生活の覚え書き 5

ブログ
ブログとは情報発信の場であり、書かれた文章はその人自身を語っている。文章を読めば、その人柄がすぐさま推測できる

文章には書いた本人の人柄がにじみ出る。独善的な文章もあれば、人の心を打つ名文もある。「名は体を表す」とよく言われるが、文章は人の品格・性質いう人柄を表す。だからブログは「書いた本人を評価する道具」という側面を併せ持つ(笑)

ブログを読めばその人の考えが、つまらないものか、役に立つものか、共感できるものか、即座に判断できる。有用なものと認識されれば、そのまま続きが読まれるが、「だめだこりゃ」と感じたら、即座に別のホームページへと移動する(笑)

ブログを書く側は、まさか自分が評価されているなどとは思わないため、言いたい放題ができる(笑)しかし自分で読み返してみれば、如何に無能な文章を書いているかが分かる(笑)これが理解できない人は、はっきり言って独善的な文章しか書けない(笑)

ブログとは自分を見つめ直す道具であり、自身の次元の低さを確認するためのものだ(笑)自身の人間性のレベルを、自らの文章から判断すべき(笑)情報を正しく流すという事が、いかに難しいものなのか、それを理解するためにも「自分の言葉で書く」という行動は必要です

ここで大切なのは、他人のブログを批判してはならないという事だ(笑)ブログとは自分の意見を述べる場であり、誰もが自由に公開できる場でもある。人の意見にいちゃもんつけて批判するなど、ただのヤクザのゴロツキです(笑)主張の激突とは、双方ともに「我に正義あり!」とぶつかりあう不毛な喧嘩(笑)正義では無い、まして正論でも無い、決して交わることのない不毛な論議。批判ではなく、人の思考形態として分析・分類していくのが大人の行動と言えるだろう。人の思いを、他人と同化させるなどあり得ない。テレビの茶番の再現など、いやらしいにもほどがある

よく掲示板などで言い合いのけんかを良く見かけるが、掲示板に書き込むような自尊心の高い人が折れる事などありえない(笑)だから平行線の意見が飛び交うという、不毛な事態が演出される(笑)人の思いはその人自身。その思いを否定されたら、自分自身を否定された事になる。ただの通りすがりの人間に、人として否定されたら激怒するのは当たり前(笑)正しい・正しくないの問題ではなくなり、最終的に感情論へと突き進む(笑)誤りの指摘は、人の感情を煽るだけ(笑)人の思いは尊重すべきものであり、批判ではなく、対案をきちんと示し、納得してもらうしか手段がない(笑)ただし正攻法であったとしても、それが成功するかどうかは分からない(笑)ただのブログにそんな面倒な事などやってられないので、存在しないものとして自身の認識から外していく

ブログとは人に認識されて、初めてその存在が許される。認識されないブログなど、論理的にネット上には存在しない(笑)ブログとは、単なる取捨選択の対象です。公序良俗に反さない限り、批判の対象になどならない(笑)瑞々しい林檎と、腐った林檎が同居するのが市場の原理

インターネットは比較・検討する場であり、お互いの意見を出し合い、より良い方法を自分自身で導き出すという、厳しい選別が繰り広げられる非情な場所(笑)無用と判断すれば、問答無用で切り捨てる(笑)ブログに意味を持たせるのは、ブログを見ている人自身

批判してまわる人はよほどの暇人か、人の考えを正すために戦うヒーローなのだろう(笑)まあ関わらないようにするのが一番であり、関わったが最後、自らも同じ土俵に上る事になり、その身を相手と同じレベルへと沈めてしまうはめになる(笑)ヒーローとは本来目立ってはならないもので、目立つヒーローほどうさんくさいものは無い(笑)これが理解できない人は、海外ドラマのヒーロー物をよく見て勉強すべき(笑)ヒーローとはいつも孤独で、自分自身と戦い続けているもので、人を批判することしかできないヒーローなど、情けなくて涙が出る(笑)

人の批判は簡単だが、自身の批判はなかなかできない(笑)自身の文章を読み返し、その文章に対して自己批判ができれば、自ずと成長していける(笑)自分の言葉という何者にも影響されない文章は、とりとめのないことでも、不思議に自然と纏まるものだ(笑)可笑しい所は自分で気付く。文章の構築には、正誤の判断を明確にする、理路整然とした高度な試行錯誤が必要です。日本語は繊細且つ複雑なので、言葉の選択には最新の注意が必要です。自分の言葉で書く行為は、自分自身をも取り戻す

「自分の主張が社会を変える!」。などと妄想を始めたら、膨大な情報の海であるインターネットの世界を直視して、砂粒にもならない己の矮小さを実感すべき(笑)ブログとは誰のためでもない、自分のための覚え書き。思考整理の道具にすぎない
Back Ground Music: Live With Me
Tips: ブログを書く意味

ブログとは自分自身と向き合うための道具にすぎない。他の人に情報を公開するという意味合いが一番強いが、実際は書く本人自身のためと言えるもの

ブログは自分のためのものだから、他人のことを書いても意味が無い(笑)芸能人や他人を批判・中傷しても意味が無い。批判・中傷しようものなら、相手から裁判に訴えられる(笑)自分がいくら関わろうが、まったく関係の無いただの他人(笑)付きまとえば、只のストーカー(笑)芸能人や他人にかかわること自体に意味がない。だから、エンタメとスポーツは問答無用で切り捨てる(笑)基本まったく意味が無い(笑)

ブログでは、意味の無いものに関わってはならない。ブログとは意味あるものを纏める場所。纏めるに値しない情報に意味は無い(笑)試しに纏めてみれば、意味が無いものだとハッキリ分かる(笑)意味の有無を判断する、人としての必須の能力を身につけなければならない。趣味と情報をはっきりと区別する、メリハリのある生活が必要です

個人の意見は広いインターネットの世界では一粒の砂であり、それらが無数に集まって広大な砂浜となる。一人一人が意見や情報を公開する事で、情報をマスコミに頼らないですむ世界を構築できます。ブログを書く事で人とのつながりを構築し、より良き世界になるよう努力すべき

多くの情報に触れ、自身の視野を広げる。そうする事でインターネット本来の使い方が理解できる。人の生活には、人を貶める罠が数多く存在する。社会の罠に陥らないためには、情報の宝庫であるインターネットの上手な活用が必須です

ブログを書く最大の意味は、情報を受け取る側から流す側への「立ち位置の変換」です。マスコミのように情報を流し、それを見た人が参考にする。自らがマスコミと同じ位置に立つ事で、マスコミの欠陥が見えてくる。情報を流す側の心理が、手に取るように分かってくる(笑)情報とは伝える者の理念によって纏められたものであり、伝え手の理念の集大成でもある。自分自身で情報を纏めなければ、情報の本当の意味する所は理解できない

マスコミも同じ人間であり、ブログと同じように情報に自らの意思を込める。主張とは判断基準の「箍」を意図的に外し、方向性を変えて意図的な評価を下すもの。主張の意味が理解できれば、情報は混じり気の無い「純水」でなければ、正しい判断など不可能だと分かってくる。強い意思が込められたものは、情報ではなくなり、主張へと変質する。主張と情報は根本的に異なる。主張は方向性の決定であり、情報は現状把握を意味する。自分の言葉で情報を流すという経験を積むことで、それがようやく理解できる。それが情報なのか、主張なのか、人はそれを一番最初に判断しなければならない

情報には人の明確な意思が込められているものだと分かってくると、情報がいかに不確かなものなのかが分かってくる。情報とは比較し、分析し、正しく解釈すべきもの。マスコミの情報とは、マスコミ主導の一方的な独断解釈(笑)これは自身の分身というべき「主張」を書くことで分かってくる(笑)

自らブログを書けば、マスコミは同じ商売敵(笑)商売敵のマスコミからは、ごく自然に距離を置く(笑)マスコミの情報の欠陥が見えてくるからだ(笑)自ら情報を集め、情報本来の価値を理解すれば、「情報を読み解く」という観念が自然と身につく

情報の見方が変わり、情報との接し方が自然と変わる。情報とは調理された料理であり、しっかりとした素材の吟味が必須になる。情報は必ず、自らの手によって、正しく介錯(分析)しなければならない(笑)ブログを書くことで学ぶべき事は、「アジテーター」と呼ばれる扇動行為。文章には必ず人の「思惑」が込められる。「主張」の鵜呑みを回避するには、情報をしっかりと纏める習慣を身に着けるしかない

情報を発信する者は、物を作りだし、自分で物を考える事ができるクリエーター(笑)情報を見るだけの人は、情報に支配された只の奴隷(笑)自らの進化を促すには、自ら情報を発信すればよい。考えをまとめるには、膨大な知識と、膨大な時間と、膨大な試行錯誤が必要になる。他の情報と比べれば、自らの矮小さが理解できる(笑)人は失敗しながら成長するもの。試行錯誤を繰り返しながら、人の考えも成長していく

適当に文章を書いていると、適当にまとまり、自分がどの程度の人間なのがが分かってくる(笑)情報の質は、生み出した者の人間性と、情報の元となる源泉の総量によって決まる。澄み切った深淵からしか、正しい情報は生まれない。人の欲、計算、打算から生まれた情報は卑しい情報にすぎない。文章には、書いた本人の質そのものが反映される(笑)試行錯誤の繰り返しが、人の成長を促していく…

自分のブログを書く心構えは、卑しいものを書かない(笑)卑しいものは書かないと決めれば、卑しいものが見えてくる(笑)卑しいものが分かれば、卑しいものを切り捨てられる(笑)取捨選択の基準を明確にする事で、明確な文章が書ける(笑)適当に書くとは、自らを絞って絞って、何も出ないほど絞り切る事(笑)人は煩悩の塊であり、あらゆるものが人の煩悩に支配されている(笑)正しい視点で、正しいものを書いていれば、自らの軌道修正ができる(笑)

ブログとは、誰のためでもない、自分自身のために書くものだ。ブログは暇つぶしと、文章の書き方・纏め方の練習です(笑)そして、自分に対しての忠告でもある…

ブログとは「公開していい情報」と、「公開してはならない情報」の区別を、しっかりと身に着けるための自己研鑽の道具にすぎない。「公開してはならない」ものを公開すれば、「裁判」に訴えられる時代が訪れている(笑)インターネットの情報とは、基礎情報として登録された公開情報。SNSだろうが、ブログだろうが、掲示板だろうが、それは公式見解として登録される。裁判の公式記録と変わらない。情報には必ず許容範囲が存在し、許容範囲を逸脱すれば、容赦のない排除と制裁が待ち受ける。情報の公開と発言には、それ相応のリスクが必ず伴う。情報の怖さを理解し、情報との上手な付き合い方を身に着けなければならない

デジタル社会とは、面倒事を回避し、情報に流される社会でもある(笑)情報に流されていると「文章」を書かなくなり、「考える力」「創造する力」「纏める力」が衰退する。ブログやホームページは、自分の意志を明確に表現するための有用な道具。「文章」とは自分そのもの。「文章」とは自分自身を明確にする道具でもある。情報に流されないためには、情報の発信が効果的(笑)今やブログの作成など簡単だ(笑)非常に簡単だが、そのシステムは非常に奥深く、複雑で、難解でもある(笑)突っ込めば突っ込むほど泥沼に嵌まり込む(笑)泥沼に嵌まり込むようになって一人前(笑)泥沼では考え抜かなければ脱出できない(笑)

「読解力」は試行錯誤が必要な「文章力」が無ければ身につかない。新聞や本を読めば「読解力」が上がるというのは大嘘です(笑)文章を実際に組み立てなければ、文章の構造や本質など分からない。情報化社会で止まるには、情報の発信が有用です(笑)情報の発信には、膨大な基礎情報と、試行錯誤と、情報の本質を見極める目が必要になる。多種多様な辞書・膨大な例文・膨大な基礎情報が揃ったインターネットは、文章を構築するには最適の環境です(笑)文章を書くことを、趣味にするのもいいだろう

趣味は人の精神安定剤(笑)だから趣味は、生産性のあるものが望ましい(笑)音楽なら、さまざまな種類の音楽とつきあい、その幅を広げていく。音楽をリラックスの道具として活用する。趣味は実生活に役立つものが望ましい(笑)小説なら、Webデータ化して、自分が読みやすいように編集する(笑)趣味は、人の能力を活用できるものが望ましい(笑)物を生産したり、組み立てたり、手先を器用に活用できるものが望ましい(笑)生活に活用できない趣味は、それは単なる浪費です。自分のスキルを磨けて、人の能力を伸ばせる趣味は、人の生活を豊かにする。趣味とは、直接的には役立たないが、間接的に人の成長に役立つものだ

実生活に役に立たないものなど、趣味だけで十分だ(笑)

オタクからの離脱。これは無理(笑)せめてまともな思考を保つように専念する(笑)絞り切った残りかすに潤いを与えるのが、オタクという趣味(笑)絞り切った脳細胞は、新鮮な情報を瞬く間に吸収してくれる(笑)リセットするには、限界まで絞り切る。脳細胞を絞って絞って絞り切る。何も出なくなってから生まれ出るものが、自分の身に付いてくる

限界まで絞り切れば、生きる希望が湧いてくる(笑)限度を知れば、不要なものはさっさと切り捨てる観念を養える(笑)人は囚われると、逃げだせなくなって自滅する。自滅の回避には、足掻いて、足掻いて、足掻きぬくしか手段がない(笑)

人間性が低いと低俗な文章に陥り、器が小さいと底の浅い文章になる(笑)文章を書いていると、自身の人間性と、器の大きさが分かってくる(笑)副産物として、文章(情報)の質が分かってくる

本質を語る文章は、誤字脱字があろうとも、事の本質を訴える。打算が透けて見えるものは、人に違和感しか抱かせない。自分がおかしいと思った文章は、納得できるまで何度でも書き直せる(笑)これがブログの一番いいところ(笑)自らの考えを的確にまとめ、一部の漏れなく正確に伝える。これがいかに難しいものか、文章を書かなければ理解できない(笑)

文章の理解には、実際に書くことで理解するしかない。足掻き、もがき、熱弁しても、相手に伝わるのは只一つの真実のみ。それが分かるまで、下手な文章を書き続けるしかない(笑)
Back Ground: truthLibertango無自覚の天才

人には自分の考えをしっかり纏める習慣が必要だ。そのためには関連する膨大な情報が必要だ。インターネットで検索しながら、自分の考えをしっかり纏めて文章化する。ブログとは、人としての必須の能力を維持するための習慣だ(笑)

正しいとは何なのか、誤りとは何なのか、言葉の用法は間違っていないのか…。試行錯誤を延々と繰り返すのが、ブログを書くということだ(笑)

ブログを書いていると、物事を纏めることが如何に難しいものであるかが分かってくる。纏め方が分かってくると、書かれた情報の真実が見えてくる。これは纏める価値があるものか、そもそも纏め方がなっていない、これでは正しい理解はできない、等々の情報の欠陥が見えてくる

人には情報を纏める習慣が必要なのだ。ブログはそれを教えてくれる(笑)



ブランド
ブランドとは長い年月をかけて信用を築き上げた、品質の高い製品の事をいう。しかし現在ではマスコミによって作り上げられた架空のブランドだけが横行している(笑)

何処何処産の高級食材とか、何処かの高級メーカーが作成した製品とか、食材や製品の名前の前にブランドという文字がついただけで値段が跳ね上がる(笑)実際の品質は、身近な大量生産品とほとんど変わらない(笑)

安くてうまい物、安くて高品質なものこそ高度な技術力が必要ものであり、高くて数の少ないものほど、人手に頼るしかない少量生産品でしかない。ブランドとは人手をかけて少量のみ生産し、少量だからこそ価値があるという価値観の塊でしかない。手間をかければ品質の高いものができるのは当たり前で、ブランドの本当の値段とは、その大半が人件費でしかない(笑)

これにブランドという架空の価値が大幅に乗せられ、誰もが手に入らない高嶺の花の製品ができあがる。これをありがたる人間は、非常にお人好しだ(笑)

人は高度な技術を開発し、高度な製品を安く作り上げる事ができる。人手に頼るしかない物は大量生産できないものであり、その価値の大半は人件費そのものだ。少量生産品をありがたる人間とは、人件費が無駄にかかった製品をありがたる人間という事になる(笑)その人件費の中身はというと、実質ブランド会社の運営費(宣伝費用と経営者の報酬)であり、原価に数倍の価格の上乗せしたばったもんでしかない。通常のばったもんは、品質が非常に悪い粗悪品だが、ブランド品というばったもんは、普通の品質の通常品とほとんど変わらない見た目の良い製品でしかない(笑)

日本人はブランドという架空の価値に騙されやすいお人好しであり、ブランドという価値を生み出したマスコミにいいように騙されている(笑)普通の生活にブランドなど必要なく、信頼の置ける製品なら何処でもかまわない。しかし日本のブランドと思われいる会社が、実際はだだの外国企業でしかなく、日本の企業倫理からかけ離れた経営がなされている事を知らずにいる(笑)経営のトップが外国人なら、当然その企業は外国企業という事になるのだが、CMに騙されて日本製品だと誤認してしまっている(笑)

大陸(中国・韓国)資本の会社は、基本的にろくでなしなので注意が必要だ(笑)何故なら日本独自の倫理観がまったく通用しないからだ(笑)製品はきちんとした日本企業から買うようにしましょう(笑)とりあえず、Lenovo(中国)・NECのパソコン(中国製)・ソフトバンク(韓国)・携帯ソフトのLINE(韓国)・ゲームのガンホー(韓国)・ロッテ(韓国)・日産(フランス)・プライベートブランド商品(中国・韓国) は利用対象から外す(笑)
経営方針(理念)は製品やサービスの品質と直結するので、理念が日本人と大きく異なる製品は、CMでいくらごまかしたところで日本人になじむことはない(笑)日本人の品質に対する考え方は非常に高く、ごまかしを異常に嫌う
それは日本人としての性質であり、日本人としての誇りでもある。それをないがしろにするものは、排除の対象にしかならない

これらの偽ブランドに騙されないためには、まずテレビのCM自体がまがいものであり、偽ブランドを作り上げるための道具でしかないという真実を、しっかり頭にたたき込んでおく必要がある(笑)CMとはイメージで人を騙すためのものでしかないという真実をしっかり理解すべき。最近のCMはイメージを見る人に植え付けるために、ドラマ仕立てで信用させようとしている(笑)ドラマとしては面白いが、その製品は3流のバッタもんでしかない(笑)

CMでばんばん宣伝するところほど信用できない企業であり、基本的にやばい製品だと即座に判断すべき(笑)CMとはまがいもの発見器であり、信用ならないものを即座に発見できる大変実用的な道具になっている(笑)CMほど当てにならないものはなく、信用ならないものを見つける便利な道具としての地位を確立しつつある(笑)

追記: ブランドの価格の大部分は、ふんぞり返った経営者の法外な報酬であり、その品質は低賃金の現場で働く労働者の涙ぐましい努力の結晶でしかない(笑)つまりブランドとは高値を維持するためのイメージ商法そのものであり、経営者が肥え太るための道具にすぎない(笑)経営者にしてみれば、イメージだけで高値を維持できる理想的なシステムになる(笑)だからブランドには架空の価値しかなく、ブランドの価値とは単なる思い込みの妄想でしかない(笑)

ブランドとは経営トップに言われるがままに動く労働者の努力のたまものでしかなく、その本当の価値とは微々たるものでしかない(笑)ブランドとは傲慢な商品の代名詞でしかないという現実に気付くべき(笑)
Back Ground Music: シビビン・ラプソディ

偉けりゃ黒でも白になるのが会社というもの。お上からの無茶な要求には、手抜きをしてでもつき従うしかありません(笑)ブランド叩きをしても頭がすげ変わるだけで、そのシステム自体が変わる事などありません(笑)ブランドとは傲慢な怪物であり、人とは違うという儚い夢を高値で売る霞商品でしかない(笑)ただの霞に実態などなく、ただ自己満足という自尊心を満たすだけのものにすぎない(笑)

と言ったら怒られた(笑)「この財布はダコタという日本のブランド品よ。こんなに品質が良いのに海外のブランド品よりずっと安いんだから。安いんだから買って」 ・・・なるほど日本製のブランド品で、質はなかなか良さそうだ。聞いたことのないブランドだが、ブランド好きな女性には評判なのだそうだ。だからといって買ってとかはないだろうに・・・

[Asus] とか [Gigabyte] とか [Intel] とか知ってるブランド品なら買ってやると言っておいたら、都合良くパソコンの具合が悪くなって、ブランドの部品を買わされるはめになった(笑)逃げ口上は決して身につかないという滅多にない経験をする事ができた(笑)ついでにダコタの財布も買ってあげたが、品質の良いものは大した宣伝などしなくても、人に好かれて使われていくものなんだなと、一人で納得するのであった・・・



依存症
人は何かにのめり込むと、なかなか止める事ができなくなる。理性では分かっていても、己の欲望の制御が利かない。自身の欲望を制御する、明確なルールが必須になる

テレビ・新聞・パソコン・ゲーム機・携帯等々、これらはのめり込むとなかなか手放す事ができなくなる。一ヶ月間手放す事で、その依存度が確認できる。どれも無くてもまったく困らない。止められないのであれば、それはすでに依存症です(笑)

携帯の場合は、必要最低限の受信と発信のみ行う。こったメールを送ったり、たわいも無い話を止めて、必要な情報のやりとりだけを行う。そうすれば携帯が単なる連絡の道具でしかない事が理解できる(笑)完全に利用するのを止めて、代替手段をもうけるのが一番良い方法だという事だけは付け加えておく(笑)手紙や、短い言葉に思いを込める。人は思いが込められた情報に感動する(笑)

テレビと新聞は社会の改善が不可能な、元々利用不可の欠陥品(笑)パソコンは生産的活動をするか、趣味で利用するかに限れば便利に使える道具になる。ゲーム機は余った時間を楽しく遊べる。携帯は単なる通信手段にすぎない。どれも使う時と場所と使い方を間違わなければ、便利に使えるものだ

しかしこれらを暇つぶしに使っていると依存症になる。目的意識のない行動は単なる惰性でしかなく、役に立たないどころか自分自身を貶めるものになる。携帯をむさぼるように使っている姿は、はたから見れば異様なしぐさ。道具とは自分で使うもの。道具に使われてはならない

異様な光景という言葉は、他人から見た感想で、使用している本人が一生懸命に作業している光景ならば、その言葉は嘘になる。物事は本人にとってどのような意味があるのか、それを必ず理解しなければならない。他人の意味づけなど、本人にしてみれば、意味不明の見当違い(笑)だからこそ、自分自身を正しく評価するための基準が必須になる。自らの基準が狂えば、依存症へと転落する

自分の場合はパソコン依存症?から脱出すると称して短期間止めていたら、「さっさと頼まれた事をやりやがれ」 との苦情が出た(笑)今やパソコンは、苦痛を伴う作業が大半を占めるようになってしまった(笑)

つまり依存症とは、それを行う事が苦痛になれば脱出できる(笑)テレビと新聞の場合は、その歪んだ主張を理解すれば、自然と嫌いになって止められる(笑)携帯の場合は、携帯を使うことがいかに健康に悪く、自分にとって障害になっているかを理解すれば止める事ができる(笑)ゲームは自分でプログラムを勉強する事で、ただプログラムに沿ってボタンを操作しているにすぎない事を理解すれば … 楽しいから止められないは、「麻薬中毒の患者」と同じ。ゲームは止められるからゲームであって、止められないゲームは「中毒」です。プログラムを勉強すれば、決められた動作にすぎない事が理解できます

どのようなものであれ、使い方次第で良くもなり、悪くもなるもので、ほどほどに使うのが一番だ(笑)

目的意識の無い行動は、時間を無駄にする行為でしかない事を理解すべき。多くの趣味を持てば、一つの事に縛られる事が無くなる。色々なものに挑戦する事で、物事を色々な角度から見られるようにもなる。経験は財産であり、何かに依存している限り、他の経験を積むことができなくなる。今自分が何に依存しているかを判断すべきであり、依存していると分かったら、すぐさま断ち切るべきだろう。その手段は、依存しているものに対して、それがいかに自分にとって障害になっているかをきちんと理解する事から始めなければならない。依存の対象を嫌いになる事で、依存という悪しき状況から脱出できる

物事には陰と陽の側面が必ずあり、その両方を正しく理解する必要がある。そうする事で、道具としての本来使い方が見えてくる
Back Ground Music: GODZILLAGuardian DeityOver the clouds



大晦日
何かと忙しない大晦日。部屋の大掃除とパソコンの中身の大掃除で手一杯になる時期でもある。そして正月をどう過ごそうかと悩む時期でもある(笑)

テレビは観ないのでラジオかインターネットを利用しながら過ごす事になるのだが、暇つぶしに昔のDVDを引っ張り出して観るのが恒例となっている。SF映画、ファンタジー、特撮、時代劇等々、ジャンルなどおかまいなしに気ままに観るようにしている(笑)

お気に入りは 「宇宙からのメッセージ」 と 「魔界都市新宿」。「宇宙からのメッセージ」 は、人の団結がいかに難しいものであるかを再認識するために観る(笑)「魔界都市新宿」 は歯切れの良い生き方を学ぶために観る(笑)どちらも人にとって大義がいかに重要かを学ぶ事ができる(笑)大晦日はテレビが推奨する名作が目白押しだが(笑)、名作とは自分の生き方に影響を与えるものであって、テレビに推奨してもらっても困る(笑)名作とは自分で模索しながら、自分自身で探し出さなければ意味などない(笑)

人によって物事の見方など変わるもので、ネット上の映画の論評を見れば、それが自分の評価といかにかけ離れているかが分かる(笑)つまり他人の評価などまったく当てにならないものであり、名作とはその人自身に合うものでしかないのだ(笑)だからこそ自分がどうゆう人間なのかを探るために、自らの手で名作を見つけなければならない(笑)

自分の場合は大概馬鹿にされるため(笑)、物語の筋書きを大いに語り、そこから何が得られるのかを雄弁に語る事になる(笑)結局そこから何が得られるかが大事であり、それは人によって変わってくる(笑)人にとっての名作とは、そこから得られる何かであり、それがその人の人間性を暗示している(笑)

何を感じ、何を学ぶか。人の感性によって得られるものは変わってくる。感性とは「評価判断に関する印象の内包的な意味を知覚する能力」。感性が低いと、まともな判断ができなくなるのは間違い無い(笑)

大晦日は自分探しのために雑煮でも食べながら、いつものように気ままに過ごす事になるのだろう(笑)

「魔界都市 新宿」が面白いのは、「悪を躊躇無く切り捨てる正義」、「あらゆる者を許す善意」、「あらゆるものを疑う推測」、「あらゆるものを見通す慧眼」、「あらゆるものを貶める悪意」という人の意識が、人物として登場している点にある。登場人物を人として捉えるのではなく、悪と戦うために必要な意識と捉えれば、この物語の意図するものが見えてくる

悪と戦うには、「悪を切り捨てる正義」、「過ちを許す善意」、「ものを疑う推測」、「ものを見通す慧眼」の全てが必須になる。一つでも欠けたら、確実に敗北する。世の中は、善が勝つとは限らない(笑)勧善懲悪は簡単なものではないと、このアニメは教えてくれる(笑)例え負けても、負けた意味をしっかり理解し、改善を図って再起ができる(笑)

このアニメで突出しているのが、「正義」と並び立つ「善意」。この物語では「あらゆるものを許す善意」の人物が、悪に翻弄されながらも、人の頑迷を解きほぐす。「善意」無くして、悪と戦う事は決してできない

「正義・善意・推測・慧眼」の全てを揃えるのは至難の業だが、人が正しく生きるためにはこの全てが必要になる。今の日本には、この全てが欠けている。欠けいるからこそ、社会システムがまともに機能しなくなっている

この全てを手に入れるためには、過ちや失敗を繰り返しながら、学び続けるしかない(笑)このアニメのエンディングは、明日に繋がる「生きる希望」を見いだす事で終わっている

「生きる希望」は、「正義・善意・推測・慧眼」の全てを持つ事でしか見いだせない。生きる事の厳しさを、このアニメは教えてくれる



ラジオ
テレビを観なくなった今では、ラジオは生活の一部となっている。ラジオの利点は、イメージを想像する想像力の強化にある

言葉は人にイメージを与え、日常的に想像力を鍛えられる。実態の無いものを、脳細胞が仮想現実として創り上げる。ラジオは、脳細胞を鍛える最高の道具といえよう(笑)テレビ没落の今、ラジオは生活に役立つ唯一の報道番組なので、その質を上げて誰もが有用なものだと認めるものになって欲しい(笑)

番組はパーソナリティで質が決まってしまうため、間違った人選をしてしまった番組は聞くに堪えない(笑)下世話な話を平気でする者がいるという事は、ラジオもまた玉石混淆の道具と言えるのだろう。世の中には賢い人もいれば、つまらない人もいる、との現実社会を理解するには、丁度良い教材と言えるのだが(笑)

ちなみにテレビのNHKは大嫌いだが、ラジオ放送は大好きで、特にラジオドラマが秀逸なので、いつも楽しみにしている(笑)小説の物語を読むのとは別の楽しみ方ができ、言葉がいかに大切なものかを教えてくれる

人が発する言葉とは、その人の人格そのもの。どのような生き方をしてきたのか、だいたいの見当がつく(笑)テレビとラジオとでは、映像ではごまかしきれない言葉という本質的な違いがはっきり出る。テレビには想像するという行為が欠落しているため、ただの馬鹿製造器でしかないが、ラジオは想像し考えるという行為が必須になるめ、利口にはなっても馬鹿になる事は決して無い(笑)

ラジオは海外のポップスやジャズが沢山聞けるため、非常に有用な道具になる。曲のストックが増えるのは嬉しいものだ。たまにプレゼントの応募があったりと、色々と楽しめる。テレビや雑誌のプレゼントは、担当者がねこはばする大嘘でしかないが、ネットサイトやラジオのプレゼントは良く当たる(笑)
Back Ground Music: Flamenco ArabeNíl Sé'n Lá

ラジオは危機管理の道具として活用でき、テレビからの脱却を手助けする。ラジオの有用性を再認識することで、認知症を回避する脳細胞の鍛錬が可能になる(笑)イメージする力は、人としてあるための必須の能力。人としての能力を取り戻すためにも、ラジオ生活はお勧めです(笑)



個人情報の取引
個人情報の漏洩で消費者に多大な損害を与える事件が後を絶たない。これは個人情報の売買という名簿の取引が合法化されているためであり、名簿の取引を法律によって厳重に規制しない限り、このような事件を防ぐ事はできない

個人情報の売買という根本を絶たない限り、消費者の許可なく個人情報が次々に転売されていく。この連鎖を止めない限り、個人情報の保護など絶対にできない。できないのが分かっていながら、行政は個人情報の売買に目をつぶり続ける
これは政治家が企業からの賄賂によって目をつぶっているとしか考えられない。個人情報の売買を法律で厳重に禁止すれば、例え漏洩したとしても販売先がないのだから広がる恐れは無い。漏洩した情報を利用すると、厳しい罰則が科せられるようにしておけば、情報を安易に購入する事もできなくなる

結局情報の売買を認めているから漏洩するのであり、このような現状を放置している政治家に全責任がある。情報の転用が安易な環境では、情報の漏洩は絶対に防げない。これが理解できない政治家など、ただの大馬鹿者にすぎない

情報の漏洩の元凶は情報を売る犯罪者であり、情報を売買できるシステム自体もその元凶になる。この犯罪者を取り締まらないのだから、個人情報の漏洩が止むことは絶対にない。名簿の売買業者は「違法なデータとは知らなかった」と逃げるだけで、情報元の許可無く勝手に個人情報を売買し続ける。マスコミも金になる情報の制限には反対なので、情報の売買に関しては一切触れようとはしない

マスコミ(テレビ・新聞)・企業・政治家が三位一体となって個人情報の漏洩を後押しし、国民(個人情報)をいいように操作できる環境を作り出そうとしている

個人情報とは消費者を犯罪に巻き込む危険な存在であり、情報は法律で厳しく管理すべきものになる。これができない日本は、個人情報がダダ漏れの三流国家でしかない

追記: 自民党は法律の不備を金儲けに利用し、多額の政治献金という賄賂で私服を肥やす。政治家やマスコミの都合の良い解釈に騙されてはならない

NHKの権益拡大、パチンコ利権の放置・音楽利権の拡大、等々を献金(賄賂)貰って平気で行い、消費者の個人情報の売買という悪質な商売をも放置する政治家など、腐りきった政治屋にすぎない

個人情報の漏洩は、「自民党の政治家が一体いくらの賄賂(献金)を貰って許可しているのか」という問題でしかない。個人情報の売買自体が元凶なのに、他の問題とすり替えてごまかそうとする。「覚えが無ければ何をしても許される」という政治家の腐った理念が、個人情報の漏洩という最悪の事態を生み出している

馬鹿で強欲な政治家を選んでしまうと社会が衰退し疲弊するという見本そのものであり、犯罪者に消費者の情報が筒抜けになり、一般人が犯罪に巻き込まれるという事態が日常化する。今の自民党は、国民を食い物にするハイエナでしかない。CDのコピーは犯罪になり、個人情報の売買は犯罪にならないなど、自民党はただの無能な詐欺師

国民を食い物にするハイエナは、その正体を万人に知らしめる必要がある(裏付けのある情報)。真実が何よりの武器
Back Ground Music: ハイエナとの戦い



ご機嫌
天気の悪い中、野菜の買い出しついでに、ちょっと遠くの「道の駅」までドライブした。そこでおいしい海の幸が食べれられる、と聞いて彼女は楽しみにしていたらしい…

自分はというと、目的の野菜を沢山買い物した後なので、別にドライブぐらいにしか考えていなかった(笑)買い物の品定めをした後、いざ昼食のレストランへと行くと、メニューが少なく全て数千円以上(笑)「ちょっと高いね」と言うと、彼女は怒ってさっさと車に戻ってしまった(笑)その後のご機嫌取りが大変で、結局たまに行く地元の料理店で、彼女の好きなものをご馳走するはめに陥った(笑)ちょっと高いどころでは無く、非常に高価な出費とあいなってしまった(笑)

「なにげない一言で墓穴を掘る」とはこの事だろう(笑)自分の懐具合と、彼女のご機嫌を秤にかける機敏さが足りなかった事が敗因と言えよう(笑)こうなった背景には、テレビが高級食材を使った高価な食事番組を、当たり前のように放送している事に原因がある(笑)高級料理が当たり前、との感覚を植え付けるテレビは、経済観念を破壊する(笑)百円単位の地元の安価な野菜や食材を買った後に、数千円の料理に違和感を覚えるのは当然だろう(笑)

テレビ好きの彼女には困ったものだが、テレビ嫌いの自分とで、丁度釣り合いが取れているのだろう(笑)何事も極端な考えには狂気にも似た異常性が伴う(笑)善と悪をその身に宿すのが人であり、上手なコントロールが必要だ(笑)

そのためには世の中の異常を嗅ぎ分ける、鋭敏な嗅覚が必要になる。異常を異常と感じない感覚は、人の正常な感覚を狂わせる。テレビは浪費と消費を煽る、紛れもない宣伝です(笑)
Back Ground Music: Sherlock

「YouTube」の料理チャンネルは秀逸だ(笑)自分で食材を購入して料理すれば、高級料理を存分に楽しめる(笑)料理を作って楽しむのは、食という人の生存本能を鍛える、正常な行為といえよう(笑)

ちゃんとした料理人の料理もいいが、普通の主婦が日常的に調理している動画の方が好きだ(笑)普通に買えるスーパーの食材を使って、普通の料理を作る。それは、普通の日常生活だからだ(笑)

普通の主婦が料理を作って「お小遣い」になる時代になっている(笑)主婦が生活の一助として「Youtube」を活用する姿には感動する(笑)こうゆう人は、自分の顔は決して出さない。自分を「宣伝」するので無く、「料理を作る事」を「宣伝」する、まともな動画と言えるだろう(笑)こうゆう動画は疲れない。人を応援するのと同時に、自分自身も癒される

良い動画は疲れない。それは自然なものである証明だ(笑)




近隣の山が噴火し、その火山灰で大変な思いをしたので、いつしか山に登る事は無くなってしまった

若い頃はリュック一つで色んな山に登っていたが、登山での怪我が怖くなって、山に行く事自体が減っていた。山には危険な場所が目白押しで、怪我をしない方が不思議でしかない事が徐々に分かってきたからだ(落下・落石・遭難・ヒル・病気・怪我等々)

山の風景は確かに日常を忘れさせてくれるが、危険を犯してまで行く必要も無い。空気は山奥なら何処でも綺麗で、星空も目を見張るほどすばらしい。気軽に行ける日常の場所に、新しい魅力を発見するのも楽しいものだ。交通手段が良くなり、非日常が簡単に手に入るようになったが、日常の中にこそ目を向けるべき現実がある

山とは非日常の場所であり、日常の常識が通用しない場所になる。気軽に行くような場所ではないのだろう。山の空気と風景は素晴らしいものだが、そこには必ず代償が必要になる

自分の場合は予見不能の代償を支払うよりも、麓を散策し、温泉に浸かるのが一番という結論に至った。危険を予測し回避するという観点に立ってみれば、妥当なものと言えるだろう
Back Ground Music: 星空

最近は異常気象で雨が猛烈に降るようになったため、山沿いの道でガケ崩れや倒木が非常に多くなった。一度倒木が道を完全に塞ぐ事態に直面したが、急ブレーキでなんとか回避できたのは幸運だったとしか言いようが無い。土砂崩れや落石が起こりやすくなっているため、急なガケや沢沿いの場所は避けるようになった。自然災害に合わないためには、危険な場所を予測して行かないようにするしかない



スクラップ・アンド・ビルド
古風な建物は風情があって良いものだが、うらぶれた建物は嫌悪感しか抱かせない。この違いは何処から来るのか

古風に思えるものには美しさがあり、残したいと思わせるだけの魅力がある。うらぶれたものには美しさが無く、崩壊という嫌悪感がつきまとう。これは結局のところ、安心感や嫌悪感などの人が感じる「感覚」というやつなのだろう

この感覚というものは一見不確かなものに見えるが、物事の変化を感知するという重要な役割を担っている。この感覚が鈍ると、正常な判断ができなくなる。物事は常に変化していき、人はその変化を敏感に感じ取れる感性が必須になる

「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」という進化論のダーウィンの言葉は、時を生きる真理と言えよう。これは「物事の変化を感知できる者だけが生き残れる」との言葉に言い換えられる

今の日本では、この物事の変化を感知する事は難しい。何故ならマスコミが世間の変化を隠蔽するからだ。マスコミの戯れ言を鵜呑みにすると、変化に対応できずに自身の生活が破綻する。それほどまでにマスコミの信頼性は落ちている

インターネット上の有象無象の情報をかき集めて、その中から感覚的に正しいと思われる情報を探さなければならないのが現実だ(笑)今のマスコミは完全に無用であり、しがらみのないマスコミの登場を待つしか無い

しかし現実生活で悠長に待っている暇は無いので、事実を隠蔽するエセマスコミの利用を止め、今の時代に対応したマスコミの登場を促すしか無い。マスコミのスクラップ・アンド・ビルドが必要な時代であり、それは自身の行動でしか起こせない

混沌としたマスコミの有象無象の情報の中から、正しい情報を選り分けなければならない(笑)これは自らの情報力を上げるには、丁度いい環境なのかもしれない

自身のスクラップ・アンド・ビルドも必要だ(笑)
Back Ground Music:Karas

何かおかしいと思ったら、「妖怪のせいだ」と思うようにしている(笑)そうすれば「んなわけないだろ!」と、徹底的な原因究明ができるからだ(笑)

究明により原因となった見えない「妖怪」が見えてくる。適当な対策で終わらせないための予防策にもなる(笑)この「妖怪」、見えない所で悪さをするから見つからない。見つからないから「妖怪」なのだ(笑)

大概の場合、最新の環境に適応できないから機能しない、というのが原因だ。環境に適応できないから機能しない。正に進化に適応できない、進化論の実例だ。この原因を突き止めるには、この環境全てを理解する必要に迫られる。膨大な資料との格闘が必至になる。正に「妖怪」だ…



節約
お金を貯めたければ、お金を使わずに貯めれば良い。ただこれだけの事なのだが、人の生活は己の欲望にまみれているため、中々思うようにならないのが現実だ(笑)

1. 新聞とNHKを解約する
これは必ず行わなければならない必須の条件。年間最大10万円もの節約ができる(笑)どちらも詐欺まがいの行為を堂々と行っているのだから、解約はもはや必然です(笑)この2つは詐欺まがいの商法なので、解約が非常に難しい(笑)何しろ相手は「恫喝・脅迫・威嚇・恐喝」で応対する人外魔境の怪物だから、解約を絶対に認めない(笑)だから自分でできない場合、頼もしい身内(他人は避ける)に頼み込む(笑)人を頼る事も、節約の極意と言える(笑)

この2つが詐欺商売である証拠は、解約手段を明確にしない点にある。法的に正式な解約手段があれば、簡単に解約できる。しかしどちらも法的にまともでない契約なので、解約手段を明確にできない(笑)又は法的に正式な解約手段を表示すれば解約が殺到するため、明確になどできない(笑)どちらにせよ、ろくでもない代物なので、解約は絶対にすべし!

新聞とNHKが必要なものかを確認するには、一週間前の情報をきちんと覚えているかを確認すればいいだけ(笑)実際たいして覚えていないので、無用なものだと判断できる(笑)

NHKと新聞の料金で、パソコン(タブレット)の購入とインターネットができる(笑)どちらが有益なのか、考えるまでも無い(笑)NHKと新聞は、生活には不要です
2. 買い物をできるだけしない
必要な物だけを購入するのは当然だが、買い物自体を少なくすれば消費を簡単に抑えられる。インターネットで良く調べてから購入するようにすれば、衝動買いも抑えられるようになる。値段の比較ができるのが、インターネットの最大の強みだ(笑)
3. 物を捨てずに修理して使う
大概の物は、修理して使う事ができる。洋服などは修理もきくが、家電品となるとそうはいかない(笑)家電品は部品が全体的に劣化するため、修理しても長持ちしないからだ(笑)

家電品の場合は、普及帯の信頼性の高い物を選び、壊れたら次に買い換えるのが賢い方法になる。高価な家電品ほど費用対効果が非常に薄い(笑)ただし中国・韓国製の家電品だけは絶対に避けなければならない。低品質で満足した性能が得られないだけでなく、中身に何を使っているか分からない危険なものだからだ(笑)

「火を噴き、火災で家を失う」という悪夢が現実になる製品なので、「絶対に止めておけ」と言う他はない。家電製品は安全性が第一。一度火を噴いた現場に行ったことがあるが、家電品は命の危険に関わる製品だと、改めて認識し直した

「MAID IN CHINA・MAID IN KORIA」「MAID IN PRC・MAID IN ROK(CHINA・KORIA と表記すると売れないため、この名称に変更して売っている。中国・韓国の基本は詐称と詐欺)」「中国製・韓国製」の表記がある家電製品は絶対に避けるべき・・・。中国と韓国の製品の特性は「ごまかし」であり、見た目にだまされてはならない
4. 外食を避ける
今時の外食は非常に高価で、自宅で同じものを食べた場合の数倍の値段になる(笑)素直に材料を買って料理した方が、安全で栄養価の高いものを食べる事ができる(笑)

外食にお金をかければかけるほどお金が貯まらない(笑)食事とは栄養補給という行為でしかなく、ただ味が良いという味覚要素に大金を払うのは、非常に効率の悪いものだという事を理解すべき・・・なのだろう(笑)

外食は多種多様な毒性添加物が混入した中国・韓国産の致死性食材を使用しているため、人の体を破壊する。非常に危険な食材を使っているため、生命の危機と言って良い。外食は体に悪いのだから、外食をしない事でお金と健康の両方が得られる(笑)
5. インスタント食品やファーストフードを避ける
人は食べないと生きていけない。食を中心に生活していれば、健康でいられる。加工食品は、ほぼ間違い無く格安の中国・韓国産の毒性食材を使っている。なので加工食品は止め、国産の安全な食材を使って料理すれば良い

インスタント食品・冷凍加工食品や手軽なファーストフード・コンビニの食品などは、毒を食らうようなものだ(笑)「これ食べたら癌で死ぬ!」と自分に言い聞かせ、生理的に受け付けないようにすべき(笑)インスタントラーメンやカップ麺、プライベートブランドや冷凍加工食品などもってのほか(笑)「これ食ったら死ぬ」と普段から言い聞かせる事が重要だ(笑)

ちなみに化学調味料の会社の製品は、何であれ避けるようにしている(笑)自然ではない異質な成分を堂々と入れているのだから当然だ(笑)人間は体に取り込めない異質なものによって病気になる。人工的に造られた成分に体を冒されるリスクは避けなければならない。馬鹿舌になりたければ、化学調味料を取り続ければ良い(笑)

マスコミやCMに騙されると、原因不明の病気で苦しむはめになる。人体を狂わす成分ですが、微量なので問題ありません(マスコミ・CM)。体内に蓄積したら大問題だろうに。食べ物は、体中に行き渡る栄養分であり、当然脳細胞にも行き渡る

異質な成分が体に取り込まれると、少しずつ確実に自分の体が蝕まれていく。当たり前の事なのに、当たり前が当たり前で無くなってしまっている。目に見えない異変ほど恐ろしいものはない

危険な製品を堂々と宣伝してくれるCMは、今や危険回避のための重要な情報源となっている(笑)

普段から毒を食べていれば、心体共に壊れるのは当たり前・・・。精神を病み、体を壊し、それで人として生きて行けるのか? 食生活とは人として生きる手段そのものでもある

手抜き料理は死を招く。旬の食材を使って、健康的な食生活を送るべし!
参考資料:中国産食材の蔓延



軍艦島
いまや廃墟同然の軍艦島を、世界遺産として保存しようとしている。確かに過去の遺産として価値があるのだろうが、今を生きる人間に必要なものかどうかは別問題。保存するにはそれ相応の費用がかかり、誰かが費用を負担し続けなければならない

壊れたオブジェに、莫大なお金をかけて保存し続ける事に未来があるのか。そこから利益が上がり、それで保存ができるのなら問題ないが、離れ小島の軍艦島にそれができるのだろうか?

廃墟はいずれ塵に帰る。お金が尽きた時に、それまで掛けた莫大なお金も露と消える。大型台風によって崩れる姿が目に浮かぶ
BackGround Music:廃 墟

地元の観光資源として活用するのは大変結構なことで、地元の活性化にも繋がる。観光のための整備も必要になるが、それは入場料や地元の自治体の予算でまかなえばいいだけ。いずれ何処もこうような廃墟になるという、良き見本とも言えるため、自然のままに朽ち果てる姿を楽しむのが一番と思われる

廃墟とは、利用価値が無くなり、見捨てられた場所。利用価値があったなら、近代的な施設に生まれ変わっていたはず。廃墟は遺跡ではなく、かつて人が住んでいた場所の名残でしか無い。廃墟はいずれ塵に帰る。廃墟を整備すれば、もはや廃墟ではなくなり、整備された利用不可な施設に変わる

人に見捨てられた廃墟を、過去の遺産として残す。整備された廃墟にするのに、いったい幾らの資金がかかるのだろうか。人気が無くなり、人から見捨てられたら、そのまま廃墟として朽ち果てる。国まかせの整備が長続きするはずもなく、利用価値が無くなれば、元の廃墟に戻る。利用価値に翻弄される軍艦島は、人の都合に振り回された姿そのものなのかもしれない



国立競技場
新国立競技場の建設費が、3000億円にも上ることが後になって発表された。これは技術者に全てを託せば、このようになるという良き見本。理想を追い求めて経済破綻するのは自明の理。この問題で責任があるのは、予算を明確せずに技術者に全てを任せた政治家と役人にある。技術と経済の合理性を判断すべき役人と政治家が、金に糸目をつけないのだから、天井知らずになるのは当たり前。経済破綻は、合理性を見失った愚か者の判断から始まる。オリンピックは負の遺産にしかならないという、海外の現実を真摯に直視しないからこのような事態を招く

いずれ老朽化して建て直すものに、数千億円もの莫大な費用をかける。それだけの費用を回収できる見込みがあるのか。政治家の見栄のために、国民の財産を湯水のように使う行為が許されるのか。合理的な判断ができる政治家がいないから、このような馬鹿げた事態を招く

馬鹿な技術者に、馬鹿な役人に、馬鹿な政治家。この三者が揃っていたからこそ、このような馬鹿げた事態に陥ってしまっている。最初から予算と工費が曖昧なのだから、実際の費用が膨らむのは当たり前。どこかで合理的な考えができる人が止めていたら、このような事態にはならなかっただろう。自民党が止めないのだから、このまま負の遺産になるのは止めようが無い。経済性が無くなり打ち捨てられた軍艦島と、建設と維持に莫大な費用がかかる国立競技場は、見た目はまったくの別物だが、どちらも極端という同じ性格のものだ。塵に帰る寸前の建物と、建設費と維持費が天井知らずで耐久性も不明の未知の建物。どちらも費用が幾ら掛かるかまったく分からない、化け物でしか無い

両極端であるが故に、正しい価値観が必須になる。どちらも必要だと判断を下し、中間にある国民生活を投げ出す政府。余りに身勝手な政策は、国を破綻へと導いていく

政府にお金が無いと言いながら、建設費と維持費をまったく無視して、大金を湯水のように使う。国民生活に負担をかけるような政策には、必ず合理性と経済性が求められるのに、そのような考えが一切無い。そこにあるのは単なる見栄でしかなく、それが当たり前だと開き直る政治家は、経済観念の無い只の浪費家でしかない
BackGround Music:Exodus

日本のオリンピックは、順調にブラジルの二の舞を辿っており、すがすがしいほどの馬鹿面を晒している。海外の経済を破綻させるオリンピックの現状から、何も学んでいない。自民党の浪費癖は、死んでも治らないものらしい。誰の意見も聞かなくなった自民党は、制御不能となった原発と同じで、国民生活を破壊する

日本のオリンピックは始まる前に経済破綻で終わってしまい、後はどれだけ無駄遣いされるのかを見守るだけになってしまった。中国・ロシアに続き、日本も経済破綻への道を順調に歩んでいる・・・

年間数十億円もかかる維持費を、50年以上も払い続けるのだから、国立競技場は破滅の象徴として鎮座し続ける。本当にオリンピックは、疫病神以外の何者でも無い

東京近辺には、既に国際大会として立派に使える陸上競技場がいくつもある。必要のないものを、必要なものとの前提で論議するのだから開いた口が塞がらない。[NHK・新聞・テレビ・マスコミ・政府]は、必要なものだとの前提で話しを進めている。大嘘つきの詐欺師共が、大合唱で造れ・造れとわめき立てる。しかも予算は、1300億円。何処の世界に、このなような大金を使ってオリンピックの競技場を造る国があるというのか。マスコミと自民党は、浪費癖が染みついた経済破綻者でしかない。かれらの言うがままに事が進めば、間違い無く財政は破綻する

役人の出す、建設後の収支見通しなど、ただのゴミ。役人の収支計算がうまくいったためしはない。赤字になるのは、火を見るより明らかだ。国立競技場で、結婚式やら催すつもりなのだから、話にならない

既存の施設を活用しようともせず、無駄なものを造り続ける。国内に立派な体育館や運動施設は山のようにあるが、人々が憩いの場とする公園は非常に少ない。普段使われずに、閑散とした運動施設ほど無駄なものはない。いったいこの狭い日本に、どれだけ競技場を造れば気が済むのか。どこも赤字で四苦八苦しているのに、独立行政法人日本スポーツ振興センターと日本陸上競技連盟は、ギャンブル漬けで頭が腐った無能でしかない。自治体と陸連は、ほとんど使われない施設を次々に造ってはほったからして、莫大な建設費と維持費を地元住民に押しつけている。利用頻度の非常に少ない物に、いったいどれだけの価値があるのか。慢性的な赤字と、莫大な維持費など、彼らにとっては何の意味もないのだろう
参考資料: 第一種陸上競技場

国立競技場の跡地は、都内でも少ない憩いの場でもある。何も造らず、避難場所や公園として活用するのが最善だろう。詐欺師のマスコミと政府の言い分は、金を湯水のように使う、浪費家の戯れ言にすぎない。東京の近隣に活用できる既存の施設がどれだけあるのか。まずそこから話を進めるべきだろう。無ければ必要だろうが、既にあるのであれば必要ない。必要ないと判断できないのだから、ただの無能な詐欺師

建設費が膨らみ続ける競技場の建設はあきらめたようだが、建設そのものはあきらめていない(笑)建設自体をあきらめ、既存の施設を活用する術を考えるべきだろう。金食い虫のオリンピックを、金をかけず行うことこそが、国民のための政策になる

今の日本に不要なものは、「テレビ(NHK・新聞)と自民党とオリンピック」。この無用の長物を、どう精算すべきかが求められている(笑)この問題の最大の問題は、利用するはずの国民の姿が一切見えないこと。国民に必要なものなのか、それがまったく見えない・・・

国滅びて、オリンピックの骸だけが残る・・・

雪の降らない中国で、冬のオリンピックの開催が決定した。オリンピックは、今後全て中国で行えば良い(笑)次はハワイで冬のオリンピックというのも、ありかもしれない(笑)金と欲にまみれたオリンピックに、もはや常識など通用せず、常軌を逸した狂気の祭典に変容している

今時、どこの国もオリンピックをやろうとはしない。それは莫大な金がかかるオリンピックが、地元の反対運動によって敬遠されるようになったから。今やオリンピックは、地域財政を破滅に導くスポーツ興業にすぎない。不都合な事実を隠蔽する、「テレビ(NHK・新聞)と自民党とオリンピック」は、国を滅ぼす亡国の輩にすぎない

日本におけるオリンピックとは、文部科学省のスポーツ利権のための巨大なスポーツ興業。文部科学省・スポーツ振興センター・土建業界・マスコミに大金が転がり込む、利権興業にすぎない。オリンピックという利権に群がるハイエナ共に、国民は骨の髄まで搾り取られる。オリンピックの実態は、莫大な金が動くスポーツ利権であり、莫大な浪費により財政破綻を招く狂気の祭典にすぎない

狂気の祭典が生みだすものは、国民生活を脅かす莫大な借金のみ・・・

オリンピックは国家に依存せずに、民間の力だけで行うものに変わらなければならない。国家に依存するスポーツは、必ず利権と汚職を生み、国家財政を破綻させてしまうからだ。オリンピックとは、莫大な散財と汚職を伴うスポーツ利権にすぎず、国民生活を苦境に貶めるだけの馬鹿騒ぎ。喜ぶのは、オリンピックに群がるハイエナ共だけ・・・

政府にスポーツ庁なるものができるそうだが、これはスポーツを国家のプロパガンダに利用することに他ならない。ドイツのナチスが、スポーツを国家の宣伝に利用したのと、何一つ変わらない。スポーツに莫大な予算が振り分けられ、国民の生活や福祉はますます衰退する。正にスポーツ利権。このような人気取りで国民を騙そうとするのだから、自民党のやり口は非常に汚い。このような目くらましに騙される国民も、いい加減目を覚ます時にきている
BackGround Music:Ben-Her



言葉を濁さない
Wikipedia の記事を調べていたら、記事の内容に注釈がついていて、それをクリックすると「言葉を濁さない」というページが開いた

よく読むと、「記録するなら根拠を示せ」との事らしい。今時のマスコミの主張は、ほぼ全てにおいて言葉を濁す(笑)Wikipedia の厳格な基準には恐れ入る(笑)

マスコミの都合の良い言い方は、全てこの言葉を濁す言い方に当然のように当てはまる(笑)マスコミの主張は、大概言葉を濁す言い方をして、提灯専門家の意見で正当化を謀る(笑)曖昧な表現は、物事の本質を見失わせる危険なものになるため、 Wikipedia は非常に厳格な基準を設けた上で「断定して下さい」と促す。断定するには、断定する根拠が必須になる。信頼される情報には、正確な情報の裏付けが必須になる

このブログは、適当に書いて、適当に修正し、適当に文章が完成する(笑)表題が決まったら、いつの間にか出来上がる(笑)

文章とは実態を現わす絵画のようなものだ。絵画を描くように、実態を一筆づつ丁寧に描き出す。絵画に終わりがないように、文章にも終わりが無い(笑)幾らでも修正し、実態に近いものに仕上げられる(笑)ド素人のブログだからこそ出来る事だ(笑)

絵画の色は、無限の色の組み合わせによって彩られる。だからこそ実態を正確に表現できる。画一的な物の見方は、絵画の色が限られた、平面的な駄作の絵画。多彩な色で描かれた絵画は、物の実態を正確に表現できる

物事は多彩な色に彩られた絵画に例える事ができる。この中から本質の色を見いだすには、経験と勘と裏打ちされた膨大な情報が必要だ。物の本質は、時にまったく関係のない所に潜んでいることが多いため、関連する膨大な情報を全て精査する必要に迫られる

物の本質とは、裏打ちされた膨大な情報の中から選び出された、基本となる一色(事柄)にすぎない。そこを基準にして物事が成り立つ。人の解釈によって、物の本質は変わってくる。人は都合の良い解釈をしようとするため、物の本質も同様に変わっていく(笑)

時に本質が二つも三つもある場合もあり、それら全てを含めて物事が成り立つ(笑)人は自分に都合の良い考えしかしない生き物なので、多種多様な物の見方があると言って良い(笑)

マスコミの主張とは、正にマスコミの視線から見た本質にすぎない。マスコミの主張など、マスコミの都合のいい解釈にすぎない。大概間違っているため、切り捨てるのが一番(笑)情報の基本形は「5W2H」。「いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのように、いくら(根拠)」の全てが必須になる。この基本が欠けた情報は、使用不可だと即断できる(笑)マスコミの主張はこの基本形から外れているため、只の妄言にすぎない(笑)価値観そのものが狂っているため、主張以前の問題なのだが(笑)

何を基準にするかで、物事の見方は大いに変わる。人によって、物の本質は変わって見える

「人を色眼鏡で見る」という言葉は、マスコミの偏った物の見方を体よく表現するものだ(笑)だから物の本質は自分自身で見極める癖をつけなければならない。そうすれば、マスコミは只の基礎情報の提供先でしかない事が分かってくる(笑)

マスコミの情報の狂いは、大概直感的に分かる(笑)マスコミがいいかげんな主観で、物事を断定するからだ(笑)複雑な要因が絡んでいるからこそ問題なのであり、簡単に断言するのは、そのように解決したいからにすぎない(笑)人を上手に誘導するのが、マスコミの本来の仕事です(笑)

インターネットは、膨大な情報を提供し、考える事を強要する(笑)マスコミは都合の良い情報を選別し、物を考えるなと強要する(笑)どちらが人の為になるかは言うまでもない(笑)判断は、環境と人によって変わってくる。判断材料を提供するのが、インターネットの役割だ

「NHK・新聞・テレビ」は、表面上は善人を装っているが、その主張は正に地獄への特別列車(笑)「歪められた情報は、真実を歪め、社会を破滅に導く」。教科書に載せたいほどの正論だ(笑)

人は基本的に自分に都合の良い考え方しかしない、都合のいい生き物です(笑)マスコミも同様に、マスコミに都合の良い考え方しかしない(笑)情報は自分自身で評価し、選別しなければならない。マスコミが真実を語っていると誤認すると、大変な目に遭う(笑)マスコミは欠陥品だと断定し、インターネットで情報を検証すると、ぞろぞろと不都合な情報が表示される(笑)

情報には必ず人の思惑が込められいて、明確な意図を持っている。流された情報は、その意図と目的を読み解かなければならない。意図を持たない、目的を持たない情報など、この世には存在しない(笑)1つの情報から、全体像を読み解く、高度な理解力を養わなければならない

インターネット上では、マスコミの情報は単なる一つの基礎データ。今や関連する多種多様なデータから真実が導かれる。マスコミの主張など、賄賂を貰った政治家の汚い口利きです。まともな主張は言葉を濁さず、不明朗なところが一切ない。そのような主張をインターネット上から探さなければならない

言葉を濁した主張だと見抜けば、マスコミの嘘も見抜ける。Wikipedia の文章を参考にすれば、今や誰もがしっかりとした主張ができる。主張したら、誰かに見て貰う事をお勧めする(笑)批判は自身の糧となり、より良きものを生みだす原動力になる(笑)自分の場合は、立ち直れない程の批判にさらされるが、分かりましたと素直に言っておく(笑)どのような理不尽な批判でも、人の受け取り方の良き見本と言えるからだ。批判の拒絶は、自らを狂気の海に沈めてしまう。信念さえ曲げなければ、なるようになる。最終手段は「オタクの変態だから」で逃げ切れる(笑)人は必ず逃げ道を用意すべきで、逃げ道を断つと自滅する(笑)

自身で推敲すれば、膨大な数の欠陥が見えてくる。自らの欠陥を正していけば、他の欠陥も理解できる。完璧なものだと認識した時点で、誤認という泥沼にはまりこむ(笑)人の認識は完全なものではない。完全なものでは無いと認識する事で、自身の過ちを修正していける(笑)

「人の振り見て我が振り直せ」。これは人の振りを正す前に、我が振りを直すのが前提との格言(笑)「我が振り見ずして、他の振り直せず」。自身の振りを正さずして、他の振りは正せない。正しい振りを身につけた人にしか、正しい主張はできない。これは自分自身に当てはめるべき、非常に厳しい現実だ

気負わず、気楽に書いて、気軽に修正する。人の主張は欠陥だらけ。欠陥は修正していけばいいだけだ(笑)誰も身の丈以上のものは書けない(笑)
BackGround Music: Gatchaman

文章を書くには多大な労力がいる(笑)文章を自らを絞ってひねり出す、というストレスがかかる(笑)脳細胞には適度にストレスを与えないと、老化して使い物にならなくなる(笑)何でも良いから、表題を決めて書く。書けばなんとかまとまっていく(笑)上手にまとめるには、まとめるという経験を重ねるしかない(笑)

自身から絞り出した文章は、自分自身そのものだから、その言葉に嘘はない。嘘は無いが、自身の過ちが如実に反映される。嘘の無い文章とは、人の欠陥が反映されたものにすぎない。人は永遠に学び続けなければならない(笑)

世の中に「正論」などというものは存在しない。立場に応じた意見があるだけ。誰が主体になるかで「正論」は変わる。自分自身が何処に立っているかを明確にすれば、「正論」という嘘が分かってくる。人は分かるまで、考え続けなければならない(笑)

世の中の因果律は、自らの手によってしか解き明かせない(笑)
BackGround Music: スイッチが入ったら