きてはいけない

人は生きるための「情報」を選別し、生きるために「情報」を活用しなければならない。生きるとは「勉強」なのだ(笑)

人は「情報」の正しい活用法を学ばなければならない



心酔
「酔う」という言葉がある。人は酒に酔うと、まともな判断が出来なくなる。先がまったく読めなくなり、あらゆる愚行を繰り返す(笑)酔うとは、まともな判断ができない状態を意味する

酒に酔う、人に酔う、人に心酔する。どれもが、まともな判断ができない意味になる(笑)人に心酔すると、自分の行動が、自分のものでなくなってしまう。あの人ならこうするだろう、あの人だったらこうするに違いない。あの人が言うのだから間違いない

これは他人の基準で動くという、酒に酔ってまともな判断ができない状況とまったく同じ

仕事では、相手の基準で動くのはしょうがない(笑)しかし、日常においては自分の基準で動かなければならない。でなければ、単なる奴隷と化す

酔っているかの判断は、自分で判断ができているか、自分の中にしっかりとした判断基準が存在しているか、判断すればいいだけだ。事の良し悪しを論ずるには、しっかりとした基準が必須になる

自分の中にしっかりとした判断基準が無いから、人に心酔するなどという、思考放棄に走る。引用するのと、鵜呑みにするのは全く違う(笑)引用とは、引用しながら自分の論理を組み立てることを言う。下地には使うが、まったく別の代物だ

そのまま引用したなら、単なる鵜呑みにすぎない(笑)

基本的に人は信用してはならない。人はその行動でしか判断できないからだ。人が何故身内のみを信用するのか。それは、その行動を理解できているからに他ならない。信用にたる人物かは、その行動を見なければ分からない

何を成そうとする者か、何をしてきた者なのか、その確認は必至です

だから「YouTube」は、技術的観点からしか物を見ないようにしている(笑)「行動」が怪しいものには近づかない。これは「情報社会」の鉄則と言って良いだろう。技術と芸術で勝負を競うのが「YouTube」の神髄だ(笑)

人が最も忌むべきものは、思考の放棄

人は判断材料を元に、試行錯誤を繰り返すのが基本になる。自分で考えているのか、それは自分の考えなのか、それは自分に当てはまるものなのか、それは自分が活用できるものなのか。これを検証するには、テレビを見るのが手っ取り早い。何一つ自分が考えていないことが即座に分かる(笑)テレビは延々と自分の主張を語るだけ。テレビでものを考えるなど不可能だ(笑)思考するには、試行錯誤の元になる確かな情報が必要だ

情報は基本的に信用してはならない。人の意見を判断材料にしてはならない。これは情報社会の鉄則だ

何故なら、情報はめまぐるしく変化し、人の意見は判断材料なんかじゃないからだ。人は思考する生き物。つまり膨大な選別された情報を有する、自らの意思を持つ情報の複合体。だから人を決して判断基準にしてはならない。人を判断するには、一体何を基準に考えているのか、どのような行動をしているか、様々な角度から判断する必要に迫られる。人の意見で判断するのが、最も愚かな行為になる

深く考えるには、判断材料を元に、自分自身で考えるしか手段が無い

「人間は考える葦である」と哲学者のパスカルさんは言っている

その心は、「人間は自然の中では葦のように弱い存在である。しかし、人間は頭を使って考えることができる。考える事こそ人間に与えられた偉大な力である」。正にそのとうりだろう

人は弱いが故、自分自身で考えなければならない。人が考えるには、考えるための情報が必須になる

日本では「日本国民はテレビを元に考えなければならない」と、放送法によって強制される(笑)日本では「国民はテレビで考える馬鹿ある」と言い換えなければならない(笑)

人には「どんな」情報が必要なのか…。え、やばい、改善すべきものが多すぎる。批判する暇など無い(笑)パスカルさんは偉大だな(笑)

この言葉の次には「だから、情報は自分で選ばなければならない」と続いていく…筈(笑)

考えるとは、本当に難しい(笑)パスカルさんの言葉は、人に対する警告なんだろうな。そう思えてならない



なろう
「なろう」という言葉の妙は、「為る」「生る」「成る」を実現しようとする未然にある

今「小説家になろう」にはまっている(笑)単純に面白いというのもあるが、主人公が前向きなのがとてもいい(笑)所謂転生ものは、前世の記憶を元に、社会や生活を改善していく。今の日本社会が改善できない反動だろう、などと思えてしまう(笑)だからなのか、面白いものが沢山ある

転生もので重要なのは、転生前の知識にある。どれだけの知識があるかで、その行動が決まってしまう。学者であれば、その豊富な知識を生かして、現代に近いものを生産できる。学生であれば、試行錯誤をしながら、ゆっくりと欲しいものを実現していく

つまり、知識の差と、実現しようとする意識の差が、物語の面白さを決定する。何を言いたいかというと、「知識」は動くための栄養であり、「意識」は物事を実現するための原動力。人は貪欲に「知識」を求め、己の未来を切り開く「意識」を持たなければならない、という事だ

「知識」がなければ動けない。自分の「意識」がなければ動けない。人には膨大な「知識」と、実現しようとする「意識」が必須になる

「なろう」とするには、膨大な「知識」と「自分の意識」が必要だ。「なろう」は、人として必要な「知識」と、実現していく「自分の意識」を育ててくれる。何が悪で、何が正義なのか。何が正しく、何が誤りなのか

「なろう」の小説は、手っ取り早く成功体験から学ぼうとする。だから主人公は、必ず生きる(笑)失敗しようが、追放されようが、没落しようが、必ず生きる。正に成功体験、つまり生きることを学ぶための小説だ(笑)

方や「文学」は、「失敗」から学ぼうとする。人は「失敗」しなければ懲りない生き物だからだ(笑)人は「失敗」を繰り返し、「失敗」を教訓として生きていく。だから「文学」は難しい。昔は死が身近なため、生死が当たり前のように語られる。手軽な「なろう」に惹かれるのは当然だ(笑)

昔の文学は言葉使いが今と違うため、言葉の意味を調べる必要に迫られる(笑)しかし「文学」をパソコンでテキスト化すれば、読める「文学」へと変換できる。要は、「自分で注釈を入れろ」ということだ

文字データは、自分で加筆・修正が可能になる。情報社会は、自分でデータを作成するのが基本になる。物事をデータ化する習慣が身に付けば、「文学」のデータ化など簡単だ(笑)文学のデータ化によって、文学との距離が身近になる。「青空文庫」は文学(データ)の宝庫と言えるだろう

文学とは、日本語と物事を理解するための手引書と言っていいだろう。文学には理解が必須になる。理解するまで何度も何度も読み返す。理解したら、その意味を噛みしめながら、又何度も何度も読みふける(笑)試行錯誤を脳内で繰り返す、鍛錬の場として活用できる(笑)

文学と比べると、確かに「なろう」の小説はあまりに手軽(笑)しかし人には、明確な指針が必要だ。「失敗」だけでは、人は前には進めない(笑)良い「なろう」の小説は、強烈な失敗や、困難を乗り越えながら、自分の未来を切り開く。自分の思うようにならないのが現実だからだ(笑)

世の中の出来事・事件・事故を見てみると、小説や過去の事件記録と同じものが非常に多い(笑)「あっ、この小説と同じだ」とか、「この部分は、あのアニメといっしょだな」とか、「何で改めようとはしないのか」とか、過ちを認めず改めず、延々と繰り返すのが人の愚かさの証明だ。人は文学や物語の愚行を、延々と繰り返す。過ちを繰り返さないためには、しっかりと理解することが必要だ

理解するには、言葉にして、文字として記録する。脳細胞に文字データとして記録する。人は物事を理解できる文字に変換して記録しなければならない。記録しなければ、理解など到底できない。人には纏める習慣が必要になる

心に刻み込む、との言葉がある。言葉は文字データとして、脳内に整理整頓されながら記憶されていく。音声も言葉に変換されるが、変換作業が必要なため整理整頓が難しい(笑)映像はイメージとして残るだけ。文字データには変換されない。イメージを言葉に変換するには、膨大な脳内作業が必要だ。正に文学の世界へと突入する(笑)

強烈な映像イメージは、人のトラウマとなって蘇る。何故なら、映像はそもそも理解できるものではないからだ。理解するには、文字データとして心に刻み込む作業が必要になる。テレビはイメージを伝えるだけだから、テレビで理解など決してできない。悪人はイメージで人を騙す

情報は全てが揃わなければ意味を成さない。つまり、少ない情報で判断などできない。悪人は情報を制限し、目隠しをした上で判断を強要する。だから悪人は善人を装い、判断能力を奪った上で人を騙す

人を助ける気がない者は、人の助けには決してならない。見分けるには、その行動をつぶさにみればいい。善人を装って人にすり寄るのが、悪党の卑劣な手管。行動のおかしい者は、正しいものには決してならない。「なろう」の小説の法則です(笑)

人は映像(イメージ)で考えると馬鹿になる。テレビとの決別が必要だ。物事には「原因」があって「結果」がある。物事の因果律は、人が最初に繙くべき作業になる。つまり、いいかげん目をさませ、ということだ(笑)

人に必要なのは、正しい・正しくない、間違い・正解、必要・必要ない、などの判断の基準を鍛えること。判断基準が狂うと全てが狂う

判断基準を鍛えるには、判断するための判断材料、つまり膨大な情報が必要だ。全ての情報が揃うと、予測によって未来が分かる。判断材料が揃うことで、シュミレーションが可能になる。全ての判断材料が揃わなければ、未来の予測は不可能だ

「結末」の予測によって、物事の判断が可能になる。判断基準を鍛えるとは、全ての判断材料を揃えて、適切なシュミレーションを行うことだ。だから悪党は、判断材料を渡さずに誤った「結末」へと人を導く。全ての情報が揃わなければ、人は正しい判断など不可能なのだ

人には膨大な情報から必要な情報が瞬時に得られる、インターネット環境が必須になる。自分自身で情報を選べなければ、必要な情報など得られない

情報と判断を人任せにする時代は、情報化社会の到来と共に、とっくの昔に終わっている
Back Ground: 蒼夜曲



熊との共存
「Youtube」を適当に見ていたら「熊と民主主義」との面白いタイトルを発見した。見てみると、熊と共存しなければならない、北海道の厳しい生活環境が見えてくる。熊に振り回される人の生活、と言ったところだろうか

熊の駆除を行う「猟友会」と、熊の駆除を要請する「行政」と、熊との共生を夢見る「市民」たち。この三者三様の考えがぶつかり合う「民主主義」の様相がみてとれる。主役は「熊さん」なのだが、人との会話が成り立たないため、「熊さん」の意見が欠けている。人間側の自分勝手な「民主主義」に振り回されるのが「熊さん」の現実だ

「熊さん」の生活が欠けているのが、この民主主義の欠陥といえるだろう。「熊さん」との会話は成り立たない。「熊さん」と直接対面すれば、問答無用で攻撃される恐れがある。人にとって「熊さん」との共存とは、「檻の外」から触れ合う、完全に分離された環境を意味している

この「熊さん」は知能が高く、どんどん学習して利巧になる。人との接触の機会が増えて、人を怖がらなくなっているのが現実だ。つまり問題は「熊さん」の行動にあって、人は「熊さん」の行動を制御できない。「熊さん」の行動は制御不能だから、熊に民主主義は適用できない(笑)

知能の高い「熊さん」と、知能の低い「熊さん」がいるのが、人にとっては問題だ。知能の高い「熊さん」は、人にとっては傍若無人のテロリスト。「熊さん」が人を管理する側へと移行する。この時点で「熊さん」との共存は破綻する

この「熊さん」との共存には、「熊さん」が人の環境に踏み込まないための「環境作り」が必至になる。「熊さん」が生活できなくなったら「人のエリア」に入ってしまう。「熊さん」には快適に過ごせる環境が必要なのだ

人は「熊さん」に対して「自然の中」で自由に暮らせと強要する。しかしその「自然」が壊れたなら、人の主張は崩壊する。「自然」も又、人の制御が効かないものだということを、人は完全に忘れている(笑)「自然環境」が壊れたなら、当然のように「熊さん」は「人のエリア」に侵入する。そこに人の思惑など通用しない

熊を回避するには、鈴やホイッスルの音によって「人の存在を気付かせる」ことが有用なのだとされている。しかし、人に慣れた熊や、人を恐れない熊にとっては、人がいることを教える非常に危険な行為になる。熊の性格によって対応が異なるのは、知恵のある証拠だろう。熊は基本、危険な猛獣だということだ

「人」と「熊さん」が共存するには、その生存環境を完全に分離する必要に迫られる。「人」と「熊さん」が隣り合わせに生きるには、「熊さん」の生活環境をしっかりと整えなければならない。でなければ、「熊さん」が人を管理する側へと移行する。しかし現実は、「熊さん」の生活環境はほったらかしだ(笑)

勝手に生きろと言いながら「人の環境には近づくな」など通用しない(笑)「熊さん」に民主主義など通用しない

「熊さん」との共存共栄を図るには、「熊さん」を「民主主義」に則って、その意見を取り入れなければならない(笑)「熊さん」にとって人間社会は自然の一部。つまり、生活する場所になる。「熊さん」にとって生活する場所にいる生き物は、生きるための糧となる。「熊さん」は生きるために食糧が必要なのだ。「熊さん」の意見を取り入れるなら、人を「食われる食糧」として認めなければならない。熊との共存を望むなら、食われる覚悟が必要だ

熊との共存を夢想する市民達。彼らが讃える「自然豊かな環境」とは、人の理(ことわり)など通用しない、厳しい生存競争にさらされる過酷な場所。人が勝手に創った理に、他の動物が従う道理は無い。飢えた熊にとって、人は単なる食糧だ

人の気が狂うと同様に、熊の気が狂う事もあるだろう。狂った熊は、人を問答無用で襲ってくる。生き物に対して、その行動を制御するなど不可能なのだ。全てを制御できると考える「民主主義」。それは単なる絵空事にすぎないと、「熊と民主主義」は伝えている

人が何故「都会生活」に憧れるのか。それは「安全」で「己の欲望」を満たせるからだ。「自然生活」では、「安全」が欠落した「己の欲望」のみが満たされる。人は「安全」が欠けていることに気付けない。「己の欲望」に目が眩んでいるからだ。人が破滅するのは、欲望のあまりに視野が欠け、自滅するのが定番だ。「熊さん」の場合、制御できるとの過信が悲劇を生む。実際に熊に襲われたことが無いため、熊を猛獣として認識できない

「安全」だとの思い込みは、危機管理においては決して犯してはならない禁忌になる。危機管理がしっかりできない、人の愚かさの証明とも言えるのだろう

法によって危機管理が否定されたら、その先にあるのは自滅です。「熊と民主主義」のドラマの狂いは、町の議員達が「猟友会」をボランティア扱いするという愚かな行為が発端だ。日本の政治の貧困が、直接の原因と言って良いだろう。「熊と民主主義」との言葉は、そもそも民主主義が成立していない状況を意味している(笑)人の愚かさを皮肉くった、核心をつく言葉といえるだろう

国民を都合良く支配する愚かな議員、自然を支配できると考える愚かな市民、人を食える食糧とみなす自然体の熊さん。人の傲慢さが民主主義を歪めていく。自然はときに、人に対して牙をむく。それは自然災害であったり、動物であったり、ウィルスだったりする。人は移りゆく自然に、適切に対応できるのか。人の賢明さが求められる時代が到来している

危機管理ができないと、人は勝手に自滅する。危機管理とは、不測の事態を予見して、その対策を講じること。どのような事態が起こり得るのか、徹底的な試行錯誤を繰り返す。あらゆる事態を想定できる柔軟な思考と、試行錯誤により最適解を見つけることができる理解力を養わなければならない

そのためには、徹底的に考える。考えるためには、数多くの判断材料を揃えなければならない。考えるには、適切な情報を揃え、適切な判断能力が求められる。考えることを放棄すると、人は確実に自滅する
Back Ground: umbrella



判断
人を破滅させるのは簡単だ。与える情報を制限すればいいだけだ。それだけで人は勝手に自滅する。だから詐欺師は、少ない情報で現状を誤認させ、人の判断を誤らせる

人は自分の見える範囲の情報でしか判断できない。だから、見えない所が分からずに、まともな判断ができずに破滅する。だから情報は見えない範囲を補完し全てを纏め、全体像の把握をはかる。人には全体像を把握するための膨大な情報が必須になる

人が判断するには、状況を的確に判断できるだけの膨大な情報が必要だ。状況を誤認させる行為は、洗脳行為にすぎない。判断するには、詳細な経緯と、状況の的確な把握が必須になる。判断するための全ての情報が揃わなければ、まともな判断など決してできない

しかし、全ての情報が揃っていても、その判断は人によって異なる。何故なら人の判断は、その人が受ける利益によって変わるものだからだ。利益が最も高いものを、人は優先して選択する

判断の正しさを判断するには、それが正しいものか誤りなのか、その評価が必至になる。一般的に「人を害する」ものが誤りで、「人を大切にする」ものが正しいものだとされている。しかし往々にして、人は己の欲を優先する。自分が幸せなら、他人がどうなろうとかまわない。利己的な考えをする者に、どのような正論も通用しない

世の中では、このような利己的な考えを持つ者を「愚か者」と断定する。愚か者にならないためには、しっかりとした倫理観を持たなければならない。人を判断するには、正しい倫理観の持ち主なのか、その行動から判断する。人は行動でしか判断できない

このような人の判断を考察するに至ったのは、ロシア国民の戦争に対する判断とは如何なるものか、との思いが募ったからだ。「ウクライナはロシアの領土」との考えを持つ者は、ウクライナへの侵攻を肯定する。反対に「ウクライナはウクライナ国民の領土」との考えを持つ者は、戦争を否定し、徴兵されないよう国外へと逃亡する

「ウクライナはロシアの領土」との判断は正しいものなのか。ウクライナに侵攻し、ウクライナを砲撃し、ウクライナ人を虐殺し、人・建物・インフラの全てを破壊する。ウクライナを破壊し、ロシア主体の新しい国家に作り変える。それは正しい事なのか。正しいとする根拠は何か。人の不幸の上に成り立つ幸福とは如何なるものか。人の判断が試される

ロシア国民の未だ半数以上が、「ウクライナはロシアの領土」との考えを支持している。だから、徴兵に応じ戦場へと送り込まれる。送り込まれる先が、まともな訓練も装備も無い「犬死に」の場所である事をまったく理解していない。まともな情報が得られないため、ただ言われたままに行動する

思考を放棄した者は、ただ言われるがままに死んでいく

情報を制限される者、膨大な情報を自分で判断できない者。それはまともな判断ができない「愚か者」にすぎない。愚か者は、人の言いなりになって死んでいく。ロシアのウクライナ侵攻は、その現実をまざまざと見せつける
Back Ground: 暁を葬ればEphemeris

得られる情報が多ければ多いほど、判断の選択肢が増えていく。情報が増えると、シュミレーションの結果がより正確になる。情報化社会においては、得られる情報の数によって、シュミレーションの精度が上がり、結末の正確な予測ができる。つまり得られた情報によって、その結末は収束する

正しいものは正しいものへと収束し、正しくないものは正しくないものへと収束する。正しくないものは、正しい結果には決してならない

だから正しくない悪党は、得られる情報を制限する。情報を制限されたら、正しくないものへと収束してしまう。情報化社会で悪党を判別するのは簡単だ。勝手に物事を断定する者、情報を制限する者、情報を恣意的に偏向する者、正確な判断材料を与えない者。まともな判断をさせない者は、悪党だと瞬時に分かる

悪党を放置すると、世の中が悪化する。その現実を、ロシアのプーチンは教えてくれる。正しくないものを放置すると、正しくないものへと収束する。これが紛れも無い現実だ

それは判断できる情報なのか、それは理解できるものなのか、人の勝手な意見なのか、全体像を判断できるものなのか、それは正しいものなのか。判断するための全ての情報が揃っているのか。情報は厳しい視点で判断しなければならない

ウクライナ侵攻では、ロシアが「核の使用」で脅しをかける

国連においては「核の使用」は人類の滅亡に繋がる危険なもの。「核兵器」が使われたなら、巻き上げられた放射能が地球全体にばらまかれる。人類の生存を脅かす「核兵器」は、どのような事態になろうとも「使ってはならないもの」と言えるだろう

ロシアが「核兵器」を使ったなら、人類に対する「戦争犯罪」を犯したことになり、地球上の全ての国が敵になる。「核兵器」は地球を汚染する使ってはならないものだから、ロシアが使おうものなら、全ての国が潰しにかかる

ロシアに協力する国は、「人類の敵」と見なされる。つまりロシアは、地球上から完全に孤立し、全ての国からあらゆる繋がりを断たれてしまう。地球上に無い国として扱われ、国際社会から脱落する

「核兵器」を使えば、「人類に対する罪」を犯し、その国は破滅するということだ

「核兵器」は抑止にはなるが、決して使えるものじゃない。「核兵器」を脅しに使うなど、本来あってはならないものだ。だから先進国のほとんどが、ロシアの戦争を非難し、ウクライナの支援にまわる

ウクライナにとって「核兵器」の使用はロシアによる大量殺戮、つまり「ウクライナの殲滅」を意味する。核兵器の使用は、ウクライナの更なる反発を招き、戦争の終わりが見えなくなる。「核兵器」の使用は、戦争の終結には決してならない

ロシアによる「核の脅し」に意味は無い。戦争とは紛争だ。紛争で「相手の殲滅」を謀ろうものなら、双方が「殲滅戦」へと移行する。核兵器は戦争のエスカレーションに繋がるため、何があろと使ってはならない代物だと言えるだろう

「核兵器」は殲滅するための兵器であり、命あるもの全てを破壊する。「終末兵器」と呼ばれる所以です



マイナンバーカード
デジタル化は世の流れ。個人を政府がきちんと管理できるようにするのは当たり前。しかし管理するには、管理するためのしっかりとした環境が必要だ。マイナンバーカードは、言わば個人のマスターキー。政府が国民に対して、より良きサービスを適切に提供するための道具として活用するもの。国民へのサービス向上がなければ意味が無い

マイナンバーカードは、公共サービスを提供するための基礎情報にすぎない。そもそも、日本全国の戸籍データがデジタル化されて統合されいないことに原因がある。全国の戸籍に番号が割り振られることで、初めて戸籍データの活用が可能になる。マイナンバーカードとは、日本の戸籍の統合化にすぎない

年齢・地域・加入情報等々のデータを元に、国民一人々に適応した公共サービスを提供するための基礎情報にすぎない。マイナンバーカードで個人を特定するには、指紋の登録による指紋認証などが必至になる。カードと暗証番号のみだと、なりすましによる詐欺により、多大な被害が発生する。マイナンバーカードとは戸籍であり、厳重なるセキュリティが必至になる

このマスターキーが悪用されたら、国民は間違いなく破滅する。銀行口座・保険・身分証明などなど、全てのサービスに直結するマスターキーが乗っ取られたら、身の破滅は確実だ。マイナンバーカードは、二重三重のセキュリティによって保護されなければならない

安易に使えるマスターキーなど「犯罪に使えます」と公言するようなものだ。マスターカードで出来る数だけ、犯罪に悪用された場合の被害が増える。「マイナンバーカードで何でもできる」なんてのは、悪用されたら「悲惨な被害にさらされる」と同義になる。マスターキーは、重要な公共データにアクセスする場合にのみ利用できるようにするのが原則だ。安易に使えるマスキーなど、セキュリティ上ありえない

マイナンバーが活用できるようにするには、国内全ての公共サービスのデジタル化が必至になる。でなければ、マイナンバーカードの活用など不可能だからだ。しかし今の日本の行政は、共通のデジタル化などされてはいない。この現状で、マイナンバーカードの活用など不可能だ

公共情報の活用には、公共情報の公開が必至になる。今の日本は、情報の公開など一切ない。国民を馬鹿にするにも程が有る

マイナンバーカードは、政府・行政のデジタル化の完了が前提だ。セキュリティが万全でなければ、個人情報の活用など不可能だからだ。見切り発車は、不具合満載の欠陥システム以外の何ものでもない

まず最初に、マイナンバーカードで電子投票を可能にしろ。選挙で使えるだけのセキュリティが完備されたら、真っ先に作成する(笑)行政サービスが向上しないマイナンバーカードなど意味が無い

選挙の投票が瞬時にできる、マイナンバーカードで腐敗政治家のリコールが瞬時にできる。そうなれば、これほど有用なカードは無い(笑)国民はこぞってカードの作成をするだろう(笑)

行政の情報公開がなければ、公共サービスは何一つとして活用できない。まず行政の完全電子化とセキュリティの強化を行わなければ、マイナンバーカードに意味は無い。認知症の老人がマイナンバーカードを乗っ取られたら、何の対策もできずに全てを失うはめになる。本人が対応できない事態を想定しなければ、国民の被害は免れない。行政の安易なセキュリティは、国民にとって害悪なものにしかならない

いったい誰の為、と意味を問うならば、自民党が情報の活用をしているかのように見せかける姑息な「嘘」だと分かってくる。マイナンバーカードは世の中がデジタル化されていなければ意味が無い。行政がデジタル化されていないのに、マイナバーだけデジタル化しても意味が無い

世の中はデジタル化していると人を騙す、嘘つき自民党の姑息な嘘。「テレビは公共」との嘘を貫き通すための卑劣な嘘。政府・行政はデジタル化が完了していると見せかけるための愚劣な「嘘」。マイナバーカードとは、「情報の公開ができる」「政府・行政はデジタル化されている」との「嘘」を正当化するための薄汚い詭弁です

嘘を平気でつく。嘘をついても、何食わぬ顔で平然としている。嘘がばれても、何一つ裁かれない。これが「情報の公開」無き奴隷社会の現実だ

世の中に、またもや新型コロナウィルスが蔓延し始めた。自民党が外国人の流入規制を解除したのだから当たり前。当たり前の事なのに、自民党と日本のマスコミは、何の問題も無いかのように平然としている。新型コロナは勝手に広がるものらしい(笑)嘘つきは嘘をついても何食わぬ顔をしている、というのが良く分かる(笑)

しかも自民党は、新型コロナを流行らせておきながら、ワクチンを無料から有料にするという。自民党がとんでもない悪党だということが良く分かる。統一教会の問題も、いまさら対策法を作るといっているが、正に今更の話になる。統一教会は既に、金の全てを海外に送金済みだろう。自民党と統一教会の間で、汚い手打ちがなされたとみるべきだ。時期を逸した新法では、被害者が救われることは決してない

そもそも自民党は統一教会の解散などする気は無い。政治家として当選するための票田を消すわけがないだろう。統一教会からの都合の悪いリークを恐れて、解散の目は完全に潰されている。解散せずに、どうやって国民の不満をそらせるか、その方法を手探りしているのが現状だ。やる気が無いのに、やる気を見せる。正に詐欺師の政党だ

法の網を掻い潜るのが、自民党の卑劣な手管。やる気があれば、とっくの昔にやっている(笑)悪党の所業を目の前にして、何の手段も取らない時点でおかしいと気付くべき。金の差し押さえをしてないから、お金を取り戻すことなど不可能だ。やる気の無い対策とは、どうゆうものかが良く分かる

統一教会を批判すればマスコミも裁判に訴えられる、というのだから、この悪徳宗教の解散など不可能に思えてくる(笑)これも政治がその存在を認めているからに他ならない。自民党あるかぎり、世の中の改善など不可能だ

自民党によるコロナ対策も無茶苦茶だ。何で「自民党による外国人流入規制の撤廃で、新型コロナウィルスが蔓延した」と言わないのか。言えない理由でもあるのかね~(笑)この外国人の流入規制の撤廃で、国外から様々な型式のコロナウィルスが入ってくる。つまり、コロナワクチンなど効かなくなる。この冬は、多くの人が様々なタイプのコロナに感染するということだ。巷では、元気だった人がポックリと亡くなる、なんてことが増えている…。コロナで死ぬ、後遺症で苦しむのが、今や日本の日常だ

「これをやったらこうなる」との物事の因果を無視する嘘つき共。いや~、日本のマスコミには浄化が必要なんだろうな~(笑)日本がロシアのプーチン化しているようで怖くなる

いったい何が原因で、どうすれば改善できるのか。人は基本的な思考を徹底的に鍛えなければならない、ということが良く分かる

物事に疑問を持ち、徹底的に調べる。情報を調べる習慣は大切だ、ということだ。やっぱりテレビはいらないな
Back Ground: SPY×FAMILY



Twitter
「Twitter」の買収で「言論の自由」が揺れている、と言われている。しかし「Twitter」は情報公開の一選択肢にすぎない。嫌なら、別のサービスに移行すればいいだけだ。インターネットは情報を選別し、選択するための道具にすぎない

「Twitter」はシステム的に利益が出る構造にはなっていない、みたいなことが言われている。これが真実なら、理想を追求しすぎて持続性が危ぶまれている、と考えられる。トップが技術屋なら「高値で売れる時に売ってしまえ」となるのは当然だ(笑)

インターネット企業の買収は日常茶飯事。何故なら「トップが育て、企業的に価値が上がったらさっさと売却」との流れが定着しまっているからだ(笑)インターネット上の価値とは、利用者が一番居るときが最大だ。利用者が減ったら、その価値は暴落する。所謂、人気で価値が決まってしまう、幻のようなものだ。価値が一番上がったところで売り抜けるのが、成功の秘訣となっている

架空の価値に振り回されるのが、インターネットサービス業の現実だ。価値があるうちに売却するのは、トップとして当然だろう。そこに、従業員とか、利用者の思惑など、入る余地など欠片もない(笑)

まともな倫理観を持つ人ほど、自分の手におえなくなったらさっさと手放し、他の人に任せようとするだろう。「Twitter」は恐らく「手に負えなくなったので、売れるうちに売ってしまえ」が真相なんだと思っている(笑)資金があれば、失敗を糧にして新しいサービスを開発できる。技術屋なら当然の思考であり、売却は「持続性の正常化」を意味している。自分でもそうするだろう(笑)

企業としての正常化が、従業員や利用者に都合のいいものになるかは分からない。それは新しいトップの考えに左右されるものだからだ。ただ言えるのは、買収によって「Twitter」は大きく変わるというだけだ

インターネットでは「変化」は常に日常です。インターネットの本質は「変化」にある。変わることを忌避するのは、インターネットの本質から外れている。常に進化を求めるのがインターネットの役割だ

「Twitter」の欠陥とはいったい何なのか。人の発言を倫理的に判断することを、人まかせにいてるところだろうか。何百万・何千万もの発言を、瞬時に人が判断できるはずもない(笑)「AI」により「人の発言」を瞬時に倫理的に判断するのが正解なのか。そのためには、入力された「言葉」が倫理的に正しいものかを厳格に判断する必要に迫られる。つまり「言葉」の言い回しを、言語ごとに倫理を正確に分析する必要に迫られる、ということだ。世界規模のサービス特有の問題であり、技術的難問と言えるだろう…

そう考えると、従業員が増え過ぎた「Twitter」は構造的な欠陥をかかえていると言えるのだろうか。従業員の削減は、ある意味正しいのだろう。それは、代替案も無しに、人による倫理の判断を止めることを意味している

「Twitter」は技術的に人の手に負えない、というのが現状なんだろう

「Twitter」の開発者は、新しい技術は「あれもこれも、全部やりたい」から全てを詰め込もうとする。全てを詰め込み公開したら、現実社会の荒波にもまれて、問題点が噴出する(笑)最新技術は世間にもまれ、改善されながら完成していく。最初から完璧なものなど存在しないということだ

技術開発には「時間」と「金」と「多大な労力」がかかるもの。即座に対応とはいかないのが現実だ(笑)そのうち「AIによる判断」が一般的になる。そうなれば「人による判断」が軽減される。「Twitter」は時代を先取りしすぎた仇花といえるのだろうか

「Twitter」を買収した「イーロンマスク」の路は「茨の路」だ(笑)技術者が投げ出した難問が、絶壁のごとく立ちふさがる。様々な策を弄するイーロンは、まるで風車に突撃するドン・キホーテのようだ。ご愁傷様、としか言いようが無い
Back Ground: 幼女社長

頭の切れる技術者なら、こりゃやばいと逃げるとこだが、「イーロン」ならできるかも?と思ってしまう(笑)現実的にできないこをやろうとすると、必然的に通常とは違うことをやることになる。常識をくつがえす考えが必要だということだ。「イーロン」はまともじゃない。だから、今までと違ったことができるだろう、との期待ができる(笑)

自分なら時間稼ぎをしながら、新しい技術を取り入れ現状を変えていく。一度に変えることは不可能なので、段階的に変えていく。それが現実的な手法になる。これで「持続的な継続」が可能かどうかは分からない(笑)ユーザーは常に最新技術のサービスに移っていくから、それに答えられるかどうかは分からない

「イーロン」みたいな能天気な思考が必要なのかもしれない。人格的には失格だが、やり遂げようとする信念だけは本物なんだろうな。金持ちでしかこの苦境は乗り越えられないのかもしれないな(笑)売った先が一番の金持ちの「イーロン」なのは、ある意味正解なのかもしれない(笑)

「金の力でなんとかする」。それが「イーロン」の役目だろう(笑)まあ、金持ちの道楽と化す危険性も捨てきれないのが最大の問題だろう(笑)そうなったら、さっさと他に乗り換えるか、そうゆうものだと使い続けるしかない。ソフトは単なる道具にすぎない(笑)



分からない
人は分からないものを、さも分かったかのように行動するのが日常になっている。車の構造を知らずに運転する、スマートホンの仕組みを知らずに利用する、政治家の言葉の裏に潜む真意を知らずに鵜呑みにする(笑)

例え仕組みを理解してしなくても、要求に対して一つの結果が確実に得られるならば常用できる。要求に応じた適切な回答や動作が得られるものを、人は分かったものとして利用できる。要求に対して違ったものが返ってきたら、人は分からないものに分類する

今現在、最も分からないものが「コロナウィルス」だ。科学者・医療者・専門家の全てが、その仕組みを解明できずにいる。コロナウィルスは分からないから、感染しようものなら、どうなるか分からない(笑)早い話が、確実な対策法がまったく無いということだ

コロナウィルスの発祥地が、独裁国家の「中国」だとの事実が、より問題を複雑化させている。独裁国家では、都合の悪い情報は、全て闇に葬られる。コロナウィルスが人の手が加えられた「細菌兵器」であるならば、ウィルスが次々に変異するのは当然だ。「中国」が確実に封じ込めが可能になる、ロックダウン政策を執るのは当たり前。何故ロックダウンが必要なのか、その理由を推測するなら、当然「細菌兵器」との疑いは免れない

「証拠隠滅」が、如何に物事の解決を不可能にするものかが良く分かる(笑)この事実を一番理解しているのが、日本の「政府・政治家」だ(笑)「公共情報」の非公開だけでなく、証拠となる「公文書」をも破棄している。真正の悪党だとの証明だ

分からないから、人の意見が氾濫する。人の意見は、その仕組みを解明するものではない。結果がどうなるものかを、解明できない。つまり、要求に対して、適切な答えが得られない。人の意見で判断するな、と言われる所以です

今日、旧統一教会の「被害者救済法」が成立したが、この法律は発行前の事案には適用されない。つまり「救済法」では無い、ということだ。「自民党」が、とんでもない悪党だということが良く分かる。被害者を救う気などまったくない。過去に適応できない法律で、どうやって被害者を救えるのか

「自民党」の悪党ぶりが良く分かる。言うだけ詐欺が、自民党の日常だ。自民党の本性が分からないと、このエセ救済法の本質など分からない。自民党のせいで生まれた被害者を、自民党が救う筈がないだろう。悪徳宗教と組んで悪事を行ってきた自民党。悪徳宗教に都合の悪い救済法を作ろうものなら、自民党に都合の悪い悪事が白日の下にさらされる

自民党は決して悪徳宗教を見捨てない。見捨てるのは被害者だ。悪党の本質は、その行動に表れる

本当に分かっているのか、その疑問を持ち続けることが重要だ。全てを理解するなど不可能なので、必ず何かが欠けてしまうのが現実だ。断定しなければ決断など出来ないが、それはあくまでその時点での最良にすぎない

得られる情報が増えるほど、理解度が上がっていく。少ない情報で判断など不可能だ。例え判断材料が揃っていても、判断に至る論理の組み立てに失敗すると、誤った判断に至ってしまう

人は何と闘っているのか。それは、自分自身との闘いだということを理解すべき

そのためには、徹底的な情報の選別が必至になる。情報の選別・偏向・洗脳を謀る「NHK・新聞・テレビ」との決別は必至です。「人の意見」による判断を迫るのが彼らの仕事。判断するための判断材料が揃わないのだから、決別は必至です

そして「エンタメ・ゴシップ・スポーツ」からの離脱も必要だ。そもそも役に立つのが情報だ。役に立たないものを、情報とは呼ばない。情報では無い、何の役にも立たない、まったく関係の無い他人事。それが巷に溢れる「エンタメ・ゴシップ・スポーツ」の現実だ

「NHK・新聞・テレビ」と決別し、「エンタメ・ゴシップ・スポーツ」から離脱すると、表示されている情報の「8~9割」は不要になる(笑)世の中の情報は、そのほとんどが「宣伝」か「人の勝手な意見」になる(笑)

言い換えると、世の中に溢れる情報の「8~9割」は必要ないということだ

多くの情報が氾濫するインターネットでは、宣伝を如何に排除するかが胆になる。「これは宣伝だな」とか「これは単なる意見だな」と感じたら、問答無用で切り捨てる。役立たずの情報を選別する基本です(笑)自身に関わる情報は、自分で選ばなければ得られない。インターネットとは、自分に必要な情報を選別する場所になる

「必要な情報」は、調べれば調べるほど底が深い。「不要な情報」は、そもそも調べる価値が無い(笑)「この情報に価値があるのか?」との基本的な判断をしていれば、瞬時に不要な情報を切り捨てられる(笑)見分けるには、価値観そのものを鍛えなければならない(笑)

人の価値観の違いにより、必要な情報は変わってくる

エンタメ・ゴシップに価値観を持つ人なら、不要な情報は排除できない(笑)赤の他人を自分よりも重要視するならば、自分自身を貶める。地元の情報よりも、他所の情報に価値を見出すものならば、地元が衰退し自らの環境が破綻する。何が必要で、何が役に立つものか、その基本がしっかりしていれば不要なものを斬り捨てられる

「NHK・新聞・テレビ」は、「エンタメ・ゴシップ・スポーツ」や「勝手な人の意見」に価値があるかのように見せかける。価値無きものを、価値あるものにすり替えられると、人は確実に破滅する。人の価値観を狂わせるのが、俗悪なマスコミの常套手段。人は情報の価値を、瞬時に見抜かなければならない

価値観を鍛えたければ、NHKを見ればいい(笑)それが自分の公共なのか、それが地元の情報なのか、それが自分に必要な情報なのか、それは自分で調べられるものなのか。それは社会の不具合なのか、それは改善されるものなのか、自分自身に問えばいい。何の役にも立たないことが分かるだろう(笑)NHKの放送で、社会の改善は一切できない。よってNHKを見ていれば、社会は悪化の一途を辿る。NHKは「他人事」や「価値無き物」の見本市。その放送は人の価値観を破壊する

そもそも役に立つかどうかは、人の職業・興味・趣味・住む場所などによっても変わるもの。情報は自分で選別するのが基本です。だから人には、情報の重要度を判別する能力が必須になる。これができなければ、無能な馬鹿が出来上がる(笑)

自分が無能な馬鹿なのか、それを自分自身で判断できる。「NHK・新聞・テレビ」の意見を鵜呑みにしてはいないか、エンタメ・ゴシップ・スポーツを見ていないか、どこから情報を得ているのか、それが自分に役立つものか、自分自身に問えばいい。自分が如何に愚か者かが分かるだろう(笑)

人は基本愚か者。愚か者にならないよう精進するのが、人の暮らしの日常だ。人の日常は、思い道理にならないのが現実だ。その中で、創意工夫を凝らしながら、日々の日常を暮らしやすいよう改善していく

自身の生活に必要な情報を、日々探しながら生活の改善をはかっていく。それが人の日常だ。まったく関係の無いものに振り回されることほど愚かなものはないだろう。世の中は得られるものではなく、自ら得るものが、自分自身に身に付くものだ

変わらないと嘆いてみても意味が無い。自分自身が変わることで、周りの環境を変えていく。自分自身が変わらなければ、自身の環境は決して変わらないということだ

自分が何故、アニメや映画の動画を間に挟むのか。その理由は、物語は主人公が主役だからだ。主人公は、他人を基準なんかに決してしない。自分の境遇は、自分自身で切り開く。だから、物語は主人公が主体になる。一体どのように道を切り開くのか? その手法を探るのが、アニメや映画の動画になる

主役は自分自身であり、決して他人なんかじゃない。その現実を、アニメや映画は教えてくれる



広告
そもそも「広告」とは如何なるものか。「広く世間に知らせること」が基本的な意味になる。この広告には「利益を得るための広告」と「広く知らしめる目的」の2種類が存在する。2つの意味を持つものも存在するが、基本どちらかの意味になる

「テレビ」は基本的に「利益を得るための広告」だ。だから「自称公共のNHK」も広告だ(笑)NHKの場合は「総務省」と「自民党」が運営し、自らがスポンサーとなって、自分達に都合のいい情報しか流さない。政府・政治家の広告をテレビで流し、「政府・政治家・NHK」の3者が利益を得る。国民はテレビで公共を調べられないから、NHKの放送に意味は無い。NHKが国民のための放送なんかじゃないことが良く分かる(笑)NHKに「広告は無い」と言われるが、放送そのものが「広告」なのだから笑うしかない(笑)

利益を得る広告は、情報を発信する者が利益を得る。テレビで利益を得るのは、テレビ局とスポンサー。これが情報化社会以前の、広告利権を独占できた時代のシステムだ。情報化社会では、個人がインターネットで広告を流し、閲覧者数に応じた報酬を得ることが可能になる。つまり、独占的な利権が崩壊し、個人が広告で収益を得ることが可能になる。時代は「Youtube」や「ホームページ・SNS」等で、個人が広告報酬を得る時代へと移行している

「NHK・新聞・テレビ」等の広告で収益を得る媒体にとっては、正に悪夢の時代の幕開けと言って良いだろう(笑)

「広告は金になる」。これが「広告」の現実です(笑)広告とは宣伝であり、宣伝することで有名になって金を稼げる。広告によって広く知らしめ、有名になって金を稼ぐ。広告とは「金の生る木」にすぎない(笑)

「Youtube」では、自らが広告塔になって金を稼げる。人の「Youtube」を見てる暇があるなら、自分で動画を作成しなければならない(笑)自分の広告動画を作成できれば、広告が単なる宣伝にすぎないこと、意志的に創られた宣伝にすぎないことが理解できる。動画の作成には、作成者のセンスと創作力が問われるからだ。人の動画を見るより、自分で動画を作成できるよう精進すべし(笑)

最近、テレビ・新聞・雑誌等で「Youtuber」の露出が顕著になっている。これが良い人なら問題ないが、何故だか悪評が立つものばかりを話題にする。「Youtube」は決して「Youtuber」が主体なんかじゃない(笑)理由を考えるに、「Youtube」の評判を落とすため、これ以上の広告離れを阻止しようとする意図が見えてくる。既存の媒体から見れば、「Youtube」は目の敵にすぎないのだから当然だろう(笑)彼らが国民のためになっている「Youtube」を応援しない理由はそこにある…。だから彼らは、国民のためにならない動画しか紹介しない

社会に混乱をもたらす者は、「邪悪なもの」を話題にする。社会の現実から目を逸らし、社会の改善を放棄する「NHK・新聞・テレビ」。彼らが何故国民のためにならないことを「話題」にするのか。利権を保護する者は、広告によって利権を護る。広告とは利権そのものだということを理解すべき

利権によって利益を得る者は、邪魔になる者は排除する。役立つ動画、啓発動画・応援動画・活動動画などなど、「Youtube」には数多の「名作」が溢れている。良きものではなく、悪しきものを話題にする既存の媒体には、悪意しか感じない。話題作りに勤しむ彼らが、国民の利益などまったく考えていないことが良く分かる(笑)広告が利益をもたらす利権にすぎないことが良く分かる

国民の利益にならないものを話題にする者は、それが社会に混乱をもたらす「人のためにならない発信者」だと断定できる。情報を選ばぬ所は、人から見放されて消えていく、厳しい時代に入っていく。世の中には「悪しき広告」が存在することを理解すべき

広告とは宣伝であり、宣伝を独占できれば、莫大な利益を得ることが可能になる。広告とは利権そのものだといえるだろう

テレビを見ることで利益を得るのは、放送局とスポンサーと出演者。この三者で利益を分配する。つまり広告には、莫大な金がかかるということだ(笑)「Youtube」などで利益を得るのは、動画を作成する人自身。広告は、自ら発信する時代へと移行した。テレビが要らない理由は、テレビで利益をえるのは「放送局・スポンサー・出演者」であって、「見ている人」には何の恩恵も無いからだ(笑)「Youtube」などの場合は「見ている人」に利益があるような動画を作成している。つまり利益を得るのは「見ている人自身」になる。テレビが要らなくなるのは当然だ(笑)

「Youtube」などでは公開した動画に広告を組み込んで、作成者に報酬が支払われる。これは動画を作成する人が「放送局・スポンサー・出演者」と同じ立場になることを意味している。これは広告利権の消滅を意味する。広告の利益は、情報の発信者にもたらされる時代になっている

広告を利権として独占する情報支配の時代は終わりを告げ、個人が情報を発信する情報社会が到来している

情報化社会がもたらすものは情報の分散化。情報の独占を許さず、情報の公開によって見る人全てが利益を平等に受けられる。これは皮肉な事に、利権の分散化をも意味している(笑)「NHK・新聞・テレビ」は、広告で儲けられない時代になっている(笑)ネット上では、情報の価値は、どこであっても同じになる(笑)

情報の発信者が「放送局」であり、「スポンサー」であり、「出演者(タレント)」になれる時代が到来している(笑)有名人になりたければ「Youtube」に動画を投稿すればいいだけだ(笑)パソコンは必須です(笑)

一億総タレント時代の幕開けである(笑)

「Youtube」は「動画で利益を得る」、正に「広告」そのものだ(笑)だからその行動は、既存のマスコミ(NHK・新聞・テレビ・雑誌)とまったく同じ(笑)広告を見てもらうために、興味のある情報を流し、「いいね」ボタンのクリックをお願いし、チャンネル登録をお願いする。そうすることで、固定客となって動画の再生数が大いに伸びる。そうすることで広告収入が増える。お金を生む道具が「Youtube」という道具になる

だから既存のマスコミである「NHK・新聞・テレビ」は「Youtube」を敵視する(笑)しかし先見の明があるテレビ局は、「Youtube」を上手に活用する。自らの高度な情報収集能力や解説能力を、他とは質がまったく違うと大いに誇る(笑)「Youtube」とは情報の優劣を競う、非常に厳しい場所になる。だから高度な技術力・広報力さえあれば、誰であろうがお金を稼げる。「Youtube」とはお金を稼ぐ場所なのだ(笑)

「Youtuber」と既存のマスコミや宣伝媒体は、基本まったく同じといえる(笑)何故なら、広告で利益を得る「同じ穴の狢」だからだ(笑)既存のマスコミや宣伝媒体が「傲慢」で「無能」の上に「人にすり寄る」のと同じように、「Youtuber」も又「傲慢」で「無能」な上に「人にすり寄る」(笑)広告で金を稼ぐ「Youtuber」が、「傲慢」で「無能」な上に「注目」を引こうと必死になるのは当然だ(笑)「Youtuber」の姿と、「既存のマスコミ」や「宣伝」の姿は、まったく同じということだ(笑)

「広告」の本質を知りたいなら、個人が必至に「広告」する「Youtuber」を見ればいい。そこに「広告」の真実が存在する

本物の広告は、その質で勝負する。「傲慢」でなく「無能」でもなく「人にすり寄る」ものでもない。人に感動を与え、人に知識を与え、人の知識欲を刺激する。人の役に立つものが、本物として君臨する

「Youtube」は個人が動画で稼ぐという、新しい試みの過渡期にある。良きもの、正しいもの、役立つもの等々、試行錯誤の段階にある。「役立つもの」という本来の意図から外れたものは、検索の段階ではじくべき。情報は自分で選ぶ。だから自分に役立つものを厳選する。「役に立つ」とは如何なるものか、自分の成長に役立つものか、自身の判断能力が試される

無能な動画は、人を無能へと変えていく…。情報を適切に選べる者のみが、「Youtube」の恩恵に与れる。自身の情報を選別する能力が試される

今や既存のタレントは、時代に取り残されし過去の遺物と化している。「役立つ者」が注目され重用される、それが情報を蓄積していくインターネットの本質だ。役に立つものを模索する場所が「Youtube」と呼ばれる場所だ(笑)投稿は自分には絶対無理(笑)目立つのは嫌いだし、ゴシップなんぞは大嫌い。私生活の公開など、金を幾らもらおうが願い下げ(笑)技術的動画は…めんどくさい(笑)

インターネットの利用者が活用すべき情報は、自らに利益をもたらすもの、又は応援するもの、元気をもたらすもの…、つまり自分のためになる情報だ。インターネットは広告収入を、情報を公開する者に分配する。役立つ情報を公開する者こそが、正当な広告収入を得る時代になっている

広告は自分でする時代に変わっただけ、とも言えるだろう(笑)これは広告で利益を得る既存の利権団体にとっては、正に悪夢(笑)彼らこの現実を決して認めない。認めないから「Youtube」を貶める(笑)利権は人にとって、利益を独占するものであり、手放そうとは決してしない。広告で利益を独占する既存の利権団体は、役立つものの排除に向かう

利用者に何の利益をもたらさない、自分の利益のみを追求する「NHK・新聞・テレビ」が、国民から見放されるのは当然だろう

「広告」とは何者なのか。「広告」はいったい誰に利益をもたらすものなのか。人は良く考える必要があるだろう。そして同時に、世の中には「有益な情報」が溢れていることに気付かなければならない。膨大な「有益な情報」が溢れているからこそ、情報の独占を謀る者は、有益な情報を「広告」によって制限しようとする。「情報の公開」は「有益な情報」の拡散をもたらす。これは「情報の公開」がもたらす「正」の側面だ。当然「負」の側面も存在する。それは「人を貶める情報」だ

「人を貶める情報」がやっかいなのは、「人を欺く情報」でもあるからだ。これは正に「広告」だ。人を欺き、人を騙し、人を奈落へと落とし込む。だから人は「悪しき情報」とは如何なるものかを理解しなければならない

清濁併せ持つのが人間だから、当然のように世の中は清濁併せ持つ。人は「悪しきもの正体」を見極める能力が必須になる

そのためには、膨大な情報と上手に付き合わなければならない。情報を制限するものは、人を欺く者であり、身の破滅につながる。インターネットとは膨大な情報の海原であり、広大な宇宙そのものでもある。人はその中から「有益な情報」を探さなければならない(笑)

情報は漫然と得られない。必要な情報は自ら得ようとしなければ、絶対に得られない
Back Ground: Space到達!大マゼラン

情報を見てもらうことで収入を得ようするものは、全て「広告」だと断定できる(笑)「Youtube」は正に「広告」と言えるだろう(笑)だから「広告」である動画は、厳選しなければならない。何故なら、「悪人」にも利益をもたらすからだ

「Youtube」は社会に害悪をもたらすものにも「利益」をもたらす。だから「こいつはやばい」と思う者の動画は見てはならない。「Youtube」は見るだけで、動画の投稿者に利益をもたらすものだからだ。「炎上系」や「暴露系」と呼ばれる動画は、絶対に見てはならないものになる。これは社会に混乱をもたらすものであり、自らの利益には決してならない

だから「NHK・新聞・テレビ」などの既存の媒体は、「Youtube」の負の面である「炎上系」の動画を推奨する(笑)これは彼らが、国民のための情報ではないことを証明するものでもある(笑)社会を混乱に導き、混乱によって人々の注目を集め、話題を独占して自分の「意見」へと人々を誘導する。所謂、炎上商法と言われるものだ

社会を混乱させるもの、社会に害悪をもたらすもの。それらはそもそも「話題」にしてはならないものだ。主題として「話題」にするから、人の注目を集めてしまう。これらは主題ではなく、見てはならない傍系として排除すべき代物だ。混乱を招くものを「主題」にする者は、「悪しき者」だと言えるだろう

「悪貨は良貨を駆逐する」。これを実践するのが、社会を混乱へと導くものの正体だ

「やばい奴」を話題にする。これは無視するのが最善だ。話題作りに「悪党」や「無責任な奴」を引っ張り出し、社会の話題をかっさらい、重要な事柄から目をそらす。正に「卑劣な広告」による、社会を混乱へと導くもの。これは「良貨」を駆逐するための、最も有効な手段となる。見破るのは簡単だが、愚かな人間は簡単に引っかかる(笑)なにしろ目立つから簡単に引っかかる(笑)「悪貨」と瞬時に見抜く慧眼が必要だ

有識者はそもそも「無益な情報」を話題なんかには決してしない。「無益な者」は、無益なものを推奨する。これが世の中の現実だ。「無益な者」の正体を見抜くことが大切だ。「地位が高いから有識者」との常識は、もはや通用しない時代になっている

タレントや有名人や話題となっている人の動画は単なる人寄せの餌であり、自らの情報に人を誘導するのが目的だ。これは正に「人の意見」による「広告」だ(笑)今や広告は「邪悪な者」にも利益をもたらす。だから人は、それが「意見による広告」であるかどうかを見抜かなければならない…

有益な動画は、人に利益をもたらすと同時に、その作者にも利益をもたらす。見る者、作る者の両方に利益があるのが良き動画と言えるだろう。「有益な動画」とは如何なるものか、人は理解すべきだろう

良貨が駆逐されると、悪貨が蔓延り悪貨が世の中を支配する。悪貨は無視すべき代物だ

人が記憶できる情報は、自分が見て覚えた情報だけだ。人は「有益な情報」を自ら見つけ、身に付けなければならない。「無益な情報」に、自分の大切な記憶領域を奪われてはならない。「無益な情報」ばかりになれば、人は確実に「自滅」する

ただ漫然と動画を見て楽しむ時代は終った、ということだ。これは一体誰に利益をもたらすものか、人はそれを見抜かなければならない。人は「エンタメ・ゴシップ・スポーツ」の話題に簡単に引っかる。これは情報をジャンルごとに分類し、不要なものは排除すればいいだけだ。高度な情報化社会では、人は賢明でなければならないことが良く分かる

膨大な情報が溢れる情報社会。そこでは、あらゆる出来事が瞬時に過去へと追いやられる。素晴らしいものは「名作」となって記憶に残り、そのアドレスが人々に語り継がれる。インターネットには有益な情報や名作が、人と出会うことを待っている。それは自ら探さなければ出会えない
Back Ground: スタートレック

「テレビを持たない」のは今や現代社会の常識です。何故なら、情報そのものが存在せず、何の役にも立たないからだ。テレビは「広告」を流すための宣伝道具にすぎない。テレビを持たないことが、無用な情報とおさらばするための胆になる

「エンタメ・ゴシップ・スポーツ」は、問答無用で切り捨てる。何故なら、興味をひいて利益を得る「広告」そのものだからだ。これだけで「無用な情報」の7割がたは排除できる。好きなスポーツは、それらを纏めたサイトに行く。残りの3割から厳選すれば、1割も残らない

世の中は「広告」にまみれている。これが「広告で利益を得る」情報が金になる世の中の現実だ

「人名」や「人の意見」の広告(宣伝)が出てきたら、問答無用で切り捨てる。何故なら、まったく関係の無い人事だからだ。見ても全く意味が無い。人は意味が無いのに、興味があると見てしまう。人に必要なのは「行為」や「理念」であって、単なる「意見」など意味が無い。「人名」を「人」にすり替えれば、単なる「意見広告」にすぎないことがすぐわかる。「意見広告」とは、このようにしたいとの願望にすぎない。だから、問答無用で切り捨てる習慣が必須になる。情報の厳しい選別は、情報社会の基本です

どんな情報でも、そこには必ず意味がある。「大事なものから人の意識を逸らせる」ものなのか、「何の意味も無い目立つため」のものなのか、「意味はあるが自分にはまったく関係無い」ものか、「人を騙すため」のものなのか、「金儲けのため」のものなのか…。情報には様々な意味がある

世の中から「悪意の情報」が無くならないのは、どんなに酷いものでも、1分の利点があるからだ。言い換えると、1分の利点があるから「悪意の情報」が正論へとすり替わる。物事は全てを把握しなければ判断などできない。判断するには、膨大な判断材料が必要とされるのが情報社会。少ない判断材料で判断を迫るのが「邪悪な者」だということだ。情報はネットワーク状に繋がっているため、必ず複数の目線で見る必要に迫られる。「邪悪な者」の情報は、そもそも情報の形を成していない

「邪悪なものを一般的なものとして話題にする」、「邪悪なものを普通なものとして目を向けさせる」、「邪悪なものを邪悪だと思わせない」。これらは正に「悪意の情報」そのものだ。邪悪を普通に置き換える、正に邪悪そのものだ。見抜くには、一体誰が得するものか、いったい幾らの価値があるものか、推測すれば直ぐ分かる。それが単なる「広告」だと直ぐ分かる。自分自身にとって価値など無い事が直ぐ分かる

「邪悪な者」とは如何なるものか。それは何でもない只の「人」。悪魔でもない、獣でもない、怪物でもない、そこらにいる単なる「人」だ。邪悪な思想を持つ只の人。邪悪な思想を持つ者に、社会に影響をもたらす権力・地位を渡すから問題へと発展する。社会の表に出さないなら、何の問題も起こらない。「邪悪な者」を表に出してはならない。完全無視による抹殺が最良の手段となる。相手にすればするほど「表」に出る。情報社会では情報の選別によって、相手にせずに切り捨てられる。批判すべきは「人」ではなく、その思想や行動だ。人に必要なのは、良き思想や良き行動だ。適切な情報の選別が、如何に大切かが良く分かる

社会の仕組みを狂わせ国民全てに被害をもたらす悪徳政治家と、巷の小悪党のどちらが注目されるべきなのか。本来なら悪徳政治家なのだが、何故か日本は、小悪党の悪事が注目される(笑)なんでかな~不思議だな~(笑)日本のマスコミが、如何に狂っているかが良く分かる(笑)情報の重要度が理解できない、無能なマスコミが跋扈するのが、放送法によって情報規制が平然とできる日本という国の現実だ(笑)

批判すべきは「人」ではなく、問題を引き起こす原因だ。原因を取り除かなければ、同じ過ちを何度も何度も繰り返す。「人」を裁いても問題は決して解決しない。「悪しき者」は人を裁いて、原因・元凶を正さない。「善なる者」は人を裁かず、原因・元凶たる制度や仕組みを正していく。何故なら、同じ悲劇を繰り返さないための最良の手段になるからだ。「悪しき者・邪悪なる者」は、原因や元凶たる制度や仕組みに手を出さない

「悪貨は良貨を駆逐する」。これは「悪貨を出すな!」との警告だ。悪貨を表に出してはならない

要は「邪悪な者」を「表に出すな、話題にするな、権力を与えるな、地位を与えるな」と言う事だ。邪悪を認め世の中に紹介する者は、間違いなく「悪意を持った邪悪なる者」。本物の悪党を追及せず、小悪党を叩いて、人々の注目を逸らすのが目的だ。「悪貨は情報操作で身を守る」。情報を出す意味を、必ず問う必要がある

マスコミの質を問うには、流す情報の価値をみればいい。「悪しき」ものは「悪しき」ものを話題する。「悪貨」を宣伝するものは「悪貨」にすぎないということだ。流す情報をみることで、マスコミの質を判断できる。まともな者は、まともでないものを話題にしない。まともじゃないから、まともでないものを話題にするということだ。記事を見て、まともじゃないと感じたら、そこはまともなものではないと即断できる

「自分のためになる情報なのか」「自分の生活に関わるものか」「社会に関わるものなのか」「不正・腐敗・欠陥を問うものなのか」「知的好奇心を満たしてくれるものなのか」「そもそも判断にたる情報なのか」。これらが情報を選別する基本になる

探せば必要な情報は手に入る。これが情報社会の現実だ。何を探すかで、人の価値観が決まってしまう。人が賢明であるためには、情報は厳選しなければならない。しかし、人には休息が必要だ(笑)現実役に立たないのが「趣味」になる。趣味は人生の潤滑油。役に立たない情報で必要なのは「趣味」だけで十分だ(笑)自分の趣味に現を抜かし、必要な情報を厳選する。そうすれば、役立たずの情報も活用でき、「無用な情報」ともおさらばできる

生活の中で必須になるのが「本を読む」習慣だ(笑)テレビを観る時間とは、人生を捨てているのと同じです。読書とは社会の基本を学ぶこと。情報社会では「電子情報を読む」に変わっている(笑)電子情報では、簡単に検索し、情報を纏め、物事を適切に把握することが可能になる。Html文書で膨大なデータを纏めることが可能になった情報社会。自分自身で膨大な情報を検索し、纏め、学び、自分自身を育てていく。それが可能になるのが情報社会

「分かる」と「理解する」は、意味するものがまったく違う。「分かる」とは判別ができること。これは物事の違いを認識できると言うだけで、理解などしていない。だから「分かる」だけでは意味が無い。理解とは物事の仕組みを知り、どのような法則で成り立っているかを知ることだ。だから理解することで、物事の改善が可能になる。「分かる」は単なる判別だ。その先には「理解」という果てしない道のりが待っている

情報には明確な「優劣」が存在する。自分が目を向けるべき情報とは何なのか、確固とした「信念」が必要だ
Back Ground: The Imitation Game

物事の判別ができなくなると、人は人では無くなってしまう。人を人ならざるものに変えるのが、認知症と呼ばれる病気になる

認識は人としてあるための基本になる。認識するには対象となる膨大な情報が必要だ。認識するための情報が得られなければ、人ならざるものへと変質する。それが人の理だ。人は認知症にならなくても、環境によって認知症と同じになる。人には自分で情報を得られる環境が必要なのだ

人には判別できるだけの情報が必要だということだ。「悪しき者」や「邪悪な者」は、判断できるだけの情報を決して渡さない。そもそも判断させない。判断させずに、勝手な「意見」に従わせようとする。人に判断させないのが、邪悪なるものの正体だ

物事を解決したり改善するには、その仕組みを理解する必要に迫られる。物事の流れを決めているのは、制度や法則などの仕組みになる。人はその流れに従って動いているにすぎない。物事を決める仕組みが出来上がると、人は理不尽に抗う事が難しくなる。それが法律や戒律になると、もはや反抗できなくなる

だから改善しようとするなら、仕組みそのものを変えなければならない。言い換えると、「邪悪な者は自分に都合のいい仕組みを構築する」ということだ。物事を理解し改善しようとするなら、その仕組みを解明し、仕組みそのものを改善しなければならない

「悪しき者」や「邪悪な者」は、人を全面に押し出して、人が改善するものだと「広告」する。悪はその仕組みを改善させないよう、広告によって情報操作を謀る。「広告」とは単なる人の意見であって、それは人の欲望そのものだ。人の意見で判断するなと言われる所以です

人は流れを決めている物事の仕組みを、まず分析し解明しなければならない
Back Ground: 第二の地球

言論の自由と密接しているのが、誹謗中傷を法で裁く「侮辱罪」。侮辱とは、根拠となる事実が無い主観による誹謗や中傷を意味する。つまり、根拠があり、主観を挟まず、誹謗・中傷を含まない、論理的に正誤を正すものが批判になる。人は正しい批判をしっかりと学ばなければならない

そもそもそれが、批判に値するものなのか。その判断が最も重要だ。それが社会に混乱をもたらすものか、社会の悪化に繋がるものか、まず最初に考えなければならない。侮辱罪とは、人の批判であって、人の論理批判なんかじゃない。人を批判しても意味がなく、侮辱罪が成立する行為に意味は無い

侮辱罪は、人や組織への誹謗・中傷によって発生する。侮辱とは、馬鹿にして辱めること。侮辱罪は批判ではなく、人を辱める行為が対象だ。人に対する批判に意味は無い。人の意見は、その人の欲望の発現だ。人の意見に意味は無い。人の欲望に対しては、正誤の判断しかできないのが現実だ。批判の対象になるのは、考え方や思想であり、人に対する批判に意味は無い

人の意見は紛れも無い「広告」だ(笑)「自分はこのように思う」との「宣伝」だ(笑)だからネット上の「人の意見・人の発言」に意味は無い。人の発言は、その人の欲望にすぎないからだ。だから、人の意見に対して批判しても意味が無い。人に対して「意見」しても意味が無い。その行為に対して「善悪の判断・正誤の判断」しか下せない。その判断さえも、状況によって変わってくる

人の意見は無視するのが最善だ。お互いの欲望がぶつかれば、そこは阿鼻叫喚の地獄と化す(笑)離婚訴訟においての、お互いの意見陳述と全く同じ(笑)お互いの欲望がぶつかる場所は、理性と論理がぶっとんだ、人の醜い欲望渦巻く地獄にすぎない

人の意見に関わるのだけは止めるべき(笑)「人の意見」という欲望の塊は、犬も食わないゲテモノだ…

「物事に対する人の意見」で分かるのは、その人物の性格だけ。その人物がどのような考えをしていて、どのような結果を望んでいるのか。人の意見で分かるのはそれだけだ。まともなのか、まともじゃないのか、目立ちたがりか、馬鹿なのか、嘘つきなのか…人を評価するための一材料にすぎない。評価という人の意見は、物事を調べることでもないし、事実を正確に理解することでもない。まして、改善するものでもない。その人物を評価するための「考え」を公表しているだけだ。このようなものに意味は無い

物事に対する人の勝手な評価は、邪悪なマスコミによる常套手段。物事を勝手に断定し、物事の原因・元凶を暴かない。マスコミによる、勝手な人物よる勝手な評価とは、これ以上の事実は暴かないとの事実上の打ち切りです。人の勝手な評価とは、物事の勝手な断定です。勝手に人に物事を断定させるマスコミは、邪悪なものだと即断できる。邪悪なマスコミを選別できる、良きリトマス紙と言えるだろう(笑)いや~日本では、勝手にぞろぞろと湧き出てくる。日本の情報事情が、どれだけ酷いものかが良く分かる(笑)

ニュースは刑事ドラマと同じです(笑)事件を捜査し、事件の時系列を丁寧に辿り、事件の事実を明らかにする。ここで他の有名人がしゃしゃり出て、「事件はこうゆうものだ」と断定するのは捜査妨害以外の何ものでもない。マスコミによる「人の勝手な判断」は、事実を捻じ曲げる情報操作に他ならない

「NHK・新聞・テレビ」と呼ばれる自己主張をする「利権団体」には、人の意見しか存在しない。よってマスコミなんかじゃない(笑)「勝手に意見し勝手に断定する」のはマスコミでは無く、主張する利権団体。「NHK・新聞・テレビ」の記事に意味は無い。人の歴史を「意見」によって捻じ曲げる、偽りの歴史に意味は無い。判断できるだけの材料が揃っているか、確認すれば直ぐ分かる。勝手な断定が、人の意見の特徴だ。主観に基づくレポートに、意味を求めても意味が無い

「人の意見で判断するな」。これは情報社会の鉄則です

「広告」は「主義・主張」によって利益を得る。だから「人の意見」は、まぎれもない「広告」だ。「広告」への非難は意味が無い。何故なら、まったく意味が無いものだからだ

「主張」や「主義」を批判するのが本筋で、「人」や「組織」を非難しても意味が無い。何故なら、批判は改善を促すものであり、物事を決めている仕組みや方法を変えなければ意味が無い。「人」をいくら批判しても意味は無い。「人」を批判すれば、逆に「侮辱罪」で裁かれる(笑)「主張」や「主義」が改善されれば、「人」は勝手に裁かれる(笑)「人」を批判しても意味が無いことを理解すべき

「広告」に関わると「不幸」になる。「意見広告」とは「人を形づける理念・思想」であり、非難・中傷しようものなら「人としての否定」になる。つまり「侮辱罪」で裁かれる。危機管理として「広告」は問答無用で避ける。情報社会の基本です(笑)これが「情報が金になる」情報社会の現実だ

「広告」とは無視するもの、関わりをもってはならないもの。それは日本の厳しい「侮辱罪」が証明する。広告を誹謗中傷しようものなら、即座に「侮辱罪」で逮捕され、懲役と罰金という重い罪が科せられる。「広告」だと思ったら、即座に切り捨てる習慣が必要だ(笑)

「広告怖い!」。これが日本の現実だ(笑)日本の情報が「広告」まみれになっている現状を理解すべき…。広告は「人名」が表示されているかで判断できる。「人名」が表示されているものは、如何なるものでも「広告」だ。何故なら、侮辱罪が成立する要件だからだ(笑)

「人名」が表示されたもの、「人の特定」ができるものは、如何なるものでも「広告」だ(笑)何故なら、それがお金になるからだ。世の中の話題をかっさらう、話題にして世の中を混乱させる、話題にして金を得る等々、情報は金になるから、法的に問題なければどのようなものでも許される

「人の批判」「企業・団体の批判」などの直接の批判が何故無意味なのか。それは「週刊誌」を手本にすれば直ぐ分かる(笑)しっかりと調査し、裏付けを取り、しっかりと文面を精査して公開した記事が、相手から裁判に訴えられるのが日常茶飯事(笑)うわべだけの情報で批判しようものなら「侮辱罪」にひっかかるのは当然だろう…

「侮辱罪」に直結する「エンタメ・ゴシップ・スポーツ」を問答無用で切り捨てるのは当然だ(笑)「エンタメ・ゴシップ・スポーツ」とは、人の欲望の塊だ(笑)

「人名」が出る記事で、不正・腐敗・悪事で無いものは、全て広告だと断言できる(笑)だから問答無用で切り捨てる(笑)過去の偉人と記事の人と、どちらが有用なものなのか、比較するのが一番だ(笑)松尾芭蕉やリンカーンなどと、記事の人物を比較して、どちらが有用なのかを判断する。そうすれば、無用なものだと瞬時に分かる(笑)有益な人物は、自分を宣伝したりは決してしない。何故なら、人に有用な行動は宣伝とは本質的に異なるからだ

有益な行動は、多くの人に利益をもたらす。だから多くの人が称賛し、その行動を記録に残す。残された行動記録により、社会がより良く改善される。有益な情報とは、有益な行動そのものだ。「悪事」を有益な情報にすり替えるのが、社会を混乱させる「広告」、つまり「宣伝」だ(笑)世の中は金になる、目立つための「広告(宣伝)」にまみれている。これが紛れも無い現実だ…

「広告」の本質は「目立つ」こと。何でもいいから、とにかく目立つ。目立たなければ「宣伝」にはならないからだ(笑)だから、世の中の情報は「目立つ」ための情報ばかりになる(笑)情報の重要度などどうでもいいから、とにかく目立って「世間の注目」を集めようとする。そして「目立つ」ことで利益を得る。「広告」の本質は役立たず、というのが現実だ

「広告」は世にはばかり、人の批判の的になる。だから「広告」は避けなければならない
Back Ground: 広告

安全な広告とは何なのか。人を訴える要素が何一つ存在しない、人畜無害なものが良い広告と言えるだろう(笑)広告とは、広く人に告げること。インターネットにより、広告は自ら行うものへと移行した

心に響く広告は、侮辱罪などという罪を決して生まない

「テレビ」は広告。だから「テレビ」は持たない。「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」も広告だ。「人の意見」も意見広告にすぎない。無駄な広告は問答無用で切り捨てる。広告は「Youtube」や「ホームページ」で行い、発信者が直接利益を得る時代へと移行した。頑張って「役立つ情報」を作成している人に、広告の利益を与えましょう(笑)広告の利益は、活動費として役立つ人に与える時代になっている

ついでだから、まっとうな批判をしてみよう(笑)岸田首相は「防衛費」の莫大な増加を表明した。これは正に戦争だ。では何故今戦争なのか。権力者がその地位に縋りつくには、戦争が一番だからだ。戦争は、国内の一致団結を促し、権力の集中を可能にする。権力者にとって戦争とは、権力を維持するための特効薬。全てを戦争で有耶無耶にする、正に悪政だ

国民にとっては、生活悪化に繋がる最悪の政策だ。人類の歴史を見れば一目瞭然(笑)3兆円をもオリンピックにつぎ込んだ自民党にとって、国民の生活など、なんの意味も無いものだ(笑)仮想敵国は「中国」だが、一番「中国」と密接なのも「自民党」。「自民党」が如何に出鱈目な政党なのかが良く分かる

「防衛費」の大幅な増額で、国民の生活水準は下落の一途を辿る。自民党の討伐は必至です。何の役にも立たないテレビを公共に仕立てる「自民党」が、国民の事など考える訳がないだろうに(笑)何の役にも立たないテレビが公共だ。生活向上などありえない

政治家とは国民生活を守るための「法」を作り、国民生活の向上を目指す者。悪の政治家とは、自らの利益のために「法」を作る。「自民党」は紛れもなく後者になる

悪法は社会の悪化を招く最悪の代物だ。しかし日本のマスコミは、悪法を正そうとは一切しない。だから、悪法を野放しにするのはマスコミでは無い。まあ当然だろう(笑)日本は社会を改善しようとしない、マスコミに擬態した、広告を垂れ流す利権団体が跳梁している(笑)社会を改善しようとする意志があるかどうかで、利権団体かどうかが分かる。マスコミに擬態した利権団体は、悪法を許容する。マスコミは厳選しなければならない

悪法が有る限り、社会が良くなる道理が無い。法とは、社会の流れを決めること。悪法は社会の流れを狂わせる。人を裁いても意味が無く、法を正さなければ改善などできないということだ。人を裁く行為に意味が無いことを理解すべき

人が裁かれるのは、自ら犯した罪だけだ。その罪を裁けるのは「法」だけだ。他人が勝手に裁けるものではない。裁判官を気取っても、その先にあるのは「侮辱罪」か、罪を生む制度や環境に侵される愚かな自分があるだけだ。人は勝手に裁けない。裁けないから「事実の情報公開」が必須になる

人を裁かずとも、その元凶たる法や規則を改善すれば、「悪しき者」は一掃される。人を裁いて、法を裁かず。これが「悪しき者」の正体だ。「悪しき者」が何故世にはばかるのか。それは「悪しき法」がのさばっているからに他ならない

「仕組み」を改善しなければ、物事は決して良くならない

悪化の原因・元凶は何なのか、何故このような事態に至ったのか、その原因・元凶を解明しなければならない。物事の仕組みを理解することで、物事の改善が可能になる。広告とは単なる宣伝だ。物事が良くなる道理が無い

一番の良い例が、ロシアのプーチン大統領。何故プーチンが裁かれないのか。それは、ロシアでプーチンが裁かれない仕組みが出来上がっているからだ。独裁者は決して自分が裁かれない仕組みを構築する。悪政者を裁く仕組みがあったなら、そもそもプーチンは大統領になどなれなかった

世の中の狂った仕組みが「プーチン大統領」という、世の中を狂わせるものを生み出した。狂った仕組みは、狂った者を生み出すこと理解すべき。「情報の公開」は、世の中の仕組みを暴き出す。だから悪しきものは「情報の非公開」という悪しき仕組みを作り出す

データを出さずに「人の言葉による発言・討論」だけで判断する。これは何時の時代の判断なのか。しかし日本は、これで全てを決断する。日本が貧困化するのは当たり前。勝手な判断で勝手に決める。もっとも重要なのは、判断できるだけのデータを揃えることだ。データによる判断ができなくなった、情報後進国と成り下がった日本社会。仕組みを変えなければ、世の中良くなる道理が無い

それはそもそも「情報」なのか。自分の生活に必要な「情報」なのか。生活の向上に必要なものなのか。只の宣伝じゃないのか。人はそれが「自分に必要な情報」なのかを、しっかりと判断するだけの判断能力を養わなければならない。批判ばかりに明け暮れれば、ストレス満載の地獄と化す。無用な情報を取り込めば、無能でアホな無能力者に成り果てる。情報は適切に選別しなければならない

人には情報を自分で活用できる環境が必要だ。自分に必要な情報とは何なのか。それを自身に問う必要があるだろう

「映画・アニメ・Youtube」などの動画は楽しいが、動画を見たら、その時間の倍は「読書」するようにしている。、動画は単なるイメージにすぎないため、身に付いたようで身に付かない(笑)「テレビを観れば馬鹿になる」と言われるのは、イメージでしか物事を考えられない無能な馬鹿になるからだ。これは「言われたことを鵜呑みにする」無能な馬鹿を意味している。テレビが洗脳の道具と言われるのは当然だ…

「動画」を見たら、それがどうゆうものだったか「文書化」すれば良く分かる。そうすれば、如何に自分が無能なのかが直ぐ分かる(笑)動画の情報量は余りに多く、纏めることなど不可能だと分かってくる。テレビが単なるイメージでしかないことが良く分かる。判断するための判断材料が余りに少ないことが良く分かる(笑)結局映像とは、イメージするための道具にすぎない

「読書」は考えながら読むため、その思想や行動が身に付いていく。学問書・旅行記・物語等々の多種多様な文書を読むことで、思想・理論・思考などを体系的に学ぶことができる。「読書」が習慣化すると、物事を文書化するという、高度な作業が身に付く。これは文字を簡単に電子化できる、情報化社会の最大の利点といえる(笑)ブログを書くのもまったく同じ(笑)結局物事は、文書化して資料化しなければ身に付かないということだ

無料の文書は、インターネット上に無数にある。有料の電子書籍も手軽買える(笑)本を読むとは、物事を論理的に組み立てることを意味している。人は本を読むことで、意味するところを自分なりに纏めて記憶する。だから、人によって本の意味するところが変わってくる。人の感想が人それぞれなのは、人によって受け取り方が異なるからだ

本の内容をどうとらえるかは、人によって違ってくる。何故なら、どう読み解くか、その手法が異なるからだ。文書はどのように読み解くのか、その方法が重要だ。これは数式を解くようなものだ(笑)しかし数式を解けるから、文章も読み解ける、ようなものじゃない(笑)

言葉を一つ一つ読み解いて、それが何を意味するのかを考える。一体何を言いたいのか、一体何をさせたいのか、言葉を分解して一つ一つの意味を丁寧に繙いていく。そうすることで、物事の正しい見方が身に付いていく

「人の意見」や「人の主張」は面白いもので、何をさせたいのか、どのように思わせたいのか、その道筋が一つ一つ全く違う(笑)遠回りに正論を言っておいて、最後に自分の意見を押し通し、いかにも正しいものかように見せかける。自分の解釈が如何に正しいか、「人の意見」によって正当化する。などなど様々だ(笑)結論の導き方が怪しいものは、間違いなく「正しくない」ものに分類できる(笑)

日本のマスコミの「意見・主張」ほど見苦しいものは無い(笑)「正しくない」ものを「正しいもの」だと断定するからだ(笑)他には、今はこんな情報必要ないだろう、というものが氾濫している(笑)世の中の重大事項が、どうでもいい情報に塗り替えられる(笑)日本のマスコミの常識を疑うしかない(笑)

そもそも状況を正しく判断するには、膨大な情報が必要だ。何故なら、シュミレーションには正確な膨大な情報が必要になるからだ。それに対し、マスコミの情報は余りに少ない。少ないというよりは、都合の悪い情報は出さない(笑)一言・二言で物事を判断するのだから、詐欺師としか言いようが無い。判断を誤らせたければ、情報を絞って都合のいい方向にもっていけばいいだけだ(笑)状況の適切な判断ができるだけの情報を、まず揃えなければならない。怪しい情報は、そもそも判断できる情報なんかじゃない

まもとなところは「事実を正確」に伝えている。それがマスコミの仕事になる。情報の解釈など、人によって変わるものだということを理解すべき。だから、人の意見・主張なんぞに意味は無い

世の中には「論理のすり替え」という、おぞましい行為がある。悪しき仕組みによる「卑劣な悪事」がまかり通っているとしよう。これを誤魔化すには、他の悪しき仕組みによる「卑劣な悪事」をぶつける。そうすると前者の「卑劣な悪事」が放置されることになる。この二つの「卑劣な悪事」は、本質的にまったく同じ、ということだ…

これが「元凶の悪事を裁かない」という「論理のすり替え」というものだ。許せないものを許すには、他の許せない物事をぶつけりゃいいということだ。これが瞬時に「世間の注目」を集める、宣伝社会の現実だ(笑)

結局言いたいことは、「不正の仕組み」は正さないと改善などされないということだ。ここで「物事の重要度」が関わってくる。国民全てに関わるものだが、どちらが国民にとって重要なものなのか。「政府・政治家による悪しき仕組み」と「小悪党による社会の仕組みを狂わせる行為」。どちらが「重要」なのかとの問題だ。その中身は「欠陥のある仕組み」を巧妙に活用した犯罪行為

テレビやマスコミが小賢しいのは、正に「事件をすり替える」ことで、本命の「悪事」を放置するという「論理のすり替え」を堂々とやることだ。「宣伝」が如何に愚かなものなのか、しっかりと理解すべき

「政府・政治家による悪しき仕組みを利用した犯罪」がでてくると、何故だか「同質の同じ犯罪」が出てくる、不思議な現象が繰り返される(笑)なんでかな~不思議だな~(笑)

こいつらの主張は一貫している。「そいつを裁け。プライバシーを丸裸にして、徹底的に叩け」。これは「ナチスドイツ」の「人権侵害」とまったく同じ。何故そのようなものを生むのか、教育・制度・家庭の状況等々、さまざまな要因を潰してくのが先決だ。悪しき行いは、必ず環境や教育に問題がある。人を裁いても、その環境を正さなければ、同じ事が繰り返される。人を裁く行為は、何の解決にもならない。人が罪に問われるのは、その行いだけだ

最近の出来事では、未成年者が不適切な動画をアップして、世間で袋叩きするとの事件が起きている。犯罪に類する不適正な行為をしたから当然なのだが、本人はそれほど悪いことだとは思っていなかった。ここで重要なのはは、「それほど悪い事」とは思っていなかったことにある。つまり、世間に周知されていなかったのが原因だと言えるだろう。倫理的に不適正な動画のアップなど、今では日常茶飯事になっている

「炎上商法」などいう卑劣な行為が、まかり通っている現状で、「それほど悪いこと」に思えていなかった、としか思えない。学校の授業や、動画のアップ時に、どのようなものが「不適切な動画」なのか、しっかりと周知していればこのような事態にはならない。何故、「不適正な行為」ができないようにしないのか。この問題は、根本的な解決など考えてはいない

被害にあった会社は当然、未成年者に莫大な損害賠償を起こして、加害者を追い詰める。これは、マイナスの印象を更に増大させる行為になる。人の印象を上げるには、マイナスを上回るブラスの印象が必要だ。動画をアップするサイトに、このような動画がアップされないよう要請したり、全国の学校に対して、このような行為をしたらどうなるのか、しっかりと教えてもらう要請をして、このような事態が起こらないように対策する…などが必要だろう。しかし、損害賠償の裁判を起こして終わりなんだろうな(笑)「災難だったね」と顧客が笑って言えるような対処が必要なのだが、顧客を犯罪者として断罪する会社を、巷の人はどう思うのか。ここで同じようなことが起こったら、問答無用で裁かれる、と思うのが人の心理といえるだろう。悪い印象が残ったままだと、回復はのぞめないだろう。加害者を断罪して終わりとは、何の改善も無い、同じことの繰り返し

予想される結末は、加害者を追い詰め、破滅させるために莫大な損害賠償を請求する。破滅に莫大な損害賠償との印象が独り歩きをする。そして、人々が事件を忘れ去るのをじっと待つ。問題は、忘れ去ってくれるかどうかだ(笑)マスコミ・ゴシップ誌や話題に飢えた輩は、忘れさせようとは決してしない(笑)あそこは…あそこはと、延々と話題にしてくれる(笑)

「炎上商法」は物事を炎上させ、注目を浴びることで利益を得る。炎上とは単なる宣伝です。単なる意味なき宣伝だ。注目を浴びようとするものが宣伝だ。注目をあびるための行動に意味を持たせることが、そもそもの問題だ。動画をアップする時点で、サイトがきちんと審査していれば、このような問題は起こらない(笑)審査を受けてから動画のアップができるよう改善すればいいだけだ。まあ動画のチェックに膨大な経費がかかるだろうから、そう簡単にはいかないのが現実だろう(笑)AIによる自動チェックができるまで、ちまちまと人の手を借りるしかないだろう。「炎上」を犯罪とみなす、世間の評価が必要となるだろう

「炎上商法」というのは、そもそも頭の悪い宣伝だ。まともな考えをしてるなら、そもそも実行しようなどしはしない代物だ。誰もしないものだから、注目を浴びるものになる。炎上は頭の悪い犯罪行為にすぎない。頭のいい犯罪者は、人を騙すことに心血を注ぐ。だからその被害は甚大だ。炎上よりも、人を騙す行為にこそ注目し、被害を防ぐ必要がある

注目を浴びようとする宣伝は、何の意味も無いものだ、との世間一般の認識が必要だ。しかし世の中は、注目を浴びようとする宣伝に溢れている(笑)これを否定しようものなら、宣伝で金儲けができなくなる(笑)だから「炎上」の排除が必要なのだ(笑)炎上は話題として取り上げず、犯罪行為として一般に周知すべき代物だということだ

人の道から外れた「炎上」は、人の理から外れた犯罪だ。人を貶める、改善の道が無い、人に利益をもたらさない。炎上は「仕組み」を暴かない。炎上は「原因・元凶」を暴かない。炎上は改善できない。それが炎上の正体だ。炎上だと感じたら、問答無用で切り捨てだ

人は宣伝によって足元を掬われ、宣伝によって貶められる

これはどうゆうことかというと、表に出して宣伝するから問題になり、問題を宣伝するから被害が拡大するということだ。つまりは、宣伝は金になるということだ。宣伝によって莫大な損害額が発生し、問題を宣伝することで配信者に利益をもたらすと同時に、風評被害が治まらない。宣伝はどっちにころぼうが、プラスかマイナスの金を生むということだ(笑)

先の未成年者の動画配信は、どのような決着が良かったのか。名前や詳細を出さずに「器物損壊」などの罪で終わらせれば良かっただけだろう。最初から犯罪として裁いておけば、罪に応じた対処ですむ。馬鹿なまねをした未成年が、自ら学校を辞める事態を何故止められないのか。馬鹿なまねをしないよう、学ぶ場所が学校だ。学校から放逐すれば、茨の道しかない。損害賠償などという宣伝文句が、問題の解決そのものを歪めていく。宣伝が金になる世の中が、事態の解決そのものを狂わせる。テレビが公共になる国だから、動画も公共なんだろう(笑)さっさと「軽犯罪」として取り締まっておけばよかっただけだ。政治家がテレビで嘘をついたら、さっさと犯罪者として逮捕すればいいだけだ…

政治家が嘘をついても「絶対に許せない!」とか誰も決して言い出さない(笑)汚職で国民に甚大な被害を与えても「こんなの絶対に許せない!」なんてのも絶対言わない。なんでやねん…。政治家が吐く嘘なんてのは、世の中で最も悪質な犯罪だぞ…

映像は嘘も犯罪も許される。映像は莫大な金を生む。それが全ての元凶だ…

「情報の公開」や「情報の共有」によって、「悪事とはどうゆうものか」「犯罪になる行為はどうゆうものか」しっかりと周知する必要がある。周知したなら、「同種の悪事・犯罪」に対して、厳正な対処が必須になる。しかし日本は「情報の公開」や「情報の共有」とのシステム作りは決してしない

結局こいつらは何がしたいのか。「政府・政治家の悪しき仕組み」や「世の中の悪しき仕組み」を変えたくない、只それだけだ(笑)こいつらは「政府・政治家の悪事は許しましょう」「世の中の悪しき仕組みはそのままにしときましょう」と言いたいだけ。それが「宣伝」を上手に利用するということだ

これは中世の「教会」が行っていた「魔女狩り」と同じです。「教会」の権威を護るため「魔女」と呼ばれる悪魔をでっちあげ、数多くの人々が裁かれていった。「権威を守る」「組織を守る」ためには、生贄が必要なのだ

「生贄」になるのは、いつも普通の人々だ。「権威と組織」は裁かれない。「宣伝」の恐ろしさを理解すべき…

世の中を改善していくには、その「仕組み」を改善しなければどうにもならない。人を裁いても意味が無い。人を裁くのが「権威」をふりかざす「広告(宣伝)」だ

ニュースの「意見・宣伝」「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」は、「Youtube」の宣伝動画だと思ってる(笑)クリックしたら、配信者にお金が入る。だから、意地でも絶対にクリックしない(笑)

ニュースとは、自分の生活に必要な情報だ。自分の生活を改善するための情報だ。自分の生活を豊かにするための情報だ。それは自分で探さなければ得られない。情報では無い宣伝は、人を不幸にする。世の中は、金になる人に不要な宣伝が蔓延している

彼らは人を裁き、自らの意見を宣伝する。それを見る者は、人に裁かれ、宣伝によって搾取される愚か者。何故元凶たる仕組みを叩かない。何故元凶たる政府・政治家を叩かない。弱き人を叩いて何になる。叩きたければ、世の中を狂わせる元凶を叩きだせ

「意見広告」や「人の主張」は金になる。それが宣伝社会の現実だ

全ての出来事、全ての行いを繋ぎ合わさなければ、物事の真実は見えてこない。原因があるから結果がある。原因を究明するには、全てを明らかにしなければ見えてこない。全ての事実・人の行為を辿っていけば、そこに真実が存在する。悪しきものならおぞましい「悪」の真実が存在し、良きものなら「善」の真実が存在する。真実は全ての事実・人の行いを辿らなければ得られない

だから人の意見・主張など意味が無い。宣伝とは主張です。主張で真実を歪めるのが「広告」という名の「宣伝」だ。人が真実を歪め、人が真実を隠蔽する。人は意見・主張で判断してはならない

宣伝は問答無用で切り捨てる。膨大な事実と人の行いを丁寧に辿り真実を探る、それは膨大な情報との格闘だ。それが情報を主体にする情報社会の本質だ

インターネット社会で「広告」を排除するのは簡単だ。ブラウザに「広告排除」「プライバシー保護」のアドオンを組み込めばいいだけだ。「Firefox」のブラウザは、さまざまなアドオンを自由に組み込みこんで機能を拡張できる。さまざまなオプションを組み込んだ、スーパーカーにアップグレードできる

有名所に「uBlock Origin」などの広告自動排除のアドインがある。これを組み込んでおけば、広告は一切表示されない(笑)この他にスパイウェアの自動排除や、ブラウザのプログラム起動を禁止する「JavaScript」を制御するアドインなどがある。これらのセキュリティ関連のアドオンを組み込むことで、安全なブラウジングが可能になる。調べれば沢山でてくるので、自分で調べて入れるのが基本です

自動的に表示される広告は自動的に排除できるが、「広告の記事・動画」は自動的には排除できない(笑)「知りたいものの広告」は有用だが、「必要ない広告」は害にしかならない(笑)それは自分で判断しなければならない。それは「意見による宣伝」なのか。「宣伝を巧妙に隠蔽する」まがいものではないか。「宣伝」は巧妙に擬態して、人に近づき唆す。人には「宣伝」だと見抜ける能力が求められる。情報社会では「広告」の意味をしっかりと理解する必要に迫られる
Back Ground: TENET

物事の出来事を理解するには、時間を巻き戻すように、状況を丁寧を追っていくしかない。物事の経過を辿ることで、出来事を正確に把握できる。把握させたくなかったら、情報を非公開にして、一切辿れないようにすればいいだけだ。情報の非公開とは、状況判断が一切できない「非人間的社会」を意味している

人には何故膨大な情報との格闘が必要なのか。それは、物事を改善しようとする意識が必要だからだ。「改善」しようとしなければ、物事は決して良くならない。「改善」を怠れば、その先には「自滅」という奈落から待ち受ける。「人は考える葦である」と哲学者は言っている。人が考えなくなったら、人ではなくなる(笑)

人が人であろうとするなら、人は徹底的に考えなければならない。考えたくないから、人の意見に縋りつく。考える人は、自分の考えによって行動する。だから人は、自らの行動が正しいかを常に考えなければならない

人が考えることをしなくなったら、人の意見に盲従し、試行錯誤をしなくなり、物事の正誤の判断ができなくなり…人ではないものに変質する。そうなったら「自滅」という奈落に堕ちていく。人の行動には、常に徹底的な試行錯誤が必要だ。そのためには、判断するための判断材料が必須になる

人には判断するための膨大な基礎情報が必要なのだ(笑)情報社会では、関連する膨大な情報が瞬時に得られる。いい時代になったものだ。自分に必要な情報が瞬時に得られる。これがどれほどの「幸運」で、どれほど「有益」なことなのか。人はインターネットに感謝しなければならない

しかしインターネットには、膨大な情報があるだけだ。人は自分に必要な情報を、自分自身で選ばなければならない。これが最大の問題だ(笑)

人には「欲望」という名の、切っても切れないものがある。世の中には「欲望に流されると必ず不幸になる」という、逃れられない法則が存在する。何故なら、人の道から外れるからだ

人の道とは、人の幸福を追求すること。これは、人を不幸にするものを適切に排除することを意味している。社会の「不正・腐敗・欠陥」は潰していかなければならないということだ

世の中の「不正・腐敗・欠陥」を放置すると、世の中は人の道から外れた「非人間的社会」へと変貌する。自らで考えられない社会とは「不正・腐敗・欠陥」が蔓延る、改善ができない不毛な社会。改善できるのがまともな社会

人を平然と見捨てる、人の更生を妨げる、人の過ちを正そうとしない。それは、改善できない「非人間的社会」を意味する。「非人間的社会」では、人の倫理が崩壊し、不正・腐敗が蔓延こる阿鼻叫喚の地獄と化す

人は過ちを犯す者だと認めなければならない。だから過ちは、随時適切に正していく。過ちを認めないから、人そのものを許せない。過ちを正すとは、正常な状態に戻すこと。人を裁くことではない。正常な状態に戻せば、人は勝手に裁かれる。何故なら、異常の元凶である人も又、正されることになるからだ

過ちを正さない。そこから非日常の「非人間的社会」が生まれ出る。防ぐためには「情報の公開」が必至になる。悪事は「情報の隠蔽」から始まるからだ。有益な「公開された情報」により、過ちを正し、改善し、まともな社会になっていく。「情報の公開」とは、開かれた社会であり、物事を改善できるまもとな社会を意味している

それにはまず、情報の公開が技術的に不可能な「NHK・新聞・テレビ」という、公共をテレビに挿げ替える、悍ましい「宣伝の道具」との決別が必要だ

彼らは「情報の公開をしない」のではなく、「情報の公開が技術的にできない」時代に取り残されし役立たずの骨董品。「情報の非公開」で情報の独占を謀る、人の視野を狭め、人を逃れらない牢獄に押し込める獄卒だ。人を考えることができない、無能力者へと変えていく

テレビは公共だと断定する「NHK・新聞・テレビ」。情報の公開を否定し、情報の蓄積を放棄した、改善できない社会を構築する。これは正に「非人間的社会」を生む元凶だ。「不正・腐敗・欠陥」を放置する、「人の意見」で判断させる、情報そのものが存在せず自分で判断が一切できない。世の中を改善する気がまったく無い、おまけに毎日全てをリセットする、人として忌み嫌うべき代物だ

「NHK・新聞・テレビ」では状況の判断が一切できず、「こうしたい・こうやりたい」との「人の欲望」が乱舞する。「人の意見が判断基準」「人の意見で判断しろ」と喚き続ける。そこに「判断材料」など存在しない。人の道から外れた、人として避けるべき禁忌の場所だ

「有意義」な情報と、「無意味」の情報との違いとは何なのか。「有意義」な情報は、人に考えることを強要する。「無意味」な情報は、人に考えることを放棄させる。人はテレビで考えることなどできない。試してみれば直ぐ分かる(笑)考えるためには、判断材料が必要なのだ

「宣伝」はそもそも人の役には立たない。人の注目を浴びようとするものは、何の役にも立たない。役立たずに関わっていも意味が無い。利益を得るのは、宣伝する者だけだ。自分勝手な「人の意見・人の評価」は、紛れも無い宣伝だ。役立たずの宣伝は、問答無用で切り捨てればいいだけだ

これはそもそも情報なのか、これは人に役立つ情報なのか、世の中の改善に役立つものか、判断できる情報なのか…。不要な情報は切り捨て、有用な情報は記録する。それを延々と繰り返すのが、膨大な情報と向き合う情報化社会の現実だ
Back Ground: スターゲイト

スターゲイトは「知る」ことが、「知ろうとする」ことが如何に大切かを示唆している。人は知ろうとすることで、そこに何があるかを確認し、それが何を意味するかを理解する。人は知ろうとしなければ、何一つ知ることは叶わない

スターゲイトでは、扉の開け方を研究し、扉の開け方を突き止める。その先は分からないのに、先に何があるかを知るために躊躇なく突入する。その先には異星人に知ることを禁止され、奴隷として働かされる地球人の子孫がいた。彼らに真実を伝え、情報を制限する異星人を協力して倒していく

人はまず知らなければならないということだ。人は知らないことで奴隷となり、知ろうとしないことで奴隷となる。それをスターゲイトは教えてくれる

スターゲイトの動画は、日本語の字幕を自動生成できる。設定で英語の字幕を生成し、それを日本語に自動変換できる。字幕の自動生成と、別の言語に自動的に翻訳できる機能を備えている。「Youtube」の進化は、インターネットの進化と言って良い。次々に進化し、使いやすいものになっていく

技術の進化を肌で感じる場所が「Youtube」と呼ばれる場所だ。素晴らしいものと出会える場所にするために、情報は厳密に選ばなければならない
Back Ground: 返信

人にはその人が歩んできた人生がある。どのような行動も、その人の人生の裏打ちがある。たった一つの行動で、その人を判断することなどできない。しかしニュースのコメントを見ていると、短絡的な批判に溢れている。物事には原因があって結果がある。何故そうなった原因を探ろうとしないのか

だから自分は、短絡的な批判は避けている。全てを分からずに、批判などできないからだ。批判には必ず対案がいる。対案を示さない批判は、合理性を欠いている。そうならないための対案を見出せなければ、当然ながら批判はできない

物事には必ず、そうなった理由がある。そこに繋がる経緯がある。経緯と理由を知らずして、批判など決してできない

そもそも自身に関係しない物事は、教訓として自分に生かさなければ意味が無い。「エンタメ・スポーツ・ゴシップ」は、無視するのが一番だ。自分とまったく関係のないものを、何故自分事のように扱うのか。これは単なる人寄せの宣伝にすぎない。宣伝は教訓として生かせない。宣伝と見抜いたら、問答無用で切り捨てだ(笑)

それは自分の役に立つことか。それは教訓として生かせるものか。その見極めが大切だ

人の意見ほど残酷で醜いものはない。自分本位の視点で、自分本位の結論を導き出すからだ。はたから見れば、酷いなんてもんじゃない(笑)狡猾な人間は、酷い人の意見を批判して、自分自身を正当化。他が酷いからと言って、自身の正当化などできる筈も無いだろうに

人の勝手な意見ほど、まともじゃないものは無いだろう(笑)人の意見は情報なんかじゃない。人の勝手な意見は、物事を歪める元凶です。だから狡猾なマスコミは、有名人の意見を、勝手に情報にすり替える。これは情報操作の基本です(笑)有名人の意見を見かけたら、勝手な判断として切り捨てるのが情報社会の基本になる

人の意見は、その人物を評価するための判断材料にすぎないからだ

ネットの批評やコメントには、一切耳をかさない。人の意見と関わると、自分自身を見失う。そもそも関わるから、問題へと発展する。一切の関わりを断つのが、情報が氾濫する情報社会の基本的な対処になる

そもそもまったく関係の無い赤の他人を、執拗に批判する行為は、人に執着するストーカー行為にすぎない。他人の発言なら、その中身を批判するのが正道であって、人を貶めても意味が無い。人の行動や発言の中身を批判すれば、発言した本人も、その誤りに気付いて修正できる。人を批判とは、その内容の批判であって、人を貶めるものでは決してない。人の中傷は、単なるストーカー行為として、斬って捨てるのが正しい対処。中傷する人物は、頭のおかしいストーカーとして、忌み嫌うべき代物だ

人の勝手な意見の情報へのすり替えは、情報操作の典型的な卑劣な手段。頭の悪いマスコミほど、この卑劣な手法を好んで使う(笑)「専門家が言っているから正しい」「有名人が言っているから正しい」は、頭の悪い洗脳です。そこに経緯も無ければ、理由も根拠も無い。無い無いずくしのでたらめです(笑)

人の意見を参考資料として掲げるのは、記事に正当性を与えるため。正当性の無い記事ほど、人の意見を参考にする(笑)

しっかりとした記事には、「過去・現在・未来」という全ての経緯がつまっている。本来人の意見が入り込む余地など微塵も無い

全体像を見らずして、判断など決してできない。短絡思考は、自分自身を貶める。見たものでしか考えない。これは一般的に「愚考」と呼ばれる部類に入る。「愚考」は「愚行」へと繋がっていき、最終的に破滅に至る

人は「愚考」の恐ろしさを、教訓から学ばなければならない