生活の覚え書き 10

ペーパーレス
紙から電子データへの切り替えを、ペーパーレスと呼ぶ。紙に書かないペーパーレスは、森林伐採による自然破壊を止めることでもある。電子データに変えると、パソコンによるデータ処理が可能になる。つまりペーパーレスとは、データの電子化によってデータ処理を行うことを意味している

ペーパーレスが実現すると、全てのデータは電子化される。電子化されると、全てのデータをパソコンで処理できる。つまり、あらゆるデータを、瞬時に、確実に処理できる。これを可能にするには、全てのデータの電子化が必須になる

個人や企業などの民間では、ペーパーレスはほぼ完了している。個人でパソコンを活用すると、インターネット経由であらゆる商業行為が電子化され、ホームページにその内容が表示される。ペーパーレスとは、全ての行為の電子化であり、全ての行為をデータ化し、瞬時に得られる社会になる

ペーパーレスとは、全ての記録の電子化です。インターネットに特化した電話会社や銀行やネット通販などでは、手書きの文書は存在しない。対面の業務でも、タブレットを使用する。完全電子化により、ペーパーレスが実現している。ペーパーレスとは、全ての業務の電子化です

用事があって市役所に行くことになったが、受付で廻る場所を膨大な紙に印刷され、順番に廻って手書きでチェックを入れていく。膨大な紙にチェックをいれながら、オペレーターが渡した書類に記入するよう促す。記入した紙を見ながら、オペレーターがパソコンに入力していく。これは何の冗談なのか、との話になる(笑)

役所の「たらい回し」が堂々と行われてるのには、正直あきれるしかない(笑)「どこの三流国家なのか」との話でしかない

マイナンバーカードにより、個人の基礎データは全て、マイナンバーカードの番号に紐付けられる。マイナンバーカードには、生体認証などの個人を証明する機能が必須になる。カードを所持する者を証明する手段がなければ、他人によるなりすましが可能になるからだ

そもそもマイナンバーカードは、戸籍番号の電子化と、本人の証明に必要なもの。それ以外の機能は必要ない

本人を証明するには、暗証番号だけでは不十分。役所でカードの写真と比べられるのはそのためだ。カードと暗唱番号を盗まれたら、なりすましが可能になる。証明には、生体認証とよばれる顔認証や指紋認証などと組み合わせるのが現代の主流となっている。2つのセキュリティで、なりすましを防止する

マイナンバーカードは、膨大な公共情報に接続するめたの「マスターキー」。全ての公共情報と接続するために必要な「証明書」が、マイナンバーカードになる

そもそもマイナンバーカードは、全ての公共情報と接続するためのものであり、特定の公共情報に限定されるべきものでは無い。自民党の保険証だけに限定する政策は、公共データの一元管理を不可能にする「イカサマ」です。自民党には、政府・政治家の効率的な運用などは眼中に無い。自民党のマイナンバーカードは、本来の目的から外れた紛れも無い「イカサマ」です

そもそも戸籍の番号化には、政府機関の電子化が前提条件。しかし政府機関の電子化など、まってくできていないのが現状だ。市役所の現状を見れば一目瞭然(笑)現在のマイナンバーカードは、電子化に適応できない欠陥品です(笑)

マイナンバーカードを保険証として活用するには、病院の電子化も必須になる。しかし現状、病院の電子化などできていない。政府機関も病院も電子化されていないのに、保険証として活用できる訳が無い

データの紐づけは、国民の個人情報の管理に自動的に活用される。マイナンバーカードは、本人確認のみに必要なもの。紐づけは、政府と民間ではまったく異なる。政府では記録された個人情報を紐づけて、あらゆる業務に活用できる。民間では、本人確認のみに限定され、個人情報は引き出せない。これが正しいマイナンバーカードの活用法

データの紐づけは、データベースの基本です。戸籍番号が「紐づけのキー(鍵)」になるから、いずれ全てのデータと紐づけられる。紐づけられないデータベースに意味は無い(笑)

政府がデータベースの構築に失敗するのは、その体制が「杜撰」だからだ。データベースの構築には、二重三重のチェック機能が必要で、厳格なデータ管理が必至になる。そもそも専門家でもないド素人にやらせるでたらめなデータ管理の体制で、まともなデータベースの運用は不可能だ(笑)

データベースの入力を、安価な下請けに外注する、国外の敵対国の企業に外注する、何も分からないド素人に入力させる、など日常茶飯事(笑)データ管理が杜撰なのが、日本の政府・政治家の特徴です

そもそもまともな情報管理をする気は無い。何故なら「利権を貪る」のが仕事だからだ。利権とは「無駄・金食い虫・非効率」の総称だから、適切な情報管理などそもそも不可能(笑)「情報の非公開」を決め込む悪党共だから、「不正・腐敗・汚職」は当たり前(笑)

そもそも何故、情報をデータベース化して一元管理しようとするのか。リアルタイムで対処できるコンピューターによる情報管理を可能にするため、業務の効率化を行うのが目的だ。つまり、データベース化により、業務の効率化が可能になり「コスト削減」ができる。「コストの削減・効率化」ができないデータベースなど存在しない(笑)

政府の情報の一元管理により効率化が可能になり、「利権の廃止、組織の改編、人員削減」が必至になる。しかし日本政府のデータベースは、新たな利権を生み、いらなくなった利権・組織が温存され、新たな利権により人員が増え続け、コストが更に増えていく。日本の政府の電子化は「まやかし」の出鱈目です(笑)

「コスト増大・非効率化」を実現する、杜撰を絵にかいたようなデータベースが、私腹を肥やす利権の上に成り立つ日本政府の情報管理の実態だ

データベースの活用には、実務の徹底的な分析により、無駄を排除し、合理的で効率的な作業が行えるよう、実務のやり方そのものを変えていく。簡単な作業で、膨大なデータの一括処理が可能になる。実務の大幅な見直しが必至になり、人員の削減と作業の効率化により、大幅なコスト削減が可能になる。ついでに、数多の無駄な利権も消滅する(笑)

徹底的な「無駄」の排除と、高度な効率化を徹底的に追及するのが、データベース設計の基本になる。利権政治家の思いつきで、やれるような簡単ものじゃない(笑)政府全体の効率化を図るのが、マイナンバーカードの真の姿になる

「不正・腐敗・汚職」を生み出す無用な利権を増産し、いらなくなった利権やその他諸々の無駄を守護するための非効率なデータベース。こんなもの、まともな訳が無いだろう(笑)

マイナンバーカードには、既に2兆円もの金が浪費されているらしい。事実なら、2兆円分の「無駄」と「非効率」が是正され、経費削減と人員削減が可能になる。現実は、紙と手作業が乱舞する、経費増大・人員増大の非効率な電子サービスがあるだけだ(笑)

「利権政治家による、無駄な利権を活用するための金儲け」。それが自民党によるマイナンバーカードの現実だ(笑)正に、金をドブに捨てるような蛮行です(笑)
Back Ground: The Living Daylights

そもそも日本の戸籍は、住む場所の役所が独自に管理する。だから、引っ越すたびに戸籍の記録が分散化。日本の戸籍は、地元が独自に管理するローカルデータになっている。マイナンバーカードで戸籍を管理するなら、まず戸籍の一元化が必至になる。何故なら、戸籍のデータベース化には、戸籍の重複など許されないからだ。戸籍を一ヶ所で集中管理しなければ、戸籍のデータベース化など論理的に不可能だ

しかし「政府・自民党」は、ローカルデータで戸籍をデータベース化しようとする。論理的に、できる道理が無い(笑)分散化した戸籍データで、一元管理などそもそも不可能。政府の電子化と、データの一元化を怠ってきたのだから当然だ(笑)

日本の「戸籍」の現状は、電子化などされていない。電子化されていないのだから、マイナンバーカードで情報管理など実質不可能。そもそも、戸籍の電子化と一元化は、マイナンバーカード以前の問題だ。日本の戸籍は、そもそも完全なデータベース化がされていない欠陥システム。日本政府のデータ管理が、如何に杜撰なものかが良く分かる(笑)

日本の政府は電子化などされていない。個人データの一元管理もされていない。だから、マイナンバーカードでのデータ管理は不可能だ。日本のマイナンバーカードは、運用するための環境整備が出来ていない。そもそも「自民党」のマイナンバーカードは、電子化による運用が不可能な欠陥品です(笑)

無能で馬鹿な政治家に、データ管理はそもそも不可能(笑)無能な政治家は、できないことを、できると平気で宣言する。何故なら、何の責任も負わないからだ(笑)

「無能、怯懦(きょうだ)、虚偽、杜撰。それらを纏めて粗暴で括る。誰が仕組んだ地獄やら。お前もっ!お前もっ!俺の為に死ねっ!」との、装甲騎兵ボトムズの予告の台詞が良く似合う(笑)

政府の電子化と一元化が完了し、マイナンバーカードで本人確認ができれば、あらゆる商業行為・政府管理の情報が活用できる。しかし現状、電子化などされていないのだから、マイナンバーの活用は不可能だ。馬鹿で無能な政府・政治家による蛮行だ(笑)

現在のマイナンバーカードに、個人を特定する生体認証など存在しない。だから、個人の証明は不可能だ。日本のマイナンバーカードに、利用者の証明とセキュリティなど存在しない。データの統合化など技術的に不可能

マイナンバーカードの役割は、個人に番号を割り振り、戸籍の電子化を行うこと。戸籍の電子化により、国民のあらゆるデータが、戸籍の番号に紐付けられる。マイナンバーカードの役割とは、個人を特定する証明です。マイナンバーカードによる個人の証明ができれば、電子化された国民のデータの一括処理が可能になる

マイナンバーカードにより、個人を証明できれば、印鑑証明も戸籍謄本も必要無い。何故なら、個人を証明すれば、紐づけられたデータの一括処理が可能になるからだ。役所のたらい廻しは、データの統合化ができていない証明です(笑)つまり役所の電子化がまったく機能していない証拠です(笑)

マイナンバーカードにより個人の証明ができれば、市役所の場合は受付の時点で全ての処理が完了する。その後のたらい廻しは一切不要。市役所の電子化などまったくできていないことが良く分かる(笑)

大量の紙を浪費し、コピー機により複写を取る、前時代的なお役所仕事が日本政府の現実だ(笑)政府・政治家は、役所の効率化などしたくないのが良く分かる(笑)公共の電子化とは、あらゆる業務の効率化。必要な人員は激減する(笑)情報の公開などしたくない、人減らしもしたくない。だから日本のマイナンバーカードは、個人を永遠に証明できない(笑)

「政府・自民党」と日本の政治家共が、如何に愚かで、如何に利権に汚いか、お役所仕事で良く分かる。印鑑証明も無くならない、役所のたらい廻しも無くならない。何故なら、マイナンバーカードで、個人の証明ができないからだ

政府・政治家共は、自分達が何をしているのか、どのような結果を招いたのか、その事実を知られたくないから情報の公開を阻む。情報の公開は、対象の欠陥・不正・悪事など、諸々全てが知られてしまう。情報の非公開は、ペーパーレスを不可能にする。ペーパーレスとは、あらゆる活動・証拠の記録化だからだ

不正・悪事の隠蔽や誤魔化しが不可能になるのが、ペーパーレスの利点になる。誤魔化しできる、効率化をしない、不正・欠陥・悪事がばれないマイナーバーカードは、政府・政治家にとって必要不可欠なものになっている(笑)

効率化による人員整理を否定する、効率化による組織改編を否定する、効率化による情報公開を否定する。効率化による利権の消滅を否定する。マイナンバーカードとは、効率化を否定する、政府・政治家の利権を護るための欠陥システム

マイナンバーカードは「誰のために」あるのか?と問うならば、「政府・政治家のためにある」と断言できる(笑)

マイナンバーカードは、基点そのものが狂っている

日本政府のペーパーレスは、税務関係のみが進展する。何故なら、誤魔化しが効かなくなるなるからだ。税収だけは電子化して、情報の公開・情報の活用では電子化しない。国民からは搾り取れるだけ搾り取り、政府・政治家の支出・行動履歴や公共などの情報は非公開。日本政府がペーパーレスにならない理由は、情報の公開が嫌だからに他ならない

マイナンバーカードの活用にあたって、一番最初に行うべきものは「選挙」になる。マイナンバーカードにより「選挙の投票」が可能になる。コンビニやスマートフォンで、選挙の投票が可能になる。「選挙」に使えるようになったら、マイナンバーカードが活用できる環境が整ったと判断できる。しかし、政府・政治家は決してしない。何故なら、政治家共にとって選挙の電子化は、組織票の無効化に繋がり、自分の首を絞めるものになるからだ(笑)

自分の首は絞めたくないが、国民の首は絞めまくる。それが、現在のマイナンバーカードの実態だ(笑)そもそも投票率が上がらない、旧態依然の愚かな選挙制度により、組織票を持つ利権政治家しか当選できない。そのような劣化社会を作り上げる馬鹿な政治家を排除できなくなった、「テレビが公共」の国、日本。生活を向上させるには、利権政治家を落選させ、まともな人間を当選させるしか手段が無い(笑)

当たり前の事をできなくなった、劣化社会と化した日本社会。生活を向上させる唯一無二の手段である、選挙に行かなくなった愚かな日本人。その先にあるものは、「腐敗」と「衰退」と「独裁」です

自らの利益を追求する利権政治家は、国民にとって排除しなければならない害虫です。害虫が蔓延ると、生活環境が悪化する。自滅が嫌なら、選挙に行く。利権政治家は許さない、との揺るぎない決意が必要だ

「電子投票」ができなければ、そもそもマイナンバーカードに意味など無い

で、マイナンバーカードを使った生体認証による個人の証明で何ができるのか? 印鑑証明など当然いらなくなる。戸籍謄本を取り寄せる必要も無い。何故なら、個人を証明しているからマイナンバーによる紐づけで、全てのデータの参照が可能になるからだ。マイナンバーに紐づけられた全てのデータの一括処理が可能になる。役所は一ヶ所で全てのデータが揃う。つまり、政府の全データの統合と共有が可能になり、インターネット経由で、全ての行政手続きが可能になる

一回で全ての行政手続きが可能になり、小さく、効率的な政府が実現できる。つまり、政府・政治家の大幅な合理化と縮小が可能になる。国民にとっては政府の経費の大幅削減と、効率的な行政手続きが可能になる。国民にとっては大きな恩恵になるが、政府・政治家にとっては悪夢でしかない(笑)

政府のデータの統合化は、縦割り行政を解消し、公平かつ迅速に正確な行政が可能になる。そして、情報の公開により無能な為政者の排除ができる(笑)

巨大で豪華な役所はいらなくなる。政府のデータを扱うデータセンターが複数あればいいだけだ(笑)AIによる行政対応が可能になれば、人による対応もいらなくなる。必要になる人は、情報管理のエキスパートと、専門知識のある人と現場で働く人だけだ。政府・政治家による「不正・腐敗・欠陥」は、AIによる診断によって粛正する

AIが政策の結果を予測し、政策の是非を判断する。全ての政策は、インターネットで公開され、国民に開かれた未来が実現する。インターネットで全ての行政処理が可能になり、情報公開を基本にした、不正・腐敗が不可能な公明正大な政府が爆誕する(笑)

行政のデジタル化により、行政の効率化が高度化し、地方行政が極限まで縮小可能になる。データの収集と分析によって行政が集約化され、地方行政の統廃合が進んでいく。行政手続きはインターネット化され、地方にはサービスを実行する人員が適切に配置される。つまりは、統括する頭脳は一つあればいいだけで、地方はデータの収集とサービスの実行を行う役割へと変わっていく

行政のデジタル化とは、効率化を推し進める原動力。無駄を排除し、最小の費用で、最大の効果を得られるように、行政の形そのものが変わっていく。人による不正・腐敗・欠陥や、無駄や無能を排除するのが、デジタル化本来の仕事になる。デジタル化が完了すると、そのほとんど全てが公開され、行政の透明化が可能になる。よって、無能な政治家・役人は一掃され、不正・腐敗や無駄・無能が実質不可能な健全な社会が構築される

革新的な技術の進歩により、行政そのものの形が進化する。業務の統一化により、管理部門も統一され、統一された基準に則った合理的な組織へと進化する。その結果、業務が細分化され、独断・専横などの勝手な判断が不可能になる。AIによる適切な提案・分析・判断により、無能・不正・無駄が一掃され、最適解が常に求められる社会が実現される。その原動力となるのが、ペーパーレスの「行政のデジタル化」になる

利権で肥え太る、今の「政府・自民党」では絶対無理(笑)ペーパーレスでは、数多の利権が消失するからだ(笑)民間ができて、政府ができない現状は、やる気などまったくないということだ(笑)現状、地方行政・行政事務の統一化などされていないのだから、話にならない(笑)

利権の保護・情報の非公開は、政府・政治家が肥え太るための基本政策。ペーパーレスは、利権の消失・情報の公開に繋がるため、そもそもやるつもりは毛頭ない(笑)「自民党」何ぞと言う、利権政党を当選させた国民の自業自得です…

不正を働く人が介在するから、無能な馬鹿が介在するから、政府・政治家による不正・腐敗・汚職が起こる。重要な決定全てにAIによる監視と処理が介在すれば、不正そのものが不可能になる。政府・政治家の徹底的な合理化と正常化が、ペーパーレスの現実です(笑)だから、誤魔化しが不可能な「選挙の投票」が必須になる…

ペーパーレスにならない日本の政府・政治家共。「不正・腐敗・汚職」を繰り返し、欠陥放置の日本の政府。まともな政治家を選ばない、日本国民の責任です

日本の政府・政治家が管理する放送法は、情報公開を「テレビ」に限定する邪法になる。放送法に準拠する「NHK・新聞・テレビ」からの離脱は必至です。テレビは持たない。ペーパーレスとは、公開された電子情報を上手に活用する生活です

政府・政治家の電子化とは、あらゆるもののデータ化・公共情報の公開・全てのデータの一元化であり、数多の利権の消滅を意味する。利権を自らの利益として貪る「政府・政治家・NHK・新聞・テレビ」は、電子化など決して認めない。利権の旨味を手放すわけがないだろう

その先にあるものは、搾取され、貧民と化す国民です

「自民党・維新の会」や愚かな政治家共の選挙による討伐と、「NHK・新聞・テレビ」からの離脱は必至です(笑)

AIに求められるのは「不正・腐敗・欠陥・汚職」の排除。人に求められるのは、AIを活用した政策の立案と、政策を確実に実行すること。ペーパーレスでは、AIは適切な見本を提示する。人は見本を見ながら、それが人のためになるものかを判断していく

AIとは見本です。人が見本にならないから、人でないAIが見本に変わる(笑)何故なら、人工知能は不正ができない論理回路そのものだからだ(笑)見本を活用しながら、効率的とは何か、正しいとは何か、悪とは何か、それは正しい判断なのか、判断するためのデータには何が必要なのか、人の行動がどのような結果をもたらすのか、人に必要なものを学んでいく

AIは学びの全てを提示する。学ぶかどうかは、人の判断にまかされる。人工知能は巨大なデータベースにすぎない

しかし何でもかんでもペーパーレスにすべきじゃない。人には常時手元において、活用できることも必要だからだ。電子化と同時に、手帳にして活用することも必要になる。人は忘れる生き物だ。忘れないよう、常時手元にあることも必要だ

重要な電子データは、何重ものバックアップが必至なる。何故なら、簡単に消えて無くなるものだからだ(笑)最小のデータを手帳に印刷すれば、電子データの誤りをチェックできる。電子データは万能では無い。常に誤りを判断できるチェック機能が必至になる

電子化は冷たいものだと言われるのは、手元に形として存在しないため。人は思い出の中に生きるもの。手元にある記録は、思い出として活用される。電子化とは単なるデータの電子化だ。データを活用するためには、利用者に便宜を計らなければならない

データを上手に活用できるようにするのが人の役割。人のためになる情報の活用法を模索するのが人の役割

「金が政治を狂わせる」。政治家が利権を「金の生る木」として活用すると、公共が単なる「金儲け」の手段と化し、公共そのものが狂っていく

使用済み核燃料の中間貯蔵施設に対する補助金目当てに、金に困った地方自治体が立候補。調査を受け入れるだけで、金が手に入るとの安易な思考が元凶だ。正に金が政治を狂わせる良い見本

自民党による「金で政策を歪める」利権政策は、国そのものを歪めていく

自民党の支持基盤は、金を地方に引っ張ることができる、貧しい地方自治体だ。自民党によって地方が疲弊しているのに、金を目当てに自民党を選挙で選ぶ。「貧すれば鈍する」との言葉は、貧乏になると頭が鈍ってまともな判断が不能になることを意味している

人を支配するには、生活を困窮させればいい。そこで「金による人の支配」が可能になる。「貧しい国」の独裁国家と同じです(笑)

利権政党である「自民党」が躍進するには、国民を貧乏にすればいい。自民党の国民を疲弊させる政策は、正しいものだと言えるだろう(笑)

この愚策を成功させるには、国民に真実が悟られないよう情報操作が必至になる。そこで情報の公開が不可能な、放送法の眷属たる「NHK・新聞・テレビ」の出番になる(笑)国民を無能化するには、記録が一切残らない「テレビ放送」が最も効果的。自民党が運営する「NHK」は、国民を無能な馬鹿へと変質させる…

「テレビを公共に強制」する放送法は、世の中から全ての「悪事の記録」を抹消する。都合の悪い過去を全て抹殺する放送法は、改善できない世の中を構築する。貶められているのに、悪事が目の前で起こっているのに、生活を狂わせられているのに、悪の政治家を裁けない。放送法は、全ての悪事を忘れるよう強要する

これは完全な洗脳だ。洗脳から逃れるには、生活から完全に切り捨てるしか手段が無い。麻薬と同様に、完全に断ち切らねば、その影響下からは抜け出せない。切り捨てても何の問題も無いのが、洗脳たる所以です

インターネットを通じて、あらゆる情報が得られる情報社会。ひっかかる国民が馬鹿なだけ
Back Ground: 鉄のララバイ



情報の発信
情報の発信とは、自分の意思をネットを通じて発信すること。人の意思とは、目的を成すための思考を意味する。だから、情報の発信は自分の考えを公表する行為になる。情報の内容で、その人の行動の基本となる思考や思想が分かる。情報の発信は、発信者の行動の基本概念を公表することに他ならない(笑)

安易な情報の発信は身を亡ぼす、と言われる所以です(笑)発信した情報は、その人固有の行動原理。人の意思は行動として現れる。人の意思が邪悪なら、その行動も邪悪なものだということだ

「Twitter」の発信で「おばあさんに親切にしたら、お礼として一万円を貰った。ラッキー♪」というものがあった。確かにお金を貰えたなら嬉しいだろう。しかし、それが対価として正しいものか、その判断が抜けている。まず、お金を貰うために親切をしたのか、との問題がある。それが自然な行為なら、お金を受け取るのは間違いだ

それ以前に、おばあさんの一万円の価値観が狂っている恐れがある。人にとって一万円は大金だ。おばあさんのお金に対する価値観が狂っているなら、それは生活を破綻させる愚かな行為。即座に辞退するのが、人としてのあるべき姿

コメントで面白かったのは、「自分も近所のおばあさんからいつもお金を貰っていたが、すぐに家族の人に返していた。貰っては返すというルーチンは楽しかった」というもの。親しい間柄での、普通の光景として参考になる(笑)

この「Twitter」が愚かなのは確かだろう。他のコメントに「親切にしてお金を貰って何が悪い」との言もあった。人の判断基準は、人それぞれ。今まで学んできた集大成が「人の意見」であり、その人の行動基準になる。確実なのは、人は自身の行動基準に則って行動するということだ

情報の発信で、その人の行動原理が分かる。情報の発信が如何に恐ろしいものかが良く分かる(笑)

恐らく、どのような批判も意味が無い。何故なら、それがその人にとっての「当たり前」にすぎないからだ。前述の優しいコメントで気付ける人なら良いのだが、それは恐らく無理だろう(笑)これは「常識」の部類に入るからだ。これは人として学ばなければならない基本的な問題だ。まったく学んでいないから、何が間違っているのかが分からない(笑)

そもそも「自分がルール」との理念を持つ人には、何を言おうが通じない(笑)日本の政治家が良い見本(笑)しかも、それは正しいと宣伝するマスコミがいるのだから質が悪い。愚かなものを正当だと肯定するコメントとまったく同じ(笑)

「人の意見は当てにならない」との良き見本(笑)

テレビを生活の基本にしているからか、映像を常に情報として受け入れているからか、人の意見を情報として受け入れているからなのか。目に見えるものでしか考えない、短絡思考が根底にあるのだろう

生活の中で学ぶことができなくなった、愚かな見本としか思えない。これは誰もが陥る破滅の罠

先にあるものを見ようとしない、それがどのような意味を持つものか考えない。これは行動する前に「調べる」という、基本的な行為をしなくなった、愚かな人間の末路と言える。物事を調べる習慣が如何に大切なのかが良く分かる

インターネットは「調べる道具」として、徹底的に使い倒すのが本来の使い方(笑)人には徹底的に調べる習慣が必須になる。調べるとは、自分で学ぶ行為になるから、生活そのものが学べる環境へと変化する。それが「正しい」のか「正しくない」のか、正誤をしっかりと学習するのが、調べるという行為になる

そこで問題になるのが「学べない」ものになる

「NHK・新聞・テレビ」では、何一つ学べない。何故なら、人の意見にすぎないからだ(笑)一問一句、その言葉を分析すれば、事実では無く、人の意見にすぎないことが見えてくる。人の意見は学べない。何故なら、人の意見は目的を成すためのものにすぎないからだ。学べるのは、人の行為や事実だけ。そこから物事の真実が見えてくる

人の行動から、その人物像が見えてくる。起こった事実から、物事の真実が導き出される。人の勝手な発言を、情報に見せかけるのが詐欺師になる(笑)詐欺は誤った宣伝が基本です。誤りかどうかは、調べなければ分からない…

だから、人には調べられる環境が必須になる

最近、経団連のメッキが剥がれてきて、その本性が丸見えになっている。社会保険料や法人税の増税は嫌だから、さっさと消費税を上げろと提言する。正に悪政を敷く自民党の応援団(笑)献金してるから、さっさと自分達に都合のいい政策をしろと宣言する。政治家にたっぷり献金する団体は、悪徳政治家とズブズブの関係になるとの良き見本(笑)

企業の姿勢は、その行為によって判断できる。今日、ジャニーなんたらの不祥事で、世の中の「CM」が問われている。この事件は「偽装」による悪事の正当化。それがばれて世間から叩かれている。「CM」から撤退しないのは、「偽装」をなんとも思わない、倫理観が破綻した企業だと即断できる

食品企業が即時撤退しない場合、致命的な宣伝と化してしまう。つまり「偽装」は正当であるとの宣伝になる(笑)

これが理解できない企業は、消費者から必ず見放される。宣伝とは、その企業の顔になる。顔が「偽装」されたものなど、誰が買うと言うのだろう。消費者を馬鹿にする企業は、これからの時代には生き残れない

企業の本性を確認できる、良きリトマス紙になっている

「偽装」は正しいものですか? その答えが聞ける良き事案。即断できないのは、そもそも倫理観が欠如している証明です

福島県は「ジャニーズの性加害は許されないが、TOKIOは福島の役に立ってきたから問題ない」との不思議な論理で「偽装」を正当化。これはまったく意味不明。「ヤクザは社会的に許されないが、○○さんは役に立つので問題ない」との、悪の論理の正当化。組織は悪でも、組織の構成員に非は無いとの暴論です。これは「お役所に非があっても、役人は責任を取らない」との日本の行政の「トンデモ論理」そのものだ(笑)

福島県は「行政は誤っても、人としての責任は一切取らない」と言っているのと同じです。日本の行政の歪な論理が良く分かる。こんな事を平気で言える県政にはびっくりするが、それを許す国民にも問題がある。このような汚い論理のすり替えを見抜く慧眼を磨くべき

「行政は人としての責任は一切問わない」。これが福島県の姿勢になる。これで福島を応援する人が増えるのか、はなはだ疑問だ(笑)自分は嫌悪感しか抱かないが、ファンなら許せるものなのだろう。日本のファンは、どのような批判も許さない、執着心の化け物と化している(笑)

何時まで経っても「悪の論理」と手を切れない…、これはちょっと違うかな(笑)何時までも「都合のいい自分の論理」から抜け出せない、「国民のための論理」を構築できない日本の行政。これは紛れも無い「悪の組織だろうが、自分達に都合がよければどんどん使う!」との表明だ

だから福島県の発表には「信用できない!」との評価が問答無用で下される。こんな「戯言」を平気で言う輩など、信用できる筈も無い

大手企業がのきなみ離反するのには理由がある。それが倫理的に許されるものでは無いからだ。離反は組織犯罪に組しないとの表明になる。しかし福島県は、その渦中で言っちゃったから、どのような弁明も通用しない。これは県政と悪徳事務所との癒着そのもの。「一切の責任は問われない」とのヤクザの論理と変わらない県政を、福島県民はどのように受け止めるのだろうか…

「責任は一切取らない」「上の言う事には黙って従え」。これが日本の狂いの元凶だという事を理解すべき

この問題は「うちのコンプライアンスに違反するので手を切ります」、又は「うちのコンプライアンスに違反しませんので継続します」の2択になる。「タレントに罪は無い」とは、この根本的な問題から目を逸らすための詭弁にすぎない。悪事を働く組織と手を切らない、非常識なコンプライアンスを持つ組織が多いのには驚きだが、経団連の会長様が直々に違反しないと宣言する国なのだから、きっとまともな事なのだろう(笑)倫理・規則(コンプライアンス)の意味が問われている

やばい倫理観を持つ組織の炙り出しができるので、危機管理的には良い事だと思っている(笑)コンプライアンスは、その行動でしか判断できない。倫理の緩い組織が、これからの時代に生き残れるのか。国民の倫理観が試される…。「コンプライアンス的に問題の無いものに切り替えます」で何の問題も無いことに、何故気付かないのだろうか

倫理・規則が破綻しているとの証明だから、切り捨てるべき組織の判別が楽になる。しかし、信用していた企業がまともでなかったのには落胆した。危機管理に直結するから、次から選ぶことは無いだろう。ボロボロと化けの皮が剥がれていく様は、情報化社会の厳しい現実を示している

自分は「芸能人」などという括りは、とうの昔に斬り捨てた。人の心を狂わせるのは、何時の時代でも「狂った人の想い」と言う事だ…。人の執着心と言うものは、そら恐ろしい。そのような社会になるよう「宣伝」してきたのだから、自業自得としか言いようが無い

その中で、セクハラや醜聞を抱えた芸能人が大いに話題になってる(笑)所謂、素人の女性に見境なく手を出して、非常識だと世間から袋叩きにあっている芸人だ

年の瀬には、色々な特番をやるみたい。観ようとは思わないが、放送に出るかが楽しみだ(笑)「テレビ番組」や「ネット番組」などには節操や良識など皆無だから、当然放送するだろう。いや~、番組の本性が露呈するのが楽しみだ(笑)まあ、絶対観ないけど(笑)

「大物芸能人」であり「吉本」がバックに付くから、大手マスコミやテレビは問題性を完全無視(笑)裏どりや検証など完全放棄。もはや笑うしかない(笑)日本のマスコミの倫理が崩壊しているのが良く分かる。無能なマスコミに存在意義など無い。「切り捨てるべきマスコミ・役立たずのマスコミ・害にしかならないマスコミ」との判断材料が増えていくだけ(笑)

常識的には一旦止める。止めたことによる被害が不服なら、裁判に訴えればいいだけだ。何があろうが止めない、との姿勢が世の中の狂いを助長する。コンプライアンスとは、許せるものかの判断だ。止めないということは、社会的に許されるものだとの判断だ。無能で非常識な番組ほど、止めるとの判断などできないものだ。醜聞まみれの番組は、切り捨てるべきものを教えてくれる

具体的には、放送する番組の放送局・スポンサー・所属事務所になる。「強姦は罪じゃない」との主張は、近代社会で許される筈が無い。笑って許されると考える者達は、当然淘汰されることになる。視聴者をなめた行為は、末代まで記憶されるのが情報社会(笑)

「放送局」と「所属事務所」は何を言われようが、へのかっぱ(笑)「スポンサー」は知らん顔(笑)コンプライアンスは、関わる者全てに問われている。この放送局は見ない・この所属事務所の者は回避する・狂った企業の製品は止める、との意思表示が必要だ。「この企業の製品は回避する」との判断は、生活の節約にも役に立つ(笑)これは社会で許されるものなのか、一人ひとりに問われていることを自覚すべきだろう

とりあえず、「強姦」を放置する「テレビ」や「TVer」などの「お笑い番組」は終了です(笑)何故なら、同調する「吉本・ホリプロ」も同罪だからだ。つまり、「笑い」の正月番組は始まる前に終わっている。「笑い」を「服従」や「屈服」に巧妙にすり替えて、やりたい放題を決め込む餓鬼・畜生。「テレビ」を観るなどあり得ない、「TVer」を観るなどあり得ない、「お笑い番組」を観るなどあり得ない、「悪に加担し肯定するスポンサー」など利用しない。何故なら、「強姦」を否定しない不逞の輩にすぎないからだ。一言で言うと「下衆な輩」。問答無用で切り捨てだ

魑魅魍魎共と決別するとの決意ができるので、有意義な時間を過ごせるのは間違いない(笑)

情報の公開によって、良識が問われる世の中へと変わっていく。変わらなければ、切り捨てられる時代になっている。変化できない者は滅ぶしかない。それが情報社会の厳しい現実だ
Back Ground: ヒッタイト

歴史上、「帝国」と呼ばれた国・組織は、必ず衰退して滅んでいる。その原因は、人の「傲慢・強欲・身勝手」などなど、権力の私物化に基く欲望に根差した邪悪な行いだ

巧妙に「宣伝」し、それが「当たり前」だと刷り込んでいく。刷り込まれた邪悪な行いが常識となって、国そのものが荒廃していく。まず犠牲となるのが、弱い立場の国民だ。国民の犠牲のもとに、「帝国」は成り立っていることを理解すべき

「吉本帝国」や「ホリプロ帝国」の崩壊が、時代の流れとして進展していくのだろう。「フザケ」や「貶め」などの卑劣な行為を正当化する卑劣な輩。倫理が崩壊した帝国は、人から見放されて消えていく

このような邪悪なものには関心を持ってはならない。関心を持つことが、社会の荒廃を招くからだ

この正月はバラエティとは縁を切り、番組は一切観なかった(笑)観なくても何一つ困らない。何も困らないという現実が理解できる(笑)バラエティは、基本まったく意味が無い。今や単なる「汚物」であり、下水に流して終わりです

情報の選択は自分自身で行うのが基本になる



ミニマリスト
生活していれば「いらなくなった物」が増えていく。いらなくなった物とは、使わなくなった物であり、単なる置物と化していく(笑)人に必要な物とは、生きていくために必須な物であり、それは本来非常に少ない(笑)

人は「物欲」に支配されると、物が勝手に増えていく(笑)物欲を抑制できれば、最小限の物で生活できる。物欲を掻き立てているのが「宣伝」だ(笑)「宣伝」と決別できれば、必要な物だけで生活できる。人は「必要な物」と「不要な物」の適切な判別が必須になる

「宣伝」とは「述べ伝えること。ひろく伝えること」。つまり、外部からの得られる情報だ。物欲を抑えるには、外部からの情報を適切に選別すればいいだけだ。「宣伝」の元凶は、言わずと知れた「NHK・新聞・テレビ」になる(笑)利権という、人の欲望の塊を体現する利権団体。これらの情報は、全て選ばれた「宣伝」と言えるだろう(笑)

「宣伝のプロ」である「電通」には、かつて「浪費」を創り出すための「戦略十訓」というものが存在した

「もっと使わせろ・捨てさせろ・無駄使いさせろ・季節を忘れさせろ・贈り物をさせろ・組み合わせで買わせろ・きっかけを投じろ・流行遅れにさせろ・気安く買わせろ・混乱をつくり出せ」と言うものだ。正に浪費の神髄だ(笑)

最後の「混乱をつくり出せ」との言葉は、正に宣伝の本質だ。「人の意見」によって混乱を生み出し、事の本質を見失うようしむける。物事の真の姿を見えなくするのが「宣伝」の本質だ

「宣伝」が如何に邪悪なものかが良く分かる。実際、ろくでもない代物だ

自分で選べない情報は、おおざっぱに「宣伝」として一括りにできる(笑)何故なら、一方的な情報は「人の主張」という「宣伝」へと変質するからだ。宣伝を仕事にする「NHK・新聞・テレビ」と決別すると、物欲から解放され、生活に必要なものだけで生活できる

必要最低限の物で生活する、ミニマリストと呼ばれる合理主義者(笑)必要な物だけで生活するには、浪費をしない習慣が必至になる。正に「宣伝」との決別が必至になる(笑)

「NHK・新聞・テレビ」と決別しろと、何度も何度も、口酸っぱく言うのには理由がある。それは、記録が無いため「情報の継承」ができないからだ。過去の情報が無ければ、どのように改善されてきたのかが分からない。改善の道筋がまったく見えない。そもそも何故改善が必要なのかも分からなくなる

つまり「理解ができずに自滅する」という、人として最も避けるべき状況へと追い込まれる。情報社会の根幹とは、情報を電子データに変換し、データベースを構築し、全てのデータを活用できるようにすることだ。情報は記録しなければ意味が無い

「NHK・新聞・テレビ」は、データベース化できない、致命的な欠陥品だ。生活からの排除は必至です

生活の電子化により、情報は全て電子化される。紙に印刷された情報と決別でき、紙を持たない生活が実現する。情報は全て「パソコン・タブレット・携帯」によって管理する。人に求められるのは、電子情報を適切に管理する技術になる

紙はかさばり死蔵に直結するため、「電子化」と「物を持たない生活」との相性は抜群だ(笑)

情報を適切に自己管理できれば、生活に必要な物も必然的に少なくなる。浪費が無くなり、必要な物だけで生活できる「ミニマリスト」が爆誕する(笑)

ミニマリストとは、物を「死蔵」する無駄を省き、必要最低限の物で生活する合理主義者。そのためには、必要な物を自分で瞬時に検索できるインターネット回線が必須になる。適切な情報管理・危機管理ができなければ、ミニマリストは成立しない

「無駄を省く」のがミニマリスト。だから政治で私腹を肥やす「利権政治家」は最大の天敵だ(笑)

利権という無駄と浪費を創り出し、「コスト無視・効率化無視」を法律によって正当化する極悪人です。国民の税金を湯水のように浪費して、悪事がばれないよう情報の公開を阻む。正に生活を蝕む最大の「無駄」が利権政治家だ

政治家は政府の代表者。利権政治家は、自分の利益のために、平然と国民を裏切る悪党だ。だから、平気で嘘をつく。何故なら政治家は、誤った政策で裁かることなどないからだ。法で裁かれる汚職でもない限り、どのような悪政でも裁かれることは無い。だから、やりたい放題ができる

「嘘をつく・国民を裏切る・利権で儲ける」のが利権政治家だから、辞めさせないと、社会環境がとんでもなく悪化する。政府の代表が利権政治家だと、その下で働く政府自体も同じように狂っていく。利権政治家の選挙での排除は、国民の義務というべき大事な役割

「利権政治家」には「国民のため」との理念が存在しない。「自分のため」の政治を行う。それが「利権政治家」の真の姿

ミニマリストに必須になるのが、社会に無駄と浪費を生み出す「利権政治家」の排除になる

選挙に行かない者を、ミニマリストとは決して呼ばない(笑)社会に混乱をもたらす「利権政治家」を排除しなければ、まともな生活など不可能だからだ。社会の最大の無駄である、「利権政治家」の排除は必至です

生活の無駄を排除するには、無駄を生む元凶を排除するのが先決だ

「生活の無駄」を省くには、「宣伝」との決別と、「利権政治家」の排除が必至になる。つまり「NHK・新聞・テレビ」との決別と、選挙によって「自民党・維新の会」を排除しなければならない

「NHK・新聞・テレビ」と「自民党・維新の会」を断捨離しなければ、無駄と浪費からは逃れることなどできない(笑)
Back Ground: おかしな転生

インターネットは情報管理に必須なものだが、その内容全てが「宣伝」とも言える代物だ(笑)必要なものだと掲載するのだから、意味的には「宣伝」だ(笑)掲載することで「お金」が入るものは、まあ確実に「宣伝」です(笑)

お金が入らなくても、記事として掲載することで「知名度」が上がるものも「宣伝」になる(笑)良い意味でも、悪い意味でも「宣伝」になるのがインターネットの現実です(笑)

インターネットの情報は役立たずの「宣伝」が大半だから、厳選する必要に迫られる

厳選しなければ「安易な情報・検証の無い愚かな意見・悪意の情報」に騙されて、宣伝する者の肥やしとなって自滅する。「宣伝」で儲かるのか宣伝する者だけだ。検証の無い人の意見を鵜呑みにするのは、悪徳宗教に騙されているのと同じです(笑)

「こうすべき!」と自分の意見を宣伝する者は、悪徳宗教の教主様とまったく同じ(笑)

「人の意見を鵜呑みにするな」。これは情報社会の鉄則です

「宣伝」で役に立つのは、物の評価をする検証系と、事実をしっかりと説明するもの。それも、自分自身に役立たねば意味が無い。つまり、自分で検索し、表示されるものでなければ、そもそも役に立たないという事だ。検証と実証が、インターネットの基本です

「宣伝は金になる」。だから「NHK・新聞・テレビ」は宣伝で儲けるシステムになっている。人のためにならないから、生活から切り捨てるのが身のためだ(笑)「Youtube」では一般人が「宣伝」で収入を得られるようになっている。時代は消費者が「宣伝」し、消費者が「利益」を得る時代へと進化した

「Youtube」とは自分のため、人を応援するための場所になる。だから、厳しい選別の基準が必須になる

「検証」と「実証」の無いものは、基本使い物にならない欠陥品。欠陥品だと見抜いたら、即座に切り捨てなければならない。情報の厳選とは、自身に役立つものを厳しく選ぶことであり、自身が成長するための重要な鍵となる

安易な情報だけを選んでいたら、馬鹿になって自滅する(笑)

情報の「検証」と「実証」には、膨大な手間がいる。理解させるためには、全体像を理解するための膨大な事実の羅列と、詳細で正確な分析が必須になる。全体像を把握しなければ、正しい理解など決してできない。人の評価や意見など、何の意味も無い戯言です

全体像を正確に把握しない限り、正しい判断など不可能だ。判断の前に、判断にたる情報が揃っているかの判断が必須になる。「過去・現在・未来」を見通せるものが、最も分かりやすいものになる。判断するには、状況を把握するための膨大な情報が必要だ

必要な情報、重要な情報には、全体像を把握するための膨大な情報が必須になる。判断材料が揃っていない情報は、単なる邪な宣伝だ

全体像を把握できない欠陥情報は、欠陥を補うために「人の意見」を織り交ぜて正当化を謀る。人の意見を情報にすり替えると、都合の悪い情報の隠蔽ができる。「人を騙すための謀り事」が、欠陥情報の真実だ。判断材料が欠けていると感じたら、問答無用で切り捨てるのが最善です

情報は信じるな。情報とは判断材料の一部にすぎないからだ。様々な情報によって全体像を理解することで、判断できる環境が整ったと判断できる。全体像を理解できなければ、判断など決してできない

「宣伝」や「人の意見」には、都合の悪い情報は含まれない。こうして欲しいとの宣伝だから当然だ(笑)情報化社会では、宣伝を排除する必要に迫られる

それが「不都合な事実の隠蔽」を謀る「宣伝社会」の現実だ(笑)

「人の意見」や「宣伝」は、恐れを知らない怪物だ。「人の欲望」を体現する怪物だ。怪物に付き従えば、まともでない世界へと引きずり込まれる。正誤の判断が狂い、その先にあるものが見えなくなる

情報は「人の欲望」とは無縁なものを厳選する必要に迫られる。人の倫理として劣るもの、それが人の欲望の正体だからだ

回避するには「検証」と「実証」を心がければいいだけだ。自分に役立つものは「検証・実証」が必須になる。「検証・実証」に値する情報なのか判断すれば、無用なものだと直ぐ分かる。判断できない情報は、基本まったく意味が無い

「人の欲望」と呼ばれる怪物は、「人の意見」や「宣伝」として世の中に紛れ込む。魅入られると、自滅へと転落する。怪物は自らの手で葬らねばならない

自分が理想とする環境は「宇宙船」だ(笑)あらゆる無駄を省き、真に必要な物しかない、洗練された環境だ。今の自分の部屋とは大違い(笑)アマゾンから送られてきた箱が積み上がり、物がどこにあるのか分からない(笑)

物の整理のために、いらない物をどんどん捨てていく。物を買うより、捨てる物が多いのが現状だ(笑)

ここ最近は、掃除に明け暮れる毎日だ(笑)断捨離が如何に必要なものかかが良く分かる(笑)捨てる物が無くなった時、新たな部屋の構築が可能になる…。掃除・片付け・整理整頓は大変だ~(泣)

断捨離との言葉は、インド的・仏教的な伝統に基づくヨーガの思想から来ている。「断」とは、新たに手に入りそうな不要なものを断る事。「捨」とは、家にずっとある不要な物を捨てる事。「離」とは、物への執着から離れる事。最も重要なのは「執着」からの離脱になる

「執着」とは仏教で言う所の「事物に固執し、とらわれること」。修行の妨げになるため、人は「執着の心」を捨てなければならない。生きるという事は、正に人としての修行と言える

情報化社会に例えると「調べれば代替手段など簡単に見つかるから、だめだと見切りを付けたら、さっさと切り捨てろ」との意味になる(笑)だめなものに執着すると、破滅に繋がるのが現代社会の現実だ。インターネットの本質は「より良きものへの変化」を促すこと。変化をしたくないものは、変化を規則・法律で不能にする

情報化社会の悪党は、規則・法律によって人を縛る。マインドコントロールで「執着」させる。断捨離とは、このような「執着心」を斬り捨てる事だといえるだろう

注意すべきは「他人の物を勝手に捨ててはならない」ということだ。自分の修行だから、自分のものを切り捨てる。自身の「執着心」を取り除くのが断捨離になる。仏法用語とも言えるものだから、人を不幸にすることを断捨離とは呼ばない

自分自身のより良き変化を求めて、自分自身で決断し、自分自身を変えていく。それが断捨離本来の意味になる



仮面ライダー
アマゾン・プライムで「仮面ライダー Black Sun」を見つけて興奮し、「これいいよね!」と女友達に言うと、「そんなの嫌い!」と一言で拒否られた(笑)

これは石ノ森章太郎の「善と悪の闘い」の本質を、見事に描いた傑作だ。いやいや、内容ぐらい確認してよと落胆する自分がいる(笑)

一通り見た感想は、「ゴルゴム党って、まんま自民党じゃん」と言うものだ(笑)「自民党」を「ゴルゴム党」に置き換えた、自民党政権へのあからさまな批判だとしか思えない(笑)

政治家の本性と発言は、まったく違うというのが良く分かる

なんで「ゴルゴム党」って名前なのか調べると、どうやら漫画の「五流護六」から来ているらしい。意味を調べても出てこないので、「語呂」がいいので付けたのだろう。架空の存在に名前を付ける時の鉄板です(笑)

何かの意図が有るかもと、一応「五流」の意味を調べてみた。色々な意味として、色々な人が語っている。一流とは、物事の本質を知り、行動・人格・倫理観に秀でた人。二流とは、一流より程度が落ちる人。三流とは、きわめて程度が低い人。これが一般的な「三流」までの解釈だ

傍流の意味として、一流は「対比で説明する」。二流は「詳細に説明」し、三流は「曖昧に説明」する。というのもある(笑)

四流と五流はその先にあるもので、いろんな人が推察として語っている。四流とは、普通の人。五流とは、我流の人。など色々だ(笑)このドラマでは、人の道から外れた外道と言ったところだろうか(笑)

下の文字の「護六」とは、組織の首領が六本脚の怪人だから、組織の手足となって働くことを意味している、と思われる(笑)悪の組織は自分の組織の事しか考えず、よそ者は奴隷としか扱わない。守るべきは体制であって、人権なぞ欠片も無い(笑)よって「ゴルゴム党」の意味は「外道の悪の秘密結社」となる(笑)悪の組織として、立派な名前と言ったところだろうか

自分が観た感想として、この仮面ライダーの物語は多くの示唆に溢れている。しかし他の人の評価を見てみると、「原作と違ってガッカリした」とか「ドラマの設定がおかしい」とか、批判的なものが非常に多い(笑)何と言っても主役というべき仮面ライダーが死んでしまうのだから、子供向けでは決してない(笑)だから小説と同様に、人に問う物語として受け取るべきものなのだろう

ドラマのタイトルで「悪とは、何だ。悪とは、誰だ」と問いかける。人はこの問いに対し、答えを見出さなければならない

自分はサントラ厨なので、ドラマの流れと音楽がかみ合っていれば問題ない(笑)このドラマの音楽は一級品なので、それだけで楽しめる(笑)脚本は、何を言いたいのか、それがしっかりしていれば問題ない。そもそもドラマは架空の絵空事。内容に突っ込みを入れても意味が無い(笑)ドラマから何が得られるのか。それが評価の基準となる。だからこのようなドラマは大好きだ(笑)

「悪と戦う」このドラマのテーマは、一体何なのか。この意味を自分なりに推察すると

「人は良い意味でも、悪い意味でも、変わっていく生き物だ。善から悪へ、悪から善へ、悪から極悪へと、人は目まぐるしく変わっていく。それは、些細なきっかけが発端だ。人には必ず判断を試される分岐点が訪れる。その分岐点でどのような行動をするかで、その人の道が決まっていく」

と言うものだ。人は理解する事で、良くも悪くも変わっていくということだ。どのように理解したかで、その後の行動が変わっていく

「悪」だと理解することで、「善」へと変わる人もいる。「悪」では無いと理解して、「極悪」へと変わる人もいる。理解の仕方は、人それぞれという事だ。どのように理解して、どう行動するかで、その人の価値観が決まっていく

倫理的に正しくない行為をどう受け止めるのか。正しいと受け取るか、正しくないと拒否するか。その判断が試される

悪党は「悪い行為」を悪いなどとは思わない。そのような価値観を持つからこそ、平然と悪い行為をする。だから平然と「嘘をつく」。倫理観・価値観そのものが崩壊しているから、辞めさせるか・止めるか・縁を切るしか手段が無い。だから「仮面ライダー」は、悪の元凶を絶とうとする

人の価値観とは、その人の信念とも呼べるもの。誤った信念を変えるには、「人のため尽くせるか」との「利他の精神」を持てるかどうかにかかっている。利他の精神に反するものを、悪と捉えるか、善と捉えるかで、その人の行動理念・価値観が決まってくる

このドラマは「人の価値観の違い」を明確に表現する。「善と悪」を強調する子供向けのドラマと違い、「価値観」の違いよる行動を「善」と「悪」の行動として表現する。「善から悪」へ「悪から善」へと、価値観が変わっていくことで、その行動が揺れ動く

「ヒーロー」ものでは、「正義が善人、邪悪が悪人」と明確に分かれる。しかしこのドラマでは明確な善人と悪人の区別は無く、その行動によって「善」と「悪」が描かれる

このドラマでは、「理解して正しい行動ができる人、理解して何も行動しない人、理解して悪の行動をする人」の、三通りの人間が登場する

印象的なのが、怪人の抗議デモで正しい対処しようとする「善人」と思われる警官の行動だ。政府の体制側として、正しい行動を貫こうとするが、その最後は正しい行動を貫く少女を抹殺しようとする。その価値観は、所属する体制を護る。ただそれだけだ…。組織のトップが「悪党」だと、必然的に組織そのものが邪悪になる

他には、「ゴルゴム党」の悪の党首を葬ったのが、どっちつかずの「コウモリ怪人」だったというものだ。悪党の命運を断つ者は、正義のヒーローなどでは無く、体制を拒否する「大衆」だということだ。だから悪党は、情報の公開を非常に恐れる…

ヒーローである仮面ライダーが悪の怪人と化して討たれるのは、ヒーローとは「人」では無く、「人を護る精神」にあるのだと示唆している。悪と戦う精神こそが重要なのだと教えてくれる

「人の行動は、その人が持つ価値観によって変わるもの」。というのが、このドラマの主題だろう。善き価値観を持てば正義となり、悪しき価値観をもてば邪悪となる。人の価値観を問うのが、このドラマの胆になる

恐らく正解など無いのだろう。だって、主役となる仮面ライダーが、二人とも死んでいる(笑)最後はその意思を受け継いだ、少女と怪人だけが生き残る。正義とは、人が受け継がなければならないものだと、このドラマは示唆している

人は正しい価値観を持つために、多くの情報に触れ、学ばなければならない。世の中は多様な価値観が溢れている。それが正しいものか、誤りなのか、人はその都度判断しなければならない

価値観を誤ると、行動を誤り、間違った方向へと突き進む。回避するには、それがどういうものか、過去から現在までを徹底的に調べ上げ、理解する必要に迫られる。まず理解することが先決だ

このドラマのオープニングが古びた写真から始まるのは、過去を理解することから始まるとの伏線だろう。経緯を知らなければ、理解などできないということだ

多様な人の価値観が入り乱れ、自分の信念に基づいて行動する映像は、人がどのような価値観を持って行動しているのかを学習できる。人の価値観は人それぞれ。押し付けられるものでは決して無い

人は正しい価値観を学ばなければならない。学ばなければ、正しい価値観は得られない。何を学ぶか。それを「仮面ライダー Black Sun」は問うている…

人に問うドラマは、評価が分かれる。問われている意味が分からないからだ。人には物事の意味を常に問う習慣が必要になる。それは、自分の中にある深遠の闇をのぞき込むようなものだ。学ぶということは、自分自身を知ることでもある

だから人は変われるのだ。変身する仮面ライダーは、人は変われることを教えてくれる
Back Ground: Black Sun

このドラマを現実社会に置き換えると、今の日本の姿が見えてくる…

世の中の「不正・腐敗・欠陥」を正そうと必死に活動する者達。世の中の「不正・腐敗・欠陥」を見ぬ振りをして放置する者達。世の中の「不正・腐敗・欠陥」を、利権として残して金儲けに悪用する者達

ドラマと同様に、現実社会にも三者三様の姿が見えてくる。象徴的なのが、「不正・腐敗・欠陥」に抗議せず放置する者。ドラマの中では、議員会館に閉じ込められ、怪人の餌として飼い殺しにされてる

悪を放置する者は「悪に飼い殺しにされ、用無しになったら切り捨てられる奴隷」にすぎない。ドラマでは監獄に閉じ込められ、逃げ出そうとしたら、容赦なく射殺さされる一般人として描かれる

現実社会の「自民党の議員会館」では、堂々と汚職の賄賂が受け渡しされている。正に汚職が繰り広がれる「魔窟」と化している。自民党の大臣は、大臣室で賄賂の受け渡しもしているので、正に「ゴルゴム党」と同じです

日本は「テレビが公共」と放送法で決められ、情報公開の道具として強制される。だから、汚職は記録されずに全てが消えて忘れ去られてしまう。汚職議員はとんずらこいて、忘れ去られた時に又議員として復活する。日本は情報の公開という、物事を知る術を放送法によって奪われる。自民党の政策は、国民生活を狂わせる。正に「悪の秘密結社」

現代の「悪に対して何の行動もしない」者とは、選挙に行かず、悪の利権政治家の当選を後押しする愚か者。選挙の放棄は、悪の放置にすぎない。選挙でしかまともな政治家を選べないのに、まともでない利権政治家が組織票で当選する。投票率の下落が止まらない、まともな政治家を選べない日本の狂った選挙制度は、国民の闘う気力を奪っていく

「悪とは、何だ」。それは理解させずに奴隷として扱う者。「悪とは、誰だ」。それは裁かれない地位を確立し、人の生活を狂わせる者

世の中の悪とは戦わなければならない。それを仮面ライダーは教えてくれる



抑止のススメ
適当に「MSN」の記事を見ていたら、現代ビジネスの記事に目が止まった。天才科学者が言う「幼児期に取り除かなければならないものとは」との言葉に惹かれたからだ

記事を読むと、天才数学者とは誰なのか、数学者による教育論とは如何なるものか、最近文学書を読んでいなかったので興味がわいた(笑)正直、「岡潔」という世界的な数学者でありエッセイストでもあった人物を、自分はまったく知らなかった(笑)自分が如何にエセ読書家なのかが良く分かる(笑)

昔の文学書は、基本「青空文庫」でしか読まない。何故なら、自由に文章をコピペして、HTMLタグを使って自分専用の本を作成することができるからだ。自分専用だから、フリガナ入れたり、改行したり、挿絵を入れたり、解説を入れたり自由にできる(笑)実際、昔の文学書は改行が無いので読みにくい(笑)読みやすいように改行を入れ・フリガナを入れ・注釈を入れると、読みやすくなり、作者が何を言おうとしているか、その意図が見えてくる

分からない文字を検索すると、文字の意味する所が理解でき、その時代の背景が見えてくる。一つの言葉に、様々な意味が込められているのが良く分かる。文学書を自分で編集すると、作者が何を言おうとしているのが理解できる。ただし、膨大な文章を一つ一つ読み解く作業は大変だ。だから、気に入った本しか読まなくなる(笑)

読むというか、自分に取り込む作業になるから、膨大な時間がかかる(笑)気に入った本に偏るのは、しょうがないと言えるだろう(笑)これは文書の解析を行うよなものだから、副産物として、良い本かどうかが直観的に分かる。しかし、自分の興味という悪影響はどうしようもない(笑)自分専用の文庫を作成すると、新しい世界が開けてくる

だが「岡潔」の本は著作権が切れていないので「青空文庫」には存在しない。とりあえず、このような紹介文を「HTML」でまとめてみようか(笑)

この記事は、天才数学者の文書を非常に丁寧に纏めている。纏め方がうまいので、要点がしっかりしている。読んでみると、大変読みやすく分かりやすい。良い文章は、すっと心の中に入っていく。人にとって本当に必要なものは、自然なものだということが良く分かる

この「自然」との言葉は、古今東西、あらゆるところで使われる。その意味は「本来そうであること」。つまり、本来あるべき姿を自然という。世界中の偉人や天才や哲学者達は、この「自然」の意味と向き合い、それが如何なるものかを追及する

「岡潔」も又、この自然と向き合い、自然の中に数学の論理を見出そうとする。数学には答えがあり、それはあるべき姿そのものだ。数学と自然の関係を繙こうとする姿は、正に哲人と言えるだろう

「それは自然な姿なのか」との疑問を持つことの大切さが良く分かる

本題の教育論では、脳の働きから、幼児期に行うべきことを提言する。自然な脳の働きに注目し、幼児期に必要な教育を導き出す。正に答えを導き出す数学と同じです

脳の総合的な働きをしているのが「側頭葉」と「前頭葉」。側頭葉は「記録・判断」、前頭葉は側頭葉に命令し「感情・意欲・創造」をつかさどる

前頭葉の働きが、人固有の人格を作り上げる。前頭葉の働きが未熟だと、道徳・倫理というブレーキが利かなくなり、衝動的判断をするようになる。衝動的判断とは、人の本能に基く行動であり、そこに道徳・倫理など存在しない

人の正しい人格を形成するには、本能を抑制する前頭葉の働きを鍛えなければならない。前頭葉は本能を抑止する働きを持つ。抑止は前頭葉固有の働きだ。人には本能を抑止する力を身につけなければならない

「自己中心的な感情・欲望・衝動」を抑止するには、前頭葉にそれは悪いことだと「理解させ納得させる教育」が必要になる。前頭葉が正しく学ばないと、壮絶な自己中が誕生する

善き人格者たるには、前頭葉に自己中心的な行為を抑制するための学習が必要だ。何が悪で、何が善なのか。それを正しく学び、悪を抑制するための学習が必要なのだ

家庭では「正しい躾」であり、学校では「道徳・倫理」の学習だ。これが疎かになると、倫理・道徳に反した「獣」が誕生する。「獣」と化した獣人は、見た目では判断できない。人の本能を正しく抑制できない者は、その行動でしか判断できない

日本の教育に欠けているのは「道徳心・倫理感」を育てること。道徳心・倫理観が欠けているから、まともな教育が行えない。日本の文部科学省は「スポーツくじ」で財源を確保して、スポーツ振興に地道を上げる。スポーツがギャンブル化して、スポーツから道徳心と倫理観が消えていく。「ギャンブルは悪い事だ」との教育などできる道理が無い

人は「道徳・倫理」に反するものを「抑止」する力を身につけなければならない。でなければ、道徳・倫理に反したものが世間に蔓延ることになる。人には不道徳な行為を「抑止」するための「学習」が必至になる

脳の「前頭葉」働きは、人として生きるための衝動的な「衝動・感情・欲望」の抑止になる。人にとって最も害になる「憎悪による行為・悪質な行為・倫理に反する行為」を取り除くには、「抑止すべきもの」として「前頭葉」に学習させる。人は「抑止すべき」ものを学習しなければならない

情報化社会のシステムは、膨大な情報を元に未来を予測。それが「正しくない」と判断したら自動的に修正する。「正しくない未来」を抑止するためには、現状を正しく判断するための膨大な情報と、正しい分析が必須になる

正常な社会システムの構築には、「正しくないもの」の判別が必須になる。「岡潔」が提唱する「抑止のススメ」は、「正しくないもの」を判別するための学習の薦めと言えるだろう。それは「正しい」ものか、「正しくない」ものか。それが判別できなければ、倫理・道徳に反した社会システムが構築される

情報には必ず、それが正しいものかどうかの判別が必須になる。判別できない情報は、正しくないものを放置する欠陥情報として、即座に切り捨てなければならない
Back Ground: 忘れじの言の葉

日本で学べる「道徳心」と「倫理観」は、「政府・政治家は嘘をついても裁かれない」「物事の善悪の判断は、有名人が勝手にする」「テレビが公共だから、情報の公開・共有は制度的に行えない」「日本の危機管理の情報は、放送法によって自動的に消されていく」

日本は「道徳・倫理」が欠落した「無責任な犯罪国家」へと転落している。正しくないものを抑止できない社会は、壮絶な自己中が支配する欠陥社会へと変貌する

日本は政府・政治家が作った放送法により、社会システムの「前頭葉」が破壊され、不道徳な社会へと変質した。社会の欠陥制度は、社会そのものを破壊する。何故なら、欠陥という甘い蜜に悪党共がむらがるからだ

「抑止のススメ」は、人に何が必要なのかを教えてくれる



科学的と感覚的
福島原発の「汚染水の海洋放出」問題で、世間は大いに揺れている。揉めている原因は、科学的な検証方法の違いにあると考えられる。所謂、「ざるな検証」と「厳格な検証」の違いだ。これは「ざるな基準と厳格な基準」、「ざるな処理と厳格な処理」の違いでもある

きなくさい「人の意見」がマスコミから出る事態は、「汚染水」に不都合な事実がある証明でもある。そもそも問題が無ければ、騒ぎには決してならない。火消しに走るには、うさんくさい「人の意見」で煙に巻くのが、卑劣なマスコミの常套手段

判断するには、全ての手札を検証しなければならない。詐欺師は「不都合な手札」を隠蔽し、相手を騙す。全ての手札を晒さなければ、まともな判断など不可能だということだ

厳格な科学的手法は、感覚的な人の感情を含まない。対して、曖昧な感覚的な手法は、科学的なデータを含まない

そもそも「汚染水の海洋放出」との手法に問題がある。通常の海洋放出される原発の冷却水と、福島原発の燃料棒に直接触れた汚染水とではまったく性質が異なる。原発の冷却水の基準は、福島原発には適応できない。何故なら、全ての有害な汚染物質を取り除くことなど不可能だからだ

「不都合な事実」とは「全ての核種を取り除けない」との現実です。政府の発表は「全てを問題の無い基準値まで引き下げる予定である」。予定であって、取り除けていないのが現実だ。その影響が実証されない現状で、影響を語ることなど決してできない。出来ないことを、出来ると言うのは紛れも無い詐欺だ

「汚染水の海洋放出」の影響は、誰にも予測出来ない。検証・実証などされていないのだから当然だ

コンピューターによるシュミレーションが行われた、との事実も無い。通常の原発での冷却水の海洋放出による影響は、現実問題として起こっている。トリチウムの放出で、癌・新生児の死亡・ダウン症の増加等が起こっている。トリチウム放出の被害は、少量でも影響が非常に大きい。これを元にシュミレーションを行えば、ある程度の予測は可能だろう。しかし、どこの国もシュミレーションなど行わない。いったい何故か?「不都合な事実」は、現状そのものの否定する。否定されると困るから、行わなければいいだけだ

汚染水の海洋放出の問題は、「実証されていないから問題ない」との「杜撰な検証」にあると言えるだろう。他の国が怒るのは当然だ

「杜撰な基準」に「杜撰な検証」。おまけに「杜撰な対策」と「杜撰な予測」が付いてくる。これで「問題なし」というのだからあきれるしかない。これを誤魔化し、国民に納得させるには、相当な情報操作が必要だ(笑)

放射性物質は人体に取り込まれると、排出できなものが体内で濃縮される。濃縮された体内の放射性物質は、少量でも人体にさまざまな悪影響を及ぼす。すぐには影響は表れない。体内の放射性物質が、徐々に体を蝕んでいく

だから「放射性物質は出さない」のが原則になる。原則破りで影響ないは、詐欺と言っても問題ない。外国で「原発廃止」が叫ばれるのは、原発が排出する「放射性物質」の処理ができないからに他ならない

人は原子力を完璧に制御できない。だから破滅的な「原発事故」が起こる。何万年もの管理が必要になる「放射性物質」は、人の手にあまる代物だ。長期的な影響など、誰であろうが予測できない。本来予測などできないものを、予測できるとした人の傲慢さが、日本の原発事故の遠因ともなっている

科学的に「海洋放出」の予測などまったくつかない。タンクの中の汚染水の正確な分析など、行われていないのが現実だ。燃料棒に直接触れる汚染水の、正確な影響など誰一人として分からない。これが、紛れも無い現実だ

科学的な正論は、「放射性物質の危険性を甘く見てはならない」というものだ。汚染水による環境の汚染が、人にどのように影響を与えるものか、実証など何一つ行われていないのが現実だ。微量な放射線の長期の被爆が、どのような結果をもたらすのか?それは誰にも分からない。未来の人類は、どのような評価をするのだろうか…

ウクライナの戦争の解説で「最近のウクライナ大統領の発言は過激すぎ、支援国の理解は得られない」との言葉が軍事評論家からきかれた。これは長期戦になる場合の正論と言えるだろう。自分もそうだろう、とその時は思った。しかし次々に戦闘で亡くなっていく国民の姿を見たら、戦争を長引かせるのは悪手以外の何者でもない、との結論に至る。戦争が長引くほど、国民が戦闘で次々に死んでいく…

「正論」と「現実」とでは、そこに大きな開きがある。「正論」とは論理にすぎず、現実に用いた場合の影響が含まれない。論理を現実に用いる場合、その影響を考えなければならない。「正論」は正解にはならない。それが紛れも無い現実だ

「正論」は立場によって、その姿を変えていく。それが紛れも無い現実だ

対して科学的な手法に基づく「正論」は、数学の答えと同じように、一つの結論へと導かれる。普遍なものだからこそ、科学的と証される。科学的なものは原理・原則に基付くものであり、感情とは無縁なものだ

テレビの討論番組で、うさんくさそうな有名人に「放射能の汚染水の放出など許されない。奇形や障害を生む」との「科学的な正論」を言わせる。これで悪質な「風評被害」だとの批判を正当化する。科学者でない有名人が「放射能の汚染水の放出は許されない」と発言すると、それは科学的ではない「風評被害」だと批判する

「放射性物質は長期的に悪影響を及ぼす」のは科学的な法則です。微量だろうが放射性物質が排出されれば、それは環境に著しい悪影響を及ぼす。だから放射性物質の管理は厳重なのだ。放射性物質の放出は、原理・原則から許されるものでは決して無い

そもそも「風評被害」も何も、地元の福島でも「海洋放出」を批判している。地元民も「海洋放出」を許していない。出してはならないものを出せば、批判するのは当然だ。批判をかわすには、批判を正当ではないものに「変質」させればいい。所謂、情報操作と言われるものだ

「正しい科学的手法」を崩すには、うさんくさい有名人に「正しい評価」を言わせればいい。もしくは、正しい事を言う人達を、うさんくさい輩だと思わせればいいだけだ。「正しい予測」が「うさんくさい評価」へと変質する。非科学的で感覚的な事をマスコミが言い出したら、汚い情報操作だと瞬時に気付く。情報操作の手口は、非常に狡猾で、科学的な論拠からかけ離れている

情報操作は「非常に汚い手口」だということを理解すべき。情報操作は「人の意見」による「感情」で判断させる。「人の意見を信用するな」。これは情報化社会の鉄則だ

「テレビは持つな!」。これも現代社会の鉄則です。今や科学的な原理・原則と化している(笑)何故なら、「テレビ」は「人の意見」を正当化する道具にすぎないからだ。「討論」では、唾棄すべき悪手が正々堂々と議題に上る。「悪手」が堂々とまかり通るのがテレビの世界。テレビは問答無用で切り捨てるのが、情報化社会の鉄則だ

「テレビ」はろくでもない「人の意見」を垂れ流す、ろくでもない代物だ。インターネットでは「テレビ」以上に「人の意見」が溢れている(笑)しかし、インターネットは自分で選別できる。対して「テレビ」の情報は選別できない

人は適切な情報を選別できる能力を身につけなければならない。科学的なデータに基づく、適切な判断を心がけなければならない

汚染水の基準値は、人に影響を及ぼさないほど低下している。しかしこの問題の本質はそこじゃない。「大丈夫」との基準そのものが実証されたものではない。その検証手法が正しいものか、人類が行ったことの無い露出した燃料棒に晒された汚染水の処理が正しいものか、その検証・実証が一切不明。只言われた事を鵜呑みにするのは、科学的とは言わない。その工程を全て公開し、全ての科学者・国民が納得できるものでなければならない

「処理水を飲めるのか?」。この質問は問題の本質をついている。まったく問題がなければ「飲んで実証すればいい」だけだ。しかし「政治家」も「科学者」も、飲もうなどとは決してしない。放射性物質の危険性を良く分かっているからだ。彼らが「処理水を飲んで実証」すれば、国民は何の問題も無いと安心できる。できるものなら、彼らの飲料水として活用し、彼らの体を使って「処理水」の処分が可能になる。何故やろうとしないのか?

「飲めないものを放出するな!」。これが国民の日常生活に基く「科学的な正論」だ。「飲めなくても安全だ」は、非科学的であり、到底受け入れることなどできない。「NHK・新聞・テレビ・政治家・専門家」は、「飲めなくても安全」だというのだから、安全の基準が国民とはまったく違うという事が良く分かる…

現実問題として「放射性物質」は飲むなど到底できない凶悪な「産業廃棄物」。「飲む」などと言えるのは、海洋で拡散されて検出など困難になるからだ。「薄めれば問題ない」との主張は、環境汚染対策を骨抜きにする悪魔の論理。これがまかり通れば、全ての汚染物質は「薄めて垂れ流し」が可能になる

海は何でも浄化する「下水処理場」なんかじゃない

最大の問題は、原発事故を起こした「自民党・東電」による汚染処理だということだ。国民への「嘘・裏切り・隠蔽」があったから「原発事故」が起こったことを忘れてはならない。自民党は漁業者に対し、漁業者の理解を得ずに海洋放出はしないと約束した。しかし自民党は当然のように、しかたがないからと、漁業者との約束を反故にした。約束事を守らない、その姿勢そのものが最大の問題だ

ハッキリ言おう。「自民党・東電」は信用できない

「検証手順・実証の手法・汚染水の現状・放出の手法」など全てが公開されていない現状は、原発事故前の状態とまったく同じ。日本は「原発事故の教訓」を何一つ学んでいない。約束事を守らない杜撰な管理と処理が、如何なる事態をひき起こすのか。それは誰にも分からない。これを科学的とは決して呼ばない

放出時には問題なくても、海流によって濃縮され、取り込んだ魚を人が食べ、体内被曝によって被害を受ける。なんて事が起こるかもしれない。放射性物質の放出なんてものは、その後にどうなるかなど予測できない。だから「放射性物質は出さない」が原則になっている

生物による水銀の濃縮などが良い例で、プランクトンが水銀を取り込み、それを食料にする大型魚類に水銀が濃縮される。同じことが放射性物質で起こらないと、誰が断言できるというのか

科学的も感覚的も、それが信用できるものかが最初に問われる。信用できないものを、信用できると断言するものを非科学的と呼ぶ。勝手な断定をする者を、世間ではエセ科学者と蔑む。科学者だから科学的なのではなく、科学的な証明を科学的と呼ぶ。「それは科学的に証明されたものなのか?」と、常に問う姿勢が必要だ

一般人は「感覚的」に物事を判断する。その根拠となるのは基本的な「社会的な規律」になる。それは「常識」であり、護るべき「倫理」であり、社会を護る「規則」でもある。常識的におかしい、倫理的におかしい、社会的におかしい。それも又、世間的に非科学的なものだという事を理解すべき

「人の利害」が絡む時、「きちんと証明できない」時に、「科学的」との言葉が乱用される(笑)「感覚的」におかしいものを正当化する時に、「科学的」との言葉で人の判断を狂わせる。それは常識的に許されるものなのか、それは倫理的に許されるものなのか、それは社会にとって有益なものなのか。その判断も「科学的」には含まれる

こうしてみると、「科学的」とは「科学と感覚の中間」にあると言えるだろう。科学に偏ると科学的に暴走し、感覚に偏ると感覚的に暴走する(笑)暴走しないよう、どちらも満足させる事が重要だ。単純な判断ほど、突っ走って暴走する。科学的とは正しいものでなければならない。「それは正しいものなのか?」。これは常に問われるものになる

汚染水の海洋放出を止めたければ、「自民党」を選挙で倒せばいい。いや~、簡単すぎて眩暈がする(笑)

「倒せ!悪の自民党!」。「潰せ!日本の破壊者め!」。悪は選挙で討伐だ!

正義の鉄槌は自分で下す。選挙でしか海洋放出は止められない。悪は自らの行動でしか、止めることなどできない…

正に「科学的な正論」だ(笑)

「石川や 浜の真砂は尽きるとも 世に盗人の種は尽きまじ」とは、石川五右衛門の辞世の句。悪は決して滅びない。悪党はどこであろうが湧いてくる。悪の所業をひた隠し、甘い言葉で世の中の規律を狂わせる

「金」のためなら、どんなに倫理に反しようとも、「科学的・間違いない」との言葉で押し通す。嘘・偽りは「まやかし」と呼ばれる誤認です

「それは許せるものなのか」。真実は常に身近なところにある。社会の悪は、その根源を斬り捨てなければならない



非情
「戦争とは非情なものだ」。これはあらゆる物語で語られる。今日、「ウクライナ・ロシア戦争」「イスラエル・パレスチナ戦争」が勃発し、今なお戦闘が続いている。戦争では、人の命が最も軽い

「非情」とは、人間らしい感情をもたないこと。つまり、人としての倫理を持たず、本能のみで行動すること。ありていに言えば、獣と同じ。他には、思いやりの気持ちが全くない、との意味もある。これは、理性はあるが、自分の利益のみを優先し、他人に冷酷な者を言う

争いでは、人の本性がさらけだされる。人の本性とは、性質であり、思想であり、人格であり、その者の正体を指し示す。人の本性によって、物事の解決方法が変わってくる。本性によって、人の行動は左右されるということだ

ウクライナ・ロシア戦争では、ロシアがウクライナの併合を目的に侵略戦争をしかけている。ロシアはウクライナを自国の領土にして、ウクライナの地を支配しようとしている。支配したら、不要なウクライナ人は国内のへき地に移住させる。替わりにロシア人を移住させ、名実ともにロシアの領土にしてしまう

「ウクライナ・ロシア戦争」とは、ロシアがウクライナという土地を略奪する戦いになる。ウクライナが必至で抵抗するのは当然だ

「イスラエル・パレスチナ戦争」とは、イスラエルという国土を、どちらが支配するかの争いだ。イスラエルは当然、パレスチナ人の追い出しを謀る。パレスチナ人は必至で抵抗する。この争いは、どちらかが出ていく、との決着しかない。争いをする者は、分けるしか手段がない

パレスチナ人を受け入れる国が無いのが、「非情」な情勢を物語る。イスラム教を教義とするイスラム諸国は、同じ教義を持ちながら、武器の供与はするが、自国に受け入れようとはしていない。何故なら、他の難民受け入れで満杯か、経済的に受け入れる余裕がないからだ

パレスチナ問題は、イスラム諸国がパレスチナ人を難民として全て受け入れれば解決する。しかし今は何処の国も経済的・政治的に余裕が無い。イスラムの同胞が受け入れない姿勢が、この問題の「非情」さを浮き彫りにする

西側諸国が難民を受け入れると、そこにイスラム文化が定着する。文化の対立は不可避であり、イスラム諸国による受け入れが、最善なのは言うまでもない

「宗教」が絡むと、どのような問題でも解決が難しくなる。何故なら宗教は、本質的に異物の受け入れを拒否するからだ。「宗教」が麻薬と呼ばれる所以です。「宗教」は自らの生活を律することであって、宗教に従えば何をしても許される、というものでは決して無い。「宗教」への妄信・盲従は、他を決して認めない宗教教義に基づく独裁を意味している。その苛烈さは、人の倫理・道徳など捨て去った、非人道的なものになる。独裁とは、他を決して認めない、自己中心的な非道にすぎない

宗教は基本的に利己的であり、他を決して認めない。それぞれの「教義」が違うのだから当たり前。「教義」を都合よく解釈し、自分の利益に繋げる者を一般的に邪悪と呼ぶ。利他の精神から外れた時、どのような宗教でも邪教へと変質する

自分の都合のいいように物事が運ぶとの妄信が、宗教的思考の危険性を示している。パレスチナのテロリストの思考は、正に都合のいい妄信です

パレスチナ暴走の一因は、イスラエルが行ってきた、入植という名の民族浄化まがいの非道な行いにあると言えるだろう。イスラエルは報復の大義を得たため、パレスチナの殲滅戦へと自動的に移行する。この流れは、もはや止めることなどできない。侵攻すれば被害を受ける。だから、侵攻する前に徹底的に爆撃する。批判の回避のため、同じ教義を持つエジプトに逃げろと警告する。しかしエジプトが受け入ればば難民化するから、当然ながら受け入れない。よって爆撃によるパレスチナの殲滅が、合法的に可能になる。民族浄化や虐殺などの一線を越えた攻撃は、殲滅戦へと否応なく突き進む

イスラエルは侵攻する必要などまったく無い。同胞であるエジプトに逃げろと警告し、爆撃による殲滅戦をしかければいいだけだ。「侵攻するぞ」との見せかけだけで、殲滅戦を遂行できる。作戦の目的は、全てを瓦礫に変えること。その責任は、隣国エジプトに転化する。エジプトへの道が開いたら、全てを送り出せばいいだけだ

解決不能な問題は、全てを白紙に戻せばいい。解決できない状況は、破滅的な論理へと突き進む。宗教的な妥協を許さない行動は、破滅的なものしかもたらさない。それは歴史が証明する。パレスチナ・イスラエル双方による妥協を許さない宗教的な対立は、基本、破滅へと突き進む

砂漠の民の論理は、過酷な環境を生き抜くための知恵でもある。それは時に、非常に苛烈で情け容赦がない。奇跡を信じ、その実現のみにのめり込む。利己的な思考が、全ての争いの元凶だ。現代社会において必要なのは、全ての宗教に共通する、慈悲の精神と言えるだろう

パレスチナ人を監獄に閉じ込めているのは、隣国エジプトも同様です。エジプトの国境を開放しないのだから、やっているのはイスラエルとまったく同じ。エジプトが難民を受け入れれば、とりあえず破滅的な戦いは回避できる。しかし隣国エジプトは、国境を開放しない…。神の教えに背く者は、容赦なく殺害する。そんな輩を受け入れる道理がない

イスラムの論理とは、イスラム教による絶対支配。だから、イスラム教では武力での支配を肯定する。イスラム諸国は、アラブの大義を持ち出して、テロ組織であっても支援する。イスラムとは、トップが支配することを肯定する独裁社会。だから汚職・腐敗が蔓延する。民主主義を掲げる国では、政治と宗教は、基本切り離す。かたやイスラムでは、政治と宗教が一体化する。パレスチナの悲劇は、テロ組織が政治を支配したことだ。政治を託すのは、その地に住む国民です。国民にその責任があるのは当然だ。独裁による責任を負うのは、何時の時代でも独裁を許す国民です

独裁を許さないシステムの構築こそが、人類に出された課題と言えるだろう

イスラエルは、パレスチナ人達がエジプトの国境を乗り越える迄、徹底的に追い込むだろう。そこに「人道」など存在しない。それが戦争の殲滅戦の恐ろしさだ。戦争の正義とは、相手の殲滅だということを忘れてはならない。手っ取り早く更地に変えるのが、被害を最小にする常套手段。戦争のルールに則った殲滅戦、との新機軸の戦いをイスラエルは模索する

イスラエルの自衛の論理は、何人たりとも否定できない。人は誰でも、自分の隣に平気で拷問して射殺する輩がいることなど容認できない。どんな犠牲を払おうとも、徹底的に排除しようとする。イスラエルとハマスの違いは、イスラエルには誰でも政府を非難できる権利がある。対するハマスは、批判は一切認めない。イスラエルの論理を否定するなら、北朝鮮に移住すればいい。北朝鮮が奴隷として、喜んで歓迎してくれる

イスラエルにとって、ハマスを受け入れる者達全てが敵になる。ハマスを分離できない現実が、一般市民の犠牲へとつながっていく。独裁を許すということは、その被害を容認することに他ならない。パレスチナ人達が、ハマスを憎むべき敵と判断するまで、イスラエルの攻撃が止まることはないだろう

イスラム諸国がパレスチナ難民を受け入ようとはせず、イスラムの神の教えに従って戦い抜けと鼓舞する姿は、正に宗教戦争の体を成している。宗教に妥協は無いため、双方が折れない限り、この戦いに終わりはない。人を救うべき宗教が、人を破滅へと追い立てる。この戦争は正に…救いが無い

戦争とは非情なものだ。その意味は、そこに慈悲と救いがないからだ

人は基本的に利己的なものだ。本能に基けば、自分の利益のみを追求する。だから、人は抑制することを覚えなければならない

インターネットでは、己の欲望を満足させる動画が溢れている。自分勝手な行い・自分勝手な考えを正しいとするものや、娯楽という享楽に溺れるもの。己の欲望を満たすものばかりに傾注すると、欲望に忠実な愚か者へと変質する。妄信・放漫・慢心とは、破滅への入り口です

インターネットは学ぶ場所だと位置づけ、常に自分を律する事を学ばなければならない

自分は一体何を学んでいるのか。常に考える習慣を身に付ける

何を調べ、何を知り、何を学んだのか。文章にして纏めればいいだけだ。自分が如何に愚か者かが分かるだろう
Back Ground: 約束の土地へ

社会の「矛盾」や「不正・腐敗・欠陥」の放置は、戦争と同様に、社会の破滅を招いていく。日本は「政治家の悪事・不正・腐敗」「社会の欠陥」を正せずに、社会は荒廃の一途を辿っている

日本も又、政府・政治家の「不正・腐敗・汚職」と、制度・組織の「欠陥」を正す闘いの真っ最中だ

国外の戦争どころか、国内にたまった膿を取り除かなければ、国民生活が破綻へと追い込まれる。日本も又、不正を正す戦争の真っただ中にあると言えるだろう。国外の戦争に目を向ける事も大切だが、国内問題の解決こそが最大の急務になっている

報道が戦争一色に染まる中、国内問題に目を向ける報道こそが、真に国民に寄り添う報道として光を放つ。「NHK・新聞・テレビ」の一極集中の時代は、今や完全に終わっている。その現実を、マスコミの戦争報道が物語る

人の戦いとは、人による「不正・腐敗・汚職」や、制度・組織の「欠陥」を正す戦いだ。戦争とは、問題を武力で解決する解決法にすぎない。日本では「不正・腐敗・汚職・組織の欠陥」などを、「NHK・新聞・テレビ」が記録せずに消していた。問題の放置が、日本の没落の元凶です

どこで戦争が起ころうが、どこで事件が起ころうが、日本の社会問題は無くならない。国外の問題の本質を理解しながら、国内の問題の解決に利用するのが、情報の上手な活用法だ。どのようなものでも、正確に記録すれば、それは見本として活用できる

出来事を記録せずに消していくのは、問題解決の放棄にすぎない

日本の政治家の質の悪さは深刻だ。平気で嘘をつく、裏切る、汚職を働く。この現実を暴かない、記録しない、知らしめない、改善しようとしない日本のマスコミ。人を無能にしなければ、このような悪事は不可能だ。日本全体が、如何に無能な社会へと陥っているかを理解すべきだろう

日本の政治家は、世の中の山積する問題を放置して、自分達のための政治を行う。そのために、情報の公開を否定し、自分達が発信する情報が公共だと、NHKを使って押し付ける。世の中が改善されずに放置される社会とは、悪事が蔓延る地獄を意味する。情報の公開とは、真実の公開を意味するものだ。だから悪党は、情報の公開を否定する

「パレスチナ・イスラエル戦争」から見えてくるのは、パレスチナ指導部の汚職・横領などの不正の横行、イスラエルの民族浄化と言うべき入植の強行だ。不正を正せなければ、その先にあるのは破滅しかない。人の英知や理性を正しく発揮させる社会の構築が、如何に大切なのかが良く分かる

情報化社会は、全ての出来事を可視化する。物事の流れを知ることで、事の真実が見えてくる。情報の意味は、知ることで何をすべきか学ぶこと。そこに学ぶべきものが存在するのか。情報は真実を写す鏡であることを知るべきだろう

人は基本、愚か者だ。だから人は学ばなければならない
Back Ground: 遠い記憶



絶版本
人生、ひょんな機会で良書に出会う。「いらなくなったから」と貰ったり、古本屋でたまたま題名につられて買ってみたり、と色々だ。自分の場合は、貰った本に良書が多い(笑)

幼い頃に大学生のお兄さんから貰ったり、進学祝いに貰ったり、引っ越しの際の手伝いに貰ったりとかいっぱいある(笑)文庫本ではなく、表装がしっかりした高級本だ(笑)自分が買うのは、そのほとんどが文庫本(笑)

昔の本だから、そのほとんどが絶版本。再販もしてないし、当然デジタル化なんてされていない。紙の本との決別を図っているが、手元には残しておきたい。しかし、紙の本を読むのは、正直しんどい(笑)文字が小さく、読みにくい(笑)

面倒なのでやりたくないが、自分の手でデジタル化することを決心した。所謂、自炊というやつだ。昔はスキャナしか手段が無かったが、今はスマートフォンという強力なカメラがある(笑)ピントを合わせるのが大変だから、100均でコの字型のキッチンワイヤースタンドを買ってきた。ワイヤーなので、隙間からカメラで撮影できる

分厚い本だから、開くと内側の文字が歪んでくる。だから、片方を立て、L字型にして撮影する

目次の一つ分ぐらいのページを連続して撮影する。撮影したら、パソコンにデータを移す。写した画像データの文字認識が正確にできるかどうか、画像ビューワーで確認する。余計な文字や画像はここで消しておく

次に「Google ドライブ」に画像データを転送する。文字認識する画像データを一つ選択し、右クリックして「アプリで開く- Google ドキュメント」を選択。「Google ドキュメント」で文字画像のデータを開くと、自動的に文字を認識して、テキストデータに変換される。認識したテキストデータを全て選択してコピーして、テキストエディターに貼り付ける。認識が間違っていないか、表示されている画像と見比べながら修正する

写した文字が斜めだったり、歪んだりしていると、正常に認識されない。必ず元画像との比較が必須になる

テキスト化ができたら、読みやすいように編集する(笑)ひらがなを漢字に変えたり、読みやすいように改行を入れたりする。ふりがなは、後の製本作業でのHTMLの編集ソフトで入れられる

「本」は文字を認識できるようにしたもので、読みやすいものでは決してない。対してデジタルの「HTML文書」では、理解がしやすいよう改行を適切に挿入する。ホームページで公開されている「Web小説」が見本となる(笑)



ゴミの島の万博
維新の会が誘致する「大阪万博」。ゴミの島での万博だから、施設を建てても、万博が終わったら全てゴミとして処分される。正にゴミの万博だ(笑)

何故ゴミの島で万博を開催するのか。その理由は、万博の後に建てる「IR施設(ギャンブル場)」のためだ。ゴミの島に「下水道・送電線・交通施設」等を整備するために万博が必要なのだ。万博は「ギャンブル場」の環境整備にすぎない

普通の万博なら、莫大な費用をかけた施設はしっかり残す。後世に残すべき施設になるのが万博だ。しかし日本の万博では、全てがゴミとなって消えていく

残された公共基盤は、「IR施設」という「ギャンブル場」に生かされる。国民は「ギャンブル場」で搾取され、一生懸命に働いて稼いだ金が、ゴミのように消えていく。ゴミの島では、全てがゴミとなって消えていく

そもそも万博が開催される「夢洲」とは、「PCB・六価クロム・ダイオキシン・有害ヘドロ」などの人に触れてはならない猛毒な危険物質の廃棄場所。人に有害な危険物質を捨てる特殊な場所。だから本来、人が立ち入ってはならない危険な場所。こんな猛毒物質のゴミ捨て場に人を集めるなど、本来やってはいけないものだ。猛毒な危険物質の廃棄場所で行う万博に、海外の国々が喜んで出展するのか。「猛毒のPCB」などが足元に埋まる万博に、何故人がやって来るなどと考えられるのか。万博というイベントは、開催場所と開催意義の両方共が狂っているという、とんでもないものになっている

水分を大量に含んだ猛毒の危険物質の上に立つ建物は、全て廃棄するのが原則だ。万博が終了したら、何一つ残らない。猛毒な危険物質の塵や、地下のゴミから噴き出す猛毒ガスが舞い散る大阪万博。土地とは本来、人の命が育まれる場所になる。万博の土地は、人の命を脅かす危険物質の廃棄場所。こんな危険な場所で、何故イベントを行おうとするのか

一般の市町村のイベントで、「危険ゴミの埋め立て地で盛大にイベントを開催します。周辺整備に莫大な金がかかりますが、宜しくお願い致します」、なんて言おうものなら「他に開催場所がいくらでもあるだろう! 何でそんな汚い場所でイベントをやるんだ! おかしいだろ! さっさと撤回しろ!」との苦情が殺到する(笑)

大阪は大都市なので、大きなイベントを行う場所など無いのだろう。これからは大阪のイベントは、全て「命を紡ぐ夢洲」で開催だ(笑)有害物質で成り立つ土地が、人の命を紡ぎ、黄泉の国へと昇天させてくれるだろう…

何故、万博を危険なゴミの島で行うのか。これは確実に「持続不可能な万博」だ。万博の意味を問わざれば、全てがゴミ屑と化していく

日本の政府・政治家は、消えて無くなるゴミに、何千億円もの金を注ぎ込む。これを異常だと思わない神経は、正に狂っているとしか言いようが無い。日本いつから、ゴミに莫大な金を費やす異常な国になったのか。使われる金は、全て国民の税金です。国民の税金が、ゴミの島で、全てがゴミとなって消えていく

この異常な状況を、万博を推進する者達は「正しいもの」だと断定する。何故なら「万博」とは「国策」だからだ

国民が選んだ政治家が行うものだから、何をしようが許される。これが日本の現実です。国民の生活を護らない政治家など、国民にとってはただのゴミ。ゴミはゴミしか生まないし、単なるゴミだから、何の役にも立たない

ゴミの島でくりひろがれる「狂態」により、悪徳政治家という「狂ったゴミ」を分別できる。ゴミの島で分かる事とは、ゴミ(悪徳政治家:維新の会・自民党)の正しい見分け方

ゴミ(維新の会・自民党)の判別に何千億円もかかるのだから、国民は選挙を真剣に考えなければならない。ゴミが選挙で当選すると、自身の生活がゴミ屑となって破滅する

悪党の政治家は、嘘を吐くことに関しては躊躇が無い。平然と嘘をつき、意見を簡単に翻す。悪党だから当たり前

悪党とは「人を騙す」人間の総称であって、問答無用で切り捨てなければならない。どんな嘘でも平気でつくから、簡単に騙される。人はその行動でしか判断できない。人の行動とは、その人の理念であって、その人物の判断基準になるからだ

だから人を「意見」で判断してはならない。これは情報社会の鉄則だ

自民党も維新の会も、国民に対して平然と嘘をつく。だからその行動は極悪だ。判断基準が狂っているから、嘘をつくのに躊躇が無い。手のひら返しに、都合の悪いものが国民にばれると、平然と居直り、別の話題へと話をそらす。「意見」は簡単に変えられるが、人の行動は無かった事にはできない

「嘘」を正当化するには、嘘をついたことを忘れさせればいい。「嘘」を別の話題で塗りつぶす。「嘘」を無かった事にすることが、「悪党」が生き延びるための手段となる。だから「悪党」は都合の悪い情報は公開しないし、残すなど絶対しない。情報の記録と公開を不能にするのが、放送法の眷属たる「NHK・新聞・テレビ」の仕事になる。「危機管理」と「情報管理」が技術的に不可能というのは伊達じゃない

政府・政治家直轄の「NHK」は、嘘と詭弁を正当化して、全ての嘘を抹消する。「情報の公開・共有」が不可能な致命的な欠陥品は、社会を地獄へと変えていく

世の中を狂わせるには、世の中の仕組みを狂わせればいいだけだ。世の中の仕組みが狂えば、全てが狂う。その元凶は、嘘を平気でつく「悪党」だ

嘘をつく政治家は、問答無用で切り捨てなければならない

切り捨てなければ社会が「嘘」と「詭弁」にまみれ、悪鬼羅刹が蔓延る地獄と化す。社会の仕組みが狂い、「不正・腐敗・汚職」が正当化され、悪党が裁かれない奴隷国家へと成り下がる。政治家の「嘘」と「詭弁」は、多くの国民を欺く最も卑劣なものだ

嘘を平気で吐くのが腐敗政治家なのだということを、しっかりと理解すべき。権力者の吐く「嘘」とは、自分自身の「悪事」の正当化。嘘をつく政治家は、何度でも平然と嘘をつく。しかも、「悪事」を正当化する規則や法律を自分勝手につくる。だから国民は決して許してはならない

「自民党」と「維新の会」がパーティー券を裏金として懐に入れておきながら平然としている。これは、パーティー券の購入者に便宜を図る、立派な横領・汚職という犯罪だ。「情報の非公開」によって堂々と悪事を働く犯罪者。国民にばれたら「だんまり」を決め込む犯罪者。犯罪者を裁く法律を立法しない、不正・腐敗・汚職まみれの犯罪者

パーティー券という贈収賄の利権構造を、自民党は改めない。政治家の金集めの手段となっているパーティー券を、悪いなどとは思わない。不正の手口と化しているパーティー券を、政治資金規正法で禁止しない。自民党が如何に腐った政党なのかが良く分かる

自民党の言い分とは、「パーティー券は金集めの手段である。だから止められない。金を集めて何が悪い!」というものだ。泥棒が「物を盗んで何が悪い!」と開き直るのとまったく同じ(怒)パーティー券が贈収賄の手段なのだから、パーティー券を止めなければ贈収賄は止められない。自民党とはパーティー券で私腹を肥やし、パーティー券の購入者に便宜を図る贈収賄の常習者。平然と嘘を吐く、腐敗政治家の集まりだ

平然と「嘘」を吐く政治家ほど、国民に害をもたらすものはない

「嘘」を暴くには、情報の公開しか手段が無い。だから腐敗政治家は、情報の公開など絶対しない。「情報の公開」が如何に重要なのかが良く分かる

企業は見返りを求めてパーティー券を買う。政治家は私腹を肥やすためにパーティー券を売る。マスコミはパーティー券は合法だと贈収賄を肯定する

企業と政治家とマスコミとの癒着が、パーティー券の合法化の元凶だ。パーティー券を法律で禁止しない限り、贈収賄は止められない。しかし、政治家共は、パーティー券を悪いなどとは思わない

自民党を選挙で討伐しない限り、この腐敗した利権構造は止められない

管理・監督する者が狂えば全てが狂う。上の者が狂えば、下の者も狂ってしまう。狂わないためのしっかりとした基準を設けなければならない。情報の公開によって、正しいものかが判断できる。決まり事、規則、常識によって狂いを正す。技術革新によって問題の解決を図る

人の誤りは、人が正さなければならないものだ。人の良識が問われている
Back Ground: 冬が来る前に

石川県で大きな地震が元旦に起こった。以前から頻繁に群発地震が起こっていたから、プレートの移動により歪がたまり周りの断層が一気に崩壊、との見立てがされている。人は地下で起こっていることを見る事は叶わない。だから、正確な予測ができない

石川には停止中の原発があり、もし運転していたなら、どうなっていたか分からない。直近では経団連の会長が、再稼働を急げと視察を行っている。「こいつは馬鹿か? 福島の原発事故から何も学んでいない」としか思えない。しかも、原子力委員会は「断層の直下ではないので安全だ。再稼働へと舵を切る」との判断を下している。直下に無くても、周辺にあれば危ないのは当たり前。原子力委員会に危機管理能力など存在しない

石川県は無能な自民党の知事のもと、せっせと崩壊へと突き進んでいたことが見て取れる。頻発する群発地震に対して、何の対策も警告もしてこなかったのだから、間違いなく自民党の知事は無能です。原発の再稼働に対して、何の反対もしないのだから、無能というより只の馬鹿

これが地元に有能な知事がいて、原発の再稼働に反対し、群発地震に対する備えや啓発を行っていたなら、地震に対する心構えも大きく異なっていただろう

日本で大規模災害を起こっても、すぐに助けは来ない。何故なら、大規模災害救助の体制がしっかりと整っていないからだ。日本には災害直後に駆け付ける、専門の災害救助隊など存在しない。だから、即座に救助などできやしない。日本で災害が起これば、公民館や学校などの公共施設に、身を寄せ合せあうしか手段が無い。数十年前から、この体制は変わらない。日本の政治が如何に貧困化しているかが良く分かる

歴史を繙けば、無能な為政者の元では危機管理と復興は不可能だ。一時的に良くなっても、狂いを修正できずに滅んでいく。石川県の場合も、大きな被害を生んだ地域的な背景が見えてくる。それは、認識の狂いであり、政策の狂いであり、為政者の狂いであり、それが人の行く末を狂わせる

この未曽有の大地震があっても、大阪万博は止めないだろう。良くても延期。何故なら、狂った「維新の会」と「自民党」がしきっているからだ。止めないから、莫大な金がゴミの島に費やされる。今の日本に、浪費するムダ金など存在しない

維新の会と自民党の政策は、「情報を公開しない」「自らの利益を優先する」「自分勝手な規則を作る」。万博を中止し、そのお金を地震の復興に回すとの判断など、できる道理が無い

「人は何故滅ぶのか?」。その答えは、状況に応じた適切な軌道修正ができないからだ。無能は過ちを認めない、無能は邪悪な私見を押し通す、無能は決して辞めないし止まらない。無能は過ちを何度でも繰り返す。人のためにならない無能が頑張ると災厄になる。万博を止めないとの判断は、正に滅びの道を選ぶことに他ならない

「不正・腐敗・欠陥」が常態化すると、事故・事件・騒動など頻発し、社会不安が増大する。社会の狂いは、社会の崩壊を加速する

「無能な為政者の下では滅ぶしかない」。それは人の歴史が証明する

権力者の「嘘」は、自分の身を護るための方便だ。だから平然と「嘘」をつく。端的に表現するなら、人に寄生し養分を吸い取る寄生虫です。寄生虫が活動すると、潜り込まれた国家は悲鳴を上げて悶絶する。権力者の「嘘」を見抜いたら、害虫として即座に駆除しなければならない

邪悪なる者、それは過去の記録を抹殺せし者。それは邪悪な行いを無かったことにせしめる者。それは邪悪な行いを隠蔽し善人を装う者。邪悪を見抜き、邪悪を斬り捨てることでしか、社会の平安を保てない現実を理解すべき
Back Ground: The Giving Tree