生活の覚え書き 4

リセット
物事全てを無かった事にして、全てを一からやり直す事をリセットと呼ぶ。重大な問題がある場合、全てを一からやり直す。そうしなければ欠点や問題点を正せない。小手先の修正は、問題をより深刻にさせかねない

欠陥のあるシステムは、全てを作り直してリセットするのが理想的な解決法。しかし一般的には、小手先の修正で終わらせるのが常であり、愚かにも同じ過ちを繰り返す

世間一般も同じであり、潔くリセットして全てをゼロからやり直す。下手な小細工は、より問題を悪化させ、何の解決にもならない

欠陥のあるシステムは、欠陥品しか生み出せない。欠陥のある組織は、人と組織をダメにする

現在教育現場が教師まかせの組織になっているため、全ての問題を内部で秘密裏に自分勝手に処理している。民主党の日教組のドンが政治のトップにいたのだから、やりたい放題の無法地帯だ(笑)

教育現場で生産されるのは、物ではなく人間だ。だから欠陥のある組織からは、欠陥のある人間が大量に生み出される

組織のトップや関係者の処分ぐらいでは腐りきった組織は再生などしない。大なたを振るわなければ、組織の再生などままならない。組織とは組織に適合する人間を育成する場であり、腐った組織からは歪んだ人間が大量に生み出される。これはまさに現在進行形で日本に起こっている現実でもある。国を構成する人間を形成する場なのだから、厳正な処分が必須な場所。教育現場を開かれた場にして、必要な情報を共有できるようにしなければ、次から次へと問題が発生する伏魔殿と化した現状は決して変わらない

組織の人間が私情を交えず抜本的に改革する事など到底不可能。可能という人は自らを否定し自己改革ができる崇高な人間であり、ヒマラヤの奥地にでもいけば出会えるのかもしれない(笑)現状のまま問題解決をはかれば、組織そのものは一切変わらず、又同じ過ちを繰り返すはめになる。組織は人であり、人の集まりであるが故に問題は非常に根深く、根底から変えなければ問題解決にはならない。リセットとはシステムそのものを変える事であり、既成概念を一新する事でもある。組織の場合、システムと人は同格の両輪であり、片方に不具合があれば正常に機能しない

組織の前では一個人の力など何の役にもたたない。信念も、情熱も、その全てを打ち砕く。信念だけで変わるというのなら、アルカイダの戦士を教育者として迎えればいい。崇高な使命に命を投げ出す、強靱な人格をつくりあげてくれるだろう…。暴力による人格矯正は、人の破滅を意味する

過去の印象的なものに、学生剣道界で伝統のある部が問題を起こした時に、何のためらいもなく廃部させたという事件があり、余りの潔さに驚いた覚えがある。いかなる弁明も通用しない厳しい判断は、組織再生には絶対に必要なものだ。過ちを止められない体質そのものが問題であり、それとどう向き合うかが問われている。剣道の場合は、潔くリセットし、白紙からの再生を選んだに過ぎない。けじめさえつければ、継続できるとの考えは、体質そのものを温存し、同じ過ちを繰り返すという愚行を繰り返す。どのように処するかは、結局当事者の体質によって変わってくる

体罰で問題になった高校の場合、体罰が伝統化しているため、教員の総入れ替え以外に方策はない。これは一教師の問題などではなく、学校全体が体罰を容認する組織に成り下がっていたために起こった事件。組織を解体する以外に再生の道はない

自身に厳しい判断のできない人間に、人を教え育てる教育者としての資格などない。暴力を指導とはき違える人間にスポーツをやる資格など在りはしない。即刻辞めさせて排除するのが最良の判断だ。暴力は犯罪であり、いかなる理由があろうとも決して許してはならない。暴力を日常的に繰り返すような人間に、まともな人間性などありはしないのだから

全てをリセットすれば、築き上げたもの全てが泡となって消え果てる。リセットには必ず痛みが伴なう。痛みを恐れていては、次に進む事など決してできない。全ては学校という組織が道を誤った結果であり、道を失った生徒には、最大限のフォローが必要なのは言うまでもない
Back Ground Music: やさしくなりたい

マスコミの事件に対する報道は、あまりに醜く見るに堪えない。見たくなくてもトップに表示されるため、嫌でも目に入ってくる。話題になりさえすればかまわないと、どんな意見も載せ、相手のことなどおかまいなしに記事にする

話題を自作して問題を大きくするマッチポンプの典型だが、マスコミの信用は地に落ちる。まるでテレビの朝ドラを観ているようで、次から次に視点のずれた新しい事実が展開される(笑)巧妙な問題のすり替えや、一部のみに都合の良い意見を述べるマスコミは、都合のいいドラマを創作する創作作家にすぎない(笑)

スポーツと暴力は今や切り離す事ができない現代病だ。マスコミはスポーツの暴力を平気で肯定するし、学校の暴力指導はもはや病気としか思えない。正義を信じ不正を訴えても、学校側がもみ消しをはかるのだから、生徒が自殺するのは当然だ。今のスポーツ界に必要なのは、不正と暴力を正す強力な検察機能。しかし警察自身がパチンコ業界と堂々と癒着する体たらくなので、まったく頼りにならない

スポーツを堕落させたテレビとマスコミをスポーツから排除し、健全な体質にするのが手っ取り早い。スポーツに名誉や金は本来必要の無いものだ。己に勝つための強靱な精神力を育成するという、本来のスポーツ精神に戻るべき。その意味でも、名誉と金につられて虫が群がるオリンピックは、無視するのが一番(笑)マスコミと土建屋が儲かるだけ(笑)



字 幕
映画館では字幕を選ぶが、家では日本語吹き替えで観る。吹き替えは何も考えずに気楽に観れる

プロの声優が吹き替えるのだから、ごく自然に観れる。しかしタレントが吹き替えた場合、タレント本人の顔が浮かび、尚且つ不自然な吹き替えで映画がだいなしになる。最近大作の吹き替えを観たが、吹き替えが非常に不自然で、楽しんで観る事ができなかった。まるで臨場感がなく、棒読みの台詞は映画自体を破壊する(笑)

タレントで話題作りをしたいのなら、三流の映画に起用すべき。一流の作品に起用してぶち壊すのは止めて欲しい(笑)良き映画には良き声優が似合うのであり、つまらない映画にこそタレントを起用して話題作りをすべき。三流の娯楽映画にお笑いタレントを大量に起用しても、映画ファンは怒らない(笑)

一流の作品に、畑違いの人間を使ってぶち壊すのは止めるべき。ただでさえ映画の人気が落ちているのに、映画の夢をぶち壊す行為は自殺願望があるとしか思えない(笑)タレントを起用する配給会社が、タレントの人気だけで映画館に足を運ぶ人が増えると考えているのなら、自らを無能と自負している事に気づくべき(笑)

吹き替えでは声優の顔が見えてはならない。見えないからこそ人物に合うのであり、タレントを起用すれば、吹き替えた人物がタレントにすり替わる。こんな簡単な事が理解できないのでは、映画館のファンがますます減る(笑)

とりあえずタレントを話題作りに利用する配給会社がまともではないと分かったため、映画館に行く頻度がますます減る(笑)配給会社の信用の失墜は、映画そのものを貶める。一度目は字幕で楽しみ、二度目は日本語で楽しむというサイクルが、タレントの起用で粉砕された(笑)

吹き替えの失望は映画への失望へと変わり、映画という娯楽そのものを否定する・・・

追記: 映画の余りにもひどい吹き替えのおかげで、俳優や女優が嫌いになり、日本のドラマ自体に嫌気がさした(笑)最近では日本のドラマや映画を一切観なくなり、まともな声優がやっている海外ドラマばかりを観ている(笑)映画の吹き替えの破壊力はすさまじいものなんだなと、今更ながらに実感する(笑)海外ドラマは、金のかけ方が半端ない(笑)海外ドラマの質の高さに感動しつつ、日本のテレビ嫌いにますます磨きがかかってきた(笑)

日本のドラマを潰したければ、俳優や女優が洋画の吹き替えをすればいい(笑)映画を貶めた報いは、後々ボディーブローのように効いてくる(笑)
Back Ground Music: Cyborg 009



奴隷制度
人権のない奴隷制度は、先進国では法律で禁止されたが、人権のある奴隷制度は今もなお存続している

外国人研修・技能実習制度という名を借りた現代の奴隷制度を、自民党は率先して拡大してきた。中国で多額の借金をして日本に渡航し、借金を払い終えるまで帰ることもできない。生活習慣・言葉が異なれば、日本人の常識などまったく通用せず、ただの単純作業の労働者としての立場しか確立できない

国内の単純労働が外国人に置き換えられ、国内の労働賃金が押し下げられていく。国内の外国人労働者がどんどん増えていき、日本はアメリカと同じ移民国家になりはてる

自民党の目指す日本とは、金儲け優先の資本主義国家でしかない。目先の利益と金持ち優先の政策しか行わず、弱者切り捨て・金権政治による政治腐敗がますます深刻化していく。TTP も腐敗政党である自民党の念願であり、この政策が進めば単純労働は全て外国人に頼るしか無くなる。TTP とは経済の垣根が無くなる事であり、低賃金で生産される国の製品と価格競争をしなければならないと言う事でもある

価格競争をするには人件費の削減しかなく、日本で外国人を低賃金で働かせる以外に対策は無い。そのために外国人研修・技能実習制度を、自民党は悪用しようとしている。国民の事など何一つ考えず、ただ金儲けに邁進する自民党には、悪意しか感じられない。自民党は最初はまともな政策だと騙し、後で平気で都合のいいようにねじ曲げる悪代官でしかない事を忘れてはならない

奴隷制度がまかり通る国には決して平安は訪れない。戦争、紛争、治安の悪化等々、負の連鎖が続いていく。人の怨嗟は国全体をゆがませる。真の豊かさとは何なのかが問われている



衰 退
物やサービスが時代遅れになって衰退していくと、いつのまにか周りから消え去ってしまう。物事の衰退とは、気づかないうちに無くなってしまう事をいう

テレビや新聞は、視聴率が悪くなりテレビを見る人が少なくなったとか、新聞を購読する人が少なくなったとか、たまに報道されるが(笑)、身の回りからは消え去ってはいない(笑)ただ少しずつ減っているだけで、衰退している訳ではない(笑)衰退とは利用価値が無くなり、消え去る事を言うのであって、人が利用価値があると判断している限りは生き残っていく(笑)しかし、今やテレビや新聞が無くても何も困る事は無い(笑)かえって利用しない事で自分の使える時間が増え、有意義な時間を過ごせるようになる(笑)

放送局や新聞社は現存しているのだから、きっと利用価値があるのだろう(笑)ネットは日々進化を続けており、何故進化を止めたテレビや新聞が衰退しないのか不思議でならない(笑)きっと裏で衰退しないよう、あらゆる手段をこうじているのだろうか(笑)越後屋の常套手段は賄賂の小判と相場が決まっており、それは常日頃テレビ番組(時代劇)で大々的に放送しているのだから間違いない(笑)

しかしテレビや新聞を見なくなった人間には、そこらへんの事情は分からない(笑)

テレビ局が潰れたとか、新聞社が倒産したとか、そうゆう話などまったく聞かないので、未だに利用価値があるのだろう(笑)時代は確実にデジタル社会へと変わっていき、時代の変革についていけないものは確実に潰れていく。現状潰れていないのだから、テレビと新聞は未だに社会に影響を及ぼし続けているという事になる

時代に無用な物は消え去っていくのが正しい時代の変化であり、無駄に生き残れば、社会に無用な損害を与えていく。テレビと新聞は、社会の歪みを隠蔽し、悪を野放しにする悪党なので、無用なものとして衰退させていく必要がある(笑)

何故社会に悪党がのさばっているのか?それはマスコミの責任だと気づかなければならない
Back Ground: 星巡る方舟

利権は金を生む卵であり、利権は国民のためになる事に利用しなければならない。決して一企業に与えるべきものではない。今や利権で肥え太ったあげくに、自分の利益しか考えなくなったテレビやマスコミは、そもそも利用する価値など無くなってしまった(笑)

「NHK・新聞・テレビ」という情報を隠蔽して悪を生みだす悪しき組織は、社会に無用なものだと認めさせる必要がある。悪しきマスコミを衰退させるには、まず一人一人が無用なものだと認識しなければならない。そのためには悪の組織が無くても生活に困らない環境を整えなければならない

社会の変革という激動は、国民一人一人の意識の変革から始まる。その始まりは、坂本龍馬やジャンヌダルクというような個人ではなく、変革という意識を共有する、多くの無名の人々から始まっていく

衰退とは無用なものだと人々が認識する事から始まっていく。インターネットを生活を支える道具として活用する事で、[NHK・新聞・テレビ]という悪の組織の衰退が進んでいく。真実を知るための道具として、インターネットを活用していかなければならない。テレビとネットを繋いだり、テレビとパソコンを繋いだり、タブレットを利用したりと、時代に合わせて生活様式を変えていく必要がある

情報革命の発信地であるアメリカでは、新聞やテレビの地位が下落し、新聞社やテレビ局の倒産など今や当たり前になっている。しかし国民の望む情報をしっかりと提供している所は、信頼を得て存続している。つまり国民が必要としている情報を提供している所しか生き残れない状況になっている

社会に必要な情報は公共性が非常に高いため、自分の利益で動く商業マスコミには本来向かないものだ。本場アメリカでは、利益を追求しないNPO法人が商業マスコミの代わりとして台頭している。日本もこのようなNPO法人が生まれる環境作りが必要になっている

日本でマスコミの欠陥を補完するものとして、ネットのマスコミ・Wiki・個人のブログ等がある。日本の既存のマスコミは危機管理を抹消する欠陥品なので、補完の立場から脱却し、主役と並び立つ立場に変わらなければならない

既存のマスコミが衰退すれば、代わりのマスコミが自然と台頭してくる。衰退は時代に適応した新しいもの生んでいく、意識の改革の現われでもある。消え去るとは、新しいものへの転換を意味する

「マスコミとは生活に役立つもの」との意識の改革によって、情報を隠蔽するマスコミと決別し、インターネットの時代に適応したマスコミを応援する時代へと移行している。意識改革によるニューメディアへの転換は、情報社会の必然です

オールドメディアと称される「NHK・新聞・テレビ」は、批判を裁判で潰していく。批判しようものなら、即座に裁判に訴える(笑)さっさと切り捨て、ニューメディアへと切り替えていく意識改革が必要です
Back Ground: 遥かなる旅立ち



静脈認証システム
個人を認識する方法は、昔なら顔を見て判断するしかなかったが、現在では技術の発達で生態認証という便利な物がある。便利なものは進んで利用しようとするものだが、何故だか毛嫌いする人達もいる(笑)

個人を特定するという事は、人違いという誤りを犯さない事であり、信頼関係とか人権などまったく関係ない。関係ないものを、いかにも関係があるかのように誘導する人の事を詐欺師という(笑)ようは利用すると困るから嫌うのであり、技術そのものにまったく問題はなく、別の人間が勝手に利用できないようにする強固なセキュリティシステムでしかない

どこかの自治体が導入を検討したが、周りの反対で断念したとの記事があったようだが、その自治体はよほどセキュリティが大嫌いなのだろう(笑)クレジットの認証や銀行口座の認証などいっそ全部止めて、すべて対面処理に切り替えれば良い(笑)この記事で面白かったのは、記事の最後に大学の教授や専門家の意見として、管理する側との信頼関係を損なう恐れがあると書かれていた事だ。マスコミは必ず自分の意見を正当化するために、専門家の意見を必ず参考に出す。実際は参考などでは無く自分の意見を代弁させているだけで、このような記事に意味など無い(笑)

実際に参考にすべきは、機材を開発し実際に運用している側であり、セキュリティの重要さを認識させるのが本筋になる。実際はセキュリティをおろそかにし、ただ人間関係のみを重要視して、認証システムなど必要ないかのような論理を組み立てる。言葉のトリック(まやかし)なのだろうが、最近はこの手の記事が非常に多い(笑)

物事の本質のとらえ方は人それぞれなので、何が正当なのかは実際は分からない(笑)しかしどちら側に立っているかは判断できる。マスコミがどちら側に立っているかを判断できれば、その記事の本質を見抜くことはできる(笑)それが正しいのかどうかも人それぞれなので、判断は個人の主観に委ねられる(笑)マスコミもいいかげんだが、読む側も又いいいかげんなのだから、痛み分けの引き分けと言ったら怒られるのだろう(笑)
Back Ground Music: Nights in white satin

最近老人がオレオレ詐欺や、巧妙な手口の金融詐欺にひっかかる事が非常に多くなった。原因はテレビやマスコミによる過剰な情報の氾濫と、老化により正しい判断ができなくなった事にある。老人は多数の情報を処理できないため、直近の情報だけしか覚えられない。テレビは老人の老化を加速する。ドラマが見たければ、自分で見たいドラマを選ぶという自発的な行動が必要だ。垂れ流しの情報は、自分で考えるという人間の本質を劣化させていく

テレビの害毒とは、脳の老化を加速し、自発的に考える事ができなくなる事。詐欺に遭わないように注意はするが、簡単に詐欺に遭う人間(考える事をしない人間)を大量生産している。テレビとの決別は、人としてあるために必須なものだ。テレビと決別すれば、自動的に自分自身で調べる生活へと変化する(笑)テレビは持たない時代になっている

老化に対しての対処法は、社会で守る他はないのだが、日本の法律は金を欺し取られても取り返すことができないようになっている。騙し取った犯罪者は、数年刑務所に収監されれば無罪放免。日本は詐欺師にとっては天国なのだ。だから日本で詐欺に遭ってお金を騙し取られる事は、論理的にしごく当たり前の事であり、日本では詐欺師に見守られながら生きていかねばならない(笑)

日本では詐欺罪として立件できなければ訴える事も出ず、まず弁護士を立てる事から始めなければならない。詐欺にあっても警察は受け付けてはくれない(笑)日本では詐欺罪も非常に軽く、詐欺に非常に寛容な国なのだ(笑)まず詐欺罪そのものが、お金を返却しなくてもすむような法律なのだから、日本では詐欺そのものが効率の良い商売として成り立っている(笑)騙し取ったお金は、必ず返済させるという法律をつくらない日本では、詐欺は立派な商売なのだ(笑)

詐欺でお金を騙し取られたら、そのお金は返ってはきません。とはっきり明言しないマスコミ、警察、政治家は、詐欺師そのものだと理解すべき(笑)

詐欺師天国の日本を変えるには法律を変えるしかなく、詐欺で騙し取られたお金は、返し終わるまで刑務所で労役させるしかない。これは簡単な事で、被害者が望めば、犯罪者がお金を全て返し終わるまで刑務所で労役として働かせればいいだけの事だ。詐欺被害の回復はお金で回復させるのが筋であり、罪を刑期であがなうというのは根本的に間違っている。お金を返済できなければ刑務所に一生収監されるという重しが無ければ、詐欺商売は絶対に無くならない。何故詐欺がこの世から無くならないのか。それは法律で守られた詐欺で甘い汁を吸い続けいてる人間が、日本に一杯いるからだ(笑)

労役を税金で補填するなどもっての他なので、原発の雑用などで働かせれば補填の必要もない。労役の質を上げ、被害者にお金がきちんと返済できるシステムを構築すれば、裁判の質が向上し、勝訴した側がお金をもらえなくなる事態を無くす事ができる。犯罪者天国の日本を変えるには、労役というシステムを上手に活用する他にない。全ては政治の問題であり、馬鹿な政治家を選んだ結果が、日本を詐欺師の天国にしてしまったと言える

お金は働いて稼いだものなのだから、働いて返済させるのが筋というものだろう。これができない日本は、詐欺師にとっての天国であり、詐欺が当たり前の国でしかない(笑)日本では欺される方が悪いのであり、欺す方は金を返さずに刑務所の3食昼寝付きの豪邸でゆっくり過ごせる。日本では詐欺師に対して最大の人権を保証しており、欺された側には人権など一切ない(笑)

金融関係の刑罰が諸外国に比べて異常に軽い事が、日本の中枢が詐欺まがいの事を平気で行っている証明になる(笑)

犯罪者を取り締まる法律をつくる政治家が、嘘を平気でつく詐欺師なのだから、日本が詐欺師天国になるのは当たり前(笑)政治家は憲法を変えようとして必死になっているが、犯罪者を厳しく取り締まる法律をつくり、平穏無事に暮らせる日本にする事が先になる。政治家は詐欺師である自分を守る事には必死になるが、詐欺の被害に遭った人は決して守ろうとはしない(笑)

結論として、日本は詐欺師にとって非常に住みやすい天国のような地(犯罪者の都)なので、金にまつわる話(友人・知人・マスコミ問わず全ての話)は、決して信じてはならない(笑)特にマスコミは詐欺師の親玉のようなものなので、注意はしても決して鵜呑みにしてはならない(笑)



捨てる
生きていれば、さまざまな物が身の回りに溢れてくる。それを放っておくと足の踏み場がなくなり、身動きができなくなる。今の自分の部屋と同じで、物が氾濫して何がどこにあるのかさえ分からなくなる(笑)

とりあえず全ての物をチェックして、いらない物をどんどん捨てていく。パソコンの部品で古い物は今ではまったく役に立たないので、かたっぱしから捨てていく。古いものを後生大事に持っていても大概役に立たたず、使われない場所が増えるだけだという事が分かってきたからだ(笑)

使わないものを処分する事で生活範囲が広がり、その分生活し易くなる(笑)次は使わないものを決める事で、自分の利用できる時間を増やす。とりあえずテレビと新聞は使わないと決めているが、今年は追加で芸能ニュースとスポーツニュースとゴシップネタを使わないようにする(笑)スポーツ観戦が趣味でもないし、芸能人にはまったく興味が無いので、はっきり言って時間の無駄(笑)

自分のやるべき事に集中し、他は自分の趣味を大切にしていくだけの生活を目指す。役に立たないものなど、自分の趣味だけで十分だ(笑)目標を持てば、後はそれに向かって進むだけ(笑)テレビを観て過ごす事が何故無駄なのか? それはテレビの中の主人公が、テレビを観ながら無駄に時間を過ごすなど絶対に無いからだ(笑)

テレビの主人公になりたければ、すぐさまテレビを捨て去り、生産的な生活を送らなければならない(笑)

世の中には「断捨離」というものがはやっているらしい。簡略すると「世の中の雑音を断ち、自らを考え直す」と言った所だろうか(笑)仏法用語なのだろうから、「煩悩を断ち、不要なものを切り捨てる」が正しいのだろうが、人が煩悩を捨てたら聖人になるしかない(笑)聖人は無理なので(笑)「世の中の雑音を断ち、生きる意味を問い直す」というのが現代の断捨離といえるのだろうか

世の中の雑音とは、まごうことなく「NHK・新聞・テレビ」(笑)正に強欲という煩悩の塊(笑)この三つを捨て去ると、自然と見るのが億劫になる(笑)捨て去ったものは、もはや単なる異物です。「何を言っているんだ」ぐらいにしか思えなくなる(笑)「捨て去る」という事は、物事を客観的に見るための方便といえるのだろう

雑音を生活から捨て去ると、世の中の真理が見えてくる



説 明
説明とは、相手に物事を正しく伝える事。これが非常に難しい(笑)ただ対象を説明するだけでは、何故必要なのかという根本が相手に伝わらない(笑)

こちらがいくら分かっていても、相手が理解していないのでは何一つ伝わらない(笑)まず理解してもらうのが先決です。自分本位の説明は、永遠に相手に伝わらない(笑)説明とは理解そのものであり、事の本質を伝える必要がある。面倒で面倒で、どうしようもなく面倒なものが、説明という物事の本質を伝える行為といえよう(笑)

深く説明していくと、自身の誤りや欠点が見えてくる。なので、やりすぎるとドツボに嵌る(笑)利点と欠点は表裏一体。利点と欠点の並列は、説明の必須事項になっている。欠点を正しく理解することで、利点の正しさを証明できる。証明できないければ、それは論理的に間違いです(笑)

さつまいもを輪切りにして、底に水を入れる電子レンジ用のタッパーに入れて、電子レンジでチンする料理を説明したら、それは料理では無いと一蹴された(笑)一工夫するのが料理であり、そのようなものは料理とは呼ばないと怒られてしまった(笑)自分にとっては時間と手間を省けて、尚かつ調味料が一切いらない大した料理なのだが、評価されないのはあまりに悲しい(笑)
幾ら説明しても分かって貰えないという虚しさは、いつものことなので慣れてしまった(笑)人と人との間には、相容れない部分が必ずある(笑)相容れない所が、正しいのかどうかが問題になるだけだ(笑)大概趣味の違いで決着が着くことなので、問題にはならない(笑)

批判にさらされ、言い負かされるのには慣れたので、いかに正論を駆使するかが勝つための秘訣となる(笑)マスコミの腐った正論は何の役にも立たないが、海外ドラマ・洋画・小説には、人として生きるための正論が、物語の中で生き生きと輝いている(笑)日本のテレビのドラマは、楽しむだけの娯楽であり、得るものが何も無い(笑)

しかしアニメや特撮ヒーローには、悪と戦うための真理がある(笑)



戦争と虐殺
戦争とは人が殺しあう虐殺行為。虐殺があったのか、無かったかの論議など意味がない。戦争は人が殺し合う凄惨なものであり、加害者と被害者との概念自体も狂わせる。だから戦争に加害者と被害者との概念を持ち込むと、戦争の意味が変質する

人と人との間には、拭いきれない不審が渦巻き、それが結果として争いへと繋がっていく。戦争とは、最大級の人と人との争いです。小さな小競り合いから、戦争にまで発展する

戦争の記憶は、人類の過ちとして、しっかりと記録に残す。しかし憎しみを記憶として残すことは、新たな争いの火種となる

「戦争に虐殺は無かった」、又逆の「虐殺があったから反省しろ」との発言は、新たな戦争の火種を意味する。戦争の記憶が、新たな戦争に繋がっていく連鎖は断ち切らなければならない。戦争とは、人に対する不審から始まる。不審を煽る発言は、戦争そのものを意味する。人はこの不審の連鎖を断ち切らねばならない

中国と韓国は、日本に対してことある毎に「虐殺があったから反省しろ」と言い続ける。日本を信用していない証拠であり、まともにつきあえる訳が無い。続きは「戦争責任があるから誠意をつくせ」つまり「金を出せ」と続くのだから、もはや単なるたかりです。韓国と中国は、基本的に「恨み」を生きる糧とする。相手を徹底的に恨むことを、生きるための糧とする。徹底的に自己本位であり、恨む相手には何をしようが許される

だからといって「大規模な虐殺は無かった」と言といえば戦争になる。戦争とは虐殺そのものであり、虐殺の規模の問題しか存在しない。規模の問題を持ち出しても、虐殺という事実に変わりは無い。「恨み」を根本にした相手に、何を言っても無駄

日本の過ちは、中国と韓国とまともにつきあえると誤解している点にある。彼らにとって日本という国は、未来永劫謝罪し続けなければならない属国にすぎない。だから国土をかすめ取るような行為を平然と行う。日本を憎む政策で、国全体の深層意識に日本が悪の存在として認識されてしまっている。いくら表面上で友好を謳っても、もはやまともな関係は築けない。日本を「悪」と意味付ける国と、まともな関係など築ける道理が無い

中国と韓国とまともにつきあおうとする政治家は、当然ながら彼らに媚びへつらう。まるで日本が彼らに付き従う、不平等な関係を築こうとする。日本を貶める下劣な行為であり、中国と韓国とまともにつきあおうとすると、必然的に日本の品位を貶める

今の中国と韓国の国内外の政策は、とてもまともなものと言えるものではない。まともではないものと、まともに付き合うと争いになる。争わないようにするためには、疎遠になる以外に手立ては無い

中国と韓国は、戦争を日本の虐殺の歴史として利用する。日本は、戦争はしてはならない歴史として記憶する。戦争とは虐殺の歴史であり、人への不審の感情が戦争へと駆り立てる

まともでない者とは、まともには付き合えない。これは人間関係の基本です。まともでないマスコミとは付き合えない、のと同じだ(笑)日本のマスコミの、自己本位で問題のすりかえを平然と行うところは、韓国や中国とまったく同じ。同じ者同士、引かれ合うのは当然だろう(笑)

NHKは人権侵害を平気でやる中国が大好きだ(笑)嘘を平気で吐き、情報操作をものともせず、人権侵害は公共だと平然と言い放つ。今やNHKは中国そのものだ(笑)

いかに争わずに事を納めるか。それが人間関係の神髄といえるだろう(笑)自ら火種になる人は、「災いの火種」をばら撒く忌むべき者。自らが忌むべき存在になっていないか、それを自覚する必要があるだろう(笑)

争いの火種はあらゆることろに存在する。偏見・誤解・誤認、等々色々ある。不用意な発言は身を滅ぼす(笑)だから「NHK・新聞・テレビ」という不用意な発言の集大成は切り捨てなければならない。何も得るものが無く、何も役にも立たない(笑)

相手が完全に誤っていた場合は、きちんと反論すべきだろう。日本が中国と韓国と今まで付き合ってこれたのは、理不尽な行為にきちんと反論しなかったから。きちんと反論すれば、まともに付き合えない事が分かってくる(笑)
Back Ground: The Winner



薄皮を剥ぐ
物事を行うには、必ず必要な手順がいる。完璧に行える人は、手順を何度も繰り返して、完全に身につけている証拠。しかし最初からできる訳では無いし、状況が変われば、又別の手順が必要になる

薄皮を剥ぐように、少しずつ進んで行くしかない。何事も一度に全てをやれるものではなく、欠陥を一つずつ潰しながら、時間を掛けて行くしかない。手間を惜しめば、結局それ相応のものしか出来上がらない

物事を行う場合には、大概行動を定義するマニュアルが必要になる。このマニュアル道理に行っていれば、一通りの事はできる。しかしマニュアルというものは、単なる基本の概念だけなので、出来上がる結果は人によって異なる。マニュアルとは基本であって、応用が利かないものだ。マニュアル至上主義に陥ると応用が利かなくなり、マニュアルの欠陥の歪みが大きくなり、いずれ破綻を来す

マニュアルの欠陥とは、システムの欠陥そのものだ。世の中に完全なシステムなど無く、必ず何らかの欠陥を内に秘めている。マニュアルは結果を出すための手段であり、手段にこだわりすぎると、肝心の結果までもが歪んでしまう。マニュアルとはシステムそのものの説明なので、マニュアル外の操作ができるという事は、システムに欠陥がある事になる。マニュアル以外の操作ができないものが、システム的には正しいものになる。しかし、そのようなものはめったに無い(笑)というか、そのようなものは見たことが無い(笑)だから欠陥を内に秘めたマニュアルに依存すると、最後には破綻へと突き進む

マニュアルには3種類あり、定型の仕事しかできない機械操作系のマニュアル、人の動作系に関するマニュアル、機械と人の連携が必要なマニュアルがある。マニュアルとは動作を円滑に行うための手順であり、臨機応変さが求められる。マニュアルにない手順が臨機応変であり、マニュアルが完全だと思っていると、抜け出せない落とし穴に嵌まり込む

マニュアルとシステムは、完全に同一ではないからだ

何でこのようなマニュアルの話になったかというと、JRの車掌がホームの乗客の救助のために下車したため、電車のスケジュールが大幅に遅れたニュースがあったからだ。この事故に対して、掲示板でさまざまな意見が飛び交い、「マニュアル無視の暴挙」と「乗客救出の英雄」の二つが対立。喧々囂々の意見が飛び交う事となった(笑)

この問題の本質は、車掌が居なくなった場合をJRがマニュアルで想定していない点にある。つまりマニュアルの欠陥が露呈したにすぎない。運転手と車掌が無線で常時連絡ができ、連絡が途切れなかったら防げたものにすぎない。マニュアルとは、想定外が起きた時に、随時修正していくものでもある。この場合、このような事態を想定した装備を追加し、マニュアルを変えればいいだけの話だ。経費の問題で、それが行われるかどうかは分からないが(笑)

システムの欠陥は、大概装備の不備による欠陥なので、修正しようとすればお金がかかる(笑)大概お金を掛けないために、マニュアルで行動を規制しているため、この場合に適切な装備が追加される事は無いだろう(笑)一番良い方法は、車掌が携帯無線で常時連絡できる体制を整える事だが、車内連絡でも代替できるだろうから、連絡が取れなくなった場合の対応をマニュアルでしっかりと規定すればいいだけの話になる

マニュアルはシステムの欠陥には対処できないため、この場合はマニュアルを作成したシステム責任者も責任を問われるべき(笑)システムの中では、人間ほど不安定要因なものは無い(笑)これを全てマニュアルで定型化する事は不可能に近い(笑)この事故の当事者である車掌は、少なくともシステムの欠陥(車掌が居なくなる事態を想定した事故)に対応できた点においては優秀だと判断できる(笑)責められるべきは、車掌がいなくなった場合のマニュアルを作成しなかったシステム責任者だろう(笑)

「そんな事ぐらい、臨機応変にやれよ」というシステム責任者の嘆きの声が聞こえてくる(笑)現場でてんぱっている運転手には、酷な話しなのかもしれないが(笑)

事故を防ぐには、薄皮を剥ぐように、少しずつ欠陥を潰しながら進んでいくしか無い。しかし車掌が居なくなっただけで、これだけの大騒ぎになるのは、システム自体が脆弱な証拠。JRはシステムの再点検が必要になるだろう。しかし真実なんて現場の人間にしか分からない(笑)見かけの情報だけでは、真相など分からない。分からないが、何が問題なのかを考える事はできる

評価が分かれる問題ほど、実は単純な欠陥が原因となってる。単純なものだからこそ、簡単に見落としてしまう。糸が絡まっている状態が問題であり、解いてしまえば一本の糸にすぎない。問題を複雑化させると、解ける問題も解けなくなる

解決とは、次に同じような問題が起こらないよう対策を講じる事。二重・三重の対策で、問題の発生を抑える。一つの対策で問題解決、とはならない。様々な要因の組み合わせで問題は生じるのだから、全ての要因を潰す必要がある。同じ事故が起こるという事は、問題の要因を潰していない証拠。徹底的なリスク管理が求められる・・・



麻 薬
「覚醒剤やめますか? それとも人間やめますか?」でおなじみの、麻薬やシンナーなどの薬物中毒。最近もスポーツ選手が警察に逮捕されていたが、重度の中毒者なので、もはやまともな人生は歩めない・・・

麻薬に手を出すと脳細胞が破損するため、二度とまともな人生は歩めない。脳の破損により、体の体質までもが変質してしまう。人としての人格までもが破壊され、只朽ちていくだけの人生を歩むしかない

麻薬に手を出したら、正に「人生一発終了!」の憂き目に遭う

例え厚生しても、破損した脳細胞が元に戻る事は無く、変質していく体に一生苦しむ。麻薬に手を出すと、二度と普通の生活には戻れない。麻薬の危険性がこれほど高いものだとは正直理解していなかった。厚生すればまともな生活が送れるものだと思っていた

麻薬に手を出せば、体が破壊され、一生死ぬまで苦しみ続ける。これは余りに悲惨で、余りに悲しい現実です

学校で麻薬の危険性を徹底的に教育すべき。生活環境に麻薬が流通しないよう、徹底的な取り締まりも必要になる。麻薬の流通は大概暴力団が関係している。この暴力団と芸能界とスポーツ界は、なあなあで繋がっている場合が非常に多い。だから批判もなあなあで、簡単に復帰が可能になる。人気商売が麻薬を許せば、一般の麻薬に対する危険認識が大幅に低下する。人を一発で廃人と化す麻薬の危険性を第一に考えるなら、甘い処分などありえない

インターネットで芸能界とスポーツ界を意識的に排除するのは、まともでない情報が余りにも多すぎ、人としての倫理観が欠けているからだ。エンタメとスポーツとは、きっぱりと縁を切るのが一番。倫理の欠けた情報は、自らの倫理感をも貶める。見ない権利を主張できるのがインターネット(笑)エンタメとスポーツは、今や唾棄すべき不浄なもの…

マスコミは未だに麻薬の常習者が復帰できるかどうか、などと世間を騒がせているが、脳細胞が萎縮し壊死している人間に、まともな判断などできる道理が無い。マスコミの麻薬に対する認識は、余りにも低すぎる。まともな評価ができないマスコミなど無用であり、社会の常識そのものが麻薬中毒者のように麻痺していく。マスコミが本来すべき事は、麻薬の危険性の周知と、麻薬ルートと販売網の徹底解明。麻薬組織の壊滅なくして、麻薬の根絶など不可能です

何故人は、麻薬に安易に手を出すのか。人は本来弱い生き物。困難にぶつかり、逃げ道が無くなると、何かにすがろうとする。逃げ道がないため、麻薬という安易な道に走ってしまう。動物が追い詰められると、ありえない行動を取るように、人も同様に悪と分かっていながら安易な逃げ道に走ってしまう

人には逃げ道という、最終案全装置ともいうべき道が必須になる。人生とは生きるという戦いであり、戦いには必ず退路が必要だ

これは本来国が用意すべきもので、社会システムの保護機能が必要になる。しかし日本の社会システムは、この人の逃げ道という最終安全装置が機能していない。機能していないから、日本で年間数万人もの人が自ら命を絶っている

これは日本の政治がまともに機能していない証拠であり、無能な政治により、社会システムが麻痺してしまっている。これに「NHK・新聞・テレビ」の不正が重なり、国民に正しい情報が伝わらないという悪循環が生まれている。「NHK・新聞・テレビ」には正しい判断をするための基準となる基礎情報が皆無なため、社会の欠陥がまったく見えず、社会に不正と腐敗が蔓延する。非常に重要な問題を、他の問題で覆い隠し、まるで無かったかのように扱うため、国民生活が悪化の一途を辿る。正に役立たずの無用の長物でしかない。「NHK・新聞・テレビ」とは、重要な問題を闇に葬る悪党にすぎない。社会の問題は、正しく解決できなければ意味が無い

このような麻薬は撲滅しなければならないが、一体どこから日本に入ってくるのか。最大の流入先は海からの密輸。海からの密輸の特徴は、数百キロもの大量の麻薬を扱っている点にある。正に一度に莫大な量の麻薬を国内に密輸できる

この密輸先に韓国・北朝鮮(麻薬の密輸)も入っている。国家レベルで犯罪を犯しているのが北朝鮮の特徴。韓国・北朝鮮からの莫大な量の麻薬により、国民が塗炭の苦しみに喘いでいる。マスコミの北朝鮮への批判が少ないのは、北朝鮮が日本で商売にしているパチンコ業界からの、広告という利益供与。日本のマスコミに、正しい情報など期待できるはずもない・・・

日本のパチンコ業界の金が北朝鮮の資金源となっているのは、今や誰もが知っている(パチンコ)。知っていながら、この悪質なパチンコという商売を合法化しようする政治家もいる。この腐敗政治家共は、麻薬を輸出する北朝鮮に荷担する卑劣な悪党にすぎない。このような卑劣な悪徳政治家は、選挙で叩き落とさなければならない

自民党・民主党・維新の会という、政治資金パーティーを資金源とする、腐敗政党の議員共が雁首を並べている。ここに属する政治家は、北朝鮮の資金源となっているパチンコを合法化しようとする極悪政治家。選挙では絶対に叩き落とすべき極悪人。麻薬の供給源ともなっている北朝鮮に肩入れする大悪党。パチンコの裏に麻薬が絡んでいるのだから、廃止するのが当然だ

麻薬の危険性と、パチンコというギャンブルの危険性を追求しないマスコミなど只のゴミ。日本に麻薬とギャンブル依存症を広める極悪政治家とマスコミは、容赦なく切り捨てなければならない

人を廃人と化す麻薬と、人をギャンブル依存症と化すパチンコ。この二つは日本を貶める悪そのもの。人を人ではならざるものに変える極悪政治家とマスコミは、容赦なく見捨てなければならない

麻薬撲滅のためには、麻薬組織の撲滅と、ギャンブルに狂奔する腐敗政治家の撲滅と、麻薬に対する正しい報道をしないマスコミの撲滅が必要になる

日本は麻薬常用者による大量殺人が、今や日常の出来事のように語られる。大麻やドラッグが手軽に手に入るため、麻薬中毒者による重大犯罪など、当たり前ぐらいにか思わない。マスコミは、麻薬の蔓延など追求せずに、只事件の悲惨さのみを報道する。麻薬の流通と、麻薬犯罪を生み出す社会構造が元凶なのに、この元凶が無くなる気配など微塵も無い。日本は麻薬などの薬物中毒に対する感覚が、完全に麻痺している

麻薬中毒者の犯罪が凶悪なのは当たり前。人ではなく凶人だから、熊に襲われたのと変わりが無い。武器を使うのだから、熊より始末が悪い。いかに麻薬を根絶するかが問題なのに、麻薬の蔓延の現状と、麻薬の危険性が注目される事などまったくない。麻薬を許さない社会状況を作り上げるべきなのに、そのような気配など微塵も無い。どこから麻薬が広がっているのか、どの麻薬組織が関わっているのか、まったく見えない…

まったく分からないから、同じ事件が何度も何度も繰り返される。麻薬犯罪の元凶を潰すものでなければ、報道の意味などまったく無い。麻薬が関わった犯罪は、人の精神が破壊され、もはや人とは呼べないの者の犯罪です。どのような理屈も通用しない、只の狂人の犯罪です。人では無い者の犯罪を、いくら糾弾しても意味が無い…

どのような手段で麻薬が入手されたのか。麻薬報道の重要性は、この一点のみ。麻薬犯罪を根絶するには、麻薬が手に入らない社会を作るしかない

今やマスコミやテレビの論理のずれた麻薬犯罪の報道に、国民は完全にしらけている。マスコミとテレビは、麻薬組織と繋がっているのかと疑われるほど、麻薬犯罪の報道には消極的だ。日本はコロンビアのような麻薬犯罪大国なのか・・・。麻薬は国家を衰退させる災厄です

日本は犯罪を生み出す社会構造の改革がまったくできない、三流国家へと転落している。麻薬を社会から締め出すには、社会制度の改革・麻薬犯罪の取り締まり・麻薬を許さない世論の浸透が必須になる
麻薬の日常化: 社会を蝕む麻薬

今やスポーツ界も芸能界も、麻薬に重度に汚染されてる。今やスポーツと芸能は自浄作用を無くし、麻薬汚染を広げる汚染源と化している。麻薬が平常となった世界は、常識が狂った異常な世界

テレビ離れは、世の中を正常化する自然な流れ。麻薬を簡単に許す社会は、社会の崩壊を意味する

テレビや芸能人のファンは、麻薬を単なる薬ぐらいにしか思っていないふしがある。麻薬をやるという事は、人をやめるとの同じこと。人格が崩壊し、人としての正常な判断ができなくなる。麻薬への認識が薄まれば、麻薬との距離が縮まる。麻薬が身近になると、崩壊した人間により地獄を見る。夢を見る場所が、永遠の地獄を見る場所へと変質してしまう。だから麻薬は、世間では絶対に許されない

認識を誤れば、人としての生活が失われる。麻薬は絶対に許してはならない



自爆
セクハラで訴えられた町長が、不信任を突きつけた町議会を解散し、逆に訴えた女性を提訴した。セクハラ・パワハラが蔓延する社会で、これが普通の出来事のように感じられるのだから、今の社会がいかに歪んでいるかが分かる

町長は相手が誘ってきたからキスをした。自分は間違ってなどいない…と提訴。結婚している既婚者が、これを言ったら終いである(笑)奥さんは、さぞや腸が煮えくりかえっている事だろう(笑)まともな人間なら、このような弁明は決してしない(笑)ばれた時点で、平謝りしか手段が無い。何を言われようが、決して弁明せずに、許してもらえるまで、ひたすら謝るしか手段が無い(笑)

開き直った時点で、家庭崩壊は避けられない。周りの人が、そういう人だと諦観している場合のみ、家庭崩壊は免れる(笑)長たる者は、決してまともな人ばかりではないと、この事件が証明する(笑)長がまともじゃないと感じたら、迷わず切り捨てる時代が訪れている

正常化とは、まともな環境に正す事。正常化するには、異常を正しく認識する必要がある

「送別会という飲み会で浮気をしたが、何の問題無い」との主張は、世間一般には通用しない(笑)浮気に何の問題もない。同意があれば、何をしてもかまわない。これは政治家なら許されるものなのだろう(笑)自爆としか思えないが、マスコミは一切気にしていないようなので、マスコミとしては何の問題も無いのだろう(笑)

「NHK・新聞・テレビ」と「政治家」は、「浮気」と「不正・腐敗・欠陥」は許される。「不正・腐敗・欠陥」は、彼らにとって日常茶飯事のありふれた風景…正されずに日常化する不正と腐敗。情報の独占は、不正・腐敗を生む元凶となる。マスコミと政治家は、「歴史」から何も学ばない生き物なのだろう(笑)

「歴史を学ぶ」とは、過ちを繰り返さないことだと、歴史の教科書に明記すべき(笑)

異常を正しく認識できない日本は、根本そのものが狂っている(笑)
Back Ground: Men of Destiny



前提
小説・マンガ・映画などの物語は、前提を提起し、その前提に沿って物語を進めていく

理不尽な前提を提起して、理不尽の中で生きる意味を人に問う。前提を設定することで、人は理不尽の本質を理解し、理不尽の回避手段を学習する。理不尽な漫画・小説・映画には、そのような意味がある

前提とは環境のシュミレーション。シュミレーションは、現実社会に生かさなければ意味が無い。日本の現実は「変えよう」では無く、「あきらめ」が蔓延している(笑)シュミレーションの意味が無い(笑)

しかし最近の漫画やアニメの前提は酷すぎる(笑)前提には何が得られるのか、緻密な計算が必要だ。しかし、無秩序で混乱するだけの無計画な代物は、得るものが何も無い(笑)いったい、何を学べというのか(笑)

そのような前提には陥らないようにしましょう、というのが前提です(笑)前提から学び、そのような事態に陥らないよう注意する。前提とは反面教師の見本です(笑)悪化する見本が為になり、大丈夫ですとの見本は為にならない(笑)リスク管理とは、大損しないための管理であり、儲けるための管理などではない(笑)パニック映画やホラー小説では、大丈夫が大丈夫でなくなるのが定番です(笑)

何を得て、何を学ぶか。小説・映画・マンガから得られるものは人それぞれ
Back Ground: Shadow and Truth

おかしいものをかぎ分けるには、おかしいものを理解する必要がある。おかしいものの本質は、 真理の捏造。これは真理だから間違いない。最早宗教と同じです(笑)選択肢を制限し、人を真理へと導く。人はそれを洗脳と呼ぶ(笑)

物事をしっかりと説明するには、しっかりとした断定が必要です。断定するには、根拠となるデータが必須になる。おかしいものには「データ」が無い。根拠となる基礎データがまったくない(笑)あったとしても、視野を狭めて独善的な結論を導き出す。物の見方の限定は、典型的な短絡思考。最低でも常時2つの見方をする癖を身につけることが大切です。見方とは推定であり、推定にはあらゆる可能性を見い出さなければならない

「推定無罪」との言葉は、あらゆる可能性があるため断定はできない、との意味(笑)あらゆる可能性を、人は瞬時に見出さなければならない(笑)途方もない数になるのが推定です(笑)シャーロックは天才だな(笑)変人なのは当たり前(笑)

物語の中で真っ先に死ぬのが「大丈夫だ!」と先走る愚か者(笑)用心深いものが生き残るのが、世の中の理です(笑)様々な角度から物を見る習慣が必要になる。データは多角的な分析が必須です

日本の場合は「この人が言うから間違いない」、がまかりとおるのだからそら恐ろしい(笑)人の意見など、根拠でも何でもない(笑)まさにホラー小説と同じです(笑)前提そのものが狂っている

前提そのものが狂っていても、それがまかり通る世の中になってしまっているのが、紛れも無い日本の現状です(笑)前提が狂っているから悪くなる。狂っているのに直さない。直さないから悪くなる。まさにホラー小説です(笑)

理不尽な前提は無くしましょう、というのが小説・マンガ・映画の前提です(笑)絶対にあきらめないのが、主人公の絶対条件。あきらめたら、そこで物語は終了です(笑)



違和感
違和感とは、調和のとれないちぐはぐした感じ。他と相容れず、しっくりこない感じをいう

Youtube を適当に見ていたら、御巣鷹山に墜落した日航機事故のまとめがあった。全てを見て感じたのは、まぎれもない違和感。事故の流れがおかしい、つじつまが完全に合っていない。奇麗にまとめてあるが、なにかがおかしい。それが第一印象だった

この映像を観る前に、世界の航空機事故を、報告された資料を元に再現した映像を閲覧していた。時系列がしっかりした、何の疑問も無いすぐれもの。疑問が浮かんだ時点で、報告書には決してならない。世界の基準が如何に厳しいものかが良く分かる(笑)

この厳しい基準に則って作成された映像と比較すると、日航機事故のまとめは余りに稚拙。つじつまが合わないものだらけ。何故このような映像になるのか。調べると、なんと事故の調査報告や証拠などを、全て廃棄処分にしたとのこと。500人が亡くなった重大な航空機事故で、報告書や証拠を破棄するなどありえない。正に証拠隠滅の暴挙と断言できる

この証拠隠滅を堂々と行う流れが、今の情報の非公開に繋がっている。記録を一切残さない。それは証拠隠滅とまったく同じ。当時も今も、自民党の情報統制はあまりに卑劣。テレビとの決別は、情報社会の常識となりつつある

この事故がおかしいのは、事故が起きた時点で、機長が瞬時に最高レベルの警報を発している点にある。「ドン」という大きな音と揺れだけで、最高レベルもの警報を発せられるものなのか。空気が抜けて酸素吸入器が必要な状態なら、それもありえる。しかし、空気は抜けていない。それはボイスレコーダーからも確認できる。機長は何故、最高レベルの警報を発する事態だと認識したのか、その状況がまったく見えない。この前に、何らかの前兆があったのなら理解もできる。しかしボイスレコーダーに記録が無い。というか、公開そのものを拒否している。原因究明などする気が無い、としか思えない

そもそも事故原因からして疑問だらけだ。垂直尾翼の操作ができないだけでなく、全てのコントロールが完全に失われている。機体を制御する操縦系統の油圧を完全に失っている。与圧隔壁の破損だけで、油圧が完全に失われるものなのか。その検証と実証がまったく無い

与圧隔壁の破損だけで、機体を操縦する油圧全てが失われる構造だったのか。その検証と実証がまったく無い。これは紛れもなく、報告書なんかじゃない。報告書の形を成していない。だから事故の再現映像には正当性がまったくない。違和感しか抱けないのは当たり前

事故の全体像がつかめない。それが日航機事故の真相だろう。誰が、どのように関わり、それが如何なる結果を招いたのか。それがまったく分からない。関わった人全てでは無く、ほんの一部に関わった人の言葉だけで全体を把握しようとするからおかしくなる。恐らく多くの人が関わっているのに、それをまともに調査しない。というかしていない。全体を解明しようとする気がまったくない。だからまともな報告が得られない。これが真相としか思えない

この事故では、事故調査委員会にまともな情報が存在しない。与圧隔壁の破壊のみが原因だと決めつけ、それ以外の情報は完全無視。政府・政治家直轄の事故調に、何の意味も存在しない。完全に独立した第三者委員会でない時点で、まともなものにはならない。それなのに「NHK・新聞・テレビ」は、事故調の調査が全てだと断定する。全体像が見えないのは当たり前。この頃から、情報の収集と分析、そして集めた情報の統合化と検証と実証が失われていたのだろう。都合の悪い情報は全て破棄、とのありえない行為が正当化されている

まともでない報告書を元にした、テレビ局による検証映像。これで納得してください、との意図がありありと透けて見える(笑)検証でも何でもない、単なる最終報告書の再現だ。そもそも検証と言えるものなのか、はなはだ疑問(笑)証拠隠滅を謀った報告書に、正当性を持たせるのだから、とんでもない紛いものだと断定できる… はず(笑)いくらなんでも証拠隠滅はさすがにまずい。正当性など欠片も無い

証拠隠滅でも、何の問題もありません。との検証映像。違和感ありありなのは当然だろう(笑)そもそも前提が間違っている。検証できないものは、そもそも情報なんかじゃない。情報ではない人の邪な意図を、情報にすり替える。いかさまを正々堂々と行うのがテレビ・新聞の仕事になる(笑)

そもそも報告書とは、いったい何なのか。それを考えさせる映像だった(笑)日本の報告書は、そもそも報告書になっていない。証拠隠滅を政府・政治家が正々堂々と行い、それを放送法(邪法)に準じた「NHK・新聞・テレビ」がお手伝い(笑)日本は放送法(邪法)によって、公共情報は即時抹消が義務付けられている

日航は遺族からのボイスレコーダーの音声開示を裁判で完全拒否。これだけの事故を起こしておきながら、事故の真相を公開しないと公言する日航はどうかと思う。海外の航空会社は、しっかりと開示を行っている。日航の航空機に乗るのだけは勘弁したい、というのが紛れもない実感だ(笑)日航は利用するに値しない航空会社、との自己表明だから当然だろう(笑)

テレビ放送が如何に役に立たないか、その証明だから、悪いことだけじゃないだろう(笑)テレビは見ない。見てもまったく意味がない。最近はテレビを見ても、意味ないだろ、との思いか浮かぶだけ(笑)その言葉は、右から左へと抜けていく。今や単なる雑音だ(笑)そもそも理解させる気がまったく無い、というかテレビで全体像の把握などそもそも不可能

テレビは証拠隠滅の道具にすぎない。不正を許し、不正そのものを肯定する。これが紛れもない現実だ。違和感を持ちながら、人は生きることなどできない。テレビに関われば自滅あるのみ。テレビとの決別は必至だろう

この理不尽な現実を、証拠隠滅の日航機事故が証明する。理解とは解決だ。解決のための情報が存在しない。正に災厄の航空機事故だと言えるだろう